テレビ寺子屋 山元加津子

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講師 山元加津子
講師紹介
1957年、金沢市生まれ。
富山大学理学部卒業後、小学校の先生を経て、石川県内の特別支援学校に勤務。
エッセイ、旅行記、イラストなどの制作活動も行っており、
子どもだけでなく大人の心も開き、感動の輪を広げている。


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第2040回「人の幸せを願う」

今回はブータンの話をします。

毎年、夏になると友達と旅行に出かけます。
ある時パソコンで動画を見ていました。
それは青年海外協力隊としてブータンで体育教師をしていた。
関健作さんという写真家の方が撮った作品でした。
関さんが男の子に「あなたはどんな時が幸せですか?」と聞くと
「家族が幸せそうにしている時。」と答えます。
女の子に聞くと「おかあさんが笑っている時が幸せです。」と。
人の幸せを願っている子どもを見て私はすごく感動しました。
そこで関さんに連絡して、私の友達と一緒にブータンに行きました。
ブータンでバスに乗って移動している時に
「ブータンの子どもたちは写真を撮ってもらったり、
手を振ってもらうのが好きなんですよ。」と関さんが教えてくれました。
私がバスから手を振ったら、子どもたちだけでなく、
おじいさんやおばあさんも手を振ってくれました。
ブータンの小学校を訪問した時、私の友達が、
学校に教育目標が書かれているのを見つけました。
そこには「他の人のことを祈れる子どもを育む」と書いてありました。
授業を見せていただいた後、私は子どもたちに聞きました。
「将来の夢は何ですか?」
ある男の子は、「医者になりたい。」と答えました。
「なぜ?」と聞くと、
「病気で苦しんでいる人を幸せにしてあげたい。」と言うのです。
次に女の子に同じ質問をしました。
「先生になりたい!」
「なぜ?」
「子どもたちを幸せにしたいから!」
私は子どもが自分の夢を語る時、
「お金持ちになりたい!」とか「きれいな服が着たい!」など
自分の幸せを優先する答えが返ってくると思っていました。
次の男の子に聞くと「サッカー選手になりたい!」と答えました。
これが普通の子どもの答えだと思ったのですが、理由を聞くと
「一生懸命頑張って多くの人に夢と希望を与えたい!」と言うのです。

養護学校も訪問しました。
ダウン症の幼い子どもが私の手を引っ張って
高校生くらいの子どものところに連れていってくれました。
その子は目が見えません。
でも私の顔を両手で包み込むように挨拶し、
私を感動させてくれました。
人が仲よくなるのに言葉はいらないのだと感じました。

ブータンは決して裕福な国ではありません。
でもブータンの人々はお経の書かれた旗を
自分のお金で買い山の上に立てます。
「ここでお祈りをした人々の優しい思いが
風にのって世界中の人たちに届きますように。」と。
本当に人の幸せを願っている国でした。

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第2038回「みんなひとつ」

私は「銀河の雫」というドキュメンタリー映画を作りました。

これはネパールで撮影したものです。
なぜネパールなのかという事を私の体験とともにお話します。
私は子どもの頃、ぼうっとしていることが多く、
虫や動植物などを見ているのが大好きでした。
友達と遊ぶ事もありましたが、運動神経が悪くて
鬼ごっこをしてもずっと私が鬼のまま。
友達もおもしろくなくなり迷惑をかけていました。
だから虫とかを見ている方が好きでした。
それから、私はうんちを見るのも好きでした。
ある時、祖母に面倒をみてもらっていると
私が急にいなくなったそうです。
祖母が「便所に落ちたんじゃないか?」と心配していると、
私は便所の中を覗き込んでいたそうです。
私は祖母に聞きました。
「なぜ一杯だったうんちが無くなったの?」
「汲み取ったから。」
「そのうんちはどこにいったの?」
「地球上には動物が一杯いるからそのうんちで一杯なの?」
祖母は「変な子だなあ。」と心配したそうです。

