古刹

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鳴潮 4/23

 いろはにほへとちりぬるを(色は匂(にほ)へど散りぬるを)。いろは歌は、空海の作と伝わる。幼少時を過ごしたとされる石井町の童学寺でしたためた。

 徳島県人としては、この説を推したいところだ。ただ、そうしようにもかなり旗色が悪い。「金光明最勝王経音義」なる書物に見え、平安時代にできたのは間違いないが、作者は空海ではないというのが定説になっている。

 では、童学寺。まるで関係ないか、と言えばそうとも言えない。「日本古典文学大辞典」(岩波書店)には、いろは歌を作ったのは、おそらく僧侶だろうとある。さては時の寺僧か、と想像するぐらいは許していただこう。

 伝承も場所を選ぶ。いずれにせよ、空海の学問所と主張して見合うだけの歴史が童学寺にはある。創建は飛鳥時代にさかのぼるとも。それが先日、火災に見舞われた。戦国武将・長宗我部元親の阿波侵攻以来の火難である。

 国指定重要文化財の木造薬師如来坐像(ざぞう)は、本堂に火の手が回る前、住職が運び出して焼失を免れた。これまでは年に一度、檀家(だんか)だけが拝むことのできた秘仏だったそうだ。寺院再建のスタートとして、きょう一般公開する。

 いろは歌と同じく、平安時代から大切にされてきた仏像である。どれだけ多くの人が手を合わせてきたことか。その列に加わり、古刹(こさつ)のこれからを祈ろうと思う。
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