コラムの記事 (2/151)

青春の門

正平調 11/14

高校生の信介のもとに憧れの音楽教師、梓(あずさ)先生から手紙が届く。「青春の特権って、どんなことだってやれるという可能性にあるんじゃないかしら」。

五木寛之さんの長編「青春の門」から引いた。人にはそれぞれの青春期にだけくぐることを許される門があるらしい。はて、いつ通り抜けたのかしら、と思案する身には、いまその門に立つ人がまぶしく見える。

プロ野球日本ハムの大谷翔平選手がいよいよ米大リーグに挑戦するという。弱冠23歳、「頼もう」の声は勇ましくさわやかだ。逸材流出を嘆く声もあるがやっぱり「メジャーリーガー・オータニ」を見てみたい。

代名詞ともなった投手と打者の「二刀流」を「あきらめない」。会見でそう語っている。やれるかねえ。5年前のプロ入り時にあった疑いのまなざしを、自らの力で喝采へと変えた人である。きっとやるだろう。

今季終盤には「4番・ピッチャー」で先発した。〈子供の頃からエースで4番…〉という古いCMソングを思い出す。プロの舞台でなし遂げた本人はすごいが、才能を信じて後押しした球団にも拍手を送りたい。

さて、冒頭の手紙には「青春の」特権とあって「若者の」とは書かれていない。挑戦の心あるかぎり、だれの前にも青春の門は開くのだろう。

言葉に敬意を

水鉄砲 11/14

 三浦しをんさんの小説『舟を編む』(光文社)にこんな一節がある。「ひとは辞書という舟に乗り、暗い海面に浮かび上がる小さな光を集める。もっともふさわしい言葉で、正確に、思いを誰かに届けるために」。

 別のページでは「言葉とは、誰かを傷つけるためではなく、誰かを守り、誰かに伝え、誰かとつながりあうためにある」とも書いている。言葉によって物語を紡ぐ作家ならではの文章である。人間が武器ではなく、言葉を持って生まれてきたことへの敬意と感謝の気持ちの表現でもあろう。

 ところが昨今、人間社会には「誰かを傷つける」言葉があふれている。匿名に隠れた根拠のない発言が横行し、人を傷つけて恥じない。議論は成り立たず、言葉によって問題を解決する知恵は退化する。

 そうした風潮に流されたのか、国会では多数派が少数派の質問時間を制限しようと提案した。

 一方的な言い分である。質問によって問題点を明らかにする。主張を尽くして妥協点を見つける。政府の方針に疑問があれば、それを追及し国民の判断を仰げるようにする。それが国会の役割であり、そうした仕組みがこの社会を支えていることに対する理解と敬意が欠けているのではないか。

 「問答無用」ではなくて「話せば分かる」。互いに腹を割って話し合い、互いが分かり合えるように説明する。そのために言葉がある。その価値の尊さにもっと目を向けようではないか。 

愛国心

中日春秋 11/14

初の本格的な英語辞典を編んだ英国の偉人サミュエル・ジョンソンは、「愛国心とは、ならず者の最後の拠(よ)り所(どころ)」だと定義した。

悪魔の辞典で知られる米国のビアスは、その毒舌でジョンソンを「博識ではあるが、辞典編纂(へんさん)者としては二流どこにしかすぎない」とくさした上で、愛国心とは、無頼漢の「最後の」ではなく「最初の」拠り所なのだと、定義し直した。

この人にとって、「愛国心」とはどんなものなのだろうか。米国のスポーツ選手らが人種差別への抗議のため、国歌演奏に合わせ片膝をつく行動に出たとき、トランプ米大統領は「国旗に敬意を示さぬ奴(やつ)らはクビにしろ」と発言した。

そんなトランプ氏の部下はさぞかし「愛国者」ぞろいなのかと思っていたら、出るわ出るわ。安全保障担当の大統領補佐官だったフリン氏は、在米のイスラム指導者をトルコ政府に引き渡す見返りに、巨額の報酬を受け取ろうと画策していたと米有力紙に報じられた。

商務長官のロス氏は、租税回避地にある法人への投資を通じて、プーチン大統領に近いロシアの会社と利害関係にあったことが分かった。そして何より、昨年の米大統領選をめぐるトランプ陣営とロシア側との疑惑に満ちた情報とカネのやりとり…。

疑惑の解明が進んだとき、「国旗に敬意を示さぬ奴らはクビに」という言葉は、どんな「無頼漢」に突き刺さるか。

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愛国心とは… 
 
 ビアスいわく「自分の名声を明るく輝かしいものにしたい野心を持った者が、たいまつを近づけると、じきに燃え出す可燃性の屑物」

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悪魔の辞典

PATRIOTISM [愛国心]
n. 燃えるゴミ。自分の名を燦然と輝かそうという野心家が持つ松明と解釈される。
ジョンソン博士は、かの有名な辞書において、愛国心は悪党の最後の拠り所と定義されている。この啓発的だがやや劣る辞書編纂者に与えられるべき敬意は払いつつも、わたくしめとしては「最初の拠り所」ではないかと提案する次第。


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『悪魔の辞典』の中でもっともよく引用される定義のひとつに「愛国心」があります。

愛国心 n. 燃えるゴミ。自分の名を燦然と輝かそうという野心家が持つ松明と解釈される。

ジョンソン博士は、かの有名な辞書において、愛国心は悪党の最後の拠り所と定義されている。この啓発的だがやや劣る辞書編纂者に与えられるべき敬意は払いつつも、わたくしめとしては「最初の拠り所」ではないかと提案する次第。

上記のとおり、ビアスは「愛国心は悪党の最後のよりどころ」の引用元をサミュエル・ジョンソン博士の「かの有名な辞書」としていますが、じつはこれは間違いで、正解は、ジェイムズ・ボズウェルの『サミュエル・ジョンソン伝』1775年4月7日のエントリーです。

Patriotism having become one of our topicks, Johnson suddenly uttered, in a strong determined tone, an apophthegm, at which many will start: 'Patriotism is the last refuge of a scoundrel[1035].' But let it be considered, that he did not mean a real and generous love of our country, but that pretended patriotism which so many, in all ages and countries, have made a cloak for self-interest. I maintain, that certainly all patriots were not scoundrels. Being urged, (not by Johnson) to name one exception, I mentioned an eminent person[1036], whom we all greatly admired. JOHNSON. 'Sir, I do not say that he is not honest; but we have no reason to conclude from his political conduct that he is honest. Were he to accept of a place from this ministry, he would lose that character of firmness which he has, and might be turned out of his place in a year. This ministry is neither stable[1037], nor grateful to their friends, as Sir Robert Walpole was, so that he may think it more for his interest to take his chance of his party coming in.'

Life of Johnson, Volume 2 by James Boswell - Project Gutenberg から引用。

どうやら、愛国者はすべてダメだと言いたいわけではなくて、個人的な利益を隠して騙られる見せかけの愛国心 (pretended patriotism) にダメを出しているようです。最後あたりの自党の利益を云々というフレーズを見ながら、なんとも微妙な気持ちになったり。これ、200年以上前の文章なんですけどね……。

注釈を少し補っておきますと、[1036] の eminent person はエドマンド・バークだそうです。[1037] の「現政権」はノース卿(フレデリック・ノース)内閣。オレの頭の中ではノース卿と言えばアメリカ独立革命時のイギリスのトップですが、それより年代が前なのでそこは無関係と思われます。

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ピアス 悪魔の辞典より

へつらい者…右を向けと言われ、そのとおりにすると、うしろから足蹴にされることがないように、腹ばいになったまま、えらい人に近づこうとする人間。

博学…学問に勤勉な人の特色であるところの一種の無知

友情…天気のいい日は二人乗るが、悪い日は一人しか乗れない船。

商業…Aなる者がBなる者から、Cなる者の商品を奪い、その埋め合わせにBなる者がDなる者のポケットから、Eなる者の所有にかかる金銭をかすめとる取引の一種。

外交…祖国のために嘘を言う愛国的行為。

宗教…「希望」と「恐怖」を両親とし、「無知」に対して「不可知なもの」の本質を説明する娘。

平和…二つの戦争の時期の間に介在する、だまし合いの時期。

幸福…他人の不幸を眺めることから生ずる快適な感覚。

忍耐…それによって凡人が不名誉な成功を収めるくだらない美徳。

愛国者…政治家に手もなくだまされるお人好し。征服者のお先棒をかつぐ人間。

成功…自分と同輩者に対して犯す、ただひとつの許すべからざる罪。

戦争…平和の技術が産み出す副産物。国際親善の時期に、政治情勢が最大の危険に直面する。

批評家…自分に機嫌をとる者が誰もいないところから、自分は気むずかしい人間だと自負している連中。

政治…主義・主張の争いという美味のもとに正体を隠している利害関係の衝突。私益のために国事を運営すること。

政治…仮装して行う利害得失の争い。

教育…それぞれ理解力に欠けていることを、監者に対しては赤裸に示し、患者に対しては隠匿して見せないようにすること。

正義…忠誠・税金・個人的奉仕に対する酬いとして、度合いの差はあっても、一国の政府が市民に売りつける品質のおちたる商品。

武勇…虚栄心と義務感と賭博者の希望から成り立っている軍人特有の混合物。

歯医者…お前の口に金属を入れ、お前のポケットから硬貨を引き出す男。

歴史…おおかた悪い支配者と、馬鹿な兵士とによって惹起された、おおむね事業ではない出来事に関する、おおよそ誤っている記述。

法律家…法律の網をくぐる技術に練達している者。

無宗教…世界中の偉大な信仰の中で、いちばん重要な信仰。

知合い…相手が貧乏だったとか無名であった場合には、顔見知りくらいだといわれ、金持ちだったり、有名だったりする場合には親密な人間だ、といわれる友人関係をいう。

礼儀…文句なく是認される偽善。

結婚…共同生活体のひとつの場合で、一人の主人と一人の主婦と、二人の奴隷とから成り、それでいて全部合わせても二人にしかならない状態あるいは境遇。

議論…他の人々の思い違いをますます強固なものにする方法。

退屈な人間…聞いてもらいたいときに話をする人間。

金銭…手放す場合はともかく、いくら持っていてもなんの利益ももたらさない結構な代物。教養のしるし、あるいは社交界の入場券。持っていても悪くない、持ちはこび自由な財産。

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愛国心とは、ならず者達の最後の避難所である。
サミュエル・ジョンソン

