足尾鉱毒事件

20170303023210611.jpeg

20170303023211cb7.gif


三山春秋 3/2

 足尾鉱毒事件の被害と治水対策を理由に明治政府が、鉱毒の流れ込んだ板倉町などをまたぐ渡良瀬川最下流域に遊水地を計画したのは1905年のこと。対象地域の旧谷中村(現栃木県栃木市)は鉱毒に苦しんだ果てに廃村を強いられた 。

 退去は約400世帯、2500人に上り、住民は周辺地域へ移住した。その苦難の歴史は、東日本大震災の原発事故で故郷を離れた被災者の状況と重なる部分が多い 。

 板倉町を含む周辺4市2町が先月、日本遺産に15の構成文化財からなるストーリー「田中正造翁おうが問う『真の文明』によって守られるヨシ原/渡良瀬遊水地」を申請した 。

 最後まで廃村に反対した正造の言葉「真の文明は 山を荒らさず 川を荒らさず 村を破らず 人を殺さざるべし」を盛り込み、谷中村の犠牲の上に成り立つ「真の文明」への問い掛けが遊水地の自然を守ってきたとする 。

 本県との関わりも見逃せない。足尾鉱毒事件田中正造記念館(館林市大手町)の資料「足尾銅山鉱毒被害地略図」から、被害面積の多くが本県だと分かる。事務局長の島野薫さん(70)は「被害の実態をより深く知り、渡良瀬川の水環境に目を向けて」と訴える 。

 渡良瀬遊水地は、約3000種類の動植物が命を育む自然の宝庫とされる。美しく雄大な景観の中に、悲しい歴史があったことを忘れないでいたい。
関連記事