書籍の記事 (2/2)

親ができるのは「ほんの少しばかり」のこと

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著者は、「岸辺のアルバム」や「ふぞろいのりんご林檎たち」の著名な脚本家です。
その脚本家が、自身の子育てを踏まえて、20年前に書いた本に、最近加筆修正したものが本著である。

「本書を読み返してみますと、あれれ、親子のことってそんなに変わらないんだという気がしています。自分でいうのも図々しいけれど、この本が昔話になったという思いは意外なくらいありませんでした。だからこそ「新版」のお話をくださったのでしょう。」というのが著書あとがきの弁です。

その中でも特に印象深い一節を抜き出したものが以下です。

●日本の文化が女性化するのは当然だと思いました。おおざっぱにいって、女性は「生きている」ということを大切にして、良くも悪くも存在からあまり離陸しないでしょう。でも世界の思想の中には「屈辱の生より誇りを維持した死を選ぶ」というような生き方もあるし、「役に立つなどという下品なことはしたくない」なんていう生き方もある。たいていそんなことを言っているのは男なわけですが、そういう多様さが子供の日々からほとんど消えていていいのでしょうか?(お母さんまかせ)

●親は「親バカ」というような、半分親のエゴで子供の身になれます。かなり本気で「それは、他の人が悪いんだ」などと子供に言い得るわけです。(中略)そういうことを自分についていってくれる人がいることは、自分が子供だとして考えると、とってもありがたいことではないでしょうか?(親バカになってもいい)

●ぼくは、家内と相当燃え上がるような喧嘩をして、数時間たって「あれ、どうしようか」などと相談したりしている。それを子供たちが見ていて「パパとママ、いったいなにをしているのよ」と怒る。
 なにもぼくたち夫婦だけではなく、たいていの夫婦にそんなことはあるように思います。(いい加減さも覚えてほしい)

●昔、「子供の喧嘩に親が出る」というのは非難の言葉でした。今でもその非難は聞くに値するものを持っているように思います。(中略)「いじめ」で子供は社会の現実を知るところがあると思うのです。他人という者の残酷さとか恐さとかですね。更にいえば自分の弱さも思い知る。いくら正義はこっちにあると思っても力の弱いものは負けることも知る。いじめられる側だけでなく、いじめる側にも後年まで残るものがあると思います。尻馬に乗っていじめた自分の嫌らしさ、弱さ、残酷さなど。決してマイナスばかりではないと思います。(心の傷の栄養になる)

●姑とか親と同居していれば、先人の知恵もあるし、肩代わりを頼めるかもしれない。ノイローゼは核家族により多いでしょうから、夫の責任が重くなりますね。余儀なく核家族という家庭もあるでしょうあが、いわゆる「ババ抜き」を希望して結婚した家庭では、プラスを享受するだけでなく、マイナスも引き受けなければならない。(育児ノイローゼのこと)

●今の日本って、お人好し社会だと思うんです。お人好しで何がいけないかというと、人間の実態に鈍感ですから、たとえば、自分の実態を超えて過度にいい人になろうとするとか、他人にもうんといい人であることを要求するとか、子供に対しても、そんなことを要求しても無理だということを要求してしまうとか(「いい人」の価値)

●こういういい方をすると家族のいない人を傷つけてしまうかもしれませんが、家族は、凄く人間を教えてくれる場所であるし、なかでも子供を育てるということは、人間というものを理屈なく教えてくれるし、自分いついても実に沢山のことを気づかせてくれます。(子供の心がわからないこと)

●この日本にだって、個性の発揮も目指さず、新しいものへの適応も考えず、都会になど目もくれず、金銭にふり回されないで幸福感を手に入れている人がいるのです。そして自分の子供がそういう生き方を選んでなにがいけないか、と考えること、そのくらいの幅は、お互い、親なら持ちたいものではないでしょうか?この世には、実にさまざまな価値観があり、そのそれぞれで、多くの人々が幸福感を手に入れているのですから。(人生の意味)

●(親は子供が)「好きだ」ということに手を貸してやるしかない。「何が好きだか分からない」という子には、見つかるまで待ってやるしかない。それくらいしか親のできることはないし、責任もない、と思います。(中略)自分の損得を考えず、ある人間のことを気にかけ心配し、見当ちがいのことが多いにせよ、その人間のために口に出す存在は、親ぐらいしかいないのが普通です。(基準は生身の子供)

●親は子供の健康を気にかけ、平穏であることを願います。子供は成長するにつれ、それだけでは満たされない自我を持ってきます。(中略)あえて危険なことに足を踏み入れたり、一文にもならないことに情熱を傾けたり、じっとしていれば何事もないのに、大騒ぎになるようなことを口走ったり(親のできることは少し)

●子供を大事に思う力のあるものだけが、矛盾したことをいう資格があり、そうでないものは合理性でいかなければならないという気持ちはあります。つまり、あまり子供を大事に思う能力のない先生などは、一貫性・合理性で行ってもらいたいけれど、基底に子供を大切に思う能力を備えた人は矛盾してもいいのだ。むしろ矛盾しなければいけないのだ、と思います。(親のできることは少し)

●子供を大事に思う能力、幼児と母親の一時的な関係をのぞけば、それほど本能的なものではないというように思うのです。子供を愛する、というのも一種の能力で、人によっては努力して身につける必要のある力だというところではないでしょうか?(親のできることは少し)

【最後に】
完璧な親は存在しないし、そんなものを求める必要も無い。自分のためでなく、子供のために一生懸命寄り添う。
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脳のワーキングメモリを鍛える! 


