たった一つの約束

 前文部科学事務次官・前川喜平さんの考える公教育とは、どんなものだろうか。ここで結論を先取りして、彼の理想を体現しているような公立校を紹介したい。
 その小学校には、校区内の全ての子どもが登校して来る。つまり不登校がない。それどころか、学校に行けなくなった子たちが全国から集まってくる。障害がある子も、その程度にかかわらず、クラスで一緒に学ぶ。だから特別支援学級というくくりも存在しない。
 いじめもない。どうしてそんなことができるのか。
 子どもの行動を数々のスローガンや校則で縛り、監視の目を光らせているからではない。「たった一つの約束」があり、それがみんなに理解され、行動の基本になっているからだ。その約束は言葉にすれば簡単なことだ。
 「自分にされて嫌なことは、人にしない、言わない」。もちろん先生もそれを守らなければならない。言うはやすく、よく考えると、実践には相当な困難が伴いそうだ。守れなかったら校長室、別名「やり直しの部屋」に行く。待っているのは罰でも、お説教でもない。自分で何がどう間違っていたのか、どう解決するか宣言し、クラスに帰っていく。「やり直し」は何度でも。一発退場どころか、退場そのものがない
 すごいと思ったエピソードがある。2006年の開校時から、月曜の朝会は「校長の話」と決まっていた。校長の木村泰子先生は、子どもたちに大切なことを伝えようと、意気込んで臨んでいた。
 ところが、夏休みが迫ったとても暑い日、小2の男の子がシャツを脱いで「校長先生、おしまい!」と言いだした。みんながざわざわする中、もう一言「暑い!お話、終わり」。とどめは「お風呂に入りたい」。校長はついに話をやめる。
 「お話、終わり」と言った子は、保育園のころ「イヤ」という言葉しか言えなかった子だった。その子がここまで表現できるようになった。そしてその言葉を、その場で何も言わなかった子どもたちの気持ちをも代弁していると、木村さんは受け止めた。子どもがやめてほしいと思っている講話を続けることは「されて嫌なこと」だろう。
 木村さんは「本当に思ったことを言える子こそ学びのリーダーです」と言い切る。聞きたくなくても、面白くなくても、校長の話だから取りあえずがまんして話を聞くなら、それは学びの場ではない。どこかの国の政治や行政に横行する忖度(そんたく)の社会だ。そこからは、本当のことに向き合う姿勢は決して生まれない。
 この時間は後に「全校道徳」に変わり、大阪市立大空小学校にとって特別な時間になった。答えのない課題に、子どもも大人も全員が取り組むのだ。
 どんな相手をも対等の存在として尊重すること。そして、自分がされて嫌なことを相手にしないこと。これらは前川さんが公教育のレゾンデートルとして語った「人権教育」そのものだった。
関連記事