コラムの記事 (2/110)

「松組」「竹組」

北斗星 4/20

小学生時代、転校した先の学級名が「松組」「竹組」だったので戸惑った。前の学校が1組2組だったのと比べると、なんか昔っぽいなあ、と。いま振り返ると木造校舎とマッチしていて好ましく思う。

松、竹、梅…の学級名はいまも各地で健在だ。新入生は慣れたかな。梅の次が桜であったり菊であったりと学校によって違うところが面白い。花の咲く順に梅、桃、桜の学校もある。かつては桐や藤、桂まであるマンモス校もあった。

個性的なのが潟上市天王の東湖(とうこ)小学校。1951年の創立時から学級名が「ひばり」と「かもめ」なのだから。ひばりは空の青に向かって縦に飛び、かもめは海の青を横に飛ぶイメージで、けんかをしない個性ある学級であってほしいとの願いが込められていた。

発案者で初代校長の畠山秀治先生が作詞した「くらしの歌」は、1番で「ひばりのように元気よく きょうも楽しく勉強し」、2番で「かもめのようにはばたいて 正しい運動よい姿勢」と二つの学級名を織り込んでいる。校歌とともに行事のたびに歌っていた。

明るさあふれる学級名も、児童の減少で1992年度には全学年が1学級のみとなったため、使われなくなった。「くらしの歌」も歌われなくなった。

県内の小学生数はこの25年間で約9万人から4万5千人に半減した。同じ期間に県人口は17%減だから、小学生は県人口をはるかに上回るペースで減り続けている。桜組や菊組もいずれは消えてゆくのだろうか。

穀雨

天地人 4/20

 春の訪れを、匂いで感じとるようになった。宇宙飛行士だった秋山豊寛(とよひろ)さんは、山暮らし10年をすぎたころから、季節の変化に身体が反応するようになったという。春風を感じながら畑や田圃(たんぼ)の土に触れているとき<…今、ここにあることの喜びがわいてくる>。『鍬(くわ)と宇宙船』(ランダムハウス講談社)に書いている。

 きょうは春季最後の二十四節気「穀雨(こくう)」である。百穀をうるおす春雨のことをいう。田畑にしみこんで、穀物などの種子の生育を助ける。種まきの好期であろう。苗を育て、田起こしに励む時季でもある。

 ホームセンターをのぞくと、レジ近くの陳列が除雪機からミニ耕運機にかわった。店頭には消石灰、培養土、堆肥などが山積みである。野菜や花の種、苗がずらりと並び、新しい品種に思わず立ちどまる。コンテナの種芋が土いじりを誘う。

 手押し式のミニ耕運機が人気と聞いた。家庭菜園など小さな規模の畑をたがやす。農機メーカー各社は、農業を本業としない人にも扱いやすいよう、設計を工夫しているという。新型機を見ると、ついつい品定めしてしまう。

 秋山さんは<自給的農家>を自任する。そして、災害などへの備え、安心の確保のため、自給的農家の重要性を説く。<一億総兼業農家>をめざす国づくり案があってもいい-と。「一億総活躍社会」と尻をたたくなら、秋山さんに1票である。

後出しじゃんけん

卓上四季 4/20

じゃんけんで一番出やすい手は何か。数学者の芳沢光雄さんが学生に実演させて調べた。どの手も同じ頻度で出るかと思っていたら、グーが多かった。手の構造上、力が入ると握り拳が出やすい。統計ではパーを出せば勝つ可能性が高くなる(門倉貴史著「本当は嘘(うそ)つきな統計数字」)。

物事を決められないと、ついじゃんけんに頼ってしまうが、公平中立という点では疑問が残るのだろう。まして、「じゃんけん」の上に「後出し」がつくと、誰しも眉をひそめる。スポーツの世界では、この「後出し」が問題になることが度々ある。

直近では2年前の世界選手権女子マラソンの代表選考か。国内大会で優勝した田中智美選手が漏れた。陸連はタイム重視で決めたが、田中選手の監督は「それならば最初から言うべきだ。後出しじゃんけんに感じる」と怒っていた。

陸連が次期東京五輪のマラソン代表の選考方法を発表した。2段階にして安定感や調整能力を見極めるという。「後出し」批判を招かないような誰が見ても分かりやすく、不公平を感じない仕組みにしてほしい。

メキシコ五輪男子マラソンで銀メダルに輝いた君原健二選手の言葉にある。「努力の成果なんて目には見えない。しかし、紙一重の薄さも重なれば本の厚さになる。」

努力の結晶がきちんと評価されれば選手の闘争心に火がつきやすい。観衆はその姿を見て心を動かされる。

たくさんのドア

大弦小弦 4/20

〈きょうもあしたも/あなたはたくさんのドアをあけていく…〉。絵本作家のアリスン・マギーの絵本「たくさんのドア」はこんな書き出しで始まる。

未来へのドアの向こうには、新しいこと、驚くこと、おもしろいこと、喜びが待っている。入学や進級など、門出を迎えたわが子の背中を優しく押す親の気持ちを綴(つづ)っている。

子ども向けの作品だが、人生訓のような味わいもある。4月に社会人になったあなたにとって、実社会のドアの向こうはこれまでとは違うものだと痛感しているころかもしれない。

緊張してドアの前で足が止まってる人、ドアを開けたものの早くもミスをして上司に叱られ落ち込んでる人もいるだろう。しばらくは成功よりも失敗、楽しいことよりつらく苦しいことが多いはずである。

でも大丈夫。テキパキ仕事をこなす頼もしい隣の先輩も新人時代には、何度もドアの前で足が震えていたはずだし、強面(こわもて)のあの上司だって同じ時期には仕事に自信をなくし、出社するのが嫌になった経験があるにちがいない。

会社人生の後半戦に身を置く立場で振り返れば、山あり谷ありなれど、どんなドアも開けてみて損はなかったと自信を持って言える。〈あなたはまだしらない/じぶんがどれほどつよいかを〉。ドアの前で悩めるあなたに、冒頭の作品の言葉を贈る。

鉄板ネタが笑えない


水や空 4/20


部下の結婚披露宴の祝辞で"スベる"例だという。○○君は近ごろたくましくなった...わけでもないですが、まぁ結婚を機に伸びてくれたらと願いますが...さて、どうなりますやら...。ウケ狙いで毒気を含ませた話が笑えない。残念なケースである。

教育学者の斎藤孝さんの著書『余計な一言』(新潮新書)にある。「毒舌」とは、場の空気が読めて、言葉選びが達者でない限り、うかつに試みる話芸ではないらしい。

ウケてなんぼの商売じゃなし、話に"笑えない毒"を盛った意味は何なのだろう。文化学芸員を「一番のがん」「一掃しないと駄目」と言い放った山本幸三地方創生担当相が、発言を撤回し謝罪した。

こうした発言と、学芸員に「観光マインドを持ってもらう必要がある」という、後に明かした"真意"とが一点も重ならない。こういう真意をお持ちの人が、そういう発言をするはずはないんですがねぇ...と嫌みを一言申し上げる。

原発事故の自主避難を「本人の責任」とした復興相。お騒がせの学園が起こした訴訟で、弁護士として法廷に「行ったこともない」と言った防衛相。皆さん、謝罪し発言撤回した。

ま、いいじゃない、反省してるし-というふうに首相らがかばうのもお約束の当節だが、笑えないどころか頭痛がしてくる"鉄板ネタ"である。


命伏(いのちぶせ)

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中日春秋 4/19

かつて、美術品の撮影現場では「チンパンジー」が活躍したという

精密に撮影するには、細かい粒子の感度の低いフィルムで、露光時間を十秒、二十秒とかけねばならなかった。その時間を計るのに秒針をいちいち見るのは面倒なので、代わりに「チンパンジー」や「ボウサンガコロンダ」と唱えながら撮影する。

どちらも一回言うのに、およそ一秒かかる。十秒なら「チンパンジー、チンパンジー…」と十回唱え続けたというから、何とも愉快な撮影風景である(三杉隆敏著『真贋(しんがん)ものがたり』)。

それが今や、カラーコピー機にかければ、チンパンジー十頭分ほどの時間で印刷までできてしまう。そうしてできたコピーが、神奈川芸術文化財団で版画家・棟方志功(むなかたしこう)の作品とすり替えられていたというだけで驚きなのに、発覚から三年もの間、県がそのことを伏せていたというから、もっと驚く。

