石火光中にこの身を寄す

鳴潮 4/5

唐の詩人白楽天が「笋(たけのこ)を食す」と題した作品を残している。玉のようなその肌を裂き、炊き込みご飯にして10日も食べているが、ついぞ飽きない。南風が吹いたら竹になってしまうのだから、まだ食うぞ・・・。無類のタケノコ好き、春は至福の時だった。

白楽天はたとえている。世の中はカタツムリの角ぐらい小さい。その上で争って何になろう、と。<石火光中にこの身を寄す>。しかも、石と石を打ち合わせて出る火のごとく、あっと言う間の人生なのに。

今年の新社会人は、全国で推定89万人に上るという。出勤途中に見かけたのは、どこの企業か官公庁か。あっと言う間の人生だけど、春は始まったばかり。その姿がまぶしいのも道理である。

人生の四季、春には春、夏には夏と、それぞれにやるべきことがある。南風が吹いて竹になる前に、吸収すべきを吸収しておかないと、後々が大変だ。

といったことは、それぞれの持ち場で、先輩からよく聞いてもらいたい。過労自殺が問題となっての今年、小欄が気掛かりなのは、悲劇が繰り返されないか。

いにしえの詩人は言っている。うまくいってもいかなくても、長くもない人生だ、楽しみなさい、口を大きく開けて笑いなさい-。寝る前にふっと力を抜いて、自分は今日笑ったか、確認してみよう。命より大事な仕事は、どこにもない。
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【漢詩の楽しみ】 対酒(酒に対す)


蝸牛角上争何事
石火光中寄此身
随富随貧且歓楽
不開口笑是癡人

 蝸牛(かぎゅう)角上(かくじょう)、何事をか争う。石火光中、此の身を寄す。富に随い、貧に随いて、且(しば)らく歓楽せん。口を開いて笑わざるは、是れ癡人(ちじん)なり。

 詩に云う。蝸牛(かたつむり)の角の上のような小さな世界にいて、人は一体、何を争うのだろう。火打ち石の火花のように短く、はかない時間のなかに、私たちはこうして身を寄せているのだ。ならば、富であろうが貧であろうが、すべてその定めに随って、人生を歓び楽しもうではないか。大きく口を開けて笑わないやつは、とんでもない愚か者だよ。

 作者は白居易(772~846)、字は楽天、中唐を代表する詩人である。

 古来より近世に至るまで、ある一定以上の階層に属する中国人の男子は、字(あざな)という通称名をもっていた。ちなみに、本人に向かって実名で呼べるのは、親か学問の師に限られる。

 白居易の人生哲学の詩ともいえるのが、この一首である。彼が、一度の左遷を除いてさしたる政難にも遭わず、官界と文壇のいずれにおいても栄達し、なおかつ比較的安定した生涯を送れたことは、一つの稀有な例と言えなくもない。

 卓越した才能をもつ人物は、他人からの妬みにかこつけた攻撃を受けやすいものである。白居易の身にもそれは降りかかったはずだが、彼はそのような塵埃を気にもかけず、笑ってはたき落とした。

 飲酒を奨励するわけではないが、白居易が李白に劣らず相当な酒好きだったことは、彼の多くの詩文から見て間違いない。加えて「楽天」という字である。おそらく、その性格を絵に描いたような字の通り、楽天的に彼は生き、口を開けて笑いながら、75歳という当時としては十分な長命を全うしたのだろう。

 白楽天に習って、大らかで、くよくよしない心持ちでいることは、現代の私たちにも通じる有効な処世術のようだ。

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