コラムの記事 (2/116)

東大話法

北斗星 5/23

 「自分の立場の都合のよいように相手の話を解釈する」「都合の悪いことは無視し、都合のよいことだけ返事をする」「どんなにいい加減でつじつまの合わないことでも自信満々で話す」

以前も紹介した「東大話法」の一端である。経済学者で東大教授の安冨歩(やすとみあゆむ)さんは、原発事故に直面してなお安全神話を説く専門家(多くは東大卒)の「ごまかし」の理屈と言葉遣いを、東大話法と名付けた。

組織犯罪処罰法案(共謀罪法案)を審議する先週末の衆院法務委員会で民進党の山尾志桜里(しおり)氏が、17日付の小欄を引用して金田勝年法相に感想を求めたが、その答弁が見事なまでに東大話法だった。

小欄は、金田氏の高校時代の恩師の言葉で氏が座右の銘とする「汝(なんじ)、何のためにそこにありや」を引き合いにして、共謀罪を巡る国民の不安解消に法案の提出責任者として役割を果たしていないと指摘したつもりだ。

ところが答弁は「私の地元の新聞のコラムを読んでいただき光栄である」「私の地元の新聞を読めば地元の課題も伝わってくると思う」「私の地元のためにお力を貸していただければありがたい」「汝、何のために…は私の最も好きな言葉の一つであります」

最新の世論調査では共謀罪法案の政府説明が不十分とする回答は77%に達する。国会論戦はまだ続くが、法相が東大話法に終始するようでは法案への信認は得られない。加えて敵役キャラが全国的に固定されることになりはしないか地元としては心配だ。

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安富 歩という東大の先生が書いた「原発危機と東大話法~傍観者の論理・欺瞞の言語~」という本が「東大話法」という言葉を一部で流行させている。

確かに、311福島原発事故以降、専門家と言われる人たちが、多くの嘘を平気で放言していたことは、安富氏が指摘するように、私たちの記憶にも新しいところである。この本は、その背後にある根深い日本社会に根付いた精神構造を分析したものである。はっきり言っておもしろい。特に香山リカ氏の小出裕章助教批判や、池田信夫氏の原発に関するブログ記事が、いかに「東大話法」的かをこと細かに論証している部分は、「なるほど」と納得のいく内容となっている。

 是非、これから、テレビを中心とする大手マスコミで流される、この手の話法に騙されないためにも読んでおきたい本である。



それでは、著者の言う「東大話法」とは、どう言うものなのか。それは以下の規則である。

(1)『自分の信念』ではなく、『自分の立場』に合わせた思考を採用する。

(2)自の立場の都合のよいように、(自分勝手に)相手の話を解釈する。

(3)(自説にとって)都合の悪いことは無視し、(自分にとって)都合の良いことだけを返事する。

(4)都合の良いことがない場合には、関係ない話をしてお茶を濁す。

(5)どんなにいいかげんでつじつまが合わないことでも(タレント政治家橋下徹のように)自信満々で話す。

(6)自分の問題を隠すために、同種の問題を持つ人を、力いっぱい批判する。

(7)その場で自分が立派な人だと思われることを言う。

(8)自分を傍観者と見なし、発言者を分類してレッテル貼りし、実体化して属性を勝手に設定し、解説する。

(9)『誤解を恐れずに言えば』と言って、うそをつく。

(10)スケープゴートを侮辱することで、読者・聞き手を恫喝し、迎合的な態度を取らせる。

(11)相手の知識が自分より低いと見たら、なりふり構わず、自信満々で難しそうな概念を持ち出す。

(12)自分の議論を『公平』だと無根拠に断言する。

(13)自分の立場に沿って、都合の良い話を集める。

(14)羊頭狗肉。

(15)わけのわからない見せかけの自己批判によって、誠実さを演出する。

(16)わけのわからない理屈を使って相手をケムに巻き、自分の主張を正当化する。

(17)ああでもない、こうでもない、と自分がいろいろ知っていることを並べて、賢いところを見せる。

(18)ああでもない、こうでもない、と引っ張っておいて、自分の言いたいところに突然落とす。

(19)全体のバランスを常に考えて発言せよ。

(20)『もし○○○であるとしたら、おわびします』と言って、謝罪したフリで切り抜ける。 

この中で、重要なポイントは、(1)、(2)、(8)、(13)、(20)の規則である。特に「東大話法」というものを理解するのに重要な概念が「立場」という考え方である。

著者はそのことを解説するために「「役」と「立場」の日本社会」という章を書いている。

 それでは、「東大話法」の実例を紹介しよう。

『思考奪う 偽りの言葉 高慢 無責任な傍観者』

安冨歩(東京新聞 2月25日より)



着想は福島原発事故後、NHKに出ずっぱりだった関村直人(原子力工学)の話しぶり。

関村教授は不安でテレビにかじりつく視聴者に向かって、ずっと楽観的な『安全』を強調し続けた専門家。1号機爆発の一報にも『爆破弁を作動させた可能性がある。』と言い切り酷い学者不信を招いた。

『過酷事故が目の前で起こっていても、官僚や学者は原発を安全と印象づける「欺瞞言語」を手放さなかった。東大で見聞きする独特の話しぶりにそっくりだと思った。』

『東大話法』は東大OBが最も巧みに操るが、出身大学とは関係ない。

爆発事故を『爆発的事象』と繰り返した東北大出身の枝野幸男官房長官も、典型的な東大話法。

『正しくない言葉で、まず騙しているのは自分自身。目の前で爆発が起こっている現実を直視できなくなり、正気を疑うようなことも平気でできるようになる。』

経済学博士の安冨歩教授はバブルに突き進んだ銀行の暴走と、戦争に向かってひた走った昭和初期の日本社会の相似に気づき、既存の学問分野を超えて『なぜ人間社会は、暴走するのか』を探求してきた。

安冨歩教授は、『最も恐ろしいことは、危機的な事態が起こった際、正しくない言葉を使うこと。それは一人一人から判断力を奪う』と強調する。

『危険なものを危険といわず』戦前、戦時中に『日本は神の国だ』などと言い続けたことが、客観的な現状認識を妨げ、いたずらに犠牲者を重ねた。

そんな『言葉の空転』が原子力ムラでも蔓延。『危険』なものを『危険』と言わない東大話法が偽りの安全神話を支え、事故を招いた。



『上から目線の話しぶりに潜む東大話法のウソ』

規則1:自分の信念ではなく、自分の立場に合わせた思考を採用する

『原子力関係者がよく使う言い回しに、「わが国は・・・しなければなりません」がある。

「私」ではなく、往々にして国や役所などを主語にするのが「立場」の人です。』

日本人のほとんどは、立場に合わせて考え、『立場上そういうしかなかった』といった言い訳もまかり通りがちだ。

『責任から逃げている「立場」がいくつも寄り添い、生態系のように蠢いているのが日本社会。しかし、「立場の生態系」がどこにいくのかは、誰一人知らない。』



高慢 無責任な傍観者

周囲もあぜん 『記憶飛んだ』

規則8:自分を傍観者と見なし、発言者を分類してレッテル張りし、実体化して属性を勝手に設定し、解説する。

原子力ムラでは自分を『傍観者』とみなしたがる。

『客観的であることと傍観することをはき違え、なんら恥じるところがない』傍観者ぶりが際立っているのが、原子力安全委員会の斑目春樹委員長。

国会の原発事故調で『一週間寝ていないので記憶が飛んでいる。(官邸に)どんな助言をしたか覚えていない』と、当事者とは思えない言い訳をして、周囲を唖然とさせた。

『原発に反対し続けた京大原子炉実験所の小出裕章さんが、講演のたび「原子力に、かかわってきた者として謝罪したい」と繰り返しているのと比べると驚くばかりの傍観者ぶりだ。』