母と買い物に行った時も、
かたつむりが道を横断しているところを応援したりしていたそうです。
そんな私を近所の人も「変わった子だなあ。」と言っていました。
私は悲しくなり父に相談しました。
でも父は「かっこちゃんは、かっこちゃんのままでいいんだよ。」と言ってくれました。
私は安心してそれからも自然を観察する事に熱心だったようです。
そして自然を観察していると色んなことが分かって来ました。
桜の花びらが散っても銀杏の葉っぱが落ちても
ミミズやダンゴ虫がそれを食べうんちをしてまた大地に帰っていく。
「宇宙ってうまくできてるなあ。」、
そして「みんな平等なんだなあ。」と思いました。

今から十数年前ネパールを旅行している時、
ギータちゃんという現地を案内する人に出会いました。
彼女はこう言いました。
「この世の中はすべて同じ、平等なんですよ。」と。
私が子どもの頃から考えていた事と一緒でした。
私が彼女に色々な事を話したら
「そのとおりですよ。」と受け入れてくれるのです。
「目の前の犬がおなかを空かしていたら食べ物をあげよう。
傷ついた人がいたら助けてあげよう。
この世の中はすべて平等だから。」と。

そんなネパールで大地震が起こりました。
私はとにかく現地に向かいました。
そしてお葬式にも立ち会いました。
亡くなった方を布で木に巻いて燃やし、川に流します。
私は涙が止まりませんでした。
そんな私を見て近くにいた見ず知らずのおばあさんが
私を抱きしめてくれました。
目の前で悲しんでいる人がいれば優しくしてあげる。
ネパールの人はみんなそれが当たり前のように育っています。

映画では「みんな一緒、みんなひとつだ。」
という考えをもつネパールの人を描きました。

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第1756回「いのちの輝き」

私はおっちょこちょいで方向音痴なので、
講演会に出かけるにも、多くの人に助けてもらっています。
その一人だった同僚の宮田俊也さん(通称宮ぷー)が、2009年に脳幹出血で倒れました。
どんな重篤な病気かを私は知らなかったのですが、
医者は、「3日の命。命をとりとめても一生、植物状態です」と言いました。
でも、私はそのとき、何の根拠もなく、「大丈夫です」と言っていました。
医者は「僕の言っていることが分かりますか」と、私のことを心配してくださいました。
なにしろ、宮ぷーの瞳孔は開いたままで、汗もかけないので、体温は40度もあったのです。
私は学校の子どもたちがいつもどんなふうにすれば元気になるか考えました。
思いついたのは、「あなたのことが大好き」と言って抱きしめることでした。
私は宮ぷーの体の管の間から手を突っ込んで、「生きて!大好き!」と言い続けました。
祈り、話し、体をさすりました。
すると8日目に目が開きましたが、
「植物状態の人は昼間目を開いて、夜は閉じていることが多いのですよ」と医者に言われました。
私は「そんなことはない」と思って、開いた目に映るように、自分の顔を近づけたり、
日記を書いて宮ぷーに読み続けました。
半年が過ぎたころ、首が少し動くようになりました。
そこで私と宮ぷーは、首の動きで「はい」と「いいえ」を判別し、
あかさたなの表で文字をつないで言葉を作りました。
初めて宮ぷーが伝えてくれたのは「こわい、たすけて」でした。
その後、一般にはよく知られていませんが、意思伝達装置という機械を持ち込むと、
宮ぷーが次のような言葉を打ちました。
「まんげつをきれいとぼくはいえるぞ」病室の窓に映った満月を見て宮ぷーは泣いていました。
身体の不自由な方に接するとき、
私は「体が痛くないか」とか「トイレは?」など体のことばかりに気を取られていました。
誰でも思いはもっと深いところにあり、きれいなものをきれいと、
さびしいときにさびしいと言うのが人間なんだと、宮ぷーが教えてくれたのです。
あきらめなければ伝える方法は必ず見つかる。
宮ぷーが倒れた意味もきっとそこにあると思うのです。

