コラムの記事 (2/134)

永井荷風

小社会 9/17

 作家、永井荷風が日記「断腸亭日乗」を書き始めたのは、今から100年前の1917(大正6)年9月16日。31(昭和6)年の満州事変後には、東京・銀座の様子をこう記している。
 
 〈商店の硝子(ガラス)戸には日本軍上海攻撃の写真を掲げし処多し。蓄音機販売店にては盛に軍歌を吹奏す。時に満街の燈火一斉に輝きはじめ全市挙(こぞ)つて戦捷(せんしょう)の光栄に酔はむとするものの如し〉。核実験やミサイル発射を繰り返す北朝鮮の街も、同じように沸いているのだろうか。

 国連安全保障理事会の制裁決議にも、「備蓄した外貨や燃料で持ちこたえられるうちに、核戦力を完成させるつもりだ」。本紙に載った北朝鮮消息筋のコメントは、これまた太平洋戦争前夜の日本をほうふつとさせる。

 日本は米、英、中国とオランダによる経済封鎖に苦しんでいた。ジリ貧になるより戦争をやれば勝利の公算は半分。このまま滅亡するよりはいい―。そんな論理で真珠湾攻撃に突き進む。一度、破滅への道を歩んだ日本だからこそ、北朝鮮に同じ過ちをさせてはなるまい。

 小泉首相=当時=が電撃訪朝し、金正日(キムジョンイル)総書記が日本人拉致を認めたのは15年前のきょう。日朝平壌宣言には「互いの安全を脅かす行動はとらない」「核・ミサイル問題も関係国間の対話を促進し解決を図る」とある。

 どれほど時間がたとうとも、過去と誠実に向き合えば、未来を開く鍵を見つけることはできる。

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四季風 9/17

東京暮らしを始めた半年前、毎日読みふけっていたのが評論家の川本三郎氏の『荷風と東京』(岩波現代文庫)。永井荷風(1879~1959年)が死の前日まで42年間にわたって書き続けた日記『断腸亭日乗』をひもときながら、荷風が歩いた東京の細部を浮かび上がらせた名著だ。

築地、銀座、新橋、赤坂-。仕事で足を運ぶ先々の往時の姿が私の眼前に立ち現れ、それまでどこか気後れを感じていた場所が、好きな大作家の導きによって昔からのなじみのような身近な存在に。せわしない都会生活にひとときの安らぎを与えてくれた。

荷風が日乗を書き始めたのは1917年9月16日。100年前のきのうだ。日乗は激動の時代の記録でもある。日中戦争勃発や日米開戦により暗さを増す世相、物資窮乏が市民生活を脅かすさま、東京大空襲で自宅や蔵書が焼失する光景などを透徹した筆致で伝える。