愛国心とは、自分がそこに生まれたという理由で、その国が他より優っているとする信念のことだ。
ジョージ・バーナード・ショー

シャルル・ド・ゴール
「愛国心とは自国の人々への愛がなにより優先するものであり,それ以上に他国の人々への憎しみが強くなるとナショナリズムとなる」

実は私は「愛国心」といふ言葉があまり好きではない。何となく「愛妻家」といふ言葉に似た、背中のゾッとするやうな感じをおぼえる。この、好かない、といふ意味は、一部の神経質な人たちが愛国心といふ言葉から感じる政治的アレルギーの症状とは、また少しちがつてゐる。ただ何となく虫が好かず、さういふ言葉には、できることならソッポを向いてゐたいのである。この言葉には官製のにほひがする。また、言葉としての由緒ややさしさがない。どことなく押しつけがましい。反感を買ふのももつともだと思はれるものが、その底に揺曳してゐる。では、どういふ言葉が好きなのかときかれると、去就に迷ふのである。愛国心の「愛」の字が私はきらひである。自分がのがれやうもなく国の内部にゐて、国の一員であるにもかかはらず、その国といふものを向う側に対象に置いて、わざわざそれを愛するといふのが、わざとらしくてきらひである。
三島由紀夫「愛国心」より

憂国の士という連中がいて、彼らが国を滅ぼすのだ  勝海舟

アメリカ市民は民主主義の為なら大洋を渡って戦うが、投票の為に通りを渡ろうとはしない。 ―― ビル・ヴォーン

詐欺師がしばしば愛国心を利用することは問題ではない。むしろそれに異を唱え、反抗することこそが愛国者にとっての本分であろう。 ―― バーバラ・エーレンライク

愛国者と売国奴で国が真っ二つ。おまけにどっちがどっちか誰にも分からない。 ―― マーク・トウェイン

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広辞苑リニューアル

天地人 11/12

 国語辞典は数々出版されているが、それぞれ特徴や違いがある。200冊を超える辞書を持つという「学者芸人」サンキュータツオさんが「学校では教えてくれない!国語辞典の遊び方」(角川文庫)で、いろいろな辞書を擬人化して紹介しているのが面白い。

 「都会派インテリメガネ君」「スマートな現代っ子」「親切で気のいい情報通」といった具合。「しゃれの利かない、おカタいお兄さん」だがみんなに信用される「長男」-これは広辞苑のことだ。俗語や現代語をあまり入れないスタンスが広辞苑にはあるという。

 1955年に初版が刊行された広辞苑は、辞書の代名詞のような存在だ。広辞苑によると…というフレーズはよくお目にかかる。かくいう小欄も何度か使った覚えがある。その広辞苑の改訂版(第7版)が来年1月刊行される。

 2008年1月以来10年ぶりの改訂で、ここ10年ほどで定着した新しい言葉約1万項目を追加する。「上から目線」「がっつり」「LGBT」「自撮り」などの時代を映す言葉を「おカタいお兄さん」が解説してくれるわけだ。

 岩波書店が9月に実施した日本語に関する調査では、正しく美しい日本語を身につけたいと思う人が8割を超え、現在使われている日本語に多くの人が危機感を感じているという。広辞苑リニューアルは言葉への関心をさらに高める機会になりそうだ。

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サンキュータツオの細かすぎる国語辞典の読み方

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辞書の世界がもっと深く楽しめる!

朝日新聞「天声人語」で紹介! 辞書の世界をのぞいてみよう

芸人ならではの切り口で、代表的な国語辞典を例にとりながら、語数、品詞、デザイン、歴史、用例、語釈などから辞書の魅力を多面的に紹介。あなたの知らないディープな辞書の魅力がここに!(イラスト:宮尾和孝)

【目次】
この本に登場する主な辞書
自分だけの一冊がわかる!? オススメ辞書占い
はじめに
第一章 広くて深い辞書の世界をナビゲート
1.国語辞典は、みんなちがう!
2.国語辞典のルーツ
3.辞書の中にもブランドがある
4.国語辞典は二冊持つ時代
5.なぜ、こんなに多様化したのか?
6.忘れちゃいけない文法問題
7.辞書のディテールを楽しむ
第二章 タツオセレクト! オススメ辞書ガイド
1.キャラクターで解説! 個性派辞書図鑑
『岩波国語辞典』
『新明解国語辞典』
『明鏡国語辞典』 
『集英社国語辞典』 
『新潮現代国語辞典』
『ベネッセ表現読解国語辞典』 
『角川必携国語辞典』
『新選国語辞典』
『三省堂国語辞典』
『日本語 語感の辞典』
『基礎日本語辞典』
コラム『基礎日本語辞典』著者 森田良行先生にインタビュー
2.まだまだある! 紹介したかった「国語辞典」たち
3.タツオオススメ「辞書関連本」
ことばのぬまのおくがき
文庫版あとがき
解説 三浦しをん

鍵はある

河北春秋 11/12

 ある日突然、脳出血で倒れたフランスの男性の手記を読んだ。題名は『潜水服は蝶(ちょう)の夢を見る』。男性が病室で目覚めると、意識と記憶は元のままなのに頭のてっぺんからつま先までまひしていた。

重たい潜水服に閉じ込められたような絶望感の中で、かろうじて動かせる左目のまぶたを使った意思伝達の手段を見つける。アルファベットを読み上げてもらい、望む文字が来たところでまばたく。それを20万回繰り返して文章を紡いだ。

私たちの身の回りにも、病気や事故で重い脳損傷を負った人たちがいる。遷延性意識障害、いわゆる「植物状態」の患者や家族でつくる「宮城県ゆずり葉の会」は4日、設立30周年の記念式典を開いた。当初は宮城だけだった家族会は近年、北海道、九州でも発足し、活動は全国に広がる。

「改善することはない」と診断されても、ベッドに横たわる自分の親、夫や妻、子どもの表情のわずかな変化で意思をくみ取る。「生きたい。そう言っている気がする」と家族は話す。

<この宇宙のどこかに、僕の潜水服を開ける鍵はあるのだろうか?><ならば僕は行こう、そこへ>。男性の手記はそう結ぶ。重い障害を負った人たちにこそ、先進医療や技術の光を当ててほしい。「鍵はある」と家族は信じ、日々を重ねている。

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内容紹介
難病ロックトイン症候群がすべての身体的自由を奪った!
『ELLE』編集長が20万回の瞬きで綴る奇跡の手記
「潜水服は蝶の夢を見る」
本書は映画化され、2007年度カンヌ映画祭で監督賞受賞。


著者のジャン=ドミニック・ボービー氏は、1952年生まれ。
ジャーナリストとして数紙を渡り歩いた後、世界的なファッション雑誌、『ELLE』の編集長に
就任しました。名編集長として名を馳せますが、1995年12月8日、突然脳出血で倒れ、ロ
ックトイン・シンドロームと呼ばれる、身体的自由を全て奪われた状態に陥ってしまったのです。まだ働き盛りの43歳でした。
病床にありながらも、唯一自由に動かせる左目の瞬きだけで本書を「執筆」しました。
本書は大きな話題を呼び、フランスだけでなく、世界28か国で出版される世界的なベスト
セラーとなりました。しかし、1997年3月9日、突然死去。本書がフランスで出版された
わずか2日後のことだったのです。

内容(「BOOK」データベースより)
すべての自由を奪われても魂の叫びは消せない。難病LISに冒され、すべての身体的自由を奪われた『ELLE』編集長。瞬きを20万回以上繰り返すことだけで、この奇跡の手記は綴られた。愛する人たちや帰らぬ日々への想いが、魂につきささる。生きるとはこれほどまでに、切なく、激しい。

負の能力

卓上四季 11/12

♪卒業までの半年で、答えを出すと言うけれど♪。往年のヒット曲「青春時代」は、悩みの真っただ中にいる若者たちの心情をこう歌っている。青春時代に限らない。自らを省みても「道に迷っているばかり」だった。

右か左か、マルかバツか。日々の暮らしの中で明確な答えを迫られる場面は少なくない。だが、簡単には出てこない。焦りも生じる。

そこで、こんな考え方はどうか。「ネガティブ・ケイパビリティ(負の能力)」。作家で精神科医でもある帚木蓬生さんの近著(朝日選書)のタイトルである。「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」「性急に証明や理由を求めずに不確実さや不思議さ、懐疑の中にいることができる能力」だという。

ヒトの脳は、目の前に分からない、あるいは不可思議なものがあると、とりあえず意味づけをして「分かろう」とするそうだ。これでは理解が低い次元にとどまる。ほんの一面を見てレッテルを貼るようなものだ。

対して、「分かった」つもりにならず宙(ちゅう)ぶらりんの状態に耐え抜く。それが対象の本質に深く迫る方法であり、相手を本当に思いやる共感に至る手だて―。帚木さんはネガティブ・ケイパビリティという言葉に出会った時の衝撃を、鮮明に覚えていると記した。

「この道しか、ない」といった決めつけと逆の発想かもしれぬ。道は、いくつもあるはずだ。

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商品の説明
内容紹介
多くの受賞歴をもつ小説家であり、臨床40年の精神科医が悩める現代人に最も必要と考えるのは「共感する」ことだ。
この共感が成熟する過程で伴走し、容易に答えの出ない事態に耐えうる能力がネガティブ・ケイパビリティである。

古くは詩人のキーツがシェイクスピアに備わっていると発見した「負の力」は、第二次世界大戦に従軍した精神科医ビオンにより再発見され、著者の臨床の現場で腑に落ちる治療を支えている。
昨今は教育、医療、介護の現場でも注目されている。
セラピー犬の「心くん」の分かる仕組みからマニュアルに慣れた脳の限界、現代教育で重視されるポジティブ・ケイパビリティの偏り、希望する脳とプラセボ効果との関係……せっかちな見せかけの解決ではなく、共感の土台にある負の力がひらく、発展的な深い理解へ。

【目次】
●はじめに――ネガティブ・ケイパビリティとの出会い
精神医学の限界
心揺さぶられた論文
ポジティブ・ケイパビリティとネガティブ・ケイパビリティ

【第一章】キーツの「ネガティブ・ケイパビリティ」への旅
・キーツはどこで死んだのか! ?
・燃えるような愛の手紙
・キーツの短い生涯
・文学と医師への道
・経済的困窮の中で「受身的能力」へ/ほか

【第二章】精神科医ビオンの再発見
・精神分析におけるネガティブ・ケイパビリティの重要性
・ビオンの生涯
・第一次世界大戦の戦列へ
・精神分析医になる決意
・ベケットの治療から発見したこと/ほか

【第三章】分かりたがる脳
・セラピー犬、心くんの「分かる」仕組み
・マニュアルに慣れた脳とは?
・画一的思考が遅らせたピロリ菌の発見
・分かりたがる脳は、音楽と絵画にとまどう
・簡単に答えられない謎と問い

