遊び絵から学ぶ

明窓 6/2

江戸末期の人々に比べ、想像力や創造力が衰え、メディアに携わる側も反骨精神が薄れていないのか-。島根県立美術館で開催中の「江戸の遊び絵づくし」展を見て、そんな思いがした。

「寄せ絵」と呼ばれ、人の体を組み合わせて描いた顔や、見方によっては人数が倍に増える作品、さらに「目で見るなぞなぞ」と言える「判じ絵」など、とにかく発想が面白い。中でも江戸末期の浮世絵師・歌川国芳の奇抜さには驚く。

当時の人々は一枚の錦絵に込められた「仕掛け」を、謎解きのように楽しんだのだろう。テレビ画面に居並ぶコメンテーターたちのもっともらしい意見に、つい頼りがちな現代人に比べると、自分の頭を使って考える機会になったと思う。

天保の改革で役者絵や美人画が禁止されると国芳は、子どもが壁に悪戯(いたずら)書きをしたような引っかいた線の似顔絵で抵抗したようだ。世間を風刺した狂歌や川柳に通じる江戸っ子の心意気なのだろう。

興味深かったのは安政の大地震ごろに流行した作者不詳の「鯰絵(なまずえ)」。地震を起こすとされた大鯰を懲らしめようとする人々がいる一方、それを止めようとする職人たちの姿も描かれていた。当時は大火や地震の度に材木商や大工などの景気が良くなったとされるからだ。

今とは比較にならないほど情報が少なかった時代だが、それを想像力で補い、時には笑いに変えていたように思える当時の人々。お上や世の中をしたたかに見るそのたくましさこそが、庶民とメディア側の知恵なのかもしれない。

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