2017年10月の記事 (1/11)

処刑する男

中日春秋 10/19

十歳の時、その少年は二十年後の自分をこう描いていたという。大好きな英サッカーチームの「選手になっていて、ゴールを決める。」

だが、この少年モハメド・エムワジが、三十歳になることはなかった。二十七歳の時に彼は、過激派組織「イスラム国」の本拠地ラッカで死んだ。黒い覆面姿で人質らを残酷に処刑する男「ジハーディ・ジョン」として米英軍のミサイル攻撃の的になったのだ。

サッカー好きの内気な少年がなぜ、悪名高きテロリストになったのか。英国の記者バーカイク氏の労作『ジハーディ・ジョンの生涯』が浮かび上がらせるのは、英政府などの「テロ対策」が若者を先鋭化しやすくしているという実態だ。

戦禍や貧困から逃れるため、中東などから欧州に渡った難民や移民の子らが、ただ怪しいというだけで明確な根拠もないまま当局の厳しい監視下に置かれ、就職や結婚さえ、ままならなくなる。異物のように社会から排除された若者が出口をあがき求めた末に極端な行動に走る…そんな構図である。

軍事作戦で「イスラム国の首都」ラッカは陥落した。しかし、なぜあれほどの若者がラッカに集まったのか、という問いが消えたわけではない。

『ジハーディ・ジョンの生涯』は、こんな不気味な言葉で結ばれている。<モハメド・エムワジは殺されても、ジハーディ・ジョンの替えはいくらでもいる。>

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鋭利な刃物を手にした黒装束の男と、オレンジ色のジャンプスーツで手を縛られた人質。ネットを通して瞬く間に拡散した、あまりにも残忍な光景を多くの人は忘れることなどできないだろう。
その後、凄惨な行為はフランスを始めとする世界各地へと飛び火し、さらに多くの犠牲者を出すことにもなった。まさにテロの連鎖というべき状況を断ち切っていくためには、我々は何をするべきなのか? そして何をすべきではないのか?
むろん、事件の加害者に気持ちを寄り添わせることなど、到底出来はしない。だが犠牲者だけではなく、その事件が起きた社会的な背景にも気持ちを寄り添わせなければ、負の連鎖を断ち切ることは難しい。ただ加害者のパーソナリティに憎悪の気持ちを向けるだけでは、新たなテロリストを生み出してしまうだけなのかもしれない。
本書は、後に黒覆面の処刑人として世界を震撼させることになる、「ジハーディ・ジョン」ことモハメド・エムワジの評伝であり、そして彼と唯一接触したジャーナリストとしての著者自身の物語でもある。一人の男の半生を通して見えてくるのは、一つのテロがまた次のテロを生み出すまでの典型的な構図である。テロリスト誕生までの節目となるプロセスがまるで双六のように描かれ、サイコロを振る度にエムワジは先鋭化していく。
多くの犯罪者がそうであるように、幼少の頃のエムワジにも殺人鬼の片鱗は見られない。クウェート難民の息子として西ロンドンで生まれた彼は物静かなティーンエイジャー時代を過ごし、理性的で、勤勉であったという。10歳の頃の将来の夢は、大好きなチーム・マンチェスター・ユナイテッドの選手になっていて、ゴールを決めること。ごくごくありふれた少年であった。
だが一人の人格が形成されるまでに、周囲の人間の影響下から逃れることは難しい。運命が変わりだすのは、大学へ入学し、新たな人間関係ができる頃からだ。当時、ウェストミンスター大学は左翼の大学として知られており、一連の過激なイスラム聖職者の活動の場にもなっていたのだ。
彼の友人グループのリーダー格がソマリアで殺人やテロを計画しはじめると、グループ全体が対テロ戦争の標的となり、保安当局の手はエムワジにも及んでいく。国外への渡航はMI5に何度となく妨害され、就職や結婚の機会ですら、ことごとく潰されしまうのだ。
八方塞がりの状況に追い込まれたエムワジは、チャンスのない息が詰まりそうな環境から逃れ、「何者」かになることを希求する。多くの若者たちと同じように、警察や他の当局者を避けて、閉じた集団の中でムスリムとしてのアイデンティティを求めるようになってしまうのだ。著者は、似たような考え方をする友人の小さなネットワークに閉じ込められた時に先鋭化が起こりやすいという。
常識的な社会からある程度の距離をおかないと、真に夢を見る力は養われないだろう。優れたイノベーターたちの多くが、カルト的な環境の中で世の中を大きく変えるプロダクトを生み出したことは、よく知られた事実である。しかしエムワジが見た夢は、悪夢の方であった。
この直前の時期に、著者はエムワジへ貴重なインタビューを行っている。著者が知るエムワジは、実に紳士的で礼儀正しい男であったという。対立するアイデンティティの狭間で苦しみ、当局からの嫌がらせのような行為に悩み、その実態を多くの人に知ってもらうことを真摯に訴えてきた「被害者」としての声であったのだ。
著者は自問する。この漂流するエムワジの心の叫びを、もう少し早い段階で世の中に発信することができれば、「ジハーディ・ジョン」の誕生を防ぐことができたのかもしれない、と。
本人の意思とは無関係に、一度テロリストの疑いをかけられたものは、テロリストとして生きるしかないように周囲が変わってしまう。その影響が、やがて本人自体を変えてしまい、虚像と実像のボーダーは溶けていく。社会から弾き出そうとする力と、受け入れる側の利用しようとする力が重なりあった時、代替不可能であったはずのモハメド・エムワジのパーソナリティは、代替可能な「ジハーディ・ジョン」のキャラクターと入れ替わってしまうのだ。
テロが市民の恐怖を引き起こし、その恐怖がさらなる予備軍を先鋭化させ、また次のテロが起きる。エムワジのパーソナリティと社会的な背景を照らし合わせながら見ていくと、テロリストが生産されるプロセスは、強固にシステム化されているとしか思えない。事実、先鋭化するムスリムの若者は後を絶たず、それは「ジハーディ・ジョン」の替えがいくらでもいることを意味する。
つい先日にも、革命記念日に沸くフランスをトラック突入テロが襲った。容疑者の動機や背景など、詳細はまだ明らかになっていないが、「仏政府は非常事態を宣言し、危険人物の摘発や街中の警備を強化していた。」という紙面の一節はとにかく気になった。そのやり方次第では、さらなるテロリストを誕生させるだけであるという事実を、多くの人は知っておくべきであろう。

