くまさん

三省堂 2年

            くまさん
                 まど・みちお

         はるが きて
         めが さめて
         くまさん ぼんやり かんがえた
         さいているのは たんぽぽだが
         ええと ぼくは だれだっけ

         だれだっけ

         はるが きて
         めが さめて
         くまさん ぼんやり かわに きた
         みずに うつった いいかお みて
         そうだ ぼくは くまだった
         よかったな



        作者(まど・みちお)について


  本名・石田道雄。1909年、山口県徳山町に生まれる。台北工業学校卒。
台北工業学校在学中に詩や短文を書き始め、友人と同人誌を作る。
  戦前台湾で総督府に勤めながら「コドモノクニ」「綴方倶楽部」などに
投稿。児童誌「コドモノクニ」に投稿した詩が北原白秋選で特選になり、童
謡を創りはじめる。北原白秋に詩、童謡を学ぶ。戦後帰国して、婦人画報社
に入社、子どもの雑誌「チャイルドブック」の編集に携わる。この頃より幼
児雑誌、ラジオなどで童謡を発表するようになる。
  「一年生になったら」「ぞうさん」「ふしぎなポケット」「やぎさんゆ
うびん」などの童謡がある。野間児童文芸賞、芸術選奨文部大臣賞、路傍の
石文学賞特別賞、日本児童文学者協会賞、巌谷小波文芸賞、国際アンデルセ
ン賞、朝日賞など受賞。
  ペンネームについて、あるところで次のように語っている。
「本名は石田道雄ですが、若いときにペンネームのつもりでつけたんです
ね。つけた途端にいやになりまして……(笑い)。ところが恩師の北原白秋
先生が「いい名前じゃないか」とおっしゃったので、それじゃ、このままで
いいだろうと、それからずっと使っているわけです。「まど」というのは、
家でも何でも、外に通じる窓がなかったらどうにもなりませんね。窓を通じ
て外の景色を見たりします。そんな感じでつけたんです。」と。


             教材分析


  この詩には、難しい語句はありません。一読してすぐ理解できる詩内容
です。
  でも、この詩をより深く理解するには、次のような語句をみんなで話し
合って、くまさんが今ある状況を十分に周知しておく必要があります。
○「はるがきて、めがさめた」とは、どんな状況のことか。
○なぜ「ぼくはだれだっけ」と自分の名前まで忘れてしまっているのか。
○第二連に「だれだっけ」と繰り返して二回目を書いている。なぜ?
○なぜ自分の顔を「いいかお」と言っているのか。
○なぜ「よかったな」と言っているのか。

  詩内容からして「はるがきて、めがさめた」とは、今の今、目覚めた
ばかりであることが分ります。下記参考資料「大辞林」に書いてある「目覚
めても意識や感覚が戻らず、ぼんやりしている。」状態にあります。「まだ
すっかりと目が覚めてない」状態にあることが分かります。長い冬眠から
目覚めたばかりで、自分がだれだか分からない、意識朦朧の状態です。

  「さいているのはたんぽぽだが」とあります。くまさんには外の景色は
確かに見えていますし、事物名もまちがいなく言えています。しかし、自分
が誰だか分っていません。自分の名前を忘れてしまっています。「だれだっ
け」を2回も繰り返しています。これは、ねぼけの深さがかなりの重症であ
ることを証明しています。
  くまさんがすっかり目覚めてなくて、自分が誰だか分っていないこと、
これらに読者は、こっけいさ、かわいらしさ、ほほえましさ、くまさんへ親
しみまでも感じてしまいます。また、対象物は目に見えて意識するのです
が、自分自身は目に見えませんので、意識からはずれて沈殿してしまってい
て、自分が誰だか、とっさには言えなかった・出てこなかったのでしょう。

  第一連はいま目覚めたばっかりで、まだ完全に目覚めてはおらず、半分
睡眠中、半分目覚め中で、意識朦朧の真っ只中にあると言えます。第二連
も、意識朦朧の真っ只中の続きです。

  第三連も、それが続いていますが、のっそりのっそりと川のほうへ歩き
出したようです。くまさんは虚ろな意識状態で足をゆっくりと動かして歩き
出しました。歩きつつも意識はまだうつらうつらの朦朧状態のようです。ま
だ眠気がひどくて、ねぼけ状態のようです。ですから「ぼんやりと川に来
た」と書いてあるのでしょう。
  くまさんは意識朦朧ですが、外界の事物は確かに見えており、事物の名
前もコトバで言えます。「たんぽぽ」も「水に映った自分のいい顔」も分っ
て、コトバで言えています。
  水に映った自分の顔を「いい顔」と賞賛しています。なぜ、くまさんは
自分の顔を賞賛しているのでしょうか。子ども達に意見を発表させてみま
しょう。いろいろな意見が出るでしょう。口の悪い子どもは、「ほんとは醜
男なのに、まだねぼけているからそう言った。」とか言う子もいるでしょ
う。

