コラムの記事 (2/178)

一瞬の冬(五輪)

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有明抄 2/14

敗れたときのふるまいに、その人の人間性がくっきりと表れる。自らも望んでかなわなかった夢、それをつかんだ仲間を、心からたたえられるか―。平昌オリンピックのスキージャンプで、銅メダルを決めた高梨沙羅選手に駆け寄った伊藤有希選手の姿がすがすがしかった。

2度のジャンプはいずれも、気まぐれな風に泣かされた。メダルはおろか、9位どまり。ぽろぽろと涙をこぼしながら「4年前より悔しい」。それでも、高梨のメダルに「おめでとう。4年前、沙羅ちゃんもすごく苦しい思いをしたから」と祝福した。

4年前のソチ五輪。金メダルを確実視されていた高梨はまさかの4位に終わる。その時、高梨を抱きしめて「また、ここに戻ってこよう」と声をかけたのも、伊藤だった。平昌で悔しさを返す、その思いが、ここまでふたりを支えてきた。

スピードスケートの高木美帆選手にとっては、実に8年越しのリベンジだった。15歳でバンクーバー五輪に出場するものの、前回は代表落ち。金には届かなかったが、ようやくつかんだ銀メダルに「感謝でいっぱい。いろんな人に支えられてきた。誇りを持ちたい」と胸を張った。

男子モーグルの原大智選手の「銅」を皮切りに、日本勢のメダルラッシュが始まった。互いに支え合いながら“一瞬の冬”にかける姿に、胸が熱くなる。

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地軸 2/14

 自分が出られない試合に、チームが「負ければいいのにと思うこともあった」。先日の本紙に載った元サッカー選手の言葉が胸に刺さった。

 競い合い、お互いを高め合うライバル。でも相手の活躍を素直に喜べない。誰にでもある経験だろう。それだけに、一昨日の平昌冬季五輪ジャンプで、競技を終えた高梨沙羅選手に真っ先に駆け寄り、抱き合って涙を流した伊藤有希選手の姿に心を打たれた。

 高梨選手の陰で、ずっと「日本の2番手」だった伊藤選手。小学生のころから金メダルを取る自分の姿を思い描いていただけに、2歳年下のライバルは越えねばならない壁でもあったはず。

 厳しい練習を重ね、昨シーズンはワールドカップで通算5勝を挙げる実力者に。五輪でも有力なメダル候補だったが、風に恵まれず9位にとどまった。「4年前よりも悔しい」結果。自身は届かなかったメダルに挑むライバルのジャンプを、複雑な思いで見守ったに違いない。

 4年前のソチ五輪で高梨選手は「絶対女王」と期待を集めたが、重圧に負け4位に終わった。今回、見事に着地し、メダルを確信した笑顔にこみ上げるものがあったのだろう。共に切磋琢磨(せっさたくま)し、その落胆と苦悩をすぐ近くで見ていたからこその涙。

 銅メダルを獲得し「まだ金メダルを取る器ではない」と次を見据える高梨選手。進化し続ける最強のライバルとともに、再び大きく飛躍してほしい。次の勝者を目指して。

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鳴潮 2/14

 「雪辱」という言葉がこんなに似合う人は多くないだろう。平昌冬季五輪ノルディックスキーのジャンプ女子で、高梨沙羅選手が銅メダルを獲得した。
 
 4年前のソチ五輪では1回目3位の後、2回目で失速。最も金メダルに近いと期待されながら、4位に沈んだ。おとといも1回目は3位だった。違ったのは、自分を信じて飛べたこと。最後に「渾身(こんしん)の一番いいジャンプ」を見せ、安堵(あんど)の涙を流した。
 
 4年前の屈辱を糧にしたのは、スピードスケート女子1500メートルで銀メダルに輝いた高木美帆選手も同じだ。2010年のバンクーバー五輪に15歳で出場し、「天才」とまで呼ばれたのに、代表選考会で落選してソチ行きを逃した。
 
 「あれほどの敗北感を味わっていなければ、今ここまで強い気持ちにはなれていなかった」。ナショナルチームでオランダ人コーチの練習に耐えた日々が、きつい最後の1周で生きた。
 
 もちろん、いつも「努力すれば報われる」わけではない。しかし、力を尽くさなければ結果は得られない。スポーツが教えてくれることである。
 
 フリースタイルスキーの男子モーグルで原大智選手が銅メダルを手にしたのも、海外での修行で鍛えられたおかげだった。ほとんど注目されていなかった選手も大舞台で輝く。諦めない気持ちさえあれば、チャンスは誰にでも巡ってくる。

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河北春秋 2/14

海で溺れかけた経験がある。覚えたての泳ぎで沖に向かい、予期せぬ深みにわれを失った。駄目だと思った瞬間、波がふわりと浅瀬に運んでくれた。自然の力が人の運不運を分けることがある。

開会中の平昌冬季五輪では、気まぐれな強風が歴戦の選手たちを翻弄(ほんろう)している。テレビ観戦で同情したのはスノーボード競技。転倒者が相次ぎ、本領を発揮できず悔しがる日本の女子選手らが痛々しかった。

空中を飛ぶノルディックスキー・ジャンプへの影響はなおさら。めまぐるしく変わる風の向きと強さに男子ジャンパー陣が苦しんだ試合の後、12日夜にあった女子競技。やはり風が千変万化する中、高梨沙羅選手が見事に飛んで銅メダルに輝いた。

天才少女として登場し、17歳で臨んだ前回ソチ五輪で「金」を期待されながら4位。W杯通算53勝の無敵ぶりから最近遠ざかっていたが、悪条件に打ち勝った集中力と強く美しい技は、運不運や順位を超えて本物だった。

米国の詩人E・W・ウィルコックスの『運命の風』に「船の行く先を告げるのは風でなく帆。運命の行き先を決めるのは魂」との一節がある。この夜のジャンプを「記憶に残る、競技人生の糧になる、すごく貴重な経験」と語った謙虚な21歳の行く先に、最高の色のメダルも待っていよう。

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時鐘 2/14

願(ねが)った色(いろ)とは違(ちが)ったのだろうが、メダルはメダル。まずは、めでたい。

挫折(ざせつ)や苦難(くなん)を乗(の)り越(こ)え、つかんだ栄(えい)冠(かん)。そんな五輪感動物(ごりんかんどうもの)語(がたり)が、せきを切(き)ったように流(なが)れ、飽(あ)きずに何(なん)度(ど)もお付(つ)き合(あ)いする。が、そもそも挫折や失(しっ)敗(ぱい)のない人(ひと)はゼロだろうし、それでもメダルを逃(のが)した選手(せんしゅ)の方(ほう)が断(だん)然(ぜん)多(おお)い。いまは新鮮(しんせん)な感動物語にしても、長(なが)く記憶(きおく)に残(のこ)るのはわずかで、やがて薄(うす)れてゆく。

「沙羅(さら)ちゃん」と呼(よ)ばれていた少女(しょうじょ)も、念願(ねんがん)のメダルを手(て)にした。4年前(ねんまえ)、「金(きん)」確(かく)実(じつ)という期待(きたい)を背負(せお)って飛(と)び、失速(しっそく)した。小(ちい)さな体(からだ)に重(おも)すぎた期待だったに違(ちが)いない。済(す)まないことをした、とわが責任(せきにん)のように悔(く)やんだ人もいたのでは、と察(さっ)する。

あの悔(くや)し涙(なみだ)が今度(こんど)は喜(よろこ)びに変(か)わった。金ではなかったが、テレビの前(まえ)で「よかった」と胸(むね)をなで下(お)ろした1人である。頼(たの)まれもしないのに、わが娘(むすめ)か姪(めい)っ子(こ)を見守(みまも)るような気分(きぶん)だった。記憶に残る不思議(ふしぎ)な選手の1人だろう。

開幕(かいまく)直(ちょく)前(ぜん)、「美女(びじょ)」たちの飛(と)び入(い)りによる不快(ふかい)な騒(さわ)ぎに引(ひ)っかき回(まわ)されたが、ようやく落(お)ち着(つ)いて応援(おうえん)ができる。お楽(たの)しみはこれからだ。そう願(ねが)いたい。

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日報抄 2/14

向かい風を欲しがる。まれな競技だ。“逆風”を受け止め力に変える。この4年間は、もがいてきた。しかし、平昌の落ち着かない風をとらえ、ふわりと降りてきた。高梨沙羅選手のゴーグルの奥が笑っていた。この瞬間を待っていた。

「なんでもできちゃう子」と周囲は言う。本人の感覚は少し違った。体育は好きだが得意じゃない。球技が苦手、足もあんまり速くない。8歳で初めて飛んだ時は「飛んだというか、落ちた」。それでも浮力感のとりこになった。

瞬く間に天才少女と呼ばれるようになった。女子ジャンプ陣の軌跡を追った「フライングガールズ」(文芸春秋)には、こんな会話が紹介されている。一定間隔で待機する飛距離判定員のやりとりだ。

「次、沙羅ちゃんの番だぞ」「このへんかな」「いや、そのへんまで行くんじゃないか」。少女はその予測を超え飛んでいくのだ。「やっぱすげえなあ」。判定員が目を丸くする。驚きをもたらすたびに、小さな背に乗る日の丸は重たくなっていったことだろう。

「女子にジャンプは無理」と言われた時代が何十年と長かった。ようやく五輪種目として採用されたのが前回大会だった。気まぐれな追い風に吹かれ顔を覆った。17歳で流した涙が4年をかけ、やっと乾いたのではないか。

こらえ、かがんだ低姿勢から解き放たれ、晴れ舞台の風をつかんだ。捲土(けんど)重来の銅メダルだ。滑り降りてきた彼女を抱きとめる仲間の頬には涙が光っていた。スポーツの真骨頂を見せてもらった。

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卓上四季 2/14

スキーのジャンプ台はノーマルヒルの場合、100メートルほどの高さからスタートする。ジェットコースターを急降下するように助走路を滑り降り、最高速度は時速約80キロに及ぶ。猛スピードの中、ジャンプ台の先端で正確なタイミングをつかんで踏み切らなければならない。

少しでもずれると台からの反発力をうまく受けられず、飛距離が伸びない。前回のソチ冬季五輪で、高梨沙羅選手は踏み切りのタイミングが少しだけ遅れたという。時間にしてわずか100分の1秒。だが、そのわずかなずれが影響して4位にとどまった。

それからの4年間は踏み切りの100分の1秒を修正するためにあったと言っていい。「ソチの後、ずっと悔しい思いをバネに練習してきた」と振り返った言葉からは、固い決意と集中力が読み取れる。

ソチで敗れた際、互いに切磋琢磨(せっさたくま)してきた伊藤有希選手と「4年後、また一緒に五輪に出よう」と誓い合った。約束があったからこそ、強い気持ちをずっと持ち続けることができたと感謝する。

今回の平昌で手にしたのは銅メダルだった。金が欲しかっただろう。悔しくないはずはあるまい。けれど、メダルが決まり涙を流した高梨選手の顔は、重圧から解放された安堵(あんど)感と喜びにあふれていた。本当におめでとう。

「ソチの自分には勝てた。次に向けて頑張りたい」。さらに輝く色のメダルを求め、新たな挑戦が始まる。

T-14アルマータ

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中日春秋 2/14

五月九日の戦勝記念日に、モスクワの赤の広場で行われる軍事パレードは、ロシアが最新兵器を世界に誇示する場だ。

三年前のパレードでお披露目されたのは、最新鋭の戦車「T-14アルマータ」。西側軍事筋が警戒する新兵器だが、風刺好きのロシア人はこの高額な戦車を、こんなジョークで笑い飛ばした。「アルマータはまさに前代未聞の破壊力を誇る戦車だ。あまりに強力なので、戦車大隊でロシア政府の予算をすっかり破壊できるほどだ。」

そんな新兵器にも劣らぬ威力を誇るのが、米国の「トランプ砲」だろう。十二日に発表された予算教書では、社会保障費が削られる一方で国防費はぐっと増やされ、七十四兆円に。おかげで財政赤字も百兆円を超し、今後十年間の赤字総額は七百七十兆円にもなりそうだというから、財政健全化を吹き飛ばす破壊力である。

トランプ氏は今、軍事パレードにご執心で、ワシントンでの実施を検討するよう国防総省に命じたそうだが、ロシアには、こんな政治小噺(こばなし)もある。

モスクワの軍事パレードで新兵器とともに、背広姿の男たちが行進している。見学していた西側の要人がロシアの大臣に「あれは何だ?」と聞くと、大臣曰(いわ)く「あれはわが国の経済専門家。ロシア経済をまたたく間にむちゃくちゃにするほどの破壊力があるんだ。」

トランプ氏なら、パレードの目玉になれるだろう。

野球のうま味

くろしお 2/13

 食と酒の文化に関する評論家で含蓄あるエッセーの名手、重金敦之さんの著書「食彩の文学事典」(講談社)によると、おでん鍋は「人間社会を映す鏡」のようなものだという。

 その理由は「自らうま味を出すタネがあればそのうま味を取り込むタネもある。周囲のタネより少しでも浮かび上がろうと背伸びするタネもあるから」だ。面白い指摘でなるほどと納得したが同時に、自らうま味を出す人の比率ってどのくらいだろうとも考えた。

 先週土曜に宮崎市のKIRISHIMAサンマリンスタジアム宮崎で開催された巨人とホークス(南海、ダイエー、ソフトバンク)の往年の名選手によるOB戦を同僚と観戦した。雨天にもかかわらず集まったファンは1万7600人。

 試合開始が1時間遅れ、雨がっぱからはみ出た手や膝頭がぬれて、体の芯まで冷え切ったが選手たちが登場すると体も心も一気に温まった。カクテル光線の効果もあったかもしれないがプレーボールで鍋のふたが開いて、湯気が立ち上がったような錯覚に陥った。

 目の前にいるのは野球人生でうま味を出し続けてきた人ばかりだ。球場が最大級に沸いたのはメジャーで活躍した松井秀喜さんが打席に立ったときだったが、78歳城之内邦雄さんの投球に「頑張れ」と声援を送るオールドファンもいた。

 重金さんが持論としている言葉は「楽しい食卓を囲める人はすべて食通」だ。この日の鍋ならぬ試合を囲んだ人たちにとって勝敗はどうでもよかったはず。最後まで見届けた人はみんな野球ファン。いただいたうま味はあすの活力になる。

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内容紹介
食べ物を切り口に、過去、作家たちがその食べ物をどのように作品に描いてきたかを詳細に調べ、文学の映し出した風景から、日本の食の時代背景をさぐった労作です。谷崎潤一郎の好んだ鮎雑炊、林芙美子の思い出のうどん、島尾敏雄を見舞った吉行淳之介と安岡章太郎が帰りに食べた炒飯など、文士たちの知られざるエピソードから、川上弘美、青山七恵、酒井順子らの描く食べ物まで、彩りゆたかに文学と食を描き出す、前代未聞の文学事典!

