ミスター文科省

中日春秋

高度経済成長を支えた官僚らの姿を活写した城山三郎さんの小説『官僚たちの夏』の主人公・風越(かざごし)信吾は、巧みに天下り先まで見つけて人心を握り、「ミスター通産省」と呼ばれた男だ。

「おれたちは、国家に雇われている。大臣に雇われているわけじゃないんだ」と公言し、官邸の意向に歯向かい左遷されたこともある。

国会運営に行き詰まり解散総選挙に打って出ようとした首相に、紙の供給を担当する課長として「総選挙をやられるとしても、そのため必要な紙の割当は、一切いたしません」と直言した。総選挙には膨大な紙が必要だが、一内閣の延命のために学用品などに回す紙を犠牲にしてはスジが通らぬと信念を貫いたからだ。

文部科学省前次官の前川喜平氏も、今は禁じ手の天下り問題で処分されたくらい部下の面倒見がよく、「ミスター文科省」と評されたという。ただ、小説の主人公とは違い、役人としてのスジを通せなかったと悔いておられる。

安倍首相の友人が理事長を務める学校法人の獣医学部新設をめぐり、「総理のご意向」に沿う形で、「行政が歪(ゆが)められた」と衝撃の告白をしたのだ。

自身の力不足のために「まっとうな行政に戻すことができなかった」とも言っている。ぜひ、国会で真相を語っていただきたいが、自民党は国会への参考人招致を拒んでいるという。それが「まっとうな政治」なのか。






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城山三郎『官僚たちの夏』(新潮文庫)

 本作はあまりに世評が高く、いまや経済小説の古典といっても好いほどの作品なので、いまさらながらとも思いましたが、念のために記しますと、昭和49年6月から12月まで連載された「週刊朝日」が初出誌です。
 その際のタイトルは『通産官僚たちの夏』でしたが、連載翌年の刊行時に上記のように改題されました。

 世評が高いことの例証として、第1巻に川端康成を戴き、最終の第80巻に古井由吉を据えた“新潮現代文学”という、新潮社から全80巻にわたって刊行された文学全集のうち、城山三郎が担った第56巻に収録されているのが『落日燃ゆ』と、この『官僚たちの夏』であるというトピックをひとつ挙げさせていただきます。

 本書が連載されていた当時は、『通産官僚たちの夏』というタイトルが冠せられていた通り、現在の経済産業省がまだ通商産業省(通産省)と呼ばれていた当時、その次官にまで上り詰めた実在の官僚を主人公に頂いたのが、この小説です。

 本書は上記のように、モデル小説ですが、文中に実名が出ることはありません。けれど容易に、実在の人物を特定することができます。たとえば、元首相の池田勇人や佐藤栄作、田中角栄と思しき政治家が出てきますが、すぐにそれと分かるように著者は書いています。
 昭和40年に亡くなる池田勇人がモデルの一人となっているのですから、本書の時代設定は昭和30年代です。

 その当時から10年以上の時を隔てて執筆された本書はまた、今から30年以上も前に書かれた小説となっています。

 その小説をいま手に取ったその理由は、今春学士入学した早大で「行政学」を担当する辻隆夫教授の参考文献リストのなかに《番外》として、本書が掲示されていたからです。

 本書は唐突に始まるので、その時代設定が判別しにくいのですが、読み進むうちに上記のように昭和30年代のそれも前半であることが、次第に分かってきます。
 今日の行政機関と当時の行政機関とでは、かなり大きな違いがあることでしょう。それが証拠に、上述のようにいまや通商産業省という名称もなくなりました。
 同じようにその当時の官僚と現在の官僚とでは、内実にかなり大きな違いがあるのでしょうが、もちろんぼくにその実際のところが分かろうはずが、ありません。

 たとえば所轄大臣に対し、〈無定量・無際限〉に働き続けた秘書官が出てきますが、そういう秘書官が今でもいるのかどうかは、確かめようがないからです。

 ただ、そういう働き方を大臣が秘書官に強要し、それを反撥しながらも結局は受け容れる官僚が、当時ならばいてもそれは、ごく当然のことである、と思わせる熱気が当時の通産省には、間違いなくあったことは、容易に納得できるのです。
 それは善悪の問題ではなく、世界的な競争に参加し、ライバルと拮抗できる力を持った民間企業がまだまだ少なかった当時の日本の産業界では、通産省の役割が今と比べて段違いに重要だったために、ある意味で当然のことだったのです。

