六分の侠気(きょうき)四分の熱

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中日春秋 5/25

政界用語で「大臣病」といえば、良い意味ではあまり使われない。そのポストを手にしたいという欲望と計算。関心は大臣になって何をしたいか、どんな仕事をしたいかではなく、大臣になること。悲しい「患者」は大勢いる。

珍しい症例もある。その政治家の症状は例の病に似ているが、とにかく仕事がしたいのである。仕事がないことが許せぬ。だから自分を使ってほしいと願う。胸を張るべき「大臣病」の政治家が亡くなった。与謝野馨さん。七十八歳。博識と自信の政治家であった。

経験した閣僚は兼務も含め十以上。聞いたことのない数である。国会で官僚との二人羽織よろしく、耳元で答弁を教わる大臣は珍しくないが、その必要の一切ない本物の大臣だった。

「自分はアウト・オブ・ポリティクス(政治の外側)」。長い間口癖になっていた。政争や権力闘争だけの政治屋にはならぬ。政策と仕事の政治家になる。そうご自分に、言い聞かせていたか。

その分、自民党の野党転落や落選で仕事ができなくなると、ひどく気落ちしていた。自民党を離れ、民主党政権でも閣僚になったのはただ仕事がしたいの熱のせいかもしれぬ。

<六分の侠気(きょうき)四分の熱>。祖父与謝野鉄幹の「人を恋ふる歌」。国会運営に長(た)け、野党の切なさも理解した。今の自民党に最も欠ける部分である。侠気と熱の政治家が人生という議場を去る。

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与謝野晶子 「みだれ髪」 青空文庫

…………………………

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人を戀ふる歌                 
     (三十年八月京城に於て作る)


妻(つま)をめどらば才たけて
顔うるはしくなさけある
友をえらばば書を讀んで
六分の俠氣四分の熱

戀のいのちをたづぬれば
名を惜むかなをとこゆゑ
友のなさけをたづぬれば
義のあるところ火をも踏む

くめやうま酒うたひめに
をとめの知らぬ意氣地あり
簿記(ぼき)の筆とるわかものに
まことのをのこ君を見る

あゝわれコレッヂの奇才なく
バイロン、ハイネの熱なきも
石をいだきて野にうたふ
芭蕉のさびをよろこばず

人やわらはん業平(なりひら)が
小野の山ざと雪を分け
夢かと泣きて齒がみせし
むかしを慕ふむらごころ

見よ西北(にしきた)にバルガンの
それにも似たる國のさま
あやふからずや雲裂けて
天火(てんくわ)ひとたび降(ふ)らん時

妻子(つまこ)をわすれ家をすて
義のため耻をしのぶとや
遠くのがれて腕(うで)を摩す
ガリバルヂイや今いかん

玉をかざれる大官(たいくわん)は
みな北道(ほくどう)の訛音(なまり)あり
慷慨(かうがい)よく飲む三南(さんなん)の
健兒(けんじ)は散じて影もなし

四たび玄海の浪をこえ
韓(から)のみやこに來てみれば
秋の日かなし王城や
むかしにかはる雲の色

あゝわれ如何にふところの
劍(つるぎ)は鳴(なり)をしのぶとも
むせぶ涙を手にうけて
かなしき歌の無からんや

わが歌ごゑの高ければ
酒に狂ふと人は云へ
われに過ぎたる希望(のぞみ)をば
君ならではた誰か知る

「あやまらずやは眞ごころを
君が詩いたくあらはなる
むねんなるかな燃(も)ゆる血の
價すくなきすゑの世や

おのづからなる天地(あめつち)を
戀ふるなさけは洩すとも
人を罵り世をいかる
はげしき歌を秘めよかし

口をひらけば嫉みあり
筆をにぎれば譏りあり
友を諌めに泣かせても
猶ゆくべきや絞首臺(かうしゆだい)

おなじ憂ひの世にすめば
千里のそらも一つ家
おのが袂と云ふなかれ
やがて二人(ふたり)のなみだぞや」

はるばる寄せしますらをの
うれしき文(ふみ)を袖にして
けふ北漢の山のうへ
駒たてて見る日の出づる方(かた)




