2017年10月07日の記事 (1/1)

『求(Q)愛(I)ある(R)ある(R)アニマルダンス』

『求(Q)愛(I)ある(R)ある(R)アニマルダンス』

歌:ももくろちゃんZ 

求(Q) 愛(I) ある(R) ある(R)
手で 足で 羽で ビビデ バビデ ウォンチュー
求(Q) 愛(I) ある(R) ある(R)
マネる! なれる! ハマるアニマルダンス!

ひたむきな姿で 乙女をキュンとさせるんだ
コウロコフウチョウ 翼の素振り エブリデイデイ
セイッ セイッ
セイセイセイセイセイセイセイセイッ!

氷原をのっしりゆく ジャンボなオレにホレちゃいな
ズキンアザラシ 鼻風船の デカさ自慢
ふーん ぷくっ ふーん ぷくっ
ふん!ぷくっ ふん!ぷくっ
…どーだ!

そっぽ むかれても
しっぽ で うたれても
もう
いっぽ ふみこんで

求(Q) 愛(I) ある(R) ある(R)
手で 足で 羽で ビビデ バビデ ウォンチュー
求(Q) 愛(I) ある(R) ある(R)
マネる! なれる! ハマるアニマルダンス!

ダチョウ! 羽バサバサ 首クネッ
イシガメ! 手で のど ペタペタ ビトン
クジャクグモ! 足もウチワも フレフレ!
クビナガカイツブリ! 水上 並んでシャ――ッ!
ムンクスデビルレイ!
水面 飛び出し 轟!音! バッチャーン!
オナガセアオマイコドリ!
弟子と交互にジャンプ!ジャンプ!ジャンプ!

愛(I)こそがQ(キュー)
謎だよQuestion(クエスチョン)
答えはきっと100万通りさ
大好きな気持ちは みんな一緒だZ!!

ハサミでバンザイ・スクワット
高さと速さで差をつけろ
チゴガニは まわりいちめん 恋のライバル
1・2・3・4・5時間 ふってふって
お嬢さん お入んなさい!
…大・成・功!

求(Q) 愛(I) ある(R) ある(R)
手で 足で 羽で ビビデ バビデ ウォンチュー
求(Q) 愛(I) ある(R) ある(R)
マネる! なれる! ハマるアニマルダンス!
アニマルマルダンス!!

カズオ・イシグロ

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斜面 10/7

「ノーベル賞は常に平和のためにある。受賞の名誉が少しでも平和に貢献できればうれしい」。ことしの文学賞に決まった長崎市生まれの英国人小説家カズオ・イシグロさんの言葉が印象的だった。平和の意義は母から教わったという

 5歳まで長崎で育ち、海洋学者だった父の仕事のため一家で渡英。数年のつもりの滞在が延びて定住し20代で英国籍を取得した。会見では、英国人作家か日本人作家かと問われて「はっきりした答えは見つけられない。ただの作家である」と答えている

 物の見方、世界観に日本が影響している。一部は日本人との意識もある。日英の感性を昇華させ、新たな地平を開いたからこそ広く読まれるのだろう。移民排除や自国第一主義など世界に広がる排外主義への危機感が、国を超えた「ただの作家」にスポットを当てたのではないか

 “普遍化文学”の力を感じさせたのは「わたしを離さないで」(05年)。映画化され日本でも舞台やドラマになった代表作だ。臓器提供のため寄宿舎で育てられるクローンの子どもたち。葛藤の中で過酷な定めを受け入れ、友情に恋愛にと懸命に生きる

 なぜ不条理に抵抗しないのか、もどかしく感じつつも引き込まれる幻想的世界だ。読後感は、死を覚悟し父母や愛する人への思いを吐露した戦没学生の手記「きけわだつみのこえ」と重なった。平和は国や人種を超えた共感に宿る―。そう教えてくれたイシグロさんのうれしい受賞である。