その荷風は太平洋戦争終結を敗戦や終戦ではなく「休戦」の言葉で表現したという。「戦争のない世などありえないというシニシズムのためだろう」と川本氏は書く。

「時代の雰囲気が戦前に似ている」と言われる昨今。戦争の忍び足の方は、身近なものになってほしくない。 

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断腸亭日乗

断膓亭日記巻之一大正六年丁巳九月起筆

永井荷風


+目次

荷風歳卅九

◯九月十六日、秋雨連日さながら梅雨の如し。夜壁上の書幅を挂け替ふ。
碧樹如レ烟覆二晩波一。清秋無レ尽客重過。故園今即如二烟樹一。鴻雁不レ来風雨多。姜逢元
等閑二世事一任二※(「さんずい+冗」、第4水準2-78-26)浮一。万古滄桑眼底収。偶□心期帰図画。□□蘆荻一群鴎。王一亭
 先考所蔵の畫幅の中一亭王震が蘆雁の図は余の愛玩して措かざるものなり。
◯九月十七日。また雨なり。一昨日四谷通夜店にて買ひたる梅もどき一株を窗外に植ゆ。此頃の天気模様なれば枯るゝ憂なし。燈下反古紙にて箱を張る。※(「虫+車」、第3水準1-91-55)頻に縁側に上りて啼く。寝に就かむとする時机に凭り小説二三枚ほど書き得たり。
◯九月十八日。朝来大雨。庭上雨潦河をなす。
◯九月十九日。秋風庭樹を騒がすこと頻なり。午後市ヶ谷辺より九段を散歩す。
◯九月二十日。昨日散歩したるが故にや今朝腹具合よろしからず。午下木挽町の陋屋に赴き大石国手の来診を待つ。そも/\この陋屋は大石君大久保の家までは路遠く徃診しかぬることもある由につき、病勢急変の折診察を受けんが為めに借りたるなり。南鄰は区内の富豪高嶋氏の屋敷。北鄰は待合茶屋なり。大石君の忠告によれば下町に仮住居して成るべく電車に乗らずして日常の事足りるやうにしたまへとの事なり。されど予は一たび先考の旧邸をわが終焉の処にせむと思定めてよりは、また他に移居する心なく、来青閣に隠れ住みて先考遺愛の書画を友として、余生を送らむことを冀ふのみ。此夜木挽町の陋屋にて独三味線さらひ小説四五枚かきたり。深更腹痛甚しく眠られぬがまゝ陋屋の命名を思ふ。遂に命じて無用庵となす。
九月廿一日。大石国手来診。
九月廿二日。無用庵に在り。小説おかめ笹執筆。
〔欄外「原本廿三日より廿九日迄記事なし」トアリ、朱線ヲ引キ胡粉デ抹消〕
九月三十日。深夜一時頃より大風雨襲来。無用庵屋根破損し雨漏り甚し。黎明に至りて風雨歇む。築地一帯海嘯に襲はれ被害鮮からずと云。午前中断膓亭に帰りて臥す。
〔欄外「原本十月一日及二日欠記事」トアリ、朱線ヲ引キ胡粉デ抹消〕
十月三日。断膓亭窗外の樹木二三株倒れ摧かる。
十月四日。百舌始て鳴く。
〔欄外「原本五日より七日まで記事を欠く」トアリ、朱線ヲ引キ胡粉デ抹消〕
十月八日。連日雨歇まず。人々大風再来を憂ふ。藪鶯早くも庭に来れり。
十月九日。大雨。無用庵雨漏りいよ/\甚しき由留守居の者知らせに来りし故寐道具取片づけ断膓亭に送り戻さしむ。唖々子にたのみて三味線食器は一時新福亭へあづけたり。(久米秀治氏細君営業の待合茶屋なり)
十月十日。夜庭後子風雨を冒して来訪せらる。断膓亭襍稾出版についての用談なり。
十月十一日。この日雨始て晴る。百舌頻に鳴く。旧稾つくりばなしを訂正して文明に寄す。
十月十二日。赤蜻※(「虫+廷」、第4水準2-87-52)とびめぐり野菊の花さかりとなる。
十月十三日。秋※(「こざとへん+(人がしら/髟のへん)」、第4水準2-91-70)夢の如し。夜庭後君再び訪来り文明編輯の事を相談す。
十月十四日。空始めて快晴。小春の天気喜ふべし。八ツ手の芽ばへを日当りよき処に移植す。午後神楽阪貸席某亭に開かれたる南岳追悼発句会に赴く。帰途湖山唖※(二の字点、1-2-22)の二子と酒楼笹川に飲む。
十月十五日。曇る。鵯鳴く。園丁来りて倒れたる庭木を引起したり。夜また雨。
十月十六日。雨。石蕗花開く。その葉裏に毛虫多くつきたり。今年は秋に入りて殊に雨多かりし故にや此頃に至り葉※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)頭野菊紫苑のたぐひに至るまで皆毛虫つきたり。
十月十七日。鶺鴒飛来る。晩風蕭索。夕陽惨憺たり。
十月十八日。先人揮毫の扇面を見出し書斎の破襖に張る。其の中の一詩を録すれば、隔水双峰雪未銷。白堤寒柳晩蕭蕭。三杯傾尽兪楼酒。馬上思君過断橋。
十月十九日。大石君の診察を請はむとて数寄屋橋新福亭に徃く。大石君来らず空しく帰る。唖々子に逢ひ四谷に飲む。
十月廿二日。晴天。風寒し。断膓亭に瓦斯暖炉を設く。八ツ手の蕾日に日にふくらみ行けど菊は未開かず。竜胆花をつけたり。おかめ笹第六回に進む。夜執筆の傍火鉢にて林檎を煮る。
十月廿三日。晴天。文明第十一号校正。午後日吉町庄司理髪店に赴き米刃堂に立寄り庭後唖々の両子と三十間堀寿※(二の字点、1-2-22)本にて晩餐をなす。清元延園おりきを招ぐ。
十月廿四日。両三日腹具合大に好し。午後家を出で紀の国坂を下り豊川稲荷に賽す。
十月廿五日。朝より大雨終日歇まず。庭上雨水海の如く点滴の響滝の如し。夜に入つて風また加はる。燈下孤坐。机に凭るに窗外尚残蛩の啼くを聞く。哀愁いよ/\深し。
十月廿六日。晴天。写真師を招ぎて来青閣内外の景を撮影せしむ。予め家事を整理し万一の凖備をなし置くなり。近日また石工を訪ひ墓碑を刻し置かむと欲す。夜風あり。月明かなり。虫語再び喞々たり。
十月廿七日。晴天。階前の黄菊始て開く。午後青山辺を歩む。夜梔子の実を煮、その汁にて原稿用罫紙十帖ほど摺る。梔子の実は去冬後園に出でゝ採取し影干になしたるもの。
十月廿八日。来青閣壁間の書幅を替ふ。毅堂先生絶句三幅を懸く。朝の中雨ふりしが晩に歇む。是夜十三夜なれど月なし。初更のころ門を敲くものあり。燈を挑げて出でゝ見れば旧友葵山子の訪来れるなり。※(「口+加」、第3水準1-14-93)※(「口+非」、第4水準2-4-8)を煮て款晤す。
十月廿九日。曇る。夜九穂子来訪。
十月三十日。快晴。後園に菜種を蒔く。
十月卅一日。唖※(二の字点、1-2-22)子来訪。
十一月一日。
十一月二日。
十一月三日。快晴。南伝馬町太刀伊勢屋に徃き石州半紙一〆を購ひ、帰途米刃堂を訪ふ。
十一月四日。大雨。断膓亭襍稾表帋板下絵を描く。
十一月五日。晴。山茶花開く。菊花黄紅紫白の各種爛漫馥郁たり。八ツ手の花もまた開く。午後水仙蕃紅花の球根を地に埋む。
十一月六日。夜唖※(二の字点、1-2-22)子来訪。晩風漸く寒し。虫の音全く後を絶しが、家の内薄暗きところには猶蚊のひそめるあり。
十一月十日。今年は去月の暴風にて霜葉うつくしからず。此の頃に至りて楓樹の梢少しく色づきたれど其の色黒ずみて鮮ならず。
十一月十二日。快晴。樫の芽ばへを日あたりよき処に移植す。
十一月十三日。小説腕くらべを訂正し終りぬ。午後三十間堀の酒亭寿※(二の字点、1-2-22)本に徃き、庭後唖※(二の字点、1-2-22)の二子と飲む。
十一月十五日。断膓亭襍稾印刷校正に忙殺せらる。夜唖※(二の字点、1-2-22)子来談。
十一月十六日。鵯毎朝窗外の梅もどきに群り来る。余起出ること晩きが故今は赤き実一粒もなくなりたり。
十一月廿一日。断膓亭襍稾校正終了。下婢を銀座尾張町義昌堂につかはして水仙を購ふ。
十一月廿二日。毎日天気つゞきにて冬暖甚病躯に佳し。午後市ヶ谷辺を散策す。古道具屋にて三ッ抽出し古箪笥を購ふ。余以前は箪笥あまた持ちたるに一棹は代地河岸にて失ひ、又重箪笥二棹は宗十郎町にて奪はれ、今はわが衣服を入るゝに西洋トランクと支那文庫とあるのみ。日常使用に不便なれば已むことを得ず新に購求めしなり。代価参円半。
十一月廿三日。晴天。満庭の霜葉甚佳なり。萩芒の枯伏したる間に鵯二三羽来りて枯葉を踏む。其の音さながら怪しき者の忍寄るが如き気色なり。晩間寒雨瀟瀟として落葉に滴る。其声更に一段の寂寥を添ふ。再びおかめ笹の稿をつぐ。
十一月廿九日。両三日寒気強し。樹※(「こざとへん+(人がしら/髟のへん)」、第4水準2-91-70)日光に遠きあたり霜柱を見る。今暁向両国相撲小屋跡菊人形見世物塲より失火。回向院堂宇も尽く焼亡せしと云ふ。西大久保母上の許より昆布佃煮を頂戴したり。
十一月三十日。この頃小蕪味ひよし。自ら料理して夕餉を食す。今朝肴屋の半台にあなごと海鼠とを見たり。不図思出せば廿一二歳の頃、吉原河内楼へ通ひし帰途、上野の忍川にて朝飯くらふ時必ずあなごの蒲焼を命じたり。今はかくの如き腥臭くして油濃きものは箸つける気もせず。豆腐の柔にして暖きがよし。夜明月皎皎たり。
十二月一日。蝋梅の黄葉未落尽さゞるに枝頭の花早くも二三輪開きそめたり。予今年は病のため更に落葉を掃はざりしが、今になりては荒果てたる庭のさま却て風趣あり。
十二月二日。昨日の寒さに似ず今日は暖なり。母上来たまひて来青閣の広間にて余の蒲団を縫はる。
十二月三日。余が懸弧の日なれど特に記すべきこともなし。唯冬日の暖きを喜ぶ。
十二月四日。腕くらべ印刷校正下摺はじまる。
十二月五日。中央公論社におかめ笹前半の草稾を渡す。九穂子来談。
十二月七日。日日寒気加はる。寒月氷の如し。
十二月八日。庭上の霜雪の如く白し。本年の寒気前年の比にあらずと新聞紙に見ゆ。午後風ありしが寒気甚しからず。福寿草の芽地上にあらはる。
十二月九日。正午新福主人来訪。本日帝国劇塲。松莚君連中見物の当日なればとてわざ/\さそひに来られしなり。久振りの芝居見物興なきにあらず。食堂にて花月主人に逢ふ。看劇後新福亭に一茶して家に帰る。夜三更を過ぐ。
十二月十日。快晴。紅箋堂佳話起草。
十二月十一日。快晴。園丁来りて落葉を掃ふ。肴屋白魚を持来りしが口にせず。
十二月十二日。八ツ手山茶花共にちり尽しぬ。
十二月十五日。久振にて築地の梅吉を訪ふ。弟子梅之助手すきの様子なりければ清心始の方すこしさらつて貰ひたり。
十二月十六日。九穂子来談。毎日好晴。蝋梅の花満開なり。
十二月十七日。午後九段を歩む。市ヶ谷見附の彼方に富嶽を望む。病来散策する事稀なれば偶然晩晴の富士を望み得て覚えず杖を停む。燈下バルザツクのイリユージヨンペリユデイを繙読す。就床前半時間ばかり習字をなす。
十二月十九日。※[#「抜」の「友」に代えて「丿/友」、U+39DE、15-3]辯天の縁日を歩み白瑞香一鉢を購ひ窗外に植ゆ。
十二月二十日。兼てより花月主人と午後一時を期し栄寿太夫を招ぎ清元節稽古の約あり。此日浦里上の段をけいこす。
十二月廿一日。今日もまた花月に徃く。帰途銀座島田洋紙舗にて腕くらべ用紙見本を一覧したれど思はしきものなし。
十二月廿二日。冬至。晴れて暖なり。紅箋堂佳話を書きはじめたれど興味来らず。※[#「くさかんむり/聿」、U+831F、15-9]を抛て神田を散歩す。夜半輪の月よし。沢田東江の唐詩選を臨写す。
十二月廿四日。毎朝霜柱甚し。水仙の葉舒ぶ。
十二月廿五日。午後花月に徃きしが栄寿太夫来らず空しく帰る。
十二月廿六日。唖※(二の字点、1-2-22)子米刃堂用談にて来訪。この夜寒月氷の如く霜気天に満つ。未夜半に至らざるに硯の水早くも凍りぬ。
十二月廿八日。米刃堂主人文明寄稿家を深川八幡前の鰻屋宮川に招飲す。余も招がれしかど病に托して辞したり。雑誌文明はもと/\営利のために発行するものにあらず。文士は文学以外の気焔を吐き、版元は商売気なき洒落を言はむがために発行せしものなりしを、米刃堂追々この主意を閑却し売行の如何を顧慮するの傾きあり。予甚快しとなさず、今秋より筆を同誌上に断ちたり。薄暮月蝕す。
十二月廿九日。この頃寒気の甚しさ、朝十時を過るも庭の霜猶雪の如し。八ツ手青木熊笹の葉皆哀に萎れたり。小鳥の声も稀になりぬ。大明竹の鉢物を軒の下日当りよき処に移す。午後花月に徃き浦里上の段稽古を終る。本年はこれにて休み来春また始めるつもりなり。帰途夕暮になりしを幸新福亭に立寄り夕餉をなす。主人も折好く芝居稽古を終りて帰来りたれば、清元一二段さらひて後、来合せたる妓雛丸とやらを伴ひ銀座通年の市を見る。新橋堂前の羽子板店をはじめ街上繁華の光景年※(二の字点、1-2-22)歳※(二の字点、1-2-22)異る所なし。唯余のみ年老いて豪興当時の如くなる能はざるのみ。鳩居堂にて香を購ひ車にて帰る。桜田門外寒月の景いつもながらよし。
十二月卅一日。風あり。砂塵濛※(二の字点、1-2-22)たり。午後空くもる。雪を憂ひしが夜に至り二十日頃の月氷の如く輝き出でたり。家に籠りて薄田泣菫子が小品文集落葉を読む。余この頃曾て愛読せし和洋書巻の批評をものせむとの心あり。依りてまづ泣菫子が旧著を取出して一読せしが思ふところ直に筆にしがたくして休みぬ。今余の再読して批評せむと思へるものを挙ぐるに、
落葉 薄田泣菫著     照葉狂言 泉鏡花著
今戸心中 広津柳浪著   三人妻 尾崎紅葉著
一葉全集 樋口一葉著   柳橋新誌 成島柳北著
梅暦 為永春水著     湊の花 為永春水著
即興詩人 森鴎外著    四方のあか 蜀山人著
うづら衣 横井也有著   霜夜鐘十時辻占 黙阿弥著
其他深く考へず。漢文にては入蜀記、菜根譚、紅楼夢、西廂記、随園詩話等。西洋のものはまた別に考ふべきなり。


独身女性の貧困問題

金口木舌 9/17

 「負け犬の遠吠え」という本がベストセラーになったのは今から14年前。「未婚、子なし、30代以上の女性」を負け犬と定義したのは著者の酒井順子さんだった。

自虐的に「負け犬」と言いつつも、独身者はしがらみが少なく、時間的にも経済的にも自由で、前向きにその生き方を捉えていた。どちらかといえば酒井さんのように、経済的に自立している人の視点だった。

国立社会保障・人口問題研究所の調べでは、20~65歳(勤労世代)の独身女性の相対的貧困率は32%に上るという。子どもの貧困の陰で、独身女性の貧困問題はあまり表に出て来ない。

貧困の要因は女性の大学進学率が男性に比べ低いこと、40代前半以下の世代は就職氷河期と重なり、就職難だったこと、非正規雇用に女性が多いことなどが考えられる。根底にあるのは「女性はいずれ結婚するだろう」という前提だ。

税金や社会保障制度は、将来女性は夫の扶養下に入ることを前提にしている。女性の生涯未婚率は年々上昇し2015年は14・06%と過去最高を更新。旧型のモデルは見直し、多様な選択肢を示す時期に来ている。

「負け犬」「勝ち犬」、「子なし」「子有り」、「正社員」「非正社員」など女性を二分しては問題の本質を見失う。既婚・未婚を問わず、生きづらさを感じる女性の「つらさ」を解消せずして女性の活躍推進は進まない。

