魔法使い

中日春秋 5/21

高校演劇コンクールに「アラジンと魔法のランプ」で挑むことになったが、「魔法使い」の役が見つからない。悩んでいると、ふと隣にいた級友の顔が目に入った。「こいつなら魔法使いのメーキャップさえいらない」

「魔法使い」は級友の誘いに演劇部に入り、以降、長い七十年近い芝居の道を歩むことになった。亡くなった俳優の日下武史さん。八十六歳。自然と耳に入ってくる味わい深い声。明瞭にして説得力あるせりふを思い出す。

高校演劇部の部長となった日下さんは「野球部か演劇部か」で悩んでいた新入生の勧誘に成功する。やがて日下さんとともに劇団四季を結成した演出家の浅利慶太さんである。不思議な糸が日下さんの道には張りめぐらせてあったか。その糸は日本を代表する大劇団にまでつながっていた。

最後の舞台は「思い出を売る男」。高校時代、日下さんに芝居を教えた劇作家加藤道夫の作品である。これも不思議な糸のようである。

敗戦直後、戦争に傷つき、荒廃した生活に悲しい心を抱えた人間に幸福だった頃の思い出を見せる男の話である。戦争で恋人を失った街の女に男がこうささやく。「だから、君の思い出は人一倍美しいのさ」。

家業が傾いたことを苦に芝居の道をあきらめかけたことがあるそうだ。長い長い芝居に幕が下りるとき、「魔法使い」はどんな思い出を見ていらっしゃるか。


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