2日目のカレー

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中日春秋 5/15

用意いたしますものは、まず昨夜のシチューの残り。ここに刻んだラッキョウ、しば漬けを投入する。さらには残っていたようなチーズケーキも加える。そこに納豆のタレ、ケチャップ、中濃ソース。黒豆、オイスターソースなども入れ、煮込むこと二時間。「談志カレー」の出来上がりである

立川談志さんの弟子、立川談春さんが『赤めだか』に書いている。入門の日、談志さんに作り方を教えてもらったそうだ。目をつぶって一口食べたところ「意外にもうまかった」とあるが、お試しにならぬ方がいいかもしれぬ

「談志カレー」はシチューの残りをベースにしているが、前の晩にこしらえたカレーはより味が深く、まろやかになったように感じられるものだ。いわゆる「二日目のカレー」

そのファンには悲しいお知らせである。なんでも作り置きのカレーにはウエルシュ菌なる菌が発生しやすく、食中毒の原因となるそうだ。東京の幼稚園では今年三月、前の日のカレーを食べた園児が食中毒症状を訴えている。

煮込んでいるから大丈夫なはずだと怒るファンもいるか。残念ながらその菌の中には熱に強いのもいて、常温で放置すれば、増殖することもある。

<秋風やカレー一鍋すぐに空>辻桃子。句の季節とは違うが、ものの傷みやすい時季である。その日に食べきって、鍋は空にしてしまった方が良さそうである。

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―― 『赤めだか』は、立川談春さんが落語家前座時代を綴った青春記です。この破天荒なエッセイを書くことになったいきさつを教えてください。
立川 文芸評論家の福田和也さんに、文章を書いて欲しいと言われました。寿司をご馳走になっちゃって、じゃあ一回書きますよって。「面白い」と言われて、自分でも書いているってことが面白くなって、「en―taxi」という雑誌で連載することになった。間近で談志師匠や談四楼師匠が、集中して時間をかけて書く姿を見ていましたので、書くって大変だ、生半可なことじゃできないと不安に思っていたのが、「あなたはできます。私が請け合います」って、福田さんにいい文句で口説かれたんですよ。

―― 昭和五十九年三月に入門して、「二十二歳までに二つ目になる」と目標を決め、昭和六十三年、誓いを叶えるまでが主に書かれています。
立川 何を書こうかと考えた時、みんな立川談志には興味があるだろうと。十七で入門するまでを書いたら、まず依頼された原稿用紙三十枚になったってことです。その後連載という形になって、どこかで止めないと終わらねえから、二つ目でとりあえず終わりにしようと。福田さんは延々と続けてくれって言いましたが、嫌だって(笑)。人さまにひけらかして、「へえ、面白い人生だね」と言ってくれる人もいるかもしれませんが、まだそこまでじゃないですね、僕は。書いている暇があったら、落語をしている方がいいって話です。そうしたら編集の人が、本にしますよと。

―― 連載時「談春のセイシュン」というタイトルでしたが、単行本のタイトルが『赤めだか』になったのはなぜですか。
立川 「談志」とか、「修業」「師弟」といった文言を一切入れたくなかったんです。編集者は入れたがるんですが、僕は、福田さんや目黒考二さんが褒めてくれてるんだから、引っかかる人には引っかかる、そこに賭けりゃいいと。あんたんとこ(扶桑社)は『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』が売れたんだから少々冒険したっていいだろう、俺は本が出なくても困らねえんだ、初版なんか三百部だっていいよって言いました(笑)。みんなでタイトルを考えているうちに、”赤めだか”って良くない? って意見が出て、いいねえ、それにしようと。でも編集が納得しないからね、「しょうがない、いいよ、俺も鬼じゃないからね、タイトル案三つ出すから、好きなのを選べ。一番、赤めだか、二番、かたつむり、三番、ふんづまり」って言ったら(笑)、涙ぐんで「赤めだかでいいですっ!」って。でも、これは当たったと思います。タイトルが『赤めだか』じゃなければ、たぶん講談社エッセイ賞を取れていなかったですよ。「談志と私」じゃ、ああ、弟子の本か、で終わりでしょ。

