真央ちゃん

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大弦小弦 4/12


 お疲れさまでした-。銀盤の女王の決断に、誰もが思わず口にしたのではないだろうか。フィギュアスケートの浅田真央さん(26)が競技生活に終止符を打つことを自身のブログで表明した。

 女子選手で初めてトリプルアクセルに成功した伊藤みどりさんに憧れ、幼いころから高みを目指し続けた。愛らしい笑顔と高い技術、演技力は多くのファンを魅了してきた。それだけに引退を惜しむ声も多い。

 「努力の人」だという。練習量も人一倍。自身に厳しく、黙々と練習に励みチャレンジする姿は、他の選手にも影響を与えた。練習をこなすことで自信を支えに試合に臨んだ。

 最愛の母親との別れもあった。氷上で涙を流したソチ冬季五輪フリーの演技は印象深い。その後休養期間を経て、昨季復帰したが、往年の力を取り戻せないまま、今回の引退となった。

 こだわってきた「強み」のジャンプに長年挑戦してこれたのは、達成感だけでなく挫折や葛藤を重ねてきたからこそだろう。悲しみを抱えながらも難技に挑む姿は見るものの心をとらえ、フィギュア界の魅力も広めてくれた。

 「フィギュア人生に悔いはない」。選手を続ける自信と気力を失ったとしながらも、こう言い切れるのはまさに「努力」のゆえんだろう。リンクを下りても、新たな夢に向けた努力をみせてくれるはずだ。

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有明抄 4/12

 ♪何度でも何度でも-。浅田真央選手がスケート靴の紐(ひも)を結びながら、人気グループ「ドリームズ・カム・トゥルー」の曲を口ずさむ。あるテレビコマーシャルが、今も心に焼き付いている。悲願の金メダルへ、ソチ五輪の前に流れていた。

少女時代の映像に重ねながら「何万回、跳んだかわからない」「最後に、最高のジャンプを、この冬に」とテロップ。この冬が現役最後のシーズンになる、そういう予感が確かにあった。銀盤の主役は、間違いなく彼女だった。

ソチ五輪は、こだわり続けたトリプルアクセルで転倒。絶望的な状況を立て直し、翌日のフリーは最高の演技を見せた。滑り終えた瞬間の涙はやりきった充実感と、及ばなかった無念さだったか。そして、世界選手権の金メダル。これで終幕と思われたが、彼女は現役続行を選んだ。

かつてのライバル金妍児(キムヨナ)選手も退いていたし、無理な選択だったのかもしれない。低迷が続き、時に痛々しくも見えた。が、「その時に選手生活を終えていたら、今も選手として復帰することを望んでいたかもしれません」。

ドリカムの「何度でも」の歌詞は<悔しくて苦しくて がんばってもどうしようもない時も きみを思い出すよ>と続く。何度でも立ち上がる姿に、私たちは声援を送り、そして勇気づけられた。真央ちゃん、ありがとう。

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春秋 4/12

 「ギフト」には「贈り物」だけでなく、「才能」という意味もある。天からの贈り物だから。手元の辞書には、こちらも「才能」と訳される「タレント」と比べ、ギフトは天賦の意味が強く、努力して得られるものではない、と。

天にたっぷり愛された上に、極限の努力を重ねた人だけが世界の頂点に手が届くのだろう。そして、長い間、その高みに立ち続けることの厳しさ、つらさはどれほどか。きのうの本紙運動面を開いて改めて思った。

中央見開きの右側には体操の全日本選手権で個人総合10連覇を果たした長崎県諫早市出身の内村航平選手(28)。左側は引退を表明したフィギュアスケート女子の浅田真央選手(26)

白井健三選手ら若手の台頭著しい体操界。同選手権では、リードされた内村選手が最終種目の鉄棒で逆転した。2位との差はわずか0・050点。王者の意地と底力を見せつけた。年齢の限界に挑む内村選手の活躍は、九州人にとっても誇らしい。

