手紙

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南風録 7/13

 坂本龍馬が手紙で、自らが襲われた寺田屋事件を振り返っている。「うれしかったのは西郷吉之助が助けに来ようとしてくれたこと」。日付は1866年12月4日とある。

 豊臣秀吉は、病気になった側室の茶々に「食事をしっかり取るように。さんまを送るので賞味してほしい」と書いた。こちらは420年ほど前とみられ、こまやかな気遣いと愛情が伝わってくる。

 二つの書状はこの1カ月で相次いで見つかった。それぞれの人柄や出来事を浮かび上がらせる史料に違いない。ところが最近、1年前の政府の文書すら見つからないのはどうしたことか。

 南スーダン国連平和維持活動から、森友・加計学園問題に至るまでないない尽くしである。国会で追及されると、まず「廃棄した」と答える。文書が出てくると「行政文書ではなく個人のメモ」と主張し、最後は「記憶にない」と逃げる。
 揚げ句、森友学園問題で追及された財務省局長は国税庁長官に昇進した。国有地の売却をただす質問に「資料は破棄し面会記録も残っていない」と繰り返した方である。論功行賞かといぶかりたくなる。

 政策決定の記録を残すのは国民が官僚に託す大切な仕事だ。「重要な事実を書かない組織は次の段階で必ず嘘(うそ)の報告書を作る」と元外交官の佐藤優さんは指摘する。文書がなければ後世の検証もできない。あえて残していないなら、なお罪深い。
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