  くまさんは最後に「よかったな」と語っています。自分が「くま」で
あったこと気づいて喜んでいます。「くま」である自分自身を愛でて賞賛し
称揚しています。自分が「くま」であることに自信と誇りを持っているから
でしょう。「くま」であるアイデンティティーを確認できたのです。
  「いい顔」とは、美男子・美女ということでもありましょうが、それよ
りも自分が「くま」であることに自信と誇りと自負と矜持を持っており、
「くま」であることを誇り、輝いて生きており、現在のくまさんにとっては
欣快と法悦と大慶とに満ちているということが分ります。だから「いい顔」
をしていると言っているのでしょう。

  ところで、話はぜんぜん違っちゃうんだけど、わたしがいま読んでいる
本に「人間以外の動物にとっては、鏡に映ったイメージをみて、自分の姿と
して認識することはかなり難しいらしい。むしろライバルや敵と思い込ん
で、ケンカを売ったりすることもあるとか。」(斉藤環『生き延びるための
ラカン』バジリコ刊。84p)という文章がありました。ラカンの鏡像段階を
説明している文章個所なんだけど、くまさんが水に映った自分の姿を見て敵
とみなすとかケンカを売るとか考えたら、この詩はぜんぜん読めたことには
なりませんね。ピントがずれた、レベルの違う、つまらん読み方になってし
まいます。文学は嘘の世界を、さもほんとのことのように描いて、現実以上
の現実世界(典型)として提示しているのですから、読者はわくわくしなが
ら想像世界をそうだと思い込んでひたすら楽しんで読んでいけばいいんで
す。


           音声表現のしかた

【第一連】
 第一連の1・2・3行「はるがきて めがさめて くまさん ぼんやり
かんがえた」は、語り手がくまさんのことを聞き手に紹介している言い方で
す。くまさんの行動を聞き手に向かって語って聞かせています。やや声を張
り気味にして、ゆっくりと、聞き手に説明して語って聞かせている音調にし
て、アナウンスするようにして音声表現するとよいでしょう。
「は・る・が・き・て」「め・が・さ・め・て」「く・ま・さ・ん、ぼー
ん、やーり、か・ん・が・え・た」のような音声表現のしかたも一つの読み
方でしょう。
 「さいているのは たんぽぽだが 、ええと ぼくは だれだっけ」は、
くまさんは、うつらうつらの、ねぼけの真っ最中です。声高で、元気のよ
い、早口読みは似合いません。くまさんが頭の中だけで言っているコトバ、
考え考えのコトバ音調で読むべきでしょう。くまさんのひとり言、自分に語
りかけているコトバです。小さな声で、ゆっくりと、つぶやいているよう
に、コトバをつむぎだし・さぐりだしているように、とまどっているような
音調で音声表現するのがよいでしょう。
 「だれだっけ」は、目をキョロキョロしたり、首をかしげたりの動作をし
つつ音声表現するのもよいでしょう。

【第二連】
  たったの一行です。ここの「だれだっけ」は、第一連最後尾「だれだっ
け」と同じ音調で、同じ調子にして音声表現してはいけません。変化をつけ
ます。第二連「だれだっけ」は第一連「だれだっけ」よりも強めに読んで、
目立たせて、「ほんとに分らないよー」という気持ちを押し出して音声表現
するとよいでしょう。

【第三連】
  第三連の1・2・3行目は、第一連の1・2・3行で書いた音声表現の
しかたと同じだと言えます。くまさんがしたこと、くまさんの行動の順
番、振る舞いの様子、くまさんの動作や表情をたっぷりとイメージ豊かに思
い描きつつ、アナウンスするように音声表現しましょう。そして「みずに
うつった いいかお みて」でひとまず切って、次に気づいて、喜んで「そ
うだ。ぼくは くまだった。/よかっな。」とつなげていきます。「よかっ
たな」と短く切るよりは、「よかったなあー」と伸ばす方が気持ちが押し出
せるでしょう。
  「いいかお」を、自信たっぷりで自己賞賛している気持ちをこめて
「イーカオ」と高く強めに音声表現していくとよいでしょう。
  「ソーダ。ぼくは クマ だった。」「ヨカッタ ナー」のように、カ
タカナ部分を大げさな喜びの表情をいっぱいににして強めた音声表現にする
ぐらいでよいでしょう。

  この詩は、くまさんのしていること・行動やその時々の身体表情を豊か
にイメージしつつ音声表現することもあってもいでしょう。この詩を絵で表
現したり、くまさんへ手紙を書いたりの学習作業も考えられます。