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脳のワーキングメモリを鍛える! 情報を選ぶ・つなぐ・活用する

脳科学も絶対的なものではありません。
それは,脳科学の進歩が,それ自体を絶対的なものにしないのです。

というのも,数年前には当たり前と言われていた脳科学の知見も,それから研究が進むとその知見自体が否定されることもあるからです。

とはいえ,脳科学の研究には,教育実践に様々活用できることも,確かです。
特に,今回の文献である,「ワーキング・メモリー」という概念は,なかなか興味深いものです。

「メモリー」というと,単に記憶をイメージすると思いますが,この「ワーキング・メモリー」はそうではありません。その定義を著者は,次のように言います。

「意識して情報を処理すること。」
つまり,単に記憶するのではなく,インプットされる情報を,自らの意思で処理することなのです。
ここで注目すべきことは,「処理」までをその範疇に入れていることです。

一般的に,「メモリー」=「記憶」では,そこまでを範疇に入れません。
一時記憶や,長期記憶,それと関連した脳部位の海馬を説明するに終わりがちです。

しかし,この「ワーキング・メモリ」は,「処理」を範疇に入れていることから,関連する脳部位が,「前頭前皮質」「ブローカ野」「扁桃体」「海馬」「頭頂間溝」などを含み,さらには,それぞれの部位が関連することも示しています。

これが,興味深いのです。
なぜなら,これまでの脳科学では,「Aは〜野」「Bは海馬」のように,単結的に論じられてきたからです。

さらに,この「ワーキング・メモリー」は,学力や運動能力,表面化しづらい意欲や注意力,その他の様々な人間の能力と関係があることも明らかにしていきます。

この文献を学校教育の実践に生かすことができるのではないかと考えています。

例えば, いくら個別指導をしても,そのことは理解しても次の新しいことについて理解できない,や,本人のやる気はあるけれど力がなかなか伸びない,運動で不器用な面がありなかなか技能が上達しない,など,教育実践をしていると直面することがあると思います。

その問題点が,この「ワーキング・メモリー」にあるとすれば,単に教科書内容や漢字を指導するだけではなく,「ワーキング・メモリー」そのものを育む指導をする方が結果的に早く解決するのです。

実際,これまで指導してきて,子どもたちの学びが加速する事実を目の当たりにしてきました。
これは,この文献から見ると,それまで未発達な子どもの「ワーキング・メモリー」が育ってきて,その結果子どもの学習に勢いが出てきたとも言えるのです。

ですから,このような「ワーキング・メモリー」に着目し,それを育む指導を工夫することで,子どもたちの学力を一気に伸ばすこともできるのではないかと考えています。

「ほめない子育て」で子どもは伸びる

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「ほめない子育て」で子どもは伸びる

〈 書籍の内容 〉
子どもが必ず伸びる、ほめずに認める声かけ指南書
通説になっている「ほめて育てる」は間違いだった――。
 ほめてばかりいると、大人の顔色をうかがう子、失敗を怖れてチャレンジできない子、依存的で責任感のない子、ひとの成功をねたんだり失敗を喜んだりする子に…。
 ではどうすればいいのか。 3歳を過ぎたら、
*「ほめる」よりは、「認める」
*「お手伝いできていい子ね」ではなく、「お手伝いしてもらって助かった」
*you(ユー)が主語の「ほめる」ではなく、I(アイ)が主語の「認める」声かけ
これで、子どもは驚くほど伸びるのです。
 認める言葉語録や成功・失敗実例なども収録しています。上司⇔部下、夫⇔妻、嫁⇔姑、親⇔先生にも応用できるワークもあります!
 手おくれはない。いつでも、今日からでも間に合う、そうして効果が表れる子育て指南書です。

〈 編集者からのおすすめ情報 〉
実はこの「いけない」子育て=ほめる子育て、をこれまでの私はしていました。

この本を編集して、「認める声かけ」を実践してみました。つまり、youメッセージではなく、Iメッセージで、朝、頑張った勉強について声かけしたのです。

「朝、集中して勉強したあなたを見て、(私は)うれしかった。おかげで気分良く会社にいけたよ」

そうしたら、なんと。
夜も驚くほど集中して勉強をするではありませんか。実は、あまりの効果に、正直、驚いたのです。

著者は年間400近い講演をされています。
本書は、その人気の講演のメッセージを自宅で受けとれる。
今日から、ぜひ、始めてほしい、今日から効果が見える内容ばかりです。