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天地人 10/7

 どうしても、日本人の受賞はあるのか、有力候補と取りざたされる村上春樹さんは-という点にばかり注目してしまうノーベル文学賞。昨年のボブ・ディランさんにはびっくりしたが、今年のカズオ・イシグロさんにも驚いた。

 長崎に生まれ日本人の名前を持つ英国人。長編「わたしを離さないで」の表題はジャズの曲名に由来し、親交のある村上さんからCDを贈られたと過去のインタビュー記事にあった。

 文芸評論家の川村湊さんは著書「村上春樹はノーベル賞をとれるのか?」(光文社新書)で村上さんのライバルとしてイシグロさんの名前を挙げていた。村上さん受賞の可能性は近づいたのか遠のいたのか。ハルキストらの文学談義が当分続きそうだ。

 候補といっても民間の賭け屋の予想にすぎない。実際の候補者名は50年間非公開とされている。それでも村上さんの受賞を待つ声がやまないのは、その作品が現代を生きる人々の心に共通して響く物語と評され、世界中に読者を獲得しているからだろう。

 この時期になると、こちらもそわそわして村上作品を取り出したり、関連本をチェックしたりするのが習い性になってしまった。発表を待つファンイベントも「秋の風物詩」と呼ばれるまでに。秋の季語に「山粧(よそお)う」「星流る」などとあるが「ハルキ読む」なんてどうか。灯火親しむ季節にふさわしいと思うのだが。

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河北春秋 10/7

 読後感を問われて、愛読者の一人としていつもこう言っている。「小津安二郎監督の映画。あれだよ」。味わい深いせりふ、低いカメラ位置からのアングル、周囲の詳細な描写。余韻は『東京物語』『晩春』『秋刀魚の味』に似ている。

今年のノーベル文学賞に決まったカズオ・イシグロさん(62)は5歳で長崎市を離れ、英国で暮らすようになってから、日本の面影をよく小津映画に重ねたという。なるほど、出世作『遠い山なみの光』『浮世の画家』に出てくる日本はおぼろげである。だから余計に「わたし」の語りが浮き立つ。

故郷の喪失、記憶の不確かさはイシグロさんの大きな主題である。芥川賞作家の小野正嗣さんは『浮世-』の解説に書いている。「『語り』が何を語ろうともそこに違和感やズレや亀裂を生じさせてしまう」と。それこそが魅力らしい。

故丸谷才一さん(鶴岡市出身)はこう読み解いた。大英帝国の落日を描いた『日の名残り』を「外国系の作家なので客観的になれた」と評し、文学のグローバル化の良例として挙げている。

古里を追われ、あるいは古き伝統が崩れて途方に暮れる人たちが世界にいる。どう生きていけばいいのか。イシグロ作品に問えばいい。授賞は、はびこる排外主義や性急な技術革新への反論とも受け取れる。

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卓上四季 10/7

「もののあはれ」とは、ものごとに触れて引き起こされる感動や、しめやかな感情、情緒のこと―と辞書は説明する。ノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロさんは、この「もののあはれ」という言葉が好きだという。

長崎市生まれで、5歳で渡英した。英国籍を取得して英国住まい。初期の作品こそ日本が舞台だが、以降は日本と無縁の作品が続く。


にもかかわらず、その作風は世界はもとより現代の日本読者の胸にも響く。それは、行間を読ませる精緻な筆致と、白か黒かを強要しない穏やかさにあるようだ。


たとえば「日の名残(なご)り」で主人公の老執事は過去を振り返りながらつぶやく。「夕方は一日でいちばん楽しめる時間なのかもしれません。(中略)人生が思いどおりにいかなかったからと言って、後ろばかり向き、じぶんを責めてみてもそれは詮無い」

夕方が「人生の黄昏(たそがれ)」を指しているのは言うまでもない。「わたしを離さないで」についても「人生は短い。全ての人は死を迎える。大切なのは金や力ではなく愛する人や友人だ、との思いを作品に込めた」と話していた。通底するのは「もののあはれ」だ。

