優しい人間の目

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中日春秋 3/23

一九四五年八月六日の夕刻、二十八歳の軍医・肥田舜太郎(ひだしゅんたろう)さんは、無数の瞳に見つめられていた。そこは広島市街から六キロ離れた村で、原爆に遭った人々がたどり着き、身を横たえていた。

肥田さんは、必死に助けを求める視線から目をそむけた。目が合えば、話し掛け、治療しなくてはならぬが、手の施しようがないと一目で分かる人ばかりだったのだ。

だが、獣のような目をした男性と目が合ってしまった。上半身は皮膚がむけ、血みどろだった。肥田さんが頬に手を当てると、目から恐ろしい光が消えて、優しい人間の目になった。その瞬間、男性は事切れた。

肥田さんは自伝『被爆医師のヒロシマ』に書いている。<地獄のようにおそろしい状況で、私が手をふれたのが慰めになったのでしょうか。安心したように、人間らしく死んでいった-。私にはそう思えました>

それが、肥田さんの原爆との長い長い闘いの始まりだった。米国、そして日本政府が封じ込めようとした被爆者の姿から目をそむけずに、医師として、その体と心の傷に手をふれ続けた。助けを求める人々の視線から医師が目をそらさざるをえない状況が、いかに非人間的か。自らの体験を国内外で語り、核廃絶を訴え続けた。

肥田さんは先日、百歳で逝った。「優しい人間の目」を取り戻して逝った男性の夢を、繰り返し見続けた人生だったという。




自分の命の主人公になる。だから核兵器とも原発とも共存できない――。

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被爆医師のヒロシマ
21世紀を生きる君たちに

1945年8月6日、広島市郊外の村で陸軍病院の軍医として訪問診療中に被爆するも、直後から被爆者の救援・治療に奔走する。以来、直撃を受けた被爆者のみならず、入市被爆した人たちの原因不明の苦しみ=ぶらぶら病に寄り添いながら、被爆者医療と核兵器廃絶運動に心血を注ぐ。その体験を中高生に語り伝える。


【目次】
1 軍医になってしまった
2 広島陸軍病院へ
3 八月六日
4 初めて出会った“被爆者”
5 直後の戸坂村、被爆者救援に奔走する
6 未知の症状で死んでいく被爆者
7 「ピカにはあっとらん」人が死んでいく
8 軍医から国立病院の医者に
9 アメリカによる原爆被害の隠蔽
10 孤立無援の被爆者たち
11 ぶらぶら病
12 被爆者援護と核兵器廃絶を訴えて
13 命の主人公に

今年、大阪と広島で相次いで「原告勝訴」の判決が下された、
原爆症認定集団訴訟。
「画期的判決」といわれたその意義とはどこにあったのか。
自身の被爆体験を原点に、被爆者治療と核廃絶運動に関わり続けてきた
「被爆医師」肥田舜太郎さんにお聞きしました。

肥田舜太郎さん

ひだ・しゅんたろう
1917年広島生まれ。
1944年陸軍軍医学校を卒業、軍医少尉として広島陸軍病院に赴任。
1945年広島にて被爆。被爆者救援にあたる。全日本民医連理事、埼玉民医連会長などを歴任。
現在、全日本民医連顧問、日本被団協原爆被害者中央相談所理事長。
著書に『ヒロシマを生きのびて』(あけび書房)、
『内部被曝の脅威』(共著、ちくま新書)など。

「直接被爆でなければ原爆症はない」が国の主張だった
編集部 2006年5月、広島・長崎での被爆者の方々が被爆者援護法に基づく原爆症認定(注1)を求めた集団訴訟(注2)で、大阪地裁は原告全員を原爆症と認め、国が認定を却下したのは違法だとする判決を出しましたね。8月には広島でも同様の判決が出されています。
 肥田さんは、ご自身も28歳の時、軍医として広島に赴いていた際に被曝され、今日まで被爆者の治療に携わってこられた経験から、裁判に証人として参加しておられましたが、この判決の意義というのは、どういったところにあったのでしょうか。

