ベテラン教員 

編集日記 9/20  

 録音した自分の話を自分で聞くのは気恥ずかしい。国語教育で知られた大村はまさんは、東京都の中学校教員を70代で退職するまで録音テープで自分の話をしっかりと聞き、話し方を練習したことを、教え子との対談で明かしている。

 大村さんは約50年の教員生活で子どもの気持ちをつかむため授業の工夫と教材開発に打ち込んだという。「研究することが先生の資格」と著書で説いた言葉は多くの後進に受け継がれている。

 文部科学省が2016年度、全国の小中学校、高校などを対象に行った学校教員統計調査の結果が公表され、ベテラン教員が培った指導技術の継承を心配する声が上がっているという。20代の教員の割合が増えて若返りの傾向が顕著になり、年齢構成の偏りが浮き彫りになったためだ。

 本県では、少子化をはじめ、東日本大震災と原発事故などで採用を抑えたため平均年齢が上昇した。数年後には教員の定年退職がピークを迎える見通しで若手の育成が急務になっている。

大村さんは、教員が研究して蓄えた知恵を子どもに伝える大切さを強調している。ベテラン教員から引き継ぐ教える技術と知恵は、若い教員が子どもたちを育む大きな力になっていくことだろう。

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「研究」をしない教師は先生ではないと思います。まあ、今ではいくらか寛大になって、毎日でなくてもいいかもしれないとも思ったりしますが。(略)子どもというのは「身の程知らずの伸びたい人」のことだと思うからです。一歩でも前進したくてたまらないのです。そして、力をつけたくて、希望に燃えている、その塊が子どもなのです。(略)研究をしていて、勉強の苦しみと喜びをひしひしと、日に日に感じていること、そして伸びたい希望が胸にあふれていることです。私はこれこそ教師の資格だと思います。

「教えるということ」より  大村はま

大村はまは、1906(明治39)年横浜市に生まれ、開明的な空気に溢れたこの港町で育ちました。昭和の初めに東京女子大学を卒業の後、長野県諏訪市の諏訪高等女学校に赴任。言語感覚の鋭い、学ぶこと・教え育てることの機微をよく知った誠実な教師として信頼を集めました。その後、東京府立第八高等女学校へと転任。すぐれた生徒たちを育てますが、戦中、慰問袋や千人針を指導し、学校が工場になる事態まで経験します。

大村はまを大村はまたらしめたのは、敗戦の荒廃に苦しみ抜いた末に、できたばかりの新制中学校への転任を決めてからの奮闘でした。
机も椅子もない、教科書もノートも鉛筆もない焼け跡の教室。はいてくる靴がなくて、欠席する生徒もいる。長い混乱と窮乏の中で、勉強からすっかり離れた子どもたち。あったのは、晴れて全員があこがれの中学生になったという明るさと、民主主義教育に戦後の活路を見出そうとする希望だけでした。その中で、大村はまが必死で取り組んだ実践が、後に国語単元学習と呼ばれるようになったものでした。古新聞の記事を切り抜いて、その一枚一枚に生徒への課題や誘いのことばを書き込んで、100枚ほども用意し、駆け回る生徒を羽交い締めにして捕まえては、一枚ずつ渡していった。その時のエピソードは、大村の代表的著書『教えるということ』の感動的な一節となっています。

1979(昭和54)年に教職を去るまで、大村は、目の前の子どもたちのことばの力を育てるために、単元計画をたて、ふさわしい教材を用意し、こどもの目をはっと開かせる「てびき」を用意して、ひたすらに教えつづけました。大村教室でことばの力と学ぶ力を手にして巣立った教え子は5000人と言われています。

退職後も、大村は国語教育研究から離れませんでした。90歳を超えるまで、新しい単元を創りつづけ、そのためにも膨大な数の本を読み続けました。教える人は、常に学ぶ人でなければならない、ということを自ら貫きました。
晩年を迎えた大村は、いくつもの問題意識・危機意識を持っていました。たとえば次のようなものです。
・こどもの語彙の貧困 ・話し合うことを育てていない現実(大人たち自身が話し合えないという事実) ・評価が人を育てるためのものになっていないこと(人と比べて成績をつけるため、合格・不合格を決めるためのものでしかないこと) ・優劣にとらわれて、子どもも教師も学ぶ喜びとかけ離れた場所にいること ・命令形で指示するのでなく「てびき」をすべきなのに、それができていないこと ・空疎なことばが溢れていること・・・

98歳10ヶ月で大村は亡くなりましたが、その前日まで推敲を進めていた詩が「優劣のかなたに」です。人間にとって宝のような存在である「ことばの力」。それを育てていくこと、学んでいくことは、本来、この上なく明るい試みであるはず。その明るさを知っていた大村であったからこそ、教え、育てる仕事に、惜しみなく一生を捧げたのでしょう。


優劣のかなたに

優か劣か
そんなことが話題になる、
そんなすきまのない
つきつめた姿。
持てるものを
持たせられたものを
出し切り
生かし切っている
そんな姿こそ。

優か劣か、
自分はいわゆるできる子なのか
できない子なのか、
そんなことを
教師も子どもも
しばし忘れて、
学びひたり
教えひたっている、
そんな世界を
見つめてきた。

学びひたり
教えひたる、
それは 優劣のかなた。
ほんとうに 持っているもの
授かっているものを出し切って、
打ち込んで学ぶ。
優劣を論じあい
気にしあう世界ではない。
優劣を忘れて
ひたすらな心で、ひたすらに励む。