現代社会で価値を持つ、「楽しい」や「おもしろい」と、かけ離れた位置にあるのが「もののあはれ」であろう。英国人のイシグロさんの受賞は、こうした感覚の大切さを、忙しすぎる日本人に改めて思い出させてくれた。

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時鐘 10/07

 わが5歳(さい)の思(おも)い出(で)は何(なに)がどれだけ残(のこ)っているだろう。カズオ・イシグロという作家(さっか)と生(お)い立(た)ちを知(し)って、そんなことが頭(あたま)をよぎった。

5歳なら、周囲(しゅうい)とちゃんと話(はなし)ができる年(とし)ごろである。いったん身(み)につけた日本語(にほんご)を、イシグロさんはあらかた忘(わす)れてしまった。が、幼(おさな)いころの「障子(しょうじ)に畳(たたみ)の部屋(へや)」などの光景(こうけい)は、しっかり記憶(きおく)の底(そこ)に残り、いまもよみがえる、と記事(きじ)にあった。

5歳の記憶は不思(ふし)議(ぎ)である。せっかく覚(おぼ)えた大事(だいじ)なことでなく、平凡(へいぼん)な暮(く)らしのひとこまだけが切(き)り取(と)られて残る。ノーベル賞(しょう)作家も、われらと五十歩(ごじっぽ)百(ひゃっ)歩(ぽ)か。

そんな5歳までの日本の記憶を保存(ほぞん)するのが小説(しょうせつ)の第(だい)一歩(いっぽ)、とイギリスに住(す)む作家は語(かた)る。これは凡人(ぼんじん)が逆立(さかだ)ちしてもマネできないが、思い出の跡(あと)を手繰(たぐ)ることぐらいは簡単(かんたん)にできよう。ふるさとに暮らす特(とっ)権(けん)である。5歳のアルバムに残る生家(せいか)の日(ひ)に焼(や)けた畳(たたみ)の間(ま)、雪(ゆき)が積(つ)もった裏庭(うらにわ)などは影(かげ)も形(かたち)もないが、それでも何かに「再会(さいかい)」できる予(よ)感(かん)がする。

書店(しょてん)に出(で)向(む)くより先(さき)、5歳の記憶が残るあちこちを訪(たず)ねようと思う。勝手(かって)ながら、受賞祝賀(じゅしょうしゅくが)ツアーのつもりでもある。

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明窓 10/7

記憶とは…問う文学賞

 数年前からひょっとしたらと思っていたが、今年のノーベル文学賞に日系英国人作家のカズオ・イシグロさんが決まった。英文学の世界では人気作家の一人で、日本関係では村上春樹さんと並ぶ候補との評価もあった。

日本では昨年、臓器提供のためのクローンとして生まれた若者たちを描く『わたしを離さないで』がテレビドラマになり、その前年には、10年ぶりの長編となる『忘れられた巨人』が発売されて話題になった。

イシグロさんは日本人・石黒一雄として長崎で生まれ、5歳の時に海洋学者の父に付いて家族で渡英。その後、英国籍を取得した。62歳。母語は英語。作品も英語で執筆し、日本には翻訳本が並ぶ。

イシグロ作品との出会いは、原爆の影を背景にした『遠い山なみの光』と、敗戦とともに没落した老画家の苦悩を描く『浮世の画家』が最初。どちらも舞台は戦後間もない日本だが、実際の記憶は薄く、小津安二郎監督の映画を参考に描写したという。

英国最高の文学賞を受けた『日の名残り』は、戦時中、ナチスに協力する結果になった英国貴族に仕えた老執事の物語。いずれも戦争による価値転換など不条理な世界で自らの過去の清算に悩む姿が一人称で語られ、読者に薄明かりを探させる。

それは、過去の「記憶」が不確かな方が幸せなのかという問い掛けでもある。「世の中が不安定な状況の中で、小さな形でも平和に貢献できれば」と受賞決定後に話したイシグロさん。「幸せ」を「平和」と置き換えて考えてみたい。

