道徳の教科化

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有明抄 4/4

 新渡戸稲造(にとべいなぞう)は5千円札の肖像画にもなった教育者で思想家。彼の『武士道』の第1版序に、こんな挿話がある。明治の初めごろ、新渡戸はベルギーの法学者と懇談し宗教の話になった。

日本の学校に宗教教育はない、との新渡戸の言葉に相手は驚き、「ではどうやって道徳教育を授けるのか」と問われたという。新渡戸は、自分の道徳の教えの源は少年時代に学んだ武士道だったことに思い至る。

卑劣な曲がった心を嫌い、礼儀や質素倹約、情愛を重んじた。新渡戸は江戸末期の生まれ。彼の心をとらえて背骨になったのだろう。人が社会で暮らしていく上で、善悪をわきまえ行動する規範である「道徳」。それが来年度から小学校で正式教科になる。検定を受けた教科書を使い、児童を評価することに。教科書の初の検定が物議を醸した。

町で「パン屋」を見つけたという記述は「我(わ)が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着をもつ」との見地から「和菓子屋」に変わった。これがどれほどのものか首をひねる。瑣末(さまつ)にすぎはしないか。木を見て森を見ていないのではとも。

そもそも基準がない心の問題をどう評価するのだろう。子どもたちの白いキャンバスに、どんな色をのせるかは大人の重い責任である。「徳」の道は授業だけでは授けられない。先生たちの悩む声が聞こえてきそうである。
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