マニュアル

正平調 9/21

作家の海老沢泰久さんがパソコンのマニュアルを書いたことがある。テーマは誰でも読めば分かる手引書。パソコンはずぶの素人の海老沢さんが難題に挑んだ。20年ほど前のことだ。

マニュアルが分かりにくいのは、その機器を熟知した人が書くからだ。どこが分かりにくいのかもつい見えなくなる。だから素人の疑問や視線を大事にしよう。そう考えたマニュアルは好評だったと、著書にある。

年金機構から届いた扶養親族等申告書への不満やいらだちが本紙イイミミに相次ぐ。「説明書を読んでも書き方が分からない」「理解しにくい」という。ここまで不評の文書は珍しい。同感の人は多かろうと推測しながら、海老沢さんの話を思い出す。

得てして役所の文書は読みづらい。抜け落ちがないよう、あれもこれも盛り込まれがちだ。そこに専門用語が交じれば、こちらはうーんとうなるしかない。大事な年金である。読めば誰もが分かるよう、いっそ高齢者に書いてもらったらどうかとまで思う。

作家井上ひさしさんが大切にしていたモットーがある。「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをゆかいに、ゆかいなことをまじめに」だ。

せめて「むずかしいことをやさしく」に心を配る説明書でありたい。


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■画期的だった操作マニュアルについて

▼操作マニュアルの一番の成功例

操作マニュアルの中で一番の成功例は、海老沢泰久の書いた「これならわかるパソコンが動く」だろうと思います。この操作マニュアルは、NECのパソコン「98シリーズ」に添付されました。すごくわかりやすいと評判になって、冊子が本として出版されました。

海老沢泰久は、直木賞をとった小説家です。亡くなるまでパソコンで文章を書いたことがない人です。なぜ、この人がパソコンの操作マニュアルを書くようになったのか、ちょっといわくがあります。

▼小説家がマニュアルを書いた理由

週刊朝日の編集長だった川村二郎さんが、ファクシミリを購入したのに、設定できなかったそうです。マニュアルの文章が理解不能だったとのこと。誰が、いいマニュアルを作れるだろうかと考えたら、一番文章の上手な海老沢泰久を思い出したというのです。

ちょうどNECも困っていました。ウィンドウズ95が出た当時、パソコンは40万円もしましたから、高価な買い物です。それなのに、4割の方がウィンドウズ95のセットアップ完了までたどり着けなかったそうです。これは大変なことです。

コールセンターには、電話がパンクしてしまうほど問い合わせが殺到していました。何とかしないとまずいという状況のとき、川村さんのお話があって、NECは、海老沢さんに操作マニュアルを作ってもらうということになったそうです。

▼内容はワープロ・メール・Web

この操作マニュアルでは、セットアップまでの手順が、7ページで説明されています。図は最小限に絞られていて、文章はわかりやすく書かれています。この説明で、ほとんどの方が、セットアップできたのです。コールセンターへの問い合わせは激減しました。

セットアップのあとの内容は、ワープロ、メール、パソコン通信(Web)に絞られていました。分量は、数十ページです。この本で、パソコンの使い方がわかったという人が多かっただろうと思います。2012年まで、図書館の棚に置かれていました。

縦書きのマニュアルですし、今では内容が古くなっています。文章も変えないといけないところがあります。しかし、パソコンの操作マニュアルの基本構造は、現在でもあまり変わらないのだろうと思います。画期的な操作マニュアルでした。

▼2つの成功要因

なぜこれほどまで成功したのでしょうか。第1に、文章がわかりやすかったということです。文章が適切だと、図は最小限ですみます。安易に画面の図が並べてある操作マニュアルは、たいてい文章に問題があります。

第2に、盛り込む情報を絞ったということです。必要な機能のみを説明して、これだけ出来たらユーザーも満足してくれるというものに絞りました。メーカー側が、標準となる使い方を示したのです。