肥田  画期的だったのは、原爆症と認定された原告のうち、大阪地裁では9人中3人、広島地裁では41人中2人が、原爆投下後に広島に入った、いわゆる入市被爆者だったということです。この人たちはこれまで、投下の瞬間に広島にいなかったということで、原爆症認定についてはまったく問題にもされていなかった。それが今回、初めて認められたんです。
 特に広島地裁の判決では、国がこれまで被爆を認定するのに使用していた物差し――DS86(爆心地からの距離で放射線の被ばく線量を推定する方式)を基にして「原因確率」をはじき出すのは、誘導放射線、放射性物質による内部被曝という大事な部分を考慮していないから、数字だけで「原爆症かそうでないか」を判断するのは間違いだということが断言された。あそこまではっきり言われると、厚生労働省も弁明のしようがない。控訴はしたけれど、勝つ見込みはないと思いますね。 

編集部 直接被爆以外による被害、特に肥田さんがご著書の中などでその恐ろしさを訴えておられる「内部被曝」について、もう少し詳しく教えていただけますか。

肥田  原爆の投下によって、大勢の人が全身やけどだらけで、人間とは思えないような状態になってむごたらしく死んだというのはもちろん事実です。しかし、それ自体はたとえば東京大空襲で10万人焼き殺されたというのと、特別変わりはない。原爆の大きな特徴というのは、放射線による被害なんです。

 原爆投下の瞬間、爆発と同時に放射された大量の放射線分子が、体外から人々の体を貫通しました。同時に、それによって地表の諸物質が放射性物質に変わり、そこからも放射線が発射されるようになった。誘導放射線と呼ばれるもので、爆発の瞬間はその場にいなかったのに、これによって被曝した人が大勢いるわけです。
 また、そうした体外からの放射線による被曝だけではなく、爆発で散らばった放射線分子が塵や土、水などに混じり、呼吸や飲食を通じて人の体に取り込まれてしまうことがあります。体内に入った放射性物質は、消えずにずっと放射線を出し続けて、長い時間をかけて人の細胞をじわじわ破壊してゆく。これが内部被曝と呼ばれるものです。 

編集部 しかし、そうした被害はこれまで認められてこなかったのですね。

肥田  そのとおりです。放射線の被害があるのは直爆を受けた人だけで、それ以外は「根拠のないデマ」だというのが向こうの一貫した主張でした。今回の裁判は、それが覆されたことに大きな意味があるんです。
注1)被爆者援護法による原爆症認定
1994年に制定された「被爆者援護法」では、被爆者援護法は「原子爆弾の傷害作用に起因して負傷し、または疾病にかかり、現に医療を要する状態にある被爆者に必要な医療の給付を行う」と規定している。国から「原爆症」と認定されると、月額約14万円の医療特別手当が支給される。

注2)原爆症認定集団訴訟
被爆者援護法による原爆症の認定申請を却下された全国の被爆者が2003年4月以降、処分の取り消しなどを求めて提訴。原告は現在、15地裁1高裁で計183人。


「隠されてきた」放射能被害
編集部 それにしても、この「画期的な判決」が出たのが、原爆投下から61年も経ってからだったというのは、どうしてだったのですか?

肥田   一つは、まず訴える人自体が少なかったということ。もちろん被爆者援護法ができたときはみんな申請したけれど、その中で認められたのはたった0.7%。ほとんどが駄目だったわけです。それで、相手は政府だし、みんなあきらめてしまっていた。
 でも、あきらめてずっと来たけれど、今、被爆者のほとんどはもう80歳前後になっています。そこで、もうじき自分は死んでいくけれど、その前に自分の体をこんなふうにしたのは原爆なんだということをどうしても公に認めさせたいと考えたんですね。彼らは被曝する前は、健康優良児だったんです。それなのにあの日を境に、原因不明のだるさに悩まされ、白血病、肝炎、癌など、次々と重い病気にかかっていったわけですから。でも訴訟は、ひとりでは無理だからみんなでやろうと、集団訴訟に踏み切ったんです。
 もう一つは、放射能による被害が「隠されてきた」ことですね。 

編集部 隠されてきた?

肥田  そうです。そもそも原爆投下前に、アメリカはプルトニウムを人体に静脈注射するという実験をちゃんとやっているんですね。だから、原爆投下後に長い時間をかけて被爆者が病気になって死んでいくなんていうことは、学者たちはみんな予想していた。でも、そんな事実が明らかになったら、当時でもすぐに欧州などから「非人道的だ」と反対運動が起こりますから、なんとしても隠したかったんですね。

 そこで、終戦直後にマッカーサーが厚木へやってきて、日本の占領に関する初期方針を発表したけれど、実はここには、広島・長崎の原爆による被害の内容について、「米軍の軍事機密であるから、一切書いたり話したりしてはいけない。違反した者は重罪に処す」という内容が含まれていた。ずるいのか利口なのか、すべて口頭で発表・伝達されたから、文書の形では残っていないんですが…。それで、被爆者たちもみんな黙ってしまった。

