ゆでたまご

談話室 5/23

脚本家の向田邦子さんに昭和14年頃、小学4年当時の思い出を綴(つづ)ったエッセー「ゆでたまご」がある。足が不自由で勉強が苦手、暮らし向きが楽でなさそうな同級の女子「I」にまつわる逸話。脳裏に刻まれた光景だ。

遠足の朝。校庭に集まると級長の向田さんにIの母親が近づいてきて「これみんなで」。風呂敷包みを手渡した。ポカポカ温かい大量のゆで卵。歩きだした列を母親は1人離れていつまでも見送っていたという。仲良くしてね。お願いの印だったか。いじめなどないように。

痛ましい命が失われた。仙台の中2男子が命を絶った問題。背景に学校でのいじめが言われていたが、加えて頭をたたく、口に粘着テープを貼るなど先生による体罰も明らかになった。最近いじめ自殺が毎年のように起きている。守られるべき命が危機に晒(さら)されていまいか。

前述のエッセーには運動会も出てくる。徒競走で1人遅れたI。走るのをやめかけた時、女の先生が飛び出し一緒に走り始めた。向田さんは、愛という字を見ていると温かいゆで卵と見送る母親と徒競走の光景が浮かぶという。時代は変わっても学校から愛は失いたくない。

…………………………

20170523123123d4c.jpeg

            ゆでたまご

小学校4年の時、クラスに片足の悪い子がいました。名前をIといいました。Iは足だけでなく片目も

不自由でした。背もとびぬけて低く、勉強もビリでした。ゆとりのない暮らし向きとみえて、襟があかで

ピカピカ光った、お下がりらしい背丈の合わないセーラー服を着ていました。性格もひねくれていて、

かわいそうだとは思いながら、担任の先生も私たちも、ついIを疎んじていたところがありました。

たしか秋の遠足だったと思います。

 リュックサックと水筒を背負い、朝早く校庭に集まったのですが、級長をしていた私のそばに、

Iの母親がきました。子供のように背が低く手ぬぐいで髪をくるんでいました。かっぽう着の下から

大きな風呂敷包み出すと、

「これみんなで」

と小声で繰り返しながら、私に押しつけるのです。

古新聞に包んだ中身は、大量のゆでたまごでした。ポカポカとあたたかい持ち重りのする

風呂敷包みを持って遠足にゆくきまりの悪さを考えて、私は一瞬ひるみましたが、頭を下げている

Iの母親の姿にいやとは言えませんでした。

 歩き出した列の先頭に、大きく肩を波打たせて必死についてゆくIの姿がありました。

Iの母親は、校門のところで見送る父兄たちから、一人離れて見送っていました。

 私は愛という字を見ていると、なぜかこの時のねずみ色の汚れた風呂敷とポカポカとあたたかい

ゆでたまごのぬく味、いつまでも見送っていた母親の姿を思い出してしまうのです。

 Iにはもうひとつ思いでがあります。運動会の時でした。

Iは徒競走に出てもいつもとびきりのビリでした。その時も、もうほかの子供たちがゴールに

入っているのに、一人だけ残って走っていました。走るというより、片足をひきづってよろけていると

いったほうが適切かもしれません。Iが走るのをやめようとした時、女の先生が飛び出しました。

 名前は忘れてしまいましたが、かなりの年輩の先生でした。叱言の多い気むずかしい先生で、

担任でもないのに掃除の仕方が悪いと文句を言ったりするので、学校で一番人気のない先生

でした。その先生が、Iと一緒に走りだしたのです。

 先生はゆっくりと走って一緒にゴールに入り、Iを抱きかかえるようにして校長先生のいる天幕に

進みました。ゴールに入った生徒は、ここで校長先生から鉛筆を1本もらうのです。校長先生は

立ち上がると、体をかがめてIに鉛筆を手渡しました。

 愛という字の連想には、この光景も浮かんできます。

 今から四十年もまえのことです。

 テレビも週刊誌もなく、子供は「愛」という抽象的な単語には無縁の時代でした。

 私にとって愛は、ぬくもりです。小さな勇気であり、やむにやまれぬ自然の衝動です。

「神は細部にやどりたもう」ということばがあると聞きましたが、私にとっての愛のイメージは、

このとおり、「小さな部分」なのです。      (「男どき女どき」所収)

                              
関連記事