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日本の「和食文化」がユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界無形文化遺産に指定された。別に悪いことではないから、素直に喜べば良いのだが、その後の「お祭り騒ぎ」を見ていると、どこか胡乱な感じがする。

和食を内外に普及させる、と意気込んでいる人が京都に多い。京料理こそ「和食」だ、と言いたいらしい。そうかなあ。

一方で、食品の偽装問題は、止まるところを知らない。昔から中国にも、「羊頭狗肉(店頭には羊の頭を掲げ、中の食卓では犬の料理を出す)」という言葉があるくらいだから、歴史は古い。

日本の料理名には、有馬(山椒)や吉野(葛)のように、地名が材料を表したり、季節や材料によって、「見立て」や「言い換え」「暗喩」といった遊び心が溢れている。鯨の舌を「さえずり」、馬肉は「桜肉」、猪を「山鯨」と優しく言い換える。「狸汁」と言っても、別に「狸」を使うわけではない。蒟蒻の味噌汁で精進料理にある。

「すっぽん煮」というのは、酒と生姜を多用して、すっぽん料理に見立てたのだ。「定家煮(藤原定家)」や「利久煮(千利休)」といった人名も登場する。別に定家が作ったわけではなく「定家好み」という意味だ。「牡丹鱧」や「菊花造り」という花に見立てた料理もある。これらの例を見ても、和食文化の奥は限りなく深い。

開高健は、「文壇では、食べ物と女が書けたら一人前」という言葉があるが、「わが国の文学には、食談、食欲描写、料理の話はめったに登場しない」と喝破した。

もちろん戦前にも、谷崎潤一郎の新聞小説「美食俱楽部」(大正八年)のように架空の食べ物に魅せられた美食家たちを主題にした小説はあった。しかし、志賀直哉の「小僧の神様」(大正九年)や、林芙美子の「放浪記」(昭和三年)は貧しい生活の中から、食べることへの渇望と希求を描いたものだった。

美食や飢餓に限らず、食べ物が登場する小説としては、上司小剣の「鱧の皮」(大正三年)や岡本かの子の「鮨」(昭和十四年)、矢田津世子の「茶粥の記」(昭和十六年)などを挙げることができる。それらは、食べ物を主体的に論じているわけではないが、登場人物と食べ物のかかわりが生き生きと描写されている。食べ物が、物語の重要な役割を演じているのだ。

新米保育士

春秋 2/13

堺市在住の桜井秀子さんは「新米保育士」。お年は64歳。子どもの頃、将来の夢を聞かれると「保母さん」と答えていた。還暦を過ぎてその夢をかなえた。

20代で結婚し、2人の子どもを育てた。ボランティアで絵本の読み聞かせもしていた。20年ほど前から少子化のニュースが気になりだした。待機児童の問題は保育士不足にも一因が、と思った時、幼い日の夢が胸によみがえった。

一念発起、国家試験に挑戦。見事合格し、保育士の資格を取った。が、別の問題も。働く場所を探しても、年齢で敬遠されることが多かったのだ。「保育士は体力が必要なのは分かっている」と桜井さん。

それでも大切なのは「子どもたちにお母さんのように接すること」。子どもに愛情が持てる人なら誰でもできる。時間に余裕のある高齢者を採用し、補助的に働けば良いのでは、とも考えた。

第14回「60歳からの主張」で入賞した桜井さんのエッセーから紹介している。現在、保育園で働いている桜井さんを「おばあちゃん先生」と呼んで懐く子がいるそうだ。若いお母さんや保育士の相談役にも。3世代同居のような雰囲気の保育園もいい。

日清食品の創業者安藤百福(ももふく)さんがインスタントラーメンを発明したのは48歳の時。事業に失敗し、裸一貫からの挑戦だった。安藤さんの言葉を思い出す。「人生に遅すぎるということはない。50歳でも60歳からでも新しい出発はある」


ネットカフェ難民

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滴一滴 2/13

横になってくつろげるし、パソコンのモニターではテレビも見られる。別料金ではあるがシャワーを浴びることだってできる。今どきのインターネットカフェはなかなかに快適だ。

だが、連日の寝泊まりとなると身は休まるまい。住居がないために終夜利用する「ネットカフェ難民」が、東京都内だけで1日当たり約4千人に上るという。都がこのほど、初めて行った実態調査から推計した。

その7割以上はパートやアルバイト、派遣、契約社員といった不安定な労働形態だった。年代別では30代と50代が突出し、30代が約4割、50代は3割近くを占める。

多くは仕事を失うと同時に、家賃を払えなくなったり、寮を出なければならなくなったりしている。再び定職を探しても「履歴書に書く住所がない」などの理由で厳しい。調査からは、断ち切りがたい負の連鎖が浮かび上がる。

「ネットカフェ難民」という造語が生まれたのは10年ほども前である。当時の国の調査では全国で約5400人とされていたから、この間に状況はさらに深刻化している。都は調査結果を踏まえ、就労支援など効果的な対策を検討するという。

「働く意欲」のある人が短期間でも定住できる場所、当面の費用を補う制度があれば、抜け出せる人は少なくなかろう。身近に潜む貧困に目を向けた安全網の構築が急がれる。

ハイテクとローテク

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編集日記 2/13
  
 ハイテク技術によって写真や音楽などのデジタル化が進んだが、最近はちょっと懐かしさを感じる「アナログ製品」の人気がじわじわと広がっている。中でも、レンズ付きフィルムやカセットテープが若者を中心に受けているのだという。

 アナログ人気の火付け役となったのはレコードだ。日本レコード協会によると、昨年の生産枚数は約106万枚で、最少だった2009年の10倍超まで伸びた。ソニーは本年度、約30年ぶりにレコードの自社生産を再開し、話題となった。

 音楽の再生機器でも昔ながらの真空管アンプの人気は根強い。以前に取材した愛好家は「使う前にウオームアップするなど手間がかかるが、ぬくもりある音色は大きな魅力」と話していた。

 この真空管、思わぬところで役に立ちそうだ。東京電力福島第1原発の内部を調査するカメラに使うという。ハイテクよりも、真空管のようなローテクの技術を活用したほうが高線量の放射線への耐性が強いというのは意外だった。

 ハイテクの技術は日進月歩で万能のように見えるが、まだまだローテク技術にかなわないところがあるということなのだろうか。温故知新。古きをたずねて新しきを知ることがもっとありそうだ。

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鳴子温泉 読書湯治

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河北春秋 2/13

「人間は水でできているから温泉に引かれるのかな」。芥川賞作家の朝吹真理子さんは、湯浴みする女性を題材にした日本画を眺めながら、新作を執筆しているという。絵の作者は小林古径や小倉遊亀だそうだ。

湯気に包まれた白い裸体、光の屈折で形を変える浴槽底のタイル、高窓から流れ込む緑の風…。絵からインスピレーションをもらい、物語を紡いでゆく。先日、大崎市の鳴子温泉であった公開対談で語っていた。

日本文学研究者のロバート・キャンベルさんが、対談のお相手。キャンベルさんは鳴子温泉ファンを自認し、「読書湯治」を提唱している。湯宿でゆったりした時間の流れに身を置き、活字に親しもうとの趣旨。

同好の士と感想を語り合うもよし。輪読するのも一興。そこから新しい文化が生まれれば、と言う。朝吹さんを対談に誘ったのもキャンベルさん。この催しの背景に、鳴子の魅力を発掘し、温泉街ににぎわいを取り戻したいとの地元の切実な願いがある。

学生時代に鳴子を訪れ、松尾芭蕉ゆかりの尿前(しとまえ)の関を散策したという朝吹さん。「(句の内容が)蚤虱(のみしらみ)…ではPRしづらいですね」と笑うキャンベルさんに、「歩けば良さが分かります」と返した。求める魅力は目の前に。結局は生かし方の問題、と言われたようだった。

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いじめ標語

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卓上四季 2/13

スーパーで牛乳を手に取り気が付いた。パックの側面に標語が書いてある。「大丈夫? 君の味方に僕がなる!」。道教委が全道募集した「いじめ・ネットトラブル根絶! メッセージコンクール」の作品だ。よつ葉乳業の協力で、今月いっぱい入賞作が掲載される。

学校でいじめの被害が止まらない。広島市は先日、昨年校舎から転落死した中3の女子生徒がいじめを受けていたと公表した。傘でたたかれたり石を投げられたりしていたが、学校側は「いじり」と捉えていた。

兵庫県加古川市では、中2の女子生徒が一昨年自殺した。市教委の第三者委員会は昨年末、無視や仲間はずれなどのいじめを受けていたと認定した。

いじめの根絶は「夢物語」なのか。いじめの舞台はほとんどが学校だ。教員が早めに気づき適切に対応すれば、被害を減らすことは可能だろう。

加古川市は4月から、全児童生徒と教員との面談を年2回実施するという。子どものSOSに気づくきっかけになればいい。もちろん学校や教委は、さらに忙しさが増す教員の負担軽減に対する配慮が欠かせない。

牛乳パックにはこんな標語もあった。「いやなこと しない させない ゆるさない」。標語でいじめが根絶できるわけではあるまい。だが、こうした地道な取り組みの積み重ねで、いじめを許さぬ空気が少しでも社会に醸成されるなら、決して無駄ではないだろう。

おしゃかになる

風土計 2/12

つくり損なう、物がだめになることをいう「おしゃかになる」。地蔵や阿弥陀を作るつもりが誤って釈迦(しゃか)を鋳造してしまったことを、語源に挙げる辞書もある。

日本語学者の故堀井令以知(れいいち)さんによれば、大正から昭和にかけ下町の町工場で生まれたという説もあるらしい。ある時、工場で金属を溶接するのに火力が強すぎてうまくいかないことがあった。

失敗の原因を「火が強かった」と言ったのが「しがつよかった」と聞こえた。それが釈迦の誕生日の4月8日と結び付けられ「しがつようかだ」というしゃれに基づいた言い回しが生まれた。

ここからつくり損なった品物を「おしゃか」というようになった(「ことばの由来」より)。下町の遊び心を感じさせる話だ。おしゃかと同様、物事が失敗することを指す言い回しに「おじゃんになる」がある。

江戸時代、火事を知らせるために鳴らした半鐘。そのジャンジャンという音から来ているという。火事で焼けてしまい何も無くなることから「おじゃんになる」は失敗などの意味で用いるようになった。

ここのところ、火災が相次ぐ。札幌市では自立支援施設の高齢者ら11人が亡くなる悲劇も起きた。暖房器具の使用など家庭に火の気が増える季節。「火が強かった」などという不注意で、住まいをおじゃんにすることのないよう気をつけたい。

駄菓子屋

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あぶくま抄 2/12

 子どものころ、10円玉を握りしめてよく駄菓子屋に通った。好みのお菓子を買って食べるのが何より楽しみだった。近所の子どもたちのたまり場にもなっていた。今ではすっかり見なくなった光景だ。そんな昔懐かしい駄菓子屋が二本松市本町にある。

 2年前の夏にオープンした。交通事故で車椅子生活となった男性が自宅の新築に合わせて開店した。事故後、男性は将来への希望を失い、部屋に閉じこもる生活が2年間続いた。そうした中、家族の勧めもあって体に負担のかからない仕事として駄菓子屋を始めた。

 寒風の中、小学生や親子連れが元気に店の戸を開ける。目を輝かせて10円、20円の菓子を買っていく。純粋な笑顔に接していると毎日の生活に張り合いが生まれた。「懐かしい」と遠方から定期的に訪れる客もいる。その日の出来事など何げない会話を交わす。どこか心が温まる。

 店内にはおもちゃも飾られ、一歩入ると幼い頃の記憶がよみがえる。思い出に浸りながら買い物を楽しんでいると自分も童心に帰るようだ。「ささやかでも誰かに喜んでもらえるのはうれしい」。男性の表情は穏やかだ。人の役に立つことの大切さを改めて思う。

インスタントラーメン

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越山若水 2/12

マスコットの「出前坊や」は永遠の8歳。「あ~らよ」の掛け声もかわいい即席ラーメン「出前一丁」は、きょうで発売50周年だという。随分長い付き合いである。

もっと古いなじみは世界初の即席麺「チキンラーメン」で、こちらはことし発売60周年だ。この発明がなければ、世界の食事はもっと退屈だったかもしれない。

日本生まれのインスタントラーメンはまぎれもない「国際食」。だが、世界の需要は下がり気味で2015、16年と連続して1000億食の大台を割り込んでいる。

とりわけ落ち込みが目立つのは、世界市場の約4割を占める中国だ。ここ3年で2割近くも減ったという。理由はいくつかあるが、宅配システムが急速に発展したのもその一つ。

都市部を中心に、ファストフードや人気レストランの料理が電話一本で自宅や職場に届く。庶民が豊かになったのもあって「出前一丁」が実際の出前に押されている格好である。

手軽で安いだけでは、もういけない。国内では健康的でおしゃれな食べ物として需要を伸ばしているのだから、このトレンドを海外に広めよ―との記事を何かで読んだ。

もっともだという思いは、今度の豪雪で少し変わった。物流が滞り、コンビニの棚が空になるなかでもインスタントラーメンは入手できた。頼もしい非常食だった。手軽で安価、の原点だけは忘れてほしくない。