棟方志功は自らの「板画(はんが)」と印刷の違いを自伝『わだばゴッホになる』で、こう説いた。<印刷ではないのだから。人間の魂が紙に乗り移らなければ、摺(す)るとはいえないのです。板画は呼吸しているのだから、墨の密度の中に息づきがないとだめなのです…わたくしはそれを板画の命伏(いのちぶせ)と言っています。>

そういう「命伏」を失ったことを、県民に伏せ続けた。問題のコピーは、お役所の病理を、見事に写し取った作品かもしれぬ。

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 中国の裕福な家庭には、書家で有名な王羲之の掛け軸がよく飾られているとかで、本人の作にしてはあまりに数が多いと思っていると「摹本(もほん)」などのただし書きが見つかるという。

 本物ではなく、書体を似せた模写の意味であり、持ち主も心得ていて、偽物でも有名書家の作品と「される」だけで満足するとか!中国陶磁研究家の三杉隆敏さんが、著書「真贋(しんがん)ものがたり」で触れていた。

 有名ブランドのコピー商品が氾濫する中国ならではなかろうか!似ているならば本物でも偽物でもどちらでもいい…おおらかといえるのかもしれない-好みが左右する美術品収集なら構わないが、生命に関わる問題となればそうもいかない。

 北海道の陸上自衛隊然別演習場で、訓練の最中に空包と誤って実弾が発射され、隊員2人が軽傷を負った事故のことだが、驚くのは9人が関わり、79発もの弾が飛び交ったことだ。

 本物の弾と空包は見かけが明らかに違うといい、弾薬庫から取り出し、隊員に渡るまで何重ものチェックがある-なのに、なぜ真偽の区別が付かなかったのか!原因究明を待つしかないが、演習場のそばに住む人たちも不安なはずだ。

 三杉さんは、眼力を付けるには「偽物をたくさん見た方がいい」といい、本物だけを見ているのでは、偽物が現れてもぷんぷんとにおってこない-本物と空包の違いさえ分からずに銃を構えているのだとしたら恐ろしい。

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棟方志功は「わだば日本のゴッホになる」といったそうだが、なぜ「ゴッホ」なのか知りたい。


回答

下記のとおり、評伝や自伝からゴッホに影響を受けたと思われる部分を紹介。

「棟方志功 わだばゴッホになる」には、次のエピソードが掲載されている。
「…弘前に小野忠明という洋画家がいて…わたくしはある日、意を決して小野さんのお宅を訪ねました。話を伺ううちに、わたくしは「ワ(私)だば、バン・ゴッホのようになりたい」と言いました。すると、小野さんは、「君は、ゴッホを知ってるッ?」と言います。その頃わたくしは、何か判らないが、ゴッホというものを口にしていました。みんなから「シコーはいつもゴッホ、ゴッホと言っているが、風邪でも引いたかな」とからかわれたものでした。小野さんは新刊の雑誌を一つ持ってきました。『白樺』でした。
口絵に色刷りでバン・ゴッホのヒマワリの絵がのっていました。赤の線の入った黄色でギラギラと光るようなヒマワリが六輪、バックは目のさめるようなエメラルドです。一目見てわたくしは、ガク然としました。何ということだ、絵とは何とすばらしいものだ、これがゴッホか、ゴッホというものか!
わたくしは、無暗矢鱈に驚き、打ちのめされ、喜び、騒ぎ叫びました。ゴッホをほんとうの画家だと信じました。今にすれば刷りも粗末で小さな口絵でした。しかしわたくしには、ゴッホが今描いたばかりのベトベトの新作と同じでした。「いいなァ、いいなァ」という言葉しか出ません。わたくしは、ただ「いいなァ」を連発して畳をばん、ばんと力一杯叩き続けました。「僕も好きだが、君がそれほど感心したのなら君にあげよう。ゴッホは、愛の画家だ」。小野忠明氏は力強く最後の言葉を言ってくれました。
それからは、何を見てもゴッホの絵のように見えました。」(40~41頁)

また、「棟方志功讃」にも、「板極道」(棟方志功の自伝)からの抜粋として
「氏(小野忠明氏のこと)はゴッホを尊敬して新しい絵を描いていました。氏からわたくしは、フランスの作家の醸成をいろいろ教えられました。とくにゴッホの話に夢中になりました。―ゴーギャン、セザンヌ、ロートレック、マチス、ピカソまでを語りました。そうして小野氏は、大切にしていましたゴッホの『ひまわり』の原色版を、わたしにくれました。―この原色版を、カミサマ―ゴッホの面影として大切にしていたのですが、残念千万にも、戦災で無くしたのは、惜しく思っています―。
『ようし、日本のゴッホになる』『ヨーシ、ゴッホになる』―そのころのわたくしは、油画ということとゴッホということを、いっしょくたに考えていたようです。
わたくしは、何としてもゴッホになりたいと思いました。…わたくしは描きに描きました。…何もかもわからず、やたら滅法に描いたのでした。ゴッホのような絵を―。そして青森では、『ゴッホのムナカタ』といわれるようになっていました。」(33~34頁)
とある。

小野氏にゴッホの『ひまわり』原色版を贈られたことにより、『日本のゴッホになる』と決意した、というのが定説のようだが、「棟方志功 わだばゴッホになる」にある通り、小野氏に会う以前に棟方志功はゴッホを知っていたようである。これについては、長部日出雄による評伝「鬼が来た 上棟方志功伝」に、青森裁判所の弁護士控所に給仕として勤めていた棟方の先輩、山本兵平は絵を描いていた弟兵三の友達としてまえから棟方を知っており、上京する際、ゴッホの画集を「絵描きになるのなら、こういうものを勉強せねば駄目ぞ」といって貸し、「ゴッホの画集を手にした志功は、飛び上がって喜び、頁を繰るたびに「こりゃあ大すたもんだ!」と叫んで大感激のていであった。」という記述がある。(84~86頁)
小野氏はわざわざ上京してゴッホの『ひまわり』原画を見ており、その印象と、「白樺」のバックナンバーを読んで得ていた知識をまじえて、ゴッホ論を棟方に熱っぽく語っており、それによって棟方が多大な影響を受けたのだろう、と「鬼が来た 上 棟方志功伝」にはある。白樺派が日本に紹介した画家には、ゴッホ以外にもセザンヌ、ルノワールなどがいますが、なぜその中からゴッホなのかは判らず。小野忠明氏がゴッホに傾倒していたのか、もともとゴッホの画集を見ていた棟方が、殊更ゴッホの話に反応したのか、ゴッホと棟方には生来の性質に共通するところがあり、小野氏の話を聞いて自分のあるべき道と進む道を初めて実感したのか、推測はできるがはっきりしたことは判断できない。

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学芸員

忙人寸語 4/18

 「あなたはがんです」と告げられたら…。経験者によると瞬間、目の前が真っ暗になり、病院からの帰路の記憶がなく、夜通し泣き続ける。日本人の2人に1人が経験する試練。そのショックは計り知れない。

山本幸三地方創生担当相が16日、外国人観光客に対する文化財の説明や案内が不十分として「一番の“がん”は文化学芸員」と発言。批判されると、謝罪、撤回した。

「自分たちだけが分かっていればいい、というのが学芸員の連中だ。この連中を一掃しないと駄目」との言葉は、「学芸員の方々に観光マインドを持ってもらう必要があるという趣旨」だったと言い訳した。

取材で会った学芸員の多くは無知な記者にも辛抱強く、かみ砕いて教えてくれた。別段、取材に限らず、それぞれが所属する場所で、展示やガイドなどを通じ、知の扉を開ける手伝いをしてくれる。

母親をがんで亡くしたばかりの記者仲間と懇親会で会い「大変だったね」と献杯。「『がん』っていう言葉にすごい敏感で。『あいつはがんだな』なんて慣用句が許せない」と涙に暮れていた。深く共感できた。亡母が認知症に苦しんだため、今も「ボケちゃったんじゃない」などの軽口が嫌いだ。

「がん」「連中」。そんな言葉しか選べない人間が文化を斬る。先日も偉ぶって激高した閣僚が、すぐに謝った。そうした「連中」こそ末期政権の「病巣」?


