永井荷風

小社会 9/17

 作家、永井荷風が日記「断腸亭日乗」を書き始めたのは、今から100年前の1917(大正6)年9月16日。31(昭和6)年の満州事変後には、東京・銀座の様子をこう記している。
 
 〈商店の硝子(ガラス)戸には日本軍上海攻撃の写真を掲げし処多し。蓄音機販売店にては盛に軍歌を吹奏す。時に満街の燈火一斉に輝きはじめ全市挙(こぞ)つて戦捷(せんしょう)の光栄に酔はむとするものの如し〉。核実験やミサイル発射を繰り返す北朝鮮の街も、同じように沸いているのだろうか。

 国連安全保障理事会の制裁決議にも、「備蓄した外貨や燃料で持ちこたえられるうちに、核戦力を完成させるつもりだ」。本紙に載った北朝鮮消息筋のコメントは、これまた太平洋戦争前夜の日本をほうふつとさせる。

 日本は米、英、中国とオランダによる経済封鎖に苦しんでいた。ジリ貧になるより戦争をやれば勝利の公算は半分。このまま滅亡するよりはいい―。そんな論理で真珠湾攻撃に突き進む。一度、破滅への道を歩んだ日本だからこそ、北朝鮮に同じ過ちをさせてはなるまい。

 小泉首相=当時=が電撃訪朝し、金正日(キムジョンイル)総書記が日本人拉致を認めたのは15年前のきょう。日朝平壌宣言には「互いの安全を脅かす行動はとらない」「核・ミサイル問題も関係国間の対話を促進し解決を図る」とある。

 どれほど時間がたとうとも、過去と誠実に向き合えば、未来を開く鍵を見つけることはできる。

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四季風 9/17

東京暮らしを始めた半年前、毎日読みふけっていたのが評論家の川本三郎氏の『荷風と東京』(岩波現代文庫)。永井荷風(1879~1959年)が死の前日まで42年間にわたって書き続けた日記『断腸亭日乗』をひもときながら、荷風が歩いた東京の細部を浮かび上がらせた名著だ。

築地、銀座、新橋、赤坂-。仕事で足を運ぶ先々の往時の姿が私の眼前に立ち現れ、それまでどこか気後れを感じていた場所が、好きな大作家の導きによって昔からのなじみのような身近な存在に。せわしない都会生活にひとときの安らぎを与えてくれた。

荷風が日乗を書き始めたのは1917年9月16日。100年前のきのうだ。日乗は激動の時代の記録でもある。日中戦争勃発や日米開戦により暗さを増す世相、物資窮乏が市民生活を脅かすさま、東京大空襲で自宅や蔵書が焼失する光景などを透徹した筆致で伝える。