規則3:都合の悪いことは無視し、都合のよいことだけを返事する。

規則5:どんなにいい加減でつじつまの合わないことでも、自信満々で話す。

九州電力の『ヤラセ討論会』の大橋弘忠東大教授(システム量子工学)も典型的な東大話法。

小出助教授の『人は間違うし、想定外の事態も起こり得るので、安全余裕をなるべく多くとるのが、原子力のようなものを扱うときの鉄則だ』に対して、大橋教授は『安全余裕を完全に間違えて理解している方の考え方』と冷笑。

水蒸気爆発の心配をする市民団体にも、『私は水蒸気爆発の専門家』と胸を張り、見下す。



『プルトニウム拡散の遠因』

『原子炉を四十年間、研究をしてきたのは小出さんの方。ところが、大橋教授が討論会を仕切ってしまった。その結果、九州電力の玄海原発には危険なプルトニウム混合燃料が投入された』。

福島第一原発でもプルサーマルが始まり爆発事故でプルトニウムが飛び散った遠因に、大橋教授の『プルトニウムを飲んでもすぐに排出される』東大話法が貢献した。

『東大話法』にだまされないために安冨教授は、『自らの内にある東大話法に向き合い、考えることから逃げない姿勢が大切。東大話法を見つけたら、笑ってやること』と提案する。

笑われて、恥ずかしいことだと気づくことで東大話法から抜け出せる。どこに向かうかわからない『立場の生態系』については、パイプに詰まったごみのような存在が迷走を止める役割を担うこともある。

『官僚にも学者にも、あるいはメディアにも、自分の言葉を持つ人たちがわずかにいる。そんな一人一人の存在でかろうじて社会がもっている。もし、人間社会が卑怯者の集団になったら、社会秩序は維持できない。』



『東電の〝派遣教員〟東大教授〝逆ギレ〟反論の東大話法』サンデー毎日」4/1号



『プルトニウムは飲んでも大丈夫』のセリフで有名な東大大学院の大橋弘忠教授(59)。九州電力玄海原発へのプルサーマル導入の安全性を問う(第三者委員会が九電の『やらせ』と断定した)公開討論会。大橋氏は、余裕の笑みとも受け取れる表情を浮かべ、持論を展開。

『事故の時にどうなるかは、想定したシナリオにすべて依存する。(原子炉の)格納容器が壊れる確率を計算するのは、大隕石が落ちてきた時にどうするかという起こりもしない確率を調べるのと一緒。専門家になればなるほど、格納容器が壊れるなんて思えない』

『プルトニウムは実際には何にも怖いことはない。水に溶けないので飲んでも体内で吸収されず、体外に排出されるだけだ』

ところが福島第1原発事故では『想定したシナリオに依存どころか、制御不能に陥る。

プルトニウム混合のプルサーマルに否定的な京大原子炉実験所の小出裕章助教(62)らに対して、〝上から目線〟で安全性を強調する大橋教授。

『都合の悪いことは無視し、都合のよいことだけ返事をする』

『どんなにいい加減でつじつまの合わないことでも自信満々で話す』

『誤解を恐れずに言えば、と言って嘘をつく』

安富歩教授は『国内初となる玄海原発へのプルサーマル導入に、大橋氏の〝原発推進トーク〟がひと役買ったと言われても仕方がない。その延長線上で10年9月には福島第1原発の3号機にMOX燃料が投入され、半年後にその3号機が水素爆発で大量の放射性物質をばらまいた』

大橋教授は、東大原子力工学科から東電。現在は同大学院工学系研究科システム創成学の教授で『東電の派遣教員』(東大関係者)。

大橋教授は、原発推進の立場から国策の一翼を担って、保安院原子炉安全小委員会委員長や総合資源エネルギー調査会委員など政府の委員を歴任。昨年10月には北陸電力の志賀原発運営に助言する『原子力安全信頼会議』委員。



プルトニウム発言や、『大隕石が落ちる確率と同じ』はずの格納容器の損傷が確実となった今、大橋教授が自らの発言に対する説明責任は完全無視。

事故の反省も、避難住民や国民への謝罪は無いが、『説明責任』『プルトニウムは飲めるか』『話し方について』『やらせ事件』などの6項目を、自身のホームページで『身内』にはこっそりと反論、『プルトニウムは飲んでも安全』に関しては>『プルトニウムは水に溶けにくいので、仮に人体に入っても外へ出ていく、と述べたのが、それならプルトニウムは飲めるのか、飲んでみろ、となっているらしい。文脈を考えればわかるのに、いまどき小学生でもこんな議論はしないだろう』と開き直る。

安冨教授は呆れながら、『これは「スケープゴートを侮蔑することで、読者・聞き手を恫喝し、迎合的な態度を取らせる」という東大話法の典型例です。しかも、水に溶けないから安全というのは、それこそ文脈を考えてみれば、むちゃくちゃな議論であることは

明らかです。プルトニウムを吸い込めば肺の中にとどまり、放射線を出し続けるおそれがあるからです』



『この人は学者ゴロにすぎない』

九電の『やらせ問題について』では、第三者委員会委員長を務めた郷原信郎弁護士(57)に対する〝暴言〟も。>『私は佐賀県から依頼されてた・・・この種の討論会は、推進派も反対派も動員をしてそれぞれの立場から質疑を行うのは当然・・・国会答弁でも何でも同じ。

目立ちたがり屋の弁護士さんが「やらせやらせ」と言い出し、それに社会全体が翻弄された』傲岸不遜を地でいくような発言に、郷原氏も『大橋氏は小出氏らの発言に噛み付き、ケチをつけているだけ。学者ではなく「学者ゴロ」「原発ゴロ」にすぎない』。

『論外です。発言がデタラメすぎる。我々は徹底した調査で巧妙なやらせのカラクリを解明したわけで、大橋氏がまともに反論できることがあれば、堂々と私に反論したらどうか。自分の身分、立場を隠して世論を誘導する質問を仕込んだ推進派と他の聴衆は一緒にできない』

公開討論で大橋教授と対峙した小出助教は、『(反論を読んで)ただただ、あきれました。こんな人が東大教授なのですね。もともと東電の人だから、こんなことをやってきたのでしょう。「技術的」「客観的」など何の根拠も示さないまま、自分勝手な論理を主張するだけで、「いまどき小学生でもこんな議論はしないだろう」と彼に言葉を返したい。

福島原発の事故が起きてしまっている現実をまず見るべきだし、自分がどういう役割を果たしてきたのか、胸に手を当てて考えるべきでしょう。』

大橋教授は『多忙につき取材(面談、書面とも)はお受けできない』と拒否、向き合うべきは、学内の身内ではなく国民ではないのか。



『東大から起きた「原子力ムラ」内部批判』

東大原子力工学の学者の欺瞞が凝縮。事故を矮小化し、反省もせず、国民を欺く姿悪質。

福島第一原発爆発後、核燃料サイクル、放射性廃棄物が専門で、産官学『原子力ムラ』の中心の日本原子力学会会長の田中知東大教授は、『今一度、我々は学会設立の原点である行動指針、倫理規定に立ち返り、己を省みることが必要であります。すなわち、学会員ひとりひとりが、事実を尊重しつつ、公平・公正な態度で自らの判断を下すという高い倫理観を持ち、(中略)社会に対して信頼できる情報を発信する等の活動を真摯に行うことができるよう会長として最大限の努力を致す所存であります』と原発事故後、高邁かつ誠実な精神を謳い上げた。

