未来を殺し続ける兵器

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中日春秋 5/13

<♪戦争の親玉どもよ/銃を造る者たちよ/死の飛行機を造る者たちよ/強力な爆弾を造る者たちよ…>と、ギターをかき鳴らしながら、ボブ・ディランさんは歌った。「戦争の親玉」と名指しされたのは、ベトナム戦争などで潤っていた軍需産業のことだ。

<安心してこの世に/子供たちを産み落とせない恐怖を/未だ生まれず名もつけられていない/子供たちを脅かしている>(『ボブ・ディラン全詩集』中川五郎訳)

戦争が終わっても、その恐怖は次世代の子どもたちを脅し続ける。そんな兵器の一つが、一発の親爆弾から数百の子爆弾が拡散するクラスター爆弾だ。

ベトナム戦争時に米軍がクラスター爆弾を雨と降らせたラオスでは八千万発もが不発弾となり、二十一世紀になってからも子どもらの命を奪い続けた。「未来を殺し続ける兵器」である。

製造・使用を禁止する条約が七年前に発効し、欧州などでは製造企業への投融資を禁ずる動きも広がった。なのに、日本の公的年金を運用する組織は、この爆弾を製造する企業の株を大量に保有しているという。

老後の安心のための私たちの大切なお金を「戦争の親玉」に使わせていいのか。<おまえは人に銃を持たせて/…自分は安全な場所に引っ込んで見物しているだけ/その間にも死者の数はうなぎ登りに増えて行く…>というディランさんの歌が、痛烈に響く。

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◆翻訳した『全詩集』は歌を聞くためのテキスト

  
加えて小説家や詩人がノーベル文学賞を受賞すれば、まさにその作品である本が脚光を浴びるというのはよくわかる話だが、ボブ・ディランの場合、作品 はあくまでもその歌で、厳密には実際にコンサートで歌われる生の歌そのものなのではないかという気がぼくにはする。アルバムはその生の歌を録音し、記録し たものだから、それもまた作品だと言えそうだが、ぼくが翻訳した『全詩集』がいわゆる受賞作品のひとつと見做されるのには、かなり抵抗がある。
書影『ボブ・ディラン全詩集1962‐2001』
 『ボブ・ディラン全詩集1962‐2001』
ソフトバンク・クリエイティブ刊

ボブ・ディランが詩人ならば、その全詩集はまさに受賞作品ということになるだろう。しかしディランは歌手で作詞作曲家で、彼が書いているのはポエト リーの詩ではなく、リリックスと呼ばれる歌詞なのだ。これはジャンルやカテゴリーにこだわっているということではなく、ボブ・ディランの言葉はそれだけで は作品ではなく、メロディやリズム、さまざまな楽器の音、そして彼の歌声とひとつになって初めて作品になるということだ。その歌を聞かずして、ボブ・ディ ランの歌詞だけを読んで彼の世界を知ったように思うようなことはゆめゆめあってはならない。
翻訳を手がけたぼくとしては、『全詩集』は、きちんとした作品でもなければ詩集でもなく、彼の歌という作品を聞く時のひとつの手引き、テキストなの だと思っている。もちろん詩もそうだが、歌詞も聞き手や読み手によってさまざまな解釈ができる。そしてボブ・ディランの歌詞の場合、意味が明確だったり、 揺るぎのないメッセージが歌われていたりして、誰が聞いてもひとつの解釈しかできないものもあるが、気まぐれなイメージや心象風景、頭の中の世界など、曖 昧で複雑で人それぞれどんな受け取り方でもできるものもある。酩酊したり、幻覚体験をしている時に書かれた歌詞など、本人以外、もしかすると本人すら理解 できないと思えるものもある。
歌詞を翻訳する場合、いろんな解釈ができる作品であっても、本に収録できるのはたったひとつの解釈だけだ。そしてともすればそれが決定訳だ、それが 正しいものだとぼくが主張しているように読者に誤解されてしまうこともある。しかしぼくが『全詩集』に掲載したのは正解でも結論でもなく、あくまでもぼく 個人のひとつの解釈で、ぼくとしてはそれをひとつの叩き台にして、読む人それぞれが実際にその歌詞を歌っているディランの歌に耳を傾け、英語の原詞にもあ たって、自分なりに解釈してほしいと願っている。歌というディランの作品に触れるためのテキストなので、それゆえソフトバンク・クリエイティブから出版さ れた『全詩集』は、英語の原詞を収めた本と日本語に翻訳された歌詞を収めた本の2冊組となっている。
たとえばボブ・ディランが作った曲の中でも最も有名な曲のひとつ、1962年の「風に吹かれて/Blowin’ In the wind」のいちばん有名なリフレインのフレーズ、「The answer is blowin’ in the wind」は、直訳すれば「その答は風に吹かれている」で、ぼくもそう訳して本に収めたが、ディランの歌に耳を傾けると、答は風に吹かれているからいつに なっても見つけることができないとも解釈できるし、答は風に吹かれているからいつかは自分のもとに舞い降りて来るとも受け取れる。そんなふうに聞く人に よって、あるいは聞く時の気持ちによって、イメージがどんなふうにも広がって行く。それがボブ・ディランの歌の面白さであり、素晴らしさだとぼくは思って いる。そしてその体験は単に文字を追いかけることによってはできず、歌として聞いて初めて味わえるものなのだ。