人を戀ふる歌

作詞:与謝野鉄幹、作曲:不詳

1 妻をめとらば 才たけて
  みめ美わしく 情けある
  友を選ばば 書を読みて
  六分(りくぶ)の侠気 四分(しぶ)の熱

2 恋の命を たずぬれば
  名を惜しむかな 男(おのこ)ゆえ
  友の情けを たずぬれば
  義のあるところ 火をも踏む

3 汲めや美酒(うまざけ) うたひめに
  乙女の知らぬ 意気地(いきじ)あり
  簿記の筆とる 若者に
  まことの男 君を見る

4 ああ われダンテの 奇才なく
  バイロン ハイネの熱なきも
  石を抱(いだ)きて 野にうたう
  芭蕉のさびを よろこばず

5 人やわらわん 業平(なりひら)が
  小野の山ざと 雪をわけ
  夢かと泣きて 歯がみせし
  むかしを慕う むら心

6 見よ西北に バルカンの
  それにも似たる 国のさま
  あやうからずや 雲裂けて
  天火(てんか )一度(ひとたび) 降らんとき

7 妻子を忘れ 家を捨て
  義のため恥を 忍ぶとや
  遠くのがれて 腕を摩(ま)す
  ガリバルディや 今いかに

8 玉をかざれる 大官(たいかん)は
  みな北道(ほくどう)の 訛音(なまり)あり
  慷慨(こうがい)よく飲む 三南(さんなん)の
  健児は散じて 影もなし

9 四度(しど)玄海の 波を越え
  韓(から)の都に 来てみれば
  秋の日かなし 王城や
  昔に変る 雲の色

10 ああわれ如何(いか)に ふところの
  剣(つるぎ)は鳴りを ひそむとも
  咽(むせ)ぶ涙を 手に受けて
  かなしき歌の 無からめや

11 わが歌声の 高ければ
  酒に狂うと 人のいう
  われに過ぎたる のぞみをば
  君ならではた 誰か知る

12 あやまらずやは 真ごころを
  君が詩いたく あらわなる
  無念なるかな 燃ゆる血の
  価(あたい)少なき 末の世や

13 おのずからなる 天地(あめつち)を
  恋うる情けは 洩らすとも
  人をののしり 世をいかる
  はげしき歌を ひめよかし

14 口をひらけば 嫉(ねた)みあり
  筆を握れば 譏(そし)りあり
  友を諌(いさ)めて 泣かせても
  猶(なお)ゆくべきや 絞首台

15 おなじ憂いの 世に住めば
  千里のそらも 一つ家(いえ)
  己(おの)が袂(たもと)と いうなかれ
  やがて二人の 涙ぞや

16 はるばる寄せし ますらおの
  うれしき文(ふみ)を 袖にして
  きょう北漢(ほくかん)の 山のうえ
  駒立て見る日の 出(い)づる方(かた)

《蛇足》 与謝野鉄幹(てっかん)――本名は寛(写真)――は、明治6年(1873)、京都の寺の4男として生まれました。落合直文に師事し、歌人・詩人として活躍。
 「君死にたまふことなかれ」の詩で有名な与謝野晶子は、3度目の妻。

 明治28年(1895)、招かれて漢城(現在ソウル)で日本語による教育を行っていた乙未義塾(いつびぎじゅく)に教師として赴任。この歌は在韓中の明治31年(1898)に作られたといわれます。

 1番=「侠気」は、苦しんでいる弱い者を見過ごせないような気持、おとこぎのこと。

 2・7番=「義」は、他人に対して守るべき正しい道、人としてなすべき事柄、大義。

 3番=「うたひめ」は妓生(キーセン)を指す。妓生はもとは宮廷に仕える女芸人だったが、日本の植民地主義的進出とともに高級娼妓の色彩をもつようになった。
 ここでいう「うたひめ」は妓生一般ではなく、鉄幹が京城で交情のあった白梅という妓生を指す。鉄幹は早世した白梅を悼んで、『官妓白梅を悼む』と題する一文を草し、「唐琴(からごと)の、きよきしらべは耳にあれど、絶えつる絃(いと)は、如何につながむ」など、数首の挽歌を詠んでいる。
 「簿記の筆とる若者」は、鉄幹が韓国で知り合った志士的な人物を指すと思われる。