アルマーニ

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中日春秋 2/12

その男の子は生まれた時から髪の色が白に近い灰色だった。眉も白い。母親は妊娠中に服用した薬のせいだと気にしていたそうだ。

その子が中学に上がる時の保護者同伴の面接試験。母親はその子とトイレに入り、マッチを擦って消し炭にして眉を描いた。俳優の大滝秀治さんの思い出である。人と変わらぬ眉にしてやりたかったのだろう。

面接はどうなったか。面接官は「その眉はどうしたのかね」と聞いた。その途端、母親は大滝さんの手を引いて試験会場を出たそうだ。もちろん、その学校はあきらめた。「その晩、母は泣いていた」と書いている。

せつなかっただろう。その話をふと思い出した、小学校の制服騒動である。東京都中央区立泰明小学校が、イタリアの高級ブランド「アルマーニ」の手掛ける「標準服」の採用を決めたが、問題はその値段。一式そろえれば、総額八万円という。

みながその服を着ると聞けば、親としてはあつらえてやりたかろうが、たじろぐ声があるのは当然だろう。ハイカラな街とはいえ、公立小学校。大滝さんの母上のようなせつない思いをする人が出ないことを願う。

校長先生は「銀座の学校だからこそ高級な服が適している」とおっしゃったそうだ。確かに銀座は高級で身構えたくもなるが、庶民的で懐の深いところもある。それが銀座の魅力でもあろう。懐深き解決策を見つけたい。

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「長生きは三百文の得」 大滝秀治著 向いていないと周りから言われても努力を続け花を咲かせる

(娘さんが過去の発言をまとめられました)
大滝さんは電話局に勤めていた時、近くの帝国劇場で見た舞台に感動し、23歳の時に民衆芸術劇場付属養成所の第一期生として参加しました。
小学校5年生の時に中耳炎を患い鼓膜の手術をし片方が聞こえなくなっていました。
中学2年生の時、肺湿潤になり肺の手術(当時は成功するのは1~2割と)を行い、幸い助かりましたが、
ストレプトマイシンの大量投与のため耳が聞こえなくなりました。
当時、ビタミンAを大量投与すると良いとの説があり、それを行ったところ、何とか聞こえるようになりました。
俳優になってからぎっくり腰になってコルセットをするようになりました。

宇野重吉さんから、いろいろと指導を受けられ、ダメ出しされた言葉を清書して大切にされていました。幾つか紹介します。
・自信と謙虚さの間にいないといけない
・焦ることはない、でもぐずぐずするな
・台本の文字が見えている間はまだダメだ
・その時、その気になる
・思えば出るんだ、普通にやれ
・人の芝居の粗ばっかり見える時はお前の心がさもしい時、人の芝居がいいなと思う時は心が豊かな時、だけど、そればかりではない
・「なにもしない」と言ったらお前はなにもしていない

生まれた時、産婆さんがびっくりしたそうです。髪の毛が灰色でした。宇野重吉さんから「お前のこえはぶっ壊れたハモニカみたいな不協和音を出す。ドレミファソラシド全部入っている不協和音を出すと、お客に不快感を与えるから、役者に向かないんじゃないか」、「声が悪いし、見た目かたちもちょっと・・・。おまえ、二十三だけど、老けてるな」と言われたそうです。

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大正14年(1925年)に頭が白髪で生まれてきたそうです。母が神経痛で「強い薬」を飲んだせいです。中学校受験の時、面接で、マッチの燃えカスで眉を母親が描いたのを配属将校が指摘し、それを言われた途端、母親は彼を連れ出して、この学校の受験を諦めました。
戦後電話局に勤めていましたが、劇団に入り、それから一生俳優として生きてきて2012年87歳で亡くなっています。
イメージでは彼は脇役で渋いところを発揮していたという感じがあります。テレビドラマでもこの人が出ると場が引き締まるという俳優がいるものです。彼も主役ではないが、彼が出るとドラマに重厚さが出てくるという感じです。劇もドラマも絵空事ですが、絵空事のフアフア感を地上に繋ぎ止めるのは若い俳優では難しい。もうじき棺桶に入り、やがて遺灰が地中に埋められるといった年老いた俳優でないと、このようなことも現実にあるよなーという思いにはならないでしょう。そうかといって歌舞伎のようなものは、役者が老練で死にそうな人間であっても、この舞台を見て感動することはありません。私には歌舞伎のよさが少しもわからないのです。全くの絵空事であり、江戸時代にはそれなりにリアリティがあったかもしれませんが、歌舞伎の中身は現代とかけ離れていて、一種の教養としてしかの価値がないかもしれません。
いずれにしても昭和の名優がほとんど亡くなってきています。彼らに続く俳優は育っているのでしょうか。韓国のドラマが安いからと言って韓国ドラマだけを流していたのでは日本には俳優がおらなくなるでしょう。相撲もモンゴル系に押されて、日本人の力士は低迷しています。かつては河原乞食といわれた芸能者はハングリーが会ったからこそ芸に磨きをかけて一流になったのです。ゆとり世代に育った人たちの間から名優は出てくるでしょうか?

ニホンかニッポン

時鐘 2/11

「日本」という国(こく)名(めい)の読(よ)みはニホンなのかニッポンが正式(せいしき)なのか。五輪期間中(ごりんきかんちゅう)に「建(けん)国記念(こくきねん)の日(ひ)」を迎(むか)えて、そんなことを思(おも)う。

声援(せいえん)するときは、「ニッポン」と叫(さけ)ぶ。青空(あおぞら)を喜(よろこ)ぶときは「ニホン晴(ば)れ」。響(ひび)きや言(こと)葉(ば)のつながりで使(つか)い分(わ)けられ、臨機応変(りんきおうへん)ともいえるが、小欄(しょうらん)のようにルビを振(ふ)る場合(ばあい)、迷(まよ)うことも少(すく)なくない。

かつて、泉鏡花(いずみきょうか)の小(しょう)説(せつ)のように総(そう)ルビの時(じ)代(だい)があった。

いまは漢(かん)字(じ)に適当(てきとう)に振(ふ)り仮名(がな)がつく。その「適当に」がよろしくない、という意見(いけん)を何(なに)かで読(よ)んだ。だから、漢字を読めない若者(わかもの)が増(ふ)え、誰(だれ)でも読める片仮名(かたかな)に走(はし)り、病的(びょうてき)な乱用(らんよう)という醜(みにく)い時代(じだい)になった、という小言(こごと)。一理(いちり)ありそうである。

五輪開会式(かいかいしき)で南(なん)北統一(ぼくとういつ)の「コリア」が行進(こうしん)した。そういう決(き)めごとなのだろうが、統一の名前(なまえ)という難(なん)題(だい)を英語(えいご)で片付(かたづ)けたのに、いささか戸惑(とまど)いを覚(おぼ)えた。わが国にしても、晴(は)れの舞台(ぶたい)では「ジャパン」ではなく、長(なが)い歴史(れきし)で培(つちか)われた名乗(なの)りを堂々(どうどう)と上(あ)げたい。

もっとも、そうなると、ニホンかニッポンかで、統一問題(もんだい)は難航必至(なんこうひっし)か。だからといって、国名の読みが二(ふた)つというのも、ヘンなように映(うつ)る。

とかくに人の世は住みにくい

いばらき春秋 2/11

「山路を登りながら、こう考えた」と始まるのは、夏目漱石の『草枕』。「智に働けば角が立つ。情に棹(さお)させば…」と名文は続く。漱石の知性には到底及ばぬが、凡人なりに田舎道を歩きながら思うことがある。

この冬、野菜が高騰し、例年の2倍以上になったものもある。原因は天候不順による不作だ。「天災のようなもの」と片付けるのは簡単だが、道の傍らにある家庭菜園を見ると別な思いが生じてくる。

菜園には寒さ対策が施された白菜などがまだ並んでいる。近所で「もらい」「もらわれ」される野菜もあろう。商品として出せるような立派なものは少ないにせよ、食卓に彩りを添えているに違いない。

思えば、スーパーに並ぶのは優等生ばかり。味は変わらないのに見た目で差別され、畑で廃棄される野菜が少なくない。その上、調理されても、外食店や家庭で食べ残され捨てられる食品が数多い。

食料自給率が低い中、食前も食後も大量廃棄を続けているのがこの国の実情だ。人にも野菜にもそれぞれ個性があり、不格好でも味わい深い。見た目や肩書にとらわれ、本来の価値、モノの大切さを忘れていないか。

「とかくに人の世は住みにくい」。野菜たちも『草枕』のように嘆いているかもしれない。

盗用

越山若水 2/11

「木曽路はすべて山の中である。あるところは岨(そば)づたいに行く崖であり…」。島崎藤村の小説「夜明け前」の書き出しである。誰もが聞き覚えがある名文である。

中山道・馬籠宿辺りの大自然をわしづかみしたような、簡潔にして力感に満ちた表現は一級品。さすが大作家、近代文学の金字塔といわれる名作にふさわしい。

ところがこの名文は、何と島崎のオリジナルではなく、お手本があった。1850年に発行された「木曽路名所図会」である。「三留野(みどの)」の項にこう書かれている。

「木曽路はみな山中なり、名にしおふ深山幽谷(ゆうこく)にて岨づたひに行くかけ路(じ)多し」。藤村は執筆に当たり現地調査をせず、机上の資料を書き換えていた(久松健一「原稿の下に隠されしもの」笠間書院)。

文学史に名を連ねる大文豪ゆえ、いまさら非難を浴びせる人はいないだろう。だが現時点で発覚すれば「盗用」と指摘され、揚げ句は「盗作作家」と疑われても仕方がない。

岡山県議会の海外視察報告書の大半がほぼ同じ内容だったとの報道があった。しかも「コレクション」の変換ミス「これ区書」までそのままのお粗末。

手近な資料をそっくり丸写し、同じ文章をみんなでコピーしたのだろう。まさに「盗用」の報告書で、議員にはあるまじき恥ずべき行為。襟を正せというのも情けない。「議会の海外視察はすべて闇の中である…」

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内容説明
ふたりの原稿の下には「禁秘」がある。そこには毒が仕込まれている。出自にからむあれこれがあり、卑下のなかに虚栄が香り、したたかな戦略もまた見え隠れ。そうした暗部にためらわず手を突っ込み、つかみあげたい―。引用な模倣に目を配り、その有様を具体的に検証することから、創造の原理を考える。

目次
第1章 原稿の下に隠されしもの―遠藤周作から寺山修司まで(遠藤周作から;寺山修司へ)
第2章 無名時代の寺山修司―「チェホフ祭」に至るまでの文学神童の歩み(小学校時代(昭和十七年~二十三年)
中学時代(昭和二十三年~二十六年) ほか)
第3章 遠藤周作の秘密―年譜から見えてくるもの(秘密の真価;秘密の淵源 ほか)
第4章 測深鉛をおろす―遠藤周作訳『テレーズ・デスケールー』を繰る(惚れこんだ作品;愛人訳の背景 ほか)
著者等紹介

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原稿の下に隠されしもの 遠藤周作から寺山修司まで(久松 健一)笠間書院

遠藤周作と寺山修司。このふたりには共通点がある。履歴詐称と剽窃である。

後者については、盗作を大目に見られている点で共通している、という方がいい。ただ、程度問題として両者にはひらきがある。

遠藤の汚点は、『沈黙』まえがき中の書簡である。研究書の翻訳の引き写しなのだ。遠藤はこの点について頬かむりをしている。遠藤に余罪はないが、見ようによっては代表作の発想の源とも見なせる部分に問題があるわけである。このことはもっと広く情報公開されてよい。研究の進捗にもつながる。

一方、寺山の「盗癖」は有名だ。それなりに批判も浴びている。たとえば、

一本のマツチをすれば湖は霧  昭和16 

めつむれば祖國は蒼き海の上 同 

これは冨澤赤黄男かきお句集『天の狼』の二句。

マッチ擦るつかのま海に霧深し身捨つるほどの祖国はありや 昭和32 

こちらは寺山の代表作。

寺山の場合、この程度の類似は序の口である。自分が選者だった青少年誌への投稿から表現を平然と盗むなど、目に余る。

この不愉快な話題をとりあげる久松の姿勢は、深く考え抜かれている。剽窃は悪、という単純な正義感ではない。模倣こそ創作の根源、という原理にも与さない。久松はオリジナルとその模倣という二項間の問題と見えるものを、オリジナルに先行する作品、模倣作を真似た作品の連鎖の中に置き直す。そして個々の作品の価値を、その都度結果として生じる「オリジナリティー」に見る。類似作品群を、久松は「マトリョーシカ」に喩える。あの奇妙な魅力のあるロシア人形だ。

久松の見方の根底には、テクストは引用のモザイクであるという間テクスト性の理論(クリステヴァ)がある。が、久松の読みは理論臭のつよいものではない。むしろ地道な調査研究の実感に即している。

その頂点をなすのが、寺山の歌人としての公式デビューとなった、50首公募に応じた作品群『チェホフ祭』にまつわる謎の解明である。綿密に復元した原稿をベースとする多角的考察は、選者中井英夫らの思惑と天才少年寺山の出会いに秘められたドラマを、ときに大胆な想像をまじえて、立体的に再現していく。

先に履歴詐称と言ったが、寺山の場合、たとえば少年時代のボクシング経験なるものは虚飾のひとつだという。寺山には後年日本ボクシング界のスターたちと並んで撮った一葉の写真がある。久松は、そこに写る寺山のほんの小さな身ぶりから、ボクシング経験のないことを見抜く。名探偵ぶりに、鳥肌が立つ瞬間だ。

遠藤周作の「秘密」に迫って行くくだりでも、久松は社会派推理小説中の刑事も顔負けの粘り腰を見せる。種明かしはエチケットに反するので詳述は避ける。ただ、最終的に明かされる「秘密」は信仰に関わるものなので、ドロドロした実人生の秘密を期待すると肩透かしを食う。その点が惜しい、という感想を持ちかけた。

ところが、『テレーズ・デスケールー』遠藤訳の分析から日本語論へ、日本的宗教論へと考察が加速していくあたりから、本書は別の次元に達する。緻密にして大胆極まりない論の展開に、わたしは興奮を覚えた。