しかし田中東大放射線管理部長の『環境放射線対策プロジェクト』が、多数の東大教員から、『まったく信用できない』批判される。

田中教授は原発事故後東大キャンパスの放射線量を調査し同時期の本郷キャンパスと比べ格段に高かったが、柏キャンパスの線量が高い理由は>『測定値近傍にある天然石や地質などの影響で、平時でも放射線量率が若干高めになっているところがあります><結論としては少々高めの線量率であることは事実ですが、人体に影響を与えるレベルではなく、健康になんら問題はないと考えています。』

ところが柏市の高線量『ホットスポット』は文部科学省調査などから明らか。低線量被曝の仮説は、放射線による発がんリスクには放射線量の閾値はなく、放射線量に比例してリスクが増える。

不正確な『東大話法』に対して、東大人文社会の島薗進教授など東大教員有志(理系より文系が多い)45人で改善要請文を大学側に大学側に提出。

『東大は「放射能の健康被害はない」との立場を明確に示したことになりますが、「健康に影響はない」と断定するのはおかしい。多様な意見を考慮せず、狭い立場で一方的な情報を出しているとしか思えない。より慎重なリスク評価を排除するのは適切ではありません』

『低線量でもそれに比例したリスクは存在するとした標準的な国際放射線防護委員会(ICRP)モデルに基づいた記述とし、「健康に影響はない」という断定は避ける』など、『東大の原子力ムラ』に対して東大内部から批判が公然化し『健康に影響はない』を削除。

濱田純一総長から『さまざまな角度からの幅広い議論が必要な問題と思いますので、引き続き忌憚のないご意見をいただきたい』『担当者に速やかな検討の指示』の返信。

しかし総長の思いとは裏腹に、田中教授を責任者とするプロジェクト側には、『非を認めて謝るのではなく、単に表現が悪かったので修正した』との姿勢が窺える。東京電力寄付講座は一部が消滅。トップを動かしたとはいえ『巧妙に非を認めようとしない言い逃れだ。こうした思考法は「東大話法」という独特のものです』と安冨教授。

放射線の人体への影響について放射線防護の専門家の多くが安全論に傾いたのは、全国の大学で電力会社や原子力産業の資金で研究が進められたことが背景にある。



『傍観者を決め込む御用学者』

東電との『産学連携』の東大の原子力ムラに関して安冨教授は、『たとえ東電からカネをもらって研究するにしても、東電ではなく公共に尽くす。そうした研究の独立性をいかに維持するかが重要なのだ。東電のカネで行っていた過去の東大の研究が、学問としての独立性を保っていたかどうかをきちんと検証する必要があります。独立性がなかったと認められたならば、被災者に還元する。検証をせずズルズル状態のままでは東大の権威と信頼は守れません』

安全神話の神髄こそが『東大話法』だ。



『原発事故をめぐっては数多くの東大卒業生や関係者が登場し、その大半が同じパターンの欺瞞的な言葉遣いをしていることに気付いたのです。東大関係者は独特の話法を用いて人々を自分の都合のよいように巧みに操作しています。言うならば、原発という恐るべきシステムは、この話法によって出現し、この話法によって暴走し、この話法によって爆発したのです』。



東大話法の根幹は『自らを傍観者と見なしたがること』。

学者は常に客観的でなければならないとの信条を盾にして、『だから自分はいつも傍観者でいることが正しい』と、自分に好都合な結論を引き出す。

『原発事故では、明らかに大きな権限を持つポストにいる御用学者が、完全に傍観者を決め込んでいます。その代表格が東大工学部出身で原子力安全委員会の斑目春樹委員長(元東大教授)です』。

『原子炉格納容器が壊れる確率は1億年に1回』と発言し、事故後もこれを撤回していない大橋弘忠東大教授も『東大話法』の使い手で規則9、15,20以外はすべて該当する。



大橋教授は玄海原発ヤラセ討論会での無責任暴言が有名。

『北陸電力は昨年10月、志賀原発運営に助言する原子力安全信頼会議を設置し、委員に大橋教授を選任したのには心底驚きました。「格納容器が壊れる確率は1億年に1回」とした発言の誤りが明らかになった現状で委員を引き受けたのもあまりにも無責任です』(押川教授)

『徹底した不誠実さと高速計算』

安冨教授は、『東大話法使い』の資質をこう定義する。

『徹底した不誠実さを背景として、高速回転する頭脳によって見事にバランスを取りつつ、事務処理を高速度でやってのける。多少なりとも良心がうずけばボロが出ます。そういうものを一切さらけ出さないほどに悪辣かつ巧妙であるためには、徹底した不誠実さと高速計算とがなければできません。東大にはそういう能力のある人材がそろっているのです』



「原子力ムラ」への改善要求について、東大医科学研究所の上昌広特任教授は、『柏キャンパスの放射線量をめぐる議論は結論が出ない神学論争』?であるとして事実上、科学論争を拒否。

(なるほど、徹底した不誠実さと素晴らしい高速計算ぶりである)

*(以上、サンデー毎日2012/03/04号より)



 ところで、第四章の「「役」と「立場」の日本社会」の章が、著者の本当に言いたいことだと思われるので簡単にその考えを紹介しておく。

 この章において、悪辣な「東大話法」というものが日本社会全体に行き渡ってしまった理由を分析している。

「「東大話法」「東大文化」の中では、「立場」という概念が大きな役割を果たしている。」と、指摘している。そして、この日本社会における「立場」という概念を理解することが、今回の事故のあり方、日本の原子力発電のあり方を理解する上で、決定的に重要だとも指摘している。

 そして、夏目漱石の作品群を分析し、次のように説明している。

「漱石は、純日本的な「立場」、つまり、「世間的な夫の立場」からして、というようなの「立場」にpositionやstanceを統合し、それが自分の人格をそのものである、という「立場主義」の思想を的確に表現しているのです。これは近代日本社会に形成されつつあった人間を統御し、抑圧するシステムを、明確に言語化するものであったと思います。」

そして、先の大戦で、死んでいった英霊の手紙を分析して次の結論に到るのである。

「日本社会では、「義務」と「立場」がセットになり、立場に付随する義務を果たすことで、立場は守られ、義務を果たさないと、立場を失うことになります。立場を失うと言うことは、生きる場を失う、ということです。

それゆえ、日本人の多くは、義務を果たすことに邁進し、うまくできれば、「安らかさ」を感じるのです。」

著者は、先の大戦を経て、日本社会は、人間ではなく、「立場」で構成されるようになったと、指摘する。その結果、「無私の献身」と「利己主義」が不気味に共存する。ある面、道徳的でありながら、果てしなく、不道徳である戦後日本社会が完成されたのだと分析している。

 そう言えば、作家の瀬戸内寂聴氏が、90年の人生の中で、戦争中に比較しても「こんなに悪い時代はなかった」と原発反対のハンガーストライキのインタビューで答えていたが、このことを直截に表現した言葉と受け止めてもいいのではないか。

 そして、「役」という概念が日本社会を根底から支える哲学だと安富氏は指摘する。

「役を果たせば、立場が守られる、立場には役が付随する。役を果たさなければ、立場を失う。」

この原理は、戦後、日本社会で、国・企業をはじめ、あらゆる組織で明確に作動している。

そして、昨年から詭弁の象徴となった原子力御用学者の「役」と「立場」の分析をしている。原子力業界では、ほとんどすべての論文が「我が国」で始まる。

なぜか。原子力の「平和利用の推進」は、原子力基本法で定められた「国策」で、原子力の研究や推進は、すべてこの「国策」に発する事業の一部である。だから、彼らは、「御公儀」の配分する「役」を担うことで、自らの「立場」を守っているのである。

