2017年10月20日の記事 (1/2)

5R

越山若水 10/20

話を分かりやすくするには、要点を三つにまとめるのが秘訣(ひけつ)らしい。同じ理由だろう、家庭の新三種の神器を「3C」(カラーテレビ、クーラー、カー)と言った。

そこで質問を一つ。「3R」をご存じでしょうか。何を今更と非難されそうだが、念のために説明すれば、循環型社会を実現するための行動目標を表している。

ごみを削減する「Reduce(リデュース)」、繰り返し使う「Reuse(リユース)」、再資源として生かす「Recycle(リサイクル)」の頭文字だ。

環境負荷の削減効果が大きい順に並んでいるという。10月は「3R推進月間」だが、1991年制定の「リサイクル推進月間」が前身。2002年に優先度が高い二つのRを加え現在名に改められた。

ところが時代が進み、最近は2項目が追加され「5R」というらしい。拒否する「Refuse(リフューズ)」と修理する「Repair(リペア)」が仲間入りをした。

具体的には不要な物はもらわない、レジ袋や過剰な包装は断る、衣服や家具、道具類は補修して長く使う…。要は使い捨て、大量消費の見直しである。

福井県のHPをのぞくと、まちの修理屋さん(洋服、かばん、靴、自転車、建具、仏壇など)やフリーマーケット、子育て用品リユースの情報がズラリと載っている。ちょっとした心がけが「5R」を後押しする。

スーパーカブ

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大自在 10/20

 創業者故本田宗一郎の設計思想を伝承してきたホンダの二輪車「スーパーカブ」が世界累計生産5千万台を突破したと本欄で書いたのは11年も前になる。乗り降りのしやすさなど使い勝手を追求し、1958年に誕生した。

 開発に当たりバランスを良くするため部品メーカーを説き伏せ、大きめのタイヤを採用するなど苦労を重ねた。当時、販売価格は5万5千円。1万円程度だった公務員の初任給の約5倍もしたそうだが、経済的で耐久性に優れたバイクとして大ヒットした。

 スーパーカブが今度は累計生産1億台を達成した。かつて市場経済を導入したベトナムを訪れた際、ホーチミン市内の道路を埋め尽くしたバイクに驚いた覚えがある。もちろんスーパーカブが多かった。2016年度はインドや中国など21カ国の35拠点で生産した。

 修理のしやすさや確かな技術力が世界で人気を集めている理由だろう。設計の基本やデザインなどは初代からあまり変わっていないと以前、聞いたことがある。ホンダがそのスーパーカブの国内生産を5年ぶりに再開したことも明らかになった。

 製造業と言えば、中国や東南アジアなどへ工場を移す“空洞化”が指摘されてきただけにスーパーカブの国内回帰は喜ばしい。主要製造業の国内生産がものづくり王国復活への端緒になればと願うばかりだ。

 独自の創意を放棄するような考え方が生まれた瞬間から、企業は転落と崩壊の道をたどり始めるだろうと、本田宗一郎は著書に書いた。日本を代表する企業の不祥事が続く今、かみしめたい言葉だ。

阿久さん没10年



凡語 10/20

 名を出したわけでもないのに王貞治さんに「僕の歌をありがとう」と感謝されたという。<背番号1のすごいやつ>で始まるピンク・レディーの「サウスポー」である。作詞した阿久悠さんが自著で述懐している。

阿久さんが亡くなってから10年が経過した。節目の今年は関連書が出され、テレビ番組も放映された。

「時代と格闘した」と形容される作風で演歌、アイドルから「ピンポンパン体操」まで5千作以上を世に送り出して歌謡曲の黄金期を築いた。オーディション番組「スター誕生!」のこわもて審査員として記憶される方も多かろう。

阿久さんが活躍した1970年代、流行歌は街角に流れて、人々が口ずさむ存在だった。時代や世相を映し出し、皆が分かち合った。だが歌謡曲は時代の流れで下火となっていく。

亡くなる前年には刺激的な題のエッセー「誰が歌謡曲を殺したか」を世に問いかけた。<プロにしか書けない/歌えない>ような<聴き歌>がなくなった、と嘆いた。

それから10年、若者らはスマホにイヤホンを差して音楽を聴き、メンバー人気投票券付きのアイドルCDがチャート上位を占める。そんな時世に、大衆の心を震わせ歌い継がれる楽曲が生まれ出るだろうか。阿久さんは「勝手にしやがれ」と泉下で苦り切っているだろう。

爛柯(らんか)

正平調 10/20

「銀の匙(さじ)」で知られる作家の中勘助(なかかんすけ)に「斧(おの)の柄」という詩がある。山に入ったきこりが〈子供の碁打ちを見てたとさ〉。気づけば日が暮れかかっていた。

