無頓着な安倍政権の人事

斜面 7/8

NHK連続テレビ小説「ひよっこ」で洋食屋の店主を演じる宮本信子さんは、前の「あまちゃん」での役とも相まって人情味のあるしっかり者がはまり役になっている。だが印象に残るのは、やはり映画「マルサの女」の査察官である。

 夫の故伊丹十三監督が脚本も手がけたバブル時代の2部作で、悪質な脱税者との攻防をコミカルに描く。スゴ腕の宮本さんはあの手この手で追い詰めていく。伊丹さんは事前に国税局職員やOBから脱税の手口や内偵から強制調査に移る手順を取材した。

 女性査察官からは踏み込む際の心掛けを聴いている。相手にのまれないようにする、隠している人は態度が不自然なので目線やしぐさに注意すること、アクセサリーを身に着けて行かないこと…。何から何までよく考えているものだ、と伊丹さんは感心した。(「マルサの女」日記)

 仮題のタイトルを褒められ自信を得たという。裏側の苦労に光を当ててくれた映画は現場の職員にも好評だった。先日、そのトップの国税庁長官に佐川宣寿氏が昇進している。森友学園への国有地払い下げ問題で、何度も国会答弁に立った前理財局長だ。

 まさか「資料は破棄した」「調査するつもりはない」と突っぱね通した論功行賞ではあるまい。確定申告に頭を悩ます納税者にすれば、「領収書も破棄したで済むのか」と窓口に皮肉も言いたくなる。職員の士気にも影響しないか。現場にも、国民感情にも無頓着な安倍政権の人事である。

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大観小観 7/8

「森友学園」問題で「記録はない」「不当な働きかけはない」と国民の疑問などどこ吹く風の答弁をした財務省理財局長が同省ナンバー2の国税庁長官に就くことで全国紙などが驚いていた。

本心かどうか。組織への貢献度が人事に反映されるのが、国、地方問わず、役人の世界ではないか。霞が関を取材したのは小さなコンピューター専門紙の記者時代だが、旧大蔵省の、中でもキャリアの鼻持ちならなさといったらなかった。

伊勢新聞で同省出向の総務部長に数多く接したが、みな腰が低く笑顔を絶やさない。黒田東彦日銀総裁などざっくばらんで、これがあの傲慢な大蔵キャリアと同類かと目を疑ったが、その意表を突く割り切った判断の早さに、感心しながら「県のことは真剣に考えてはいなかったのではないか」と職員が回想していた。

日教組大会の県内開催が決まった昭和60年、旧自治省出向組の教育長が県文化会館の使用をガンとして拒否した。当時の知事は三教組推薦の田川亮三氏。県幹部らはその意向をそんたくしたが、教育長はひるまない。結局病気療養に追い込んで許可した。

「庁内に同情の声も」とやや判官びいきの記事を書いて後、病院外を元気に買い物する〝入院中〟の教育長を見舞ったら「あの記事はなあ」と苦情を言われた。「オール県庁相手に一人戦っていると、本省(旧自治省)から『頑張っている』と見られるが、同情されては『ひ弱い』と」

出向組がどこを見て仕事をしているのか痛感した。前理財局長も答弁では前の議員もその後ろにいる国民も、見ていなかったに違いない。

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春秋 7/8

 「税の三原則」が財務省のホームページに載っている。「公平・中立・簡素」。改めて言われなくても当然のことだ。特定の人が得をする不公平な制度なら、誰も税金を払わない。

三原則に基づいて国民から集めた税である。使うときにも「公平・中立・簡素」でなければなるまい。それがゆがめられたのではないか、と疑いの目が向けられているのが森友学園問題だ。

国有地が破格の安値で売却された。そこが、首相の名を冠した学校の予定地で、首相夫人が名誉校長だったとなれば、役所が権力者の“お友達”に便宜を図ったのではないか、と詮索されるのも仕方なかろう。

ならばこそ、だ。やましいことがないのなら、売却交渉や決定の過程を情報開示し、丁寧に説明するべきだ。国民の財産を扱う役所の責務でもある。

なのに、国会答弁に立った財務省の局長は「記録が残っていない」と説明や検証を拒み、「売却は適正だった」と言い張った。記録がないとはにわかに信じ難い。国民の利益よりも組織や政権を守る方が大事か-との印象が深まった。

ははあ、と思った人事である。この局長が国税庁長官に登用された。政権の盾になった「論功行賞」との見方もある。霞が関幹部人事を握る内閣人事局長が、首相の「ご意向」の伝達役とされる官房副長官と聞けば話が見えてくるような。国税が天引きされた給与明細を見ると、釈然としない気分が募る。




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