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編集日記 4/18

 予備校講師でテレビ番組でも活躍する林修さんは、実は講師という仕事が嫌いなのだという。その理由は、プロ野球選手や物理学者になるといった夢を諦めた末にたどり着いた職業だからだと著書に述べている。

 とはいえ、授業で手を抜くことは絶対しない。報酬をもらっている以上、仕事は常に満点しか許されない―というのが林さんの職業観だ。これまで多くの受験生を志望校に送り込んできたというプライドがのぞく。

 厳しいプロ意識を持つ林さんは、良い仕事にはその価値に見合った評価がされるべきだとも考える。「相手の仕事を値切れば、結局自分が値切られる。だから、相手の高いレベルの技術やサービスに対してリスペクト(尊敬)の気持ちを持たなければならない」と述べている。

 かの人にはそういう考えはなかったのだろうか。「学芸員はがんだ」と発言した山本幸三地方創生担当相である。学芸員は、博物館資料の収集や保管、調査研究に精通するプロであり、プライドを深く傷つけるものだ。

 地方創生は、地域にかかわる全ての人たちが力を合わせなければ立ちゆかない。さまざまな仕事の価値を正しく評価できないようでは、大臣である自身の価値も値切られる。

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小社会 4/18

 あまりにもひどい暴言だ。文化施設の学芸員について「一番のがん」と決めつけ、「この連中を一掃しなければならない」と語った山本地方創生担当相。たちまち発言撤回と謝罪に追い込まれた。

 山本氏は外国人観光客らに文化財などの説明、案内が不十分だとした上で、「学芸員も観光マインドを持ってほしい」という趣旨だと釈明した。だったらそう言えばいい。「連中」や「がん」「一掃」などの言葉には差別的な底意さえ感じる。

 全国の博物館や美術館などで日夜奮闘している学芸員は、さぞや傷ついたろう。そしてがんと闘っている、多くの患者さんたちの心も。こんな不見識な閣僚がいることは、国民にとっても迷惑だ。

 学芸員は博物館法で定められた専門職員で、資料の保管や収集、展示や調査研究などに当たる。仕事の第一義は文化財を守り、後世に伝えること。「観光マインド」も必要だろうが、それは官民総出でやることだろう。

 発言を撤回し、謝罪すれば終わりというパターンが、今回も繰り返されないかと気になる。最近でも福島第1原発事故を巡り、自主避難者の帰還を「本人の責任」とした今村復興相がそうだった。この種の放漫な失言は枚挙にいとまがないが、辞任に至ったケースはまれだ。

 くめども尽きぬ閣僚の問題発言。問題を甘く見てもらったら困る。安倍政権の井戸は人材が枯れ、政治の劣化が進んでいるのではないか。

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鳴潮 4/18

 偏った見方にも程がある。山本幸三地方創生担当相である。おととい地方創生に関するセミナーに出席しこう述べた。外国人観光客らに文化財などの説明、案内が不十分だとして「一番のがんは文化学芸員。この連中を一掃しないと駄目」

 学芸員をやり玉に挙げたが、果たして役割、使命をご存じなのだろうか。博物館法に定められた専門職で資料の保管や展示、調査研究などを行う。文字にすればこれだけの仕事だ、などと思っていないか。

 挙げればきりがないが、例えば冬の林の中で見つかったホタル、ふすまの裏張りとして使っていた逓信大臣名の文書など、小さな生き物や資料から、かつての環境との違い、背後に広がる世界を説いてくれたのは学芸員だ。

 障害者や高齢者、外国人らにも親しみやすい施設を目指す「ユニバーサル・ミュージアム」。徳島県立近代美術館も取り組んでいるが、そこに息づいているのは学芸員の心配りやアイデアである。もちろん、企画展示にも宿っているだろう。

 山本氏は「自分たちだけが分かっていればいい、分からないなら来なくて良いよ、というのが学芸員の連中だ」と批判を重ねたようだが、批判されるべきはさて。

 誰から数えればいいのか、政治家の失言が後を絶たない。問われているのは学芸員の仕事ではなく、大臣自身の資質ではないか。

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北斗星 4/18

NHK総合テレビで土曜夜放送の「ブラタモリ」を見ていて感心するのが、案内役として登場する学芸員の豊かな知識と熱い語り口だ。知っていることを伝えるのがうれしくて仕方ないのだろう。

番組はタモリさんが全国各地をぶらぶら歩いて土地の成り立ちや街の歴史を深く探る。鋭い突っ込みや疑問に答えるのが、博物館や郷土資料館の学芸員たち。大学の研究者が加わることもある。皆さんの深い地元愛に敬服する。

学芸員は博物館法に定められた専門職で、歴史や民俗、芸術、自然科学分野の資料の収集と保管、展示、調査研究を主な仕事とする。その学芸員を「がん」呼ばわりした山本幸三地方創生担当相が発言の撤回と謝罪に追い込まれた。

文化財を積極的に観光に活用すべきだと考える山本大臣にとって、学芸員は頭の固い連中に見えたのだろう。だが文化財を良好な状態で後世に伝える役目を負っている学芸員は、価値を損なわずにどうやって活用するか常に頭を悩ませている。

県内のベテラン学芸員は「持っている物なら見せたらいいだろうと思われがちですが、一点一点を研究によって体系的に位置付けた上で、保存のルールに従って初めて展示できるのです。でなければただの見せ物で終わってしまいます」と話す。

もちろん県内の博物館や美術館は見せるための工夫も凝らしている。頭はかなり柔らかいとみた。話が面白くてテレビ映りがよくて、「ブラタモリ」に出したい学芸員が何人もいる。


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卓上四季 4/18

美術館や博物館で黒っぽい服を着て、部屋の片隅に立っている。時には来場者の質問にも応じてくれる。てっきり学芸員かと思っていたが、そのほとんどは監視員という別な職種だとか。オノユウリさんの漫画「美術館で働くということ」を読むと、学芸員の仕事の一端が分かる。

美術館では企画展を開く責任者となるが、交渉や予算確保も含めると5年かかるのはざら。高齢の作家に出展依頼状を書こうと、毛筆検定1級を取得した人もいる。

文化財保護も同様のようだ。展示品の保存状況を点検する地道な作業がある。どちらかといえば学芸員は文化財を守り、入場者がその価値を理解するのを助ける裏方に見えるのだが。

そんな実態をお分かりの上での発言だろうか。山本地方創生担当相が海外からの観光客誘致に絡め、「一番のがんは文化学芸員。普通の観光マインドが全くない。この連中を一掃しないと」と述べた。

中、高校時代にブラスバンド部に籍を置き、美術にも精通していると自負する人の言葉と思えない。観光客へのもてなし改善を求めるのなら、施設全体に注文を付けるのが筋だ。がん患者にも失礼だろう。聞いている方からすれば、患ったら社会から一掃される存在になるかのようにも取れる。

それにしても、今村復興相に続く閣僚の言葉の軽さにはあきれる。謝罪し、発言を撤回したところで、果たして本音はどうなのか。

学芸員の一掃

中日春秋 4/18

米デトロイト美術館といえばゴッホの「自画像」やマチスの「窓」など約六万点を所蔵する米国でも屈指の美術館である。最近、日本で行われたデトロイト美術館展をご覧になった方もいるだろう。

大きな危機を乗り越えたことでも知られる。二〇一三年、デトロイト市の財政破綻を受けて、所蔵品の売却が検討された。「ゴッホよりも年金」というのである。

生活か宝か。両方を守る方法を見つけた。大規模な募金によって、年金受給者の救済と美術館の運営に充てる。これに市民や大企業が動き、一年ほどで十億ドル近く集め、所蔵品を守り抜いたという。

あの大臣ならばどうしたであろう。博物館などの学芸員は観光立国にとってのがんであり、一掃しなければならぬと語った山本地方創生相である。批判され、撤回したが、学芸員が芸術品の保管や保護を優先するあまり、観光サービスに熱心でないと、言いたかったらしい。

確かに観光も大切な産業である。とはいえ、観光客の誘致に目がくらみ、文化財をぞんざいに扱えば、元も子もなくなることにはお気づきではない。一度失えば、二度と戻らぬ資源である。模索すべきは保護と観光のほどよき調和であって、学芸員の一掃ではない。