【第四章】ネガティブ・ケイパビリティと医療
・医学教育で重視されるポジティブ・ケイパビリティ
・終末期医療で医師には何が必要か
・ネガティブ・ケイパビリティを持つ精神科医はどうするか
・小児科医ウィニコットの「ホールディング」(抱える)
・人の病の最良の薬は人である

【第五章】身の上相談とネガティブ・ケイパビリティ
・日々の診療所から
・八人の受診者
・身の上相談に必要なネガティブ・ケイパビリティ

【第六章】希望する脳と伝統治療師
・明るい未来を希望する能力
・楽観的希望の医学的効用
・山下清を育んだもの
・ネガティブ・ケイパビリティを持つ伝統治療師
・精神療法家はメディシンマンの後継者/ほか

【第七章】創造行為とネガティブ・ケイパビリティ
・精神医学から探る創造行為
・芸術家の認知様式
・小説家は宙吊りに耐える
・詩人と精神科医の共通点

【第八章】シェイクスピアと紫式部
・キーツが見たシェイクスピアのネガティブ・ケイパビリティ
・理解と不理解の微妙な暗闇
・紫式部の生涯
・『源氏物語』の尋常ならざる筋書き
・源氏を取り巻く万華鏡のような女性たち/ほか

【第九章】教育とネガティブ・ケイパビリティ
・現代教育が養成するポジティブ・ケイパビリティ
・学習速度の差は自然
・解決できない問題に向かうために
・研究に必要な「運・鈍・根」
・不登校の子が発揮するネガティブ・ケイパビリティ/ほか

【第十章】寛容とネガティブ・ケイパビリティ
・ギャンブル症者自助グループが目ざす「寛容」
・エラスムスが説いた「寛容」
・ラブレーへ
・モンテーニュへ
・つつましやかな、目に見え難い考え/ほか

●おわりに――再び共感について
共感の成熟に寄り添うネガティブ・ケイパビリティ
共感豊かな子どもの手紙

内容(「BOOK」データベースより)
「負の力」が身につけば、人生は生きやすくなる。セラピー犬の「心くん」の分かる仕組みからマニュアルに慣れた脳の限界、現代教育で重視されるポジティブ・ケイパビリティの偏り、希望する脳とプラセボ効果との関係…教育・医療・介護の現場でも注目され、臨床40年の精神科医である著者自身も救われている「負の力」を多角的に分析した、心揺さぶられる地平。

世界は広い

金口木舌 11/12

女子生徒の髪はまゆより上で肩に付かない長さ、男子は丸刈り。靴下はラインが入ったりワンポイントの模様が入ったりしては駄目で必ず白。約30年前の中学時代の校則だ。

折り曲げれば、ばれないと思い、白地に1カ所マークの入った靴下をはいていったことがある。生徒指導の先生に見つかり、職員室に呼び出され、靴下をはさみで切られた。

反抗期だったこともあり、反省より反発の方が強かった。当時、そのような生徒指導は当たり前だった。今は靴下もかばんも自由で、男子の丸刈り規定もない。校則はだいぶ緩くなった。

そう思っていたが、大阪の高校で地毛が茶髪の女子生徒に対し、黒く染めるよう学校側が染髪を強要していたことが明るみになった。生徒は「指導の名の下のいじめだ」とし、慰謝料などを求め学校を提訴した。

高校時代、留学したオーストラリアでは制服はあったが、厳しい校則はなかった。スカート丈が短かろうが長かろうが本人の自由。ピアスも化粧もあり。そもそもベトナム系、イタリア系、アフリカ系などさまざまな人種の人がクラスにいた。当然、人を外見では判断しない。

当たり前だと思っていた常識が、外の世界から見ると、くだらない場合がある。世界は広いと知れば「あるべき姿」にとらわれることもなくなる。生きづらいと思うとき、視点を変えれば気が楽になることもある。p

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南風録 11/12

 「ポニーテール、ようやく解禁」。30年前の本紙に、こんな見出しが躍っていた。鹿児島県内のある公立高校で校則で禁止されていた髪形が許された。7年間、生徒総会で議論を続け実現したとある。

 禁止していた理由に驚く。「うなじに刺激的な感じを受ける者がいるのでは、との心配から」と学校側は説明していた。生徒たちが納得できなかったことは容易に想像できる。

 こんな理不尽な校則は過去の話だと思っていたが、そうではないらしい。先日、テレビでポニーテール禁止は今もあると紹介していた。色柄物の下着を「透けると犯罪に巻き込まれる恐れがある」と禁止する学校もあるという。

 大阪では、生来の茶色の髪を黒く染めるよう何度も指導されたとして生徒が府立高校を訴えた。頭皮はボロボロになり、精神的苦痛のために過呼吸を起こしたという。配慮を求めても学校側は「ルールだから」と取り合わなかったそうだ。

 集団生活に一定の決まり事があるのは仕方ない。だが生徒の個性や尊厳を損なう結果になっては本末転倒だ。一律に守らせることだけが教育の役割ではないだろう。

 議論がある今こそ、疑問に感じながら続いてきた校則を見直す機会にしたい。30年前の記事には「手続きを踏めば、改めるべきは改めてもらえることを学べたことが(生徒にとって)最大の成果」という教諭の談話が掲載されている。

なりたい

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中日春秋 11/12

日本ハムの栗山英樹監督は中学のとき、野球選手に「なりたい」と思ったそうだ。野球選手に「なる」と言い切る自信や決意はまだなかった。あくまで願望を込めた「なりたい」だった。

「君はどうだったか」。栗山監督は二人の選手に聞いたことがある。一人の選手はこう言った。「中学時代からプロになると信じていた」。中田翔選手。中学でプロ入りを確信していた。栗山さんとはだいぶちがう。

もう一人の選手の言葉にはそれ以上の確信があった。「高校のときには世界一の選手になると思っていた」-。大リーグ挑戦を正式に表明した大谷翔平選手である。記者会見でも、「世界一の選手になりたい」と語っていた。高校時代からの確信を実現させる旅にいよいよ出発するのか。

寂しいがそれを上回る期待と夢がある。そしてこちらにも確信があるのだ。投打いずれの才にも恵まれた現代野球の「革命児」は大リーグでも旋風を巻き起こすだろう。世界一の選手になれると。行ってこい。

幼き日、誰もが何かに「なりたい」「なる」の夢を描く。大人になるとは現実と折り合いをつけ、その「なりたい」を忘れる過程、とはややふてくされた言いぐさか。

「なりたい」を追い続ける二十三歳の二刀流がぎらりとまぶしい。すまないのだが、子どもの「なりたい」と大人の「なりたかった」を君の右腕にのっけさせてもらう。

パラダイス

日報抄 11/11

 なにかのアルバイトみたいに聞こえるが、単位の「テラバイト」が表す情報量はとてつもない。1テラバイトあれば書籍100万冊分の文章データを収められるらしい。パソコンがどれぐらいデータを記憶できるかの説明でたまに聞く。

県立図書館の蔵書が80万冊台とされるから、その容量の大きさが分かる。にわかに世界をざわつかせる「パラダイス文書」は1・4テラバイトのデータ量に上る。租税回避の楽園に群がった欲の記録だ。

各国の首脳ら有力者127人の名と、2万を超える組織名が資料から見つかった。なぜ記録を消し去らなかったのか、と富裕層は嘆いていることだろう。1950年からの66年分が暴かれた。

そうして文書保存の力が示された折も折、日本政府のお寒い話が伝わってきた。行政の意思決定を後から検証するのに必要な文書について、「原則1年以上保存する」との指針案を出した。1年たったら捨てていい、と読めてしまう。

ものによっては1年未満で破棄するケースも認めている。その判断は、省庁の職員に任される。陸上自衛隊の活動日報を隠そうとした疑惑をはじめ、公文書管理のあり方が問われてきたはずだが、これでは不都合な文書記録をおもてに出さずに済む抜け道がいくらでもありそうだ。

これもパラダイス文書の暗部に通じていないか。元々「パラダイス」の語は、囲いのある所を意味する。有力者の退廃ぶりを覆い隠す「囲い」といえよう。省庁の囲いに情報を隠すための管理指針なら、破棄したい。

記念日ラッシュ

有明抄 11/11

 きょう11月11日は、記念日ラッシュである。1が四つも並び、インパクトはばっちり。漢字で書いても「十一十一」で、何やら意味ありげに思えてくる。

四つ並んだ棒のイメージから「煙突の日」や「きりたんぽの日」。「11」を正面から見た豚の鼻に見立てて「豚まんの日」、さらに2足仲良く「靴下の日」「下げ駄たの日」とくる。漢字なら、魚偏の右側に「十一十一」で「鮭の日」だし、プラスとマイナスに解釈して「電池の日」。いずれも整然と並んでいて、なんだか気持ちがいい。

共同代表選から一夜明け、希望の党は新たなスタートラインについた。佐賀2区選出の大串博志氏が「風通しの良いオープンな議論」を掲げて「小池路線」の見直しを訴えたが、小池カラーが強い玉木雄一郎氏に及ばなかった。集団的自衛権を盛り込んだ安保法制を容認し、憲法9条の改正論議にも応じる方針が認められた格好だ。

このテーマ、小池氏による“踏み絵”でもめた因縁もある。衆院選では小池人気にあやかろうと殺到したものの、大敗した途端に責任論が噴出。その光景は民主党、民進党時代のバラバラ感がそのまま持ち込まれたようだった。これで結束か、さらなる分裂か。

ちなみに、きのう11月10日は語呂合わせで「(いい)トイレの日」である。過去のしがらみを水に流せたのならいいが。

忖度

小社会 11/11

 柿の句といえば正岡子規の〈柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺〉。ところがこの句、子規が奈良の宿で柿を食べながら東大寺の鐘を聞いたのを、翌日訪れた法隆寺に変えたとの説がある。

 とすれば前書の「法隆寺の茶店に憩ひて」はうその駄目押しになる、と「歳時記百話」(高橋睦郎著)にある。今ならフェイク(まやかし)の俳句とでも言うべきか。むろん今さら〈鐘が鳴るなり東大寺〉とされても心に響かない。

 柿、法隆寺、鐘の音を組み合わせたところに、しみじみと日本の秋を感じさせる子規の感受性がうかがえよう。芸術の世界ではままあることだろうが、現実の社会で真実かどうかがあいまいなままなのは許されない。

 文部科学省の大学設置審議会が、加計学園の獣医学部新設を認めた。しかし審査経過を見ると、当初計画がいかに不十分な「赤点」ものだったかが分かる。にもかかわらず特区での新設計画はとんとん拍子で進んでいた。これでは「加計ありき」の疑念は膨らむばかりだ。

