負けました

有明抄 9/6

 快進撃を続ける将棋の藤井聡太四段が「憧れの存在」として名を挙げる谷川浩司九段は、その終盤の手際から「光速の寄せ」などと呼ばれる。

名人に長く在位し、永世名人の資格も持つが、厳しい勝負の世界をどう生きてきたかをうかがわせる言葉がある。「負けましたとはっきり言える人は強くなる。これをいいかげんにしている人は上には行けない」。たとえ、プライドをへし折られようとも、その現実に向き合わなければ成長はないというわけだ。

先日、気になる“敗北”があった。将棋ではなく、地震予知の分野である。これまで40年にわたって「予知できる」としてきた巨大地震について、国の検討委員会が「科学的な確立した手法はない」として、根本から見直す方針転換を決めた。いわば、白旗を揚げた格好である。

これまでは、巨大地震の前に生じるひずみ「プレスリップ」の動きを察知できれば、予知は可能だと考えられてきた。その前提に立って、さまざまな防災対策や法制度も組み立てられてきた経緯がある。

ここまで研究が進んだからこそ、予知の難しさが分かったのかもしれないが、人命がかかっている以上、いつまでも希望的観測にしがみついてはいられない。「今の科学では地震は予知できない」-。その現実をはっきり受け入れる。そこから新たな一歩が始まる。

…………………………

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谷川浩司の名言集

「負けました」
といって頭を下げるのが、
正しい投了の仕方。
つらい瞬間です。
でも「負けました」と
はっきり言える人はプロでも強くなる。
これをいいかげんにしている人は
上にいけません。

何度も何度も負けたとしても、
自分の道をひたすら歩き続ければ、
やがてそこに一本の道が拓けてくる。

余りに多くの情報を手に入れすぎると、
逆に先入観に囚われて
独自の発想が出なくなる。

大事なのは
「見て忘れる」ことです。

本当に強い人とは、
対局中にも
人への配慮を忘れないような、

心のゆとりを
もっている人だと思う。

相手の選択肢を狭くする
指し方を選ぶと、

自分の選択肢も同様に
狭くなってしまうという傾向もあります。

実力のある人は、
姿勢からして端正である。

自らの負けを潔く認めることが、
次の勝利へと
つながっていくのである。

最初から強い人はいないわけで、
やはり最初は負けっぱなしですから。

「何を!」と思って続けていく人が
強くなるのでしょう。

それは何にでも最初あるんでしょうね。
「負けず嫌い」
というのがないと上がれない。

いいときは焦らない。
悪いときはあきらめない。

反省は、失敗を客観的に分析して、
これからに生かせる未来思考なのだ。

勝負師の条件は、
負けた悔しさをバネに勝つことだ。

そして、勝ちたいという気持ちを
持ち続けることである。

敗者の美学という言葉があるが、
負けて満足するのは自己満足でしかない。

普段(練習将棋で)は
自分が一番弱いと思って指し、
大会では自分が一番強いと思って指す。

大事なのは、
負けた経験や挫折感を、
後の人生でどう生かすかです。

生かすことができれば、
負けや失敗は
長い人生の中で失敗にならなくなる。

むしろ、
とても大切な糧にできる。

落とし穴がある。
経験はプラスにもなるが、
マイナスになることもあるのだ。

迷ったときは原点に戻って
再スタートすればいい。
それが、いい人生につながる。

ミスには、それ以前に、
誘発する他の原因がある。

勝負の世界に
偶然はありません。

一夜漬けは通用しない。
毎日毎日の積み重ねが
すべてなんです。

才能という言葉が必要になるのは、
ある高さまでいってからで、
努力によって
自分の力を最大限にまで高め、
その限界を乗り越えようとする時に、
初めて才能というものが
必要になってくるのではないだろうか。

物事を推し進めていくうえで、
その土台となるのは
創造力でも企画力でもない。

いくら創造力や企画力を
働かせようとしても、
道具となる知識や材料となる
情報がなければ何も始まらないのだ。

知識は、頭の中に貯えられた
記憶の体験が土台になるのである。

充実している時にこそ、
現状を打破する
やる気を持つことが大切なのだ。

一流の素質は、
「好き」と「努力をし続けられる」こと。

まったく関わりない偶然としての
幸運などない。

積み重ねた努力や、そうした自分を
盛り上げてくれる人たちに
応えようとする気力が、
無意識のうちに局面に最良の一手としての
“強運”を導いてくれるのではないか。

現状は悲観的に、
将来は楽観的に。

強い人ほど個性がある。
四、五段の人はそれほど個性もないから
何々流といった名前もつけられていない。

段が上がっていくにつれて
個性が強くなってくる。

ひとつには
自信ということがあると思います。

下のうちはこんな手をさしちゃって
笑われるかなと思いますけど、
上になっていくほどこれでいいんだ、
正しいんだと自分に自信がついてくるから。

毎日の努力の積み重ねを、
それほど苦にせずにできることこそ、
才能といえる。

勝っても、それで
自信過剰になり、努力を怠れば
勝ったことがマイナスになる。

負けたとしても、
その敗因を冷静に判断し、
次につなげるべく努力していけば
負けたことがプラスになる。

強くなる時に、
あまり苦労しないで
効率よく強くなった人は、
弱くなるのも早いのではなかろうか。

何事に対しても
“できる”という方向で考えないと、
物事は進まないのである。

“できる”という方向から攻めると、
思わぬアイデアが生まれるものだ。

勝負事に限らず、
何事も腰がひけては前に進めない。

攻めの気持ちがあると、
集中力が高まり、
迷いが吹っ切れる。

本当の強さとは、
どういうものか?

それは、
見たこともない局面を見せられ、
その中で最善手を
自力で発見できるか、
どうかなのである。

「こうあるべきだ」という思考からは、
柔軟な発想は生まれないのだ。

当たり前の中に隠された物を
探り出そうという発想が、
固定観念を打破するもとになるのである。

ただ時間を費やして
考えているだけでは意味がないのだ。

何を何のために
どう方向づけて考えるのか。

思考とは結果を導き出さなければ、
ただの時間の無駄遣いでしかない。

他の人が『これは無理だよ』
と思っていても、

自分が『できる』と思っている間は、
可能性があるのだ。
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