―― 一門の濃密な人間関係、落語家の私生活がこんなに面白いのかと驚きました。ハワイ旅行に行き、談志師匠がトリコロール柄の海パンにグンゼの長袖の下着とももひき、地下足袋とチューリップハットでビーチを歩いたとか。
立川 俺も驚いたよ。生まれて初めて行ったハワイでね。やっぱり、凄い人なんですよね、立川談志という人は。「俺は立川談志なんだ」というプライドに命を賭けて毎日を送っているってことでしょうね。だから簡単に言うと、なんでウェットスーツなんか着なきゃいけないんだということですよ。何でこんなものに何万円も払うんだと。カレーにチーズケーキを入れるエピソードだって、チーズケーキは卵とチーズと小麦粉だから、煮込めばいいとろみが出て、まずくなるわけがねえという話で、常識にとらわれない。簡単に納得しないんでしょうね。それをすると生きづらくなるんだけれども、安易に手を打たないことに、命賭けているんですよね。それは全部「実技」で、世間が「変人」と言ったとしても、舞台に出た時には十五、十六のガキでも分かる、圧倒される超一流の芸をするわけですから。とにかく落語家として凄きゃあ、あとはもう何でもいいんでしょう。確かに変だけれど、僕は是としなければいけないと思う。

―― そのほかのエピソードも面白い。どう選んでいったんですか。立川 そうですね。締め切りの一週間後くらいから書き始めて、校了日の午後くらいに書き終えるわけです。エピソードなんて選んでいる暇がないわけです。目の前の三十枚の原稿用紙を埋めるのが第一義で、終わると持っていかれて添削する暇もなく雑誌に載ることの繰り返し。そんなことをしているうちに「これでいいんだ」という自信は出てきましたけれどね。だって、一回だけ書けばよかったのが、もっと書いてくれと言われるのは、まあ悪くはないんだろうと。

―― 文体にリズム感のよさを感じました。〈落語を語るのに必要なのはリズムとメロディだ。それが基本だ〉と、談志師匠が言うエピソードがありましたね。
立川 そうそう、普段ひっかかりのない言葉で、耳に訴えかけて勝負しているから、目と耳と頭で読んでくれるものでリズム感が出ないわけがない。書くための勉強は何一つしていませんが、一人で座ったまま喋る落語は、省くところや、観客の想像力に頼るところがある。こっちを向くと人物が変わるとか、四百年かけてルールが凄く洗練されていて、二次元でしょ、文章と共通するものがあるんじゃないですか。歴史を紐解いても、文学に落語が与えた影響はとてつもないですよね。この本を読んで面白いと思ったら、落語を聞くといいんじゃないですかね。僕のじゃなくてもいいから、落語は聞いて欲しいですね。

―― 前座全員で築地の魚河岸に働きに出されたそうですね。修業するうちにだんだん世界が広がって、高田文夫さんら、個性的な人たちと遭遇していく。
立川 落語家の弟子になって魚河岸に行きました、は事実だからね(笑)。行ってみたら全くマイナスじゃない。魚河岸の人は親切なんだけれど、仲間になるまでつっけんどんだし、人の親切を受けるのにどんな資格が必要なのか、こっちも教えてもらいました。出会う人が全て超一流の人だったというのは、談志の弟子だった恩恵ですね。しかもその超一流の人が、談志が好きだという親近感で、年は違っても同じ目線で話してくれるわけでしょう。心の底からありがたいと思う。僕らは、入門して本名を捨て、家元からもらった名前をつける。芸だけを教わることはできないのかって言うと、それはできないんですね。落語家になりたくて名前も捨てたような人間の揺らぎを増幅させるのは、人間関係の中の情なんです。こいつじゃしょうがねえとか、こいつにはもう一回チャンスやろうとかね。正しい落語なんてないんですから。観客の好き嫌いに一生を捧げていくわけだから、自分がやりたいと思ったことが人に愛されるかどうかで右往左往するしかないんです。

―― 一門には優秀な兄弟弟子がいて、悔しい思いをしていたら、突然談志師匠から嫉妬について教えられるエピソードもありますね。風邪で稽古を断ったら、師匠が激怒して、辞めようかと悩んで、兄弟子たちに支えられたり。
立川 人間て、何で嫉妬するんだ、どうすりゃ嫉妬しないんだと、コントロールできない感情について解決法まで師匠を筆頭にいろんな人が全て教えてくれる。ただ、嫉妬している自分が恥ずかしいなんて自意識はない。嫉妬する理由だけ分かって、あとは「業の肯定」。ここで納得しているから、根本はちっとも改まらない(笑)。まず、落語は人間を語る商売だと教わるんです。人間を語る商売をするやつが、人間に興味を持たなくてどうするんだと。お前はこのシナリオで何を言いたい、どこを演出したいんだと、語る対象を、縦、横、斜め、裏表、見るように教わる。今、自分で弟子を持つようになって感じるのは、相手の進歩に合わせて無理なことを教えなかったのが、立川談志という人の大きさであり、凄さだということ。理解できる状態になるまで、決して背伸びさせない、先を急がない。凄く我慢をして教えてくれていたわけですよ。俺が命懸けで惚れた落語にこんなガキが惚れて、落語家になろうとしているんだ、俺も育ててもらったから、俺も育ててやろうと。それは師匠自身の体験によるものだと思う。俺も生意気だけれど、師匠の十代の方がもっと生意気だったんじゃないの?(笑)