両人の研究者は必読。読書の楽しみをもとめる方なら、どなたにでも薦めたい。失望することはないはずだ。

高漂浪き

小社会 2/11

 水俣湾はどこまでも穏やかで水は澄んでいた。熊本県水俣市で以前、湾に臨む「エコパーク水俣」を訪れた時のこと。かつては水俣病の原因となった有機水銀にまみれた死の海だった。
 
 美しい親水公園への変わりように目を見はったが、公園はその水銀のヘドロを埋め立てて整備されたと聞いてもう一度驚いた。そこに立つ人はまがまがしい水俣病の歴史が、すぐ足元に埋もれていると感じるだろう。
 
 「水俣病? まだそんな昔話をしているのか」。そう思っている人もいるかもしれない。しかし患者認定に際し、国が厳格な基準に固執した結果、認定されない人たちの法廷闘争が続いている。本格的な健康調査も行われておらず、被害の全容さえ分かっていない。
 
 水俣病は終わっていない―。そう訴え続けた作家、石牟礼道子さんが亡くなった。「苦海浄土」では人間の命に加えられた耐えがたい苦しみを、語り部のように土着の言葉で紡いだ。
 
 「この世に罪というのがあるのなら、(水俣病について)知らんということが一番の罪」。作家が書き留めた患者の言葉一つ一つが、水俣病の風化への警鐘となろう。知らないことが罪なら、知ろうとしないこともまた罪だから。
 
 水俣の親水公園には、たくさんの小さな石仏が並んでいた。中には石牟礼さんの面影に似た童女の像もあった。「知ろうとする努力を続けてほしい」。そっと語り掛けてくるように思えた。

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地軸 2/11

 胸に迫り来る魂の言葉に初めて触れたときの衝撃が、忘れられない。水俣病に苦しむ人々の奪われた声に、懸命に耳を澄ましてつづられた「苦海浄土」。あくまでも弱い者の側に立ち、土地に根差して人間とは何かを問い続けた作家、石牟礼道子さんが逝った。

 水俣の美しい自然とともに育った。海の魚にも、空の鳥にも、道端の草にも呼びかける「風土を体現する精霊のような、内面の豊かな人たち」に囲まれて。

 そんな穏やかな暮らしが、近代化という名の経済至上主義に無残にも壊されていく。企業の垂れ流した水銀に命も自然も奪われ、水俣病の公式確認から60年以上たっても、救済からは遠い。

 「毎日毎晩、祈らなければ生きていかれんとばい」。そう言う患者が多いと、かつて石牟礼さんは語っていた。祈るのは自分のためだけではない。極限の痛みの中で、加害者も含めて「この苦しみは二度と人間に来ないよう、神に祈る」のだという。

 自然との共生を忘れた人間の原罪を問い、助け合って生きる―。新たな哲学が「一番受難の深い人たちから生まれつつある」。それを書きたいと前を向いていた姿を、今あらためて心に刻む。

 「水俣」は原発事故で苦悩する福島に通じる。東日本大震災後に詠んだ詩はこう結ばれる。「ここにおいて/われらなお/地上にひらく/一輪の花の力を念じて合掌す」。受難者の声を胸に、どう未来を築くか。重い宿題が残された。

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大自在 2/11

 水俣にただならないことが起きている-。猫やカラスの不審な死が相次ぎ、そのうち手足のしびれや痙攣[けいれん]の症状を訴える人が増え死者も出始めた。1950年代、熊本県水俣市で発生した奇病は後に「水俣病」と命名され、化学会社チッソの工業排水中のメチル水銀による中毒と分かる。

 「見届けたい」一心でひたすら土地を歩き、患者や家族、関係者の言葉に耳を傾けた。苦痛、恐怖、差別、迫害、死、絶望…。極限状態の患者らの実相を描いた大作「苦海浄土[くがいじょうど]」は全3部。完結までに足かけ40年をかけた。

 きのう、著者の石牟礼道子さんが亡くなった。水俣に寄り添い、環境と人間、自然と文明の在り方を問い続けた。それでもなお、水俣病という巨大な災厄の全体像はつかみきれず、解決の道筋も見通せない現実が横たわる。

 救済認定や賠償を求める患者らの訴訟は各地で起こされ、健康被害の影響調査も不十分な地域が残る。2年前、石牟礼さんは水俣病公式確認60年を振り返る講演会に病を押して映像で参加し「今からでも遅くない」と行政に全容解明を求めた。

 〈土と水と緑を自らの手で殺し続けて来て日本人はその罪にまだ気づかない。水の地獄がすぐ目の前にやって来ようとしているのに〉。エッセー集「花びら供養」(平凡社)の一編から引いた警句だ。

 昨年、水銀規制の国際取り決め「水俣条約」が発効。初の締約国会議で胎児性水俣病患者の坂本しのぶさんは、車いすに乗った身をよじりながら懸命に訴えた。「水俣病は終わっていない」。石牟礼さんの思いも同じだったろう。

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斜面 2/11

2013年夏、東京で開かれた社会学者鶴見和子さんをしのぶ会。作家石牟礼道子さんの願いに、隣り合わせた皇后美智子さまが応えた。「今度水俣に行きますよ」。熊本に戻った石牟礼さんは美智子さまへの手紙をしたためて送った。

〈もしお出になったら、ぜひとも胎児性患者の人たちに会ってくださいませんでしょうか。生まれて以来、一言もものが言えなかった人たちを察してくださいませ〉。天皇、皇后両陛下は10月に熊本を訪問。日程には急きょ非公式の場面が組み込まれた。

胎児性患者との面会である。熊本日日新聞によれば、58歳の男女2人が生い立ちや30代後半からの急激な体の変調による苦しみを、もつれる言葉で両陛下に語った。翌日、石牟礼さんはパーキンソン病のため入院していた病院から熊本空港に駆けつけ、帰京する両陛下を見送った。

代表作の「苦海(くがい)浄土(じょうど)」は水俣病の患者と家族の苦悩や怒りを描いた。1960年代後半には市民会議を結成。メチル水銀を含む工場廃液を水俣湾に垂れ流し続けたチッソの本社で座り込みもした。そのころ〈祈るべき天と思えど天の病む〉と詠んでいる

「病む」と告発したのは命や自然を犠牲にし国栄えた日本の近代だろう。その石牟礼さんが亡くなった。両陛下の公式行事は全国豊かな海づくり大会の稚魚放流だった。政治は水俣病を「過去」と印象づけようとしていないか。泉下から「水俣病は終わっていない」との声が聞こえてくる。

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卓上四季 2/11

水俣病研究の第一人者、故原田正純さんがまだ大学院生だった1960年ごろ、患者の家を訪ねる時に、いつも後ろからついてくる女性がいた。診察の様子を、黙って控えめに、寄り添うように見ている。作家の石牟礼道子さんだ(原田正純の遺言、岩波書店)。

その後も、水俣病患者をはじめ弱い者の側に寄り添った。患者と家族の苦しみや人間としての尊厳を描いた「苦海浄土(くがいじょうど)」には「決して往生できない魂魄(こんぱく)は、この日から全部わたくしの中に移り住んだ」とある。

「嫁に来て三年もたたんうちに、こげん奇病になってしもた」「うちは情なか。箸も握れん、茶碗もかかえられん、口もがくがく震えのくる」。熊本の土地の言葉で語られるのは、悲しみだけではない。「沖のうつくしか潮で炊いた米の飯の、どげんうまかもんか、あねさんあんた食うたことのあるかな」。その海が有機水銀で汚された。

親交のある評論家の渡辺京二さんが「苦海浄土」の解説で創作の秘密を明かしている。石牟礼さんは「あの人が心の中で言っていることを文字にすると、ああなるんだもの」と言ったという。患者の魂と一体となって紡いだ作品なのだ。

皇后美智子さまに「生まれて以来、一言もものが言えなかった人たちを察してくださいませ」と手紙で訴え、胎児性水俣病患者と面会してもらったこともある。

声なきものに、耳を澄ませ続けた生涯だった。

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中日春秋 2/11

「高漂浪き」と書いて「たかされき」と読む。熊本県水俣のことばだそうだ。何かの声や魂にいざなわれ、さまよい歩く。そんな意味らしい。

その作家はその地元の言葉についてこんな説明をしている。「村をいつ抜け出したか、月夜の晩に舟を漕(こ)ぎ出したかどうかして、浦の岩の陰や樹のかげに出没したり、舟霊さんとあそんでいてもどらぬことをいう」(『苦海浄土』第三部・「天の魚」)

水俣病患者の苦しみを描いた『苦海浄土』などで知られる作家の石牟礼道子さんが亡くなった。九十歳。その作品は水俣病への世間の注目を集めるきっかけとなった。

「高漂浪き」の人だったのだろう。米本浩二さんによる評伝の中に、こんな話があった。一九五八年、水俣病に関する熊本大学の報告書を読んで、まるでその苦しさが自分に伝わったかのように、しばらく寝込んでしまったそうだ。

人間の痛み、悲しみ、怒り。そういうしゃがれた声や叫びのする場所へと自然とさまよい歩きだし、声に触れ、痛みをわがもののように感じる。ときに死者の声さえ聞こえる。その心こそ作品にあふれる迫力と、不思議な透明感の秘密なのか。

「義によって助太刀いたす」。『苦海浄土』は弱い立場の人を助けたい一心で書いた。「高漂浪き」の義の人は今、どこをさまよっているんだろう。たぶん、人のすすり泣く声がするところである。

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余禄 2/11

「高漂浪(たかされ)き」とは何か。「狐(きつね)がついたり、木の芽どきになると脳にうちあがるものたちが、月夜の晩に舟を漕ぎ出したかどうかして、浦の岩の陰に出没したり、舟霊さんとあそんでいてもどらぬことをいう」

「苦海(くがい)浄(じょう)土(ど)」の一節という。魂が身からさまよい出て諸霊と交わって戻らないさまをいう方言らしい。著者の石牟礼道子(いしむれ・みちこ)さんは自分をこの高漂浪きだと言っていた。水俣病の患者らの話に引き寄せられて始まったその魂の漂(ひょう)泊(はく)だった。

「こやつぁ、ものいいきらんばってん、ひと一倍、魂の深か子でござす」。胎児性水俣病で口のきけぬ少年の祖父はそう語っていた。水俣病で亡くなった人、苦しみを語れぬ人との魂の交感を言葉に紡いできた石牟礼さんの旅である。

海と山のおりなす自然と暮らしの中で狐や舟霊、人から抜けた魂が行き交ったかつての水俣だ。その小宇宙を人間ともども破壊した近代産業の罪科を、過去の世界からさまよい出た魂のまなざしにより描き出した「苦海浄土」だった。

ものが言えないからこそ魂は深くなる。惨苦を生きる人にこそ聖なるものが宿る。深い悲しみから生まれる美しさがある--「物が豊かになれば幸せになる」という近代文明の傲慢(ごうまん)と恐ろしさを胸に染み入らせた石牟礼さんの文業だ。

東日本大震災この方その文学が再認識されたのも、富や力の左右する世界しか見えぬ昨今の精神の貧血状態からの揺り戻しではないか。石牟礼さんの旅立って行ったあの世が古き良き水俣に似ていればいい。

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石牟礼道子さんが死去 「苦海浄土」の作家

 水俣病患者の世界を描いた「苦海浄土」をはじめ、数多くの文学作品を通じて水俣病問題や近代社会のあり方を世に問い続けた作家の石牟礼道子(いしむれ・みちこ)さんが10日午前3時14分、パーキンソン病による急性増悪のため死去した。90歳だった。告別式は近親者で行う。喪主は長男、道生さん。

 1927年熊本県・天草生まれ。幼少期に水俣に移り住み、代用教員勤務や結婚を経て歌作や詩作を始めた。

 56年に公式確認され大きな被害が出ていた水俣病に衝撃を受け、68年に「水俣病対策市民会議」の発足に参加。69年には水俣病患者と家族を訪ね歩いた経験に基づいて「苦海浄土 わが水俣病」(第1部)を発表した。自身の思いや患者の一人称の語りなどを交えて公害の実態をえぐり出した作品として注目され、70年の第1回大宅壮一ノンフィクション賞にも選ばれたが受賞を辞退した。

 「苦海浄土」は第2部「神々の村」と第3部「天の魚」で完結。他にも「流民の都」など水俣病をテーマにした文学作品を精力的に発表するとともに、患者らに寄り添った支援活動を続け、水俣病被害者の精神的支柱であり続けた。

 現代の文明がもたらす矛盾に強い関心を抱き、漁民らの豊穣(ほうじょう)な生のありようを描き出すとともに、精霊や動物が生き生きと語る神話的な作品世界を通じて、現代社会の問題点に鋭く光を当てた。小説のほか詩歌やエッセー、新作能など創作の幅は広く、多くの作家や思想家にも大きな影響を与えた。

 73年に水俣病関連の一連の作品でフィピリンの「マグサイサイ賞」を受賞したほか、2003年に詩集「はにかみの国」で芸術選奨文部科学大臣賞を受けるなど受賞多数。07~11年に作家の池澤夏樹さんの編集で刊行された「世界文学全集」には、日本人の作品として「苦海浄土」が唯一収録された。

 晩年はパーキンソン病を患って闘病生活を送りながら、執筆活動を続けていた。

五輪開幕



「虹と雪のバラード」

歌:トワ・エ・モア
作詞:河邨 文一郎 作曲:村井邦彦

虹の地平を 歩み出て
影たちが近づく 手をとりあって
町ができる 美しい町が
あふれる旗 叫び そして唄

ぼくらは呼ぶ あふれる夢に
あの星たちの あいだに

眠っている 北の空に
きみの名を呼ぶ オリンピックと

雪の炎に ゆらめいて
影たちが飛び去る ナイフのように
空がのこる まっ青な空が
あれは夢? 力? それとも恋

ぼくらは書く いのちのかぎり
いま太陽の 真下に

生まれかわる サッポロの地に
きみの名を書く オリンピックと

まれかわる サッポロの地に
きみの名を書く オリンピックと

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小社会 2/10

 冬季五輪と聞くとこの歌を思い出す、という方も多かろう。♪町ができる 美しい町が あふれる旗 叫び そして唄…眠っている北の空に きみの名を呼ぶ オリンピックと。
 
 1972(昭和47)年の札幌五輪のために作られた「虹と雪のバラード」。美しいメロディーにのせてフォークデュオのトワ・エ・モアが歌い大ヒットした。歌詞の通り新しいビルが建ち、地下鉄が走り、地下街ができた。五輪を機に札幌は大都市に生まれ変わった。
 