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地軸 10/7

 「小説を書き始めた動機は、日本の記憶を保存すること」。今年のノーベル文学賞に決まったカズオ・イシグロさんは、かつてこう語っていた。長崎市に生まれ、5歳で英国に渡って60年近くがたつが、日本は今も、大切なふるさと。

 執筆は、時の経過とともに薄れゆく「美しい思い出」あふれる日本のイメージを、つなぎ留める手段だった。デビュー作「遠い山なみの光」は、記憶と想像によって紡ぎ出した原爆投下後の長崎の復興、明るい未来を求める市井の人を描いた。日本の読者は、数十年前の日本人の心中に思いを巡らせる。

 イシグロさんが「同じ歩みの中にいることに感謝したい」と名前を挙げたのが、内子町大瀬出身のノーベル賞作家大江健三郎さん。「私の小説の原風景は大瀬にあり、心の支え」。大江さんもふるさとに深い思いを抱く。

 大瀬は作品にたびたび登場し「万延元年のフットボール」では「濃密な森」「紡錘型の窪地」と表現された。国内外から訪れたファンは、この「空間」を大江さんと共有する。

 作品を通じ大瀬の自然、風土の価値に改めて気付かされた住民は多い。そして「大瀬を守り、大江文学の価値を将来に伝えたい」と決意する。

 2人の作家に相通ずるのは、社会へのメッセージもそう。大江さんは「九条の会」で平和憲法を守る先頭に立つ。イシグロさんは自らの受賞をこう語る。「小さい形であっても、平和に貢献できればうれしい」

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小社会 10/7

 執事は英国にしかいない。他の国にいるのは、名称はどうあれ単なる召使いだ―。そう自負する名家の執事を描いた作家、カズオ・イシグロさんの「日の名残り」。1993年に映画化され、主人公をアンソニー・ホプキンスさんが演じた。

 大勢の使用人を差配し、家政を取り仕切る。どんなトラブルにも表情一つ変えないが、長年仕えてきた貴族がナチスドイツの擁護者であったことから苦悩を深める。

 没落してゆく英国の上流階級。縁遠い世界に思える半面、この執事のような人は一昔前まで周りにたくさんいたのではなかったか。与えられた役割を真面目にこつこつこなす、寡黙で責任感の強い人々。ホプキンスさんの表情に日本人の面影が重なって見えた。

 長崎で生まれ英国籍を持つイシグロさん。ノーベル文学賞受賞後、「私の一部は、いつも日本人と思っていた」と述べた。象徴的な場面が映画にある。年老いた執事がかつてほのかな思いを抱いていた同僚の女性と再会する。

 「時々、人生を誤ったと思うことがある」と言う彼女に、執事は「人は皆、人生に悔いがあります」。小津安二郎監督の「東京物語」を思い出した。わが子への失望をにじませる老夫婦が「欲を言えばきりがないが、まあええ方じゃよ」「ええ方でさあ、私ら幸せでさあ」。

 誰の心の奥底にもある人生への諦念。普遍的な感情を揺さぶるイシグロ文学にこの秋、親しんでみたい。

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春秋10/7

 〈稲佐は長崎の港を見おろす、景色が美しいので有名な丘陵地帯である〉。ケーブルカーで登った女性が眼下に広がる景色を指して言う。〈まるで何事もなかったみたいね。どこもかしこも生き生きと活気があって〉〈あの辺はみんな原爆でめちゃめちゃになったのよ。それが今はどう〉

英作家カズオ・イシグロさんの小説「遠い山なみの光」(小野寺健訳)は、戦後間もない長崎が重要な舞台だ。長崎を離れ英国で暮らす女性が、戦争で傷つき、かすかな光を求めて懸命に生きていた当時を回想しながら物語が進んでいく。

長崎はイシグロさんの生まれ故郷でもある。5歳の時に日本人の両親とともに渡英し、後に英国籍を取得した。英国で育ち、教育を受けたイシグロさんは英語で執筆し、日本語はあまり話せないという。