代名詞の3回転半ジャンプ「トリプルアクセル」で、女子フィギュアをけん引した浅田選手。2010年バンクーバー五輪でライバル金妍児(キムヨナ)選手(韓国)との対決は記憶に残る。14年のソチ五輪ではまさかの6位。来年の平昌五輪での復活を待っていたファンも多いだろう。

頑張れ。お疲れさま。贈る言葉は違っても、2人が与えてくれた感動は、私たちにとってもかけがえのないギフトだ。


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鳴潮 4/12


 当然と言えば、当然だろう。関西地区は、お笑いなどバラエティーの高視聴率番組が多い。ところが、名古屋地区は、フィギュアスケートだという。ビデオリサーチがまとめた2015年の「テレビ調査白書」で地域ごとの人気番組の違いが鮮明となった。
 
 それはそうだ、と膝を打った人もおられよう。名古屋といえば、浅田真央選手の出身地。休養を経て復帰した、その姿を応援する視聴者が多かったに違いない。
 
 小学校5年で全種類の3回転が、6年でトリプルアクセル(3回転半)が跳べるようになった。ジャンプの天才である。
 
 名古屋の枠を超え、全国的に脚光を浴びたのは、15歳で初出場した05年のグランプリファイナル優勝からだった。以来、共に悔し涙を浮かべ、共にうれし涙を流す、そんなファンが増えていく。
 
 筆者がその一人となったのは14年2月のソチ五輪。ショートプログラムで16位と大きく出遅れながらも、フリーで圧巻の演技を見せた。限界を超える、超えた表情が感動を呼んだ。メダルに届かなかったが、見守っていた観衆も視聴者も、メダリストへと変わらない、惜しみない拍手を送っていた。
 
 おととい夜、国民的ヒロインが「フィギュアスケート選手として終える決断」をした。これまでの足跡、これからの人生に贈られるのは、たくさんの見えない花束である。

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滴一滴 4/12

 開催国の選手ということを割り引いても、声援と演技後にリンクへ投げ入れられる花束の多さが圧倒的だった。ジャンプの迫力が群を抜いていた記憶がある。2008年、東京都内のフィギュアスケートの国際大会で浅田真央選手の滑りを見た。

声援の大半は「浅田選手」ではなく「真央ちゃん」。ちゃん付けがこれほど似合う人もいない。天真らんまんな少女がひたむきに努力して才能を発揮する。その成長を多くのファンが娘や孫、妹のように見守ってきた。

3回転半ジャンプを跳び、15歳で国際大会に初優勝。以来、世界の第一線で戦ってきた。おととい、ブログで現役引退を表明した。

10年のバンクーバー五輪は金〓児(キムヨナ)選手に敗れて銀メダルに終わった。雪辱を期した4年後のソチではショートプログラムでよもやの失敗。翌日のフリーで自己最高得点の圧巻の滑りを見せた。メダルには届かなかったが「バンクーバーのリベンジはできた」と語った。

理想の演技の反動もあったのだろう。ソチ後、引退か現役続行かで揺れた。休養して戻った現役生活では、かつての強さが戻らなかった。ブログには「自分の望む演技や結果を出せずに悩むことが多くなりました」と心境をつづる。

きょうは引退会見がある。まだ26歳。人生の新たな目標を見つけてほしい。門出に語る言葉を見守りたい。

〓は女ヘンに研の旧字体のツクリ

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時鐘 4/12

 引退(いんたい)を表明(ひょうめい)した浅(あさ)田(だ)真央選手(まおせんしゅ)の人気(にんき)について、ぼんやり考(かんが)えた。五輪(ごりん)の頂点(ちょうてん)に立(た)ってはいない。銀(ぎん)メダリストは、ほかにも大勢(おおぜい)いるのに、大変(たいへん)な騒(さわ)ぎである。