その荷風は太平洋戦争終結を敗戦や終戦ではなく「休戦」の言葉で表現したという。「戦争のない世などありえないというシニシズムのためだろう」と川本氏は書く。

「時代の雰囲気が戦前に似ている」と言われる昨今。戦争の忍び足の方は、身近なものになってほしくない。 

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断腸亭日乗

断膓亭日記巻之一大正六年丁巳九月起筆

永井荷風


+目次

荷風歳卅九

◯九月十六日、秋雨連日さながら梅雨の如し。夜壁上の書幅を挂け替ふ。
碧樹如レ烟覆二晩波一。清秋無レ尽客重過。故園今即如二烟樹一。鴻雁不レ来風雨多。姜逢元
等閑二世事一任二※(「さんずい+冗」、第4水準2-78-26)浮一。万古滄桑眼底収。偶□心期帰図画。□□蘆荻一群鴎。王一亭
 先考所蔵の畫幅の中一亭王震が蘆雁の図は余の愛玩して措かざるものなり。
◯九月十七日。また雨なり。一昨日四谷通夜店にて買ひたる梅もどき一株を窗外に植ゆ。此頃の天気模様なれば枯るゝ憂なし。燈下反古紙にて箱を張る。※(「虫+車」、第3水準1-91-55)頻に縁側に上りて啼く。寝に就かむとする時机に凭り小説二三枚ほど書き得たり。
◯九月十八日。朝来大雨。庭上雨潦河をなす。
◯九月十九日。秋風庭樹を騒がすこと頻なり。午後市ヶ谷辺より九段を散歩す。
◯九月二十日。昨日散歩したるが故にや今朝腹具合よろしからず。午下木挽町の陋屋に赴き大石国手の来診を待つ。そも/\この陋屋は大石君大久保の家までは路遠く徃診しかぬることもある由につき、病勢急変の折診察を受けんが為めに借りたるなり。南鄰は区内の富豪高嶋氏の屋敷。北鄰は待合茶屋なり。大石君の忠告によれば下町に仮住居して成るべく電車に乗らずして日常の事足りるやうにしたまへとの事なり。されど予は一たび先考の旧邸をわが終焉の処にせむと思定めてよりは、また他に移居する心なく、来青閣に隠れ住みて先考遺愛の書画を友として、余生を送らむことを冀ふのみ。此夜木挽町の陋屋にて独三味線さらひ小説四五枚かきたり。深更腹痛甚しく眠られぬがまゝ陋屋の命名を思ふ。遂に命じて無用庵となす。
九月廿一日。大石国手来診。
九月廿二日。無用庵に在り。小説おかめ笹執筆。
〔欄外「原本廿三日より廿九日迄記事なし」トアリ、朱線ヲ引キ胡粉デ抹消〕
九月三十日。深夜一時頃より大風雨襲来。無用庵屋根破損し雨漏り甚し。黎明に至りて風雨歇む。築地一帯海嘯に襲はれ被害鮮からずと云。午前中断膓亭に帰りて臥す。
〔欄外「原本十月一日及二日欠記事」トアリ、朱線ヲ引キ胡粉デ抹消〕
十月三日。断膓亭窗外の樹木二三株倒れ摧かる。
十月四日。百舌始て鳴く。
〔欄外「原本五日より七日まで記事を欠く」トアリ、朱線ヲ引キ胡粉デ抹消〕
十月八日。連日雨歇まず。人々大風再来を憂ふ。藪鶯早くも庭に来れり。
十月九日。大雨。無用庵雨漏りいよ/\甚しき由留守居の者知らせに来りし故寐道具取片づけ断膓亭に送り戻さしむ。唖々子にたのみて三味線食器は一時新福亭へあづけたり。(久米秀治氏細君営業の待合茶屋なり)
十月十日。夜庭後子風雨を冒して来訪せらる。断膓亭襍稾出版についての用談なり。
十月十一日。この日雨始て晴る。百舌頻に鳴く。旧稾つくりばなしを訂正して文明に寄す。
十月十二日。赤蜻※(「虫+廷」、第4水準2-87-52)とびめぐり野菊の花さかりとなる。
十月十三日。秋※(「こざとへん+(人がしら/髟のへん)」、第4水準2-91-70)夢の如し。夜庭後君再び訪来り文明編輯の事を相談す。
十月十四日。空始めて快晴。小春の天気喜ふべし。八ツ手の芽ばへを日当りよき処に移植す。午後神楽阪貸席某亭に開かれたる南岳追悼発句会に赴く。帰途湖山唖※(二の字点、1-2-22)の二子と酒楼笹川に飲む。
十月十五日。曇る。鵯鳴く。園丁来りて倒れたる庭木を引起したり。夜また雨。
十月十六日。雨。石蕗花開く。その葉裏に毛虫多くつきたり。今年は秋に入りて殊に雨多かりし故にや此頃に至り葉※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)頭野菊紫苑のたぐひに至るまで皆毛虫つきたり。
十月十七日。鶺鴒飛来る。晩風蕭索。夕陽惨憺たり。
十月十八日。先人揮毫の扇面を見出し書斎の破襖に張る。其の中の一詩を録すれば、隔水双峰雪未銷。白堤寒柳晩蕭蕭。三杯傾尽兪楼酒。馬上思君過断橋。