 さらに、原爆投下から1カ月ほど経った9月8日、マンハッタン計画の副責任者だったファーレルが来日して、外国人記者相手に記者会見をやったんですね。このとき、実はファーレル本人はまだ広島にも長崎にも一度も行っていなかったんですが、「原子爆弾は日本に大きな被害を与えたが、死ぬべき者はもうみんな死んでしまい、本日ただいまの時点では、病気で苦しんでいる者は誰もいない」という公式発表がなされた。これが世界中に流れたんです。 

編集部 実際にはそのころ、肥田さんは治療にあたる中で、原爆症で亡くなられていく方をたくさん見られていたわけですよね。

肥田 火傷も切り傷も負っていないのに、発熱し、紫斑が出て、大量に血を吐き死んでいく人が後を絶ちませんでした。そのときはまだ、その人たちが何で死んでいくのかもわからなくて。混乱の只中にいましたよ。それなのに、本当に嘘ばっかりの報告だったんです。
 さらに、それから23年目――23年目ですよ――の1968年に、アメリカ政府と日本政府が合同で、国連に「広島、長崎の原子爆弾の被害について」という報告書を出しました。この中には、ファーレルが言ったのとまったく同じことが、そのまま書かれていたんです。「現在、原爆症で苦しんでいる被爆者は一人もいない」と。

編集部 23年も経ってまだ、そうした報告がされていたわけですか。でも、肥田さんがずっと訴えてこられたように、少なくとも日本では「今も苦しんでいる被爆者がいる」ことは、最近ではある程度は知られるようになっていたのでは? それなのに、本当に今の今まで、入市被曝者などに原爆症認定がなかったというのが、少し意外な気がするのですが。

肥田 たしかに、今回の裁判でも、国の側に立った医者や科学者はほとんどいませんでした。大部分の人は、原告の主張は正しいと感じている。しかし、だからといって原告側についてくれるかというとそれはない。「証拠がない」からです。
 僕は今まで6000人の原爆症患者を診てきましたが、そのうち4000人は直爆を受けていない被曝者でした。でも、それは説得力はあっても学問上の「証拠」にはならないんです。たとえば、僕が今まで診てきた被爆者全員のカルテをとってあって、被曝と症例との関連性を統計学的に証明できるとか、ガンが放射能の影響であることを実験で証明できたとか、そういう学問のルールにのっとった形で証明されていないと。

 今回、僕はあえてそれを破って証人に立ったわけですが、それはなぜかと言えば、実際に「見てきた」からなんです。ひとりやふたりではなく、6000人診察したうちの4000人が後から入ってきた人で、その人たちに共通の症例がある以上、「原爆と関連性がない」とは僕は言えない、と。だから、理論ではなくただ自分の見てきた事実を証言したんです。裁判官は、それを採用してくれたわけですね。


放射線の恐ろしさの本質を伝える必要性
編集部 肥田さんは戦後61年間、そうして一貫して核の恐ろしさを訴えられてきたわけですが、残念ながら現在も、世界から核兵器はなくならないまま、むしろ拡大しつつあります。

肥田 核兵器をつくる産業というのは、民間だけではなく国の政府が投資して初めて成り立つ巨大産業なんですね。裾野にさまざまな産業があって、そのピラミッドの頂点に核兵器産業があるという構図だから、つくる側はよほど決定的なことがない限りは絶対にやめないし、やめられない。要するに、金儲けなんです。

編集部 「核兵器を所有していることが戦争を抑止する」とする、「核抑止論」の考え方も、だからこそ広げられていったのでしょうか。

肥田 そう思います。核抑止論は、核兵器廃絶の一番の敵ですよ。世界を歩くと、その考え方が非常に根強いことを感じさせられるし、被爆国である日本においてもよく語られています。

 僕は、こうした考え方を乗り越えていくには、広島や長崎で原爆が落ちたときの怖さだけをいくら語っても駄目だと思っています。それだけでは、核兵器は一度に大量に人を殺す効率的な大量破壊兵器である、といった認識になり、「実際には使わないから大丈夫だ」という核抑止論者の考えを否定できないから。