一方で「私の一部はいつも日本人と思っていた」とも。「遠い山なみの光」も原作は英語だ。翻訳者の力量もあろうが、外国文学のぎこちなさよりも、日本的な繊細さが伝わってくる。

長崎での幼い日の記憶や両親との会話、小津安二郎の映画などからイシグロさんがつくり上げた「ニッポン」「ナガサキ」のイメージ。それは私たちの琴線に触れる「懐かしい日本」に通じるのかもしれない。

イシグロさんのノーベル文学賞受賞決定を心から喜びたい。九州ゆかりの人の栄誉とともに、日本的な感性が世界に高く評価されたことにも。

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もののあわれ(ノーベル文学賞)

有明抄 10/7

 「もののあわれ」という言葉がある。日本人特有の美意識の一つで、無常観的な哀愁、悲しみとも、はかないものへのしみじみとした感情ともとれる。ノーベル文学賞に決まったカズオ・イシグロさんが好きな日本語だという。

家族の崩壊を描いた小津安二郎監督の映画「東京物語」や、敬愛する村上春樹さんの小説にも「もののあわれ」がある―。イシグロさんはそうインタビューで語る。作品には、抗あらがうことのできない波に翻ほん弄ろうされる人々の悲しみが多く描かれている。

代表作『日の名残り』は、英国の貴族に仕える老執事が回想する小説だ。彼は主人の重大な汚点に心を痛めながらも、まるで江戸時代の主君と家来のように、ただただ忠実に従う。メイド頭への想おもいも感情を表せずに封印してしまう。

小説のラスト。〈あのときああすれば人生の方向が変わったかもしれない―そう思うことはありましょう。しかし、それをいつまで悩んでいても意味のないことです〉。そう考えて、老執事は前を向く。

自分の力ではどうにもできないことが起こるのが人生。でも乗り越えていくしかないし、そうできる強さを持っているのも人間だ。生きていれば悪いことばかりじゃない―。イシグロ文学の根底に流れるメッセージを感じとる。今回の受賞で、私たちはまた一つ勇気をもらえた気がした。

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南風録 10/7

 「日の名残り」「わたしを離さないで」「忘れられた巨人」。読んだのはこの順番だったと思う。叙情的な情景、SF、ファンタジーと、作品が変わるごとに新しい世界が内包されていて驚く。

 英国人小説家カズオ・イシグロさんが今年のノーベル文学賞に選ばれた。長崎市生まれで5歳まで育ったと聞くと、受賞が一層身近に感じられる。海洋学者だった父親が英国の研究所に招かれ一家で渡英、その後、英国籍を取得した。

 日本にもファンは多い。「わたしを―」は映画化され、昨年、綾瀬はるかさん主演でテレビドラマにもなった。臓器移植のために育てられた少年少女たちが主人公という衝撃的なテーマと抑えた筆致の対比が印象的だ。

 イシグロさんがこだわる主題に「記憶」がある。「忘れられた巨人」もおぼろげな記憶を頼りに離れて暮らす息子を訪ねる老夫婦の物語だ。「どんな時に思い出し、どんな時に忘れたままにしておくべきなのか」。出版時の取材でそんな問いを発していた。

 作家になった動機も、幼いころの日本の記憶を保存することだった。消えゆくイメージをつなぎ留めて書いたのが、日本を舞台にした初期の作品だ。日英双方の文化の土壌から生まれた文学なのだろう。

 受賞決定後「私の一部はいつも日本人」と語っていた。記憶や人間の尊厳を描く作品が今後、どう広がるのか。もっと驚かせてほしい。

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最後のコンサート





中日春秋 10/7

先月二日に九十二歳で逝った土山秀夫さんにとって、メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲ホ短調は、特別な曲だったという。