今は、できるできないを
気にしすぎて、
持っているものが
出し切れていないのではないか。
授かっているものが
生かし切れていないのではないか。

成績をつけなければ、
合格者をきめなければ、
それはそうだとしても、
それだけの世界。
教師も子どもも
優劣のなかで
あえいでいる。

学びひたり
教えひたろう
優劣のかなたで。

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教えるということ

     大村はま氏「教えるということ」からの抜き書き


■「教えるということ」
 ~研究することは「先生の資格」~

 「研究」ということから離れてしまった人というのは、年が二十幾つであったとしても、もう年よりだと思います。
 なぜ研究をしない教師は先生と、「」思わないかと申しますと、子どもというのは、「身の程知らずに伸びたい人」のことだと思うからです。いくつであっても、伸びたくて伸びたくて… … 、学力もなくて、頭も悪くてという人も、伸びたいという精神においては、みな同じだと思います。一歩でも前進したくてたまらないのです。そして、力をつけたくて、希望に燃えている、その塊が子どもたちなのです。研究をしている教師はその子どもたちと同じ世界にいます。研究の苦しみと喜びを身をもって知り、味わっている人は、いくつになっても青年であり、子どもの友であると思います。

 かわいいということばをかけたり、いっしょに遊んだりしたとしても、そんなことはたわいもないことだと思います。いっしょに遊んでやれば、子どもと同じ世界にいられるなどと考えるのは、あまりに安易すぎませんか。そうではないのです。もっともっと大事なことは、研究をしていて、勉強の苦しみと喜びとをひしひしと、日に日に感じていること、そして伸びたい希望が胸にあふれていることです。私は、これこそ教師の資格だと思います。

 忙しいから研究するひまがないということをおっしゃる方がいます。私は、これは多くの場合口実にすぎないのではないかと思います。忙しいなどということは理由になりません。生きている人はみな忙しく、忙しくないのは病人か、役に立たない人かのどちらかです。むしろ「忙しい仕事は忙しい人に頼め」と言われています。忙しければ忙しいほどその人に能力があることなのです。人に頼まれるというのは、その人に能力があるからです。

 教室に子どもを入れて、開口一番、「読んできましたか」という人があります。これは何も教えないということになりませんか。学校はあくまで「学校」で、学習するところです。教室は学習室なのです。
 「家庭」は学校の勉強をするところではありません。「生活の場所」であって、勉強は、もしあるにしても、片隅に存在しているでしょう。ないかもしれません。家庭は生活の場なのでは、子どもにとって勉強を持ち込むこと自体、多少の問題があるところなのです。

 読むことの学習で、最初の読みをみていなかったら、あとをどうして教えるのですか。だれが早いか遅いか、だれの目が一行とばすか、こういうことを知らなくていいのですか。それをよく知らないでどうやって教えるつもりなのでしょう。

 ある会社へ勤めたとします。一つの仕事をもらって、その仕事をやれなかったとき、「やったけれどもやれませんでした。」などと言おうものなら、相手にされないのではないでしょうか。「これこれをやりなさい」と言いつけられて「一生懸命やりましたが、できませんでした。」と、そういうことが言えますか。ところが教師だけはよくまあ言うと思います。「一生懸命指導しましたけれど、お宅のお子さん、どうもうまくおできになりません。」私は、そういうことは教師として言うべきでない。うまくいかない責任は自分でとるべきであって、相手が勉強しないなどと、そんなことを言えるものではありません。相手の責任にできる職業なんて、他にはないのです。

 「優しくて親切」などは、長所でも何でもない、教師としてあたりまえのことです。教師は専門家ですから、やっぱり生徒に力をつけなければだめです、ほんとうの意味で。こうした世の中を生き抜く力が、優劣に応じてそれぞれつかなければならないと思います。

 子どもは常に一人ひとりを見るべきであって、それ以外は見るべきではない、束にして見るべきものではないと思います。一斉授業であっても、一人ひとりを見ているということです。「グループ指導」も個人をよく生かすために編成するものです。

 焼け跡の学校で1 0 0 人の子どもを教えた。ウワンウワン騒いでどうしようもこうしようもありませんでした。「静かに!」と言おうと何と言おうとどうなるものでもありません。
 私は、疎開の荷物の中から新聞とか雑誌とか、とにかくいろいろのものを引き出し、教材になるものを約百ほどつくって、それに一つ一つ違った問題をつけて1 0 0 通りの教材を準備し、翌日それをもって教室に行った、そして、子どもを一人ずつつかまえては、「これはこうやるのよ」と一つずつわたしていったのです。すると教材をもらった子どもから、食いつくように勉強し始めたのです。彼らはほんとうに「いかに伸びたかったか」ということ、「いかに何かを求めていたか」ということ、私はそれに打たれ、感動したのです。そして、人間の尊さ、求める心の尊さを思い、それを生かすことができないのは全く教師の力不足にすぎないのだということがよくわわりました。

 私はそれ以後いかなる場合にも、子どもたちに騒がれることがあっても、子どもを責める気持ちにはどうしてもなれなくなりました。教師になにかよくないところがあるのでしょう。計画がまずいのかもしれません。何か自分自身の法に原因があるとしか考えられません。子どもの力は常によきものを求めてやまないものなんだ、それが「少年」なんだということも、私はその体験からはっきりとわかりました。そして、子どもが自分の思うように動かないとき、一番最初に心に浮かぶのはこのことです。私は、「どこに自分の計画のまずさがあったのかな」「何のマイナスがあったのかな」と自分の方に目を返すということが習性のようになりました。

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