知好楽

〔 原文 〕
子曰、知之者、不如好之者。好之者、不如樂之者。

〔 読み下し 〕
子し日のたまわく、之これを知しる者ものは、之これを好このむむ者ものに如しかず。之これを好このむ者ものは、之これを楽たのしむ者ものに如しかず。

〔 通釈 〕
孔子云う、「頭で知るだけでは、経験を通して好きになることに及ばない。好きなだけでは、一心同体となって楽しむことに及ばない」と。

〔 解説 〕
自己と対象(人でも物でも事でも)との間には、「心理距離」即ち、心理的距離感というものがあります。知らない事柄(対象)に対しては、心理距離は無限に遠いものですが、知ることによってその距離は視界に入る所となる。知って好きになれば、心理距離はぐっと縮まり、至近距離迄接近する。

好きを通り越して人生の楽しみの一つとなれば、自己と対象は一体となって、心理距離はゼロとなる。人は、様々なものを見たり・聞いたり・触れたりしているうちに、ある特定の事柄(対象)に興味や関心を抱くようになりますが、

 興味をいだくと → もっと詳しく知りたくなる。
 もっと知ろうと努めているうちに → 段々その事柄が好きになって来る。
 好きになって来ると  → その事柄に関わることが習慣化して来る。
 習慣化して来ると  →もう好きとか嫌いとかを通り越して、対象イコール
自己・自己イコール対象、つまり、自己と対象とが
一体となる。

これが「楽しむ」ということでしょう。「その道の達人」というのは、自己と対象が一体化して、人生そのものとなってしまった人のことを云うのでしょうね。知・好・楽を、アマとプロに喩えてみれば、知→アマチュア(素人)・好→セミプロ(玄人はだし)・楽→プロフェッショナル(玄人)と云えるかも知れません。


〔 子供論語 意訳 〕
孔子こうし様さまがおっしゃった、「知識ちしきとして知しっているだけではまだまだだ。好すきでやっている人ひとにはかなわない。好すききでやっているだけでもまだまだだね。日常にちじょう生活せいかつの一部いちぶになって楽たのしんでいる人ひとにはかなわないよ」と。


知<好<楽、つまり、楽は好に勝り、好は知に勝ると孔子は云います。


…………………………

いばらき春秋 7/12


教育勅語や論語というと戦前の皇国史観を植え付けた負のイメージがあるが、実際に読んでみると腹にストンと落ちてくる表現がある。

中国文学者の故吉川幸次郎でさえ、大学に入る前は論語に対して読まず嫌いだったそうだ。読んでみて「たちまちにして私の敗北に終わった。積極的なほがらかな空気が流れているのに目をみはった」と著書「中国の知恵」で述懐している。

日展理事の書家、星弘道さんが水戸市の弘道館に書を寄贈した。奇しくも名前が同じだが、偕楽園・好文亭のふすま絵修復プロジェクトに関わった縁で実現。揮ごうしたのは論語の述而第七から選んだ「黙而識之」(もくしてこれをしるす)だ。

黙して之を識し、学びて厭(いと)わず、人を誨(おし)えて倦(う)まず。何か我に有らんや-という一節の冒頭に当たる。学問で人格形成するのには「腹のすわった人間を形成せよという意味だと自分なりに解釈している」と星さん。

水戸芸術館には、初代館長の故吉田秀和氏の姿と論語の一文「知好楽」を刻んだ銅板レリーフがある。訓読みすれば「これを知る者は、これを好む者に如(し)かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず」

学問でも何でも、楽しんで当たる者にはかなわない。下手であっても好きこそものの上手なれだ。
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