そして、著者は、この「役と立場」の概念から次のように分析するのである。



「海外の人々は津波の衝撃を受けながらも、自分のやるべきことをやり、絶望したり、自暴自棄になったりしない日本人を、驚嘆の目で眺め、賞賛しました。日本人のこの尊敬すべき行動は、「役と立場」のゆえだと考えます。

 そしてまた、原発事故に際しては、どう考えても危険極まりのない状況で、政府が「安全」だと言っているからといって悠然と日常生活を続けている日本人を見て、海外の人々は吃驚しました。しかし今度は、賞賛していたのではなく、あきれていたのです。これもまた、「役と立場」のゆえなのです。」

 「東大話法」ということばが適切かどうかは、わからないが、勉強になる本である。


<安冨 歩(やすとみ・あゆむ)プロフィール>

東京大学東洋文化研究所教授

1963年大阪府生まれ。86年京都大学経済学部卒業。京都大学大学院経済学研究科修士課程修了。博士(経済学)。住友銀行勤務を経て、京都大学人文科学研究所助手、ロンドン大学滞在研究員、名古屋大学情報文化学部助教授、東京大学東洋文化研究所教授。09年より現職。著書に『生きるための経済学』、『原発危機と東大話法』など。

家族はつらいよ

鳴潮 5/23

 面白くて難しい、それが家族関係だろう。映画監督の山田洋次さんは修業時代、松竹の先輩からこう言われた。「やくざ映画でも純愛映画でも、必ず家族関係を入れておけよ。それが錨(いかり)のように脚本を安定させる」

 山田監督が「家族はつらいよ2」を完成させた。続編を―。「男はつらいよ」もそうだが、新作にもそんな声が寄せられたという

 さて内容だが、昨年公開の「家族はつらいよ」で何とか熟年離婚の危機を回避した平田家。あれから約1年。新作では、運転免許の返上や孤独死といった高齢者を取り巻く社会問題をテーマに、平田家の8人が再び奮闘する姿を描くと本紙17日付にある

 作品に込めたユーモアと悲哀の根底には、山田監督のこんな思いがある。<僕自身が高齢者だということもあるんだけれども、安心して年を取ることができるかというのは、この国の大きな課題じゃないでしょうか>

 <僕たちは本当に幸せなのか。今ほど検証しなければいけない時代はないんじゃないか>。2年前、徳島市で開かれた戦後70年特別シンポジウムで山田監督はそう語ったが、課題も検証も置き去りになったままである

 「家族は―」は県内でも27日から上映される。煩わしいけど、どこかいとおしい。笑いあり、涙ありの家族のドタバタ劇。そこから見えてくるものがきっとある。

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ほ、ほ、ほ~たる来い

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南風録 5/23

 桜の季節が過ぎ去ると、ホタルを心待ちにする人も多かろう。見頃はまだかとやきもきし、限られたわずかな時期だけ目を楽しませてくれる。はかなくも美しい桜とホタルはどこか似ている。

 開花が観測史上最も遅かった桜に倣ったわけではあるまいが、今年はホタルの出現も遅かったようである。春先の寒の戻りや、シーズンに入っても気温がなかなか上がりきらなかったことが影響したらしい。

 全国から観光客が訪れるさつま町神子(こうし)の「奥薩摩のホタル舟」のスタッフも、ずいぶん気をもんだことだろう。今月半ばを過ぎてから、ようやく川面の光の数が増えてきた。先週末に、乗船した知人は「所々で歓声も上がり、十分楽しめた」と語った。

 「ほ、ほ、ほ~たる来い」。川内川を下るコースの川岸から子どもたちの清らかな歌声が聞こえてきたそうだ。録音かと思っていたら、実際に子どもたちが歌っていた。「日常を忘れ、心が洗われた」と知人。

 ホタル舟では小学6年生の船頭さんが奮闘している。鶴田小の中園大貴君である。同じ船頭の祖父、瀧男さんと組んで舟を巧みに操る。大勢の客を乗せるのは緊張する大仕事に違いない。

 川岸の歌声は大貴君の妹たちだと本紙の記事で知った。一生懸命で、けなげなもてなしがリピーターを呼んでいる。運航最終日の今週土曜日まで予約で満席の盛況ぶりが、それを証明している。


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かわら版

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有明抄 5/23

心中や敵討ちに火事、災害-。江戸時代、庶民の興味を引いた情報だ。娯楽からニュースまで、「知りたい」という欲望はいつの世も変わらない。核心を読みたいと思わせる口上で売った江戸期の「かわら版」。新聞の号外のようなものだった。

「読売(よみうり)」「絵草紙(えぞうし)」「一枚摺(ずり)」と呼ばれた印刷物である。ただ幕府は政治批判や言論活動の活発化を恐れ、禁圧した。そうなると知りたいのが人の常で、追及を逃れるため作者不明で出回ることに。

さて、こちらも今のところは出所が分かっていないものだが、表に出て物議を醸している。内閣府が文部科学省に、学校法人「加計(かけ)学園」の獣医学部新設を促したとされる文書である。「総理のご意向だと聞いている」「官邸の最高レベルが言っている」-。中にはそんな記述があり、国会で火種に。

新設に慎重だった文科省が急に軟化したのはなぜか。学園理事長は首相の「腹心の友」とされ、またも官僚の「忖度(そんたく)」が働いたのでは、と野党が問いただす。文科大臣は「文書の存在は確認できなかった」というが、職員の個人パソコンは調べていない。もやもやは残ったままだ

かわら版は庶民の知りたいこと、知らなければならないことを伝えてくれた。くだんの文書だって真偽のほどは無論のこと、核心を知らされないままでは国民は納得しまい。

上を向く人

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水や空 5/23

何年か前の缶コーヒーのCMにあった。坂本九さんの「上を向いて歩こう」が流れ、地球の調査に来ている宇宙人がつぶやく。「この惑星の住人はなぜか、上を向くだけで元気になれる」。

緑の深い山を見上げる。青空を見上げる。なるほど、元気が出そうに思えるが、上を向くのが口で言うほど簡単でないときもある。ずっと上を目指し、ずっと頂点にいるこの人でさえ、そうかもしれない。

体操の内村航平選手(28)がNHK杯の個人総合で9連覇を果たし、国内外の大会で40連勝を成し遂げた。気の遠くなるような数字に届くまでに、五輪や世界選手権という最高峰をいくつも踏破して。

どんな世界でも上を向き続けるのは大変に違いないが、この希代のオールラウンダーは「執念」がそうさせるらしい。勢いづく白井健三選手(20)を僅差で追い、最後の鉄棒で逆転した。

勝利への「ストーリーはできていた」と語ったが、シナリオ通りに運ばないのを誰より知っているのも、内村選手その人だろう。体操競技を「改めてしんどいスポーツだと思った」と大きく息をついたという。

その姿に見入る私たちに上を向かせ、白井選手ら後輩たちに上を向かせ、自分も黙して上を向き続ける。おそらくは孤高の域に達したプロの離れ業は「難度」で表すとどれくらいだろう。