 「総理の意向」はあったのか。官僚は忖度(そんたく)したのか。真実を解明する場はやはり国会しかない。自民党は野党の質問時間を削るのに躍起のようだが、そんな度量の狭いことはせず国民の疑問に丁寧に答えてもらいたい。

 国家戦略と銘打たれた獣医学部の新設計画。そこにフェイクが紛れ込んでいないか。疑いがくすぶったままでは学部を目指す生徒こそつらかろう。


…………………………

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歳時記百話
季を生きる
高橋睦郎 著

歳時記は俳句を詠む人だけのものではない。季節を知り、人生を生き抜くため、私たちが祖先から受け継いできた知恵が詰まっている。すべての日本人の心情と生活の原点なのだ。本書では四季を彩る花々を中心に、雲雀などの鳥、薫風などの気象、涅槃会や酉の市など年中行事、そして芭蕉忌に至るまで、一年の折々にあらわれる豊富な事物を、古今東西の句歌詩文を通して味わう。巻末に俳人・宇多喜代子氏との対談を収録。

ヤドカリ

越山若水 11/11

海で見かけるヤドカリは、貝殻を背負って生きる変わった甲殻類である。自分の体格に釣り合った巻き貝を見つけてすみ着き、成長に伴い大きな貝へと引っ越す。

では自分に合う貝殻を、ヤドカリはどのように見つけるのか。それを確かめるユニークな実験を、公立鳥取環境大の小林朋道教授が行い、自著で紹介している。

水槽に大小3種類の貝殻を用意し、裸にしたヤドカリを入れる。間にアクリル板を置き接触できなくしたが、今まで入っていた大きさの貝殻の前に長くとどまった。

つまり見るだけで自分に最適の貝を認知できるようだ。次に同じ大きさでも重り付きと発泡スチロール付き、重量の違う貝殻を置く。するとジックリと調べた後、ほとんどが軽い貝殻を選んだという。

どうやらヤドカリは最低限の労力で天敵から身を守り、餌探しなどの活動がやりやすいよう、大きすぎずかつ重すぎない貝を選んでいる。要するに「分相応」を心得ている。

人間ならどうだろう。例えば住環境ならば、豪華すぎても居心地が悪い。ヤドカリと同じく身の丈に合った生き方こそ、ストレスが少なく落ち着ける。

「夢や目標はでっかい方がいい」。大人は子どもたちに激励のつもりでそう言ってしまう。しかし当人には荷が重すぎて心の負担にもなる。分相応の器で過ごし、成長したら引っ越せばいい。ヤドカリのように…。

…………………………

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先生、犬にサンショウウオの捜索を頼むのですか! 鳥取環境大学の森の人間動物行動学


小林朋道[著]
1,600円+税 四六判並製 216頁 2017年5月刊行 ISBN978-4-8067-1538-2

ヤドカリたちが貝殻争奪戦を繰り広げ、
飛べなくなったコウモリは涙の飛翔大特訓、
ヤギは犬を威嚇して、
コバヤシ教授はモモンガの森のゼミ合宿で、
まさかの失敗を繰り返す

自然豊かな大学を舞台に起こる
動物と人間をめぐる事件の数々を
人間動物行動学の視点で描く。


著者紹介

小林朋道(こばやし・ともみち)

1958年岡山県生まれ。 岡山大学理学部生物学科卒業。京都大学で理学博士取得。 岡山県で高等学校に勤務後、2001年鳥取環境大学講師、2005年教授。 2015年より公立鳥取環境大学に名称変更。 専門は動物行動学、人間比較行動学。

著書に『絵でわかる動物の行動と心理』(講談社)、 『利己的遺伝子から見た人間』(PHP 研究所)、 『ヒトの脳にはクセがある』『ヒト、動物に会う』(以上、新潮社)、 『なぜヤギは、車好きなのか?』(朝日新聞出版)、 『先生、巨大コウモリが廊下を飛んでいます!』 『先生、シマリスがヘビの頭をかじっています!』 『先生、子リスたちがイタチを攻撃しています!』 『先生、カエルが脱皮してその皮を食べています!』 『先生、キジがヤギに縄張り宣言しています!』 『先生、モモンガの風呂に入ってください!』 『先生、大型野獣がキャンパスに侵入しました!』 『先生、ワラジムシが取っ組みあいのケンカをしています!』 『先生、洞窟でコウモリとアナグマが同居しています!』 『先生、イソギンチャクが腹痛を起こしています!』(以上、築地書館)など。

これまで、ヒトも含めた哺乳類、鳥類、両生類などの行動を、動物の生存や繁殖にどのように役立つかという視点から調べてきた。 現在は、ヒトと自然の精神的なつながりについての研究や、水辺や森の絶滅危惧動物の保全活動に取り組んでいる。 中国山地の山あいで、幼いころから野生生物たちとふれあいながら育ち、気がつくとそのまま大人になっていた。 1日のうち少しでも野生生物との“交流”をもたないと体調が悪くなる。 自分では虚弱体質の理論派だと思っているが、学生たちからは体力だのみの現場派だと言われている。

ブログ「ほっと行動学」http://koba-t.blogspot.jp/

目次

はじめに

ホンヤドカリは自分の体の大きさを知っている!?

洞窟に落ちていたキクガシラコウモリの子どもを育てた話

ヤギの認知世界、イヌの認知世界
草を食べるか動物を食べるか……それが問題だ

帰ってきたカスミサンショウウオ
大学林につくった人工池で3年後に起こったこと

また飛べるようにならなきゃ野生にもどれないんだぞ!
心を鬼にした涙のコウモリ大特訓

大学前の交差点でアナグマの家族と出合った話
N先生は見ていた!

オーストラリアのフルーツコウモリ
国を超えて相互理解を深める貴重な時間をもったのだ

モモンガの棲む森でのゼミ合宿と巣箱の話


はじめに

私が一時的に“悟り”を開いた日

 今、2017年2月だ。
 今年の冬は私にしてはめずらしく体調が悪くなかったので、この「はじめに」もちょっと前向きな内容になりそうだ。
「はじめに」ということでもあるし、今年のはじめ、つまり、1月のある出来事からお話ししよう。それは名づけて「私が一時的に“悟り”を開いた日」とでも言えばよいだろうか。

 正月休み明けの最初の日、その日は火曜日だった。でも私の脳は、じつにけしからんことに、休み明けの日は月曜日だ、と思っていたらしく、「今日は講義はない(会議もない)、たまりにたまった仕事を片付けよう」と、デスクワークに集中していた。
 そしたら午後3時ごろ、研究室のドアを叩く音がし、動物好きのTくんが入ってきた。そして言うのだ。
「先生、講義、どうなっているのですか。みんな、待っていますよ」
 少々あわてた様子に見えるTくんの言動を冷静に見聞きした私は、持ち前の、回転の早い脳で状況を判断し、慎重に(恐る恐る、とも言う)聞いてみたのだ。
「えー、その、なんだ、………今日は何曜日だね?」
 するとTくんが、(遠慮というものを知らないのだろうか)はっきり答えたのだ。
「今日は火曜日です」

 それからのことはちょっと覚えていない。思い出したくない。「そっとしておいて」………みたいな。
 ただし、これだけははっきり言っておきたい。確かに私は講義に遅れた。でも遅れたけど、しっかりと講義はやりきって研究室に帰ってきた。そして、ゲジゲジとヤマトシロアリとホンヤドカリとオカヤドカリとハツカネズミと簡単に会話をして(この点についてはあとでまたお話しする)心の平静を取りもどして、再びデスクワークに取りかかったのだ。

 そして、次の火曜日のことである。私くらいになると一度失敗したことは、それ以後は、ほとんど繰り返すことはない。講義があることをしっかりと認識し、その準備をしたのだ。
 さて、準備のなかには前の講義で受講生(160人くらい)が書いた感想・質問用紙を一枚一枚チェックする(答えが必要なものをピックアップする)作業があった。その作業のときであった。私はある用紙に書かれていた文章に目が釘づけになった。そこにはこう書かれていた。
「授業には遅れず来てください。ワクワクして待っているので」(そのあとに続けて、「フォーカル・ジストニアは社会不安性障害の一つですか」とも書かれてあった)
 ジストニアについては知っていたが、それはさておき、その文章の前にある、「ワクワクして待っているので」………なんとも心憎い殺し文句!
 私は準備を急いで終わらせ、授業開始10分前に勇んで講義室へ向かったのだ。

 ところがだ。講義室への道すがら、私は再び、心憎い殺し文句に出合うことになるのだ。
 私は生来、“整理”ということが苦手であり、そういうこともあって、授業で必要と思われるものをすべてカゴ(スーパーに置いてあるあのカゴである)に入れて持っていく。
 その日は結構カゴが重くなり、いかにも、重~~~い、という感じで廊下を歩いていたのだろう。
 すると後ろから来た学生(私の記憶のなかにない学生だった)が声をかけてくれたのだ。
「先生、こんにちは。荷物、持ちましょうか!」
「ああっ、いや、どうもありがとう」と答えた私のその心は、とても晴れやかだった。そして、ほどなく、これまで60年近く生きてきた人間として、一つの“悟り”のようなものが、すっきりと、静かに脳に浮かび上がってくるのを感じたのだ。
 私は、授業が始まってから、質問への答えをしゃべりながら、さっき感じた“悟り”のようなものについて話したくなった。そのきっかけになった出来事とともに。
 話の内容は、かいつまんで言えば次のようなことだ。
「人生は大きな苦と小さな喜びの連続だ。そしてそのなかで、人はどう生きるべきか?について、みなさんも一度は考えたことがあるだろう。
 私は今日、二つの出来事に遭遇し、まー、悟ったね。人生は複雑だけれど、でも要は簡単だ。………(ここで“二つの出来事”を紹介した)………。
 苦しいときは仕方がないけれど、可能なときには相手と自分がうれしさを感じられることをすればいい。人生のなかでそれをできるだけ多くやって、死ねばいいんだ(ちなみに、このような生き方は、動物行動学的知見から考えたとき、生存・繁殖に有利な生き方とおおむね一致する)」

 さて、唐突で恐縮だが、ここで場面は一転し、ゲジゲジとヤマトシロアリとホンヤドカリとオカヤドカリとハツカネズミの話になる。
 私が、大学のなかで何か特別緊張した時間をもったときなど、研究室にもどって私の心を癒やしてくれる、冒頭でちょっと紹介した動物たちの話だ。

