サンマ





「秋刀魚の歌」 佐藤春夫

あわれ
秋風よ
情〔こころ〕あらば伝へてよ
――男ありて
今日の夕餉〔ゆふげ〕に ひとり
さんまを食〔くら〕ひて
思ひにふける と。

さんま、さんま
そが上に青き蜜柑の酸〔す〕をしたたらせて
さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。
そのならひをあやしみてなつかしみて女は
いくたびか青き蜜柑をもぎて夕餉にむかひけむ。
あはれ、人に捨てられんとする人妻と
妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、
愛うすき父を持ちし女の児〔こ〕は
小さき箸〔はし〕をあやつりなやみつつ
父ならぬ男にさんまの腸〔はら〕をくれむと言ふにあらずや。

あはれ
秋風よ
汝〔なれ〕こそは見つらめ
世のつねならぬかの団欒〔まどゐ〕を。
いかに
秋風よ
いとせめて
証〔あかし〕せよ かの一ときの団欒ゆめに非〔あら〕ずと。

あはれ
秋風よ
情あらば伝へてよ、
夫を失はざりし妻と
父を失はざりし幼児〔おさなご〕とに伝へてよ
――男ありて
今日の夕餉に ひとり
さんまを食ひて
涙をながす と。

さんま、さんま
さんま苦いか塩つぱいか。
そが上に熱き涙をしたたらせて
さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。
あはれ
げにそは問はまほしくをかし。


…………………………

越山若水 7/14

「さんま、さんま/さんま苦いか塩っぱいか」と佐藤春夫に歌われたほどだから、サンマは日本の魚。と思うのは早計で、実は太平洋の真ん中の公海に棲(す)んでいる。

夏から秋にかけ、産卵のために南下する。西へ回遊すれば日本沿岸も通る。それを捕っているのが日本の漁船だ。ところが回遊量が減り一昨年から不漁に泣く。

公海では、どの国も好きなだけ捕れる。なかでも進出が著しいのが、中国だ。船を大型化し、はるばる出掛けて一網打尽に。この5年間で漁獲量を30倍に伸ばした。

生鮮サンマや加工品を輸出する台湾も活発だ。一番の水揚げを誇った日本の1・5倍に増やした。なぜこうなったか。公海での乱獲で魚が減ったからだ、とみるのが日本である。

8カ国・地域が参加する北太平洋漁業委員会が、札幌市で始まった。日本はサンマの漁獲枠を国別に設ける提案をした。捕る量を制限し、資源を枯渇させないようにする意図だ。

折も折、東京・築地市場には北海道沖で取れたサンマが初入荷した。その量は昨年の8倍近く。うれしい話だが、資源枯渇を心配する主張からすればちぐはぐになった。

専門家によれば、マイワシなどと比べればサンマの資源量にはまだ余裕があるらしい。けれど巨大な胃袋を持つ中国がいまの勢いで捕り続けたら…。難航必至の協議だが、サンマだからといって苦い結論は困る。
…………………………

有明抄 7/14

 「さんま、さんま/そが上に青き蜜柑(みかん)の酸(す)をしたたらせて/さんまを食ふはその男がふる里のならひなり」-。青き蜜柑は、まだ青い温州ミカンを絞ったものとか。サンマの焼けた脂の匂いまで伝わってくるようで、食欲をそそる。佐藤春夫の詩『秋刀魚(さんま)の歌』である。

今週、北海道であったサンマの初競りで、1キロ40万円の値がついたというニュースに驚いた。初物のご祝儀相場とはいえ、たった7匹でこの値段。1匹当たり5万7千円というから、ずいぶん気前がいい。これも景気が回復した表れかと思ったら、ちょっと事情が違うようだ。

乱獲が進み、サンマそのものが枯渇しかねないのだという。中国の漁獲高は、たった3年で20倍以上も伸びた。乱獲に加えて、地球温暖化を背景にした海流の変化なども指摘されており、深刻な不漁が心配されている。きのう札幌市で始まった漁業管理の国際会議。日本は漁獲枠を設けるよう提案したが、果たしてまとめきれるだろうか。