〈おつとしまつた ついそれ夢中で どれどれやつとこさ/と 立つてみたればこりやどうぢや/斧は赤錆(あかさび) 斧の柄はぼろぼろ/帰りやこの世は何百年もたつたげな〉。

詩は中国に伝わる話をもとにしている。まるで浦島太郎だが、知らぬうちに過ぎ去っていく時の流れはすさまじい。斧の柄(柯)の爛(ただ)れにも気づかないほど夢中になってしまう-。「爛柯(らんか)」は囲碁の別名である。

井山裕太さんの七冠返り咲きにわく人間界をよそに、彼らは爛柯もしのぐ速さで進化したらしい。米グーグル傘下の企業が新たな人工知能(AI)の囲碁ソフト「アルファ碁ゼロ」を開発した。史上最強という。

たった3日の訓練で旧作ソフトに100戦全勝したそうだ。世界のトップ棋士は、その旧作にも負けている。「僕らが3日で覚える間、人の世は何百年もたったげな」。AIのひとり言が聞こえてきそうだが、そこに時を忘れるほどの熱情はないだろう。

「まだ自分は完成しているとは思っていない」。七冠復帰の井山さんが語っている。生きる喜びとも受け取れて、不思議と心にしみてくる。


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脳と心を元気にする

明窓 10/20

 新聞週間が始まった今月15日、出雲市で精神障害者支援ボランティア団体などが開催した「こころの交流コンサート」をのぞいてみた。日にちが重なったのは偶然だったが、「脳と心を元気にする方法」のテーマにひかれた。

大田市で開業し、シンガーソング・ドクターとして自作の曲を交えた講演コンサート活動を続けている長坂行博医師の講演を聴いた。専門は循環器だが、心の健康にも関心が強く一時は心療内科を考えたという長坂さんのメンタルアドバイス。

脳を元気にするためにはまず朝の脳のウオーミングアップから始める。そのためには新聞コラムの音読がお勧めという。一般の記事は長かったり短かったりばらつきがあるが、コラムならほどよい長さで毎日読めば習慣もつく。

活字に目を通すことで視覚が刺激され、文章を理解しようとしたり、声を出したりすることで脳のいろんな働きが活性化される。「時々格言にも出会って知的関心もそそられます」と「脳活デパート」としての効能も説く。

肝は毎朝繰り返すこと。新聞を読む前に寝床から立つだけで脳の血流が良くなり、おはようと元気よく挨拶の声を交わせばさらに効果は増す。日常の当たり前のことが健康に支えられ、さらに健康を促していることに気付かされる。

最近では立つことの健康効果が注目を集め、事務作業を立って行う職場も現れているという。しばらくは立ったまま新聞を読んでみるかと思ったが、わが脳みそはそれでは落ち着かないと反応した。

同じ県民の一員

くろしお 10/20

 琴線に触れる見事なセリフを小説人物や舞台俳優に語らせた作家井上ひさしさんの「せりふ集」(こまつ座編)に収録されている中でも、個人的に一番好きなのが次の言葉だ。

 「歌手の歌を聞くたびに、ひとは自分たち人間の声がこんなにも美しいものであったかと気づき、同時に自分がその人間の一員であることに誇りを持ちます」(「キネマの天地」から)。クラシックコンサートなどで素晴らしい肉声に接したときの心境がまさにこれ。

 セリフは続く。「ひとはバレエをみて人間の肉体のみごとさに感動し自分にも同じ肉体が備わっていることに感動いたします」。歌のまね事はできてもバレエは別次元のもの、舞い跳ぶ人を同じ人間とは思えないのが正直な感想である。

 それぞれの分野で地道に研究、活動を続け県民の幸福や地域の発展に寄与した個人や団体に贈られる宮崎日日新聞賞の贈呈式がきょう、宮崎市の宮日会館11階ホールで開催される。対象は科学、文化、教育、産業、社会賞の5部門で2個人3団体と特別賞の1団体。

 教育賞は伊達バレエ団・バレエスクールだ。伊達小夜子さん(故人)が戦後間もない時期に創設、1974年から娘の由伺子(ゆうこ)さんが後継者として代表を務める。本県の舞台芸術振興のけん引役として、これまでに1万人以上を指導した。

 井上さんにお許し願いセリフを少し書き換えてみたい。「宮崎日日新聞賞の贈呈式を迎えるたびに、自分が同じ県民の一員であることに誇りを持ちます」。とてもまねできない人たちだけど輝く足跡に触れるだけで誇らしい気持ちになる。

バカヤロー

春秋 10/20

 外交官だった頃、時の首相に「秘書官をやらないか」と誘われた。「私は総理大臣なら務まるかもしれませんが、秘書官などとても」。当時、30代にして言い放ち首相を激高させたと伝わる

戦後、政界に出た。東京生まれで住居は神奈川だが、選挙区は父親の出身地高知から。愛想の一つも言えない性格を知る側近が「遠いので冠婚葬祭に出なくて済む。選挙民も頻繁に訪ねて来ない」と助言した。