―― 最終章の柳家小さん師匠をめぐる人々の葛藤はスリリングです。
立川 よくできているでしょ、この本(笑)。そこには、芸という絶対的な共通の価値観があって、やっぱり素晴らしいんですよ。四十、五十の人間を、この人の弟子になってよかったなって思わせられる芸をね、六十、七十でできる世界は、あんまりないですよね。師匠選びも芸のうちって言いますが、その意味で言ったら僕はどんぴしゃです。十五、六で「この人」と思って、十七で入った結果がこの本まで書いて、賞までもらったんですから。

―― 一筋に芸に打ち込んできた談春さんのような生き方がある反面、新入社員の離職率が高くなり、「三年で辞める若者」と言われていますが、辞めるな、と言いたいですか。
立川 ない。全くない。だって、辞めても困らない状況があるんだし。たしかに今の若い子を見ていてどうしてこう、闘争心がないんだろうと思うけど、追い求める俺たちが正しくて、後へ続けとは言いづらい。俺たちが親の世代になって、その子供たちが勤め続けることがいやだって言うんでしょ。絶対に突然変異じゃないから何か自分達の世代にも原因がある。いろいろ連綿と続いて、どうにもならなくなった時に、きっと罰は当たるのよ。子供からお小遣いもらえなくて、コーヒーも飲みにいけないねってお年寄りに俺たちがなるんでしょ。「僕、二十二から二十五までは働いたんだけどな、もうあれっきり働かなかったよ、お父さん」と言われて、「うん、じゃあ、お父さんも、コーヒーは我慢する」って(笑)、そういうお年寄りになるんでしょうね。

―― 最後に、これからの執筆予定はいかがでしょうか。
立川 初めて文章を書いた、褒められた、うろたえた(笑)。そしてここまで来ると、褒められることに慣れてしまった。でも、次が怖い。ものを書くのは「偶然」が続く世界じゃない、そこを突き詰めてもまだ書きたいのかというと、答えは三ヵ月、半年では出せない。書いて、叱られて、ガクッとなるでしょう。そうなった時にどうするんだという話ですよね。僕、趣味はマイナス思考なんで(笑)。でも精一杯のお土産で言えば、意外と半年くらいで、もういっぺん褒められたいから書こうかな、なんてね、思うせこさは十二分にございます。


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立川談春さん

名人・立川談志をして「古典落語で言えば、どんな落語家よりもコイツがうまい」と言わしめた落語家・立川談春。今もっともチケットがとりづらい落語家のひとりでもある。談志に惚れ込み、飛び込んだ落語の世界。厳しい修行を乗り越え、正解のない芸の世界を生き抜いてきたオトコが読んできた本、そして座右の一冊とは――。
人生は博打の連続。そう考えれば、世界が変わる誰も見向きもしない。だからこそ落語にハマった

 落語との出会いは中学の図書室にあった落語全集。当時は一大ブームを巻き起こしていた漫才の話で盛り上がるクラスメイトを尻目に、落語に傾倒していった。
「他人が盛り上がっていると素直にそれに乗れない性格だったんですね。自分独りで盛り上がれるところがまた嬉しくて。寄席に入ったこともなければ、テープを聴くわけでもないのに、いっぱしの落語通気取り。当時の僕にとって、落語とは“読むもの”だったんです」
 幼い頃から本が好きで、学校で推薦図書を大量に注文し、親に呆れられたほどだったという。
「いくら何でも買いすぎだろうと(笑)。その頃から、浪費癖があったんでしょうね。とはいえ、本が欲しいと言えば、まず親は止めないという時代でしたから、『ホントにお前はバカな子だね』なんて言いながら全部買ってくれた記憶があります」
眠い目をこすりながら読んだ吉川英治。そして星新一。