…………………………

缶コーヒー 飲むときなぜか 上を見る

 サントリーの缶コーヒー BOSS のテレビCM、トミー・リー・ジョーンズを使った『宇宙人ジョーンズ』シリーズを集めたDVDを観た。このCMがテレビで流れても、その瞬間だけは「おもしろいな」と思っても、次のCMが流れると今見たばかりの BOSS のCMはすっかり忘れてしまったりしていたが、こうしてズラリと並べて見ると、改めてすごくよくできているのがあるなぁと感じる。
 ご存じだろうがこのCM、トミー・リー・ジョーンズは宇宙人で、地球のことを調査にやってきているという設定。「この惑星の住民は・・・」というナレーションが流されるが、実は宇宙人が地球と地球人のことを調べて感想を述べているというよりは、外国人が日本に来て、日本と日本人の習慣や考え方、生き方などを不思議な国だと述べていると思っていいだろう。
 そんな中で、とくに目を引いたのは『ある老人』編という回。トミー・リー・ジョーンズの地球調査員は東京でタクシーの運転手をしている。後ろのシートには大滝秀治が客として乗っているのだが、その大滝秀治も宇宙人。長年日本に住み着いているらしい。街の風景を見ながらいろんなことがあったがと前置きして「今ほどみんなが下を向いてる時代はなかったかもしれんな」と言う。街には人々がみんな疲れて座り込んで地面を見つめているショットが挟まる。するとここで坂本九の『上を向いて歩こう』が流れ、大滝秀治はこう続ける。「なぜかこの惑星の住民は上を向くだけで元気になれる」。そこに上を見上げる人々のショット。見上げた先には東京スカイツリーが聳えている。それを見上げる人々は笑顔を浮かべている。
 缶コーヒーを飲むとき、人はちょっと上を向いて飲む形になるのとひっかけているのかもしれない。うまいCMだなと思った。
 とっさに思ったのは、このCMが流されたのは、3.11のあとなんじゃないだろうかということ。3.11があったとき、世の中は本当に暗くなった。多くの犠牲者が出て、原発事故が起き、これから先日本はどうなるんだろうと思った。テレビからは一時的にCMがほとんど放送されなくなった。そして誰からともなく『上を向いて歩こう』が方々で歌われるようになった。このCMもきっとそのころのものだろうと思ったのだ。
 ところがこれ、放送されていたのは2010年の12月からなんですね。3.11は翌年の2011年だから、まるで予言していたような感じになってしまっている。
 このころはまだ東京スカイツリーも建設途中。開業はさらに翌年の2012年5月になる。
 それでさらにこのCMがうまいところを突いているのは、人間ってなぜか高いものを見ると確かに元気になるということ。東京スカイツリーは言うに及ばず、東京タワーでも富士山でも、なぜかこういう天に向かって伸びているものを見ると興奮するようなんですね。なぜか登ってみたくなる。登山好きの人っていうのもこういう心理があるのかもしれない。まあ私なんかは富士山を見ても、歩いて登りたいとは思わないのだが・・・。アハハ。でも高いところにエレベーターを使って上ったりするのは好き。
 『ジャックと豆の木』のジャックもきっと雲の上まで伸びた豆の木を、ただただ登りたかったんだろうな。

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小役人

風土計 5/23

役所に入った息子の帰りが毎日遅い。残業が多く夜10時、11時にもなる。疲れ切った様子で、いつもの元気がなくなった。どこか良い転職先はないだろうか。

こんな相談を知り合いから受けた。転職と言っても安定度で公務員に勝る仕事はない。答えに窮する中、役所の様子が思い浮かぶ。県庁も一部は深夜まで明かりがついているし、沿岸の役所も復興事業で大変そうだ。

地方公務員の時間外勤務を初めて総務省が調べた。一人当たり残業時間は民間を上回り、過労死ラインを超える職員も少なくない。人は減らされたのに仕事は増える。部署にもよるが、気楽な宮仕えは昔の話らしい。

夏目漱石の「道草」で、主人公の兄が「小役人」として登場する。過酷な仕事を強いられ、年より早く老け込んだ。人が減らされることに絶えずびくびくしている。それでも家族のために働かざるを得ない

「色沢(いろつや)の悪い顔をしながら、死ににでも行く人のように働いた」。今ならば過労死ぎりぎりだろうか。明らかに働き過ぎだが、職場では何の改善も行われない。100年も前から役人には残酷物語があった。

「色沢の悪い顔」で仕事をしていては、奉仕者として適切な住民サービスができまい。過労をなくすために、まずは職場の中で見直す点はないか。民間のみならず、役所の働き方改革も必要だろう。

魔法使い

中日春秋 5/21

高校演劇コンクールに「アラジンと魔法のランプ」で挑むことになったが、「魔法使い」の役が見つからない。悩んでいると、ふと隣にいた級友の顔が目に入った。「こいつなら魔法使いのメーキャップさえいらない」

「魔法使い」は級友の誘いに演劇部に入り、以降、長い七十年近い芝居の道を歩むことになった。亡くなった俳優の日下武史さん。八十六歳。自然と耳に入ってくる味わい深い声。明瞭にして説得力あるせりふを思い出す。

高校演劇部の部長となった日下さんは「野球部か演劇部か」で悩んでいた新入生の勧誘に成功する。やがて日下さんとともに劇団四季を結成した演出家の浅利慶太さんである。不思議な糸が日下さんの道には張りめぐらせてあったか。その糸は日本を代表する大劇団にまでつながっていた。

最後の舞台は「思い出を売る男」。高校時代、日下さんに芝居を教えた劇作家加藤道夫の作品である。これも不思議な糸のようである。

敗戦直後、戦争に傷つき、荒廃した生活に悲しい心を抱えた人間に幸福だった頃の思い出を見せる男の話である。戦争で恋人を失った街の女に男がこうささやく。「だから、君の思い出は人一倍美しいのさ」。

家業が傾いたことを苦に芝居の道をあきらめかけたことがあるそうだ。長い長い芝居に幕が下りるとき、「魔法使い」はどんな思い出を見ていらっしゃるか。


共謀罪

天地人 5/20

 度々利用する大手通販サイトから「おすすめ商品」を知らせるメールが届く。探していた本などをタイミングよく薦めてくることもある。「おすすめ商品はお客様がこれまで購入された商品に基づいて紹介させていただいています」。こうしたサービスは便利だが、個人の趣味、好み、知りたいことの傾向など、ネット上ではほぼ野ざらし状態になることの、その先を想像したい。

 2013年、米政府が、米国民のネットの検索履歴を含めた膨大な通信データを違法に収集し、市民監視を行っていた実態が、CIAの元職員により暴露された。

 元職員からもたらされた機密文書を前に、ジャーナリストが言う。「これはすべて発表しよう。国家の監視能力をみんなが理解するためだ」「政府に監視されたいか、国民が議論すべきだ」(ドキュメンタリー映画「シチズンフォー スノーデンの暴露」)。

 多くの懸念が解消されないまま、日本では、テロなどの犯罪を計画段階で処罰する「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ組織犯罪処罰法改正案が、衆院法務委員会で強行可決された。

 テロ対策は重要だろう。だが成立すれば、犯罪の準備を取り締まるために、市民生活を広く監視し、心のうちにも立ち入るような捜査が横行するのではないか。「安心」と引き換えに、私たちは「政府に監視されたい」のか。議論が深まったとはいえない。

戯(ざ)れ文

小社会 5/20

 昔の人ならこんな戯(ざ)れ文でも作ったのではないか。わが国に「霞が関文学」というものあり。官僚として出世を志す者は、この文学の骨法を習得し、法案や文書の作にいそしむこと。

 一、文章の基調は玉虫色を旨とすべし。どうとでも取れる曖昧さが命なり。持って回った言い方で難解な用語をこねくり回し、一文はできるだけ長いをよしとする。カタカナ語で読む者をケムに巻くのも有用なり。

 一、拡大解釈の余地を残すべし。法案には「○○等」「その他」などを巧みに織り込むこと。「等」とあれば後々、いかような文言でも追加でき、すこぶる重宝なり。恣意(しい)的な解釈ができる点では、「…の恐れがある場合」も便利なり。
 