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『負け犬の遠吠え』から12年

『負け犬の遠吠え』(講談社)という本を出した時、様々な反響が寄せられた中で、意外に多かったのが、

「私は結婚しているのですが、子供はいません。こんな私は、負け犬なのでしょうか?」

というものでした。

私はこの本の中で、「未婚、子ナシ、三十代以上」の人を、負け犬と定義しました。ですから、「子供がいようがいまいが、結婚しているなら勝ち犬に決まっているじゃないの」と、その手の質問に対して思っていたのですが、今考えるとわかります。「結婚しているが子供はいない」という状況に、いかにその人達が〝負け感〟を抱いていたかということが。

私は当時、結婚さえしてしまえば、人は「宿題は終わった」という気分になるのだろうと思っていたのです。しかしどうやらそうではないらしく、結婚した人には「子供はまだ?」というプレッシャーがかかる。一人目を産んだなら、「二人目は?」というプレッシャー。二人以上の子を持って初めて、結婚は完成したと見なされるらしいのです。

こういったプレッシャーは、既婚者をうんざりさせるものでしょう。が、もしもその手の外圧が無くなったら、日本の出生率はどこまでも下がっていくであろうことを考えれば、意外に重要な「声かけ」なのかも。

このように、「子供は婚姻関係にある男女間で作るもの」という認識がある日本では、純粋独身者である私のような者は「結婚はしないの?」とは聞かれても、「子供はまだ?」とは聞かれません。四十歳が見えてきて、「そろそろ妊娠もラストチャンス」となると、

「子供だけ産んでおくっていうのも、いいかもよ?」

といったことは言われたものの、それは半ば冗談のような口調でした。

対して、結婚していても子供がいない人は、

「お子さんは?」

と、しょっちゅう聞かれるのです。それも、「期待しているわよぅ」と、善意に満ちた顔で。完全な結婚をしている人、すなわち配偶者と二人以上の子供を得ている人にとって、「既婚子ナシ」というのは、もしかしたら純粋独身者よりも不自然な状態として映るようなのです。

子ナシ既婚者が、

「こんな私は負け犬でしょうか?」

と問う目は、今思い返すと切実な光を湛(たた)えていました。彼女達はおそらく、

「既婚者とはいえ、あなたも負け犬の仲間ですよ。仲良くしましょう」

と、言ってほしかったのです。

彼女達は、勝ち犬すなわち既婚者の群れの中では、「結婚しているのに子供がいない」という意味で、半端者扱いされていました。既婚者仲間と集まっても、子育て話には参加できない。ママ友だって当然、いない。

では、ともう一方を見てみれば、負け犬すなわち独身者達が、「私達は負け犬だからさぁ〜」と、開き直り気味でツルみ、楽しくやっている様子。一体自分の居場所はどこにあるのだろう……と、寂しくなったのではないか。

ところが私は、

「あなたは結婚しているのだから、勝ち犬です。子供がいないくらい、何よ。私達は結婚すらできていないのよ」

と、バッサリ斬り捨ててしまいました。ああ、今だったら、

「つらいなら、負け犬の仲間に入る? いいわよ、こちら側に来ても」

くらいのことを言ってあげたのに。

私が四十代になって、やっとわかったこと。それは、女性の人生の方向性には、「結婚しているか、いないか」よりも、「子供がいるか、いないか」という要因の方が深くかかわる、ということでした。

離婚して再び独身になった友人もたくさんいますが、子ナシで独身になった人と、子持ちで独身になった人の気分は異なります。負け犬と勝ち犬にグループ分けするとしたら、子持ち独身者は勝ち犬グループの方が合うでしょうし、子ナシ独身者は負け犬グループの方がしっくり来るのです。

子ナシの既婚者、すなわち「こんな私は負け犬なのでしょうか?」と聞いてきた人達も、本当は負け犬グループに属した方が、気がラクなのでしょう。子供のお弁当作りやサッカーの送迎についての話ができない人は、負け犬仲間と過ごした方がのびのびできること、間違いなし。

さらに年をとって、皆の夫達が先立つ頃になったら、ますます違いははっきりするに違いありません。夫持ちか否かより、子持ちか否かが、「アラウンド死期」の女性の生活を左右することとなるのですから。

結婚は、一度したからといって盤石の関係性ではありません。離別もするかもしれないし、また夫の方が先に死ぬ可能性も高い。

しかし子供を一度産むと、どれほど親子仲が悪かろうと、そのつながりは一生、切れません。多くの場合、子供は親よりも長生きするわけで、母親にとって子供は、自分が死ぬまで付き合う相手となります。

私がそのことをリアルに実感したのは、まさに母親が他界した時でした。父は既に他界していましたが、父の他界時は母や兄夫婦や私で「看取る」という作業を行いました。そして母の他界時は、今度は兄夫婦と私で、看取りをすることになったわけです。

看取るというのは、単に死の瞬間に立ち会うことだけではありません。人によっては、長い介護生活をする場合もあるでしょう。人はそうポックリと死ぬものでなく、人一人が死ぬまでには、様々な山だの谷だのを乗り越える必要があり、その全体が看取り作業。看取り作業のクライマックスが「死」の瞬間ということになります。

死亡時点で看取り作業が終わりかといったら、これまたそうではありません。お通夜、告別式に四十九日……といった諸行事に加え、遺品や家の片付けに、相続にまつわる作業等、人間一人の死亡にあたって、こなさなくてはならない作業は、山のようにある。そして、それをこなすのは子供の役割なのです。

二人目の親すなわち母親が他界した後、様々な作業をこなしながら、私は思いました。

「で、私が死んだ時は誰がこれをするわけ?」

と。私には子供はいませんから、普通にいけば兄の子供である姪が、これらの作業を担うのでしょう。しかし自分の親でもない人の死後処理をさせられるとは、何と可哀想なのだろう、と思わざるを得ません。

人は一人で生きることはできないと言いますが、一人で死ぬこともできないのです。母親からは、私が若い頃に、

「結婚はしなくていいから、子供を産んでおくといいわよ」

と言われたことがありましたが、そこには「一人では死ねないのだから、看取り要員を産んでおきなさい」という意味も込められていたのかもしれません。

もちろん、人は「死ぬ時に看取ってもらいたいから」という理由で子供を産むわけではありません。男女が出会って、その愛の結果として誕生するのが、子供。子供を産み育てる、そのこと自体に大きな意義があります。

しかし親の死に際して、私ははっきりとわかったのです。「親が死んだ時のために、子供は存在する」ということが。

死んだら死にっぱなしではなく、遺体を燃やしたり墓に入れたり祈ったり祀ったりせずにいられないのが、人間という生き物。子供として最後のそして最も大切な仕事は、「親をきちんと死なせ、その遺体をどうにかする」ということなのです。

そして私はやはり、

「で、私は?」

と思うのでした。「子供」が担う最大の役割に気付いたはいいものの、私は既に四十代半ば。生殖適齢期は過ぎています。「いや、頑張ればまだ大丈夫。五十代で子供を産んだ人だっているのだから」という意見はありましょうが、そこまで無理をして「自分の遺体をどうにかしてくれる要員」を手に入れるというのも、いかがなものか。

以前、新聞に「結婚していないきょうだいの面倒をみさせられるのが負担」といった記事が載っているのを見ました。自分および配偶者のきょうだいが独身・子ナシの場合、その老後の面倒が自分達やその子供にまで降りかかってくるのが迷惑だ、という話だったのですが、それはまさに我が家のことでもあります。

まだ姪は小さくてわけがわからないものの、もう少し物心がついたら、「ゲッ、私は両親のみならず、この叔母さんの死に水を取らなくてはいけないわけ……?」となることでしょう。

そして私は、「子供がいない人生」について、思いを馳せるようになったのです。今、日本では生涯未婚率が男性で約二割、女性で約一割ということになっています。生涯未婚率というのは、五十歳の時点で、一度も結婚したことがない人の割合。すなわち、「ま、五十を過ぎたら人はもう結婚なんてしないでしょう」というのが国の見解ということになる。

それはいいとして、婚外子が極端に少ない日本において、生涯未婚率はそのまま、子ナシ率でもあります。のみならず、結婚している人の中にも子供がいない人達がいるわけですから、その分も数字は上乗せされる。……ということで、決して少なくない割合の「子ナシ族」が発生していることになります。

統計としては存在しないようなのですが、「生涯未婚率」ならぬ「生涯未産率」が、この先は重要な数字になってくるのではないかと、私は思うのです。「生涯、一度も子を産まなかった女性」の割合は、相当高いのではないか。

男性の場合、生殖機能はかなり高齢になるまで衰えないと言いますから、七十代になってパパになりました、という離れ業も可能。「生涯で一度も父親にならない人の割合」の測定も難しそうですが、こちらの数字もまた、かなりのものなのではないか。

子ナシ族が大量発生するということは、将来は子ナシ高齢者が大量発生するということでもあります。

生涯未産で終えそうな私は、その大量の子ナシ高齢者の一人となることが確実。来たるべき子ナシ老人大量発生の時代を前に、子がいないという人生を、どう捉えればいいのか、そしてどう過ごせばいいのか。これからしばらくの間、考えてみたいと思います。

秋刀魚

天地人 9/17

 サンマは食卓に秋を運んでくれる。やはり塩焼きがいい。皮はこんがり、身はふっくらと。上手に焼くと、すっとはしを入れただけで、きれいに身がほぐれる。大根おろしをたっぷりのせて、スダチやレモンを搾るなどし、苦みのあるはらわたも一緒にたいらげる。

 ところが、例年なら最盛期を迎えている北海道や三陸の主要漁港で、サンマの水揚げが振るわず苦戦していると報じられている。記録的な不漁だった昨年を下回るペースという。価格も上昇している。旬を味わうイベント開催などにも影響が出ている。

 青森市内の店頭で見かけた新サンマは、特売で1匹100円前後もあったが200円台になったものも。しかも、脂がのっておいしい時期を迎えたわりに、ほっそりしている。「不漁のため」と解凍サンマに切り替えている店もあった。海水温の変化などを背景に、日本近海に来遊する資源量が減少、小型化も指摘されているようだ。

 昭和の食通・池波正太郎さんは、サンマを「毎日のように食べて飽きない」と「味と映画の歳時記」(新潮文庫)につづった。子ども時代、夕暮れとなって遊びから帰ると、家々の路地にサンマを焼く煙が流れた。安くてうまいから、初秋の食膳には1日おきに出たと懐かしむ。