 高校を中退し、17歳で立川流家元・立川談志に入門。親の反対を押し切り、新聞販売店で住み込みで働きながらの修行生活が始まった。
「入門したときに、うちの家元から『これ読んでおけ』と言われたのは吉川英治の『三国志』と『新・平家物語』。家元が談志になる前――小ゑん時代につくった地噺『源平盛衰記』の元ネタになっているのが『新・平家物語』だったんですね。『源平盛衰記』は古典落語の中に新しいギャグを入れ、トークに近いようなものをやって大評判になった出世作。だから、弟子である僕も読んでおくべきだというわけです。落語家になるぐらいだから、本は好きだったし、面白いけれど、とにかく長い!(笑)。星新一の『進化した猿たち』を読んだのも家元にすすめられたのがきっかけ。『これを読めば、ギャグをつくるのがどういうことなのかわかる』と言われてね」
人生の極意はすべてこの本から学んだ/『うらおもて人生録』


 21歳で二つ目に昇進。その頃、出会ったのが『うらおもて人生録』。著者は雀聖・阿佐田哲也の別名でも知られる、色川武大。本書では<勝ち星にこだわるより、適当な負け星を先にたぐり寄せるほうが大事>といった勝負の極意、人生を生き抜くための知恵が語られている。
「人生には、絶対にここだけは負けちゃいけないという局面もありますが、同じ黒星でも負け方次第では好感度アップにつながることもある。そういった人生における勝負の重みやセオリーを教えてくれたのがこの本です。『勝つために負けろ』というイヤらしい話ではなく、人間は不完全だからこそ、短所をどう相手に印象づけるかが重要なのだと。今でも常に意識している本だし、何年経って読み返しても勉強になります」
失敗の連続でも、いろいろやった。そう思って死にたい。

オトコなら、最低限持っておくべき矜持をつきつめろ。そう教えてくれたのも、『うらおもて人生録』だったと談春さんは語る。
「難しいことではあるけれど、それができると日々の行動が変わりますよ。目先のことに流されるのはラク。うろたえて悩むだけでも1日は終わる。でも、行動を起こさなければ、何も手に入らない。僕は悩み続けて何もしないまま人生を終えるより、『あれもダメだし、これもダメだったけれど、いろいろやれたから、まあいいか』と思いながら死にたい。全員に勧められる考えではないけれど、賛同してくれる方はぜひ、『うらおもて人生録』を読んでみてください」
文章が書けるのは、落語家として当然のこと

赤めだか
『赤めだか』
立川 談春
扶桑社

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アクの強さで知られる談志のもとで、その理不尽な要求に困惑しながらも、師匠に心底惚れ込み、悪戦苦闘した修行の日々。ユニークという一言では片づけられない、その破天荒な修行時代のエピソードを中心としたエッセイ集――初めての著書である『赤めだか』は今年、講談社エッセイ賞を受賞した。
「賞をいただいたこと自体は嬉しいし、光栄だけれど、『文章が上手い』と驚かれるのはどこか釈然としないんですよ。落語家は本を読んでおかなくてはいけない商売だし、文章がある程度のレベルにあるのは本来、当たり前のこと。じつは落語や講談は文学に大きな影響を与えているんです。例えば、子母澤寛は『私の雪の描写がうまいのは典山(明治時代の講釈師)の影響です』なんて言葉を残しているし、言文一致体の先駆けになった二葉亭四迷の『浮雲』だって、三遊亭圓朝の口演速記の影響で生まれたものなんですから」
ハッタリをかますなら、文学が狙い目


本を読むことは生活の幅を広げてくれる。しかし、何より大きなメリットは「頭が良さそうに見えること」だと談春さんは笑う。
「ファッションや音楽は、詳しい人が多いから知識量で勝負しようとしても分が悪い。ところが、文学の場合は数を読んでいる人が少ないのでハッタリをかましやすい。狙い目なんです。ウソでもいいから、『好きな作家は大江健三郎と村上春樹、京極夏彦、石原慎太郎……』いった具合に10人ぐらい有名作家の名前を挙げるんです。そうすると、たいていの相手は『本好きなんですか?』と尊敬のまなざしに変わりますよ。最初はハッタリでも構わない。その後で少しずつ本を読み、最終的に“本当に頭のいい人”になってしまえばいいんですから」
談春さんが今、もっとも注目している作家は福田和也。媒体によってまったく文体が違う。落語で言えば、「人情噺から芝居噺、怪談噺……とオールマイティに何でもできる名人のようなもの」だという。
「とくに今、面白いのは『昭和天皇』。とてもじゃないけれど、この1冊を書くためだけに勉強したぐらいでは、絶対に書けない本ですよ。昭和天皇の話なのに、右翼の親方のエピソードに、ポンと飛んだりする。また、そのエピソードがいい話でね。僕のような素人にも凄いって思わせるって、その道の専門家に『素晴らしい』と評価されること以上に凄いことですよ。それだけわかりやすいってことですから。福田さんは文芸での僕の師匠です。僕は師匠運だけはいいのが自慢です」
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