励ますより寄り添って

明窓 3/13

 「大きくなったら、ぼくは博士になりたい そしてドラえもんに出てくるようなタイムマシーンを作る ぼくはタイムマシーンにのってお父さんのしんでしまう前の日にいく そして『仕事に行ったらあかん』ていうんや」。

2003年に過労死で父を亡くした小学1年の男児が書いた作文「ぼくの夢」。小さな胸に残る悲しみとやり場のない自責の念が伝わる。フォーク歌手の木下徹さんが曲をつけ、全国各地の遺族の集いでギターの弾き語りを続けている。出雲市で先日あった自死遺族フォーラムでも演奏した。

フォーラムでは、島根県内の遺族3人が登壇した。25歳の息子を亡くした女性は、不器用で仕事が長続きしない息子を何度も叱咤(しった)激励したことを悔いた。「十分頑張っていたのに、頑張れとしか言わない親には相談できなかったのか」。

涙ながらに多くの人前で語ることは、つらかったと思う。それでも語る理由は「自分と同じ思いをしてほしくない」との強い願いにある。

活気がない人や落ち込んでいる人を前にすると、励ましたくなるのが人情だ。「後ろを向くな」「乗り越えろ」との前向きな言葉は、気持ちはありがたいが、かえって負担になることもある。

3月は厚生労働省が定めた「自殺対策強化月間」。悩んでいる人に気付き、まずはじっくり話を聴くことを呼びかける。助言や自分の考えをはさむのは控え、「大変だったね」と声をかけることから始めたい。励ましよりも、寄り添ってくれる人が必要な時がある。


…………………………


命こそ宝

中学3年辻田真弘

僕は、父を小学校に上がる前に、亡くしています。父は過労自死でした。

父は、市役所で働いていました。市の文書を扱う大切な仕事をし、係だけではけっしてできない大きな仕事を任され、毎日、仕事の相談に来る職員が後を絶たず、それにも父は親切に答えながら、毎日16時間以上仕事をしました。

胃潰瘍になりましたが、仕事をたくさん抱えた状況では休む余裕もなく、通院しながら土日も出勤していました。議会に提出するための資料を必死で作り上げた時、あまりの忙しさに、たった一つ部下に任せた所に、間違いを見つけました。

そのまま条例になってしまうことは、大きな問題です。でも、やり直す時間はない中、心身ともに追い込まれて、父は命を絶ちました。

最後に、父は、11通の遺書を残しました。

僕がこの遺書を初めて読んだのは、小学5年生になる春休みのことでした。多くの人の支えの中、父の死が公務災害だと認められた時、初めて母から見せられました。

「真弘様 親らしいことが、何も出来ず 許してください。

貴方の無邪気な顔をみていると、本当に疲れがやすまりました。

先週の発表会を見に行きたかった。お母さんから、貴方が、ものおじせず、堂々と話しているの聴いて、本当にうれしかったです。笑顔の真弘の顔が忘れられない。

こんな幼い子を残して おとうさんは・・・

どうか、お母さんの言うことをよく聴いて、助けてやってください。本当に御免なさい。」

ぼくは、これを読んだ時、涙が溢れてきました。こんなに僕たちを愛してくれた父がどうして死ななければならなかったのだろうか。僕は自分の部屋で、思い切り泣きました。

5年生になったある日、担任もいるクラス全員の前である子が、「辻のお父さんは自殺したんか?」と聞いてきました。僕は、事実だから、「そうや。」と答えました。すると、僕も知っているという声があちこちで起こってきました。

それから後のことは、僕はもう覚えていません。思い出さないようにしてきました。父のことを知らず、自殺だという事実だけが、広がっている。僕の大好きな父を変に評価されることが耐えられない。あの時の言葉には、すごく冷たさを感じるものがありました。

父は、心身ともに過労し、うつ病になってしまいました。こんな働き方をしたら、誰だって、倒れてしまいます。父は市民のために、いい法律を作りたいと、いつも勉強し頑張っていました。条例になってしまうとどんなに悪いものであっても改正するためには、人も時間もすごく掛かること、条例は、市民の命にも繋がることを母に語っていたそうです。まじめで、責任感が強く、優しく、頼りがいがあった父です。父は、普通の人の2倍も働きました。

父と同じ仕事をする人が、もう一人いてくれたら、父は死にませんでした。公民の教科書に、労働基準法がありました。この法律が守られていれば、父は死ななかったと思いました。

父と一緒にすごしたのは、わずか、6年間です。父が突然僕の前から居なくなるなんて考えてもいなくて、父に甘えていました。

あのままずうっと、家族の生活が続いてくれていたら、僕たちは幸せだったのに。

あの日を境に、僕たちの生活が変わってしまいました。ずっと、家でいた母は生活のために、働きに出るようになりました。生活も苦しくなりました。

母も頑張っていましたが、疲れ切り、どうしようもないさびしさに、包まれ、僕たちに、「お父さんの所へ行こう」と言いました。僕達の強い反対で、母は、自分を取り戻してくれました。一歩間違っていたら、僕達は、今、生きていませんでした。

ぼくが、小学1年生の時、詩を作りました。

『《僕の夢》

大きくなったら、ぼくは博士になりたい。

そしてドラえもんに出てくるようなタイムマシーンを作る。

ぼくはタイムマシーンにのって

お父さんのしんでしまう前の日にいく

そして「仕事に行ったらあかん」ていうんや』

三年前、大阪人権博物館から、この詩を展示させてほしいという連絡があり、今、労働者の権利というところで常設展示され、小・中学生の学習教材にもなっています。この夏、僕は、朝日新聞やテレビ大阪の取材を受けました。父の死と向かい合うことは、辛いです。でも、僕達のような悲しい思いをする人が増えてほしくないので、取材を受け、今回は作文にも書きました。

僕は、仕事のための命ではなく、命のための仕事であると考えます。

命こそ宝です。過労死・過労自死というものがこの世の中から亡くなってほしいと強く思っています。




***「過労死防止基本法」制定実行委員会が求めていること***********************

  「過労死」が国際語「karoshi]となってから20年以上が過ぎました。
  しかし、過労死はなくなるどころか、過労死・過労自殺(自死)寸前となりながらも
  働き続けざるを得ない人々が大勢います。

  厳しい企業間競争と世界的な不景気の中、「過労死・過労自殺」をなくすためには、
  個人や家族、個別企業の努力では限界があります。
  そこで、私たちは、下記のような内容の過労死をなくすための法律(過労死防止基本法)の
  制定を求める運動に取り組むことにしました。

  1 過労死はあってはならないことを、国が宣言すること
  2 過労死をなくすための、国・自治体・事業主の責務を明確にすること
  3 国は、過労死に関する調査・研究を行うとともに、総合的な対策を行うこと
関連記事