選挙カーの上に立った時、聴衆から「オーバーを着たままとは何事だ。脱げ」とやじが飛んだ。「黙って聞け。外套(がいとう)を着てやるから街頭演説と言うんだ」と一喝すると、さっさと降壇。鮮やかな切り返しに拍手と歓声が起きたという(瀧澤中(たきざわあたる)著「政治家の名セリフ」から)

この人の逸話を並べたら紙幅がいくらあっても足りない。敗戦からの復興期に首相を務めた吉田茂。きょうで没後50年になる。

高慢にも不遜にも見える。「ワンマン」と呼ばれ、政策や手腕への評価も割れる。それでもどこか親しみを感じるのはノスタルジーだけだろうか。人間味や個性のあふれる政治家がいたものだ、と現下の選挙戦を横目に思う。

吉田の死から2年後、長年の使用人だった男性が亡くなった。あるじの庭を掃き清めた後、枯れ葉とともに自らに火を放った。皆、「吉田のそばに仕えに行ったんだね」と言い交わしたという。「バカヤロー」が口癖なのに人をひき付けた。


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内容紹介
なぜ説得できないのか、なぜ自分の言うことを聞いてくれないのか。そうしたことは日常誰もが感じるものである。政治家たちは善し悪しを別にして、人の心を掴み、自分の考える方向に人々を向かわせなければならない職業の一つである。その彼らの人心掌握方法は、必ずや私たちの日常に役に立つ。本書を読み終える頃には、日本人のツボを押さえた魅力的な人物になっているに違いない。

著者紹介
瀧澤中(たきざわあたる)
昭和40年生まれ。東京都出身。駒澤大学法学部上條末夫研究室卒。作家・政治史研究家。日本ペンクラブ会員。日本経団連等各種団体で講演を行ないつつ、ラジオなどにも出演。歴史雑誌(『歴史読本』新人物往来社)等執筆。主な著書に『日本の政治ニュースが面白いほどわかる本』『政治のニュースが面白いほどわかる本』(中経出版)他多数。

これもクールジャパン?

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有明抄 10/20

「目は口ほどに物を言う」を地で行くというか、日本のマンガでは登場人物の瞳は実際よりもはるかに大きく描かれる。故・手塚治虫のキャラクターしかりで「クール・ジャパン」の特徴か。写真シール機「プリクラ」にも、目を大きく修正する機能がついている。

こちらもクール・ジャパン流かもしれない。「見ざる、言わざる、聞かざる」で知られる日光東照宮の彫刻「三猿」が修復を終えたが、見慣れた姿とずいぶん違うと話題になった。確かに見比べると、瞳の大きさが3割増しで、ぱっちりしている。

修復は明治以降5回目だが、その度に目の大きさが異なっているのだとか。今回は昔の姿に戻そうと、くりっとした目に変えたという。その仕上がりに議論百出だが、芸術作品の修復には賛否がつきものなのかもしれない。

5年前にスペインで修復したキリストの肖像画は大騒ぎになった。アマチュア画家の女性が修復を買って出たが、似ても似つかぬ、無残な猿のような姿に。ところが、何が幸いするか分からない。観光客が押し寄せ、Tシャツなど関連グッズも大人気に。

衆院選の公約にも観光振興が並ぶ。カジノを軸にした統合型リゾートや万博誘致を掲げる党があれば、カジノや民泊の解禁に反対する党も。日本の魅力をどう発揮していくか。しっかり目を見開いて吟味しよう。

大切な一票

風土計 10/20

 「まったく驚いた話だ。…亭主と細君が別々の党に投票したという話さ。…じつに驚くべき世の中だ。しかし、これが民主主義というものなんだろう」

教育者だった父が、息子の同僚のやりとりを耳にして嘆く。「近ごろの細君は家を守るということがわかっていない。自分勝手で、気分しだいでは別の党に入れる。いかにも戦後の日本らしいね」。なお語り続ける父に、息子はそっけない。

「言いたいことはわかりますがね。ま、お父さん、悪いけどもう寝ますよ」。今年のノーベル文学賞受賞が決まったカズオ・イシグロ氏の小説「女たちの遠い夏」の印象的な場面だ。

舞台は戦後の長崎。戦前と戦後の価値観のすれ違いが、平穏な日常に鮮明に浮かび上がる。戦争、そして原爆の後で、人々はどう立ち直り、どんな希望を抱いたのか。小説には女性の自立と幻滅の軌跡も描かれるが、温かな筆致に救われる。

衆院選も最終盤に突入した。今、お茶の間ではどんな会話が交わされているだろうか。震災復興など岩手に直結する論戦が低調に推移しているだけに、会話も弾まずに「ま、もう寝ようか」という家庭が多いのかもしれない。