◆アメリカの大衆音楽が達成した最高峰のひとつ

  
ボブ・ディランは1941年5月24日にミネソタ州のダルースという町に生まれ、10代の頃から フォーク・ソングやブルース、ロックン・ロールなどの影響を受けて音楽の道に進み、アメリカ・フォーク・ソングの父と呼ばれるウディ・ガスリーに一目会い たいと、はたちになる直前にニューヨークに出てきて、その頃芽吹き始めたニューヨークのグリニッチ・ヴィレッジを中心とするフォーク・シーンの中で歌い始 めた。フォークやブルースを下敷きにして作ったオリジナル曲の数々で彼は注目を集め、たちまちのうちに時代の寵児となった。
1960年代前半のディランの歌はベトナム戦争や人種差別に反対する直截的なメッセージ・ソングが多かったが、やがて自分の内面や複雑な人間関係の綾を歌うようになり、60年代中頃にはロック・バンドを率いて活動し、その歌詞は難解でシュールなものとなっていった。
その後70年代後半には信仰の道に深く入り込み、聖書を熱心に読んで、ゴスペルと呼ばれる宗教的な歌ばかり歌うようになったこともあったが、歌い始 めてから半世紀、フォークやブルースなどアメリカの民衆音楽に範を取りながらも、幾重にも解釈できるディランにしか書けない深く鋭く重い歌詞を書き続け、 ディランにしか歌えない唯一無二の歌を歌い続けている。
仮にボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞するようなことがあれば、それは彼一人の名誉や功績ではなく、大衆芸能、エンターテインメント、娯楽、商 業音楽と芸術や文学のひとつ下に置かれて低く見られることが多かったアメリカのポップ・ソングがその真価を認められたことにもなるのだとぼくは思う。
もっともこんな尊大な賞を受賞しなくても、ボブ・ディランの音楽がアメリカの大衆音楽が到達した最高峰のひとつであるということは、彼の音楽をずっ と聞き続けてきた人にはわかりすぎるほどわかっていることだろう。しかし受賞がきっかけとなって、それまで彼の音楽に興味を抱かなかった人たちが、その存 在すら知らなかった人たちが耳を傾けるようになるのだとしたら、それはとても素晴らしいことだとぼくは素直に思う。そしてぼくが翻訳した『全詩集』が、今 はどこの書店でも見かけることができないが、増刷されたり、あるいはもっと手頃な価格となり、「ノーベル文学賞受賞」のオビを付けられて多くの書店の店頭 に並ぶとすれば、こんなに嬉しいことはない。もっともこの本は作品ではなく、あくまでも歌を聞くための手引きでありテキストだと最後にもう一度念を押して おくが。


中川五郎 (なかがわ ごろう)
1949年大阪生まれ。フォークシンガー、訳詩家、翻訳家、作家。
訳書に『ボブ・ディラン全詩集1962‐2001』ソフトバンク・クリエイティブ(品切)、ほか著書、翻訳書多数。
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