父の日

南風録 6/18

 以前この欄で紹介したが、大相撲の大関に昇進した高安は入門当時、何度も自宅に逃げ帰った。部屋の人間関係に悩み、赤信号で止まった車から飛び出したこともあった。

 「逃げると負け癖がつく」。根気強く部屋に連れ戻したのは父親である。何と弟子たちの前で土下座してわびたのだ。父の覚悟が心に染みたのだろう。高安はそれから稽古に励み、ぐんぐん力をつけた。成長の陰に父子の絆があった。

 女子バレーボールの日本代表として活躍した鹿児島市出身の迫田さおり選手が先月、現役を引退した。右肩の痛みに苦しんだ時期を乗り越えて、五輪に連続出場を果たした。「娘に感動と夢をもらった」と話すのは父親の保行さんである。

 迫田選手は滞空時間の長い力強いスパイクが持ち味だ。コートに立たなくても、ベンチから笑顔でチームを鼓舞する姿が印象的だった。父親にとっても誇らしい娘に違いない。

 ふだん2人の会話は多くはないが、互いの心は通い合っているようだ。迫田選手は父の誕生日などに連絡を欠かさないらしい。引退後はゆっくり語り合う時間もあるかもしれない。

 きょうは父の日。NASAの宇宙飛行士ジェリー・リネンジャーさんは、宇宙ステーションから幼い息子に電子メールを送り続けたと著書に記す。「パパはおまえを上からいつも見守っている」。父と子にはさまざまな愛情表現の形がある。

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有明抄 6/18

 「お、きょうは父の日かぁ」-あまりの無関心ぶりに、さりげなく家族にアピールするお父さんも少なくないのでは。母の日はもちろん、こどもの日や敬老の日と比べても、圧倒的に影が薄い気がするが、ひがみ根性というわけでもなさそうだ。

日本生命保険のアンケート調査によると、父の日にプレゼントを贈る人は4割どまり。母の日には8割近い人がプレゼントを準備するというから、半分しかいない。プレゼントの予算が約6千円というのは意外に高額に思えるが、実は去年より800円も減ったのだとか。

佐賀市出身のお笑いタレントはなわさんが、今年の「ベストファーザー」に選ばれた。子どもたちとの仲むつまじい姿をテレビで見かける。ヒット中の新曲「お義父さん」は、はなわさん夫妻の実体験がベース。妻がまだ幼いころに家を出た義父へ語りかける形で、妻への感謝を歌う。佐賀市で開いたライブでは、涙ぐみながら女性ファンらが聞き入っていた。

ベストファーザー受賞時のはなわさんのコメントも好感が持てる。「この光栄な賞を頂けたのも家族のおかげです。家族みんなでもらった賞だと思っています」-。実に謙虚でさわやかである。理想の父にぴったり。

あ、はなわさんみたいに日頃の感謝を伝えてないから、わが家は「父の日」が盛り上がらないのかぁ…。

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くろしお 6/18

 梶原一騎原作の野球漫画「巨人の星」の一場面だ。上流家庭の子弟が通う高校の入試面接で主人公の飛雄馬が父親の職業を問われてこう答える。日本一の日雇い労働者、と。

 飛雄馬は昼夜分かたず工事現場でつるはしをふるって進学費用を工面してくれた父の一徹を誇りに思い、働く姿を脳裏に描きつつ「とうちゃん」とつぶやく。長尺ものの漫画の中で特別、印象に残るのは汗水たらして働く父親への感謝が凝縮された場面だからだ。

 父親をどう呼ぶかは当然ながら時代や地域によって違い、変化してきた。例えば近世後期の江戸では中層以上の武家、町人の間では「おとっつぁん」が使われ、一般庶民は時代劇「子連れ狼」でよく知られる「ちゃん」が一般的だった。

 「おとうさん」という呼称は明治36年の第一期国定読本「尋常小学読本-二」に「タローハ、イマ、アサノ アイサツヲ シテヰマス。

 オトウサンオハヤウゴザイマス」という例文が掲載されたことがきっかけになり全国へ広がった(神永曉著「悩ましい国語辞典」)。

 きょうは父の日。母の日に隠れて目立たないとか、いまいち話題にならないとされるが街を歩けば贈り物用セールがあちこちで展開されている。きのうは宮崎市内のデパート地階の酒売り場で何を買うか思案中の母娘らしい二人を見た。

 物を贈るという行為もいいが大切なのは心のこもった言葉だろう。とうちゃんでもおとっつあんでもおとうさんでもパパでもいい。その上に「日本一の」をのせて感謝の気持ちを伝えればぐっときて、疲れも吹っ飛ぶことまちがいなしだ。