佐藤の詩はサンマのくだりで生唾(つば)がわくが、実は気楽な内容ではない。「今日の夕餉(ゆうげ)に ひとり/さんまを食(くら)ひて/思ひにふける と」。妻に去られた男の独白で「さんま苦いか塩(しょ)っぱいか」と続く。

サンマは時にほろ苦く、人々と哀歓をともにしてきた。願わくは、これから先も庶民の味覚であり続けますよう。

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雑学『サンマ』という名前の由来


サンマは秋を代表する魚として有名で、名前に「秋」という漢字が使われている魚です。ちなみに秋刀魚(さんま)という漢字の由来はシンプルで、秋によく釣れることと、細い身体が日本刀のように鋭い刀に見えることから『秋刀魚』という漢字で書かれるようになりました。

しかし、この「秋刀魚という漢字」が登場したのは近年になってからで、昔は「サイラ」「サマナ」という名で呼ばれていました。漢字にすると「佐伊羅魚」「狭真魚」と書き、特に「サマナ」が変化して「サンマ」と言うようになったというのが有力説です。


サンマは昔食べられていなかった?

サンマは日本人なら誰でもその名を知っているでしょう。その証拠に、サンマが旬を迎える秋になると、ニュースなどでも焼いたサンマや、色々なサンマを使った料理が紹介されています。ところが、サンマは江戸時代後半になるまでの間は、庶民さえ食べようとしない、格の低い魚として扱われていたのです。
江戸時代では、サンマは主に油を取るためだけに利用されていました。
今でこそ「あんな美味しい魚を食べないのか?」と疑問に持つかもしれません。しかし、当時は鮮度を維持をするのも難しい時代で調理の手間などもあり、なかなか庶民が食べる機会が無かったと考えられています。



謎多き魚 サンマの生態

今となっては日本人に親しまれているサンマですが、その生態には謎が多いといわれています。
まず、最近までサンマの寿命は四年前後と言われていました。しかし、最近の研究では、サンマはたった1~2年程度の寿命しかないということがわかりました。
最近では「アクアマリンふくしま」にて、サンマの飼育に成功し、サンマが卵を産むところまで育てることができました。今までサンマの産卵は冬の時期だと考えられていました。しかし、稚魚のサンマが成長して産卵するまでの期間はたった半年ということが分かりました。

サンマは短い寿命の中で、すぐに産卵できるようになるため、子孫を残す機会が多い魚といえます。現在ではサンマは一年中産卵をしていることがわかっています。

養殖しなくても、サンマを安定して供給できる理由は、サンマが一年中産卵する特性があるからです。



『サンマは目黒に限る』とは?

すでに説明したように江戸時代までは、サンマは庶民さえ食べない、油をとるためだけに消費されていました。
しかし、とある有名な落語にサンマが登場し、お殿様から絶賛された話があります。それが、『目黒のサンマ』という話です。
お殿様が狩りに出かけると、その日は良く獲物が取れたため、帰りの時間がかなり時間が遅くなってしまいました。お殿様や家来達は空腹を我慢できず、良い匂いがしている近くの庶民の家へと近づいていきました。どうやらその家ではサンマを焼いており、家来は「殿様が食べるような魚ではない」と食べることに反対しました。しかし、お腹が空きすぎていたお殿様は、家来の反対を押し切ってサンマを食べたのです。すると、殿様はそのサンマの味を気に入り、城に戻ってからもサンマを用意させて食べました。ところが、それは庶民が焼いたサンマの味に遠く及ばないものだったそうです。殿様が食べたサンマは目黒のサンマで、「綺麗に調理されたサンマよりも、目黒の庶民が焼いた魚の方が美味しい」と殿様は考えました。それから「サンマは目黒に限る」といったそうです。
この話は、「見た目にこだわって調理したものよりも、庶民が焼いたサンマの方が美味しい」という秋の話として有名です。格が高い殿様が庶民が食べていた魚の味も知らなかった、というおもしろい話ですね。
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