 一、言葉の置き換えを多用すべし。例えば「できない」という否定的表現も、「慎重に検討する」といえば柔らかくなる。反対意見を丸め込む際などに効果あり。役人の世界で「検討する」は「やらない」の同義語なり…。

 このへんで置くが、きのう衆院法務委員会で可決された共謀罪法案も、戯れ文の骨法を十分に受け継いでいる。新設される罪名自体、「テロ等準備罪」だ。捜査当局の拡大解釈や恣意的運用で、監視社会を招く懸念も解消されていない。なのに安倍政権は採決を強行した。

 なぜそう成立を急ぐのか。安倍首相は東京五輪のテロ防止を強調し、共謀罪と言葉を置き換えた。永田町文学の悪質さも相当なものである。


スープの問題

談話室 5/20

残ったスープを眺め丼を置く。しばし考え、両隣の客と店主の隙をうかがってもう一口飲み、思い惑った末に全部啜(すす)り込む-。漫画家でエッセイストの東海林さだおさんはラーメンを食すたび「スープの問題」に悩む。

「全部飲みたい」が「世間が許さない」。でも結局は「エエイ、もうこうなったら世間も常識もないッ」。平らげるなり「せわしなくお勘定をし、深く傷ついて店を出る」。東海林さん編著「ラーメン大好き!!」から引いた。愛してやまない好物ながらも複雑な思いが絡む。

日本人の食塩摂取源の食品は1位がカップ麺で、スープを飲み干すと仮定して1日当たり5.5グラム。2位はインスタントラーメンで5.4グラム-。国立研究開発法人の医薬基盤・健康・栄養研究所が発表した。「食塩の取りすぎは血圧の上昇と関連がある」と注意を喚起する。

国の家計調査の品目別年間支出額ランキング(2014~16年の平均)で都道府県県庁所在地と政令指定都市の計52市中、山形市は中華そば(外食)が断然トップ。カップ麺も青森、新潟両市に続く3位で根強い需要を物語る。お好きな皆さま、どうぞご自愛ください。

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小さい頃からラーメンが好きだ。一日三食ラーメンでもいいくらいだ。そば、うどん、など麺類は皆好きだが得にラーメンは別格である。

「日本人が愛してやまない食物、ラーメン。ラーメンの魅力とは何だろう?編者の発したこの命題に、26名のラーメン愛好家たちが取り組んだ。ある者は具について考え、ある者はスープについて、またある者は戦後日本社会との関係を考察する。
さらに人気ラーメン屋の店主6名へのインタヴュー、在野グルメ諸氏による座談会などを加え、多角的にその魅力に迫る、ラーメン探求の書」そのエッセンスを紹介しよう。

【人は何故にラーメンで興奮するのか】

なにかのはずみで、ふと食べたくなると、もう矢も盾もたまらぬ、という食物がある。
雑誌のラーメンのカラーグラビア写真などがあると、ぼくは、「ウム、もうどうにもならぬ、今すぐ待ったなし、この場で、たとえ相手を押し倒しても」と興奮してしまう。

考えてみれば、ラーメンは実に単純な食物である。
容れ物は丼一つ、これだけでこと足りる。
寿司のように、醤油の小皿もつかない。
カツ丼のように、おしんこの皿もつかない。
威風堂々丼一つ、これだけで勝負しているのである。
丼の中には、スープと麺、そして具、これだけである。
具にしても、基本的には。シナチクと焼豚だけである。
たったこれだけの食物に、人々は大騒ぎするのである。
本書のごとく、一冊の本が出来上がるほどに人々は騒ぎに騒ぐのである。
これはなぜであろうか。

同じ麺類であるきつねうどんでは少しも騒がぬ男たちが、ことラーメンとなるとかくも
騒ぎ始めるのはなぜであろうか。
たしかに、きつねうどんで騒いでいる人々を見たことがない。
油揚げの厚みがどうのとか。煮具合がどうのとかいう議論を聞いたことがない。
たぬきうどんでも、鴨南蛮でも変わりはなかろう。
日本そば、うどんのたぐいは、むしろ人々をして沈黙せしめるところがあるように思う。
精神の沈静化をうながすところがあるように思う。
一杯のきつねうどんを前にすると、人はなにかこう、しみじみとした気持ちになり、心静まる。すすっているうちに敬虔(けいけん)な気持ちになって念仏の一つもとなえたくなる。
ところがラーメンとなると事態は一変するのである。

ラーメンを食べているときは、精神はラーメンのみに集中していて他のことは一切考えられない。没入、集中、熱中という点からいえば、ラーメンの右に出るものはないのではないか。それほどにラーメンは、人を熱中させるものなのである。忘我の境に陥れるものなのである。これほどまでに、人の精神を没入せしめるラーメンとは一体何か。
その魔力は一体どこにあるのか。
本書が、その開明の一助とならんことを祈るばかりである。

30年前の本だけど、いまでも通じる所がたくさんあるなあ…!(・o・)

高等遊民

北斗星 5/20


夏目漱石の小説に「高等遊民」と呼ばれる人種がしばしば登場する。高学歴のエリートながら受け継いだ財産があるので仕事に就く必要がなく、趣味の世界で生きていける。世俗の泥にまみれていない分、現実を冷静に見極めることができる。

高等遊民の典型は「それから」の主人公代助(だいすけ)だろう。世話係として一緒に暮らす書生は「いい積(つも)りだなあ。僕も、あんな風に一日(いちんち)本を読んだり、音楽を聞きに行ったりして暮(くら)して居(い)たいな」とうらやむ。

漱石が後藤宙外(ちゅうがい)に宛てた手紙が、あきた文学資料館の「夏目漱石と秋田」展(9月10日まで開催中)で公開されている。さすがと思わせる流麗な筆致で、1911(明治44)年1月5日の消印がある。

その中で漱石は、天下の浪人ほど気楽なものはない、私も財産を有した浪人でありたいと願っている―と書き、前年に文芸誌「新小説」を辞して浪人となった宙外を気遣っている。「天下の浪人」とは、「高等遊民」を穏便に言い換えた漱石流の新表現なのだろうか。

払田(ほった)村(現大仙市)生まれの宙外は作家や編集者として中央文壇で活躍し、漱石から手紙をもらった4年後、48歳で六郷町(現美郷町)に隠退した。請われて町長を2期務めた後、地方史の研究に没頭、1938(昭和13)年に71歳で没する。

この間に「明治文壇回顧録」を著し、古代城柵(じょうさく)「払田柵(ほったのさく)」の発見と調査に情熱を注いだ。ただの浪人や遊民で終わることなく、晩年まで古里に尽くした知識人であった。

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切り取り犯

卓上四季 5/19

19世紀後半、英国ロンドンで5人の女性が次々に襲われる事件があった。のどを切られ、臓器をえぐられる―。残忍な手口は共通していた。

ジャックを名乗る犯行文が通信社に届き、「切り裂きジャック事件」と呼ばれた。容疑者には犯行の手口から医師や肉屋が浮上したが、犯人は捕まらず、迷宮入りした。

時代は大英帝国の絶頂期。海外で植民地支配が進む一方、国内では貧富の差が深刻になる。庶民は憂さ晴らしもあって、この事件に関心を寄せ、報道する新聞を先を争って購入した。今でいえば劇場型犯罪に当たる。

犯人は単なる変質者なのか。時代背景との関わりはないのか。今も真相を探る著作の出版が絶えない。節目の年には、特集番組や関連商品の販売もある。事件から130年たつ来年は、どうなるだろう。

国内に目を向けると、人をあやめたわけではないが、思い出という大切な心の財産をずたずたに切り裂くような出来事が相次ぐ。各地の図書館で所蔵の学校史や記念誌が切り取られる被害である。主に生徒の集合写真や学校行事の様子を撮影した写真が狙われているというから、愉快犯だけではくくれない。学校生活に恨みがあったのかもしれない。

広範囲にわたるため模倣犯がいる可能性がある。むろん、切り取りは殺人とは違う。でも、そこに怖さを感じるのは、心の闇がゆがんだ形で表に出ているように見えるからか。

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【切り取り被害】図書館で広がる学校史・記念誌切り取り被害 全国で250冊2千ページ超 目的不明、模倣も?