それにしても失言の絶えぬ政権である。「失言、撤回、辞任はせず」博物館でもこしらえる気なのかもしれないが、観光客は集まらぬ。

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ゴッホの"指の跡"がのこる名画

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フィンセント・ファン・ゴッホ《自画像》1887年 

まずは、本展のメイン作品ともいえるフィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)の《自画像》を見ていこう。ゴッホの「自画像」と言えば、耳に包帯が巻かれている痛々しいものを思い浮かべる方も多いだろう。しかし本作品には、それがみられない。むしろ、柔らかい表情のゴッホが淡い色彩の背景・衣服とともに描かれており、穏やかな印象を受ける作品となっている。実はゴッホは、生涯にわたって約40点の自画像を描いており、今回ご紹介している《自画像》は、1887年に描かれたものだ。よく知られた耳に包帯を巻いた自画像は、1889年以降に描かれたものである。

では、1887年ごろは、彼にとってどのようなタイミングであったのかを紐解いていこう。前年の1886年、ゴッホはパリに移住し、弟・テオとの共同生活をスタートし始める。パリはその当時時代の最先端を行っていた印象派の画家たちが盛んに活動していた拠点だった。ゴッホはパリへの移住後、ミーユ・ピサロ、ジョルジュ・スーラ、ポール・シニャック、エドガー・ドガらとの交流を深め、影響を受けたとされている。本作は、これら印象派画家たちと親睦を深めた時期に描かれた作品なのである。それをふまえて再度作品を眺めてみると、全体が淡い色彩で描かれており、また印象派の特徴的な技法である「筆触分割」(絵の具を混ぜ合わせずに、あえて筆触を残したまま描く手法)が用いられ、光を意識した作品となっていることがわかる。ゴッホといえば、うねるような筆致と怪しげな色彩を用いて幻想的な風景を描いたと思われがちだが、そのような作品はこういったいわば”王道”の印象派画法を経てから生み出されたものなのだ。「印象派画家」としてのゴッホを目の当たりにすることができる一作といえるだろう。また、本作の青い服の部分にはゴッホが自身の指で直接色を置いた跡も観ることができる。ゴッホの息吹を生々しく感じとることのできるこの点は、ぜひ展覧会にて近くでチェックしていただきたいポイントだ。

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マチスの「窓」

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負けないで

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斜面 4/17

ZARDの坂井泉水さんはレコーディング途中で歌詞の一部を書きかえたという。さびの「最後まであきらめないで」は「最後まで走り抜けて」になった。代表曲「負けないで」のエピソードだ。発売は1993年。既に「失われた10年」に突入していた。

 苦悩を深めた時代だ。特に若者たちは明るい未来を見通せず、不安に覆われていた。「負けないで もう少し」「追い掛けて 遥(はる)かな夢を」というシンプルなメッセージは、共感を呼んで大ヒット。震災被害者の応援歌にもなり、教科書に載った。

 歌詞の書きかえで、ランナーにも欠かせない歌になったのかもしれない。きのうの長野マラソン。25キロ地点のホワイトリング前で、長野市の豊野中と裾花中の吹奏楽部が交代で「負けないで」や光GENJIの「勇気100%」など20曲以上を演奏した。

 中間点をすぎて、疲れが出やすいころ。苦しそうな表情だったランナーたちも演奏を聞くと生徒たちに笑顔で手を振り、後半に向け力を絞るように駆け抜けた。曲を選んだのは生徒たちだ。豊野中吹奏楽部部長の小尾愛未さんは「走っている人が元気になれる曲を探した」という。

 坂井さんが急逝し5月で10年。NHKの当時の追悼番組で音楽評論家の富沢一誠さんは「(ファンにとって)人生の伴走者だった」と評した。中学生時代は陸上部だった坂井さん。ひとり頑張る人たちには、寄り添ってくれる応援が何よりも心強いことを知っていたのだろう。




負けないで

歌:ZARD 作詞:坂井泉水 作曲:織田哲郎

ふとした瞬間に視線がぶつかる
幸福のときめき覚えているでしょ
パステルカラーの季節に恋した
あの日のように輝いてる
あなたでいてね

※負けないでもう少し
最後まで走り抜けて
どんなに離れてても
心はそばにいるわ
追いかけて遥かな夢を※

何が起きたってヘッチャラな顔して
どうにかなるサとおどけてみせるの
今宵は私と一緒に踊りましょ
今もそんなあなたが好きよ
忘れないで

☆負けないでほらそこに
ゴールは近づいてる
どんなに離れてても
心はそばにいるわ
感じてね見つめる瞳☆

(※くりかえし)
(☆くりかえし)

増田さんの解説

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あぶくま抄 4/17

 山あいに田畑が広がる田舎の風景に、抑揚のないせりふが飛び交う。NHKで始まった連続テレビ小説「ひよっこ」の最初の舞台は、茨城県北西部にある架空の「奥茨城村」だ。景色や方言が福島県に似るためか、親近感を抱く人は多いだろう。

 ナレーションは元マラソン選手の増田明美さんが担う。現役引退後は多くのマラソンや駅伝で解説者を務めている。事前の丁寧な取材から、選手の趣味や家族関係などの細かな逸話をちりばめ、選手の素顔に迫る語りが好評だ。福島市で毎年11月に開かれる東日本女子駅伝の解説も務めるだけに、県内のお茶の間でもおなじみだ。

 ナレーターは時として出演者に負けないほどの存在感を発揮する。放送界には「名ナレーター」と称される達人がいる。時代劇や歌番組を通して、独特な語り口で視聴者を魅了してきた。語り手は番組の印象を大きく左右する。

 増田さんは「ひよっこ」という6カ月間の長距離コースで、どのような解説をするのか。有村架純さん演じる主人公の谷田部みね子を、どんな逸話で飾ってくれるのか。マラソンならぬドラマの行方とともに、明るく軽妙なナレーションも楽しみの一つになった。

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「ひよっこ」語りは増田明美さん!
2017年4月3日(月)から放送予定の、連続テレビ小説「ひよっこ」。
「語り」はマラソン元オリンピック日本代表 増田明美さんに決定しました!
hiyokko_masuda01a.jpg増田さんは「ひよっこ」の物語が始まる1964年生まれ。連続ドラマの「語り」は初めてです。マラソン解説で活躍されている増田さんが、当時の時代背景の解説を交えつつ、半年間みね子の成長を見守ります。

【増田明美さんからのメッセージ】
連続テレビ小説の中でも特に岡田惠和さん脚本の「ちゅらさん」「おひさま」は好きで観ていましたので、語りを担当させて頂くことになり嬉しいです。私が生まれた昭和39年の東京オリンピックの頃が舞台と伺い、これも何かの縁ですね。ハチマキをキュと締めて号砲を待つ気持ちです。語りは正に「ひよっこ」。内容が素晴らしいので邪魔にならないように、マラソン選手を沿道で走りながら応援する気持ちでやらせて頂きます。半年間の声のお付き合い、宜しくお願いします。

<増田明美 プロフィール>
スポーツジャーナリスト・大阪芸術大学教授。1964年、千葉県いすみ市生まれ。
成田高校在学中、陸上長距離種目で次々と日本記録を樹立し「天才少女」と言われる。しかし1984年のロス五輪女子マラソンで無念の途中棄権。引退後はスポーツライターとして出発し、またお婆ちゃん譲りのお喋りを活かしてラジオのパーソナリティーも務める。永六輔さんと出会い、現場に足を運ぶ“取材”の大切さを教えられ大きな影響を受け、駅伝・マラソン中継では選手の「人」に迫る解説に定評がある。コラム執筆の他、新聞紙上での人生相談やテレビ番組のナレーションなどでも活躍中。

【『語り』決定にあたって】
チーフ・プロデューサー 菓子浩
増田明美さんのマラソン解説のファンです。聞き取りやすく綺麗な声。選手の気持ちが伝わる説明。どこで仕入れた?と思ってしまうマニアックな情報。
「ひよっこ」の語りは、「語り」というよりは「解説」です。ヒロインがどんな時代を生きているのか?流行や物価、出来事など、ストーリーに寄り添いながらお伝えします。ときには、「そんな情報いる?」というようなマメ知識も出てきます。ヒロイン・谷田部みね子の人生という名のマラソンも、きっといきいきと解説して頂けることでしょう。どうぞお楽しみに!