 翻って、今日の官僚の実態を著した作品に見るべきものが少ないとぼくが思うのは、ぼくが出版界の実情を知らないためなのか、それとも実際に優れた著作がないためなのか、あるいは小説のモデルを担えるような、個性的で有能な官僚が今日の霞が関からいなくなってしまったためなのか、それを知りたいと強く感じたのは、他ならず本書が描いた官僚の大半が極めて魅力に富んだ逸材揃いだった、という好き証拠となるのです。

 なによりも、当時の中央政府官僚は日本という国家のことを真率に考えていたことは、否定できない事実です。

 それに較べて今日の官僚は国民にどのように思われているのでしょうか。こんなデータがあります。
 人事院による、平成16年度第3回「国家公務員に関するモニター」アンケート調査結果によれば、国家公務員に対して信頼感を持っていると答えたモニターが12.1%しかおらず、なんと85%のモニターが、国家公務員の一部または全般に不信感を抱いているのです。

 ちなみに、国家公務員の信頼感をテーマにしたアンケートを採ったのは、今回が初めてということですが、そんなアンケートをとらなければいけないと人事院が判断するほどに、国家公務員を信頼している人が減ってきているのです。

 実際のところ、ぼくもこのときのモニターとして、回答したのですが、そのときは“職員の一部には信頼感を持っているが、全般的には持っていない”の欄にマルを付けました。
 21世紀初頭の国家公務員が、国民からこれほどまでに信頼感を持たれていないことを当時の公務員が知ったら、さぞや嘆いたことでしょう。

 最後に、著者の年譜を見ていて、城山三郎が大学在学中にキリスト教の洗礼を受けていた事実を、初めて知ったことを付記します。

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城山三郎『官僚たちの夏』の政治学 ─官僚制と政治のしくみ─
西川伸一・著


城山三郎のベストセラー小説『官僚たちの夏』のあらすじを追いながら、そこに出てくる政治的に含意のある言葉に着目して、日本の官僚制と政治のしくみを平易に解説する。官僚制も政治も実は身近なところにその種子がまかれている。その「気づき」を大切にする。



目次

プロローグ──『官僚たちの夏』と私

第一章 人事カード
お役所の序列/「こら待て吉田」とキレた山中貞則/政務三役会議の設置と廃止/官房三課長/「調整」と「総合調整」/「国会待機」という「お荷物」/「もうやめてくれよ。俺だって早く帰りたいんだから」/法令審査委員会/牧順三の「大きな賭け」/片山泰介の「言い訳」/「トコロテン人事は、ぶっこわす」/ジェンダー・ギャップ指数一〇四位

第二章 大臣秘書官
「行政指導だけで業界をひっぱって行く」/行政手続法による行政指導の透明化/ノンキャリ組の幹部職員への登用/後妻の娘に先妻の名前をつけた池田勇人/大臣秘書官はつらいよ/「あの下品な装飾」議員バッジ/外局と原局/在外大使館の便宜供与/「仕事中毒の患者ばかりです」 

第三章 対 立
「ダークホース」片山の周到な布石/角栄の超人的パフォーマンス/政治資金パーティの現場をのぞくと/天下りせず/「万邦無比」の予算制度/自民党の長期多角決済/短い時間軸で決断できた小泉首相/官僚指導経済という夢/TPP協定は「国益にかなう」のか/「男ならやってみな」/閉会中審査のため東京へとんぼ返り

第四章 登退庁ランプ
消費者行政のさきがけ/福田康夫首相の強い意欲/「数字は嘘をつかないが、嘘が数字をつくる」/ながーい法律名/「遊ぶ人」/いまも変わらない「超長時間労働」/「大臣、それでも、あなたは実力者なんですか」/ゴルフ好きな政治家たち/安倍首相のゴルフと毛沢東の水泳 126 /大臣の人事介入/「河野人事」/「通産省四人組事件」/幹部人事の一元管理へ向けたあゆみ/内閣人事局の発足