 平成のサンマは庶民の食卓から遠ざかりつつある。うまくても毎日とはいかない。1日おきも厳しい。

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明窓 9/17

 「飯熱く 下魚(げざかな)ながらも秋刀魚(さんま)かな」(籾山柑子)。さんまを焼くためだけに置いてある七輪(しちりん)が、今年も出番を迎えた。さんまの水揚げも持ち直したとか。値段も安くなってきた。

七輪で煙を上げながらさんまを焼くのは、田舎暮らしの醍醐味(だいごみ)。「食べ物の焦げはがんの原因」と言われてきたが、どうやらそれはないと最近聞いたので、これからは遠慮なし。焦げのところがうまいのだ。

下魚(低級な魚)といわれても食卓の主役を張れるのは、一にも二にも味が良いから。江戸の昔、鯛(たい)とは違って殿様の膳には載らない魚だが、そこをどんでん返ししたのが落語の「目黒のさんま」だ。

鷹(たか)狩りの途中、目黒あたりを通りかかった殿様。さんまを焼く匂いにつられ初めて口にする。以後、その味が忘れられない。御殿で家来に焼かせると、脂を抜いたり骨を抜いたり、まったく別の代物に。殿様は思わず「さんまは目黒に限る」

実在の大名とは無関係のフィクションで、噺家(はなしか)によってバリエーションがあるが、出雲国松江松平家の当主を主人公としているものが多く、目黒のさんまは松江藩ゆかり、と自慢できる。風土記の時代から、山海の産物に恵まれた出雲地方。殿様も本物を知る食通だったと尾ひれも付けたい。

設定は江戸寛永年間というので、初代松江藩主、松平直政の頃。その「殿様」の銅像は、太平洋戦争時に金属類供出されたが、松江藩開府400年を機に再建された。日本独特の食文化にまつわる、モニュメントにも見えてくる。


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鳴潮 9/17

 スーパーに並ぶサンマがやけに細い。秋刀魚と書く。けれども、こんな刀で立ち合えば、すぐに折れそうな心細さだ。今年もサンマの魚影は薄いらしい
 
 10年ほど前は30万トン前後で世界一だった漁獲量は昨年、11万トンにまで落ち込んだ。スダチが活躍する東京は「目黒のさんま祭り」に新鮮な魚を提供している岩手県宮古市も、このところ不振続きで、代わりに北海道産を用意した
 
 政府は、漁獲量を急増させている台湾や中国の乱獲が不漁の一因とみている。日本の排他的経済水域の、さらに先の公海に大型船を繰り出し、サンマの回遊ルートを押さえて、ごっそり持って行ってしまう
 
 近海中心の日本の漁船ではとても太刀打ちできない、といえば分かりやすい図式とはなるが、実際は地球温暖化による海流の変化や、相次ぐ台風で出漁できなかったことも影響している
 
 そもそも日本が取り過ぎたから、との主張もある。「サンマはおいしい」が既にアジアの標準となった以上、ジャパンファーストとはいかない。妥協すべきは妥協し、引き続き資源量の国際管理の方策を探っていかないと、いずれサンマも危機的な状況に陥る恐れがある
 
 アジアの食欲は旺盛だ。魚介類の消費増大は和食人気のたまものとあれば、スダチや上勝のつまもの「彩(いろどり)」の出番も多かろう。もののついでに考えた。

風切り鎌

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 忘れられた年中行事・風切り鎌
   

二百十日(にひゃくとうか)、9月1日は立春から数えて210日目にあたります。この日、大風が来る方向に鎌を立て風除けの行事を行います。今では見られなくなってしまいましたが記憶を辿りかかげました。
 「どうか、台風が来ないように、着たら切っちゃうぞ」そんな気持ちになりました。この頃から田んぼの稲穂が頭(こうべ)をたれ始めます。大切な稲が倒れては収穫に影響もしますし倒れた稲を刈るのには大変です。
 会社から帰り、急いで立てたところ、犬の散歩でAさんが通りました。相当ビックリされ、「どうして・・・」とたずねられました。「なるほど怖いな、風の神様もこれでは怖くて来れないだろう」そう思いました。
 昔の人たちは多分、そんな願いを持ちながら「風切り鎌」を立てたのだろうと思います。
 「備えあれば憂いなし」とか、災害に備えもう一度、避難ルートや懐中電灯等、家族で検討しておくのも良いと思います。


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中日春秋 9/17
 
先日、大型ハリケーン「イルマ」が米国を襲った際、ハリケーンに向けて銃を発砲しようという呼びかけが広がり、当局が絶対にやめてと訴える騒ぎがあった。ハリケーンへの恨み、ストレスも分からぬではないが、詮ない上に危険極まりない。銃社会の歪(ゆが)みを見る思いである。

この話に日本に残る風習を連想する。「風切り鎌」という。屋根や竹ざおの先に鎌をくくりつけて立てる。鎌で風を切って退治するというまじないである。

風におびえ、「風切り鎌」にすがりたい人もいるか。「解散風」のかすかな音が聞こえる人には聞こえるらしい。二十八日召集の臨時国会の会期中、首相が衆院解散・総選挙に打って出るのではという現段階では当てにできぬ観測がある。

北朝鮮の動きを考えれば、選挙どころではなかろうし、解散に値する大義も名分も今はうかがえない。それでも、党利党略だけで、状況を考えた場合、政権支持率が回復に向かい、離党者相次ぐ、民進党が低迷する中、ここが好機と映るらしい。不穏な見立てが永田町のススキを揺らす。

「九月つごもり、十月のころ、空うち曇りて、風のいと騒がしく吹きて、黄なる葉どものほろほろとこぼれ落つる、いとあはれなり」。「枕草子」だが、与党の一部は、「黄なる葉」が野党に見えるのか

大義なき解散となれば世間の「鎌」がどちらに向くかは分かるまいて。


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[枕草子]

190段

風は嵐。三月ばかりの夕暮れにゆるく吹きたる雨風(あまかぜ)。

八、九月ばかりに、雨にまじりて吹きたる風、いとあはれなり。雨の脚横さまに、騒がしう吹きたるに、夏とほしたる綿衣(わたぎぬ)のかかりたるを、生絹(すずし)の単衣(ひとえぎぬ)重ねて着たるも、いとをかし。この生絹だに、いと所狭く暑かはしく、取り捨てまほしかりしに、いつのほどにかくなりぬるにかと思ふも、をかし。

暁に、格子(こうし)、妻戸(つまど)を押しあけたれば、嵐のさと顔にしみたるこそ、いみじくをかしけれ。

九月つごもり、十月のころ、空うち曇りて、風のいと騒がしく吹きて、黄なる葉どものほろほろとこぼれ落つる、いとあはれなり。桜の葉、椋(むく)の葉こそ、いととくは落つれ。

十月ばかりに、木立多かる所の庭は、いとめでたし。
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[現代語訳]

190段

風は嵐。三月頃の夕暮れに、ゆるく吹いた雨風。

八~九月の頃に、雨混じりに吹いた風は、とてもしみじみとした趣きがある。雨脚が横殴りに、騒がしい感じで風の吹いている時、夏を通して使った綿入れの衣が掛かっているのを、生絹(すずし)の単衣に重ねて着たのも、とても面白い。この生絹の単衣だって、とても大げさで暑苦しく、脱ぎ捨ててしまいたいほどだったのに、いつの間にこんなに涼しくなったのかと思うのも、面白い。

明け方に、格子や妻戸を押しあけたところ、嵐がさっと冷たく顔に沁みたのは、とてもしみじみとした風情を感じさせた。

九月の末、十月の頃、空が曇って、風がひどく騒がしく吹いて、黄色くなった木の葉がはらはらと散って落ちるのは、とても哀れな情感を誘う。桜の葉、椋(むく)の葉は特に、早々と散ってしまう。

十月頃に、木立の多い家の庭は、とても素晴らしい。

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性器の大発見

越山若水 9/16

「ほおーっ」と感心し、やがて笑いだす。そんな研究に贈られる「イグ・ノーベル賞」をまた日本人が受賞した。11年連続だから日本人のユーモアの才も決定的だ。

今回は、ある昆虫の性器に関する発見で生物学賞を受けた。「トリカヘチャタテ」という虫で、雌が凹、雄は凸という一般的な構造と逆なのを見つけたそうだ。

これぞ「性器の大発見」と言えば下品だがこの賞なら許されるだろう。もっとも、なぜ構造が逆になったのかを知ると、感心し笑っていたのがシュンとしてしまう。

この虫の雌は交尾のとき雄の体内に性器を入れ、精子のほかに栄養も受け取るのだという。餌の少ない洞窟に生息しているためらしいが、それが雄の喜びになるのかどうなのか。

性差を思う話題をもう一つ。日本に住む100歳以上のお年寄りの数が、過去最多の6万7824人に増えた。そのめでたさは言うまでもない。こだわりたいのは男女比である。

差は開く一方で、ついにほぼ1対9になった。もちろん女性が圧倒的に多い。どうしてこうも違うのかといえば、もともと出来が違うからだろう。

生物学者の福岡伸一さんが、そう書いている。「生物の基本は雌」で、男はできそこないだと。なのに威張る。図体(ずうたい)の大きさを誇り、攻撃的になる。おのれの弱さを知るからこそである。これは、あの北の三代目に向けて言っている。

ろう細工の料理見本

9/16

 先日すき焼きのことを書いた際に、引用した本にあった逸話。著者の大塚滋氏は食文化に詳しくユーモアに富んだ文章で「たべもの文明考」など多数の本を書いてきた人だ。

 日本にやってきた外国人の食通をレストランに案内した時のことという。外国人が店の前の陳列ケースの中の「ろう細工の料理」の見本を熱心に見ているので、大塚さんが「どれにするか」とたずねると、なぜだか、ひどく感心した様子で「ビフテキ」を指さした。

 そうかビフテキが食べたいのか、と思い、レストランの中へ入るように促すと、その外国人は、いやいやと首を振りながらこう言ったという。「いや、わたしが欲しているのはこの(見本の)料理だ。おみやげに持って帰りたいんだ…」。