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主題歌は桑田佳祐さんに決定!朝ドラ「ひよっこ」
ヒロインとともに日本の朝に元気を届ける「ひよっこ」の主題歌が、桑田佳祐さんに決定しました。桑田佳祐さんがNHKドラマに楽曲提供をするのは初めてです。
主題歌:「若い広場」
歌:桑田佳祐
hiyokko_song0303a.jpg<桑田佳祐さんからのメッセージ>
この度は主題歌のお話を頂戴し身に余る光栄でございます。
「ひよっこ」は1964年を舞台に始まる物語ということで、自然と自分自身の人生を今一度辿っていくような感覚とともに、夢と希望に溢れた日本の未来に思いを馳せながら、歌詞を綴りました。古き良き日本の情感のようなものも、合わせて感じていただけますと幸いです。
ドラマとともに、この楽曲も、ぜひともみなさまにお楽しみいただければと思います。
■主題歌決定について
<ヒロイン・谷田部みね子役 有村架純>
ゆったりとした曲調が、1960年代から始まるこの物語をフワーッと想像させてくれて、暖色系の明かりが自分を包み込んでくれているような、そんな感覚になりました。
どこかしら懐かしく感じるメロディーと桑田さんの歌声は、温かくてとても心地よく、聴き入ってしまいます。放送を楽しみにしていて下さい。

<制作統括 菓子浩>
憧れの桑田佳祐さんに主題歌を作っていただけるなんて! 何だかすごい事が起きている気がして興奮しています。そして、初めて聴いた瞬間から、この歌に魅了されています。どこか懐かしくて、あったかい。昭和の情景や、人々の躍動感が、ありありと目の前に浮かびあがります。
「ひよっこ」が描く1960年~70年代は、歌謡曲の黄金期。みんなで同じ歌を歌って、みんなが同じ気持ちになれた時代でした。長年、第一線を走り続け、幅広い世代をとりこにしてきた桑田さんだからこそ、そんな時代の息吹とドラマの目指すものを確かに歌に込めていただけたと感激しています。最高の宝物をいただきました!
平成29年(2017年)度後期 連続テレビ小説 『ひよっこ』
東京オリンピックが開催された1964年から始まる物語。高度成長期の真っただ中、日本の発展を支えたのは、地方から上京し懸命に働いた名もなき人々でした。この物語のヒロイン・谷田部みね子(有村架純)も、そんなひとり。茨城県北西部の村に生まれ、集団就職で上京した“金の卵”ヒロインが、自らの殻を破って成長していく波乱万丈青春記です。
【放送予定】
2017年4月3日(月)から9月30日(土)全156回(予定)
【作】
岡田惠和
【音楽】
宮川彬良
【主題歌】
桑田佳祐
【出演】
有村架純、沢村一樹、木村佳乃、和久井映見、佐々木蔵之介、古谷一行、宮本信子 ほか
【語り】
増田明美
【スタッフ】
制作統括:菓子浩
プロデューサー:山本晃久
演出:黒崎博 田中正 福岡利武






ジャガイモ

河北春秋 4/17

 南米でかつて、インカ帝国などの高度なアンデス文明が花開いた。この文明はトウモロコシ栽培を基礎に成立した、と教科書はずっと教えてきた。その定説が覆されたのは十数年前。トウモロコシではなく、実はジャガイモを基に文明は築かれていた。

2004年に出た山本紀夫著『ジャガイモとインカ帝国』(東京大学出版会)に詳しい。35年におよぶフィールドワークで実証した。寒冷な気候に適したジャガイモはアンデスが原産。日本では収穫量の約8割を北海道産が占める。

昨年夏、北海道を襲った台風の影響でジャガイモが不作となり、ポテトチップスの一部商品が販売の終了や休止に追い込まれている。お気に入り商品の在庫を求めて、コンビニなどに走った人もいるという。災害の多い日本。農業のもろさの一端が垣間見える。

東日本大震災で被災した東松島市で、ポテトチップスの原料となるジャガイモが栽培されている。農事組合法人などが大手菓子メーカーと契約、遊休地で始めた。関係者は「復興の刺激になればいい」と張り切る。メーカー側からすれば危機管理の一環か。

アンデスの住民は1000メートル以上の標高差がある地に高度の違う四つのジャガイモ畑を持っていた。まさに収穫の危険分散。現代にも通じる生きる知恵であった。



平和の母

中日春秋4/17

「-海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。そして母よ、仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海がある。」。三好達治の「郷愁」は『測量船』に収められている。

なるほど、漢字の「海」の中には「母」の字がある。フランス語で海は「mer」。母は「m●re」。だから「あなたの中に海がある」となる。すべての生命の源である海と、われわれを産み、育む母。漢字とフランス語の不思議な共通点が興味深い。

その国では人を傷つけ、恐怖を植えつける道具の名の中に「母」という言葉を使っているのか。トランプ米大統領がアフガニスタンでの「イスラム国」(IS)掃討作戦で初めて実戦使用した、大規模爆風爆弾(MOAB)。愛称は同じ頭文字から「マザー・オブ・オール・ボムズ」(すべての爆弾の母)である。

核兵器を除き、最大級の破壊力を有する爆弾である。その爆発エネルギーはマグニチュード6クラスの地震に匹敵するという指摘もある。ブッシュ、オバマ両政権は使用を控えてきたが、「力による平和」に取りつかれたトランプ大統領にためらいはなかったか。

「最強爆弾」の投下には対立を強める北朝鮮、シリアへの警告やけん制の意味もあろうが、最近の米国の力任せのやり方が恐ろしくもある。

爆弾は悲しみの「母」には間違いなくなれる。しかし、本当の平和の「母」にはなれまい。

※●はアクセント記号付きのe


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郷愁

 蝶のやうな私の郷愁!……。蝶はいくつか籬まがきを越え、午後の街角まちかどに海を見る……。私は壁に海を聴く……。私は本を閉ぢる。私は壁に凭れる。隣りの部屋で二時が打つ。「海、遠い海よ! と私は紙にしたためる。――海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。そして母よ、仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海がある。」

察するに余る無念

水や空 4/16

今はあまり聞かないが、「立哨(りっしょう)」とは一定の場所に立って警戒し、監視することを言うらしい。かれこれ16年前の本紙に、この言葉を見つけた。「長崎市立川平小は、保護者による児童の下校時の立哨運動を始めた」。

子どもを狙ったむごい事件が全国で続発したため、とある。本県でもこの頃、小学生の女の子が男に車で連れ去られ、痛ましい姿で見つかる事件があった。子どもを狙う"怪しい誰か"がいないかと警戒し、監視する眼光は、とりわけ鋭かったに違いない。

どれほどの人が絶句しただろう。千葉県松戸市の小3女児が遺体で見つかった事件で、女児の通う学校の保護者会会長の男が死体遺棄の疑いで逮捕された。

男はいつも通学路に立ち、子どもを見守っていたという。いや、そのまなざしには見守る温かさも、不審者に向ける鋭さもなかったとおぼしい。

事件発覚後の入学式で、男は会長として「思い出をいっぱいつくってください」と祝辞を述べたという。それを奪った当人だとすれば、どんな心持ちで言ったものか。

女児の親御さんの悲痛は想像に余る。通学路に立ち続ける人たちの無念もまた、察するに余りある。「何か起こってからでは遅い」という一心でやってきた人。子どもに一片の安心を届けようと続けてきた人。歯がみをこらえきれまい。

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滴一滴 4/16

 新聞紙面には日々、多くの人の名前が載る。うれしいニュースの中の名前は弾んでいるように見える。つらいのはあまりにも早く、人生を断たれた幼い子の名前を目にするときだ。

千葉県松戸市の小学校に通っていたベトナム国籍の9歳の女の子の名は、レェ・ティ・ニャット・リンさん。ベトナム語の「ニャット」は日本、「リン」は輝きの意味で、両親は「日本で輝かしい生活を送ってほしい」との願いを込めた。

より良い教育を子どもに受けさせたいと家族で移住した。2歳で来日したリンさんは日本語の読み書きを熱心に学んだ。将来の夢は母と同じツアーガイドになることで、「日本の友達にベトナムを紹介したい」と語っていたという。

そんな女の子が、なぜ登校中に行方不明になり、殺されなければならなかったのか。近所に住む46歳の男がおととい逮捕され、衝撃が走った。男は小学校の保護者会の会長で、通学路の見守り活動にも参加していた。

許せない。うそであってほしい。誰を信じていいか分からない。その地域のみならず、日本中の親たちの悲鳴が聞こえるようだ。

「知らない人について行かない」という呼び掛けでは子どもを守れないとすれば、どんな防犯教育がいるのだろうか。見守り活動の見直しも求められるのか。まずは一刻も早い事件の全容解明が待たれる。