一九四五年の七月末。土山さんは兄とともに、長崎の家でこの曲を聴いた。クラシック音楽を聴いていれば「敵性音楽を楽しむとは」と、とがめられた時代。兄弟は音が漏れぬよう蓄音機にふとんをかけ、かすかな旋律に聴き入った。

兵営入りは、目前。「これが恐らく自分にとって最後のコンサート」と思いつつ聴くと涙がこぼれたそうだが、それは兄らとの「別れの曲」になってしまった。八月九日、土山さんは母を見舞うために、たまたま長崎を離れていた。しかし、兄とその家族は原爆によって命を奪われたのだ。

戦後、医学の道に進んだ土山さんは核を廃絶するために力を尽くした。この世を去る前に「核兵器禁止条約」の誕生を目にすることはできたが、日本政府がその交渉にすら加わらなかったことに、どういう思いを抱いていただろうか。

核の力を手放すことができず、今なお一万五千発もの核弾頭がある世界は、いつ「人類の最後」を迎えるかも分からぬ世界だ。例年、ノーベル平和賞授賞式の翌日には、受賞者をたたえるコンサートが開かれるが、今年は、メンデルスゾーンの協奏曲を奏でてはくれまいか。

それが、私たちの「最後のコンサート」にならぬようにとの思いを込めて。

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土山秀夫さん死去

 被爆地長崎の核兵器廃絶運動の理論的支柱で元長崎大学長の土山秀夫氏が2日午前5時16分、多臓器不全のため長崎市坂本1丁目の長崎大学病院で死去した。92歳。長崎市出身。自宅は長崎市三川町1221の52。近親者のみで密葬を行う。後日、お別れの会を執り行う予定。

 先月30日には日本の被爆者運動をけん引した長崎原爆被災者協議会会長の谷口稜曄(すみてる)さん(享年88)が亡くなっており、被爆地長崎は立て続けに核廃絶・平和運動のリーダーを失うことになった。

 1945年8月9日早朝、長崎医科大(現長崎大医学部)付属医学専門部(医専)の学生だった土山氏は、佐賀県に疎開していた母が危篤との報を受け、列車で長崎を離れた。このため原爆の直爆を免れたが、翌10日、長崎に戻り入市被爆した。当時20歳。大学救護班の下で負傷者の救護・支援活動に従事し、数日後、山里町(現平野町)の自宅付近で同居していた長兄の遺体を確認。長兄の妻とその子2人のうちの1人とみられる遺体もあったが、もう1人の子は見つからなかった。

 専攻は病理学。52年に長崎医科大を卒業後、2年間の米国留学などを経て69年、長崎大医学部教授に就任。医学部長を経て88年10月から4年間、学長を務めた。この時、大学の文教キャンパスの移転を巡り政治家や官僚と対立。大学予算をカットされたため、政治家から圧力があったと記者会見で批判し、物議を醸した。

 90年から2015年まで26年にわたり、長崎市長が8月9日の長崎原爆の日に読み上げる長崎平和宣言の起草委員を務めるなど、市の平和・核廃絶の施策にも深く関わった。2000年には、非政府組織(NGO)核兵器廃絶地球市民長崎集会実行委員会の初代委員長として国際会議「核兵器廃絶-地球市民集会ナガサキ」を開催。10年まで委員長として同会議を計4回主催し、北東アジア非核兵器地帯構想の実現や米国の「核の傘」からの脱却などを提言した。

 長崎大が12年4月に開設した核兵器廃絶研究センター(RECNA)の顧問も務め、被爆地からの情報発信や人材育成に貢献。過去の悲惨な被爆体験を土台にした「情」と、学者としての「理」を備えた「平和活動家」として、草の根レベルの核廃絶運動を追求した。

 2000年、勲二等旭日重光章を受章。10年には長崎市名誉市民に選定されたほか、世界平和アピール七人委員会委員や県九条の会共同代表も務めた。長崎原爆を題材にした山田洋次監督の映画「母と暮(くら)せば」(15年公開)の主人公のモデルの一人にもなった。