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第1754回「素晴らしい大ちゃん」

大阪から6年生の時に私のいる特別支援学校に転校してきた、原田大助君の話です。
大ちゃんは、はじめ、私と目も合わせようとせず、
廊下の隅を何やら独り言を言いながら歩いていました。
近づくとそれもやめてしまいます。
私が「大ちゃん、今日は何曜日?」と聞くと、
「うーんそうやなあ、おれカレーライス食べたんやで」とか、
つじつまの合わない答えしか返ってきませんでした。
あとから分かったことですが、大ちゃんは、仲もよくないのに目を合わせたり、
人の言葉を自分の心に入れることなんてできないと思っていたのです。
そんなことに気付かない私は、大ちゃんに小学校1年生の平仮名ばかりの教科書で勉強させていました。
大ちゃんは何かを紙に書くのが大好きで、
そのころ、マス目のある紙に黒い丸のようなものをしきりに書いていて、
それを私たちは「執筆活動」と呼んでいました。
私はただマス目を埋めたいだけと思っていましたが、
ある時、ワープロを大ちゃんの所に持っていったところ、
大ちゃんは、「俺、これ好きやわ」と言って、
あっという間にやり方を覚え、友達の名前を打ちました。
南川泰範という名前なのですが、「泰範」の「泰」がすぐに変換できません。
そこで、大ちゃんは「お家安泰」と打ち、「泰」の字を出したのです。
私はびっくりし、またショックを受けました。
私は大ちゃんに、平仮名だけで勉強させてきたのに、
大ちゃんは何の不平も言わずに私の言うとおりにしてくれていたのです。
本当に悪いことをしたと思いました。
それから大ちゃんが1本の指で入力した内容をプリントアウトしてみると、
「ドラゴンボールZ」の脚本を自分で書いたもので、
それは「執筆活動」で大ちゃんが書いていたのと同じ内容だったのです。
大ちゃんは、文字で人に気持ちを伝えられることを理解し、それから詩を書くようになりました。
「さびしいときは心のかぜです。せきしてはなかんでやさしくしてねてたら1日でなおる」
私の友達が病気でさびしいのに何もできないと話した時に作ってくれた詩です。
大ちゃんには障害がありますが、自分のことが大好きと言います。
私も自分が何も出来ず、悲しくなることがありますが、大ちゃんや学校の子どもたちは、
「カッコちゃんはそのままでいいんや。大好きだから守ってあげるで」と言ってくれるのです。

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第1609回「雪絵ちゃんの願い」

今日は私の大切な友達でもある雪絵ちゃんという女の子のお話をします。

雪絵ちゃんとは、重い病気を抱え地域の学校に通うのが困難な子どもたちが学ぶ病弱養護学校で出会いました。彼女が抱える病気はMS(多発性硬化症)というもので、脳の障害により発熱すると目が見えにくくなったり、手足が動きにくくなります。発熱が治まれば病状は緩和されるのですが、私はまたいつ再発するかといつも不安でした。
しかし雪絵ちゃんはどんなにつらい時でも自分の力で立ち直ることのできる強いお子さんでした。そして「MSになって良かった」というのが口癖で「車椅子の生活をしているからこそ気付けたことや、多くの人々との出会いがたくさんあった」と前向きに生きていました。私はそんな風に思えるなんて素敵だなと思っていました。
そんな雪絵ちゃんとの日々が続いていたある年末の日、悲しい知らせが届きました。雪絵ちゃんが亡くなったということでした。私は、雪絵ちゃんの容態がどんなに悪化してもまさか亡くなることは無いだろうと思い込んでいたのでしばらくつらい思いでいっぱいでした。
数日後、私のもとに彼女からの一通の手紙が届きました。その一部を紹介します。「12月28日、私の大好きで大切で幸せな日、今日生まれてきて大成功。Snowに生まれてきてこれまた大成功。」Snowというのは雪絵ちゃんの愛称なのですが、最後の最後まで雪絵ちゃんは自分を丸ごと愛していたのだなと思います。