 まずはゲジゲジの話からだ。
 ゲジゲジ? なんでそんな嫌な虫の話からなの、と思ってはいけない。一度、ゲジゲジと正面から、心を開いて向き合ってみよう。きっと、見えてくるものがあるはずだ。少なくともゲジゲジの正面から見た顔が(アタリマエジャ)。
 昨年の11月の終わりだった。
 一匹の小さいゲジゲジ(正式和名はゲジ)が、本棚の前でじっと静かに立っていた(座っていた? よくわからない)。いかにも寒そうだった。
 そうそう、言うのを忘れていたが、わが公立鳥取環境大学は、昨年9月に、実験研究棟が完成し、環境学部の実験系の教員(私もその一人)の研究室は、もとの教育研究棟から実験研究棟に移されたのだ(私の引っ越しは、もう、大~~~変だった。二度ほど死んだ)。
 つまりとても新しい研究室になったというわけなのだが、そこへ、小さなゲジが入ってきて心細そうに、寒そうにしていたというわけだ。

 こんなとき、みなさんならどうされるだろうか。
 少なくとも私には、「出て行ってね」とは口が裂けても言えなかった。
 とりあえず、喉が渇いているにちがいないと思い(何せ、新しい部屋だ。ゲジが飲める水などなかったにちがいない)、ティッシュペーパーに水を含ませて口のところに持っていってやった。
 もちろん私の推察に狂いはない。ゲジはティッシュペーパーにかじりついた。
 そうなると次は餌と棲みかのことを考えてやろうというのが親心というものだろう。
 私は金魚の餌と、引っ越しで持ってきた石(石だ)を、ティッシュペーパーにかじりついているゲジのそばに置いてやった。
 ちなみに、その石は、「先生!シリーズ」第一巻に出てくる「化石に棲むアリ」で語られている石だ。木の枝が化石化してくっついている石のなかに、なんとアリが巣をつくっていたという感動的な話だったが、その石は、10年の年月を経て(引っ越しがなかったら部屋の書類の山のなかに埋まったままだっただろう)、新しい研究室に運ばれてきていたのだ。
 その後、ゲジは私の研究室で、少なくとも日中は石の下でリラックスして暮らしている。春になったら外へ出してやろうと思っている。
 ここにも、「可能なときには相手と自分がうれしさを感じられることをすればいい」という悟りの精神がしっかり息づいている。

 次はヤマトシロアリだ(家を破壊するイエシロアリとは違う)。
 ヤマトシロアリは、私が、学生実験などで使ったりする動物で、もうつきあいは10年以上になる。
 いろいろとお世話になっている動物でもあるし、その生態や行動はとても奥が深い動物でもあるのでもっともっと理解を深めようと、さらには、彼らを対象にした今以上によりよい実験を考案しようと、研究室に置いて日夜、交流を続けているのだ。
 シロアリがつくる“蟻道”にもいろいろ興味をそそられ、飼育用の容器のなかに蟻道をつくらせている(つくらせるにはちょっとコツがある)のだが、最近、驚いたのは、彼らが、飼育容器の隙間から、なんと中空に(!)15センチ近い高さの蟻道をつくったことだ。
 おそらく口から出す粘液で砂の粒を固めてつくっているのだろうが、何がきっかけになって中空へ(!)のばしはじめるのだろうか。
「オレよー、広いところが好きだから。みんな、一緒にやってくれるか?」
 ………みたいなコミュニケーションがあったのだろうか。
 もちろん私は、彼らの道づくりをじゃまなどせず、その空中回廊の成長を毎日見て、しばしの思索にひたっている。ここでも、「相手と自分がうれしさを感じられることをすればいい」という悟りを実践しているのだ。

 次はホンヤドカリとオカヤドカリだ。
 これらの動物は、本文で登場するので詳しいことは省略するが、ホンヤドカリは海水が入った水槽のなかで、オカヤドカリは、砂や板が敷かれた容器のなかで、それぞれ、独特の行動を見せて私の心を元気づけてくれるのだ。
 今、ヤドカリを対象にして調べてみたいと思っていることをちょっとだけお話ししたい。
 それは、ヤドカリたちの「認知世界」についてだ。

 われわれホモ・サピエンスは、今、読者のみなさんが周囲を見わたしたり、今日あった出来事を思い出したりしたときに感じる認知世界のなかで生きている。では、ヤドカリたちはどんな世界のなかで生きているのだろうか。ヤドカリたちは、自分たちが背負っている貝殻や、仲間(同種のヤドカリ)のことをどんなふうに感じて生きているのだろうか。自分の貝殻より、仲間が背負っている貝殻がほしくなったりすることはあるのだろうか(それは貝殻の何を見てそう感じるのだろうか)、何度も出合う相手のことを別々にちゃんと覚えて生活しているのだろうか(これを個体識別という)………みたいな。
 ヤドカリたちは、そんなことを感じさせてくれる、また、そういったことを調べたいなと思わせてくれる動物なのである。

 最後はハツカネズミだ。
 ハツカネズミもゲジと同じく、昨年の暮れ(12月)に、新しい研究室に入ってきた。
 気温が急に下がった日だ。
 ゲジもそうだったが、ハツカネズミも“大人”ではなく、“青年”だった。
 どこから入ってきたのかわからない。
 最初は部屋のなかを逃げまわっていたが、そのうち私の人柄がわかってきたのか、怖がる様子もなく私の近くを徘徊するようになった。
 寒い野外に放り出すのも忍びなく、最初は自宅に連れて帰るつもりでいたが、いろいろ考えて、研究室で春まで面倒を見ることにした。
 なかなかかわいいネズミで、デスクワークをしていてふと目を上げると、その子があどけない目でこちらを見ているではないか。このチビネズミのためにバナナやチーズまで買ってくるようになってしまった。

 結局、12月から翌年、つまり今年の1月まで世話をして、暖冬だったので春を待たず大学の裏山に放してやった(基本的には、野生の鳥獣の飼育には、都道府県などの関係機関からの許可が必要なのだ)。
 人家に侵入して住みつくこともあるが、基本は里山の草地などで暮らすネズミであり、大学の裏山でしっかり生きていくだろう。アカネズミたちと共存して。
 元気でね!

 さて、悟りの話にもどろう。
 悟りと言えば、仏陀だろう。
 ところで、仏陀によって開かれた仏教をはじめとしたインド哲学の思想のなかには、「輪廻転生」がある。死は終わりではなく、次は別な生命体としてこの世に生まれ変わってくるという考えだ。
 この考えによれば、私は、現在、ホモ・サピエンスとして生きているが、死後はゲジとして生まれ生きていくかもしれない。いや、ひょっとしたら海のなかでホンヤドカリとして生きるかもしれない。かなり塩辛い環境だろう。いやいや、ひょっとしたらハツカネズミという可能性だってなくはない。そのとき、現在の私のような、動物にやさしいホモ・サピエンスに出合えるだろうか(まー、“私”には、正直、会いたくないような気もするが)。
 一方、私が学生に話した“悟り”は、
「苦しいときは仕方がないけれど、可能なときには相手と自分がうれしさを感じられることをすればいい。人生のなかでそれをできるだけ多くやって、死ねばいいんだ」
 だった。そういう生き方をしたほうが、結局、自分の充実感や成長も大きいではないか。

 私は輪廻転生は信じない。でも動物たちの多くが意識をもつことは(“意識”といってもホモ・サピエンスの意識の感じとは同じではないが)確かだと思っている。
 そして、私の最近の価値観は、もちろん「人」が一番大切だが、人以外の動物の“うれしさ”も含めて自分の生き方を考えて生きたい、という方向に、今まで以上に傾いている。
 つまり、「………可能なときには相手と自分がうれしさを感じられることをすればいい。
………」の“相手”を人以外の動物にも広げたいということだ。
 もちろん世界では、飢餓や紛争によって命を落としている人がたくさんいる。そしてそのことも承知のうえで、そう思っている。というか、だからこそ、よけいにそう思うのかもしれない。

 最後に、私のゼミで最近起こった、人と動物をめぐるちょっとした事件を(こんな楽しさを味わえることに感謝しながら、また、生物への思いを通して私ができることに思いをめぐらせながら)、お話しして終わりにしたい。

 今、四年生(この本が出版されるころには卒業しているはず)のYbくんが、何を思ったのか「ヘビを飼いたい」と言い出した。そして、ヘビのことにかけてはちょっと詳しい二年生のWくんにアドバイスを求めたらしい。
 Wくんは、そのころキャンパス北の大学林で捕獲し家で飼育していたシマヘビを、Yb先輩のために提供することになったらしい(もちろんWくんはほかにもいろいろなヘビや小動物を飼育していた。そして、Wくんは、動物の飼育が………確かにうまい!)。そしてシマヘビの“引き渡し”は、ゼミ室で粛々と行なわれ、その後シマヘビは、WくんによるYbくんへの実地飼育研修もかねて、ゼミ室にしばらく置かれることになったらしい。

 事件が起きたのはそれから一週間ほどたったころだっただろうか。
 次ページのような衝撃のニュースがゼミ生のLINE(私も入っている)を駆けめぐった。

 ほーっ、名前は「しまちゃん」と言うのか………そんなことはどうでもいい!
 これはまずい。
 それがまず一番に私が思ったことだ。
 もしヘビがゼミ室から外へ出て、廊下をニョロニョロ這っているときにヒトと出合ったら………。小さいとはいえ1メートルは超えるヘビだ。
 それでなくても何かと私に関係する動物たちが問題を引き起こしている昨今だ(ほんとうは昨今だけではなくて大学創立からず―っとだけど)。それに、ゼミ室であろうが、廊下であろうが、基本的には乾燥した環境下で、しまちゃんはそんなには長くは生きられない。
 学生も私もゼミ室を探しまわった。でも、しまちゃんの姿を発見することはできなかった。そして、日一日と時は過ぎ、二週間近く過ぎたころだった(正直なところ私はもう、しまちゃんは逝ってしまったのではないかと思っていた)。再びニュースがLINEを駆けめぐった。

「しまちゃんが見つかりました!」

 教育研究棟の二階と三階の踊り場の手すりに巻きついていたという(踊り場でポールダンスでもしたかったのかもしれない)。
 見つけたのはYbくんと仲のよいSeくんだった。
 ただし、「よかった、よかった!」の言葉がLINE上を躍るなか、私はいつものとおり冷静だった。
 大事なことは、もうこういうことを繰り返さないことだ。Ybくんに、「どこが悪かったのかしっかり原因を見つけて、今後、こんなことが繰り返されないように」と、ビシッと諭すように言ったのだった。
 しかしだ。世の中、何が起こるかわからないものだ。
 その数日後、出勤し仕事を始めようとしていた私の研究室を、隣の研究室のT先生が訪ねてこられて、言われたのだ。
「廊下にヘビがいたのですが、先生のところのヘビではないですか」

