木登り名人

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徒然草

高名の木登りといひしをのこ、人をおきてて、高き木に登(のぼ)せて梢を切らせしに、いと危ふく見えしほどは言ふ事もなくて、おるるときに軒長(のきたけ)ばかりになりて、「あやまちすな。心しておりよ」と言葉をかけ侍りしを、「かばかりになりては、飛びおるるともおりなん。如何(いか)にかく言ふぞ」と申し侍りしかば、「その事に候。目くるめき、枝危ふきほどは、おのれが恐れ侍れば申さず。あやまちは、やすき所になりて、必ず仕る事に候」といふ。

あやしき下臈なれども、聖人の戒めにかなへり。鞠も、難き所を蹴出して後、安く思へば、必ず落つと侍るやらん。


口語訳
名高い木登りという男が、人に指導して、高い木に登らせて梢を切らせる時、たいそう危なく見えるうちは何も言わず、木を下りる時軒の高さほどになって、「しくじるな。心しておりろ」と言葉をかけましたのを、「これくらいになれば、飛びおりても無事におりられよう。どうしてそのように言うのか」と申しました所、「その事でございます。目がくらくらするほど高く、枝が危ないうちは、自分自身の恐怖心がございますので、何も申しません。失敗は、安全な所になって、必ず起こる事でございます」と言う。

身分の低い下賤な者の言う事ではあるが、聖人の戒めにかなっている。蹴鞠も、難しい所をうまく蹴り上げた後、余裕だと思ったら、必ず落ちるものだとか申すそうでございます。

語句
■高名 名高い。 ■おきてて 「掟て」。指図して。 ■軒長 軒の高さ。 ■目くるめく 目がくるくる回ること。くらくらすること。 ■下臈 身分の低い者。 ■聖人の戒め 「君子は、安けれど危きを忘れず、存すれども亡びんことを忘れず、治まれども乱れんことを忘れず、ここを以て身安くして国家保つべきなり」(易経・繋辞)のことを指すか。 ■鞠 蹴鞠。

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小社会 5/10

 近所に毎年、見事に花を咲かせる桜の街路樹がある。葉桜となった後に剪定(せんてい)が行われた。枝ぶりが整いすっきりした木を見上げながら、思い出したのは「徒然草」の一段。

 木登りの名人がある時、人に指図して樹木のこずえを切らせた。ひどく高い場所で危険に思われた際にも名人は黙っている。ところが下りてくる途中、もう大丈夫という高さまできて初めて「心して下りよ」と声を掛けた。

 目がくらむ高所では本人が用心するので何も言う必要はない。過失は安心し気が緩んだ時にこそ起きやすいというわけだ。いつの時代の、どんな仕事にも通じる戒めではないか。

 難所を越えて気を抜くどころか、木のてっぺんから飛び降りるような荒っぽさである。安倍首相が「憲法9条に自衛隊の存在を明記し、2020年を新憲法施行の年としたい」と表明した。いかに唐突だったかは、自民党内から当惑の声が上がったことからも分かる。

 もとより首相には憲法の擁護義務がある。立法府の改憲論議を尻目に、行政府の長が横やりを入れるやり方にも違和感がぬぐえない。首相は党総裁としての提案、とも言うが都合のいい使い分けがどこまで通用するだろう。

 改憲論議は木登りに例えると、まだ木に取りついたところ。多くの国民は「心して議論を積み重ねよ」との思いだろう。拙速に進めて過失を招けば取り返しがつかない。慎重の上にも慎重を期して。
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