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鳴潮 4/16

 夢はツアーガイドだったという。出身国・ベトナムの友達に日本を紹介したい、と話していたという。漢字の勉強に打ち込んでいたそうだ。「好」は一つ上の学年、小学4年生で習う。その前から、日本を好きでいてくれたリンさんである
 
 「信」を習うのも、同じく小4。誰も信じてはいけなかったのだろうか。そう教えなければいけなかったのだろうか。千葉の小3女児殺害事件で、近くに住む小学校の保護者会長が逮捕された
 
 容疑者には小さな子どもがいて、見守り活動にも熱心だったようである。リンさんも、毎朝のように通学路で顔を合わせていたのではないか。何事かあれば、きっと守ってくれる。そう思いこそすれ、怪しむことなど、かけらもなかったはずである
 
 危険は、どこに転がっているか分からない。これから、誰を信じればいいのか。小さな子を持つ保護者は、心配を募らせているに違いない。スクールバスなど、新たな安全対策を考えるべき時期なのかもしれない
 
 卑劣の「卑」の字は、中学生になってから学ぶ。「好き」とは異なり、その意味は、相応の年齢にならなければ分かるまい。疑うことも知らないうちに、リンさんは殺され、遺棄された
 
 「なぜなの、どうして」。大声で叫びたかろう。幼い命の問い掛けに、私たちはどう応えていけばいいのだろうか。

地球防衛会議

春秋 4/16

記者「大臣のご所見を」。大臣「存在しない、と断定し得ない以上、いるかもしれない」。UFO(未確認飛行物体)のことだ。映画の一場面ではない。その存在が閣僚間でも話題になった際の記者会見(2007年12月)でのやりとり。

当時の石破茂防衛相は話を自衛隊出動に広げて「地球の皆さま仲良くしよう、とか言ってきても防衛出動になるのか」「ゴジラやモスラに暴れられたら災害派遣だが」「隕石(いんせき)のように意思なく降ってくるわけでもなく…」

架空の防衛問題を映画の世界と絡めて真面目に話した石破さんの面白すぎる会見録を、最近ふっと思い出した。「小惑星急接近 人類どうする」の見出しが付いた共同通信配信記事を見たときだ。

本紙に載ったその記事は、地球に衝突する恐れがある小惑星が見つかった、との想定で、対策会議を5月に東京で開くと伝えていた。米航空宇宙局(NASA)や日本の宇宙航空研究開発機構(JAXA)が参加し、机上演習を行う。

太古の昔には恐竜絶滅の原因とされる巨大隕石落下もあった。4年前のロシア南部での隕石爆発で現実的危機感が募り、国連総会で防御構想が承認された。未知の小惑星発見と衝突回避策を探る専門組織が既に動きだしている。

東京での会議をSF映画風にいえば地球防衛会議。石破さんもオブザーバー参加してもらいたい。古い映画の題を借りていうと、きっと会議が踊る。

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ひよっこ

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談話室 4/16

NHKの連続テレビ小説「ひよっこ」。物語は東京五輪目前の1964年から始まる。有村架純さん演じるヒロインの谷田部みね子は茨城県の山あいに育つ。登場する旧式ボンネットバスが60年代の雰囲気を醸し出す。

ベニバナ、サクランボをモチーフにした朱色とピンクをメーンにして、横に蔵王の雪をイメージした白のライン。ドラマのシーンを演出するバスは山形交通(当時)の統一カラーによる車体デザインをとどめる。その姿に懐かしさを重ねて画面を見詰める視聴者も多かろう。

バスは67年製のTSD40型(いすゞ自動車)。山間部雪道走行用の四輪駆動で山形交通が2台を特別注文した。ドラマのバスは車体横に●の表示。山交バスによると、新庄営業所に配置され、85年まで新庄―肘折間の路線バスとして活躍した。現在はNPO法人が管理する。

「ひよっこ」でヒロインの叔父役を演じる峯田和伸さんは山辺町出身。パンクロックバンド「銀杏(ぎんなん)BOYZ」の音楽活動から映画やテレビドラマへと幅を広げ、個性的なカラーで独特な存在感を放つ。レトロバスもさることながら山形訛(なまり)の茨城弁もなかなかの“味”を醸す。

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エコノミークラス症候群

中日春秋

その数字が苦い。熊本地震から一年となった。数字とは犠牲者の中身である。

建物の倒壊など地震の直接的な被害による死者は五十人。これに対し震災後の避難生活などで体調を崩した結果、亡くなった震災関連死は百七十人。それは救うことができた命ではなかったか。

地震後、マイカーでの窮屈な車中泊によってエコノミークラス症候群にかかって、体調を崩した被災者が相次いだ。避難所になっていた体育館が倒れぬかという恐怖心。それが車中泊の主な理由と聞くが、プライバシー上の問題もあった。

現代人の日常はプライバシーが守られることが大前提になっている。非常時とはいえ、それが失われ、体育館での雑魚寝を突然、強いられれば、心身への負担は大きい。それに耐えられず、車中泊を選ばざるを得なかった方もいただろう。

登山家の野口健さんは震災直後、車中泊の被災者のために熊本県益城町にテント村を開いた。日本初の試みである。用意したテントは百五十九張り。約六百人が入居した。体を十分に伸ばせる。倒壊の恐怖を感じないで済む上、家族だけのプライバシー空間も保たれる。テント村の明るい雰囲気が「心の沈みがちな被災者を前向きにする」(野口さん)という効果もあるだろう。

直後の「雑魚寝」を少しでも見直したい。そこにいるのは、がまんや無理をさせてはならない人たちである。

いかのおすし

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北斗星 4/15

県央の小学校を訪ねたところ、校庭で遊んでいた低学年の女児が「こんにちは」と駆け寄ってきてくれたのでホッとした。怪しい男が来たと先生に言い付けられないかひやひやしていたからだ。

開放的でいい学校ですね、と先生に伝えると、「校庭に大人がいたでしょ。不審者が入り込まないか教員や生活支援員がそれとなく見回っているのです」と教えてくれた。こちらの動静を注視していたのかもしれない。

これが学校の敷地外となれば監視するにも限界がある。集団下校させたり、地元住民によるスクールガード(見守り隊)の力を借りたりと対策を取っていても万全ではない。子供たちに自分を守るすべを身に付けさせる必要がある。

知らない人について『いか』ない、知らない人の車に『の』らない、あぶないと思ったら『お』おきな声をだす、その場から『す』ぐにげる、おとなに『し』らせる―の危機回避5原則をつなげた「いかのおすし」は基本の『き』だ。

関西では住民同士であっても「あいさつ禁止」としたマンションがあるという。知らない人からあいさつされたら逃げるように、と子供に教えた手前、いっそのこと大人もあいさつをやめてしまおうと発想したようだ。

千葉の小学3年女児の殺人死体遺棄事件で、女児が通う小学校の保護者会長で見守り活動もしていた男が逮捕された。あいさつ禁止どころではない。誰も信用してはいけない、という行き過ぎた教えを広げることになりかねない。

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住んでるマンションの管理組合理事をやってるんですが、先日の住民総会で、小学生の親御さんから提案がありました。
「知らない人にあいさつされたら逃げるように教えているので、マンション内ではあいさつをしないように決めてください」。
子どもにはどの人がマンションの人かどうかは判断できない。教育上困ります、とも。すると年配の人から、
「あいさつをしてもあいさつが返ってこないので気分が悪かった。お互いにやめましょう」
と、意見が一致してしまいました。その告知を出すのですが、世の中変わったな、と理解に苦しんでいます。

引用元:神戸新聞11/4夕刊

しっかり向き合う

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水や空 4/15

トリプルアクセルに言葉を掛けるとしたら、と奇妙な問いが飛んだ時の困った顔もよかったし、やり切った、と言い切るすがすがしさもよかった。だが浅田真央さんの引退会見で何より素晴らしいと感じたのは、しっかりと質問者の方を向いて答えるために彼女が何度も座り直していたこと。

真っすぐ向き合う、相手の目を見て話す・聞く。幼い頃に真っ先に教わったマナーは教室でも職場でもコミュニケーションの最初の一歩だが、面倒だったり照れくさかったりで、現実にはなかなか。

