ムッシュかまやつ

鳴潮 3/3


 ワイワイ、ガヤガヤ。尽きないおしゃべりの会を一つにする、そんな歌があった。13歳の時に覚えた「我が良き友よ」である。東日本大震災後の同窓会、涙をこらえて歌った友の顔が浮かぶ。

 歌を残して、ミュージシャンのムッシュかまやつさんが逝った。本名は釜萢弘さん。年齢を感じさせない、ひょうひょうとした力みのない風情は永遠になった。

 グループサウンズ全盛期のバンド「ザ・スパイダース」時代はよく知らないが、忘れられないのは、1975年に世に出た、吉田拓郎さん提供の冒頭の歌である。バンカラな学生にある種、憧れのようなものを持った。友もまた。

 シンプル・イズ・ベスト-。かまやつさんの曲づくり、その一つを表す言葉かもしれない。シンプルで多くの人に愛される曲をつくるのは難しいが、それを追い求めたのだろう。

 軽快なリズムに乗せて歌うスパイダースの名曲「バンバンバン」をこう語っている。「なんでバンバンバンという言葉が出てきたのかよく分からないんですけど、歌った時に言いやすいのとテンションが上がる言葉だなと思って歌詞にしました。」

 誰のもとにも来るべき日は来る。だが、ひょいと顔を出して<下駄を鳴らして奴が来る>と歌う姿が目に焼き付いているからか。またひょいと現れるような気がしてならない。ギターとともに。


滴一滴 3/3

 曲が売れるほどに音楽仲間から「あの歌はないんじゃないか」と批判された。1975年に出した「我が良き友よ」だ。おととい亡くなった「ムッシュ」ことかまやつひろしさんの回想である。

曲は吉田拓郎さんに作ってもらった。かまやつさんは英ロック歌手のロッド・スチュワート好きで洋楽志向。〈げたを鳴らしてやつが来る 腰に手拭いぶら下げて〉というバンカラな歌詞に「俺が歌うの?」と困惑したという。

後に美空ひばりさんから「曲にちっとも感情移入していないからいい」と言われ、拓郎さんの着眼に舌を巻いた。ミスマッチと思った曲が売れるとは、人生は分からない。

長髪にニット帽の風貌と同様、奔放な逸話は多い。ビートルズ来日公演では、所属するザ・スパイダースに前座で出演を、と声が掛かったが断り、一観客に。ベルリンの壁崩壊の報を聞いて、滞在中の英国から駆け付け、壁の上で歌った。

映画やテレビドラマなどで役者にも挑戦した多芸の人だ。本業の音楽についても「常にB級ミュージシャンでいたい。あまり脚光を浴びると腐るのも早い」と欲のない心境を語っている。

〈今の暮らしに飽きたら2人で 夢を抱えて旅でもしないか あの頃へ〉。歌詞同様に、息苦しさを増す社会の対極にいるような、ひょうひょうとしたたたずまいが印象的だった。


大自在 3/3

 齢[よわい]を重ねると、過去をさかのぼり、つい「あの時代は」と振り返ってしまうことが多くなった。それなりに長い人生を過ごしてくれば、世相は少しずつ記憶され、時に懐メロのようによみがえる。

 GS(グループサウンズ)世代ならきのう、あの時代が脳裏によみがえった人もいよう。「あの時君は若かったぁ」などと、心の中で口ずさんだ人もいたのではないか。GS全盛期の人気バンド「ザ・スパイダース」の元メンバーでミュージシャンのムッシュかまやつさんが亡くなった。78歳。

 1960年代、当時中学、高校の青春真っただ中を過ごした身にGSの音楽は心地よく響いた。同世代の多くがエレキギターの奏でる、激しく、テンポのいいリズムのとりこになったように思う。世界的な人気を集めていたビートルズなどの存在もあり、相乗効果を発揮していた。

 スパイダースと言えば、ギターとボーカルを担当したかまやつさんや堺正章さん、井上順さんらが大活躍したグループで当初「ブルーコメッツ」と人気を二分していた記憶がある。ボーカルの堺さんが中心だったが、その脇を固めたかまやつさんの明るいキャラクターと独特の髪形には存在感があった。

 解散後も、かまやつひろしの本名で精力的にソロ活動を続け、吉田拓郎さんが提供した「我が良き友よ」で大ヒット。GSの生き残りのようなたくましさがあった。

 紙面を繰れば、ここ数年、“GS戦士”たちの訃報が散見される。「テケ、テケ、テケ」と一大ブームを呼んだエレキの記憶も遠のくばかりのようで。


北斗星 3/3

 1970年代の初めだったと記憶するが、かまやつひろしさんのコンサートを聞きに行ったことがある。当人を見たかったのはもちろんのことだが、前座の3人組バンド「ガロ」も見たかった

ガロは後に「学生街の喫茶店」の大ヒットを飛ばすが、当時は知名度がそれほどでもなく、かまやつさんは自分のバックバンドとして連れ歩いていた。当人も加わってのギタープレーとコーラスは見事だった。

かまやつさんが78歳で亡くなった。高校時代からカントリー&ウエスタンのバンドを組んで米軍キャンプを回り、20代でグループサウンズ「ザ・スパイダース」に加わって人気者となる。解散後は「ムッシュかまやつ」の名でソロ活動を続けた。

祖父は米カリフォルニアで洋服店を営み、父は米国帰りのジャズマンという血筋。加えて日本で最もモダンでしゃれた社交場として知られたレストラン・キャンティ(東京・六本木)に、作詞家の故安井かずみさんらと早くから出入りして流行の最先端に触れた。

当時を「僕は聞き耳立てて、いろんなことを聞いていた。しかも僕らのようなガキがいると、『こっちに来て仲間に入んない?』と声をかけてくれる大人がいたんです」と回想している(「安井かずみがいた時代」集英社)

音楽ジャンルにこだわらない柔軟さや育ちの良さを漂わせる温厚さ、はるか年下とも楽しく演奏できる自由さが魅力だった。キャンティ仕込みのそんな大人が、また一人去って行く。
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