これら2点は現在でも、操作マニュアルを作るときの基本です。


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てら子屋コラム

【コラム】 学びの場の極意

~むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、~


春らしくなりました。青葉がきれいです。青葉と言えば思い出すのがこの歌詞。♪三〇〇人中、二八〇番、だけど尻から数えてけさい♪ いまだに口ずさめるほど気に入って観ていた青春ドラマ『青葉繁れる』の主題歌です。仙台の進学校を舞台にしたこのドラマが放映されていたのは、ちょうど私は中3の頃。このドラマを機に、私はズブズブと井上ひさしさんの言葉の魅力に引き込まれ、ほとんどの著作を読み、こまつ座の芝居もほとんど観てきました。その井上ひさしさんが生前に繰り返し言っていたことがあります。「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」私もそんな言葉の使い手に少しでも近づきたい。

 「むずかしいことをやさしく」、他者に何かを説明したり教えたりしようとするとき、何ともこれが難しい。中途半端な知ったかぶりではできないことです。難しい術語を並べて煙に巻いて誤魔化したり、上辺だけをなぞって子供騙しをしたりする。そこですかさず、井上さんは「やさしいことをふかく」を求めます。このためには、理解の深さだけでなく、その表現のための最高の言葉を、最高の場面に配置しなくてはなりません。ここまでやれたら素晴らしい。

 だけど、井上さんは続けて踏み込みます。「ふかいことをおもしろく」。そうなんです、やさしくても、ふかくても、おもしろくなくては受け手の心と腹をブルブル振動させるには至りません。「ユーモア」、それは昨今のバラエティ芸人の人をバカにすることによる「お笑い」とは全く違うはずです。ユーモア(Humour)とは、ヒューマン(Human)から生まれたようです。さらにその先には、湿気や液体に源流をたどるとのこと。血液、体液、人体の約70%は水分のようですが、その人間らしさの源にある液体を揺さぶるものこそユーモアであり、だからこそ腹を抱えて笑っても、こらえきれずに涙をこぼしても、ホンモノのユーモアは、私たちをホンワカやさしい気持ちにさせてくれるのでしょう。

 少し飛躍してしまいますが、私は学びの場に最も必要なものこそ、この「ユーモア」(人間らしさ)だと思っています。先ほどからの、「むずかしいことをやさしく…」は、子どもたちの学びの場に最も必要とされていることではないでしょうか。だから、最初に難しいことに出会った時には、やさしく説いてくれる支え手も大切です。さらに、ドンドン学び進んで「おもしろく」あたりに達すると、自らの創造力、想像力がものを言うはずです。さらに、「ゆかいな」に達するには周囲と共鳴し共振する感受力になるのでしょう。

 少し前に内田樹さんの『日本辺境論』を読みました。そこにも多くの学びへの示唆があふれていました。中でも、「学ぶ力の劣化」を憂えて書かれていた以下の部分が強く心に残っています。

「今の子どもたちは「値札の貼られているものだけを注視し、値札の貼られていないものは無視する」ように教えられています。その上で、自分の手持ちの「貨幣」で買えるもっとも「値の高いもの」を探しだすように命じられている。幼児期からそのような「賢い買い物」のための訓練を施された子どもたちの中では、「先駆的に知る力(=学ぶ力)」はおそらく萌芽状態のうちに摘まれてしまうでしょう。「値札がついていないものは商品ではない」と教えられてきた子どもたちが「今はその意味や有用性が表示されていないものの意味や有用性を先駆的に知る力」を発達させられるはずがない。」

 きっと、ユーモアには値札はつかないでしょう。だから、(特に総合的な)学びの場は危機に瀕しているのでしょう。もっと、学びの場をユーモアで充たさなくては。そう思うと、井上ひさしさんの主張は、じつは「学びの場の極意」だったことに気づかされます。気づいたからには、私は「てら子屋」を通して、この極意を求め続けていきたいと思っています。「ゆかいなことはあくまでもゆかいに」生きていくことを諦めないようにしたいのです。井上ひさしさんが逝ってしまったのは、ほんとうに残念でした。もっともっと井上芝居を観て、腹を抱えて笑い、涙を滲ませ、心身の水分をブルブル振動させたかったなあ。

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