 図書館が所蔵する学校史や記念誌が切り取られる被害が、中部地方を中心に全国で相次いで発覚している。

 11日には群馬、山梨両県の図書館も、関東地方で初めて同様の被害を公表した。公立図書館の8割が加盟する日本図書館協会(東京)は緊急調査の実施を決定。写真掲載ページに被害が集中するなど共通点はあるものの、目的が見えないだけに、関係者らに不安が広がっている。

 一連の被害は、岐阜県図書館(岐阜市)で、毎月最終金曜日に行われている蔵書整理がきっかけで発覚した。

 4月28日に作業を行っていた職員が、ある学校の記念誌を閉じた状態で見たところ、途中のページが抜き取られているような隙間が空いているのを発見。ページをめくると数十ページが切り取られていた。これを受け所蔵する県内の小中高校の学校史、記念誌など計462冊を調査した結果、10冊から計134ページが切り取られていることが分かった。

 保管されていた郷土資料コーナーでは、1週間ほど前から本の並び順の乱れが目立っていたという。別の職員は「学校史、記念誌も後世に残すべき貴重な資料。誰が何の目的でやったのか全く見当が付かない」と戸惑った様子だった。

 岐阜県図書館での被害発覚後、同県内や近隣県の図書館も調査を実施。岐阜市立中央図書館(岐阜市)や愛知県図書館(名古屋市)などで次々と被害が見つかり、11日現在で被害が確認された学校史、記念誌は250冊以上、ページ数は2千ページ以上に達した。当初は中部地方が中心だったが、秋田、群馬、静岡、香川などでも被害が確認された。

 切り取られた部分は、集合写真や学校生活の様子など写真をメインにしたページが比較的多く、刃物で切り取ったり、手で破ったりしたような形跡があるという。各図書館では、閲覧に申請が必要な場所に学校史や記念誌を移したり、警察に被害届を出したりするといった対応を行っている。

 切り取り行為の目的について、筑波大の原田隆之教授(犯罪心理学)は「同一人物が複数カ所で切り取ったとすれば、自身の学校生活や学校教育に対するネガティブな感情に基づいた暗い攻撃性の表れではないか」と分析する一方、「被害地域に広がりがあるため、ネットなどを介してつながった複数の人物によるいたずらや模倣犯も考えられる」と話している。

記述式問題

河北春秋 5/19

フランスの大学入試問題。「夜更けのセーヌ川の岸を通りかかった君は、娼婦(しょうふ)が川へ飛び込もうとするところに出会う。君は言葉だけで彼女の自殺を止められるか」。井上ひさしさんが随筆で紹介している。

難解である。変なことを言って身投げでもされたら…。実は満点をもらった受験生がいた。答えは「『わたしと結婚してください』と説得するしかありません」。後に小説『王道』『人間の条件』を著すアンドレ・マルローだったという。

大学入試センター試験が今の中3から対象に衣替えとなる。難しい女心を読めとまで求めはしないだろうが、実施案は国語と数学に記述式問題を加えた。四角いマスを塗りつぶすマークシート式で知識量を測り、文章で思考力や表現力をみるらしい。

この実施案、遠藤周作さんが聞いたらさぞ喜んだろう。かつて自作小説が入試に出題され、主人公の心理状態を考える問題に挑戦。悪戦苦闘して四つの選択肢全てに○を付けたら正解は一つだった。「抗議する」と怒った様子が『狐狸庵(こりあん)閑談』に書かれている。

でも、待てよ。国語で3問ほど出題される記述式に答えるのは最大120字。「こんな程度で表現力を問われてもな~」と作家の皆さんは少々戸惑うかもしれない。そこはマルローに倣ってビシッと。

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忖度(そんたく)問題

北斗星 5/19

ある国会議員の子女は教員志望だったが、地元の採用試験を受けず、縁もゆかりもない他県の採用試験を受けた。たとえ実力で地元の試験に合格しても「どうせ親の威光でしょ」と言われるだろうと思ったからだ。

独立心の強い見上げた娘さんである。父親の議員も娘の思いを尊重した。彼女は文字通り実力で試験に合格して他県の教員となった。議員は亡くなって久しいが、生前に本人からこの話を聞き、感動したことを覚えている。

親の威光で試験結果が左右される時代があったかどうかまでは知らないが、やっかみ半分であれこれうわさする人はいる。娘を手元に置きたいというのが親心なら、無理にとどめて不愉快な思いをさせるのは気の毒だというのも親心だ。

愛媛県今治市への私大獣医学部新設計画は、森友学園に続く「忖度(そんたく)問題」第2幕の様相を見せている。大学の経営者と安倍晋三首相が親しい間柄で、国家戦略特区の対象事業として特例的に新設が認められた背後に首相の意向があったのでは、と疑われている。

首相は以前「私と付き合いがあったら国家戦略特区に指定されないということになるのか。これはおかしな話になる」と国会で答弁しているが、親しい友人となれば、双方にその気がなくても疑われるのはやむを得ない。歓迎して建設用地を無償提供した今治市にとっても迷惑な話だろう。

むしろ「私が首相であるうちはやめた方がいい」と助言するのが親心であり真の友情ではなかったか。

ウエルシュ菌

滴一滴 5/19

 前の晩に残ったカレーが翌朝にも出る。向田邦子さんが脚本を書いた往年の人気テレビドラマ「寺内貫太郎一家」にはそんな家族の食卓が描かれていた。

向田さん本人もカレーが好物で、子どものころ、前夜のカレーの残りを朝食のご飯にかけたいと親にねだったそうだ。「子どもは前の日のカレーを食べたいわけですよ」。生前の対談で語っている。

特に昭和の時代に子どもだった人には、似たような思い出があるに違いない。鍋のカレーがたくさん残ると、しばらくは食べられるのがうれしかった。一晩寝かせれば味もよくなった気がしたものだ。

作り置きしたカレーなどが食中毒の原因になるとして、厚生労働省が注意を呼び掛けている。今年3月には都内の私立幼稚園で、園児や教職員ら70人以上が嘔吐(おうと)や下痢などの症状を訴えた。園の行事で出たカレーを食べたのが原因とみられる。カレーは前日に調理し、室内に置いていた。

悪さをするのはウエルシュ菌という細菌だ。いったん加熱されると熱に強くなり、常温で放置すると急速に増殖する。再加熱しても菌が生き残る場合があるという。

カレーを保存するにはできるだけ早く冷ますことが大事らしい。面倒でも小分けし、冷蔵か冷凍する。2日目のカレーが好きだった向田さんが健在なら、現代の食卓の風景をどう描くだろうか。

C・エレガンス

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【C・エレガンス】

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【アニサキス】

南風録 5/19

 映画「007」でおなじみの英国諜報(ちょうほう)員ジェームズ・ボンドの名は実在した鳥類研究者に由来するという。「鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ。」(新潮社)で知った。

 ボンドの生みの親であるイアン・フレミングが地味な名前にしたいと愛読書の著者名を拝借した。おしゃれでハンサムなすご腕スパイとして自分の名が世界に知れ渡るとは、当の本人は思いもよらなかったに違いない。