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第10話

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春秋 6/18

 保険会社の支店長だった向田邦子さんの父は客を連れて帰ることが多かった。客が脱いだ靴をそろえるのは、小学生のころから向田さんの役目。そろえ方が悪いと父に叱られた。

きちょうめんな父は家族の靴の脱ぎ方、そろえ方にもひどくうるさかった。それなのに自分は靴をおっぽり出すように脱ぎ散らかした。父のいない時に文句を言うと、母がその訳を教えてくれた。

父は母親の手一つで育てられ、親戚や知人の家に間借りして暮らした。履物はそろえて隅に脱ぐようにと言われて大きくなった。母と結婚した直後に「出世して一軒家に住み、玄関の真ん中に威張って靴を脱ぎたいものだ」と言ったそうだ。

貧しい石工だった石牟礼道子さんの父は、牛小屋の廃材で家を建てた。最初の杭(くい)を打つ時、地面が水平にならされているかどうか調べながら小学生の娘に言った。「家だけじゃなか、なんによらず、基礎打ちというものが大切ぞ。物事の基礎の、最初の杭をどこに据えるか、どのように打つか。世界の根本とおんなじぞ。おろそかに据えれば、一切は成り立たん。」

廃屋のようなこの家に、水俣病支援の人たちが30年近く、何百人も泊まることになる。父の言葉は水俣病と向き合う石牟礼さんの「根本」にもなったようだ。

向田さんの「父の詫(わ)び状」(文春文庫)、石牟礼さんの「詩文コレクション6 父」(藤原書店)から引いた。きょうは父の日。


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水鉄砲 6/18

 18日の父の日を前に、本紙の「パパママひろば」に子どもたちが描いたお父さんの絵がカラーで紹介された。本紙折り込みのフリーペーパーには約30人の子どもたちが写真入りで登場、日ごろは伝えにくい父親への感謝の気持ちを話してくれた。

 それにしても、母の日に比べて父の日は影が薄い。日本生命のアンケートによると、父の日にプレゼントを贈る人は回答者の42・7%で、調査を始めた2013年以降4年連続で減少した。母の日にプレゼントを贈る人は同様の調査で76・2%いるからその差は大きい。家庭内でのお父さんの地位はやはり低下しているのだろうか。

 プレゼントの内容をみると「贈るもの」と「欲しいもの」のトップはいずれも食事・グルメ。これは予想通りだったが、興味深いのは「手紙・メール・絵」についての回答結果。贈る予定の順位は8位、欲しいものの順位は4位だが「もらって一番うれしかったものは何ですか」という問いでは1位になっている。物よりも気持ちの方が心に響くのだろう。

 わが家では毎年、東京で暮らしている子どもたちから銘酒が届く。居間の壁には長男が幼稚園で描いた輪郭だけの私の似顔絵がいまも貼ったままになっている。あらためて眺めると、その一角だけが30年、時間が止まっているように感じる。

 紙面に掲載されたイラストや写真も、時を越えて家族の記念になるのだろうか。そうであればうれしい。


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正平調 /6/18


父が交通事故に遭った。遺体を確認し、帰宅した母の手に遺品が三つ。ベルト、結婚指輪、そして秒針だけが動いている腕時計。母は泣きながら「父さん、本当に死んでた」と言った。

たとえ大金持ちでも買えないものがある。深い悲しみの中で、少女はそう感じたそうだ。それは命。ゲームのように人は生き返ったりはしない。だから、と思う。「わたしは、父の分をいきていくときめました。」

神戸などで遺児の支援を続けるレインボーハウスの冊子「こころに虹がかかるまで」でこんな内容の作文を読む。作者は小学3年生だ。この先、「父の分を」という決意が道を照らすともしびになるのだろう。

きょうは「父の日」である。日本生命の調査では贈り物をする人が減ってきたという。贈り物事情も気にはなるが、ふと立ち止まり、父のことを思う一日であってほしい。

〈父さんはこの世のどこを探してもいない父の日パートに励む〉身野佳奈。神戸新聞文芸の2016年最優秀作の一つである。勤め先に巣を作った親ツバメが、餌をとっては子に与える。他界した父と重なり、作者はその不在をあらためて感じている。