 そうではなく、直接的に原爆に遭わなくても、じわじわと時間をかけて、けれど確実に人を殺してゆくという、放射線の恐ろしさの本質をわかってもらうこと、そして、実は今でも世界中で毎日のように「ヒバクシャ」が生み出されているという事実を伝えていくこと。それが、これからの核兵器廃絶を訴える上での鍵になるのではないかと考えています。核兵器は落とされた人や国だけが被害を受けるわけではなく、保有国、加害国の人も被害を受けるのですから。


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肥田舜太郎さんに聞いた



今も世界中で、生み出され続ける「ヒバクシャ」たち


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核の恐ろしさ=「ヒロシマ・ナガサキ」という図式に、
「それだけでは伝わらない」と警鐘を鳴らす肥田さん。
現代にも生み出され続ける被曝の実態について、
詳しくお話を伺いました。

肥田舜太郎さん

ひだ・しゅんたろう
1917年広島生まれ。
1944年陸軍軍医学校を卒業、軍医少尉として広島陸軍病院に赴任。
1945年広島にて被爆。被爆者救援にあたる。全日本民医連理事、埼玉民医連会長などを歴任。
現在、全日本民医連顧問、日本被団協原爆被害者中央相談所理事長。
著書に『ヒロシマを生きのびて』(あけび書房)、
『内部被曝の脅威』(共著、ちくま新書)など。

核兵器は「つくる」段階から被曝者を生み出している
編集部 前回、核抑止論を乗り越えてゆくためには、原爆が落ちたときの直接的な被害を訴えるだけでは駄目だ、というお話をお聞きしました。そして、原爆そのものは使われることがなくても、実は今も世界各地で「ヒバクシャ」が生まれている、とも。それについてもう少し詳しくお聞かせいただけますか?

肥田  まず、「つくる」段階から多くの被曝者を生み出すのが、核兵器の特徴の一つです。今も原爆を製造している国では、製造工場の周り、それから原料のウラニウムを掘る鉱山でも、多くの人が被曝しています。たとえばアメリカのニューメキシコ州では、もともと住んでいた土地を白人によって追われたネイティブ・アメリカンたちが新たに住み着いた土地で、たまたまウランが発見された(ラグナ・プエプロ保留地内/ジャックパイルウラン鉱山)。そこで今度はそこに資本が殺到して採掘を開始したんですが、実際の採掘作業に携わっているネイティブの人々の間で、肺ガンが非常に増えているそうです。
 それから、核実験に参加して放射性物質を含む「死の灰」を浴びた、アメリカの被爆米兵たち。この「死の灰」は、実験場があったネバダ州から隣のユタ州にまで流れて、農民たちが大勢ガンで死んでいます。 

編集部 米軍がイラクなどで使用した劣化ウラン弾についても、放射線の人体への影響が指摘されていますね。

肥田  原子爆弾が爆発するエネルギーに核分裂反応を使っているのに対し、劣化ウラン弾を使用する際の爆発のエネルギーは普通の火薬です。それによって押し出される弾が、原子力発電から出る廃棄物の劣化ウランなんですね。
 これは非常に重い金属なので、航空機のバランスをとるための錘(おもり)にも使われていました。以前、沖縄で米軍のヘリコプターが大学に落ちたとき、米軍は日本の消防隊を追い払って処理にあたりましたので、結局事故の全貌はわからずじまいでしたが、もし錘に劣化ウランが使われていて、それが爆発を起こしていたら、あたり一面が放射能に汚染される危険があったのです。

 それから、非常に固い金属でもあるので、普通の弾なら跳ね返される戦車の厚い壁も、劣化ウラン弾は簡単に貫いてしまいます。そして、戦車の壁に穴があいたその瞬間に、熱とガスを発生させる。そうなればもう、あたりは一面の放射線です。そこへ何も知らない米兵たちが星条旗を立てて写真を撮っていた。当然、帰ってきてから病気になった米兵がたくさんいます。僕のところにも、診察してほしいと言ってきた元米兵がいましたね。
 劣化ウラン弾は核エネルギーによる爆発ではないから核兵器ではないという学者もいるけれど、そんなことは殺される側にとっては関係ない。人間は知らず知らずのうちに、被害を与える側の考え方を採用してしまうことがあるけど、肝心なのはいつも「やられる側」に立って考えるということなんです。原子爆弾だろうが劣化ウラン弾だろうが、放射線の影響で人が死んでいくのであれば、やはり核兵器だというべきです。今の時代に原爆を実際に使うことは常識的に言ってまずできないから、その代わりにつくり始めた「新しい核兵器」と言っていいでしょう。

