高等遊民

北斗星 5/20


夏目漱石の小説に「高等遊民」と呼ばれる人種がしばしば登場する。高学歴のエリートながら受け継いだ財産があるので仕事に就く必要がなく、趣味の世界で生きていける。世俗の泥にまみれていない分、現実を冷静に見極めることができる。

高等遊民の典型は「それから」の主人公代助(だいすけ)だろう。世話係として一緒に暮らす書生は「いい積(つも)りだなあ。僕も、あんな風に一日(いちんち)本を読んだり、音楽を聞きに行ったりして暮(くら)して居(い)たいな」とうらやむ。

漱石が後藤宙外(ちゅうがい)に宛てた手紙が、あきた文学資料館の「夏目漱石と秋田」展(9月10日まで開催中)で公開されている。さすがと思わせる流麗な筆致で、1911(明治44)年1月5日の消印がある。

その中で漱石は、天下の浪人ほど気楽なものはない、私も財産を有した浪人でありたいと願っている―と書き、前年に文芸誌「新小説」を辞して浪人となった宙外を気遣っている。「天下の浪人」とは、「高等遊民」を穏便に言い換えた漱石流の新表現なのだろうか。

払田(ほった)村(現大仙市)生まれの宙外は作家や編集者として中央文壇で活躍し、漱石から手紙をもらった4年後、48歳で六郷町(現美郷町)に隠退した。請われて町長を2期務めた後、地方史の研究に没頭、1938(昭和13)年に71歳で没する。

この間に「明治文壇回顧録」を著し、古代城柵(じょうさく)「払田柵(ほったのさく)」の発見と調査に情熱を注いだ。ただの浪人や遊民で終わることなく、晩年まで古里に尽くした知識人であった。

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<749> 漱石 (25) 高等遊民と「暗夜行路」
“高等遊民”ということばは漱石の造語だという。

なんら生産的な活動をせず、ただ日々を雅やかに過ごしたり、学問の延長として己の興味の世界を追い求めていたりした。『それから』の長井代助及び『こゝろ』の先生、川端康成の『雪国』の主人公のように、しばしば文学のテーマとしても取り上げられた。

西洋貴族に典型があるが、彼らの仕事は酒(ワイン)と異性(男にとっては貴婦人と娼婦、女にとっては若いナイト)と芸術鑑賞(オペラや絵画)で、どれだけ飲んで食べたか、口説いたか、あるいは見たか聴いたか知っているかを競い合い、その熟成度合いによって人物の評価が分かれた。彼らは終生の身分が保障されていたから後顧に憂いなくあそんだ!

こういう人たちが真のブルジョアジーといえるのだろう。

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明治日本にも爵位があって財産は保障されていたから高等遊民が跋扈した。作家としては永井荷風あたりがその代表だろうし、白樺派の武者小路や志賀も有島武郎もこの範疇に入るのではなかろうか。

志賀直哉『暗夜行路』(自伝的要素が強い)の主人公の時任謙作もそのひとり。働くことをせず、金もふんだんにあって、暇をもてあましている。何の苦労もないように見えるが、実は心の葛藤が大きい。

高等遊民一般に、感受性の強い若い時代は、家族の不和や恋愛問題、夫婦関係で、人一倍悩む。
 かれらは高学歴で頭もいいからよく考え、考えすぎて、行き詰る。したがって彼らはよく自殺する。庶民はもっと大きな苦しさに苛(さいな)まれても、忙しさにまぎれて自殺する暇もない。

その高等遊民は表現力に優れ、すばらしい文章をつむぎだす。世に名高い『暗夜行路』より、2つをピックアップした。

まず尾道のシーン。臨場感がすばらしい。

<景色はいい処だった。寝転んでいて色々な物が見えた。前の島に造船所がある。其処で朝からカーンカーンと金槌を響かせている。同じ島の左手の山の中腹に石切り場があって、松林の中で石切人足が絶えず唄を歌いながら石を切り出している。その声は市の遥か高い処を通って直接彼のいる処に聴こえて来た。

六時になると上の千光寺で刻の鐘をつく。ごーんとなると直ぐゴーンと反響が一つ、又一つ、又一つ、それが遠くから帰って来る。その頃から、昼間は向い島の山と山との間に一寸頭を見せている百貫島の燈台が光りだす。それはピカリと光ってまた消える。造船所の銅を熔かしたような火が水に映りだす。>

次は最終章の大山(だいせん)。

<中の海の彼方から海へ突き出した連山の頂が色づくと、美保関の白い灯台も陽を受け、はっきりと浮かび出した。間もなく、中の海の大根島(だいこんじま)にも陽が当たり、それが赤?(あかえい)を伏せたように平たく、大きく見えた。

村々の電燈は消え、その代わりに白い煙が所々に見え始めた。然し麓の村はまだ山の陰で、遠いところより却って暗く、沈んでいた。

謙作は不図、今見ている景色に、自分のいるこの大山がはっきりと影を映していることに気がついた。影の輪郭が中の海から陸へ上がって来ると、米子の町が急に明るく見え出したので初めて気づいたが、それは停止することなく、丁度地引網のように手繰られて来た。血を嘗めて過ぎる雲の影にも似ていた。中国一の高山で、輪郭に張り切った強い線を持つこの山の影を、その儘、平地に眺められるのを稀有のこととし、それから謙作はある感動を受けた。>

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再度、高等遊民の話にもどる。
 戦前身分保障がされていたかれらは戦後どうなったのだろうか。高税率のため家系の崩壊?瓦解か?

否、かれらには生き残りの手法があって相変わらずの高等遊民をやっている、と思う。華族制度はなくなっても近衛、徳川、細川、島津・・・・それぞれに財団法人を作って家宝や史料を保存したり、資産管理会社を経営したりとご多忙のようである。
 うらやましい。


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