記録(きろく)よりも記憶(きおく)に残(のこ)る。真央ちゃんもあの長嶋茂雄(ながしましげお)さんの仲(なか)間(ま)か。メダルの色(いろ)や記録とは別(べつ)の「人気」という物差(ものさ)しが、確(たし)かにある。生(う)み出(だ)すのは笑(え)顔(がお)か涙(なみだ)か、理屈(りくつ)では解(と)き明(あ)かせぬ何(なに)かなのか。

「あの子(こ)は大事(だいじ)なときには必(かなら)ず転(ころ)ぶ」。そう口(くち)にしたスポーツ界(かい)の大物(おおもの)の放言(ほうげん)が、まだ記憶に残る。列島(れっとう)を敵(てき)に回(まわ)し、「孫(まご)からも怒(おこ)られている」という弁(べん)明(めい)で幕(まく)。愛(あい)する身内(みうち)をかばうような大合唱(だいがっしょう)が起(お)きて、真央ちゃん人気をあらためて見せつけた。

国内(こくない)10連覇(れんぱ)を遂(と)げた体操(たいそう)の内村航平(うちむらこうへい)選手の談話(だんわ)が載(の)っていた。「地獄(じごく)ですよね。また勝(か)ってしまった」。絶(ぜつ)大(だい)な人気は、今(いま)どきの若者(わかもの)にも肩(かた)にめり込(こ)む重荷(おもに)を強(し)いる。浅田選手も同様(どうよう)だったに違(ちが)いない。

26歳(さい)。窮屈(きゅうくつ)な「真央ちゃん」の衣(い)装(しょう)から、ようやく「真央さん」になる。どんな言葉(ことば)でねぎらおう。頼(たの)まれもしないのに、そんな心配(しんぱい)までしたくなる。不思議(ふしぎ)な人気を放(はな)つ不思議なお嬢(じょう)さんである。

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正平調 4/12


わが子を浅田真央さんのような選手にしたい。フィギュアスケーターの鈴木明子さんがよく受ける相談という。「週に何回ほど練習させたら…?」。

愛くるしい笑顔からは想像もできない、血を吐くような努力を知るからだろう。鈴木さんは決まって答えた。「申し訳ありませんが、真央さんにはなれません」。週何回、くらいでは足元にもたどり着けないと。

15歳でグランプリファイナル優勝。バンクーバー五輪の銀。ソチ五輪で見せた圧巻のフリー演技…。テレビの前でのもらい泣きは数知れない。幾多の感動の記憶をリンクに刻み、真央さんが現役引退を表明した。

選手として続ける気力がなくなった。それが理由という。しばらく拠点のリンクに現れなかったそうだ。心を決めていたかもしれないし、悩んだ末の結論かもしれない。

天才少女と呼ばれ、純粋にオリンピック出場という夢を追いかけていた日は遠くなった。思いがけないせりふをスポーツ誌で読んで、切なくなったことがある。「本当はもっとゆっくり大人になりたいんだよ」。

かつて本紙但馬版に載った一首。〈一本の道貫き通して浅田真央のトリプルアクセル輝きてをり〉西緑。競技人生を貫いた、あの3回転半ジャンプの残像がまぶたに焼き付いて離れない。

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大自在 4/12

 フィギュアスケートのジャンプの中でも最も難易度が高いといわれるアクセル。19世紀末に考案したノルウェー選手の名前を冠したこの技は前向き滑走から踏み切って跳び、後ろ向きで着氷する。空中で1回転半がシングル。3回転半のトリプルまでこなす選手は限られる。

 女子選手で初めてトリプルアクセルを成功させた伊藤みどりさんに憧れ、その大技を体得して世界で戦ってきた浅田真央選手(26)がおととい、自身のブログで引退を発表した。これまで現役続行の意向を示していただけに「電撃」と報じたメディアもあった。

 しかし、昨年12月の全日本選手権の時点で、現役生活の終着点と定めた平昌[ピョンチャン]冬季五輪は消え去っていたようだ。左膝を痛めた今季、ジャンプがうまく跳べずに苦しんだ。「もうやるしかない」とトリプルアクセルなしで臨んだが、自己最低の12位に沈んだ。