 この詩を、群読や分担読みにして音声表現するのもおもしろいでしょう。
  「はるがきて めがさめて くまさんぼんやりかんがえた」の個所は、
くまさんの行動を解説し、紹介している部分です。ナレーターが紹介するよ
うに音声表現して読む個所です。ナレーターが一人で語る箇所です。
  「さいているのは たんぽぽだが、ええと ぼくは だれだっけ」の個
所は、くまさんが自問自答しているひとり言(頭の中の考えコトバ)です。
配役・くまさんの語りコトバの個所です。
  「ナレーター、一人。くまさん、一人」を決めて、役割読みをするのも
よいでしょう。一人でなく、数人のグループ読みの役割読みにするのもよい
でしょう。
  ナレーターは、クマさんの行動を解説し、紹介するだけの淡々とした音
声表現にします。くまさんは、くまさんになりきって、入り込んで、くまさ
んの全くの、ひそやかなひとり言、考えコトバにして、ぶつぶつとした、さ
さやき言葉、自分に問いかけ、自分に聞いている、探りを入れている、そし
て、自分で納得して答えている、そして最後に、ほっとして歓喜の顔をして
喜びの声をあげる、そんな音調にして音声表現するとよいでしょう。 


             参考資料


 ●この詩「くまさん」には、難しい語句はありませんが、指導の参考のた
めに、次の二つの単語について「大辞林」(三省堂)で調べてみました。ま
た、「くまの冬眠」について詳述している二冊の書物からも引用しておきま
した。

【冬眠】「大辞林」より
動物が生活活動を中止した状態で冬を過ごすこと。ハリネズミ・リス・ヤマ
ネなど小型の哺乳類にみられるが、広義には昆虫・カエル・ヘビなど陸生の
変温動物の越冬も含む。多くの種は冬眠中に定期的にめざめて、排泄・摂食
を行う。クマ・スカンクの冬篭りは体温の降下も小さく、睡眠状態に近い。

【寝惚ける】「大辞林」より
(1)目が覚めても意識や感覚が戻らず、ぼんやりしている。「……・けた
   顔」
(2)就寝中に、目が覚めないままの状態で起き上がり、おかしな行動をす
   る。時々……・けて歩き回る」
(3)色などが不鮮明である。「……・ぼけたような色」

 ●この詩「くまさん」は、詩という虚構の文学作品であり、創作作品で
す。「冬眠」という科学的な根拠に基づき、それにのっとた記述にはなって
いません。しかし、指導者には、「冬眠」についての科学的知識を持ってい
て、この詩作品を指導することは必要でしょう。
  以下に「くま」の冬眠について書いてある児童書から、指導の参考まで
に、「冬眠」について書いてある文章個所を引用しておきました。


下記は、富士元寿彦著「ヒグマを育てる」(岩崎書店)より引用



             日本のクマ

  日本には、北海道に生息しているエゾヒグマと、本州、四国、九州に住
むニホンツキノワグマの二種類がいます。両種とも近年は減少の傾向にあ
り、九州のツキノワグマは、すでに絶滅しているともいわれています。
  ツキノワグマは、胸に白い三日月もようがある小型の黒クマで、おすの
大きなものでも体長160センチ、体重150キロぐらいにしかなりませ
ん。
  ヒグマの場合は、大きなおすでは体長2メートル、体重300キロをこ
す大きさです。ヒグマでも、小グマのときには胸に小さな白いもようがは
いっているものもおおくみられますが、成長するにつれてほとんどきえてし
まいます。

          ヒグマの四季とたべもの


  ヒグマは、十月から十一月にかけて、冬ごもり用のあなの準備にとりか
かり、根雪になり、気温が日中も0度C以下の日(真冬日)が続くようにな
るころ、冬ごもりにはいります。
  あなは、北むきの急斜面の木の根を利用してほられることがおおく、入
り口はおとながはってやっとくぐれるくらいの大きさです。なかは、正座し
ても天井に頭がつかず、広さも2・5平方メートルほどで、中腰でうごきま
わることができます。あなのなかにはササや野草がしかれ、ヒグマは、ここ
で、四ヵ月半ほどのまずくわずでねむりつづけるのです。
  めすのヒグマは、冬ごもりの真っ最中、一月下旬に出産します。子グマ
は満一歳半くらいまで母グマといっしょにくらします。二冬、母グマとおな
じ冬眠あなですごすことになります。ヒグマは、ふつう単独で生活していま
すから、複数のものがいっしょにいるのは、母子づれが、六月ころの交尾期
の一時期だけといえます。
  その年の雪とけによって多少のずれはありますが、四月に入ると、冬ご
もりからさめたヒグマが残雪ののこる山をでてあるくようになります。あな
からでてもしばらくはえさをたべず、ちかくの山をふらふらとあるきまわっ
てはねむるということをくりかえします。たぶん、体の調子をととのえてい
るのでしょう。しかし、あなからでたばかりでも、ハンターに追われ、危険
を感じると、一気に十キロもはしってにげさるそうです。
  この時期に捕獲されたヒグマは、まだおおくの皮下脂肪がのこっていま
す。それでも古くからヒグマ猟をしている人の話では、最近ととれたもの
は、皮下脂肪が昔のものにくらべてずいぶんうすいそうです。それだけえさ
になる山の食糧もへっているということなのでしょうか。
  日ごとにあたたかくなり、雪どけがすすむと、ヒグマのえさになる山草
ものびだしてきます。このころは、アイヌネギ、ザゼンソウなどの新芽や
根、そしてオニシモツケの根などをほりおこしてたべています。このように
ヒグマのたべものは、植物質が大半をしめる質素なものです。昆虫、ザリガ
ニ、魚などの小動物がタンパク源ですが、以前は大群で川の上流までさかの
ぼってきたマスやサケも、このごろは途中で網でとられ、ヒグマの口にはは
いらなくなりました。