あの夏から72年。日本は今、大きな岐路に立っている。憲法改正、核の脅威と安保、女性の自立と活躍…。戦後をめぐる会話から、大切な1票を考えてほしい。

営業マン

いばらき春秋 10/20

昼食時間帯のコンビニエンスストアの駐車場で、スーツ姿の営業マンらしい若い男性が弁当をかき込んでいる姿を見掛けた。自分も次の取材時間まで間がないときにはコンビニ飯を利用する。

「営業はスポーツの練習と同じでしんどさを超えると普通と思えてくる。一軒一軒のドアをノックするのが苦でなくなる」。著書「キリンビール高知支店の奇跡」で当時の支店長だった田村潤さんが振り返る。

そもそもキリンは1972年から14年間、シェアが6割を超え、独占禁止法に触れることを警戒して販売を自粛するほどだった。猛烈な営業は不要だったのだ。それがスーパードライの出現で状況が一変する。

「1カ月200軒の料飲店を回った。4カ月続けると、いい反応が返ってきた。気力を失いかけていた9人の営業マンがやりがいを感じるようになった」という。激しい闘いの末、2年半後には支店の業績は反転し高知県内でアサヒビールからトップシェアを奪回する。

第2経済面の連載「転勤族、茨城を行く」で企業の支店長・支社長を取材する機会がある。現地責任者になっても営業マンらしく社交性にあふれ、エピソードに事欠かない。

日本経済の一翼を現場の営業マン、営業ウーマンが支えている。

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“仕事とは何か”を突き詰める『キリンビール高知支店の奇跡』

 新発売から4カ月で、出荷量が16倍に激増。ビールの話ではない。全国的に最下位ランクで「お荷物」扱いされていた支社を、2年半で県内トップシェア奪回まで盛り返した経験録『キリンビール高知支店の奇跡』の売れ行きだ。4月の発売当初は1万部だった発行部数が、地道な増刷を重ねて4カ月で16万部に達している。

 本書が初の著作となる著者は、日本有数の企業であるキリンビールで副社長の地位まで上りつめた人物。さぞかし順調に出世街道を歩み続けたのかと思いきや、「左遷」のシーンで本書は幕を開ける。1995年当時、著者は45歳。負け続けの代表格・高知支店長の辞令を受けたことで、出世コースには戻れないとあきらめてもしかたがない年齢だ。

 著者自身も当時は「懲罰的な人事だ」と感じ、周囲も「田村は終わった」とうわさしていたという。だが、もともと「現場の重要性」を仕事の信念として強く心に留めていた著者は、「売れないのは何故か」というヒアリングを現場の営業スタッフ全員に対して行うことから始めていく。社内で答えがでないと悟るや、問屋や販売店に聞いて回り、その後は宴会の場でヒアリングを重ねていく。年に顔を出した宴会の数が270回以上というのだから、その熱意と行動力には驚かされる。もっとも、高知の人たちが無類の宴会好きだという素地もあるのだが。

 しかしそうやって現状把握を重ねつつも、支店長である著者は3カ月かけても方向性を定められずに悩み続ける。どういう指示を出せば、現状を打破できるのか。

 やがて著者は、支店の壁に「バカでもわかる単純明快」と大きく書きだし、飲食店営業にターゲットを絞る戦略をメンバーに伝えることになる。単純なことを愚直に地道に徹底してやる、というのが、著者の出した結論だったのだ。

 サブタイトルに「勝利の法則は現場で拾え!」とある通り、著者は「闘いに必要なことは、高知支店ですべて学んだ」と振り返る。実際に高知支店で好成績を収めたのち、著者は四国4県を統括する本部長、東海地区本部長、本社営業本部長、代表取締役副社長とより広い市場で戦いを続けていき、キリンビールにとって9年ぶりとなる全国ビール市場でのトップ奪回をも実現させている。そのすべてにおいて、高知県での6年間の経験がベースになったことも、本書の後半で具体的に示されていく。

 奇抜な発想があるわけでもなく、淡々と現状把握と地道な営業を実践させていった結果の大成功。営業の醍醐味をストレートにつづった内容ながらも、すべてのビジネスパーソンに「コツコツの積み重ねが起死回生を生む!」という強いエールを感じさせるのが、売れ続ける一因だろう。現時点での読者層は40~50代中心。まだまだ広がっていきそうだ。

『キリンビール高知支店の奇跡』田村 潤

 高度経済成長期から長年国内シェア1位の座を守り続けていたキリンビール。ライバル会社のアサヒビールが1987年に「スーパードライ」を発売したことで次第にシェアを下げていき、2001年にはトップの座を奪われてしまう。全国的にシェアを食われていく大逆風まっただ中で、高知支店はなぜ県内シェアを挽回できたのか。その実態を振り返る。
(講談社+α新書/780円)