 宮崎市江平東1丁目の江平四ツ目食堂で店主の大西達夫さんが殺害された事件の発覚から今日で1週間。大西さんが頭から血を流して倒れているのを来店した客が見つけ、後に死亡が確認された。県警は強盗殺人事件として犯人を追っているが逮捕はまだである。

 職場から図書館に行く途中、食堂前に立ち止まってろう細工の見本を眺めるのがわが長年の習慣だった。店の長い歴史を物語るような、ちょっと煤(すす)ぼけた感じのカレーライス、オムライスたちが並んでいてなぜか昭和が懐かしくなった。

 発生場所を聞いて耳を疑ったのはぶっそうな事件とは無縁そうなレトロ感あふれる老舗のたたずまいを知るゆえだった。朝夕、小学生も含めて多くの人が行き交う一帯。ろう細工のような精緻な捜査が実を結び事件が解決することを望む。

のろし

日報抄 9/16

宇宙人文学という分野がある。「宇宙人」で区切りたくなるが、宇宙・人文学である。その研究分野は、人工衛星がもたらした1枚のデータから始まった。

自身の山荘を地図で探していたのだという。日曜大工でこしらえたささやかな山荘は、インターネットにある地図画像でも森に埋もれ、友達を誘うことができない。弱っていた2006年、打ち上げられて間もない衛星「だいち」のデータに救われた。宇宙からとらえた地表の凹凸を細かく映し出していた。

山荘のあるじは新潟市出身のノンフィクション作家、中野不二男さんである。この発見が、宇宙からの目と人文科学との融合につながる。古文書に書き残された情景と衛星データを照合し、いにしえの海岸線がどうであったか、海を渡ってきた人がどこから何を目印に上陸したのかを探る。

戦国時代の「のろし」がどうやって情報を伝えたか、そういう謎解きもなされている。はるか空の上にあるカメラの方が、地上の移ろう営みを教えてくれるというのが不思議である。

来月、日本航空宇宙学会の人々が新潟市でさまざまな発表をする。暫定版のプログラムをのぞくと専門的であるが、天空を突き抜ける高い塔を延ばす「宇宙エレベーター」とか、「宇宙で生きる」といったテーマが見える。

神秘であった空間が手の届くところまで近づいている。この星を逃げ出す日が近づいているとは考えたくない。だが遠い宇宙からは地球の緊迫を伝える「のろし」が見えていることだろう。

サンマ

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河北春秋 9/16

 ラストシーン、家に一人たたずむ故笠智衆さんの寂しそうな背中が大写しになる。故小津安二郎監督の最後の映画『秋刀魚(さんま)の味』(1962年公開)。妻を亡くした父が娘を嫁にやるまでの筋立てで、「完」を見てやっとタイトルの意味を知る。

全編1時間53分。サンマ1匹現れない。戦争を知る男が戦後を生きていくのは、失ったものと新時代をのみ込むものであり、それはどこかサンマの味わいに似ているという。甘く、塩っ辛く、時には苦い。

最近、サンマ不漁のニュースに接すると、笠さんの背中がどんどん遠ざかっていく感じがする。昨年の漁獲量本州1位大船渡港に続き同3位気仙沼港もイベントの延期や中止を強いられた。これでは魚名の由来の一つとされる「祭魚(さいら)」の名が泣こう。

だが、不漁の流れは止まらない。70年代は漁獲量20万~30万トンで推移しながらも、ここ2年は約11万トンと過去最低を記録。先の国際会議で水産庁は「サンマ自体が減りつつある。今年も同じ程度か」と明らかにした。

ただ、漁獲量は隣の台湾が日本を逆転し中国も急増中とか。やはり、寒流や暖流という潮の流れも影響しているのだろう。でも、日本人にしか分からない『秋刀魚の味』の妙味も国境を越えていく。それはそれで、「うれしい」と言っておく。

見事な危機対処心得

中日春秋 9/16

一九四〇年の秋、ロンドン郊外の名門リッチモンド・ゴルフクラブのコース上に、爆弾が落ちた。ドイツ軍がロンドンを盛んに空襲していた時のことだ。クラブでは早速、こんな特別ルールをつくった。

<競技中に銃撃や爆弾投下があった場合は、罰打なしでプレーを中断し、避難することができる><爆弾の爆発によりストロークが影響を受けた場合、同じ場所から一打罰で打ち直すことができる>

空襲で「ゴルフなどしている場合か」となっては、脅しに屈するようなもの。平気な顔で日常生活を続けようではないか…との姿勢を示したのだ。

きのうの朝は、大騒ぎであった。テレビは「ミサイル」ばかり。日常生活を丁寧に生きることの素晴らしさを描いたNHKの連続テレビ小説『ひよっこ』も、吹き飛ばされた。

北朝鮮がミサイルを発射しているのは、ある種の恐怖戦術だろう。電車は止まり、各地で避難訓練が行われ…という姿を見て喜ぶのは誰か、という気もしてくる。

英国の名門イートン校はかつて、生徒手帳にこういう「爆撃・爆破警報が出た場合の対処法」をのせていた。(1)建物が近くにある場合、ただちに中に退避せよ (2)室内にいる場合、飛散するガラスを避けるため窓を開け、カーテンを閉めよ (3)運動場にいる場合は、競技を続けよ。現実的で、ユーモアも忘れぬ。見事な危機対処心得ではないか。

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【コラム】筆洗 (中日新聞の東京版)

2014年6月14日東京新聞TOKYOWeb

英国の名門イートン校の生徒手帳にはかつて、こんな心得が記されていた。「爆撃・爆破の警報が出た場合の対処法 建物が近くにある場合は、すぐ中に退避せよ。室内にいる場合は、飛散するガラスを避けるため窓を開けカーテンは閉めよ。運動場にいる場合には、試合を続行せよ」

さすがはサッカーやラグビーなど雨天決行のスポーツを生んだ国。いったん試合に臨めば、それこそ雨が降ろうが槍(やり)が降ろうが闘いに集中せよということか

名作『一九八四年』などの作者ジョージ・オーウェルもこの名門校の卒業生で、こんな言葉を残している。「スポーツの真剣勝負とは、銃撃なき戦争だ」。その銃撃なき戦争が、時として銃撃を止める力を持つ。

ついに開幕したサッカー・ワールドカップで、あす日本代表が初戦を戦うコートジボワールは、長く宗教や地域対立が複雑に入り組んだ内戦に苦しんできた。同国代表が初のW杯切符を勝ち取った時、ドログバ選手は和平への思いを語り、国民の心を動かしたそうだ。

「私たちはこの国の人々がともに生き、同じゴールに向かいプレーできることを証明した。次は皆さんがやってみせてください。武器を置いてください」

直径二十二センチほどのボール一つが、直径一万二千七百キロの惑星の人々の目をくぎ付けにし、心を動かす。宇宙人が見たら、不思議な球に見えるに違いない。

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世界中の紳士のお手本たるイギリス人は、
例え何が起こっても慌てず騒がず落ち着いて行動しなければいけません。

イギリスのとある老舗ゴルフクラブでは
「もしゴルフのプレー中に爆撃が始まったら」というユニークなルールが定められています。

ロンドン近郊にあるリッチモンド・ゴルフ・クラブは1891年に創立され、
現在も運営が続く老舗のクラブ。
第2次世界大戦が勃発し、ドイツのイギリス爆撃が激化した1940年8月のある夜、
とうとうゴルフ場に爆弾が落ち被害が出てしまいました。
普通なら営業を見合わせ疎開してしまうところなのですが、そこはイギリスの紳士たち。
ユーモアのセンスと反骨っぷりがひと味違いました。
「爆撃の際の暫定ルール」と題し、以下の特別ルールを採用したのです。


1.芝刈り機の破損を防ぐため、爆弾や榴弾の破片の回収をお願いします
2.競技中の銃撃・爆撃の際、プレイヤーはプレー中断のペナルティなしで隠れることができます。
3.遅延作動式の爆弾の落下した場所は赤旗でマークされます。
 安全と考えられる距離に立てられますが保証はありません。
4.フェアウェイやバンカーに落ちている破片がボールからクラブの長さ以内の距離にある場合、
 それをペナルティなしで取り除くことができます。
 その際ボールが動いてしまってもペナルティはありません。
5.敵の攻撃によりボールが動いてしまったり、紛失・破壊されてしまったときはペナルティなしで
 ドロップ(拾い上げて打ちやすい場所に落とす)できます。
6.爆撃によるクレーターにボールが落ちた場合、ボールとホールを結んだ直線の、
 ホールより遠い側にドロップできます。
7.ショットと同時に爆弾が破裂しショットが邪魔された場合、
 同じ場所から1打ペナルティを加算してショットできます。


当時はまさにバトル・オブ・ブリテンの真っ最中にも関わらず
「ドイツの空襲?知らんね?」と言わんばかりの堂々っぷり。
イギリス中の新聞がこのルールを取り上げナチスドイツを批判するとともに、
激しい空襲にさらされていたイギリス中の人を勇気づけたようです。
さて、この話には続きがあります。時のナチスドイツの宣伝相ゲッベルスが、
このルール追加をネタにしてイギリスへの宣伝放送でこうブチ上げました。

「イギリスの気取り屋どもは、こうしたバカげたルールの改変を宣伝し、
 偽りのヒロイズムを英国民に植え付けようとしている。
 そもそもゴルフをプレーするのに危険はない。
 なぜならドイツ空軍は目標を軍事的に重要な施設に限っているからだ」


これに対するリッチモンド・ゴルフ・クラブのコメントは、
自身の歴史を解説するページで一言だけ。
「すなわち私どもの洗濯小屋が軍事施設として認められたということであります」

これぞジョンブル。実にクールですね。

いつから「高齢者」

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くろしお 9/15

 人気アニメの「サザエさん」に登場する磯野波平の年齢をご存じだろうか。70歳? とんでもない。答えは54歳だ。ちなみにフネは52歳。それにしては老けているような-。