 右肩上がりの時代ではなくなった今は、喜んでばかりもいられない。近年の開催地では巨費を投じた施設を維持できなくなり、「不良債権化」するケースが少なくない。スポーツと政治とを切り離して考えることも難しい。
 
 開幕した韓国・平昌(ピョンチャン)冬季五輪。北朝鮮の参加で、南北融和の期待と五輪の政治利用への懸念が交錯する。北朝鮮からの渡航禁止制裁を解くなど「特例」も目立つが、なし崩し的に無理を通し、道理を引っ込めてはいけない。
 
 あれこれ考えると、気分がもやもやしてくる。そんなときこそ五輪の原点を思い出そう。国と国との争いでも、国威発揚の場でもない。雪原で、氷上で、人間同士が能力の限界を競い合う。その真摯(しんし)な姿に声援を送りたい。
 
 98年の長野五輪からは、学校ごとに参加国を応援する「一校一国運動」も始まった。五輪は子どもたちが世界と出合い、身近に考える大切な場でもある。

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水や空 2/10

体育ではなくスポーツを。日本サッカー協会の元会長で、1年前に85歳で亡くなった岡野俊一郎さんには持論があったという。体育は明治初期、兵を育てようと教育に組み込まれた。そこへいくとスポーツは遊びだ、いそしむべきはスポーツに限る、と。

「戦後の何もない時代を見た僕にとって、1964年の東京五輪は世界平和を肌で感じる大会だった」とも語っている。胸躍る、輝かしいもの。戦争から遠いもの、遠くあるべきもの。「遊び」の含む意味だろう。

80年モスクワ五輪は米国も日本も「西側」はそろってボイコットした。あらがえなかったのを悔やみ、日本オリンピック委員会の独立に動いたという。痛恨事の傷はどんなに深かったろう。「スポーツが政治や外交と無関係なわけがない」と言い切った。

「政治五輪」の別称を伴って韓国・平昌五輪が開幕した。やおら参加を宣言して話題をさらい、対話を求める韓国を抱きかかえ、米国や日本と切り離す腹づもりだろう-と、北朝鮮に疑いの目が向けられながら。

岡野さんの言葉を借りれば、五輪も多かれ少なかれ政治の色を帯びるものだが、悲しいかな、今大会はその極みかもしれない。

それでも目は、つい競技に向く。胸躍る「遊び」と、「北」の危ない火遊びと。どうやら目移りの激しい五輪になる。

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越山若水 2/10

古代ギリシャの詩人ピンダロスはオリンピック祝勝歌を数多く作ったことで知られる。紀元前776年開催の最初のオリュンピア祭をたたえる名詩歌も残している。

「オリュンピアほど偉大な競技会はない」と詩人は称賛する。最も大切な基本元素の水や高価な黄金、さらに全ての星より明るく輝く太陽にも匹敵するという。

そして「オリュンピアの栄光はあらゆる競技を影に追いやる」と続ける。祝勝歌を詠んだ本人でさえ、参加する選手のひた向きさや生命の躍動感に輝きを見ていた。

競技会の勝利は個人に名声を、故郷に栄誉をもたらしたが、オリーブの冠以外に賞品はほとんどなかったらしい。この歴史からオリンピックは公平・公正なスポーツの祭典として今も評価されている。

お隣韓国できのう平昌冬季五輪が開幕した。五輪の理想と現実にギャップがあることは重々承知しているが、今回は「南北融和」の名の下、政治色が前面に出てウンザリだ。

北朝鮮の参加や合同チームはまだしも、国家芸術団や美女応援団を派遣して和平ムードを演出。一方で直前に軍事パレードを強行して世界を威嚇(いかく)する。

北の政治ショーに加え、56豪雪以来の白魔襲来もあって気分的に盛り上がりを欠く。それでも五輪の真の主役は若き選手たち。日本からも雪と氷の精鋭が大舞台にチャレンジする。その輝きをしかと見届けたい。

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日報抄 2/10

南風を受けるように広げた衣装が印象に残る曲だった。ジュディ・オングさんの「魅せられて」が耳の奥に流れる気がする。葛西紀明選手のジャンプが独特だ。助走から鋭く飛び出すと、マントを広げるごとく両手を開く。

両手のひらも広げ、脚も大きくV字に。こうして風をとらえる面積を貪欲に求めれば、ブレーキにもなりかねない。それでも板を開く。上半身をせり出す。美しい。恐怖心と背中合わせの美しさである。その勇者の視線を借りたなら…縮み上がって目を閉じるだけだろう。

今年もカサイがやってきた-。各国のジャンプ会場でそう紹介されるようになったのは、30代半ばを過ぎたころから。飛び続ける人生に誰もが「魅せられて」なのだ。

喝采が似合う男が平昌を飛ぶ。予選から果敢な前傾を見せた。あの飛型は、成長を追う姿そのものだ。日本選手団を引っ張り、見る者のハートも引っ張り、飛んでいく。

心が乱れなくなったのは37歳のころ。「やっと大人になったかな」と語った。謙虚な人だ。41歳になっても「ワールドカップで450試合近く戦ってきて、たったの16勝。本当に悔しい思いばかり」。500試合に達してようやく、着地がうまくなったと自分を褒められるようになった。

円熟というものにゴールはないのだと教えてくれる。8回目の五輪に45歳で臨む。成長一直線の鳥人からすれば、まだ45なのかもしれぬ。最年長、最多出場のベテランが「最強」の称号が待つ表彰台へ、今晩も飛ぶ。くぎ付けだ。

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斜面 2/10

朝鮮半島を描いた「統一旗」を先頭に韓国と北朝鮮の選手が入場すると開会式会場に大歓声が響いた。合同行進はシドニー五輪から始まったものの関係悪化で中断、11年ぶりの復活である。両国の男女で旗手を務める原則も生きていた。

 人気ドラマ「冬のソナタ」のロケ地として知られる平昌(ピョンチャン)は軍事境界線に近い“分断の地”にある。15年前、最初の招致で先頭に立ったのが融和政策に熱心な盧(ノ)武鉉(ムヒョン)大統領だった。「世界の人々が南北平和の仲介者になる祭典にできる」とアピールした。

 当時、側近として政権を支えた文在寅(ムンジェイン)大統領は、その志を受け継ぐ。二人は人権派弁護士として事務所を開き、強権政治と闘った同志だ。盧氏は大統領退任後、不正資金疑惑の渦中で自殺した。理想は高くとも力が足りず現実の壁を越えられなかった―。文大統領はそう総括した。

 世界の若者らが国や人種に関係なく競い合う「平和の祭典」に政治色は似合わない。けれど国際政治に揺さぶられたのが歴史でもある。国家にとって対外宣伝や国威発揚の手段としての意味は大きい。今度も北朝鮮の政治ショーとなる心配がつきまとう。

 去年、盧氏の追悼式で「再び失敗はしない。成功した大統領になる」と決意を語った文大統領。だが、核・ミサイル開発をやめず、軍事パレードで力を誇示しながら五輪で対話姿勢を演出する北朝鮮は一枚も二枚も上手に見える。南北平和につなげるという出発点の夢に近づけるだろうか。

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三山春秋 2/10

 平昌冬季五輪はきのう、華やかに開会式が行われ幕を開けた。2006年トリノ冬季大会以来となる韓国と北朝鮮選手の合同入場行進は、平和な社会の推進を目指す五輪の役割を発信した。

 一方で北朝鮮はおととい、朝鮮人民軍創建70年の記念日を迎え、軍事パレードを実施。世界が注目するスポーツの祭典の陰に、国際的な制裁強化に対する水面化の駆け引きが透けて見える。

 過去の五輪で数多くのメダルを獲得してきたロシアは、組織的なドーピングで国としての大会出場が許されなかった。個人資格を認められた選手が国旗や国歌を使えない「ロシアからの五輪選手(OAR)」として臨む。

 平昌大会にはOARを含め冬季五輪史上最多の92カ国・地域から2900人超の選手が参加。25日まで7競技102種目で熱戦が繰り広げられる。

 群馬県関係はスピードスケート・ショートトラックの坂爪亮介選手(タカショー、太田工業高出身)、スピードスケートの土屋良輔選手(メモリード、嬬恋高出身)と佐藤綾乃選手(高崎健康福祉大)、フリースタイルスキーの山本泰成選手(尾瀬スノースポーツクラブ)が出場。活躍が期待される。

 今大会もたくさんの感動が生まれるはずだ。すぐには実現しなくても、五輪旗の下に集うアスリートが五つの大陸の団結と和平のために大きな力になると願っている。

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あぶくま抄 2/10

 いわき市役所ロビーにある聖火リレーのトーチが目を引く。1964(昭和39)年の東京五輪で採用された西郷村の日本工機白河製造所の製品だ。「2020年は被災地を巡ってほしい」。リレー誘致を目指す市が設置した。

 今秋には機運を盛り上げるため、広野、楢葉の2町と連携し被災地復興トーチリレーを催す計画だ。3市町の小中学生が6号国道久之浜バイパスなど海に面した道路を走り、復興をアピールする。2町にまたがるJヴィレッジをスタートし、市役所本庁舎にゴールするルートを想定している。

 震災から丸7年を控え、被災地は復興に向け歩みを進める。沿岸部の土地区画整理事業や防潮堤建設…。サッカーの国際練習場だったJヴィレッジも今夏、ようやく芝生のピッチやホテルが再開し、来年春には本格オープンする。JR常磐線の新駅も整備される見通しで、スポーツ合宿誘致や観光誘客に弾みがつくだろう。

 平昌[ピョンチャン]冬季五輪が開幕した。日本勢の活躍から目が離せない。東京五輪を思うと、多くの観光客が訪れ、世界の注目を集める日本が目に浮かぶ。震災前より輝きを増した被災地を聖火がさらに明るく照らしているに違いない。

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北斗星 2/10

「笠谷のジャンプ」。そう叫んで前傾姿勢になると、友達が後ろからベルトをつかんで支えてくれた。札幌冬季五輪70メートル級ジャンプで笠谷幸生選手ら日本勢が表彰台を独占し「日の丸飛行隊」とたたえられた時、小学校ではやった遊びだ。

一昨日の平昌冬季五輪ジャンプ男子ノーマルヒル予選で、ベテラン葛西紀明選手(45)らをテレビで応援していて46年前の札幌大会を思い出した。かつてのジャンプはスキー板をそろえて飛ぶフォームだった。ヘルメットではなく毛糸の帽子で競技していたのも懐かしい。

12年前のトリノ大会で金メダルを取ったフィギュア女子の荒川静香選手も印象深い。つま先を180度開き、上体を優雅に反らす「イナバウアー」はその年の流行語になり、子どもたちはこぞってまねをした。

笠谷選手のメダルは日本の冬季五輪史上初の金。荒川選手の金はトリノ大会唯一のメダルだった。日本勢が獲得したメダルは前回ソチ大会まで45個に上る。記憶に残るシーンは世代によってさまざまだろう。

平昌大会の開会式が昨夜行われ17日間の祭典が開幕した。日本勢、とりわけ本県出身選手の活躍が期待される。男女バイアスロンに夫婦で出場する立崎幹人(29)、芙由子(29)の両選手が存分に力を発揮できるよう応援したい。

隣国開催とあって時差がなく、寝不足にならずにテレビ観戦できるのがなによりうれしい。現地は厳しい寒さのようだが、それに負けずに繰り広げられる熱い戦いを楽しもう。

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天地人 2/10

 韓国・平昌(ピョンチャン)五輪がついに幕を開けた。昨夜の開会式を楽しんだ県民も多かったに違いない。歴史を振り返り過去から未来へとつなぐ、空間を存分に生かした光と音の演出は素晴らしかった。南北合同行進で、統一旗を手にした選手たちはみな笑顔だった。「平和」の2文字が心に響いた。

 そして式典のクライマックスは聖火の点火。最終点火者は誰か。ぎりぎりまで秘密のベールに包まれ、知らされていないだけにワクワク感は半端ではない。

 女子アイスホッケー南北合同チームの選手2人が聖火台へ。最後に登場したのは、やはりこの人。バンクーバー冬季五輪女子フィギュア金メダリストの金(キム)妍児(ヨナ)さんだった。スケート靴を履いて白いワンピース姿で舞った後、点火すると会場は一気に盛り上がった。

 これまで政治の話題が先行していたが、開会式を機に祭典ムードは高まるだろう。競技も本格的に始まる。女子アイスホッケーの中村亜実選手(八戸市出身)、バイアスロンの立崎幹人選手(野辺地高出)ら県勢はもちろん、JAPANの活躍に大いに期待したい。

 幸い日本とは時差がなく、時差12時間と昼夜が逆転したリオ五輪(2016年)のように、寝不足になる心配はなさそう。「高梨、リベンジの金」「絶対女王、小平金」-こんな見出しが本紙を飾り、感動と興奮で眠れなくなるのは、むしろ大歓迎だ。

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河北春秋 2/10

寒い季節や病で床に伏したとき、よく思い出す。<遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけむ 遊ぶ子どもの声聞けば わが身さへこそ動(ゆる)がるれ>。平安時代後期の歌謡集『梁塵(りょうじん)秘抄』に収められている。

「子ども」を「選手」に置き換えてうたってみる。躍動する姿が目に浮かび、心が揺り動かされないわけがない。何だか体もうずうずしてくるではないか。見る者をも楽しませるというスポーツの魅力がそこに潜んでいる。

平昌冬季五輪はきのう夜に開会式があり、開幕した。4年に1度の大舞台だから、観戦者は選手の表情の奥に情念や物語をつい探してしまう。懸ける意気込みが伝われば伝わるほど、韓国と日本、平昌と東北の距離が縮まる。オリンピックとはやはり政治や国境を越えていく。