編集部 陸上自衛隊もイラクから「1人もけががなく」帰ってきた、と言われていますが、放射線による被害についてはわからないわけですよね。

肥田  もちろんです。先日も、イラクから帰ってきた自衛隊将校の奥さんが僕のところへ来ましたよ。彼女は、アメリカの兵隊が湾岸戦争やイラクで被曝して、帰ってきてから生まれた子供にその影響が出ていることを知っているんですね。それで、子供はほしいけれど心配だから、夫の検査をしてほしいと。幸い、体の中にウランがあるという反応は出ませんでしたが、この検査も完全だとはいえないので…。

編集部 チェルノブイリの原発事故の際にも、牛乳や野菜など農産物の汚染による被害が指摘されていましたね。チェルノブイリは事故が起こったケースですが、原子力発電所そのものの影響についてはどうなのでしょう?

肥田  それについては、アメリカで出版された『The Enemy Within(内なる敵)』という本に詳しく書かれています。1996年に、アメリカ政府が国内の白人女性について、「1950年からの40年で、乳ガンが倍になった」という発表をしたんですね。そして、その原因を調査した結果を「大気や水の汚染の影響、つまりは文明病だ」と結論づけた。これに疑問を持った統計学者、J・M・グールドが、政府の調査した乳ガン患者数などの膨大なデータを分析し直したんです。その結果、乳ガンの増加には地域差があり、増えている地域には一つの共通項があることがわかった。それが「原子炉のあるところから100マイル以内」ということだったというんですね。

 日本にも原子力発電所がたくさんありますが、建物はとても近代的だし、どこもぴかぴか。もちろん「危険なことは一つもない」と説明されています。でも、実際には煙突から出ている湯気にも放射線は含まれているし、海には放射線を含んだ水が排出されている。これについては、「これ以上放射線が含まれていると危険」だという国際的な基準が定められていて、たしかにそれ以内には抑えられているんです。しかし、実はこの基準というのが25年前につくられたもので、それから6回改変されて、そのたびに驚くほど緩くなっている。厳しい基準を守ろうとすると設備投資が必要になって、儲からなくなるというので、アメリカの電力会社などが政府に働きかけて基準を緩めさせたんです。今では、世界中の学者が「こんな基準では意味がない」と言っている。でも日本の原子力発電所は、その基準を「きちんと守っているから大丈夫」だと言っているんです。
『内部被曝の脅威 -原爆から劣化ウラン弾まで』
(肥田舜太郎/鎌仲ひとみ・ちくま新書)
広島から、アメリカ、イラク、世界のあらゆるところにおよぶ「核の脅威」について、実体験と丁寧な取材から導きだされた警世の書である。
「核抑止論」を支持する人には、是非、手にとって欲しい一冊である。

医学的、科学的な研究がようやく始まった
肥田  そうして見ていくと、おそらく今、世界の被曝者は1000万人を超えるのではないでしょうか。にもかかわらず、日本の人たちも、それだけの人が犠牲になっていることはまったく知らされず、ただヒロシマ・ナガサキの話だけを聞かされているというのが現状なんです。 

編集部 WHO(世界保健機関)なども、そうした被曝の状況についてはほとんど認めていませんよね。前回、学問のルールにのっとった「証拠」がないから、医者は何も言えないというお話がありましたが、こうしたさまざまな被曝被害について、医学や科学の面からの研究は進んでいないのでしょうか。

肥田  内部被曝のメカニズムなどについても、学問として確立されるようになってきたのは最近になってからですね。
 これまで研究が進まなかった理由の一つには、政府からの圧力があったということもあります。研究しても発表できなかったり、大学にいられなくなったり、研究費が下りなかったり。アメリカでもそうだし、日本でもそうです。たとえば広島大学や長崎大学の医学部には被爆者医療の研究会がありますが、そこでさえ政府に都合の悪い結果が出るような研究はなかなかさせてもらえなかった。特に広島では、ABCC(注)からの圧力で、そこが認めること以外の研究は中止、あるいは制約を受けたりという歴史がありましたから。

 でも、最近の若い学者は勇ましいから(笑)、そんなことは関係なしに、自分のやりたいことをやる、という人が出てきたんですね。研究成果を、教授に許可を得ないで勝手に新聞に発表したりする(笑)。
 チェルノブイリ事故の被害に関する研究も、ロシアやウクライナの政府は一生懸命抑えているけど、抑えきれずにどんどん出てきた。チェルノブイリについては、残留した放射線によって被害が出たということは、今ではほぼ常識のようになっていますね。 