 トリプルアクセルは浅田選手の代名詞であり常に「特別なもの」だった。2010年バンクーバー五輪ではフリー演技で2度決めて銀メダル。14年ソチ五輪はフリー冒頭で跳び、完璧に回りきった。ショートプログラム16位からの10人抜きは国民に大きな感動を与えた。

 「真央は周りの評価がどうのこうのじゃないの。自分の滑りに心から満足できるかどうか。それは、いつまでも変わらない」。11年に死去した母、匡子さんはそう娘を評していた。

 復活は果たせなかったけれど、数々の名勝負はファンの目に焼き付いている。悩みながらも大技にこだわり抜いた末、リンクを去る決断もまた浅田選手らしい。

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斜面 4/12

宇多田ヒカルさんのヒット曲「花束を君に」は、亡き母藤圭子さんへの思いが詰まっている。2011年から音楽活動を休止、その間に母の死、再婚、長男の出産を経験した。昨年、この曲を収めたアルバムを発表して活動を再開した。

〈一人で歩いたつもりの道でも/始まりはあなただった〉。「道」という曲の一節だ。失って初めて自分を支えてくれた大切な存在だったと知る。いとおしさや感謝は次のステージへの力になるのだろう。浅田真央さんも6年前、母匡子(きょうこ)さんを亡くした。

容態急変の知らせを受け遠征先のカナダから帰国したが間に合わなかった。2週間後、全日本選手権に出場して優勝した。「母は一番近くにいるような気がした」。記者会見でそう答え、目を潤ませた。5歳でスケートを始めた娘を匡子さんはいつもリンクサイドから支えていた。

2014年のソチ五輪。ショートプログラムの失敗から立ち直り、フリーを完璧な演技で終えた。ラフマニノフのピアノ協奏曲に乗った情感あふれる舞いは圧巻だった。直後の世界選手権で優勝している。匡子さんとの約束は十分果たしたのではないか。

10日、練習拠点のスケートセンターを訪れ、佐藤信夫コーチに「終わりにしたい」と切り出したという。昨年末の全日本は12位。トリプルアクセルを跳び続けた膝は悲鳴を上げ、気力もなくしていた。この10年、たくさんの夢をもらった。感謝の花束を贈りたい。真央ちゃん、お疲れさま。


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風土計 4/12

 旅先で見掛けた少年野球チームはそろいのTシャツ。その背中に記された言葉がしゃれている。「努力は必ず報われるとは限らない。しかし努力せずに成功することはない」という趣旨だった。

原典はベートーベンの言と伝わる人生訓らしい。努力を惜しんでいるくせに望んでばかりの人生を省みる。たとえ報われなくても、精いっぱいの努力がもたらす達成感はあるだろう。行いを棚に上げ、そんなふうにも考えた。

浅田真央という存在には努力の二文字がよく似合う。報われた瞬間も、そうでない時も、全てひっくるめて「悔いはありません」としたのは、だてではあるまい。それを裏付けるような出来事がソチ五輪のシーズンにあった。

一方の主役は森喜朗・元首相だ。浅田さんが前半ショートプログラムで16位と出遅れたのを受け「大事なときに必ず転ぶ」と発言。批判の嵐に、さすがの重鎮も「娘からも孫からも怒られている」と首をすくめたあの一件だ。

後半フリーを完璧にこなして6位まで順位を上げた後、浅田さんは会見で「森さんは少し後悔しているのでは」と言ってのけた。自分の努力を疑わないからこその強さに違いない。

そのシーズン後、1年の休養を経て復帰後の「報われない」結末にも納得はあるだろう。決して華やかな引退劇とは言えまいが、それも浅田さんらしい。

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河北春秋 4/12

 首に重荷を掛けられた人が手を広げてすっくと立っているように見える。「央」という漢字。国語辞典を引くと、何とも含みが多い。真ん中はもちろん、「尽きる」とか「やむ」「終わる」の意味を持つ。