フィギュアの羽生結弦選手(ANA、宮城・東北高出)は東日本大震災後、リンクに臨む心構えをこう言った。「責任感も出てきた。見た人が喜んだり頑張ったりしてくれるなら最高だけど、まずは勝つことを優先する」と。演技を通じて被災者への力強いメッセージがきっと今回も届く。

室町時代の『閑吟(かんぎん)集』に<一期は夢よ たゞ狂へ>という小唄がある。全ての選手は思いを抱きながら、遊ぶように競ってほしい。身も心も躍る17日間である。

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風土計 2/10

「彼らなら、大丈夫」と思いながらもハラハラドキドキしてテレビ観戦したのは、やはり五輪という大舞台だからだろう。平昌(ピョンチャン)冬季五輪、日本選手団の先陣を切った8日のジャンプ男子ノーマルヒル予選を見た。

出場57人中50人が本戦進出だから、本県出身の小林潤志郎、陵侑(りょうゆう)兄弟は実力を出しさえすれば突破だ。とはいえ何が起きるか分からない。午後9時半からの競技は、1回のみの飛躍で順位を決めて約1時間後に終了。ホッとして床に就いた。

本戦は今夜9時半ごろ始まる。1回目の上位30人が2回目を飛ぶから2時間近くかかる。悪天候ならさらに延びる。いずれ、夜遅くまで応援だ。それにしてもなぜ深夜なのか。もっと早い時間でもよさそうだが。

テレビ放映権が背景にあるという。時差のある欧米での視聴を優先した時間帯だ。フィギュアスケートやスノーボードは、人気の高い米国のゴールデンタイムに設定され、午前から昼すぎにかけて競技が行われる。

逆に、欧州で人気のあるジャンプやスピードスケートは、いつもと異なり夜遅くの実施だ。苦労するのは選手で、勝手が違う調整は難しいのではないか。選手優先はどこに…。深夜の終了だと現地応援団の移動も大変だろう。

まあ、テレビなら夜は眠気を吹き飛ばせばいいだけだ。さて、今後の日程をチェックするとしよう。

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凡語 2/10

平昌冬季五輪が開幕した。北朝鮮参加をめぐる政治的なニュースが目立ったが主役は選手だ。最多の92カ国・地域中、初参加は6カ国。クロスカントリーやボブスレーなどに挑む。

「私たちのような小さな国でも五輪のチャンピオンになれると、祖国の若者に見せられた」。2年前夏、初参加国だったコソボ代表としてリオデジャネイロ五輪の柔道女子で優勝したケルメンディ選手の言葉を思い出す。

10年前に独立したが、内戦で荒廃した国を立て直し、国際社会に認められるまでは苦難の連続だった。彼女の涙には万感の思いが詰まっていた。

今回、カナダで生まれ育った男子選手が両親の祖国エリトリア初の代表としてアルペンに出場する。エチオピアと30年の戦争を経て1993年に独立が承認された。独裁政権による人権侵害や難民流出など、今なお深刻な問題を抱える国だが「自分のルーツと遺産を継承できることが誇り」とカナダのテレビ局に熱く語っていた。

さまざまな背景を持つ選手たち。大半はメダルに縁がないが、国の利害を超えて全力で戦う姿に人は感動する。日本人はメダルの数にこだわりすぎではないか。

重要なことは勝つことではなく参加すること-。近代五輪の父クーベルタンが語ったとされる言葉の意味を改めて思い起こしたい。

入試問題

中日春秋 2/10

<なぜ、しま模様のある動物がこれほど多いのか?><なぜライオンには、たてがみがあるのか?>。これらはいずれも、英国の名門オックスフォード大学の生物学の入試問題だ。

この大学は入学試験で一万人の受験生一人一人を複数の教官で面接し、適性を丁寧に見極めるそうだが、その口頭試問で出される問題が実にユニークなのだ。

たとえば法学の問題は<駐車違反の罰を死刑にしたら誰も違反しないようになった。そのような法は、公正、有効といえるか?>。歴史学では<歴史上の人物にインタビューできるとしたら、最も話を聞きたいのは誰か? また、その理由は?>

丸のみしただけの知識は役に立たず、何が問題なのかを根本から筋道を立てて考え、そうして得た答えを、自ら批判的に検証する力も問われる。ある卒業生は自分の体験をこう話してくれた。

「正解できるかどうかが問われるのではないのです。誰も<これが正解だ>と断言できぬような問題ばかりですから。教官たちとやりとりを重ねるうちに、自分の当初の考えに間違いがあると思ったら、なぜ誤ったかを、きちんと分析する。そんな姿勢が評価されるのです」

破綻があらわになっても、ひたすら「国策」を推し進める官庁。書類を改ざんしてまで過ちを隠す一流企業…。「無謬(むびゅう)病」が蔓延(まんえん)するこの国に必要なのは、こういう入試かもしれぬ。


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内容説明
イギリス流の、ほんとうの賢さとは何か?世界トップ10に入る両校の入試問題ではこんな超絶な思考実験が行われている!さあ、あなたならどう答える?どうしたら合格できる?難問奇問を選りすぐり、ユーモアあふれる解答例をつけたユニークな1冊。

目次
ケンブリッジ大学“法学”あなたは自分を利口だと思いますか?
オックスフォード大学“物理学”蟻を落とすとどうなりますか?
ケンブリッジ大学“コンピューターサイエンス”棒高跳の世界記録はなぜ六・五メートル程度で、なぜ破られないのですか?
オックスフォード大学“法学”過去に戻れるとしたらいつにしますか、またそれはなぜですか?
オックスフォード大学“哲学、政治学、経済学”あなたはクールですか?
オックスフォード大学“古典学”もし全能の神がいるとしたら、彼は自身が持ち上げられない石を造ることができるでしょうか?
ケンブリッジ大学“医学”自分の腎臓を売ってもいいでしょうか?
ケンブリッジ大学“哲学”精神病質者(しかも、殺人だけが唯一の楽しみである患者)に、自分は好きなだけ人殺しができる現実世界にいると信じてしまうようなバーチャルリアリティを創出する機械を使わせることは、道徳的に問題ないでしょうか?
ケンブリッジ大学“社会学、政治学”肥満の人もNHS(国民健康保険制度)の無料医療サービスを受けていいでしょうか?
ケンブリッジ大学“工学”なぜ、昔、工場の煙突はあれほど高かったのですか?〔ほか〕

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オックスフォード&ケンブリッジ大学 世界一「考えさせられる」入試問題 

ジョン・ファーンドン 小田島恒志・則子訳 

頭の柔軟さ、回転の速さを試す難問奇問が勢ぞろい

 面白い本があるものだ。原題は「あなたは自分を利口だと思いますか?」(Do You Think You're Clever?)。日本語のタイトルは少し意訳されている。
前書きで本書の意図が説明される。「この本は解答付き問題集である。もちろん、すべて、オックスブリッジ(オックスフォード大学とケンブリッジ大学)の入試の面接官が出した悪名高き難問奇問から選りすぐった。質問の主旨は。大学側が本当に賢い学生を、つまり当意即妙の応対ができる学生を見つけることにある。両大学の問題がほかとちがって特別なのは、すばらしく思考力を刺激する点である」。

 「私たちは人生の大半をあまり考えもせずにぶらぶらと過ごしていく。実際、考えなくてもやっていける。知識と経験のストックがあるから、普段は最小限の努力をするだけで自動的に反応や応答ができ、しかもその自動的な反応や応答でたいていの場合は用が足りる。しかし、本書に載せた質問だとそうはいかない(中略)すべてに共通して言えるのは、考えなくてはいけないということだ」。

 収録されているのは全部で60問。すべてオックスブリッジの口頭試験の問題で、実際に面接官が受験生に尋ねた質問だ。

 原題となった「あなたは自分を利口だと思いますか?」というのも実際にケンブリッジ大法学部で出た質問だという。ちなみに解答はすべて著者による独自の解答案だ。著者のファーンドン氏もケンブリッジ大の卒業生で著述家だという。科学に造詣の深い人で、時事問題から科学のさまざまな問題まで、あらゆる分野に何百冊もの著作があるという。その博学、博識ぶりには圧倒されてしまう。

 「あなたは利口?」の質問に、筆者は「実に意地悪な質問である! 謙虚に『いいえ』と答えたら、その言葉通りに取られて、オックスブリッジへの入学は断られるかもしれない。何といってもここは利口な人間だけが入学を許可される大学なのだから(と、世間ではそう言われている)。だからといって、『はい』と答えたら自分は正真正銘の馬鹿であると言っているようなものである」と突き放す。

 筆者は古代ギリシャのアリストテレスが言ったという「利口とは物事を遂行する方法を見つけ出す能力に過ぎず、人徳を伴っているかどうかは関係ないそうだ」という見方を引用する。プラトンも「無知は悪だが、怖くも並外れてもおらず、最大のものでもない。しかし、大いに利口でものをよく知っているということは、それに善行が伴わない限り、無知よりはるかに大きな不幸である」と辛辣な言葉を述べたそうだ。

 いくらケンブリッジを受ける秀才でも、ここまで知っている受験生はほとんどいないと思う。こう述べたうえで、筆者は「以来、利口には狡猾と大法螺(おおぼら)が表裏一体となった胡散臭い特性であるとのイメージがつきまとった」と皮肉たっぷりだ。

 「というわけだから、利口ですと答えたら、私は狡猾です、あるいは法螺吹きです、と公言したのと同じことになるーーいや、馬鹿ですと言ったも同然かもしれない。なぜなら、賢明な人間なら自分を利口だとは思わないだろうし、本当に利口な人間なら自分は利口だとは人前では言わないだろうから」とたたみかけていく。

 何とあまのじゃくな人かとあっけにとられていると、「かの才人オスカー・ワイルドでさえ、自分の利口ぶりを話すには自嘲気味のウィットにくるまなければならなかったーー『私はあまりに利口だから、時として自分が何を言っているのかひと言も理解できなくなる』。もしかしたら、これが質問の答えとしては完璧かもしれない」。

 ウーンとうなってしまう。ペーパーテスト中心の日本の大学入試でよかったな、と心底思った。評者もこれまでいろいろな試験を受けてきたし、新聞社では毎年、何度も面接要員として駆り出されていた。多くの場合、3人で1人を面接し、評価するが、「学生時代どういった活動をしていましたか」とか「この会社でどういった仕事をしたいと思いますか」といった陳腐な質問が多く、被験者の人物を見抜くのは至難の技だった。不十分な面接で志望動機があいまいな若者を向かない仕事に招き入れた、と反省している。

 「あなたは利口だと思いますか?」と聞いていれば、もう少し相手のナマの反応を見ることができたかもしれない。多くの受験者は当惑したか、馬鹿にされたと思って怒り出しただろうが。

 この節の最後で、筆者は助け舟を出す。「いろいろ言ったが、もちろん、『はい、私は大学側の望む程度には利口です』と答えたうえで、さらに一歩すすんで、シラノ・ド・ベルジュラックがそのデカ鼻を褒め称えてみせたウィットに劣らぬウィットを発揮して威風堂々と自分の利口ぶりをアピールしてみせたら、面接官も深く感銘を受けるかもしれない」。

 イギリス人というと思い出すのは遠い昔、ヨーロッパへの出張で、パリからロンドンにエールフランスで移動した時、昼食に配られた小さなワインボトルを開けようと悪戦苦闘していた時、隣にいたイギリス紳士が「フランス人はワインをつくるのは上手だけど、ボトルの栓をつくるのは下手くそなんだよね」と言った。そのタイミングの良さに思わず吹き出して、2人で大笑いした。

 2節目はオックスフォード大物理学部の問題。「蟻を落とすとどうなりますか?」。

 「この質問にはあらゆる答え方が考えられるーー人間味あふれるユーモアたっぷりの解答から、馬鹿みたいにくだらない解答や、壮大な実存主義的な解答に至るまで。しかし、これは物理学の問題だから、蟻の落下に関する科学的考察に的を絞るのが賢明だろう」。

 「となるとまず考えられる答えは、羽のない種類の蟻は飛べないから地面に落ちる、である。しかも、蟻と地面の間に働く相互引力によって加速度を増しながら、ペシャッ。しかし、それだけではない。蟻はあまりにも小さくて軽いので、落下途中で空気の抵抗を受け、(中略)落下速度はかなり遅くなる。スカイダイビング中の人間の最高速度、つまり終端速度は秒速五十~九十㍍程度だが、たいていの蟻は軽いのでゆっくりと緩やかに地面に舞い降り、落下速度や落下の衝撃によって命を落とすことはない」。これはかなり常識的な解答だと思うのだが。

 6問目はオックスフォード大の古典学の問題。「もし全能の神がいるとしたら、彼は自身が持ち上げられない石を造ることができるでしょうか?」。

 「これは古来、神学者や哲学者が問いかけ続けている質問だが、そのたびに神に関する前提に疑惑が生じてきた。『石の逆説』と呼ばれている。この質問では論理上、神は全能ではない、そしておそらく存在もしないと言っていることになる。論点は、神は自身が持ち上げることのできない石を造れるかどうかということだ。もし造れるとしたら、その石を動かせないのだから全能ではないということになる。もしそのような石を造れないとしたら、できないことがあるのだから、やはり全能ではないことになる」。

 神学者や哲学者たちは何百年もこの質問を繰り返し、真剣に考えてきたのだという。

 だが、神学者ではない筆者は「実はこれは撞着表現を使っているだけで、逆説ではない。全能者によって動かせない石など端(はな)からあり得ないのだから、四角い円とか、既婚の独身男性とか、日の照っている夜とか、雨の多い砂漠などと同じだ。この質問は、最初から意味がないのである」とにべもない。

 7問目はケンブリッジ大医学部の出題で、「自分の腎臓を売ってもいいでしょうか?」。
 
 かなり以前のことだが、ヨーロッパの臓器移植の取材でケンブリッジ大病院を訪ねたことを思い出した。肝臓移植の取材だったが、日本人医師が留学中で、いろいろと便宜を図っていただいた。