第五章 権限争議
共通の趣味を口実に使う/「全身がん政治家」与謝野馨/労働なきコーポラティズム/武藤山治の温情主義と大原孫三郎の人格向上主義/「これ以上アカにはならない」/徳球のことが好きだった吉田茂/権限争いと「総合調整」/池田総裁三選のためのカネづくり/「ロワー・リミット」決定の怪/「一般庶民はなにも知らなかった」/意趣返しと友敵理論 /「友愛」は「友・敵」にまさる/機密費の使い道/改憲「三分の二」要件と不可分な五五年体制/指定産業振興法案の廃案/趣旨説明・「つるし」・予備審査/「既成事実の威力」 

第六章 春そして秋
日本中が熱狂した大阪万博/高度成長達成の「自己確認」/七〇年安保闘争という「陰画」/戦後初の赤字国債発行へ/赤字国債発行の「面倒くささ」/「赤字国債自動発行法」の成立/「面倒くささ」を回避しない/鮎川の過労死/なぜ日産プリンスというのか/エイジェンシー・スラック/葬式の政治学/派閥数は(M+1)に

第七章 冬また冬
「人間の評価は他人が決める」/日米繊維交渉/「糸で縄を買った」/夏にはじまり冬に終わる

あとがき


プロローグ──『官僚たちの夏』と私
 私が勤務する学部には、専門演習という三・四年生が二学年を継続して履修する科目があります。要するにゼミナールのことです。ゼミに入った学生たちは、卒業論文を担当教員の指導の下に作成することになります。その入室試験(ゼミ試)は二年次の一一月下旬の土曜日に毎年度実施されます。ゼミ試に合格した新ゼミ生と彼らの先輩となる三年生に対して、私のゼミでは二月初旬にゼミ合宿を行っています。そこで私は、新ゼミ生に春休み中に読んでおいてほしい本のリストを示します。
 毎回一〇冊ほどのリストを配布してきました。もう一五年以上続けていますが、毎回必ずリストアップしてきた本が一冊だけあります。それが、城山三郎『官僚たちの夏』です。官僚入門として絶好の小説で、一年生向けの政治学の授業を担当した場合にも欠かさず紹介してきました。
 ところが、ほんとうに恥ずかしい限りなのですが、私がこの本を読んだのは、学生時代でも大学院生時代でもありません。なんと、いまの勤務先で専任講師となり、はじめて教壇に立った年でした。いかに不勉強で視野が狭かったかがわかります。新潮文庫となったその本の発行年をみると、一九八〇年とあります。私が大学に入った年です。その頃読んでいればと歯がみしてもはじまりません。
 一九九三年五月三一日に、元通産事務次官の佐橋滋が亡くなりました。その死亡記事に「通産官僚を描いたベストセラー小説、城山三郎著『官僚たちの夏』で、主人公風越信吾のモデルになった」と書いてありました(同日付『朝日新聞』夕刊)。この記事を読んで、文庫本を買って読んでみたというわけです。いまその本を開くと、先の死亡記事の切り抜きに加えて、六月一日付『朝日新聞』「天声人語」が挟んでありました。そこには、佐橋の人となりが紹介されていて、彼の次の言葉が引かれています。
「官僚とは何が国のためになるかを常に考えている存在なんだ……そこを考えないやつは、組織への裏切りであり、使命感の放擲で、そんなへなちょこでは困るんだ」
 国家への揺るぎない使命感に満ちあふれています。国家を背負うのは自分たちだという「国士型官僚」の典型といえましょう。その仕事ぶりを小説化した『官僚たちの夏』をヒントに、現代日本の官僚制や政治のしくみを学ぶためのいざないの書を書けないものか。こうした「たくらみ」からこの本は生まれました。いま改めて読み直してみると、同書にはそれらに関連するキーワードや人名がちりばめられていることに気づきます。読み飛ばしてしまうのはもったいない。あらすじを追いながら、これらの言葉の意味をおし広げて説明し、『官僚たちの夏』をより深く楽しむ一助となれば、と考えました。
 あるいは、前著『オーウェル『動物農場』の政治学』(ロゴス、二〇一〇)の続編とお考えいただいてもけっこうです。はてさて、二匹目のどじょうが釣れますやら。
 まったくの偶然ですが、佐橋の『日本への直言』(毎日新聞社、一九七二)を古本で買い求めたところ、佐橋のサイン入りでした(図表・写真1)。黄泉の国から彼が励ましてくれているようです。

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