 作者の長谷川町子さんが原作を手掛けたのは戦後の復興期から高度成長時代。定年は55歳が一般的だった。定年目前の波平なら、ほぼあのようなイメージなのだろう。ちなみに1956年の平均寿命は男が64歳、女が73歳。今より男で15歳以上、女で12歳以上低い。

 今年1月、日本老年学会・日本老年医学会は「高齢者は75歳以上」とする新たな定義を提言し、大きな反響を呼んだ。65歳以上とする定義は世界中で使われているので、いきなり10歳アップに驚いたが、科学的なデータに基づくという。

 確かに「高齢者」のレッテルは迷惑とばかり、今や65歳以上でも仕事に趣味に、驚くほど元気な人は多い。宮崎市の知人男性は沖縄県・宮古島であったトライアスロンに制限年齢の65歳で出場。先日開いた完走祝いでは「まだまだやれるんだが」と意気盛んだった。

 「65歳以上でももっと生産的なことができる。元気な人たちには働ける場を社会が作る、その議論をするための根拠として新しい定義を活用してほしい」。提言に携わった虎の門病院院長の大内尉義さんは説明する(中央公論6月号)。

 提言に対し「年金受給開始年齢が遅くなるのでは」など社会保障制度の縮小を懸念する声もある。ただ、高齢者の選択肢や可能性が広がるなら議論に値する提言になろう。今日から「老人週間」。老人という言葉も今は敬遠される風潮だ。

「読む力、書く力」

水鉄砲 9/15

 我田引水とそしられるかもしれないが、新聞には多くの効能がある。世界で起きていることの速報から身近な出来事の紹介、分かりやすい解説記事や読んでほっとするコラムもある。スポーツや娯楽に関する情報も丁寧に伝えている。

 情報を入手し、知識を増やすだけではない。文章を読むことで知らず知らずのうちに読解力が養われ、人の意見を聞く能力も開発される。それが文章表現力の養成にもつながる。

 ところがいま、新聞を読まない子が増える一方という。文部科学省が今年4月、小学6年生と中学3年生を対象に実施した2017年度全国学力・学習状況調査では「新聞を読まない」層の割合は、小学生が59・4%、中学生は69・1%。ともに前年より5%前後増えている。

 学力テストの分析結果と照合すると、新聞を「毎日読む」「週1~3回読む」「月1~3回読む」層の正答率がすべての教科で平均より高かった。読解力や表現力が問われる国語Bの正答率は「毎日読む」層が小学校で約7ポイント、中学校では5ポイント高い。感想文や説明文を書くのが難しいと感じている小学生は59%、中学生は62%に上った。

 相手の話を聞き、自分の主張を表現する力は、この社会では必要不可欠である。その能力を養うために、新聞の持つ役割にもっと目を向けてはどうか。小学生の頃から新聞と本を読み続け、魂の肥やしにしてきた人間の一人として、心からオススメしたい。 

魂の苦悩

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内容紹介

痛覚には、熱いものに触れたとき、反射的に手を引っ込めるという単純なパターンの「感覚的な側面」と、不安、恐怖、過去の記憶などの影響を受ける「情動・感情的な側面」の二面性があります。痛覚の感覚的な側面は、生物がもつ基本的な警告反応の1つで、種の保存、生命の維持に不可欠な機能です。一方、痛覚の情動・感情的な側面は、さまざまなパターンがあります。

私たちが受ける刺激は、皮膚の下の侵害受容器を活性化させ、感覚神経を通って脊髄に伝わり、大脳で痛みとして認識されます。誰もが日常生活のさまざまな場面で体験する「痛み」のメカニズムを解説していきます。

第1章では、慢性痛を抱えるすべての読者に関係する「痛みを理解するうえでの基礎的知識と現状」をわかりやすく説明されてます。
第2章では、「痛みがどのように生じ、脊髄に伝えられるのか」という感覚面について詳しく説明されています。
第3章は「痛みの中枢はどこにあるのか」「痛みはなぜ主観的なのか」という痛みの根源的な問題である感情面に踏み込んでいます。最近着目されているデフォルトモードネットワークやマインドワンダリングと痛みの意識の関係についても言及されています。
第4章は「痛みはなぜ増強し、持続するのだろうか」という問題について、脳の神経回路の可塑性と痛みの記憶という観点で説明されています。
第5章では、痛みの治療の進歩と痛みとの付き合い方について述べられています。

分子から行動にいたる脳科学そのものである痛覚のメカニズムを、わかりやすく解説しています。


目次

第1章 痛いとはどういうことだろう
1.1 だれもが体験し、これからも経験する痛み
1.2 痛みを理解するための基礎的知識
1.3 痛みを認識する大脳
1.4 痛みは主観-痛みは測れない

第2章 痛みはどのように生じ、脊髄に伝えられるのだろう
2.1 激辛料理を食べるとなぜ汗が出るのだろう-熱の受容器
2.2 どうして卵をつぶさずに握れるのだろう-機械的な受容器
2.3 腹痛はどのように生じるのだろう-化学的な受容器
2.4 痛みはどのように神経線維を伝わるのだろう
2.5 痛みはどのように脊髄に伝えられるのだろう

第3章 痛みの中枢はどこにあるのだろう
3.1 痛みは脊髄から脳にどのように伝えられるのだろう
3.2 痛みの中枢はどこにあるのだろう
3.3 痛みはなぜ主観的なのだろう

第4章 なぜ痛みは増強し、持続するのだろう
4.1 なぜ痛覚過敏反応は生じるのだろう-皮膚での末梢性感作
4.2 痛みはなぜ持続するのだろう-脊髄での中枢性感作
4.3 なぜ触刺激が痛み(アロディニア)に変わるのだろうか
4.4 痛みはチャネル病

第5章 痛みの治療はどこまで進んでいるのだろう
5.1 着目する痛みの治療薬・治療法の紹介
5.2 高齢社会における痛みの治療


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斜面 9/15

古代ギリシャの哲学者アリストテレスは「痛覚」を「魂の苦悩」と考えたそうだ。伊藤誠二著「痛覚のふしぎ」で知った。人類を苦しめてきた慢性の痛みは近年、脳科学などで仕組みが解明されつつある。それでも原因不明の病は多い。

 線維筋痛症はその代表だろう。全身の筋肉や関節に痛みやこわばりが出る。重症化すれば軽い刺激で激痛が走って「服を着ているのも苦痛」と訴える人もいるという。死に至る病ではないが、不眠になりストレスがたまって痛みが増幅されるからつらい。

 中高年の女性に多く発症する。厚労省研究班は2011年の疫学調査を基に患者数を212万人と推計した。米国でも悩む女性は多い。人気歌手レディー・ガガさんが線維筋痛症に苦しんでいると明かし、記者会見で涙ながらに闘病のつらさを語った。歌手活動も休止するという。

 ガガさんはツイッターで「病気への理解を広め、苦しんでいる人同士をつなげたい」とつぶやいた。検査を受けても血液や画像で異常は見つからない。周りは「痛がりやだね」と言うだけで理解してくれない。そんな「疎外感」の中にいるのではないか。

 難治性の疼(とう)痛に苦しみ病院を転々とする。そうした「痛み難民」が漂う現実がある。痛みは人生に降り積もった心の痛みとも複雑に絡み合う。臓器別などの縦割りではなく患者を丸ごと診て対話しながら診察する体制が広がらないか。解きほぐしつつ魂も癒やす痛み治療の二人三脚である。

一身独立

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中日春秋 9/15

「子孫へは教育を遺(のこ)し沢山(たくさん)なり」と説いたのは、福沢諭吉である。

子孫に遺すべきは、教育に尽きる。金を遺すと害になるから一銭も遺さぬ。自分も金銭には余裕ができたが、子にさえ与えぬものを他人にやるわけにもいかぬ…と書いた上で、こう記した。「いずれにもこの金を用い、人の独立を助け成すの道に用いたき事なり」(『福沢諭吉の手紙』岩波文庫)

「一身独立して一国独立す」。上意下達ではなく、一人一人がきちんと自分の頭で判断できるようにならねば、国も独り立ちできぬ…と説いた諭吉にとり、教育への投資こそが未来への遺産だったのだ。

そんな偉人の顔が刷られた一万円札を、この国の政府はどう使っているか。経済協力開発機構(OECD)の国際比較調査によると、加盟各国の国内総生産(GDP)に占める教育への公的支出の割合は、平均4・4%。だが、日本は3・2%で最低だったという。

ちなみに、日本の大学などの授業料の高さは最高で、教員の勤務時間の長さも最高。学生や親、先生の負担は最高で政府の投資は最低…というわけだ。

首相はかつて国会で「一身独立して一国独立する。私たち自身が誰かに寄り掛かる心を捨て、それぞれの持ち場で自ら運命を切り開こうという意志を持たない限り、私たちの未来は開けない」と演説したが、「一身独立」のための投資は忘れたのか。

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内容説明
伊藤博文・岩崎弥之助ら明治の政治家・実業家や友人家族にあてた福沢諭吉の手紙一一八通を収録。「原点」「慶応義塾」「理財と実業」「民権と国権」「人間交際」「家庭と日常」と主題別に六部構成として、思想家福沢の人間像を浮彫りにする。

目次
1 原点
2 慶応義塾―理念と経営
3 理財と実業
4 民権と国権―ことばを武器として
5 人間交際
6 家庭と日常

出版社内容情報
明治の元勲・実業家や友人・家族にあてた福沢諭吉の手紙118通を収録.「I原点」「II慶應義塾」「III理財と実業」「IV民権と国権」「V人間交際」「VI家庭と日常」の6部構成として,希有な思想家福沢の人間像を浮彫りにする.

