定年退職

有明抄 3/31

 <定年って生前葬だな>。脚本家で作家の内館牧子さんの小説『終わった人』は、刺激的な書き出しで始まる。大手銀行の出世コースをはずれて子会社に転籍させられ、そのまま定年を迎えた主人公。仕事一筋の人生が区切りを迎え、その後に生きがいを求め、居場所探しをするというストーリーだ。

華やかに送られ、別れを告げるという意味で「生前葬」という言葉が使われるが、読めば決して「終わってない」ことを教えてくれる。恋に仕事にと悪戦苦闘しながらも、人生を楽しむ姿が描かれる。

年度末のきょうで定年を迎える人も多かろう。節目にはなるが、これで終わりではなく始まるのである。何らかの形で継続して働く人もいれば、地域の活動や仕事以外のコミュニティーに参加する人、趣味に打ち込む人もいる。

舞台が変われば「幸せの物差し」が違ってきてもいい。持ち物を減らしての身辺整理、孤独にならない程度の人付き合い、家族から自立するための一歩として料理を身につける…。さまざまな計画を立てての再スタートだろう。

くだんの小説の後書きで、内館さんは「定年になったら誰もが横一線」と書いている。どんなに地位や肩書きがあろうと、そこからは衣を脱ぎ捨てて、人として歩き始めるということだろうか。目の前の道を前向きに、そんなに無理せずに。


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内館牧子著「終わった人」 定年後の男心を丸裸に
2016/7/27付 日本経済新聞 夕刊

 定年を迎えた男性が新たな生きがいを求めて奮闘する「終わった人」が、売り上げを伸ばしている。昨年9月の刊行からじわじわと人気を集め、発行部数は12刷10万部に達した。世間から見向きもされなくなったむなしさや、心の奥底にくすぶる野心が生々しく描かれ、男性だけでなく女性からも支持されている。

税抜き1600円。すでにテレビドラマ化や映画化の打診があるという。著者は1948年秋田市生まれ。これまでも脚本のほか、小説、エッセーなど幅広く執筆している。
 主人公は盛岡市出身で、東大法学部卒、大手銀行勤務のエリートだ。順調に出世を続け、役員就任も目前というところで、同期との出世競争に敗れてしまう。子会社に転籍させられ、63歳で専務として会社人生を終えたところから、物語が始まる。

 エリート意識が強く、気力も体力もある自分が「終わった人」だと受け入れられない。気を取り直して妻を旅行に誘うが相手にされず、大学院受験を思いついても、のめりこめない。仕事の第一線で活躍することへの未練が断ち切れず、あがき続ける。

 著者はテレビドラマを中心に活躍する脚本家。20年以上前から定年をテーマにした小説を構想していたという。過去にも渡辺淳一「孤舟」や重松清「定年ゴジラ」などがあるが、「主人公を甘えさせない。女性著者ならではのドライさが魅力」と編集を担当した講談社の小林龍之氏。主人公に次々と困難が降りかかり、飽きさせない。企画段階で「強烈なタイトルを聞き、これは売れると思った」と語る。

 初刷りは1万部で静かな滑り出しだったが、風向きが変わったのは昨年11月。岩手県の有名書店、さわや書店が選ぶ「年間おすすめ本ランキング2016」の1位に選ばれてからだ。「男の虚栄心、野心、下心が丸裸にされていて、40代の私もドキッとした」と竹内敦・本店店長。「覚悟して読んで下さい」と店頭販促(POP)に書き、大々的に売り出した。これを契機に出版社も改めて販促に力を入れ、東北のほか、サラリーマンの多い東京都心の書店で売り上げが伸びていった。

 深刻な状況に陥っていく主人公だが、最後には救いもある。読者は60代以上の男性が中心で、リアルで身につまされる、勇気づけられたなどの感想が多い。最近は、働く女性や、主人公の妻に共感する女性、主人公の子ども世代にも読者が広がっている。
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