〈 目次をみる 〉
第1章 「ほめる」ことで子どもが壊れていく
・「いい子症候群」が増えている 
・「ほめる」ってどういうこと?
・ 親が「ほめ」言葉をつかうと「おどし」になる
・ 「自分が好き」という気持ちが育たない
・いじめの原因となることも 
・ 「ママ、○○していい?」が口グセの、自分で決められない子になる
・ 大人になっても「指示待ち人間」。リーダーになれない
・ 「○○ちゃんのせい」とすぐ言う、責任感のない子に
・ 新しいことにチャレンジできない子、ワクを越えない人間になる
・ ほめることで、進歩がストップしてしまうこともある
・ 失敗を怖れるようになる
・ 子どもの言葉にすぐさま反応していませんか? 
・ 「ほめる」は現実から子どもを引き離す


第2章「ほめる」より「認める」子育てを 
・「ほめる」と「認める」の大きな違い 
・アイメッセージで「意図的」に「認める」 
・ウソのないホンネの気持ちを伝える
・「よいこと」も「悪いこと」も認められる
・生きる力の元、バイタリティのサイクルが回り出す
・いたずらで「バイタリティのサイクル」が回る
・創造性や段取り力、コミュニケーション力がつく
・失敗したことで、ストレスに耐える力がつく
・サイクルの源泉は自発的動機、戦略、決断
・人間らしい「喜び」「哀しみ」を感じられる人に
・「認める」ことでサイクルを回す
○ほめて育てた、認めて育てた 1


第3章「認める」メッセージを伝えよう レッスンと心がまえ
・「認める」メッセージを伝えてみよう
・ レッスン1
・  ・子どもが算数のテスト100点を取り、うれしそうにしていたら?
・ レッスン2
・  ・子どもが野球の試合に勝ったときは? 
・ レッスン3
・  ・子どもが、言われなくても宿題をやったら?
・ レッスン4
 ・子どもがステキな砂のお城を作ったときは?
・ 子どもをよく観よう 
・ 子どもの話の聴き方にはコツがある 
・結果ではなくプロセスや姿勢を認める 
・意図的に認めるコミュニケーションの創り方
・ 小さい頃は、「大好き」メッセージをたっぷり
○ほめて育てた、認めて育てた 2

第4章大人だって「ほめる」より「認める」
・大人も「認める」ほうがうまくいく
・会社やパート先で、同僚や部下にも「認める」声かけ 
・PTAの活動でも「認める」声掛けで活動がスムーズに
・しゅうとや姑とうまくコミュニケーションをとるには?
・夫婦こそ認め合おう。まずは自分から声かけを変えてみる
○ほめて育てた、認めて育てた 3

叱らない・ほめない・教えない

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「褒めない・叱らない」の理由は?

アドラー心理学を紹介するときに使われる「褒めない・叱らない」あるいは「勇気づける」といったキーワード。

「叱らない」は叱られる側の気持ちを思えばまだしも理解できそうですが、「褒めない」となるとすぐさま納得できる人は少ないのではないでしょうか。さらに「褒める」のではなく「勇気づける」のだと言われてしまえば、前者と後者にどんな違いがあるのか、さらにわからなくなってしまいます。

一つ一つ解説していきましょう。

アドラー心理学は明快に「叱るのも褒めるのもダメ」と言っています。なぜなら叱るのも褒めるのも、それをする側に相手の優位に立って思い通りに操ろうとする意図があり、結果として両者の間に対等でない関係を生み出すからです。

そのことを示す面白い例えが上記「嫌われる勇気」の中で紹介されています。

小さな子どもが皿洗いを手伝ったとき、母親が「お皿洗いして偉いわね」と褒めることがあります。しかし、同じことを夫に言えるでしょうか。中々言えないと思います。もし言ったら夫は「馬鹿にするな!」と怒る可能性が高い。

なぜ夫に言えないことが子どもに言えるのでしょうか。そこにはすでに「大人と子ども」という対等でない関係があるからです。そして、「偉いわね」という褒め言葉はこの非対等な関係を強化してしまうのです。

その結果、子どもは褒められたいがために、母親の指示ばかりを気にし、なぜお皿を洗う必要があるのか自分の頭で考えなくなります。そして、母親の目がないところでは積極的に自分の役割を果たそうとしなくなるでしょう。

どうすればよかったのか。母親は「お皿を洗ってくれたのね。ありがとう。助かったわ」と言えばよかったのです。

こうした言葉がけであれば、子どもは自分が家族の一員として対等に扱われていることを知り、家族に貢献できた自分に自信を持つことができます。その自信は、子どもの中に家族の一員としての責任感を生み出します。その子は、たとえ親の注目がない場面においても、家族の一員として自らの責任を果たすことでしょう。

ここでの「ありがとう。助かったわ」というのが、アドラー心理学でいう「勇気づけ」の言葉がけになります。

勇気付け=braveではない

余談ですが、この「勇気づけ」という言葉も、やや誤解を招きそうです。しばしばBraveという訳語が充てられますが、そうなると「勇気」というより「勇敢」といったニュアンスが強く、我が国の気候変動に多大なる影響を及ぼす元テニス選手の方のように、ひたすら「頑張れ!諦めるな!」と連呼するイメージを思い浮かべてしまいがちです。



注:これはアドラー心理学の「勇気づけ」ではありません。