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第1610回「"大好き"は魔法の言葉」

今日は、養護学校で出会ったかおりちゃんとななちゃんのお話をします。

かおりちゃんは喜怒哀楽の表情が少なく、声に出して表現することが困難なお子さんでした。彼女のお母さんは、かおりちゃんが言葉を発することは半ば諦めていて、「ママと呼んでもらえることはこの先無いだろう」と悲しそうに話していました。それでも私は何とか話せるようになってほしいと一生懸命接していると、少しずつ私に心を許すようになりました。
ある時、机の上の本が落ちたことに驚いてかおりちゃんが「あっ」と声を発したのです。私が思わず「ママ」と言うと、小さな声で「ママ」と言いました。このことをお母さんに伝えると、涙ながらに「かおりと先生の"大好き"という気持ちが奇跡を起こしてくれました」と言ってくれました。
"大好き"という気持ちの大切さは、ななちゃんからも教えられました。ななちゃんは初めての場所が苦手で、大声で叫ぶことで気持ちを落ち着かせているお子さんでした。そんな彼女が私の顔を見て「柔らかそうな顔しとる」と言ったことがあります。彼女は自分を受け入れてくれそうな人を常に探していたのだと思います。そして私のことをそのように思ってくれたのですね。ななちゃんが私のことを好きでいてくれることがとても心地よく"大好き"の力を改めて感じました。
自分を好きでいてくれる人が周りにいるということは何にも代えがたいパワーの源だなと思います。このことは養護学校の子どもたちがいつも教え続けてくれていることです。

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第1569回「みんな同じ みんな素敵」

今日は、養護学校の教員になったばかりの頃に出会った「きいちゃん」という女の子のお話をします。

きいちゃんは、出生後まもなく高熱が出て、手足が思うように動かないという障害を持ちました。
ある日、きいちゃんがとても元気に職員室へ飛び込んできました。何かと思うと、お姉さんの結婚式に出席することになり、楽しみで仕方がないということでした。しかし、数日後に教室を覗くと、きいちゃんが机に伏して泣いていたのです。そして、「お母さんが、お姉ちゃんの結婚式に出てはいけないって言うの。私のことが恥ずかしいんだわ。」と言いました。私は、きいちゃんのお母さんがそのようなことを言うはずがないと思いました。しかし、今から25年近く前の当時は、障害者に対する偏見が強かったので、苦渋の思いでそう言ったのでしょう。
私は、お姉さんへプレゼントをしたらどうか提案しました。きいちゃんは手に重い障害があるにもかかわらず、一生懸命着物を縫い上げました。そんな思いを酌んで、お姉さんは改めてきいちゃんにも結婚式に出席して欲しいと言ってくれたのです。
私は、きいちゃんと出会って、自分は間違っていたなと思うことがあります。自分は教師なんだから子ども達に色々と指導しなくてはいけないと考えていました。しかし、人間が出会うということは、どちらかが一方的に教えるというのではなく、お互いに教え合い、学び合い生きているのだと思います。それは、年齢や性別や身体的なことなど、様々な違いがあっても誰でも同じことだと思います。

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第1571回「子どもと出会って知る幸せ」

私は養護学校の教員になる前に、小学校の講師をしていました。

大学を卒業したばかりの私が休養中の先生の代わりとして赴任しましたから、親御さんは不安で仕方なかっただろうと思います。しかし、子ども達はとても元気で明るくて、初めて教室に入った時に、駆け寄ってきてくれたことを覚えています。
そして、教科書を忘れた子をクラス全員で慰めるようなとても優しい子ども達でした。
ある日、油粘土を使った授業を行いました。その授業の後の休み時間に、子どもに呼ばれて階段の踊り場に行ってみると、クラスの子ども達が集まっていたのです。天井を見上げると、油粘土が穴に埋め込まれて油染みがたくさん付いていました。職員会議で、教頭先生から「教室はきれいに使いましょう」と注意されたばかりだったので、私は大変なことをしてしまったと思いました。その他にも色々な失敗があったので、子ども達のことは大好きだけど、私には教師は向いていないんじゃないかと悩みました。
校長室に呼び出された私は、きっと油粘土の件で怒られるんだと思いましたが、校長先生は「愉快、愉快!」と笑って迎えてくれました。私が来る前に子ども達が校長室に来て「先生は悪くない」と私をかばってくれたと言うのです。そして、どんなキャリアのある先生よりも、若い先生の「子ども達が大好きだ」という気持ちに勝るものは無いと言ってくれました。私は、子ども達の真っ直ぐな気持ちと、やさしさのお陰で、今教師として仕事ができることを幸せに思っています。
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