きょう開幕する「ジブリの大博覧会」に、プロとプロが真正面から向き合った真剣勝負の全容が展示されている。一足お先に昨日の内覧会で。

〈再考を! 宮崎も「ちがう」というし、小生もちがうと思いました〉〈もう1回! お願いします〉〈できれば、もうひとひねり〉...ある映画のキャッチフレーズがたった3文字に凝縮されるまでのプロセス。

ダメ出し役はスタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサー、出されているのはコピーライターの糸井重里さん。豪華で軽やかな正面衝突が、モノゴトはぶつかった分だけ磨かれていく-と教える。

いろいろと考えるうち「ネコバス」の乗り心地は次のお楽しみ、で会場を後にした。面倒な感想は後回しにすればよかった。残念。

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キャッチコピー一覧

作品名 (公開年) キャッチコピー (コピー作者)

風の谷のナウシカ(1984)
「少女の愛が奇跡を呼んだ」(徳山雅也)

天空の城ラピュタ
(1986) 「ある日、少女が空から降ってきた…」(徳山雅也)

となりのトトロ
(1988) 「このへんないきものは まだ日本にいるのです。たぶん。」(糸井重里)

火垂るの墓
(1988) 「4歳と14歳で、生きようと思った」(糸井重里)

魔女の宅急便
(1989) 「おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。」(糸井重里)

おもひでぽろぽろ
(1991) 「私はワタシと旅にでる。」(糸井重里)

紅の豚
(1992) 「カッコイイとは、こういうことさ。」(糸井重里)

平成狸合戦ぽんぽこ
(1994) 「タヌキだってがんばってるんだよォ」(糸井重里)

耳をすませば
(1995) 「好きなひとが、できました。」(糸井重里)

もののけ姫
(1997) 「生きろ。」(糸井重里)

ホーホケキョ となりの山田くん
(1999) 「家内安全は、世界の願い。」(糸井重里)

千と千尋の神隠し
(2001) 「トンネルのむこうは、不思議の町でした。」(糸井重里)

猫の恩返し
(2002) 「猫になっても、いいんじゃないッ?」(糸井重里)

ハウルの動く城
(2004) 「ふたりが暮らした。」(糸井重里)

ゲド戦記
(2006) 「見えぬものこそ。」(糸井重里)

崖の上のポニョ
(2008) 「生まれてきてよかった。」(鈴木敏夫)
「子どもの頃の約束は、永遠に忘れない。」
「半径3m以内に 大切なものは ぜんぶある。」
(宮崎駿:アサヒ飲料 三ツ矢サイダーのCMコピー)

借りぐらしのアリエッティ
(2010) 「人間に見られてはいけない。」
「それが床下の小人たちの掟だった。」

コクリコ坂から
(2011) 「上を向いて歩こう。」(鈴木敏夫)

風立ちぬ
(2013) 「生きねば。」(鈴木敏夫)

かぐや姫の物語
(2013) 「姫の犯した罪と罰。」(鈴木敏夫)

思い出のマーニー
(2014) 「あなたのことが大すき。」
「この世には目に見えない魔法の輪がある。」(鈴木敏夫)
「あの入江で、 わたしはあなたを待っている。永久に──。」(三浦しをん)

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みんなの目

中日春秋 4/15

<父の目をかりたら/どんなけしきに見えるだろう/母の目をかりてドラマを見たら/すぐになみだをだすだろう…>

これは、先月出版された詩集『ことばのしっぽ』(中央公論新社)に収められた小学校五年生の女の子の作品「みんなの目」だ。詩は、こう続く。<…兄の目をかりて/野球のしあいを見たら/とてもたのしくなるだろう/妹の目をかりたら/どこでもすぐにねられるだろう>

今、この人の目をかりてみたら、どんなけしきが見えるだろうか。千葉県松戸市の小学校に通っていた九つの娘を殺されたレェ・アイン・ハオさんだ。

仕事でベトナムから日本に来ていたハオさんは、まな娘をニャット・リンと名付けた。ベトナム語でニャットは日本、リンは輝きという意味だという。

しかし、「日本で輝かしい生活を」というハオさんの思いは突然、断ち切られた。きのう死体遺棄の疑いで逮捕されたのは、子どもたちの安全を見守る目を持つはずの保護者会長だというから、あまりにもやりきれぬ事件の展開だ。

父母の目、きょうだいの目、友だちの目、あるいは、ほかの国の人々の目…。人が成長するということは、「自分の目」だけでなく、「みんなの目」で世界を見ようとすることを、覚えていくことかもしれぬ。リンさんの命を奪ったのは、そういう大切な「みんなの目」をなくしてしまった人間だろう。

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 読売新聞くらし面「こどもの詩」コーナーが今年50年を迎えたのを機に、作品集「ことばのしっぽ 『こどもの詩』50周年精選集」(中央公論新社、読売新聞生活部監修、1400円税抜き)=写真=が出版された。


 「こどもの詩」は1967年5月にスタート。子どもならではの視点や大人の意表をつく描写が、読者の心を捉えてきた。精選集では約200編を収録。「あたしのくみにね/おとうさんから/うまれたこが/いるんだよ!」(「おとうさん似」1989年)、「お気に入りの/ふくがあります/大人になっても/きられるように/のばしておきました」(「お気に入り」2015年)など、はじけるような感性に満ちている。

 歴代選者は日本を代表する詩人が務めてきた。初代は山本和夫さん。次の川崎洋さん以降、短評がつくようになった。子どもと一緒に楽しんでいるような川崎さん、哲学的な雰囲気の長田弘さん、優しさとユーモアあふれる現在の平田俊子さんと、選者の個性も味わえる。

 平田さんは「50年という長期の子どもたちの詩を見渡せる貴重なアンソロジー。命の輝きのような言葉に触れていただければ」と話している。

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北斗星 4/7

 全国紙の家庭面で半世紀にわたって続く「こどもの詩」コーナーから200編余りをえりすぐった本「ことばのしっぽ」(読売新聞生活部監修、中央公論新社)に、「四という字」と題した1編がある。

「四はみんなきらう/四は死につながるからと/でもぼくはちがう/しんぼう、しれん、幸せと/思っている/ぼくは四年四組四番です」。秋田の小学4年男子が書いた詩だ。1996年5月10日付の紙面に載った。

クラス分けで4年4組になったんだね。おまけに出席番号が4番とは。なんか嫌だなあと思ってしまいそうだが、この子は「し」で始まる言葉を三つ見つけて気を取り直している。前向きの姿勢がいいなあ。

先生たちは年度末になると児童一人一人の名前を書いたカードを持ち寄り、翌年度の学級編成を決める。勉強や運動能力、住んでいる地区、友だち関係までを考え、学級ごとに大きな差が出ないように割り振っていく。とても気を使うという

ところが「この学級はちょっとバランスが悪いかな、と思っても新学期が始まってみると意外に不足部分を補い合うようになるものです」とOB教諭が教えてくれた。例えば、足の速い子がいなかったとしても、それを発奮材料にしてリレーで頑張るのだ。

1学年1学級という学校もあるけれど、新しいクラスメートは先生たちが考え抜いて選んでくれた仲間です。仲間がいれば辛抱できるし、試練にも耐えられます。幸せな学校生活となるよう祈ります。

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透視図 4/5

 日本の霊長類研究の第一人者で京大総長も務める山極寿一氏は少年時代、児童文学『ドリトル先生』(ヒュー・ロフティング)シリーズが大好きだったそうだ。『僕たちが何者でもなかった頃の話をしよう』(文春新書)に教えられた。

 動物語を自在に操って世界を旅するドリトル先生に憧れていたらしい。いつの日か自分も「アフリカに行って動物たちと話をしたい」と考え、探検家になることを夢見ていたという。山極氏のように、子どものころの夢をそのまま実現させられる幸運な人はあまりいない。ただ振り返ってみて、夢が人生を航海していく上で羅針盤の役目を果たしてくれた、と感じている人もまた少なくないのでないか。

 さてことしの新1年生はどんな夢を持っているだろう。あす、本道の多くの公立小学校で入学式が行われる。第一生命が1月に発表した児童の「なりたいもの」調査では1位が男子でサッカー選手、女子で食べ物屋さんだったとのこと。とはいえ、職業だけが夢の全てではない。そもそもまだ夢などなくても一向に困らない。読売新聞家庭面の「こどもの詩」精選集『ことばのしっぽ』(中央公論新社)にこんな詩があった。吉田駿君(小1)作「はっけん!」である。「おひめさま めをぬいたら おひさま/ありんこ りをぬいたら あんこ/にんじん んをぬいたら にじ!/わぉ!」。