下記は、宮沢正義「ツキノワグマと暮らして」(筑摩書房)より引用

           冬ごもりと出産

  地域によって時期の差ががるが、ツキノワグマはだいたい11月ごろか
ら翌年の4月ごろまで冬ごもりをする。冬ごもりのあいだは食事もしない
し、糞便もしないが、呼吸はしているし、心臓も動いている。しかし、カエ
ルやヘビ、あるいはヤマネのように眠りは深くなく、わずかの刺激で目をさ
まし、場合によっては動きだす。ヘビやカエルのように冬眠とはいわないで
「冬ごもり」と呼んだほうが妥当であろう。
  冬ごもりの期間に動きだすもののなかには外からの刺激によろものでは
なく、食いだめが十分でないため、寒中に餌をさがしてさまよう歩くクマが
いる。こういうクマは「穴なしグマ」と呼ばれて猟期中のハンターにねらわ
れることが多い。
  だから冬ごもりを続けるには、栄養のたくわえが十分であること、暗い
こと、静かなこと、一定のあたたかさを保てる場所であることが必要であ
る。

  飼育グマの場合は、ほとんどが冬ごもりをしない。食うにはこまらない
し、寝たいと思えばいつでも寝られる専用の部屋がある。また、山奥の洞窟
などと違って、まわりがうるさくて眠ってなんかいられないだろう。

  ツキノワグマの出産についてであるが、雌グマは六月から七月にかけて
発情し、交尾して妊娠する。そして八月はじめごろから猛烈な勢いで食いだ
めを始め、十一月ごろから冬ごもりに入る。そしてもっとも寒さが厳しい一
月から二月にかけて出産する。
  ツキノワグマは、冬ごもりに入って、もっとも生理作用が低下する時期
に出産する。なぜだろうか。

  もし4,5月に出産したらどうなるか。たった300グラムの目も開い
てない赤んぼうは、とても自分では餌をとることはできない。いっぽう母親
は冬ごもりが終わるので必死になって自分の栄養を補給しなければならな
い。小さい赤んぼうのめんどうを見ることまではできないのではないだろう
か。
  生まれてくる赤んぼうが小さいのは、母グマの冬ごもりとも関係がある
と思う。冬ごもり中はいっさい食事をとらないから、できるだけエネルギー
を使わないようにしているはずだ。ツキノワグマの研究家、高橋喜平さんの
調査によれば、冬ごもり中の呼吸数は1分間に3,4回と書いている。わた
しも越路(こしじ)が冬ごもりに入ったばかりのときに計ってみたら、呼吸
は28秒から34秒に1回、つまり1分間に約2回、心臓の鼓動は1分間に
20~24回であった。ただし越路の冬ごもりは、隣部屋の磯部がちょっか
いをだすので安眠できず、1週間で終わってしまったことを、おことわりし
なければならない。
  冬ごもり中のクマの体温も、ある学者の調べたところでは、15・1度
(平熱は37度前後)だったという。
  呼吸数が少ないと体内へ取り入れる酸素の量が少なくなるから、体内で
のエネルギー代謝をはじめ、さまざまな生理作用が低下することになる。も
ちろん、体温も15・1度というように平熱の半分以下になるから、胎児の
成長環境も危険だろうし、母親自身の生命を維持することがやっとではない
だろうか。このためクマの赤んぼうは冬ごもり中の母親の負担にならないよ
うな小さい未熟児の姿で生まれてくる……というように考えていくと、今ま
で生きのびてきた生物たちが、いかにその生理や習性をたくみに自然の環境
に適応させてきたかに驚嘆する。
ーーーー引用終了ーーーーー

          
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