それだけではない。『大字源』によれば、字形の首かせは外すに外せないことから「久しい」「遠い」「願い求める」の意も。広場の中心に躍り出た人の歩んだ山坂と費やした歳月が思い浮かぶ。

フィギュアスケート女子の2010年バンクーバー冬季五輪銀メダリスト、浅田真央選手(26)=中京大=が自身のブログで電撃引退を発表した。6位だった14年ソチ五輪のシーズン後に休養。1年後の昨季復帰したものの、往年の輝きを取り戻せず18年平昌五輪への出場はかなわなかった。

この人にとって首かせはきっと、届かぬ金メダルだったかもしれない。国民も期待という重圧をかけてしまわなかったか。とはいえ、浅田選手は東日本大震災後たびたび被災地を訪れ、「逆に元気をもらえた」と新たな刺激によって復活を目指していたのだが…。

長きにわたり世界を相手に戦い続け、日本中に何度も紙吹雪を舞わせた「銀盤のヒロイン」。東北は今、桜前線が北上している。昨日の雨のせいだけではあるまい。花が散り、つぼみも身を固くしている。


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卓上四季 4/12

「住する所なきを、まず花と知るべし」。室町時代の能役者、世阿弥の「風姿花伝」にある一節だ。同じ場所に立ち止まらず、変化し続けることが芸の本質という意味である。

氷上を舞うフィギュアスケート選手も、常に審査員や観客の厳しい目にさらされる。技を磨かなければ感動させられない。現役引退を決めた浅田真央さんは、まさに銀盤の花だった。才能に加え、努力という養分を自らに惜しみなく与えた。

得意のトリプルアクセル。19世紀、その原形を跳んだノルウェーのアクセル・パウルゼンの名を取った技だ。六つあるジャンプで唯一、前に向かって跳ばなければならない。選手はフェンスに突っ込むような恐怖を味わうそうだ。真央さんはそんな大技に挑戦し続けた。

バンクーバー五輪で銀メダルを取ったものの、必ずしも勝ち運に恵まれたとは言えない。グランプリファイナルを初めて制した15歳のとき、年齢制限で五輪に出場できなかった。

支えてくれた母親の若すぎる死、繰り返す腰痛…。人前では持ち前の笑顔を忘れなかったが、胸中は果たしてどうだったか。

世阿弥の言葉に「衆人愛敬(あいぎょう)」がある。どんなに上手でも大衆に愛されなければ意味がない。真央さんの演技がどれほど多くの人を励まし、フィギュアの魅力を広げたことだろう。まいた種はこれからも育つ。活躍の場が変わっても、大輪の花を咲かせ続けてほしい。

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大弦小弦 4/12

 お疲れさまでした-。銀盤の女王の決断に、誰もが思わず口にしたのではないだろうか。フィギュアスケートの浅田真央さん(26)が競技生活に終止符を打つことを自身のブログで表明した。

 女子選手で初めてトリプルアクセルに成功した伊藤みどりさんに憧れ、幼いころから高みを目指し続けた。愛らしい笑顔と高い技術、演技力は多くのファンを魅了してきた。それだけに引退を惜しむ声も多い。

 「努力の人」だという。練習量も人一倍。自身に厳しく、黙々と練習に励みチャレンジする姿は、他の選手にも影響を与えた。練習をこなすことで自信を支えに試合に臨んだ。

 最愛の母親との別れもあった。氷上で涙を流したソチ冬季五輪フリーの演技は印象深い。その後休養期間を経て、昨季復帰したが、往年の力を取り戻せないまま、今回の引退となった。

 こだわってきた「強み」のジャンプに長年挑戦してこれたのは、達成感だけでなく挫折や葛藤を重ねてきたからこそだろう。悲しみを抱えながらも難技に挑む姿は見るものの心をとらえ、フィギュア界の魅力も広めてくれた。

 「フィギュア人生に悔いはない」。選手を続ける自信と気力を失ったとしながらも、こう言い切れるのはまさに「努力」のゆえんだろう。リンクを下りても、新たな夢に向けた努力をみせてくれるはずだ。
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