十月十九日。大石君の診察を請はむとて数寄屋橋新福亭に徃く。大石君来らず空しく帰る。唖々子に逢ひ四谷に飲む。
十月廿二日。晴天。風寒し。断膓亭に瓦斯暖炉を設く。八ツ手の蕾日に日にふくらみ行けど菊は未開かず。竜胆花をつけたり。おかめ笹第六回に進む。夜執筆の傍火鉢にて林檎を煮る。
十月廿三日。晴天。文明第十一号校正。午後日吉町庄司理髪店に赴き米刃堂に立寄り庭後唖々の両子と三十間堀寿※(二の字点、1-2-22)本にて晩餐をなす。清元延園おりきを招ぐ。
十月廿四日。両三日腹具合大に好し。午後家を出で紀の国坂を下り豊川稲荷に賽す。
十月廿五日。朝より大雨終日歇まず。庭上雨水海の如く点滴の響滝の如し。夜に入つて風また加はる。燈下孤坐。机に凭るに窗外尚残蛩の啼くを聞く。哀愁いよ/\深し。
十月廿六日。晴天。写真師を招ぎて来青閣内外の景を撮影せしむ。予め家事を整理し万一の凖備をなし置くなり。近日また石工を訪ひ墓碑を刻し置かむと欲す。夜風あり。月明かなり。虫語再び喞々たり。
十月廿七日。晴天。階前の黄菊始て開く。午後青山辺を歩む。夜梔子の実を煮、その汁にて原稿用罫紙十帖ほど摺る。梔子の実は去冬後園に出でゝ採取し影干になしたるもの。
十月廿八日。来青閣壁間の書幅を替ふ。毅堂先生絶句三幅を懸く。朝の中雨ふりしが晩に歇む。是夜十三夜なれど月なし。初更のころ門を敲くものあり。燈を挑げて出でゝ見れば旧友葵山子の訪来れるなり。※(「口+加」、第3水準1-14-93)※(「口+非」、第4水準2-4-8)を煮て款晤す。
十月廿九日。曇る。夜九穂子来訪。
十月三十日。快晴。後園に菜種を蒔く。
十月卅一日。唖※(二の字点、1-2-22)子来訪。
十一月一日。
十一月二日。
十一月三日。快晴。南伝馬町太刀伊勢屋に徃き石州半紙一〆を購ひ、帰途米刃堂を訪ふ。
十一月四日。大雨。断膓亭襍稾表帋板下絵を描く。
十一月五日。晴。山茶花開く。菊花黄紅紫白の各種爛漫馥郁たり。八ツ手の花もまた開く。午後水仙蕃紅花の球根を地に埋む。
十一月六日。夜唖※(二の字点、1-2-22)子来訪。晩風漸く寒し。虫の音全く後を絶しが、家の内薄暗きところには猶蚊のひそめるあり。
十一月十日。今年は去月の暴風にて霜葉うつくしからず。此の頃に至りて楓樹の梢少しく色づきたれど其の色黒ずみて鮮ならず。
十一月十二日。快晴。樫の芽ばへを日あたりよき処に移植す。
十一月十三日。小説腕くらべを訂正し終りぬ。午後三十間堀の酒亭寿※(二の字点、1-2-22)本に徃き、庭後唖※(二の字点、1-2-22)の二子と飲む。
十一月十五日。断膓亭襍稾印刷校正に忙殺せらる。夜唖※(二の字点、1-2-22)子来談。
十一月十六日。鵯毎朝窗外の梅もどきに群り来る。余起出ること晩きが故今は赤き実一粒もなくなりたり。
十一月廿一日。断膓亭襍稾校正終了。下婢を銀座尾張町義昌堂につかはして水仙を購ふ。
十一月廿二日。毎日天気つゞきにて冬暖甚病躯に佳し。午後市ヶ谷辺を散策す。古道具屋にて三ッ抽出し古箪笥を購ふ。余以前は箪笥あまた持ちたるに一棹は代地河岸にて失ひ、又重箪笥二棹は宗十郎町にて奪はれ、今はわが衣服を入るゝに西洋トランクと支那文庫とあるのみ。日常使用に不便なれば已むことを得ず新に購求めしなり。代価参円半。
十一月廿三日。晴天。満庭の霜葉甚佳なり。萩芒の枯伏したる間に鵯二三羽来りて枯葉を踏む。其の音さながら怪しき者の忍寄るが如き気色なり。晩間寒雨瀟瀟として落葉に滴る。其声更に一段の寂寥を添ふ。再びおかめ笹の稿をつぐ。
十一月廿九日。両三日寒気強し。樹※(「こざとへん+(人がしら/髟のへん)」、第4水準2-91-70)日光に遠きあたり霜柱を見る。今暁向両国相撲小屋跡菊人形見世物塲より失火。回向院堂宇も尽く焼亡せしと云ふ。西大久保母上の許より昆布佃煮を頂戴したり。
十一月三十日。この頃小蕪味ひよし。自ら料理して夕餉を食す。今朝肴屋の半台にあなごと海鼠とを見たり。不図思出せば廿一二歳の頃、吉原河内楼へ通ひし帰途、上野の忍川にて朝飯くらふ時必ずあなごの蒲焼を命じたり。今はかくの如き腥臭くして油濃きものは箸つける気もせず。豆腐の柔にして暖きがよし。夜明月皎皎たり。
十二月一日。蝋梅の黄葉未落尽さゞるに枝頭の花早くも二三輪開きそめたり。予今年は病のため更に落葉を掃はざりしが、今になりては荒果てたる庭のさま却て風趣あり。
十二月二日。昨日の寒さに似ず今日は暖なり。母上来たまひて来青閣の広間にて余の蒲団を縫はる。
