最低量

天地人 4/1

 歌人の若山牧水は酒好きだったことでよく知られる。同居していた牧水の門弟によると、「朝二合、昼二合、夜六合、一日合計一升」飲んだ。ただ、それはあくまでも「最低量」で気分によりさらに増えたという(永田和宏「近代秀歌」岩波新書)。

 酒を題材に詠んだ歌も多く残している。<妻が眼を盗みて飲める酒なれば惶(あわ)て飲み噎(む)せ鼻ゆこぼしつ>。妻の目を盗んで酒を飲み、あわてていたために、むせて鼻からこぼした-。ユーモラスな情景に思わず笑ってしまう。牧水の飾らない人柄が表れているようだ。

 新年度がスタートした。きょう、あすは土・日曜日なので、社会が本格的に動きだすのは、あさってからか。会社などでは歓迎会が盛んに行われる頃だ。全国各地から桜の便りが聞こえ始め、本県もじきに花見シーズンがやって来る。酒との付き合いが増えそうだ。

 一気飲みを強要されて大学生の子どもを失った親らがつくる「イッキ飲み防止連絡協議会」は毎年、全国キャンペーンを行っている。急性アルコール中毒死につながる一気飲みや、飲酒の無理強いなどをやめようと呼び掛ける。

 もちろん若い人に限らず、酒を楽しむのであれば周りへの配慮や節度を心掛けたい。酒を愛する牧水はこんな歌も作っている。<それほどにうまきかと人のとひたらばなんと答へむこの酒の味>。笑顔あふれるさまが浮かぶ。


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 永田和宏『近代秀歌』(岩波新書)を読む。とても楽しい読書だった。「はじめに」より、

 本書で私は、近代以降に作られた歌のなかから、100首を選んで解説と鑑賞をつけるという作業を行った。(中略)100首の選びは、できるだけ私の個人的な好悪を持ちこまず、誰もが知っているような、あるいは誰にも知っていて欲しいと思う100首を選ぶよう心がけた。(中略)

 あらかじめ断っておけば、ここに選ばれた100首は、近代のもっともすぐれた100首という選びとは微妙に異なる。ベスト100なら、選ぶそれぞれの人によって100通りの選びがなされるべきである。また、近代の歌は、これだけを知っておけばそれで十分なのかと言われれば、それも違うと思う。ベスト100や、十分条件としての100ではなく、必要条件としての100というつもりである。

 挑戦的な言い方をすれば、あなたが日本人なら、せめてこれくらいの歌は知っておいて欲しいというぎりぎりの100首であると思いたい。

 さて、本文を見ると、

 君かへす朝の敷石さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ   北原白秋


 一夜をともにした君を見送るときの思いであり、感覚である。見送るため外に出ると、朝の舗道には一面に雪が降り敷いていた。まだ誰も通っていない敷石に、あなたの足跡だけがくっきりと黒く残ってゆく。あなたを包むように降る雪よ、降るなら、林檎の香りのように降っておくれ、と詠うのである。

 ここに詠われた君とは人妻なのだった。

 老ふたり互に空気となり合ひて有るには忘れ無きを思はず  窪田空穂


 老いた夫婦が二人、今ではお互いが空気のような存在になっている。一緒にいると、いることを忘れ、かと言って、そこにいないということなどは、もとより思うことさえない、というのである。(中略)

 「有るには忘れ無きを思はず」というフレーズが、どこかアフォリズム(警句)風で魅力的である。ともに歳月を重ねてきた夫婦にだけ実感される、互いの意識の仕方なのだろう。晩年までをこんな夫婦でいられることの幸せを思うのである。

 「晩年までをこんな夫婦でいられることの幸せを思う」と書いている。永田和宏は2010年に歌人の妻河野裕子を亡くしているのだ。永田の悲痛を思う。

 かんがへて飲みはじめたる一合の二合の酒の夏のゆふぐれ  若山牧水


 生涯に残した7000首あまりの歌のうち、酒を詠んだものが200首はあるという。単なる歌の多さだけではなく、実際に牧水はこよなく酒を愛した歌人であった。1日1升は飲んでいたというから半端ではない。(中略)

 同居していた門弟の大悟法利雄は、その酒について次のように証言する。

 「大正14年、千本松原に家を新築した頃には、酒にもおのずからに定量ができていた。朝2合、昼2合、夜6合、1日1升というのがその定量と言ってよかった。しかしそれは「定量」というよりも「最低量」といった方が正しいくらいで、毎日それが守られていたのではなく、きょうは思いの他仕事が捗ったからとか、どうもちょっと気分が晴々とせぬからとかいうように、種々なことが理由となって、もう1本、もう1本という風に追加が出される。」

 長男によると、「このころの牧水は一度に3升を飲む男になっていた」という。

 これら100首のうち、私が知っているのは約1/3に過ぎなかった。

 「あとがき」によれば、続編が予定されているとのこと。
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