 心臓や肝臓、膵臓の移植は脳死段階での臓器摘出が必要で、脳死が法制化されていなかった当時は日本でこうした移植は行われていなかった。法整備が進んだ現在も、脳死移植はそれほど実施されてはいない。一方、生体腎移植は当時から多く行われていた。人工透析に入ると、一生透析を続けなければならない。食生活の制限も厳しく、移植を希望する人が多い。腎臓は心臓が止まってからでも移植が可能だが、提供される臓器は多くない。というわけで、日本では近親者から提供を受ける生体腎移植が主流だ。これには厳密な提供者の同意が必要だが、途上国では金銭を目的に2つある腎臓の1つを売る人が絶えない。日本では厳しく禁止されているが、残念ながら日本人でも海外で腎臓移植を受けて帰国する例がままある。

 この問題に対し、筆者はいろいろな実例や意見を紹介したあと「ここでは私の話ではなくて、一般の話だから、きっぱり『ノー』と答えなければいけないだろう。(中略)良い悪いの問題ではない」という。

 評者には純粋に科学的な問題が数多く出題されているのも興味深かった。

 オックスフォード大の物理学、哲学部では「もしこの紙を無限回数折りたたむことができるとしたら、何回折れば月に届くでしょうか?」という問題が出た。

 この場合、地球と月までの距離と紙の厚さが問題になるが、月までの距離は約40万㌔弱、紙の厚さは約0.1㍉とすると、43回ほど折ると月に達するという。「計算機を使わずに計算しろと言われたら少し時間がかかるだろうが、私はたまたま地球から太陽までは51回折れば到達することを知っていて、さらに太陽は地球と月の距離の四百倍程離れていることも知っていたので、月までは太陽より八回か九回少なく折るだけで到達するとすぐに計算できた。このことを知らなくても、ほんの少し頑張って計算すれば答えは出るだろう」。
 
 こうした数字をそらんじる筆者の博学、博識には驚くほかない。0.1㍉X2の43乗というのは計算機を使わないとちょっと大変な計算だろうと思うが。

 もちろん実際の紙はいくら薄くても無限に折りたたむことはできない、かつては1枚の紙は7回か8回しか折りたためないと言われていたそうだが、2002年1月にアメリカの女子高生が「薄い金箔を十二回折りたたんでみせたが、それは紙ではないと反論されたので、次に、みごとトイレットペーパーでも同じ回数おりたたんでみせた」という。彼女はこの成果で数学の特別単位を授与されたという。

 これもウーンとうなるほかない。オックスフォード大の口頭試問に挑戦した受験生は汗をかきながら、紙と鉛筆で計算したのだろうか。それとも、筆者のようにさっと正解を言い当て、試験官を驚かせたのだろうか。正解よりもそちらの方が気になってくる。

 次もきわめつきの難問だ。ケンブリッジ大工学部の出題。「もし、地面を地球の裏側まで掘って、その穴に飛び込んだらどうなりますか?」。受験生は戸惑いつつも、どういう答えをひねり出しただろうか。

 これもなかなかの難問だと思う。ケンブリッジ大医学部の出題。「あなたは自分の頭部の重さをどのように量りますか?」。

 もちろん、頭を切り離すわけにはいかないので、頭をひねるしかない。「最良の測定方法は、大凡(おおよそ)の値が出るいくつかの方法を試して、その平均値をとることである。まず、全身の体積を測るために、頭まですっぽり入れる大きさの浴槽に水をはる。最初の水位に印をつけ、浴槽に入って水面が完全に静まるのを待ってから静かに頭まで完全に、短時間沈む」。その水位を測ると最初の水位との差が体の体積となる。「だが、これは大凡の測定値に過ぎないから、何度か繰り返してその平均値をとることで誤差を少なくする」。次に同じ方法で頭部の体積を測る。「つまり頭を水に突っ込む」。

 「最後に正確な体重計で体重を量る。そして、頭部と身体の体積比から頭部の重さを算出する」。模範解答がないのでわからないが、この問題はどこまでの正確さを求めるのだろうか。それによっても解答は変わってくる。ただ論理的な思考法を求めるだけなのだろうか。

 これもきわめつけの難問だと思う。オックスフォード大実験心理学部は「カタツムリに意識はあるでしょうか?」と出題した。これは意識をどう定義するかということだ。医学部では「人はいつ死んだことになりますか?」という問題も出題した。これも医学上の問題と答えるだけでは十分ではないのだろうか。

 もし受験生に中国人がいたらどうしたかと心配になるのはケンブリッジ大東洋研究部の出題だ。「毛沢東主席は今日の中国を誇りに思っただろうと思いますか?」。

 ケンブリッジ大医学部では「火星人に人間をどう説明しますか?」といういじわるな問題も出されている。これもウーンと考え込んでしまいそうだ。人によって説明は大きく異なるはずだが、筆者は「私ならまず、人間の体の大本の説明からはじめる」という。進化の歴史や身体の構造、意識の様子などを説明するということのようだ。これを火星人が理解してくれるかどうかはまったくわからない。そもそも火星人がどういう生物で、彼らとどうコミュニケーションをとるかのも大変な難題なのだが。

 個人的に面白いと思ったのはオックスフォード大人文科学部の「なぜ、進化論を信じるアメリカ人はこれほど少ないのでしょうか?」という質問だ。これは評者もアメリカ在勤時代から強く疑問に思っていた。アメリカが世界最大の科学技術大国であることは疑いがない。毎年、発表されるノーベル賞の自然科学部門を総ざらいしてしまう年も少なくない。ところが驚いたことに、「最近の調査によると、アメリカ人の半分以上が進化論を完全に否定している。事実、アメリカとヨーロッパ三十二カ国とトルコと日本で行われたある調査によると、アメリカは進化論を受け入れる人の数がトルコの次に少なかった。さらに、ダーウィンの自然淘汰の理論(中略)、これを受け入れるアメリカ人は人口の十四パーセントにまで減ってしまう。科学者たちがこうした考えを受け入れるようになってから、ほぼ百年にもなるというのに」。
 
 2006年にアメリカの科学誌サイエンスに発表された研究によると、「問題の核心には信仰心があるという。教育の程度には関係なく、進化論を信じているアメリカ人は、教会に通っていない人だとその半数以上になるが、教会に通っている人となるとその数は四分の一以下になってしまう。しかし、進化論への不信感は強力な保守政策や妊娠中絶合法化反対など、精神というより道徳的信念と深く結びついているように思える」。

 AI時代に、重要な質問もある。オックスフォード大法学部では「コンピューターは良心を持つことができるでしょうか?」という問題を出した。

 ケンブリッジ大の古典学部では「古典学部が焼け落ちたらどうなるでしょうか?」という問題を出した。出願している学部が焼け落ちたら大変なことだが、それを受験生に質問する神経も相当なものだ。聞かれてパニックに陥った受験生はいなかったのだろうか。

 最後に著者は「さてと、大変な道のりだったのではないだろうか」と慰めとも励ましともつかないような言葉をかけてくれる。「刺激になると思って頂けたならいいのだが、私にはいい刺激になった。あなたも真剣に考えたのではないのだろうか? 私の解答例に同意してくれる人は一人もいないと確信している。私自身、もし最初からもう一度考えたら、今度はちがう答えをすると思う。だが、答えはどうあれ、本書の問題がせめて考える切っ掛けになればと私は願う」。

 巻末に引用されているW・C・フィールズという人物は、「もし輝かしき才能で相手を幻惑できないのなら、馬鹿馬鹿しき無駄話で相手を当惑させるべし」と語ったという。

 これは正直、やられたなと思った。長きにわたって七つの海にユニオン・ジャックを掲げ続けたイギリス人はやはりただものではない。それを先頭になって引っ張ってきたオックスブリッジも恐るべし。
 
 単に知的遊戯としてでなく、本格的な思考力、発想力を試すのはなかなか難しいことだ。毎年の出題には何人もの教授が頭を悩ますのだろう。そしてこれはもっと重要なことだが、どの設問にもあらかじめ正解が用意されているわけではないように思う。何人もの受験者の解答を通じて、本当に評価できる解答ができあがっていくのだろう。その過程を見るのだとしたら、質問者側も厳しく試されることになる。ひごろあまり頭を使わない評者にはいい頭の体操になったが、それに限らず、倫理的な問題はあらためて問題を考え直すいいきっかけにもなった。

 だまされたつもりで読んでみると実に面白い。だが、筆者の解答はあくまで参考だと考えた方がいい。読み進めていくと正直、どれほど真面目に議論しているのかよくわからないところもあるからだ。翻訳はこなれていて読みやすい。文庫版は今年11月に出たそうだが、単行本は2011年12月に出たという。東日本大震災や福島原発事故が起きた年なので、あれこれ忙殺され、それどころではなかったことを思い出した。
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五輪

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雷鳴抄 2/9

韓国の北部平昌(ピョンチャン)で冬季五輪がきょう9日、開会する。日本でも大人気となった韓国ドラマ「冬のソナタ」のロケ地となったスキーリゾートが、雪上競技の会場である。

アジアでの開催は1998年の長野以来。日本勢にとっては、時差もなく移動距離も短いので、国内で調整できるという地の利がある。前回のロシア・ソチ五輪のメダル8個を上回る成績が期待できそうだ。

注目しているのは女子のスピードスケート。小平奈緒(こだいらなお)選手は500メートルで昨季から24連勝と破竹の勢い。高木美帆(たかぎみほ)選手も強い。団体追い抜きもメダルは堅そうだ。今大会の女子チームは歴代最強ではないか。

このほか、フィギュア、スキージャンプ、スノーボードなどもメダルが期待できる。女子アイスホッケーには日光市出身の小池詩織(こいけしおり)選手が守りの要として出場する。「最低でもメダル獲得」と前回大会の雪辱を期す。

この競技では、韓国が北朝鮮と合同チームを組んだ。「スポーツと政治」を考えないわけにはいかない。韓国と北朝鮮の五輪関係者が時間をかけて検討したものではなく、スポーツの枠組みの外から急に出てきたものだ。

韓国の選手の胸中は複雑だろう。韓国民の間にも歓迎する雰囲気は少ないと聞く。文在寅(ムンジェイン)政権は「平和五輪」の象徴というが、五輪憲章が禁じる五輪の政治利用の感は否めない。

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卓上四季 /9

より速く、より高く、そしてより遠くに―。こうした力強さがスポーツの魅力であることに異論はあるまい。だが、一流選手の魅力は卓越したそのパフォーマンスだけではない。

競技人生の中では、壁にぶつかりくじけそうになることもあっただろう。けがや故障に見舞われたこともあったに違いない。そうした苦しみを乗り越えた姿がときに見る者の人生に重なるからこそ、心を揺さぶられる。

ノルディックスキージャンプ女子の高梨沙羅選手は、2014年のソチ冬季五輪で失速した。メダルを期待されながら、実力を発揮できず4位。その後の4年間は、どんな思いで競技を続けてきたのか。

スピードスケート女子の高木美帆選手が脚光を浴びたのは、8年前のバンクーバー冬季五輪だった。この競技で初めて中学生の代表となり「神の子」とまで呼ばれた。しかし思うような結果が残せず、ソチでは代表からも外れた。

ジャンプ男子の葛西紀明選手は、45歳になってなお第一線で飛び続ける。足腰の痛みや筋肉の衰えを感じることもあるというが、若手に負けぬ練習量で「より遠く」を追求する。誰もが拭い切れないほどの汗を流し、眠れないくらい悔しさをかみしめてきたのだ。

どうか選手たちの努力が報われるように。悔いのないパフォーマンスの先にメダルが輝くならば、こんなうれしいことはない。いよいよ平昌冬季五輪が開幕する。

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大自在 2/9

 東京・大田区の町工場が協力して「氷上のF1」と呼ばれるボブスレーを作り上げた。ボブスレーに国産品はなく、高精度の部品作りが得意な町工場が参加し、フレームを形作る200余のパーツ作製に挑んだ。

 町工場の技術を結集した「下町ボブスレー」はスタートから7年。ようやくきょう開幕する平昌五輪でカリブ海の島国ジャマイカ代表が乗ることになり、活躍が期待されていた。

 古い機体を借りて研究し、設計図を書き、工場ごとに得意な技術で部品作りを担当。1号機完成後も改良を重ねてきた。常夏のジャマイカ・ボブスレー代表はかつて冬季五輪出場が話題となり、映画化もされ、人気を集めた。

 しかし、社長さんたちの願いは届かなかったようだ。ジャマイカ代表は今季のワールドカップ(W杯)で使用したラトビア製のそりが好結果を残したとして五輪でもラトビア製を使うと回答してきたという。社長さんたちの意気消沈ぶりが伝わってくる。

 使用しなかった場合は法的措置を取るそうだが、スピードを競う選手の気持ちもよく分かる。ここは穏便にといかないものか。下町ボブスレーの快走が見られないのは残念だが、技術に磨きをかけてきた下町のものづくりの伝統はより確かなものになったことだろう。

 南北合同チームの登場など政治性を帯びる五輪になったが、有力な日本選手めじろ押しで見どころもたっぷりだ。「五輪の失敗は五輪で返す」。前回、まさかの4位に終わったジャンプ女子の高梨沙羅選手は自分に言い聞かせてきたという。雪辱の舞台は整った。

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凡語 2/9

平昌(ピョンチャン)は韓国北東部の江原道(カンウォンド)にある山あいのリゾート地だ。韓流ブームの火付け役となったドラマ「冬のソナタ」のロケ地としても知られる。この時季は氷点下10度を下回る日が珍しくないという。

2010年、14年の冬季五輪にも立候補したが落選。3度目でようやく悲願が結実し、待ちに待った平昌冬季五輪がきょう開幕する。17日間にわたり史上最多となる92カ国・地域の2925選手が鍛え上げた力と技を競い合う。

ところが韓国と北朝鮮の合同チーム結成などで「平壌(ピョンヤン)五輪」とやゆされ、北朝鮮のほほ笑み外交が競技より注目される。「南北融和」を国内外に誇示する格好の舞台かもしないが、過剰な五輪の政治利用が気掛かりだ。