 こういうことだったらしい。
 二階に研究室があるK先生が一階の廊下を歩いていたら、一匹のヘビがニョロニョロと這っていたらしい。K先生は勇敢にもそのヘビを確保し、倉庫のなかのバケツに入れ、(急ぎの用事があったのだろう)T先生にあとをまかせて研究室にもどられた。その際、小林が怪しい、ということになったのだろう。

 その話を聞いたとき私が瞬間に思ったことは、………Ybくんの飼育容器の管理にまた抜けがあり、しまちゃんが脱出したのではないか。あれだけ言ったのに………だった。
 でもその直後、ヘビに近づいた私は、それが「しまちゃん」ではないことを確信した。なぜならそれはシマヘビではなくアオダイショウだったからである。それも、とてもなじみのある顔のように見えた。
 そう、それは私が実験用に研究室で飼育しているヘビのアオちゃんだったのだ。
 そして心に固く誓ったのだった。このことはけっして、けっして学生たちには、特にYbくんには知られてはならないと。

 悟りの境地からはまだかなり離れたところにいるようだ。

 動物たちは(ヒトに負けないくらい)、しばしばわれわれを前向きに元気にしてくれる。われわれのよい面を引き出してくれる。そうしてそんな前向きな時間を人生のなかで増やしていけばよいと思うのだ。
 読者のみなさんが、本書のなかで(間接的にではあるかもしれないが)動物たちとふれあい、前向きに元気になっていただけたら、そして少しでも動物たちやヒトの特性に興味をもっていただけたらと思う。
 読んでいただいてありがとうございます。

2017年2月24日
小林朋道


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事実は小説よりも奇なり

大自在 11/11

 「事実は小説よりも奇なり」。世の中で起きる出来事は虚構の小説よりも不思議で複雑だという意味だ。さらに現実の社会で起きる恐ろしい事件は小説よりもはるかにおぞましい。“恐怖”を売り物にする小説家も考えつかないのではないか。

 神奈川県座間市のアパートで9人の切断遺体が見つかり、社会を震撼[しんかん]させた事件は9人全員の身元を確認したことで身内や友人などの間に悲しみが広がっていよう。女子高生や女子学生を含む15~26歳の男女が犠牲になった。

 最年少の被害者となった群馬県邑楽町の高校1年石原紅葉[くれは]さんは昨年7月、地元の町の「子ども議会」に参加し、議員の1人として町の人口減少について質問したそうだ。「しっかりとした質問だった」とは当時の町教委関係者の声である。

 友人は以前、幼い子どもに声を掛け、本を読み聞かせていた石原さんを覚えている。福島市の高校3年須田あかりさんは、将来は漫画家になりたいと家族に夢を語っていた。中学では美術部の副部長になり、クラスを代表して文集の表紙を描いた。

 犠牲になった若者たちは悩みを抱え、ツイッターなどで自らの思いを打ち明けていたという。白石隆浩容疑者(27)はそうした心理に付け入り、言葉巧みに自宅に誘い次々殺害していった。

 わずかなことに感じやすく、傷つきやすいのは若者にありがちなことだ。自殺願望をほのめかすこともあるだろう。「いのちの電話」をはじめ、苦しみ悩む人々を支える活動は日々続いている。若者の心の悲鳴をどう受け止めるか。ケア対策を急がねばと思う。

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<いのちの電話>「この叫び聞いて」相談内容は深刻化

 自殺予防のために悩みを聞く全国の「いのちの電話」に相談が殺到し、対応が追いつかない状況が続いている。神奈川県座間市のアパートで9人の遺体が見つかった事件では、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)で自殺願望を漏らした女性たちが巻き込まれた。追い詰められた人々のケアの現状はどうなっているのか。

 「以前自殺未遂をしたが、やっぱり死ぬしかない」「衝動的に線路に飛び込んだ」。昨年、全国最多の約2万8000件の相談を受けた「埼玉いのちの電話」には毎日、悲痛な声が届いている。電話5台、24時間態勢でボランティア約300人が相談に当たる。内藤武事務局長は「内容が深刻になり、1件当たりの相談時間が長くなった」と語る。

 昨年は相談時間の合計が1万5400時間(1人当たり33分)と過去最長だった。相談件数は最多の2013年(約3万1000件)より減ったが、相談時間が延びたため、電話をかけたがつながらなかった人がむしろ増えた可能性がある。過去の調査では、かかった電話の3~4%しか出られなかったというデータもある。

 40年以上関わってきた女性相談員(79)は「自殺をほのめかした人から『思いのたけを話すことができた』と感謝されることもある。人間関係が希薄になり、話すことに飢えた人が増えたように思う」と振り返る。

 社団法人・日本いのちの電話連盟(東京都)によると、全国の相談件数のピークは東日本大震災後の12年の約76万件。昨年は約68万件に減った。ただ、相談内容をみると「死にたい」と話したり未遂歴があったりするなど、危険性が高い人の割合(自殺傾向率)は11・5%。2%程度だった1990年代より高い傾向が続いている。

    ◇

 座間市の事件の被害者は、全員が10~20代の若者だった。

 同連盟によると、電話相談に占める20代以下の割合は06年の23%から16年は13%まで低下した。しかし昨年、メール相談を始めたところ多くの利用者は若者で、自殺傾向率は40%台に上った。連盟の担当者は「テキストによる相談のほうが若い世代はなじみやすい。若者が何を求めているか分析したい」と危機感をにじませる。

 厚生労働省の統計では、11年まで年3万人台で推移した自殺者数は16年は2万1897人。それでも日本の14年の自殺死亡率(人口10万人当たりの自殺者数)は19・5で、世界で6番目に高い。

 立教大の福山清蔵名誉教授(臨床心理学)は「自殺者は減っても不安や絶望、孤独を訴える人は減らず、予断を許さない。若い世代はSNSなどで心情を吐露しており、コミュニケーション方法の変化に応じた新たなアクセス手段を考える必要がある」と語った。

 いのちの電話は1953年、イギリスで始まった自殺予防のための市民運動がモデル。日本ではドイツ人宣教師の呼び掛けで71年に始まり、その後に全国に広がった。運営費のほとんどを寄付などで賄っている。

 現在では全国52カ所で約6500人がボランティアで相談員を務めており、主婦や退職者らが多い。相談員はピークの2001年に約8000人を数えたが、高齢化などで減少傾向にある。

 このため、各地のセンターが参加を呼びかけている。最も歴史のある「東京いのちの電話」は22~65歳を対象に募集しており、臨床心理士などによる約1年半の養成講座を受講し、認定を受ける必要がある。

 応募や相談先の電話番号は「日本いのちの電話連盟」がホームページ(http://www.inochinodenwa.org/)で周知している。

1社提供

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民放局の良質な番組はスポンサーの理解が鍵になる。長寿の人気クイズ番組「世界ふしぎ発見!」を企画したテレビマンユニオン会長の重延浩さんが自著で裏話を紹介している。日立製作所の1社提供で始まったのは1986年だった。

当初、古代ギリシャなど本格的な歴史を取り上げ、視聴率は低迷した。答えが「象」のクイズで本物がスタジオに現れる工夫もした。直前に鳴き声で分かってしまい大失敗。それでも平然と「犀(さい)」と答えた黒柳徹子さんのキャラクターに救われたという。

プロデューサーは首になるだろうと週刊誌に書かれた。重延さんは「独創的なコンセプトに間違いはない」とスポンサーを説得し、「君が良いというなら」と信頼を得た。やがて視聴者と発見の旅をする形が定着し視聴率はうなぎ上り。この成功で自社の経営もようやく安定した。

テレビマンユニオンは飯田市出身の故・萩元晴彦さんらが創設した独立系プロダクションの草分けだ。同じTBS社員だった重延さんも旗揚げから加わった。80年代は企業が番組提供でイメージアップを競い、制作費や広告費が高騰した時代でもあった。

東芝が48年続けたアニメ「サザエさん」のスポンサーを降りる方向となり、代わって美容外科が名乗りを上げている。栄枯盛衰を感じさせる交代劇である。近年、1社提供は少なくなった。同時に良質な番組も減ったように感じるのは企業の余裕がなくなったのか、現場の制作力の衰えか。

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内容紹介
日本初の独立テレビプロダクション・テレビマンユニオンのディレクター、プロデューサー、経営者として、斬新な番組を次々と制作してテレビ表現の可能性を切り拓き、今なお創造活動を続ける著者が、自らの体験を踏まえてテレビ史を解読。ネット時代にテレビの衰退が叫ばれる中、新次元のテレビ論を語る。テレビマンユニオンというユニークな組織がどのように時代状況に対応し、難題を乗り越えてきたのか、その経営哲学もあわせて語る。

内容(「BOOK」データベースより)
日本初の独立テレビプロダクション、テレビマンユニオンのディレクター・プロデューサー・経営者として、『印象派』『ベルリン美術館』『世界ふしぎ発見!』など斬新な番組を次々と制作してテレビ表現の可能性を切り拓き、今なお創造活動を続ける著者が、自身の体験を踏まえてテレビ史を解析。ネット時代にテレビの衰退が叫ばれる中、新時代のテレビ論を語る。テレビマンユニオンという独創的な組織がどのように時代状況の変化に対応し、難題を乗り越えてきたのか、その秘められた経営理念もここに初めて明らかに。テレビ史とテレビ論、創作活動のヒントに満ちた画期的な本。

国民病

編集日記 11/11

 患者が全国で約1千万人に上ると推計され、「国民病」とも言われる糖尿病。その主な原因としては暴飲暴食や運動不足、ストレスなどが知られている。

 オランダの医学研究チームは、糖尿病の要因として意外なところに着目した。それは地球温暖化だ。人間の体内には寒いと脂肪を熱に変えて体温を維持する組織があるが、気温が高くなると組織の働きが弱まり、脂肪が蓄積されて糖尿病を発症しやすくなるとの仮説を立てた。

 英医学誌ランセットも温暖化がもたらす健康への影響を指摘する。温暖化でデング熱を媒介する蚊の生息域が年々広がっているほか、石炭火力発電所などから出る大気汚染物質の影響で多くの死者が出ているとしている。

 もちろん温暖化は異常気象による災害も引き起こす。人類にとって大きな問題だが、温暖化の傾向は強まっている。世界気象機関によると今年の世界の平均気温は観測史上最高だった昨年に次いで高くなる可能性があるという。

 温暖化対策の新枠組み「パリ協定」の2020年開始に向け、実施ルールを話し合う国際会議がドイツで開かれている。各国がホットな議論を交わし、クールな判断をすることが温暖化に歯止めをかける一歩となる。

新球場構想

風土計 11/11

 球史を彩るのは選手だが、その舞台も記憶に残る。「昭和レトロスタヂアム 消えた球場物語」(坂田哲彦編著)を読み、そんな思いを強くしている。川崎、後楽園、藤井寺、平和台…。懐かしい。

登場する中には松山市営、下関市営、高松市立中央などもある。これらの球場は戦後間もなく建設され、プロ野球の試合も開催。下関市営では1950年、本拠地とした大洋(現DeNA)の開幕ゲームも行われた。

このような各地の地方球場が球界を支えてきたのは間違いない。その役割は今も変わらないだろう。地方の野球ファンにとっては、憧れの選手を間近に見て、一流のプレーを肌で感じることのできる場だ。

盛岡の県営球場でも数々のスターがプレー。近鉄の新人野茂英雄投手がシーズン200奪三振を達成した試合(90年8月)、西武の松坂大輔投手が寒風を切って155キロを出した試合(2006年4月)などが印象深い。

他にもイチロー選手ら後に大リーガーになった選手が雄姿を披露した。でも、来年は25年ぶりに公式戦が一つも行われない。球団設立以来、毎年ホームゲームを実施してきた楽天も、来季は同球場の改修工事と試合日程が合わないという。

老朽化や狭さはかねてから指摘されている。本県の聖地とも言うべき球場をどう再生するか。新球場構想と併せ、気になる。

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内容紹介
野球場がもっとも熱かった至福の日々が蘇る!!
野球ファンの記憶の彼方で輝く、今はなきスタジアムの数々。
プロ野球黄金期に刻まれた思い出の残光が、時を超えてなおも心を打つ「昭和の野球場」の回想録!!