 4番=「ダンテ」はルネサンスの先駆となったイタリアの詩人(1265~1321)。代表作は『神曲』『新生』。
 ダンテを「コレッジ」としているヴァージョンもある。どちらが先だったかは不明。
 「コレッジ」はイギリスの詩人コールリッジ(1772~1834)のこと。コールリッジよりコレッジのほうが原音に近い。幻想的な作風でロマン主義の先駆となった。
 「バイロン」はイギリスロマン派の代表的詩人。反俗の青年貴族としてヨーロッパ大陸を遍歴し、ギリシア独立戦争に加わり、客死した(1788~1524)。
 「ハイネ」はドイツロマン派の詩人。代表作は『歌の本』など(1797~1856)。

 「芭蕉のさびをよろこばず」の「ず」は、打ち消しの助動詞ではなく、意志・推量の助動詞。もとは「むず」だったものが、中世以後「うず」に変化し、さらに「う」がとれて「ず」だけになった。その結果、打ち消しの「ず」と同形になった。ここでは意志を表す。
 したがって、「私にはダンテのような才能もなく、バイロン、ハイネのようなあふれんばかりの情熱もないが、芭蕉の孤高の情熱とその美意識をよしとする気持ちはある」という意味になる。

 古い語彙や語法は往々にして方言に残っており、長野、山梨、岐阜、静岡などの一部地域では、[それじゃ行かず」とか「行こうず」いった言い方をする。これは「それじゃ行こう」という意味で、「それじゃ行かない」という意味ではない。

 なお、末尾の「ず」をそのまま否定語と受け取って、「私にはダンテのような才能もなく、バイロン、ハイネのような男っぽい行動的な情熱もないが、芭蕉の非社会的で内向きの情熱は好まない」とする意見もある。この説はおもに鉄幹の性格や韓国における壮士的行動を根拠としている。
 鉄幹は日本官憲や他の右翼壮士たちとともに閔妃(びんぴ)虐殺に参画したとして起訴されたが、アリバイがあったとして免訴になっている。

 5番=「業平」は平安初期の歌人・在原業平(ありわらのなりひら)。六歌仙、三十六歌仙の一人。
 業平が比叡山麓・小野の山ざとに訪ねたのは、彼が臣従していた惟喬(これたか)親王。文徳天皇の第一皇子で、剃髪して小野に隠棲していた。
 俗説では、藤原氏が推す異母弟との立太子争いに敗れたため、剃髪・隠棲したということになっている。韓国内の政治的不遇者に対する同情を惟喬親王の運命に重ね合わせて詠ったと見ることができる。

 6番=「バルカン」はバルカン半島のこと。民族大移動の昔から民族紛争が繰り返され、第一次世界大戦の発火点となった。最近も、旧ユーゴスラビアで、凄惨な民族紛争が続いた。
 日本とロシアとの勢力争いの標的となって乱れていた朝鮮半島の政治状況がバルカンの歴史に重ね合わされている。
 なお、鉄幹については、韓国滞在中、日本帝国主義の立場に立って壮士的活動をしたという噂がある。

 7番=「ガリバルディ」はイタリアの軍人で、小国に分裂していたイタリアを統一に導いた(1807~1882)。ガリバルディにたとえられるような人物が当時の韓国にいたのかもしれない。

 8番=「北道」は韓国(朝鮮)北部の黄海道・平安道・咸鏡道をいい、三南は南部の忠清道・慶尚道・全羅道を指す。
 「訛音」はなまり、方言のこと。「慷慨」は世の中のことや自分の運命を憤り嘆くこと。

 9番=「韓の都」は韓国の首都ソウルのこと。李朝時代は「漢城」、1910年の日韓併合後は「京城」と呼称され、1945年の解放後ソウルとなった。

 16番=「北漢」は、ソウルの北辺にある北漢山を指す。ソウル市を取り巻く山では最も高く目立つ山。昔の城壁が残っており、北漢山城と呼ばれている。
 北漢山は非常に険しく、頂上まで馬で登るのはとうてい無理なので、「北漢」は城趾を指していると思われる。

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