ツバメが街を舞う季節である。「父の分を」と誓ったあの少女も、飛ぶツバメを見上げているかもしれない。

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越山若水 6/18

イラストレーターの益田ミリさんにとって父親は「わかりやすくて、わかりにくい」存在(「オトーさんという男」幻冬舎文庫)。そして「ちょっと面倒くさい」

改まった場に出掛け、他人の靴を履いて帰ってくる。誰かが迷惑しているのに「そんなん気にしてへんもん」。いや、それは気にしてくださいよ、と益田さん。

家事は一切しないはずがあるとき自分が晩ご飯を作ると言いだした。困ったのは益田さん姉妹だ。短気なオトーさんは少しでも思い通りにならないと怒りだすから。

外出した母の代わりに、必死に働いた。ジャガイモを牛乳で煮る料理は割合、おいしくできた。が、益田さんたちは手伝いに疲れ、母も後片付けに疲れ、父だけが上機嫌だった。

そうそう、こうなるから嫌なのよという声が聞こえてくる。先ごろ内閣府が始めた「おとう飯(はん)」キャンペーンである。もっと男性も料理をという狙いだが案外、評判が良くない。

立派な料理でなくても「おとう飯」ならいい、とキャッチコピーにある。だったら「おかあ飯」は立派じゃないといけないの? との声も上がる。

世はいまだに男性優位、という指摘だろう。それを認めつつわが身を振り返れば、男は不器用でいけない。益田さんの父上も、大変な娘思いなのに伝えるのが苦手。でも、そこは大目に見てもらえないかと思う。「父の日」に免じて。

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中日春秋 6/18

 作家、池波正太郎の両親は正太郎が七歳のときに離婚した。十四歳のある日、その父親とばったり出会った

「お父さん」と声をかけると、父親は泣きだしそうな顔になって「おまえさんはだれだい。おまえさんなんか知りませんよ」。少年はさぞや傷ついたことだろう。「勝手にしろ」と怒鳴りつけ家へ帰った。後年、父親に「あの時なんでしらばっくれたのか」と聞いた。「おまえさんに忘れてもらいたいと」

離婚は父親の事業の失敗が原因。せがれのことを思うがあまり自分のことなんか忘れてほしいとがまんしていたか。そのまま人情芝居になる場面である。父の日である。池波親子を持ち出さずとも、父と子の愛はどうも、すれ違いやすいようだ。

コピーライターの岩崎俊一さんの作品に父と子、とりわけ息子との関係をぴたりと表現したこんな作品がある。<絶対に好きだと言い合わない愛があるなら、それは、父と息子だ>。母親に比較し、父親は率直に愛情を表現するのが不得意らしく、子どもは子どもでそういう父親には甘えにくい。

最近のアンケート結果によると父の日にプレゼントを贈る人の割合は約四割。母の日の約八割と比べ、大きな開きがあるそうだ。

これは愛情の開きではなく、父親への愛情表現の難しさの問題と信じる。父の日の食卓、日本中で<好きだと言い合わない愛>がモジモジしている。

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編集日記 6/18

 〈父帰宅一人一人と居間を去り〉。過去のサラリーマン川柳で見つけ、わが身を振り返ってどきっとした。幼い頃はなついていた娘たちも、思春期を過ぎて態度が素っ気なくなった。子離れ、親離れの時期なのだと分かっていても寂しさがよぎる

 そんな娘たちでもプレゼントをくれる時がある。小遣いを出し合って靴や財布を買ってくれたり、おいしい料理を振る舞ってくれる。普段と扱いの落差が大きいせいか、思わず胸が熱くなる。

 きょうは、そんなお父さんも多いのではないだろうか。日本生命保険のアンケート調査で、父の日のプレゼントに「贈るもの」と「欲しいもの」は、ともに食事・グルメが最多だった。家族で食卓を囲み、だんらんを楽しむ風景が目に浮かぶようだ。

 父親が最もうれしかった贈り物は、家族からの手紙や絵という答えがトップだった。ものがあふれる時代だからこそ手紙が持つぬくもりに心が癒やされるという人が多いのだろう。

 お父さんはいつも家族の生活を背中に背負い汗を流している。もし居間でテレビを見ている背中に哀愁が漂っていたら、きょうは「いつもありがとう」と声を掛けてみてはいかがだろう。決して催促するわけではないけれど。

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あぶくま抄 6/28

 男性が住んでいるアパートの隣室に、出産を終えた母親が赤ちゃんを連れて戻ってくる。泣き声はうるさくはないかと尋ねられた男性が答える。「知ってる赤ちゃんは、いくら泣いてもうるさくないよ」。吉田修一さんの小説「横道世之介」の一場面だ。

 県内を列車で移動中、近くの席の赤ちゃんが突然大声で泣きだし面食らった経験がある。ところが同じ車両に乗り合わせた年配の男性グループは泰然自若とした様子だった。10分ほども泣いただろうか、母親に抱かれた赤ちゃんが下車し静寂が再び訪れると男性の1人がつぶやいた。「やんちゃだなあ」。グループ全員が破顔した。

 男性たちにとって泣きやまなかった赤ちゃんは見知った存在ではなかっただろう。泣いてむずかるわが子をあやした遠い昔に、思いを巡らせていたのかもしれない。子どもを持つ身となって以来、何度もよみがえる記憶である。