 人類の危機を幾度となく救ったボンドよろしく、「C・エレガンス」という耳慣れない生き物も人知れず危険と闘っている。体長1ミリ程度の線虫である。動きが優雅で美しいからと、100年ほど前にこの名を授かったと伝えられる。遺伝子研究では長く重宝されてきたらしい。

 気品ある名前からは想像しにくいが、犬並みといわれる嗅覚を備えているから侮れない。人ががんにかかっているかどうかを、尿のにおいでかぎ分ける。これを“武器”に使った検査装置の開発が進んでいて、メーカーは2019年にも量産態勢を整えるという。

 9割の確率でがん患者を見分けたとする鹿児島市の病院の報告もある。検査に伴う体への負担は少なく、費用も安上がりと聞けば、一気に身近に感じられる。

 この世は人の胃や腸にへばりついて激痛をもたらすアニサキスのような線虫ばかりではないようだ。小さなすご腕の活躍ぶりに期待したい。

忖度

小社会 5/19

 このところ頻繁に登場するようになった「忖度(そんたく)」。「他人の心中や考えなどを推しはかること」という意味のこの熟語が初めて使われたのは中国最古の詩集「詩経」とみられている。

 「巧言」という詩に「他人心あり、予(われ)之(これ)を忖度す」。ここでの心はよこしまな心を指す。他の人に邪心があれば、私はそれを推しはかる。むろん、しっかりと推察し、そうした不正な心を把握する、という意味だ。

 学校法人「森友学園」に続いて、安倍首相の友人が理事長を務める「加計(かけ)学園」の獣医学部新設計画を巡って大きな動きがあった。文部科学省と内閣府のやりとりを記録したとされる文書には、早期の開学に関して「官邸の最高レベルが言っていること」「総理の意向だ」。

 安倍首相はこれまでの国会答弁などで関与を強く否定している。とするなら、首相は早期開学を望んでいるようだ、と忖度した官僚が事業計画の認定などを急いだのだろうか。菅官房長官が「怪文書」とした文書の真偽を含め、事実関係の解明が不可欠となる。

 「巧言」は「躍躍(てきてき)たる毚兎(ざんと)、犬に遇(あ)いて之を獲(と)らる」と続く。すばしっこくずるがしこいウサギも、犬に出合って捕まる。よこしまな心を持つ人間はこのウサギの類いであり、やがて必ず捕らえる犬が現れる、といったことのようだ。

 この詩は、暴君を非難するために官僚が作った、との見方があることを最後に付け加えておきたい。

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ホタル飛ぶ町

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「ゲンジボタル」
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水鉄砲 5/19

 「ホタルが飛び始めている」と聞いて、早速、毎年のように観賞に出掛けている上富田町の川べりに出掛けた。

 まだ5月半ばであり、少々肌寒かったせいもあるのだろう。飛んでいるのはほんの十数匹。それぞれが闇の中で2、3秒置きに淡い光を点滅させていた。よく見ると、川辺の草むらの中でひっそりと明かりをともしているのも少なくない。

 この光景を見ながら、子どもの頃、毎晩のように竹ぼうきを手に、近くの川べりに出掛けたことを思い出す。ホタルが乱舞している場所でほうきを振り回すと、小学生でも必ず、3匹や5匹のホタルが捕れた。それを持参した瓶に移して持ち帰り、明かりを消した奥座敷においておくと、柔らかな明かりを点滅させる。

 「きれいなもんやな」と母親や妹が喜ぶ。同時に「あとで放したげや。ホタルにも尊い命があるんやから、それを勝手に縮めたらあかんで」と必ず注意された。60年以上も前の話である。

 その後郷里では、水田の除草や害虫駆除のため、盛んに農薬が使用されるようになり、それに伴ってホタルの姿も見られなくなった。最近になってようやく復活したそうだが、紀南でも同じような経過をたどったのだろうか。

 紀南にはいま、ホタルの名所がいくつもある。それぞれ土地の人たちが生息できる環境を整えてきたからだろう。人間の暮らしと環境保全。ホタルに魅せられるだけでなく、常にそのことを考えていきたい。 

アイノカゼ

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中日春秋 5/18

<アイノカゼ>。なんとなくおだやかな語感のある、この風は今時分の海風のことをいうそうだ。<東風(あゆのかぜ)いたく吹くらし奈吾(なご)の海人(あま)の釣する小舟榜(こ)ぎ隠(かく)る見ゆ>。大伴家持(おおとものやかもち)が越中に赴任したときの歌で、このアユノカゼがアイノカゼとなったという。

日本各地の風の名前を集めた民俗学者の柳田国男がアイノカゼについて、こんな説明をしている。「海岸に向つてまともに吹いて来る風、即(すなわ)ち数々の渡海の船を安らかに港入りさせ、又はくさぐさの珍らかなる物を、渚(なぎさ)に向つて吹き寄せる風のことであった」(『海上の道』)。してみれば、その風は人を喜ばせる風なのかもしれぬ。

そそっかしくも風の名に出会いの「会いの風」や「愛の風」の漢字を当てたくなる。秋篠宮ご夫妻の長女眞子さまが、大学時代の同級生の小室圭さんと婚約されることが分かった。

眞子さまもはやそういうお年ごろになっていらっしゃったか。お二人の<アイノカゼ>に日本列島に穏やかな空気が流れていることだろう。

皇室のおめでたい話になると親戚気分でお相手を吟味したくなる傾向が日本人にはあるかもしれぬ。絵に描いたような好青年の評はともかく、インタビューでのきまじめな受け答えにこの人ならばと安心した人もいるだろう。

神奈川県藤沢市の観光PR役の「海の王子」だったそうだ。なるほど、海からの<アイノカゼ>のお導きか。

…………………………

アイノカゼ資料

柳田国男 海上の道 - 青空文庫

風・めぐみとわざわい 佐伯 安一

風位考と民族土壌学~風の名前、土の名前と民俗伝承~

東風あゆにかぜ考

「心あひのかぜ」について


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鎮守の森

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地軸 5/17

 小学生の頃、一番の遊び場は学校近くの神社だった。複雑な建物配置はかくれんぼに最適。「鎮守の森」では木登りやセミ捕りをした。大人たちも事あるごとに集まっていた記憶がある。

 古くから地域住民の拠点だった神社と鎮守の森。その大切さを約110年前、粘菌の研究で知られる博物学者・民俗学者、南方熊楠は懸命に訴えた。

 当時の明治政府は、小規模な神社を統廃合する「神社合祀(ごうし)」を強引に進めていた。全国に20万あった神社のうち、7万が取り壊され、森の木々も切り倒された。愛媛県内では約7割がなくなったというから驚く。

 和歌山県にいた熊楠は、森の消滅で自然界の微妙な生態バランスが崩れることを恐れた。貴重な生物が死滅し、農業や漁業にも悪影響を及ぼす。風景が損なわれ、地域独自の祭礼や習俗も失われると反対運動を展開した。おかげで熊野古道の森林が救われ、2004年の国連教育科学文化機関(ユネスコ)世界文化遺産の登録につながった。

 百科事典を書き写して丸暗記したとか、十数カ国語を理解できたとか、熊楠の天才ぶりを示す逸話は多い。官職に就くことなく、一生「在野」を貫いた。明日は生誕150年。

 「生まれ育った町に森や林を取り戻したい」。東日本大震災の被災地で植樹活動が広がっている。鎮守の森になるまでには、気が遠くなるような時間を要する。小さな苗木に故郷の未来を託す人たちの思いを共有したい。
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