「平昌」のハングル表記をモチーフにした公式エンブレムは、東洋思想の「天地人」を踏まえ、天と地の間で人々が交わるとの意味が込められているとか。五輪によって世界中の人々が感動と平和を分かち合える意義は大きい。

20年に東京夏季、22年は北京冬季と、東アジアで「平和の祭典」が続く。国威発揚やメダル至上を排して、原点に立ち戻りたい。

アスリートたちが夢の舞台に立ち、人間の可能性に挑み、力いっぱい奮闘する姿はきらきらとまぶしい。さて、極寒の平昌でどんな熱いドラマを演じてくれるのだろう。

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正平調 2/9

日本人初の五輪金メダリストだった織田幹雄さんが亡くなって、もう20年になる。日本の陸上界を引っぱってきた織田さんは、色紙を求められるとこう書いた。「強いものは美しい」

自分で練習方法を考え、鍛錬を重ねて三段跳びの世界王者になった方である。勝手に解釈するに、苦難に立ち向かってきた選手こそ美しいという思いだろうか。頂点に立つ人は競技の姿も美しい、とも読める。

平昌(ピョンチャン)冬季五輪が始まる。届く記事を読みながら、織田さんの色紙を思い起こす。身びいきに過ぎると言われそうだが、「強いものは美しい」と思わせる日本選手の多いこと。名前を書くだけで字数を超えてしまう。

大リーグを目指すプロ野球選手が、こんな憎い一言を口にしていた。「以前はアメリカのアの字もなかったけど、今はカの字まで見える」。それにならって「メダルのメの字もなかったけど、今はルまで見える」とひそかに狙う日本選手は多いだろう。

願わくば、国際政治の黒い雲が平昌を覆いませんように。とかく五輪の空には複雑な雲がかかりがちだが、不安定な朝鮮半島情勢を見るにつけ、今回はとりわけ気になる。

単に腕っ節の強いのを美しいとは言わない。平昌で見たいのは、困難を超えた選手だけが放つ美しさである。

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国原譜 2/9

 韓国・平昌での冬季五輪がきょう開幕する。日本選手の活躍にも心が躍る、国際的な祭りが17日間続く。

 今大会は五輪の政治利用やドーピング問題などの陰の部分もある。目をつぶりはしないが、競技者と感動、感情を共有しやすいスポーツの楽しさを純粋に味わいたい気持ちも強い。

 県民の注目はやはり、スノーボード男子ハーフパイプの平岡卓選手(22)=御所市=だろう。2大会連続出場で前回は銅メダル。今大会でも期待は高まる。

 前回大会後に平岡選手は、大会での賞金などで地元に西日本最大級のスケートボード施設を開設した。練習場の確保に苦労した自身の経験を踏まえたものだ。

 自分を見失うメダリストもいる中で、スノーボードと縁が深く、東京五輪の正式種目にもなった競技の裾野を広げ、将来や後進のことを見据えた行動は金メダル級。競技成績だけでなく、県民として誇りたいところだ。

 前回は楽しんだ先にメダルがあったという平岡選手の予選は13日。結果のことばかり言うまい。特長である高さのある空中技で、納得の演技ができるように熱視線を送りたい。

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鳴潮 2/9

 2000年。世紀と世紀の境に、南北合同行進は実現した。シドニー五輪開会式。翌朝刊の1面用に長文の記事を出稿した。歴史的な場面に立ち会う興奮があった。それを読者に届けた。
 
 読み返すと、つらい。記事は高らかに、そして気恥ずかしいほど楽観的にこう締めくくられている。「シドニーの街が真の和解の歴史に深く刻まれることを世界が祈っている」
 
 南北分断を生んだ朝鮮戦争から50年。韓国の金大中(キムデジュン)大統領が打ち出した太陽政策。五輪とスポーツの力を信じ、和解への願いを込めた。ところが、その後の世界はどうだろう。分断と対立を深めて、核戦争におびえている。
 
 北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)氏は、どこまで本気で、どこまで駆け引きなのか。トランプ米大統領は核のボタンを押す気があるのか。核戦争の危険があるのなら、どうやれば避けられるのか。
 
 その答えを知りたいと、多くの人が思っているだろう。シドニーから18年。たった2人に振り回される中、平昌五輪で合同入場行進が再現される。それは平和へと続く確かな歩みなのか。分からないから、喜ぶに喜べない。
 
 シドニーで南北行進の舞台裏を取材したK記者は、数年後、病に倒れ、30代半ばで他界した。彼の取材に注文をつけ、原稿に手を入れた私は、還暦を過ぎ古里で生きている。「真の和解の歴史」に出合えぬまま。
 
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春秋 2/9

都市国家が互いに争った古代ギリシャ。4年ごとに開かれるオリンピアの祭典の時だけは武器を置いた。「聖なる停戦」とも呼ばれる「オリンピック停戦」だ。

期間中、各地から訪れる選手や観客は安全が約束され、都市国家間で対話や親睦を深める機会になった。この精神を受け継いだ現代のオリンピックが「平和の祭典」とされるゆえんだ。

平昌冬季五輪がきょう開幕する。核・ミサイル開発で孤立する北朝鮮も参加した。女子アイスホッケーでは韓国と異例の合同チームを結成。派手な応援団や芸術団を送り込み、金正恩氏の信頼が厚い実妹まで派遣するという。

北朝鮮がかたくなな態度を軟化させ、平和的な対話の機会にしようと考えた“五輪停戦”なら結構なことだ。ただ、韓国との友好ムードを演出する一方で、開幕前日に軍事パレードも。硬軟使い分け日米韓の結束に揺さぶりを掛ける思惑が透ける。

平昌には、国家ぐるみとされるドーピング問題で、大国ロシアの姿もない。外交の駆け引きや国威発揚の道具として五輪を利用するのは、その精神を踏みにじるものである。政治に振り回される選手こそ気の毒だ。

それでも、人間の限界に挑む競技そのものの価値や魅力が損なわれることはない。日本選手に、他国の選手にも、惜しみない声援を送りたい。「聖なる停戦」はギリシャ語で「エケケイリア」。「手をつなぐ」という意味があるそうだ。

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有明抄 2/9

「虎がたばこを吸っていたころ…」という決まり文句から、韓国の民話は始まる。虎がしま柄になったのは、たばこをくわえたまま居眠りしたせいだという話もあるから、虎がまだ虎になっていなかった大昔ということなのだろう。

韓国の人々に親しまれる虎をマスコットに据えた「平昌オリンピック」が、いよいよ開幕する。気がかりは、ぶしつけに参加を決めた北朝鮮の存在である。本来なら、大会直前は各国の代表選手たちにスポットライトが当たるはずが、どうにも場違いな主役に振り回されがちな感がある。

『民話で知る韓国』(ちょん・ひょんしる著、生活人新書)によると、民話に出てくる虎たちは「怖い存在、神獣、弱い者の知恵によって打ち負かされる滑稽な存在」という。いくつもの顔を持つが、北朝鮮もまた、平和の祭典にかこつけて硬軟ふたつの顔を使い分けているとしか思えない。

平昌五輪のマスコット「スホラン」は、虎は虎でも「白虎」がモチーフ。守り神として、選手や観客を保護するという決意が込められているのだとか。17日間にわたる大会の無事を祈りたい。

「両虎の闘い」という表現がある。際立った者同士が争うさまを指す。五輪はまさに、選ばれし虎たちの舞台だろう。今回は時差もなく、寝不足を気にせず応援に没頭できそうだ。がんばれ!ニッポン!

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風土計 2/9

安定道半ばの韓国政治。前大統領はセウォル号沈没事故対応でつまずき、友人の国政介入問題で罷免。大統領は代わったが、慰安婦問題や北朝鮮対応をめぐり日韓関係はギクシャク続きだ。

「国と国」は難しい。だが「人と人」は心の奥底でつながる。昨年末、仙台市で開かれた日韓などの専門家によるシンポジウム(みやぎ心のケアセンター主催)で、セウォル号遺族の心情を知り、そう実感した。

事故は2014年に発生。高校生ら304人が死亡・行方不明となった。当日の大統領の「空白の7時間」が混乱に拍車をかけた。シンポでは遺族の継続的なケアの取り組みや、インタビュー結果が発表された。

「心が痛んで怖くなるほど、子どもに会いたい」…。事故直後の絶望的な心境を経て、徐々に新たな思いが芽生えた遺族もいる。「子どもの犠牲を無駄にしたくない」「子どものため安全な社会をつくりたい」

死を意味あるものにするため、葛藤を抱えつつも、一歩を踏み出そうとする遺族たち。発表を聞いていて、その心の軌跡が、東日本大震災の被災地で出会った遺族の軌跡に重なり合った。人にはすごい力がある。

悲しみだけではない。喜びも感動も、国境を超えて人をつなぐ。スポーツがそのことを教えてくれる。きょう平昌(ピョンチャン)冬季五輪が開幕。スポーツの力を信じ、ひたりたい。

ヌンとヌーン

中日春秋

忘れられぬ「目」がある。今から十七年前、北朝鮮の金正日総書記がロシアを訪問した時に見た、目である。

一行は厳重な警備で守られていたが、西シベリア・オムスクの駅で、ちょっとした手違いが起きた。総書記は既に専用列車に乗り込んだと勘違いしたロシア側が規制を解いた。報道陣が一斉に駅に向けて駆けていくと、何とそこには、にこやかに手を振る総書記の姿が。

あわてて詰め寄ってきた北朝鮮の背広姿の男たちの目の異様な鋭さ。その目から放たれていたのは、あまりにも生々しい、むきだしの殺気だった。

韓国・平昌(ピョンチャン)の地ではかつて、そんな目が、そこかしこで不気味に光っていたのだろう。一帯は、朝鮮戦争の激戦地だったという。そして今も、平昌から百キロ離れた軍事境界線をはさんでにらみ合う目は、殺気をっっlはらみ続けている。それでも、冬季五輪に集った選手たちが雪と氷の上で繰り広げるたたかいに、世界中からあつい視線がそそがれれば、少しは冷気もやわらぐだろう。

<韓国語で/目のことをヌンという。/雪のことをヌーンという。/天上の目よ、地上の何を見るために/まぶしげに降ってくるのか…>とうたったのは、詩人の吉野弘さん。

きょう五輪の開会式を迎える平昌では雪が不足しているというが、きっと、まぶしく、やわらかなヌンとヌーンが、会場を包み込んでくれることだろう。

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韓国語で  吉野 弘

韓国語で 
馬のことをマル(말)という
言葉のことをマール(말)という
言葉はかける馬だった
熱い思いを伝えるための

韓国語で
目のことをヌン(눈)という
雪のことをヌーン(눈)という
天上の目よ、地上の何を見るために
まぶしげに降ってくるのか

韓国語で
一のことをイル(일)という
仕事のことをイール(일)という
一つひとつの地味な積み重ねが
仕事だ

韓国語で
行くよということをカマ(가마) という
輿のことをカーマ(가마)という
行くよという若い肩の上で
輿が激しくもまれはじめる

韓国語で
一周年のことをトル(돌)という
石のことをトール(돌)という
石の縞目に圧縮された、時の堆積
一周年はどれだけの厚みだろう


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金正日、7つの爆笑エピソード

2011年12月17日に死去した北朝鮮の金正日総書記には、巨大ウサギの飼育から飛行機恐怖症までおかしなエピソードがたっぷりある。世界を振り回してきた将軍様の不可思議な伝説トップ7を紹介しよう。

(1)神々しい出自

 金正日は1942年、北朝鮮の聖地、白頭山でこの世に生を受けたとされている。その際には偉大なる指導者誕生の予兆として、空に二重の虹がかかり、光り輝く新星が現れたという。だが旧ソ連の記録では、金正日の誕生は41年で、場所もハバロフスク近郊のシベリアの町ヴャーツコエだ。飢えに苦しむ多くの北朝鮮国民は、金の誕生日を世界中が祝福していると教えられている。

(2)飛行機嫌い

 金がめったに人前に姿をみせない理由の1つは、父親の金日成譲りの飛行機恐怖症だろう。外国を訪問することはほとんどなく、たまの機会にも鉄道を使う。豪華な特別列車でモスクワまで旅したこともあった。大好きな電車内で心筋梗塞を起こして死亡したというのだから本望かもしれない。

(3)巨大ウサギで飢饉に勝つ

 ドイツメディアは07年、金が巨大なウサギを大量に育てて食糧問題解決の突破口にしたいと考えていると報じた。犬のような大きさのウサギの繁殖に成功した東ドイツ出身の農夫の元に、北朝鮮からウサギ農場の設営を手伝ってほしいと依頼が来た。この農夫は12羽の巨大ウサギを北朝鮮に送ったが、結局その年の金の誕生日ディナーに供されたという。

(4)超人的な能力

 公式記録によれば、金は生後3週間で歩き、8週間で言葉を発したという。大学時代には3年間で1500冊の本を書き、「音楽史上最も素晴らしい」6本のオペラを作曲した。その後はスポーツの分野で並外れた能力を発揮。94年に初めてゴルフクラブを握った際には、北朝鮮唯一のゴルフコースで11回のホールインワンを記録し、38アンダーという驚異的なスコアをたたき出した。証人は17人のボディーガード。これを最後に、金はゴルフから引退したという。

(5)抜群のファッションセンス

 金のトレードマークといえば、独特の髪型と厚底の靴、サングラスに上下そろいのスーツだ。朝鮮労働党機関紙、労働新聞によれば、金のファッションセンスは世界の注目の的で、「ファッションアイコン」としての地位は後継者の三男、金正恩にも受け継がれているのだとか。平壌では、オールバックでテカテカに光る金正恩の髪型を真似する若者が急増している(金正恩は父親に顔を似せるために美容整形手術を受けたとの噂もある)。

(6)小さな殺人者?

 金が5〜6歳の頃、弟の修羅が自宅のプールで溺死。ソ連では、弟の死の責任は金にあったという未確認情報が報じられた。金の母親も翌年の出産の際に亡くなった。

(7)大便はしない

 北朝鮮の国営ウェブサイトに掲載された公式の経歴によれば、金は大便をしなかったとか。さすがは偉大なる将軍様だ。

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