 「冷蔵庫ひらく妻子のものばかり」(辻田克巳「昼寝」)。今日は父の日。母の日に比べ世間の認知度が低いことは否定すべくもないだろう。それでも父親にとって数少ない表舞台となる。わが子の産声が福音に思えたあの時を、もう一度かみしめてみようか。

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風土計 6/18

 一関市の広報誌に父の日の由来が載っていた。米国で始まった記念日で、苦労して6人きょうだいを育ててくれた父に感謝の気持ちを表すためある女性が教会に働きかけた。

日本に伝わったのは1953年ごろだ。6月第3日曜日なのは日本、米国などで、ドイツは復活祭の39日後の木曜日(早ければ4月30日、遅ければ6月2日)、ロシアは「祖国防衛の日」の2月23日といった具合に国によって違う。

先ごろ同僚の父親と話をした。別れ際に「息子のことをくれぐれもよろしく」と頭を下げられ恐縮した。逆の立場だったら自分も同じことをしただろう。男親の愛情表現は不器用なものだ。

親とはありがたいものだと思った。もっとも子からしたら「余計なお世話」なのかもしれないが。一人前になったようでも、親にとって子どもはいつまでたっても子どもなのだ。

同市出身で2年前に亡くなった作家内海隆一郎さんの随筆集「父から娘に贈る『幸福論』」(主婦と生活社)には、子どもの幸せを願う気持ちがあふれている。執筆理由は「わたし自身いつ娘を遺(のこ)して去っていくことになるかもしれないからだ」という。

「親は子より先に逝く定め」ということだろう。高価な贈り物などしなくても、元気に暮らしている姿を見せること、親より長生きすることが一番の親孝行なのかもしれない。

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天鐘(6月18日)

 何かと他県の後塵(こうじん)を拝すことの多い青森県だが、東北6県で初めて導入したものもある。戦後に米国発祥の習慣として日本へ伝わり、少しずつ知られるようになった「父の日」もその一つ。

県教委と婦人団体連合会が毎年6月の第3日曜日を父の日と定め、父親に感謝する行事を行うと決めた。1957年のことで、その年に県議会議事堂で行われた第1回父の日大会を小紙は大きく報じている。

記念作文入賞者の小中学生が約200人の出席者を前に作文を朗読。父親代表の知事や議長ら4人に感謝の花束が贈られ、子どもたちが歌や踊りを披露した。会場の父親たちは「気をよくした様子」だったという。

父の日は100年以上前に米国の女性の提唱で誕生した。男手一つで6人の子どもを育てた自分の父親に感謝し、「母の日があるなら、父の日も」と訴えた。それが共感を呼び、時の大統領まで動かした。

日本でも父の日は母の日に比べて普及に時間がかかった。今でも母の日ほど一般的ではない。父親たちが「母の日は1年で1日だけ。残る364日は父の日だ」と強がったところで、負け惜しみにしか聞こえない。

きょうは父の日。多くの家庭で父親をねぎらう言葉が聞かれるだろう。日ごろ存在感が薄くなりがちな父親にはうれしい日だ。同時に、父親が自らの役割と責任を果たしているのか、胸に手を当てて考える特別な日でもある。


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卓上四季 6/18

 きょう6月の第3日曜日は「父の日」だ。米国人女性の提唱で始まって1世紀余り。

父親にプレゼントを贈る人は4年連続で減っているそうだが、俳句の季語にもなっており、日本でもそれなりに定着してきたのだろう。そこで小学館「こども歳時記」で見つけた1句を。<父の日も/帰りがおそい/お父さん>。自分たち家族のために日夜、身を粉にして働く父親を思う心情が泣かせる。

政府は「働き方改革」の柱に長時間労働の是正を掲げる。父と子の触れ合う時間が少ないなんて、どう考えてもおかしい。企業と知恵を出し合って、早く実現してもらいたい。

「働き方改革」でもう一つ取り上げてもらいたいのが、単身赴任である。転勤辞令を受けても、教育の問題や親の介護など、さまざまな事情から家族一緒に任地に赴けないケースが増えているようだ。

「単身赴任が終わってやっと自宅に戻ることができると喜んだら、すでに子どもが巣立っていた」。以前、そんな嘆き節を聞いたことがある。転勤のない地域採用なども一部企業で始まったが、まだ手探り状態だ。家族と離れて暮らし仕事の能率が上がるとは到底、思えない。もちろん、人によって違うだろうが。

キリンビールが今年1月まとめた調査結果では、お父さんが初詣でお願いすることのトップは「子どもについて」だったという。家族はそろって暮らす。やはり自然である。

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