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うそがうまい うそが好き

歌姫

歌:中島みゆき 作詞:中島みゆき 作曲:中島みゆき

淋しいなんて 口に出したら
誰もみんな うとましくて 逃げだしてゆく
淋しくなんか ないと笑えば
淋しい荷物 肩の上では なお重くなる
せめてお前の歌を 安酒で飲みほせば
遠ざかる船のデッキに 立つ自分が見える

※歌姫 スカートの裾を
歌姫 潮風になげて
夢も哀しみも欲望も 歌い流してくれ※

南へ帰る船に遅れた
やせた水夫 ハーモニカを 吹き鳴らしてる
砂にまみれた 錆びた玩具に
やせた蝶々 密をさがし舞いおりている
握りこぶしの中にあるように見せた夢を
遠ざかる誰のために ふりかざせばいい

(※くりかえし)

男はいつも 嘘がうまいね
女よりも子供よりも 嘘がうまいね
女はいつも 嘘が好きだね
昨日よりも明日よりも 嘘が好きだね
せめておまえの歌を安酒で飲みほせば
遠ざかる船のデッキに たたずむ気がする

(※くりかえし)

握りこぶしの中に あるように見せた夢を
もう二年 もう十年 忘れすてるまで

(※くりかえし)

…………………………

くろしお 9/14

 この頃よく中島みゆきさんの「歌姫」の歌詞が頭を去来する。ふつう記憶に残るのは1番だろう。でもこの曲に関しては断然3番の歌詞がいい。もちろん個人的な感想だが。

 歌い出しはこうである。「男はいつもうそがうまいね 女よりも子どもよりもうそがうまいね」。本音のみでは渡っていけない世の中だ。百のまことに一のうそを混ぜるくらいは許されるのではと思う。もちろん、だれの心も傷つけず最後までばれなければの話だ。

 歌姫の歌詞は「女はいつもうそが好きだね 昨日よりも明日よりもうそが好きだね」と続く。うそが好きとは深い言葉。単純な「うまい」と違って、かなり難解だが女性がだれかをだまそうとして自分からつくうそのことではあるまい。

 ホテルの同じ部屋に宿泊していたことや新幹線のなかで手をつないでいたことなど不倫が疑われる行動を、週刊誌に暴露された女性ボーカルグループのメンバーだった参院議員と神戸市議の男性が、ふたりの関係を問われて、「一線は越えていない」と釈明した。

 推して知るべしの男女の仲を、どんな関係かと問う方も顔が赤くなるような話だ。だが、くだんの男性が印刷業者に架空発注し、それを政務活動費として申請したなどの事実が明るみに出ると同じ赤面でも怒気を帯びた人が多いだろう。

 政治家がうそで失笑を買うたびに政治不信が加速する。好きでついたうそではなかったろう。またうまくついたつもりでもばれるのがうそだ。うそをつかずに済む方法は政治に専心することのみ。国政も地方政治もその一点に違いはない。

心臓マッサージ







談話室 9/14

「もしもしかめよ-」で始まる童謡「うさぎとかめ」や、アニメ主題歌「アンパンマンのマーチ」などが長らく定番だった。救命措置で心臓マッサージをする際、1分間に100回超のテンポを刻みやすい曲だそうだ。

だが京都府立医科大の山畑佳篤(よしひろ)講師が数年前、心肺蘇生には1980年代の人気バンド「プリンセス・プリンセス」のヒット曲「Diamonds(ダイアモンド)」が最適と発表し話題になった。同じ4拍子でもリズムが細かいため、テンポが安定するという。他の曲も探してみたくなる。

欧米では、英グループ「ビー・ジーズ」の名曲「ステイン・アライブ」が心臓マッサージ講習の定番という。40年前の米映画「サタデー・ナイト・フィーバー」からヒットしたディスコナンバーだが、海外では今もCMで使われるほど有名な曲だけに、人気は衰えないとか。

ドイツの著作権団体が先頃、学校の救命講習で「ステイン-」を使う際の印税免除を発表したと聞き、粋な計らいに感心した。日本では、音楽教室での楽曲演奏に伴う著作権料の徴収を巡り訴訟まで起きたが、よもや救命講習に楽曲使用料が発生することはないと思いたい。



神様からご褒美

卓上四季 09/14


「神様は乗り越えられる試練しかその人に与えない」。困難にぶつかった人に対するこんな慰めの言葉がある。きれいごとめいて、今までは斜に構えて聞いていた。だが、平昌冬季五輪出場を決めたカーリング女子LS北見の選手たちを見ていると、そんな言葉も信じてみたくなる。

藤沢五月選手は4年前、ソチ五輪代表決定戦に大本命の中部電力スキップとして臨んだ。結果はまさかの敗退。普段「人前で泣いたら負けだと思う」と言っていた負けず嫌いが、号泣した。その後、何カ月もカーリングができなかった。

そのソチ五輪で、道銀チームの一員として5位入賞した吉田知那美選手は、五輪終了直後に戦力外通告を受けた。自信を失い引退を考えたほど。一方、妹の夕梨花選手は、姉ばかりが注目される環境に苦しんだ。「あの悔しさがあるから今、頑張れている」

チーム加入時に旭川高専生だった鈴木夕湖選手は、練習のため金曜夜に北見へ行き、日曜夜に旭川へ帰る生活を続けた。「やるって決めたから」と、決して泣き言は言わなかった。

そして、ゼロからチームを立ち上げた本橋麻里選手も、当時は「考えが甘い」と批判された。そんな雑音をはねのけ、多くの地元支援者の協力を支えに、わずか7年で五輪切符をつかんだ。

与えられた試練を彼女たちは見事に乗り越えた。神様は来年、平昌でどんなご褒美を用意しているだろう。

カッシーニ

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ジョヴァンニ・ドメニコ・カッシーニ(伊: Giovanni Domenico Cassini、1625年6月8日 - 1712年9月14日)は、イタリア出身のフランスの天文学者。パリ天文台の初代台長でもあった。ジェノヴァ共和国のペリナルドで生まれ、1673年にフランスに帰化してジャン=ドミニク・カッシーニと名乗った。土星の4つの衛星を発見したほか、惑星観測で様々な功績を残している。

1665年 - 木星の自転周期を算出。
1668年 - 木星の4衛星の運行表を作成。
1671年 - 土星の衛星イアペトゥスを発見。
1672年 - 土星の衛星レアを発見。
1675年 - 土星の輪は複数の輪で構成されていることを発見(一番外側の隙間にはカッシーニの間隙と名付けられた)。
1680年 - 月面図を作成。
1684年 - 土星の衛星ディオネを発見。
同上年 - 土星の衛星テティスを発見。
1997年に打ち上げられたアメリカ航空宇宙局の土星探査機カッシーニ、月面のクレーターと火星のクレーターの名前が、彼にちなんで命名された。

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…………………………

中日春秋 9/14

偉大な天文学者ジョバンニ・カッシーニが八十七年の生涯を終えたのは、三百五年前のきょう、九月十四日であった。

土星の衛星を四つ発見し、その輪の正体に迫ったカッシーニは晩年、視力を失った。フランスの思想家フォントネルは、こんな一文で、彼の偉業をたたえたという。<まるで、神の秘密の数々を目にしてしまったがために、視力を失ったギリシャ神話の予言者テイレシアスのようだ>

この天文学者の名を冠した土星探査機「カッシーニ」が二十年に及ぶ旅を終えて、あす、土星の大気圏に突入するという。この探査機は、何と多くの「土星の秘密の数々」を見せてくれただろうか。

衛星タイタンにメタンの雨が降り、湖などをつくっていることも分かった。衛星エンケラドスの表面の下に、暖かい海があることも分かった。土星の衛星には生命が存在する可能性がある。そういう秘密まで教えてくれたのだ。

「カッシーニ」は、燃え尽きる瞬間まで観測を続け、貴重なデータを送ってくる予定だ。これまでに撮影した画像は四十五万点にも及び、膨大な「遺産」の分析が進めば、さらなる発見が期待できるそうだ。

ギリシャ神話の予言者テイレシアスは、この世から去って冥界に行っても、卓越した予言を続けたという。探査機「カッシーニ」もまた、偉大な天文学者と同じように、テイレシアスのようである。

…………………………

盲目の予言者テイレシアス
 
 予言者というのはなかなか怖ろしい存在で、子供の頃の一時期、私は、ひょっこり予言者に出くわしたらどうしよう、望まない未来の姿を、すでに決定済みのものとして、ことごとく示されたらどうしよう、と悩んだことがあった。誰もが担うべき運命を持ち、それが宇宙の意志によって“書かれている”以上、その運命を知る方法があり、知る方法によって知った人間があることが、自明のように思えたから。
 未来なんて、大まかにならまだしも、事細かく知ってしまったら、生きていく気にもなりゃしない。
 
 ギリシャ神話に登場する稀代の予言者、盲目のテイレシアス。彼は、テバイの建国者カドモスが大地に蒔いた竜の牙から生まれた戦士スパルトイの末裔。

 ゼウスがアルクメネの夫に化けて、一夜限りの夫となりすましたこと。蛇を殺した赤ん坊ヘラクレスが、将来、無類の英雄となるだろうこと。テバイ王ペンテウスが、ディオニュソスを信仰しなければ八つ裂きにされて死ぬだろうこと。テバイの先王ライオスを殺害したのは、その息子オイディプスその人であること。スパルトイの血を継ぐ者をアレス神に捧げれば、テバイはアルゴスに勝利するだろうこと。赤ん坊ナルキッソスが、自らを知ることがなければ長生きするだろうこと。……などなど、数々の名予言。
 死して冥府にあっても、なお生前どおりの知力を失わず、オデュッセウスに、ポセイドン神の息子の眼を潰した呪いで、帰還が困難きわまるだろうことを予言した。

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 画像は、ザンキ「ヘラに盲目にされ、ゼウスに予言者にされるテイレシアス」。
  アントニオ・ザンキ(Antonio Zanchi, 1631-1722, Italian)


 
 さて、テイレシアスが盲目の予言者となったいきさつは……

 あるときテイレシアスは、山で交尾していた一対の蛇に出くわし、どういう理由からか、その蛇を杖で打った。するとたまげたことに、彼は女になってしまった。
 それから9年後、再び交尾中の蛇を見つけ、もしやと思って打ったところ、男に戻った。

 さて、男から女へ、そしてまた男へとアウフヘーベンした彼は、あるときゼウスとヘラの夫婦喧嘩に呼び出される。両神は、性の快楽は男女いずれが大なるや、と言い争っていたのだった。
 そりゃあ男のほうが快楽が大きいわよ、女よりも愉しんでるに決まっているわ、でなきゃ男があんなに浮気ばかりするはずないじゃないの、というのが、ヘラの言い分。いや、女のほうこそ悦んでいるのさ、というのがゼウスの言い分。
 で、両性ともの快楽を経験比較して知っているに違いないテイレシアスが、意見を求められたわけ。

