運動会の季節

有明抄 5/16

 5月は運動会の季節である。「えっ?」と反応される年配方もおられようが、昨今、佐賀県内でも小学校の4割弱、中学校で約半数が5月の運動会である。

熱中症対策や学校行事の分散化が主な理由。弁当で食べた青切りミカンと茹(ゆ)で栗のイメージは遠くなった。運動会の風景を描いたエッセーが、脚本家で作家の向田邦子にある。

小学校4年時の回想だ。クラスには足と目が不自由で、みんなになじめない女の子がいた。運動会は徒競走でいつも1人だけ取り残されてしまう。この日も、おぼつかない足元だが、一生懸命ゴールを目指していた。

途中、その子が走るのをやめようとした時、突然、女の先生が飛び出す。年配の小言が多い気難しい先生で人気がなかったというが、その子と一緒に走り出したのである。ともにゴールし、抱きかかえるようにして賞品の鉛筆をその子に手渡した。いても立ってもいられない行動を見た向田は「愛という字の連想には、この光景も浮かんできます」と書いた。運動場が温かな空気に包まれたことだろう。

スポーツが得意な子に光が当たり、讃(たた)える運動会もいい。だが、それぞれが持っている力を発揮し、頑張ることの尊さを感じられる場でもある。応援でも、分担されたお世話係でも出番が一人一人を輝かせる。5月のようにさわやかな一日を。


…………………………

向田邦子エッセイ(ゆでたまご・運動会)

ゆでたまご…丸いほうをスプーンの腹でポンとたたき、ひびを入れてゆでると皮がむきやすい
その情報通りやってみたら、本当につるっとむけました。
                    
ゆでたまごのぬく味にいつも必ず思い出すのは、向田邦子さんのエッセイ!
ゆでたまごの話と運動会の話…そこに登場する女の子Iさんを通して、愛とは何か!

向田邦子さんのエッセイです。↓

ゆでたまご
 小学校4年の時、クラスに片足の悪い子がいました。名前をIといいました。
Iは足だけでなく片目も不自由でした。背もとびぬけて低く、勉強もビリでした。
ゆとりのない暮らし向きとみえて、襟があかでピカピカ光った、
お下がりらしい背丈の合わないセーラー服を着ていました。
性格もひねくれていて、かわいそうだとは思いながら、
担任の先生も私たちも、ついIを疎んじていたところがありました。

 たしか秋の遠足だったと思います。
リュックサックと水筒を背負い、朝早く校庭に集まったのですが、
級長をしていた私のそばに、
Iの母親がきました。子供のように背が低く手ぬぐいで髪をくるんでいました。
かっぽう着の下から大きな風呂敷包み出すと、「これみんなで」
と小声で繰り返しながら、私に押しつけるのです。

古新聞に包んだ中身は、大量のゆでたまごでした。
ポカポカとあたたかい持ち重りのする
風呂敷包みを持って遠足にゆくきまりの悪さを考えて、
私は一瞬ひるみましたが、頭を下げているIの母親の姿にいやとは
言えませんでした。 歩き出した列の先頭に、
大きく肩を波打たせて必死についてゆくIの姿がありました。
Iの母親は、校門のところで見送る父兄たちから、
一人離れて見送っていました。

 私は愛という字を見ていると、なぜかこの時のねずみ色の汚れた風呂敷と
ポカポカとあたたかいゆでたまごのぬく味、
いつまでも見送っていた母親の姿を思い出してしまうのです。

 Iにはもうひとつ思いでがあります。運動会の時でした。
Iは徒競走に出てもいつもとびきりのビリでした。
その時も、もうほかの子供たちがゴールに
入っているのに、一人だけ残って走っていました。
走るというより、片足をひきづってよろけているといったほうが
適切かもしれません。
Iが走るのをやめようとした時、女の先生が飛び出しました。

 名前は忘れてしまいましたが、かなりの年輩の先生でした。
叱言の多い気むずかしい先生で、担任でもないのに掃除の仕方が悪いと
文句を言ったりするので、学校で一番人気のない先生でした。
その先生が、Iと一緒に走りだしたのです。
 先生はゆっくりと走って一緒にゴールに入り、
Iを抱きかかえるようにして校長先生のいる天幕に進みました。
ゴールに入った生徒は、ここで校長先生から鉛筆を1本もらうのです。
校長先生は立ち上がると、体をかがめてIに鉛筆を手渡しました。
 
 愛という字の連想には、この光景も浮かんできます。
今から四十年もまえのことです。
テレビも週刊誌もなく、子供は「愛」という抽象的な単語には無縁の時代でした。
私にとって愛は、ぬくもりです。
小さな勇気であり、やむにやまれぬ自然の衝動です。
「神は細部にやどりたもう」ということばがあると聞きましたが、
私にとっての愛のイメージは、このとおり、「小さな部分」なのです。   
   (「男どき女どき」所収)

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何事も成功する時を男時、めぐり合わせの悪い時を女時という――。何者かによって台所にバケツごと置かれた一匹の鮒が、やがて男と女の過去を浮かび上がらせる「鮒」、毎日通勤の途中にチラリと目が合う、果物屋の陰気な親父との奇妙な交流を描く「ビリケン」など、平凡な人生の中にある一瞬の生の光芒を描き出した著者最後の小説四篇に、珠玉のエッセイを加えた、ラスト・メッセージ集。
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