編集部 政府が研究に圧力をかけるというのは、なぜでしょうか。

肥田 二つありますね。一つは、核抑止論の論理で核兵器をつくり続けようとしているのに、その段階ですでにどんどん被害が出ているというのがわかっては困るから、押さえ込む。もう一つは、放射線による被害を認めてしまったら、被曝者への保障が必要になるでしょう。それでは財政がもたない。この二つの理由があるんだと思います。
 こういった理由から政府から受ける不当な圧力は、これまでずっとあったわけですが、ここ数年はまた、ひどくなったと感じます。中でも僕がひどいなと思っているのが、厚生労働省の役人なんです。原爆症認定の陳情などに行った被曝者も、信じられないようなことを言われるそうです。核兵器廃絶とか言うが、アメリカの核兵器の世話になっているのに、アメリカの不利になるようなことを言うものじゃないよとか、保障が欲しくてまだ裁判をやるのか、とか・・・。


編集部 いくら裁判で闘っている相手とは言え、国民に対してのことばとは思えないですね。残念です。

注 ABCC…原爆傷害調査委員会。原子爆弾による傷害の実態を詳細に調査記録するため、1946年11月、トルーマン大統領指令にもとづき設置。調査機関のため、治療行為などは一切行われなかった。


戦争とは「ある日突然、理由もわからずに殺される」こと
編集部 お話を伺っていると、核廃絶を訴えるためには、過去の原爆の恐ろしさだけでなく、今も続いている放射線の危険性の本質を伝えていく必要があると、改めて感じます。

肥田 本来は、日本がその言い出しっぺにならなきゃいけないんですよ。それなのに、その日本が、アメリカの言うなりになって、「どこでも戦争をしてください、お金は出します」ですから。そして今度は法律を作って、「お金だけでなく人も出します」と言って、自衛隊がアメリカの戦争に出かけていった。

編集部 たしかに、今の日本政府は本当にアメリカべったりだと感じますね。さらに最近では憲法9条を変えて、軍隊を持とうという声も高まっていますが、それについてはどう感じておられますか。

肥田 まず思うのは、軍隊を持つとしたら、当然、いずれは核武装もという話にはなるだろうな、ということですね。

編集部 核武装ですか?

肥田 だって、国が軍隊を持つというのは、それによって国際的な発言力を強めようという考えなのに、そこで核兵器も持たない軍隊をつくって今さら何になる、と思うでしょう。核燃料再処理工場(注)がある青森県六ヶ所村では、さらに新しい工場の建設も進んでいますし、劣化ウラン弾も含めていずれは核兵器を、という考えはあるんじゃないでしょうか。その能力もあるわけですし。

編集部 その動きに何とかストップをかけていくには、どういったことが必要だとお考えでしょうか。

肥田 僕が最近思っているのは、戦争というものを経験していない人に、どうやってそれを実感でわかってもらうかということなんです。
 ふつうの人が、何が原因なのか、誰にやられたのかもわからないで、ある日突然殺されるという現実を、僕は広島で見ました。いつものとおりの生活をしていたら、突然ピカッと光って、気がついたら家も何もなくなっていた。出会う人は血だらけで、それまで見たことのないような地獄。自分の身に何が起こったのか、誰がこんな目に遭わせたのかもわからないままで、みんな死んでいったんです。

 その人が普段何を考えていようと、戦争に賛成していようと反対していようと関係なく、ある日突然殺される。あるいは、そのとき助かったと思っても、数十年たって、子供も生まれて幸せで、と思ったら、ガンになって死んでしまう。それが戦争であり、核なんですよ。
 でも、それは人類が防ごうと思ったら防げることです。そのために平和憲法だって作られたんです。50年後か100年後かわからない。でもきっと人類は、今の間違った方向を軌道修正できると信じています。そのために僕は、広島での被爆から現在まで、見てきたことを話し続けているんです。
注 核燃料処理工場:使用済みの核燃料からプルトニウムを取り出す施設。そのため全国の原子力発電所から出る使用済み核燃料が
集められ、プールされる。放射能汚染の問題や不安は解決していないが、青森・六ヶ所村の再処理工場では、
アクティブ試験(最終試運転)が今年3月から開始されている。本格稼動は、来年8月予定。
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