第一部:いまはなき思い出のスタヂアム~時代とともに彼方へ消えた15の野球場~
大阪球場/川崎球場/後楽園球場/阪急西宮スタジアム/日本生命球場/東京スタジアム/藤井寺球場
広島市民球場/平和台球場/上井草球場/松山市営球場/横浜公園平和野球場/下関市営球場/高松私立中央球場/駒澤野球場

第二部:プロ野球 名スタヂアム・フォトアルバム~昭和の面影を今に残す、現役の名スタヂアム~
阪神甲子園球場/横浜スタジアム/旭川市花咲スポーツ公園硬式野球場/ナゴヤ球場/札幌市円山球場/宮城球場/西京極総合運動公園野球場
明治神宮野球場/北九州市民球場/藤崎台県営野球場

コラムⅠ プロ野球のユニフォーム
コラムⅡ ベースボールの誕生とグローブの歴史
コラムⅢ スコアボードの看板師
コラムⅣ 昭和野球場 食堂と売店
コラムⅤ 野球盤クロニクル

附録 全国プロ野球スタヂアム データベース

内容(「BOOK」データベースより)
野球ファンの記憶の彼方で輝く、今はなきスタジアムの数々。プロ野球黄金期に刻まれた想い出の残光が、時を越えてなおも心を打つ「昭和の野球場」の回想録。当時のチケットからオールスターゲームのポスター、球場内外の情景など、貴重な資料写真も多数掲載。

文庫本

天地人 11/11

 高校生のころ、買う本は主に文庫本。単行本は高くてなかなか手が出ない。文庫なら高校生でも買い求めやすい。小さくて軽いから、かばんに入れておいて時間があれば読むことができる。

 文庫に親しんできた人は多いだろう。「文庫本 雑学ノート」の著者の岡崎武志さんは、中学1年のころに初めて小遣いで文庫を買った。星新一さんの「ボッコちゃん」だった。それ以来、文庫に手を触れなかった日は一日もないという活字中毒ぶりだ。

 岡崎さんは同書のなかで丸谷才一さんのこんな分析を紹介している。<日本人は一体に小ぶりなものに目がない>。たとえば、盆栽や箱庭のように日本人は小さいもの好き。そんな傾向が、文庫という小型本が愛される背景にあるらしい。

 ただ、文庫の売り上げは年々減り続け、文庫市場も「小ぶり」になってきた。そんななか、文芸春秋の社長が先ごろ、「できれば図書館での文庫の貸し出しをやめていただきたい」と訴えて波紋を呼んだ。同社の収益の3割以上を文庫が占めるのだとか。

 だが売り上げ減と図書館の貸し出しを関係づけるデータはない。東奥日報社加盟の日本世論調査会の調査では、3人に1人が1カ月に読む本は0冊。スマホなどに費やす時間が増えたからだ。本離れは深刻だ。読書週間がおととい終わったばかりだが、文庫はもちろん本に親しむ機会を広げたい。



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孤高の歩み

河北春秋 11/11

 横綱白鵬関が好むことわざが古里モンゴルにある。<山が高いからといって引き返してはならない。行けば必ず越えられる>。自著『相撲よ!』に「山を越えようとする中で心が強くなっていったような気がする」と書いている。

険しかろうが、風が強かろうが、草原より一人歩み出て峰に挑み続ける姿には感動さえ覚える。同じ角界を見渡せば、もう一人のひたむきな姿勢にも拍手を送る。この力士の場合、志は「山」が「道」になろうか。長い長い道。障害物があってもコツコツ壊して再び歩く。

安美錦関(青森県深浦町出身)である。あす初日を迎える九州場所で、1年4カ月ぶりに幕内の土俵に上がる。アキレス腱(けん)断裂の大けがを乗り越え、39歳での再入幕は昭和以降で最年長。幕内力士の引退平均年齢が30歳前後といわれる中、何という粘り腰だろう。

年寄名跡「安治川」を既に持つ身。現役に固執するのは7月に第3子となる長男が誕生したのが大きい。「上の2人の子はだいぶ相撲も分かるようになってきて、3人目の子も分かるまで頑張りたい」

2歳年長の先輩、振分親方(元小結高見盛、板柳町出身)とは共に実家が五能線沿いにある間柄。新十両、新入幕とも同じ場所だった。今、進む道に前を行く者は誰もいない。孤高の歩みが続く。

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「相撲よ!」 白鵬翔著 「大横綱白鵬、思いのすべてを語る」 書評(羽黒蛇)
書名:「相撲よ!」 
著者:白鵬翔
帯見出し:「大横綱白鵬、思いのすべてを語る」
出版社:角川書店
初版発行:平成22年9月10日

書評:69連勝を狙う場所の直前に白鵬が書いた本を出版すれば、売れるだろうと魂胆の本である。それだから悪いという訳ではない。資本主義とはこういうもの。
奥付の前のページに、「本書は書き下ろしです。」と、「編者:永井草二(角川書店)」との記載があり、白鵬が書いた本ではないことがわかる。インタビューを元に、永井氏が書いた本だと推察できる。
以上の事情は、どうでもよいことである。相撲ファンとしては、内容があるかどうかが大事。既知のことを繰り返し読まされるようでは、内容がない。新しく知ることがあれば、おもしろい。
来日するまでの少年時代は、そこそこおもしろい。
白鵬の親戚に、政治・経済で活躍した者がいて、エリート一家であることを知った。
白鵬の入門当時の経緯は、これまで雑誌等で既知の内容。
奥さんに一目ぼれから結婚するまで。(臨場感がある記述である)
一番面白かったのは、「筋肉トレーニングは、体を固くする。相撲が強くなるには、四股・鉄砲・すり足の伝統的稽古が一番」という箇所。これだけなら、つまらないが、具体的な記述がおもしろい。いずれも要約して引用している。
109ページ「琴欧洲が、わりともろいところがあるのは、膝が伸びきっていることが多いからだ。もし膝を曲げていれば、残れるので、反撃のチャンスが生まれる。のびきったままだと、ケガをしやすくなる。」
110ページ「私は筋肉・体の固い力士は対応しやすいので好きだ。残そうとしてもバネがない。」
111ページ「若の里関などは筋肉はすごいけれども、筋トレをやりすぎて、脇が甘くなっている。」
これ以外の面白かった箇所は、次の通り。
62ページ 子供の頃、父と同じレスリングをやろうとしたが、「違うスポーツをやりなさい」と言われバスケットボールを始めた。子供の頃にレスリングだけをやって、その競技用の体を作ってしまうより、いろいろなスポーツをやって、瞬発力や持続力をやしなう。これが将来格闘技をやるとき、総合的なパワーや柔軟性となる。
81ページ 相撲界には後輩の面倒をみるという習わしがある。それをやるのも大事な仕事である。若い力士の強力がなければ土俵に専念することはできないのだから、面倒をみるのは当然なのである。
101ページ 白鵬の妻が、大鵬の奥さんに教えを請うために訪問している。料理と横綱を支えるために必要なことを学んでいる。
119ページ 2009年9月場所で、翔天狼に負けたのは、苦労しなくても勝てる相手だから簡単に勝ちたいと思ってしまったから。「勝ちに行ってしまった」ので、稽古場で一回も負けたことのない相手に負けることになった。
153ページ 2009年5月場所までは、一場所に一、二番変化することがあった。しかし、それ以降はかなりゼロに近くなっているはずだ。大鵬関は、立合いに変化することを「恥」と考えて、決して変化はしなかったそうだ。
最終章で、「私が知り得た情報の一部を以下に記す」に続く、相撲の歴史と所作の詳細な記載は蛇足。(163-169ページ)
白鵬著の本なのだから、白鵬が語りそうなことだけ書いて欲しかった。
相撲は純粋なスポーツではなく、日本文化であることを強調するだけで十分だったと感じる。
日本人の相撲ファンの私は、知識としては、相撲の伝統について知っているが、この本に書いてあるレベルで語ることはできない。モンゴル人の白鵬は相撲を勉強しているので、知識はもっているだろうが、彼も語ることはできないだろう。この章に書かれた内容を語ることができるのは、専門的に勉強した人だろう。

ガチャガチャ

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南風録 11/11

 カプセル入りおもちゃの自動販売機が国内にお目見えして半世紀余りがたつ。硬貨を入れてつまみを回すと「ガチャガチャ」と音がして商品が出てくる。

 動物や車の消しゴム、アニメやゲームのキャラクター人形…。透明なプラスチック容器に収められたミニチュア世界は、子どもだけでなく大人の心もくすぐる。だが、目当ての品が手に入るとは限らない。運試しのようなドキドキ感もある。

 そんなおもちゃに今、海外観光客の熱い視線が注がれている。「余った小銭で安くて手軽な日本の土産を」との業者の狙いが的中し、国際空港で設置が相次ぐ。成田などでは1台当たりの売り上げが通常の3~5倍というブームである。

 「コンパクトさが日本的」。九州自動車道のサービスエリアで会った外国人カップルの言葉が印象に残っている。友人に贈るといい、手にした数個を開けずに中身をのぞきこむ姿がほほ笑ましかった。

