ののはな

東京書籍 3年

 ののはな   谷川俊太郎

  はなののののはな
  はなのななあに
  なずななのはな
  なもないのばな


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  文字列を目にして気づくのは同じひらがな文字が並んでいることです。
意味内容はともかく、同音の連続から感じられることばの響きやリズムのお
もしろさがあります。
「な」が12個、「の」が7個、「は」が4個、ほかは1個です。子音を調
べると、「n」が20個、「h」が4個、ほかは1個です。母音を調べる
と、「a」が18個、「o」が7個、「i」が2個、「u」が11個、「e」が
0個です。子音は「n」、母音「a」に偏っていることが分かります。
「na.no」で全体の62%、「na.no.ha」で全体の76%を占めています。
  「ののはな」を漢字かなまじり文にすると、「花野の/野の花/花の名/
なあに。なずな/菜の花/名もない/野花」となります。リズムは「444
3、3443」の繰り返し構成になっています。
  「の」の音の連続した繰り返し、「はな」の繰り返し、こうした繰り返
しが声に出して読む人に心地よさを与え、春のうららかな花畑のイメージと
重なり、晴れ晴れとした、さわやかな、すがすがしい気持ちで読むことがで
きます。
  音声表現は楽しくやりましょう。
  同じ音が連続しています。前後の音が重ならないように歯切れよく、一
つ一つの音を切って発音しましょう。この詩の特徴である、こうした歯切れ
よい発音で楽しむようにしましょう。
  二人のかけあい読みも、おもしろいです。どこで区切って分担するかは
いろいろ考えられます。
(例1)
 A  はなののののはな、はなのななあに?
 B  なずななのはな、なもないのばな。
(例2)
 A  はなのの
 B  ののはな
 A  はなのな
 B  なあに?
 A  なずな
 B  なのはな
 A  なもない
 B  のばな

 (例1)は、応答文ですから、スタンダードな問い・答えの掛け合い読み
です。音声表現はこれだけではありません。ことばで遊ぶ、音声で遊ぶ、の
詩ですから、ほかにもいろいろ考えられます。全体を早口にしたり、一部分
をのばしたり、ゆっくりにしたり、いろいろと工夫して、同じ音の組み合わ
せを音声表現で楽しみましょう。



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日本語は膠着語だから語と語の切れ目がはっきりしない。そういうことを自覚させるための教材なのだろう。その授業は、こどもたちに「はなの」という語彙がないのが大きな障害となっていた。小学校三年生の語彙として、それはかなり高尚であるし、ふつうの大人でももたない語彙である。

この詩は、ナズナやナノハナが歌われているから、春の野のである。それでは「はなの」を春の花の咲いている野ということで、「花野」としていいかというと、これが大きな問題である。歳時記を持ち出すまでもなく、「花野」はふつう秋の野をさすからである。源氏物語の賢木の巻で、源氏が、秋の終わりに、嵯峨野の野の宮へ六条御息所を訪ねる場面がある。伊勢の斎宮として下向する娘が野宮に籠もって潔斎(みそぎ)をしていた。御息所は、それに付き添っていたのである。

【賢木】

遥けき野辺を分け入りたまふより、いとものあはれなり。秋の花、みな衰へつつ、浅茅が原も枯れ枯れなる虫の音に、松風、すごく吹きあはせて、そのこととも聞き分かれぬほどに、物の音ども絶え絶え聞こえたる、いと艶なり。

【達王訳】

広々とした野辺に分け入りなさると、いかにも物寂しい感じがする。秋の花は、みなしおれかかっていて、浅茅が原も枯れがれとなり、鳴き嗄らしている虫の音に、松風がさびしく音を添えて、いずれの琴とも聞き分けられないくらいに、どこからか楽の音も絶え絶えに聞こえてくる、まことに趣がある。

さまざまな色の花、すだく虫の音、月の光というのが、日本文学における「花野」である。したがって、「花野」はやはり秋のものとして扱うのを正統とする。

  秋の野にみだれて咲ける花の色の
  ちぐさに物を思ふころかな    (紀 貫之)

俳句でも、「花野」は秋の季語として扱う。

  岐れても岐れても花野みち    (富安風生)
  たそがるる花野に月と星二つ   (原 石鼎)
  暮るる日を淋しと見たる花野かな (勝峯普風)
  どの窓をあけても見ゆる花野かな (橋 閒石)

こうした表現に見られるように、花野とは秋色の野の圧倒的な千草の花の広がりをいうのである。それは季節の終焉を前にしての最後の輝きであるから、寂寥感が伴っている。それが日本語の伝統を踏まえた「花野」であるとしたら、教材としてふさわしいかどうか疑問である。ただ、時として優れた詩人は、そうした正統と対峙して新たな世界を構築することがある。

  なにとなく君に待たるるここちして
  出でし花野の夕月夜かな    (与謝野晶子)

この花野は春である。そこにはいそいそとした恋の予感と恋にあこがれる心情が吐露されている。もちろん、春の野にも秋の野のように花はさいている。空には半月が浮かんでいて朧となって春の野をてらしている。これは文学であって、高校生でなければ扱えない。

要するに、「ののはな」は教材としてよくないということだ。その最大の欠陥は、春の野は「花野」ではないということである。そうしてこどもたちにとって絵にしにくい状況であることだ。それは谷川俊太郎さんの咎ではない。かれは、この詩を「ことばあそび」としているはずだ。ことばのひびき日本語のおもしろさを感ずればいいが、そのためには、「花野」「なずな」という語彙は必要だということである。
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