 テイレシアスは答える。女の性の快楽は、男のそれより10倍大きい、つまりゼウスが正しい、と。
 ムキーッ! 怒ったヘラは腹癒せに、テイレシアスを盲目にしてしまう。代わりに、ゼウスは彼に予言の能力と長寿とを与えて、償ったという。

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 画像は、カルピオーニ「テイレシアスの前にナルキッソスを連れてくるリリオペ」。
  ジュリオ・カルピオーニ(Giulio Carpioni, 1613-1678, Italian)



 
 さすが神に与えられた長寿は長い。カドモスの建国後から、アルゴス七将のテバイ遠征、七将の子らによる復讐戦の時代まで、人間離れした長きにわたって、テイレシアスはテバイの予言者として君臨する。 

 テイレシアスには、女だった時代、ヘラ神の女司祭を務めながら、自ら生んだ(?)マントという娘がいる。予言の力というのは遺伝するようで、マントもまた、父よりも優れた予言者となり、マントの息子モプソスも、ギリシア軍の予言者カルカスを負かすほどの予言者となった。

 エピゴノイの戦い(テバイ遠征の七将が敗れた十年後、彼らの子らが復讐戦に再びテバイを攻撃し勝利した)の後、マントは最高の戦利品として、アポロン神に献上するためデルフォイへと連れられる。娘に随行したテイレシアスは、その途中、ティルプサの泉の水を飲んだのが理由で、死んだという。

 別伝では、テイレシアスが盲目になったのは、沐浴中のアテナ神の裸体を見てしまったためともいう。彼の母親であるニンフのカリクロが、彼の眼を元に戻してくれるようアテナに頼んだが叶わず、代わりに耳を清められて、鳥の言葉を理解する能力を得たのだとか。

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 画像は、H.シングルトン「マントとテイレシアス」。
  ヘンリー・シングルトン(Henry Singleton, 1766-1839, British)

    
     

ざんねんないきもの

越山若水 9/13

児童書でありながらベストセラー入りしている本がある。「ざんねんないきもの事典」(今泉忠明監修、高橋書店)で、続編も含め発行部数は75万部を超えている。

動物たちの不思議な生態や進化の過程を単に紹介しただけではない。「アライグマは食べ物をあらわない」など、自虐的な語り口が笑いを誘い親近感を呼んだ。

では、皆さんご存じ「残念な生き物」の話題を一つ。時速100キロ以上で走るチーターである。表題は「チーターはスピードに特化しすぎて肉食動物なのに弱い」。

とことん走りを追求したチーターに重たい体は邪魔になる。だから頭は小さく足は細長い。まさにモデル体形に進化した。しかし代わりに失ったのが攻撃力と防御力。大型肉食獣では最弱のレベルだ。

せっかくつかまえた獲物も、ハイエナなどに奪われるのは日常茶飯事である。ただ今さら後悔しても遅い。「進化の道」は一方通行で、手放した能力は取り戻せないらしい。

核・ミサイル開発を一向にやめない北朝鮮に、国連安保理は初めての石油制限を盛り込む制裁強化決議を採択した。国際包囲網は徐々に狭まってきた。

全面禁輸は免れたとはいえ、石油は経済活動の生命線である。人民の生活より「核・ミサイル」最優先の北には致命的ともいえる。走りに特化したチーターさながら、失ったものの大きさを思い知るのだろうか。

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発行30万部を突破した大ヒット中の児童書
「おもしろい!進化のふしぎ ざんねんないきもの事典」を発行した高橋書店。
この本は、動物学者・今泉忠明さんが監修した動物のちょっとお間抜けな弱点をイラスト入りで、取り上げています。

ゴリラ

では、早速ですが、動物のちょっと残念な進化、ポイントをご紹介します。
まずは、ゴリラです。『ゴリラは知能が発達し過ぎて、お腹が弱い』
ゴリラはいかつい見た目とは裏腹に、実は繊細な生き物。
知能が高いので、身の危険を感じると、多少の怒りは我慢してしまうそうです。
そのため、ストレスが溜まると、ワキの下がクサくなったり、おなかをこわしてしまうそうです。「心が豆腐のようにもろい」。
人間でもいますよね。

パンダ

続いて、動物園で人気者のパンダ。
パンダが笹を食べている姿は夢がありますが、
『パンダが食べている笹の葉には、ほとんど栄養がない』。
実はササは栄養が少なく、消化しづらい食べ物だそうです。
では、何で笹を食べているのか?
それは、大昔に生存競争に敗れたからなんです。
パンダはクマの仲間ですが、他の熊などに住む場所を追われて、笹ぐらいしか生えない高い山で暮らすはめになってしまいました。
つまり、熊の中で強くなかったパンダは仕方なく、消化の悪い笹を食べているという事なんです。

かわって、凶暴なイメージのあるワニです。
「ワニが口を開く力は、おじいちゃんの握力に負ける」。
動物の中で最も噛む力が強いと言われているのが大きさ6メートル以上の「イリエワニ」。
ワニがかみつく力は半端じゃなく強く、口だけで小型トラックぐらいの重さのものをかける事が出来るので、大抵のものは噛み砕いてしまいます。
しかし、その反面、口を開ける力は30キロほど。
一般的なおじいちゃんの握力にも負けてしまうそうです。
何かお金を使うのが得意だけど、貯めるのは苦手な人みたいですよね。

カバ

続いて、動物屈指の強さとも言われるカバ!
『カバのお肌は人間の赤ちゃんよりも超弱い』
カバは象やサイにもケンカを売る事があるほど、強い動物なんですが、日中は川や沼に浸かっているので、肌は日光に超弱いそうです。
太陽の光を浴びただけで、ひび割れて、ヤケドのような状態になってしまうとか。
だから、カバは沼から目や鼻だけ出しているのかもしれません。

続いて、鳥にいきましょう。キツツキです。
「キツツキは、頭にクルマが衝突したくらいの衝撃を受けている」
キツツキと言えば、くちばしをコンコンと木に打ち付けて、穴を開ける事で知られています。
1秒間に20回もつっつくそうです。
かなりの猛スピードなんですが、この時に頭にかかる力は重力の千倍。
人間で言うと、頭にトラックがぶつかった時と
同じくらいの衝撃だという事です。
ただ、脳が小さいので、致命的なダメージを受けないと言われています。

最後は、動物園に行く予定がない人向けに、虫の話!
家で時々、見掛けるカメムシです!
「カメムシは自分のニオイがキツ過ぎて、気絶する」
カメムシは敵に襲われると、足の付け根から強烈なにおいを放つ液体を発射して、敵を撃退します。ただ、クサいだけでなく、においのもとになるアルデヒドと呼ばれる化学物質には毒性があるんです。
そのため、狭い容器にカメムシを閉じ込めて、刺激すると、カメムシは自分が出した液体のにおいにやられて、気絶してしまう事もあるそうです。(かわいそうですから真似しない下さいね)

この他にも今、子供達に人気の児童書「ざんねんないきもの事典」には
「チーターはスピードに特化し過ぎて、肉食動物なのに超弱い」
「マグロは24時間泳ぎ続けないと、窒息する」
「イルカは眠ると、溺れる」
「コアラはユーカリに含まれる猛毒のせいで1日中寝ている」
「ダチョウは脳みそが目玉よりも小さい」など、

何で、こうなっちゃったの!?という
進化の過程で失った動物の残念な特徴が満載です。

高橋書店の「ざんねんないきもの事典」。


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一読、十笑、百吸、千字、万歩

談話室 9/13

ご自身は医師なのだが書いている本の中には、逆説的なタイトルもある。「医者いらずの本」「医者いらずの老い方」。杏林大名誉教授の石川恭三さん(81)である。中高年、特に高齢者に寄り添うような温かさが滲(にじ)む。

石川さんが高齢者に勧めている健康法に「一読、十笑、百吸、千字、万歩」がある。1日に1度はまとまった文章を読もう。10回ぐらいは笑い、100回ぐらい深呼吸をしよう。千字ぐらい文字を書き、1万歩を目指して歩こう。ストレス解消、認知症予防にも有効という。

平均寿命もさることながら、昨今は「健康寿命」への関心が高い。健康上の問題がなく生活できる期間だ。東京大の研究チームが、病気や死亡に関する日本のデータを解析したところ、過去25年間(1990~2015年)で70.4歳から73.9歳に3.5歳延びたという。

政府は成長戦略で健康寿命を2020年までに1歳以上延ばす目標を掲げている。実現できたらいいが、社会保障費の削減という、お金の都合が見え隠れする。石川さんの“一十百千万のススメ”はお金の単位ではない。でも心掛ければ替え難い価値を生みそうな気がする。

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逃げてくれたか



水や空 9/13

 村の小学校に転校してきた三郎はいつも風を連れている。彼の行く所、どうと風が吹き、窓ガラスが鳴り、木々が揺れる。宮沢賢治の「風の又三郎」はちょうど今ごろ、9月1日から12日までの物語である。

同級生らは不思議がり「二百十日で来たのだな」とささやき合う。立春から数えて210日目は例年、9月1日ごろに巡る。稲の開花と台風が重なると伝わるのが二百十日であり、二百二十日とともに農家の厄日と呼ばれる。

多くの学校で2学期が始まった二百十日の頃を、できるなら来てほしくない、つらい時期と捉える子どもがいる。長い休みが終わり、またも学校に行かなくては、と重圧を感じるからだという。

そういう子どものために、県内のフリースクールなどは8月末から9月初めにかけ、駆け込み場所を開放したりした。苦しかったら休めばいいよ、と。逃げたいと思う人は、ひとまず逃げてくれただろうか。

「風の又三郎」とあだ名をもらった三郎少年は、風の歌を口ずさむ。〈どっどど どどうど/青いくるみも吹きとばせ/すっぱいかりんも吹きとばせ〉

クルミもカリンも、まだ熟していない実なのだろう。勝手な想像ながら、何かしら子どもの心に吹く嵐を思わせる。二百十日、二百二十日と過ぎた今、"勢力"を少しでも弱めていてほしい。

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