 福岡市で今春開かれた博多人形の若手作家新作展では直径7.5センチのカプセルに入った作品が来場者の目を引いた。弁慶など歌舞伎をテーマにした人形やテディベア、招き猫など16種150個はすぐに完売した。

 「新たなファンを開拓したい」。人形師たちの願いは切実だ。国内売り上げの低迷に長年悩む業界にとって海外展開は欠かせない。伝統と情熱が詰め込まれたカプセルの発信力を使わない手はない。

陣痛促進剤

中日春秋 11/11

セキセイインコの故郷は、乾燥して餌も乏しい豪州の内陸部だ。この鳥にとっての恋の季節は、大地が潤って、実がなる雨期。そんな鳥を小さなかごに入れ、餌をたっぷりと与え続けていると生殖のめぐりがおかしくなり、卵を詰まらせてしまうことがあるそうだ。

獣医師の田向(たむかい)健一さんの著書『珍獣の医学』によると、鳥などにとって、卵詰まりは命に関わる病気。治療には、人間には陣痛促進剤として使われるホルモン剤を使うというから、驚きだ。

この卵詰まりには、よほど強力な「陣痛促進剤」が使われたのだろう。きのう新設を認める答申が出された、加計(かけ)学園の獣医学部である。

行政手続きへの首相官邸の関与が疑われ、文科省の前事務次官は「行政が歪(ゆが)められた」と証言した。真相究明は不十分なままなのに、なぜか、卵は産み落とされた。

田向さんは著書で、獣医師が果たすべき「五つの責任」を説明している。飼い主への責任、同業者への責任、社会への責任、自分自身への責任、そして動物への責任。たとえば、飼い主が無理筋の治療を求めた場合、それに応じることは、飼い主への責任を果たすことにはなっても、動物への責任や社会的責任などを果たすことになるのか。

そういう複雑で重い責任と向き合うのが獣医師の仕事だというが、今回の新設答申で果たされたのは、誰への、どういう責任なのだろう。

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〜ペットをめぐる日本人の今~ 

 今回の講師は、獣医の田向健一さん。大学時代にはアマゾンの秘境まで「動物訪問」をしに行ったこともあるという、根っからの動物好き。卒業後は動物病院勤務を経て、田園調布動物病院を開業しました。

 『珍獣の医学』『“珍獣ドクター"の動物よろず相談記』など、著書も数多い田向さんに、ペットをめぐる日本人の今、獣医師の役割について伺っていきます。

飼い主と動物の距離

 獣医師になった15年ほど前、私は横浜の動物病院で働いていました。そのころ多かった飼い主さんは、軒先で犬を飼っていたり、家の中と外を行き来できる環境で猫を飼っているような方です。つまり、当時は飼い主さんとペットの間に距離があったんです。そしてそんな状況下では、ちょっとした行動の変化も見落とされがちでした。たとえば犬も、外につないでいるわけですからね。でも動物には自然治癒力があるので、人間が気づかないうちに勝手に治ってしまう。そういうことがよくあったのです。

 現在はもっと距離感が近く、より家族的な関係性になっていますが、家族といえども動物は言葉がしゃべれません。そういう意味で、しゃべれない生きものが同じ部屋にいるという現代の環境は、とても誤解を生みやすいかもしれません。たとえばいい例が、ペットを安易に擬人化してしまうこと。もちろん擬人化もペットを飼う楽しみのひとつですし、「この子はこんなふうに思っている」「楽しそうにしている」「喜んでいる」と感じるのは、飼い主にとっての喜びでもあるでしょう。ただ必ずしも、それが動物自身の感覚や気持ちと同じであるとは限りません。動物の状況と人間の思いとの齟齬が、現在の獣医療のなかでは難しい問題となりつつあるのです。

 衛生的な国になってきた日本では、動物もきれいに飼うことが当たり前です。しかし感染症予防などにはいいのですが、「きれい」を追求しすぎることは問題もあります。週に1回シャンプーしてしまうとか、散歩から帰ってくるたびに足を洗うなど、「潔癖」に近いきれいさを求めると、足の裏が炎症を起こしてしまうなどのデメリットにつながることも少なくないのです。

 犬や猫のようなペットは、人間の都合によって歴史とともに作り替えられてきた生きものだといえます。とはいえ「動物」という大前提は外せず、人間とは違う生きものとして見てあげることは絶対に必要なのです。「自分に慣れているから」とか「私がいちばん知っている」といっても、やはり動物と人間とは違います。その辺を理解し、うまくつきあっていくことが必要だと思います。

ペットをめぐるリスク

 犬や猫から人にうつる病気のひとつが、皮膚糸状菌症です。これは皮膚にカビが生えるカビ性の病気で、濃厚に接触をすると、人間の皮膚にも病変が作られて皮膚病になってしまいます。子犬や子猫が持っていることが多い病気ですから、新しく導入した犬や猫は動物病院での検査が必要かもしれません。ただしお薬を飲ませれば2週間ぐらいで完治しますし、すべての犬猫がこの病気を持っているわけではありません。あくまで、皮膚病を発症している動物と接触すると感染する可能性があるということです。犬と猫から人にうつる病気はそれほど多くありませんので、適度なつきあい方をすれば、さほど神経質になる必要はないと思います。そういう意味でも、犬や猫はペットとして非常に向いています。

 最近は流通が発達し、海外からいろいろなペットが入ってくるようになりました。特に多いのは、アフリカや南米で野生にいた動物を捕まえてきてペットにするケースです。しかし極端な話、そういった動物はどんな病原体を持っているかわからないので、特殊な動物を飼う場合にはリスクがあるということを知っておいてください。

 獣医の業界では、犬猫以外の動物を診る獣医師がまだ少ないのが現状です。大学教育でほとんど学ぶ機会がないため、獣医師自体がそういった動物に慣れていないのです。ただ、私の場合は子どものころからいろいろな生きものに接してきましたので、違和感なく診療に取り組めます。また、そういった動物を飼っている方の気持ちは、おそらく私が感じてきたことと似ていますから、そういった意味でも動物種を限らず診ることができるのです。

 ペットとしては犬や猫がいちばんメジャーで、珍しい生きものを飼っていると奇異な目で見られがちです。しかし珍しい生きものを飼っている方の気持ちが、犬や猫を飼っている方と違うかといえば、そんなことはありません。やはり家族の一員ですし、毎日見ていればいとおしいペットになっていきます。周囲は「そんなに変なペットを飼って…」と感じがちですが、飼っている当人からすれば気持ちは同じ。かわいいですし、病気になったら治したいという気持ちが生まれます。そんななかで、その気持ちに応えていくことが私の仕事だと思っています。

宿命と使命感


 でも実は、この仕事はうれしいと感じることよりも、悲しいとか残念だと思う機会の方が多いんです。病気の生きものを診る仕事ですし、飼い主も非常に悲しんでいますから。そんな状況のなかで唯一私に持てる自信があるとすれば、子どものころから生きものが好きでいろいろなペットを飼ってきたということです。小学校低学年から、ずっとペットと一緒に暮らしています。つまり経験を通じ、ペットや生きものについていろいろなことを考えてきて、それを職業にしている。そんな自分のなかの客観的な歴史が、逃げ出さずにやっていける理由なのです。

 子どものころにいちばん行きたかった場所がアマゾンなのですが、大学3年生のときにアマゾン行きを決めると、親や周りを含め、賛同してくれる人は誰一人としていませんでした。しかも私はそれまで外国に行ったことがなかったので、当然みんなは反対するわけです。しかし私は実際にひとりで行き、いろいろな動物や野生の生きものを見て、すごく充実した日々を送って帰ってきました。

 行く前には「そんな知らないところに行くのは危ない」と多くの批判を受けたのですが、帰ってきたらみなさん「よくやったね。すごいね」というわけです。そういったところも、私の今の診療と同じだと思います。私がいろいろな動物を診ていると、同じ業界の方でさえ「そんな動物を診てどうするの?」とか「大変じゃないの?」というわけです。でも私にとっては、見えないところを進んでいくのも意外と楽しい。アマゾンへひとりで行くのも、都会でいろいろなペットの診療をするのも、なんとなく同じだなと感じているわけです。それに、そんな人生を送ってきましたから、「私にはこういう生き方しかない」という宿命的なものを感じてもいます。そして、そのなかで飼い主さんの気持ちに寄り添っていきたいという、使命感のようなものもあるかもしれません。

後悔のない選択

 今は動物も人間に近いレベルの治療や予防を受けられるようになったので、医療の発展に伴って犬猫も高齢化しています。そして人間と同じように、ガンが非常に増えています。あとは人間と同じように、糖尿病・腎臓病・肝臓病なども多い。でも、動物がそういう病気になることを、みなさんは意外とご存じないんです。なので診断結果をお伝えすると、非常に驚かれます。そして次に「どうしたらいいのですか?」と聞かれるのですが、そんなとき私は必ず「どうしたいですか?」とお聞きします。「長生きさせたいですか?」「痛がる部位を取りたいですか?」「それとも、余分に手を下すことなく、自然の流れに任せますか?」と。つまり「お気持ちに合わせて飼い主さんとともにやっていきますよ」と意思表示をするわけですけれども、当然「いきなりそんな質問をされても、どれがいいのかわからない」とおっしゃる飼い主さんが多い。

 「どれがいちばんいい」という選択肢はありません。飼い主さんが納得できて理解できることが、動物にとってもいちばんいいはずだと私は思うのです。なぜなら、究極的にペットは飼い主さんの所有物だから。ですから答えも、最終的には飼い主さんに帰するところが大きい。それに我々も、どの治療がいちばんいいとは必ずしもいえません。ただ痛みを取ってほしいというのであれば、痛みを取る治療はできます。一日でも長く生かしたいというのであれば、それなりに根拠のある治療も提示できます。しかし、それが果たして飼い主さんにとって本当に素晴らしいことなのか、動物にとっていいことなのか? それは断定できないのです。

 そうなると、ひとつのよりどころは、飼い主さんに後悔のない選択をしていただくこと。ですから、「それに向かってやっていきましょう」ということになるわけです。少なくとも私は動物に苦痛を与えるような無理な延命はしませんから、そのなかで折り合いをつけて治療をしていきましょうとお話ししていきます。

 人のペットに対する…というより命に対する価値観は、当然ながら人によって違います。長く生きていたほうが幸せに違いないという方もいますし、短い命でも苦しくないほうがいいという方もいます。命に対する価値観は人によって異なりますから、それぞれの方が飼っているペットに対し、私たちは治療の選択肢を変えていかなければいけない。これだという真理があるなら、そこに向かって飼い主さんと私が走っていけばいいのですから簡単でしょう。しかし現実的には、それぞれオリジナルのペットライフをアレンジしていくことも私たちの仕事なのです。