十二月三日。余が懸弧の日なれど特に記すべきこともなし。唯冬日の暖きを喜ぶ。
十二月四日。腕くらべ印刷校正下摺はじまる。
十二月五日。中央公論社におかめ笹前半の草稾を渡す。九穂子来談。
十二月七日。日日寒気加はる。寒月氷の如し。
十二月八日。庭上の霜雪の如く白し。本年の寒気前年の比にあらずと新聞紙に見ゆ。午後風ありしが寒気甚しからず。福寿草の芽地上にあらはる。
十二月九日。正午新福主人来訪。本日帝国劇塲。松莚君連中見物の当日なればとてわざ/\さそひに来られしなり。久振りの芝居見物興なきにあらず。食堂にて花月主人に逢ふ。看劇後新福亭に一茶して家に帰る。夜三更を過ぐ。
十二月十日。快晴。紅箋堂佳話起草。
十二月十一日。快晴。園丁来りて落葉を掃ふ。肴屋白魚を持来りしが口にせず。
十二月十二日。八ツ手山茶花共にちり尽しぬ。
十二月十五日。久振にて築地の梅吉を訪ふ。弟子梅之助手すきの様子なりければ清心始の方すこしさらつて貰ひたり。
十二月十六日。九穂子来談。毎日好晴。蝋梅の花満開なり。
十二月十七日。午後九段を歩む。市ヶ谷見附の彼方に富嶽を望む。病来散策する事稀なれば偶然晩晴の富士を望み得て覚えず杖を停む。燈下バルザツクのイリユージヨンペリユデイを繙読す。就床前半時間ばかり習字をなす。
十二月十九日。※[#「抜」の「友」に代えて「丿/友」、U+39DE、15-3]辯天の縁日を歩み白瑞香一鉢を購ひ窗外に植ゆ。
十二月二十日。兼てより花月主人と午後一時を期し栄寿太夫を招ぎ清元節稽古の約あり。此日浦里上の段をけいこす。
十二月廿一日。今日もまた花月に徃く。帰途銀座島田洋紙舗にて腕くらべ用紙見本を一覧したれど思はしきものなし。
十二月廿二日。冬至。晴れて暖なり。紅箋堂佳話を書きはじめたれど興味来らず。※[#「くさかんむり/聿」、U+831F、15-9]を抛て神田を散歩す。夜半輪の月よし。沢田東江の唐詩選を臨写す。
十二月廿四日。毎朝霜柱甚し。水仙の葉舒ぶ。
十二月廿五日。午後花月に徃きしが栄寿太夫来らず空しく帰る。
十二月廿六日。唖※(二の字点、1-2-22)子米刃堂用談にて来訪。この夜寒月氷の如く霜気天に満つ。未夜半に至らざるに硯の水早くも凍りぬ。
十二月廿八日。米刃堂主人文明寄稿家を深川八幡前の鰻屋宮川に招飲す。余も招がれしかど病に托して辞したり。雑誌文明はもと/\営利のために発行するものにあらず。文士は文学以外の気焔を吐き、版元は商売気なき洒落を言はむがために発行せしものなりしを、米刃堂追々この主意を閑却し売行の如何を顧慮するの傾きあり。予甚快しとなさず、今秋より筆を同誌上に断ちたり。薄暮月蝕す。
十二月廿九日。この頃寒気の甚しさ、朝十時を過るも庭の霜猶雪の如し。八ツ手青木熊笹の葉皆哀に萎れたり。小鳥の声も稀になりぬ。大明竹の鉢物を軒の下日当りよき処に移す。午後花月に徃き浦里上の段稽古を終る。本年はこれにて休み来春また始めるつもりなり。帰途夕暮になりしを幸新福亭に立寄り夕餉をなす。主人も折好く芝居稽古を終りて帰来りたれば、清元一二段さらひて後、来合せたる妓雛丸とやらを伴ひ銀座通年の市を見る。新橋堂前の羽子板店をはじめ街上繁華の光景年※(二の字点、1-2-22)歳※(二の字点、1-2-22)異る所なし。唯余のみ年老いて豪興当時の如くなる能はざるのみ。鳩居堂にて香を購ひ車にて帰る。桜田門外寒月の景いつもながらよし。
十二月卅一日。風あり。砂塵濛※(二の字点、1-2-22)たり。午後空くもる。雪を憂ひしが夜に至り二十日頃の月氷の如く輝き出でたり。家に籠りて薄田泣菫子が小品文集落葉を読む。余この頃曾て愛読せし和洋書巻の批評をものせむとの心あり。依りてまづ泣菫子が旧著を取出して一読せしが思ふところ直に筆にしがたくして休みぬ。今余の再読して批評せむと思へるものを挙ぐるに、
落葉 薄田泣菫著     照葉狂言 泉鏡花著
今戸心中 広津柳浪著   三人妻 尾崎紅葉著
一葉全集 樋口一葉著   柳橋新誌 成島柳北著
梅暦 為永春水著     湊の花 為永春水著
即興詩人 森鴎外著    四方のあか 蜀山人著
うづら衣 横井也有著   霜夜鐘十時辻占 黙阿弥著
其他深く考へず。漢文にては入蜀記、菜根譚、紅楼夢、西廂記、随園詩話等。西洋のものはまた別に考ふべきなり。


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