 「にんじん」が「にじ」に変わるのを発見し、おまけに心でその虹を見て歓声を上げるなんて畏れ入った。子どもは夢を考える天才である。大人が余計な邪魔をしない限り。

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輝ける場所

談話室 4/14

小学1年生で留年を経験し、中学校は登校拒否、高校受験も失敗の繰り返し―。8歳でADD(注意欠陥障害)と診断されたモデルの栗原類さん(22)が自著「発達障害の僕が輝ける場所をみつけられた理由」に綴(つづ)った。

テレビの仕事が増えた頃、不本意ながら「ネガティブ」キャラで人気を博した。簡単なことも覚えていられない、表情に乏しく他人に関心が持てないといった彼の「脳のクセ」が、芸能界では「個性」ともなった。2年前に生番組で発達障害を告白し、大きな反響を呼んだ。

本書は彼の著述だけでなく、同じ成長過程を母親の泉さんも語っており興味深い。「人と比べることなく長い目で見守る」「本人が好きなことを伸ばす努力を惜しまない」―子育てへの信念が伝わる一節だ。主治医や友人の言葉も周囲の理解がいかに大切かを示唆している。

新年度、県内の小学生はようやく1週目を終える。新入学児や転校生の親はわが子が学校になじめているか、友達はできたかと日々、心配を募らせているかもしれない。一人一人の「個性」を周囲が理解し長い目で見守り、その子なりの「輝ける場所」を見つけてあげよう。

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●栗原 類:1994年生まれ。イギリス人の父と日本人の母を持つ。8歳のときNYで発達障害と診断される。中学時代にメンズノンノなどのファッション誌でモデルデビュー。17歳の時バラエティ番組で「ネガティブタレント」としてブレイク。19歳でパリコレのモデルデビュー。21歳の現在は、モデル・タレント・役者としてテレビ・ラジオ・舞台・映画などで活躍中。2015年に情報番組でADDと告白し話題となる。


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■「できた」ことをよしとする

 栗原類くん、22歳。イギリス人の父、日本人の母をもち、竹久夢二が描く少女のように儚(はかな)げな目をした面長の美青年だ。パリコレのモデルのほか、タレントや俳優として活躍している。
 類くんが自らの障害をテレビで打ち明けた時、一番驚いたのは芸能界だったと思う。表情に乏しく抑揚のない話しぶりから、当時「ネガティブすぎるイケメンモデル」としてバラエティー番組で人気だった。ところがキャラクターと思われたその言動はADD(注意欠陥障害)の表れだったのだから。診断されたのは8歳。シングルマザーとなった母・泉さんとニューヨークで暮らしている時だった。
 「僕は、小さい頃から、特に物音に敏感でした」。手記はそんな一文で始まる。聴覚過敏の症状だ。保育園では幼児のがなり立てるような声が耐えられず教室を飛び出した。注意力は散漫で忘れ物の常習犯。暗記もののテストは全滅だった。11歳で日本に帰国。中学ではいじめに遭い、受験も失敗。高校時代、「今何時ですか?」と尋ねてようやく友だちができたというエピソードに泣けてくる。
 日本には米国のように充実した支援体制はない。泉さんは類くんにとってのベストを探った。同級生が簡単にできることに何倍もの時間がかかるため、早めにできるのではなく「できた」ことをよしとする。文章を書くことや時間を守ることが苦手なため、スマホやパソコンを存分に使わせる。場の空気が読みづらい時は言葉ではっきり伝えてもらうなど、周囲にあらかじめ障害を説明してトラブルを最小限に抑えた。できる子より、好かれる子。奮闘の末に二人が探り当てた目標地点だ。
 主治医曰(いわ)く、類くんは「スーパー謙虚」「スーパー思いやり」の人。本書で自らを差し出し、障害と共に生きる手がかりを与えてくれたのもまさにそのやさしさゆえだろう。編集スタッフの温かさも随所から伝わってくる。幸せとは何かと考えずにはいられない。
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 KADOKAWA・1296円=7刷15万部 16年10月刊行。友人の又吉直樹さんの言葉も収録。「発達障害に限らず、子育てに困難を抱える親御さんに読まれている」と担当編集者。


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この本はネガティブタレントとしてバラエティなどに出演している栗原類くんの自伝であり、彼を温かくも厳しい助言で支えてきたお母様、そして主治医の先生との共著でもあります。
笑顔一つ見せず淡々とインタビューなどに応じている類くんをテレビで見て、ネガティブを売り物にしているわりにはきちんと話ができる人だと思っていました。そのうち彼が映画の内容を交えながら海外の映画俳優にインタビューをするのを見て、シナリオ通りでない自然な英語が話せる人なのだとますますその存在が気になり始めました。またあるとき、お母様と一緒に出演している番組を見たのですが、キャリアを持ちながらしっかりした子育ての意見をお持ちのお母様だったという印象をもちました。その彼が書いたのが表題の本。子どもの頃から赤ちゃんモデルとして大人の世界で仕事をし、お母様の仕事の関係でニューヨークを拠点として日本と海外を往復しながら生活をした理由は彼の「発達障害」にありました。
現在21歳になる類くんは小さい頃から感覚過敏、注意散漫で忘れ物が多い、二つの動作が同時にできない、記憶力が弱い、感情表現が苦手で無表情に見えがちなことから、ニューヨークの小学校時代に「発達障害」(ADD)と診断されます。小学校での面白いエピソードがあります。類くんの障害に気付いたサンドラ先生は、人とのコミュニケーションにはユーモアのセンスが重要だと話し、見るように勧めたのがお笑い番組なのです。当時の子どもたちの間で流行っていたのが「シンプソンズ」や「サウスパーク」、どちらもブラックジョークや差別用語・卑猥な表現がでてくる、大人が子どもには見せたがらない種類のアニメですが、類くんはそういったドタバタ喜劇から笑いの壺を理解したそうです。日本の先生だったらそのようなポジティブな指導ができるでしょうか。
類くんは日米を行き来しながら、その端麗な容姿と人とは違った特異なファッションからいじめにあい、帰国子女枠のほうが有利だからと海外生活をしながら中学を受験するもことごとく失敗、通信制の高校に入学してはじめて自分の居場所を見つけたこと、英語が話せることが幸いして(というより、英語を話せることが自信になり)、次第にモデルや俳優としても認められるようになったことなどが彼の言葉で綴られています。それと同時に、類くんの最大の理解者であったお母様と、小学校の校医で、その後彼の主治医にもなった高橋先生からみた類くんの生い立ちが語られています。
モデルをしていた小学校時代にお母様が言ってはいけないと彼に言った言葉は「今何時?」「疲れた」「まだ?」の三語、モデルは主役ではなく、チームで仕事をしているからには子どもだからといって自分勝手は許されないとの教えでした。また人には個性があり「十人十色」であること、そして人と比べないことを教えたのもお母様でした。「苦手な勉強を強制せず、自主性を尊重してくれた」、「他人の役に立つ」よりも「自分がされて嫌なことは、人に絶対にしない」、「好きなことを掘り下げて、得意なことを伸ばす」なども、ことある毎にお母様が彼に言い聞かせたことでした。
主治医の高橋先生は「発達障害」は早期発見が第一だが、類くんの場合、適切なケアでコミュニケーション能力が育っていたこと、彼がつまづくたびにお母様がその理由を理路整然と説明したことがよかったといいます。その結果、類くんは「スーパー謙虚で思いやりがある人格」を持つようになり、それというのもお母様が「我が子の幸せの価値観を柔軟にもっていたから」だと結論づけています。
この本は風貌も性格もどことなく似た類くんと又吉直樹さんの対談で終わっていますが、類くんが、この浮沈みの激しい芸能界で仕事をしている理由がなんとなくわかったような気がします。類くんはお母様と主治医の高橋先生の適切なケアを受けながら、モデルや俳優という「人に見られる職業」を選んだことによって、障害を持ちながらも輝ける場所をもつことができることを証明しました。最初は「ネガティブタレント」などとレッテルを貼られた類くんでしたが、彼のまっすぐで正直な生き方は、同じ障害を持つ人にも、その家族にもきっと勇気を与えてくれると思います。