鶏頭? 毛糸?

卓上四季 10/19

幼いころ、花のケイトウから毛糸を作るのだと思っていた。だから「けいとう」と呼ぶのだと。そう言ったら大人たちに笑われた。以来、この花が嫌いになった。

ケイトウと言えば、正岡子規の「鶏頭の十四五本もありぬべし」を連想する人も多いだろう。この句の評価を巡っては「鶏頭論争」と呼ばれるほど長年議論が続いたが、現代では秀句として定着している。

ただ、門外漢の筆者には「鶏頭が十四、五本もきっとあるだろう」という句の良さがよく分からなかった。そんなもやもや感を払拭(ふっしょく)してくれたのが、今年の現代俳句評論賞(現代俳句協会)を受賞した松王かをりさん(札幌市)の「未来へのまなざし」だ。

予備校で古文を教える松王さんは、「ぬ+べし」という助動詞を文法的に検証。その上で、死が目前に迫った当時の子規の状況などから「自分の死後も鶏頭はきっと咲いているに違いない」との未来への視点が、背景に隠されていると読み解いた。

余命わずかな子規は、1年前の句会で庭に咲いていたケイトウといま庭で咲くケイトウに、自分がいない庭でも変わらず咲き誇るだろうケイトウを重ね合わせた―とする。鮮やかな花の赤に込めた思いがひしひしと伝わる。

詳細はぜひ評論を読んでほしい。予備校講師らしい緻密な文法解説と説得力ある考察は、とても分かりやすい。おかげでケイトウがちょっとだけ好きになった。
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