ワニの口

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南風録 10/18

 「口」の字に動物を組み合わせた言葉は数々ある。代表格は水道の蛇口だろう。若い女性ならアヒル口が浮かぶかもしれない。口角が上がり唇を前に突き出した口をいう。かわいらしく見せるしぐさが魅力らしい。

 ヒキガエルの見た目と裏腹に、重宝するのはがま口である。大きな口で小銭を丸のみしてくれ、ちょっとした買い物に便利だ。給料日前に500円玉を見つけて喜んだ向きも多かろう。

 変わり種は「ワニの口」である。こちらは庶民とは桁違いの国家予算を扱う財務官僚が好んで使う。歳出と税収の差が年々広がっていく折れ線グラフの形が、口を開けたワニと似ていることにちなむ。

 この差額は国債の発行、つまり借金で穴埋めされている。少子高齢化により社会保障費は膨らみ続け、バブル崩壊後、ワニの口は広がる一方だ。口を縛るロープの役割が消費税増税だったはずなのだが、雲行きは怪しい。

 衆院選で与党は増収分をすべて借金返済に回さず、教育無償化に充てる方針を打ち出した。野党は今は上げ時でないと増税の凍結、中止を訴える。いずれもワニの凶暴性をみくびったかのような振る舞いだ。

 広辞苑を引くと、しっかり「鰐(わに)口」もあった。「きわめて危険な場所・場合」と出てくる。いくら巨大なワニでも口の大きさには限界があろう。たがが外れた先にある財政破綻や借金地獄を忘れてもらっては困る。

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半分ちょうだい

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有明抄 10/18

 子ども心に悩んだ記憶がある。絵本『はんぶんちょうだい』(作・山下明生)は、森の動物たちが主人公。釣りに出かけたウサギとサルが、何やらとてつもない“大物”を当てる。が、釣り上げられずに「つれたら、はんぶんあげるよ」と、誰彼かまわず約束してしまう。

みんなで釣り上げたものの、獲物はひとつ。口々に「半分ちょうだい」と迫られて、青ざめるウサギとサル…。今の東京都も同じような気持ちかもしれない。江東区と大田区が所有を争ってきた東京湾の人工島「中央防波堤」の話である。

この人工島は、東京五輪でボートやカヌーの競技会場として使われる予定で、まさに都心の一等地。江東区が「島を埋め立てるためのごみはうちを通って運んだ」と主張すれば、大田区は「あの海域では、うちの漁民がノリを養殖していた」と双方譲らない。

結局、東京都が出した調停案は、それぞれの区の海岸線からの距離に基づいて、江東区に面積の9割近くを、大田区に1割余りを認めた。江東区は納得したが、わずかしか得られない大田区は猛反発。争いは司法の場に持ち込まれそうな雲行きだ。

冒頭の絵本では、釣り上げた大物の正体は「海」だった。みんなで担いで山に持ち帰り、森の動物たちの憩いの場にするというハッピーエンド。人工島はどんな結末を迎えるだろう。

「人に成る」日は

水や空 10/18

 詩人の谷川俊太郎さんに「成人の日に」と題する一編がある。〈成人とは人に成ること もしそうなら/私たちはみな日々 成人の日を生きている〉。

俗に言う「逆ギレ」で親子の乗った車を追い掛け、追い詰めたという福岡県中間市の男(25)に「人に成る日」は遠かろう。6月、神奈川県の東名高速道路で、静岡市の親子4人のうちの両親が死亡した追突事故は、いきさつが知れるほどやるせない。事故を誘発したとして男が逮捕されてから1週間。

親子のワゴン車を男が追い掛け、進路をふさぎ、無理やり停止させた。そこに後ろからトラックが突っ込んだ。事故の前、男はパーキングエリアで駐車位置をとがめられたため「キレて追い掛けた」という。

逆恨みの極みだろう。「君も大人なのだから」といった物言いが果たして通じるのかと疑念が湧いて、胸がざらつく。

周りの迷惑を考えての「注意」はごく真っ当な行いで、つい気後れしがちな身にすれば頭が下がる。なのに、こうした"言い掛かりの極み"があると知れたら、言葉をのみ込む向きも強まりそうな気がしてくる。

詩は続く。〈毎日のささやかな行動で/人は人を傷つける 人は人を慰める/人は人を怖れ 人は人を求める〉。きつい言葉も、慰みの言葉もかけられて、人は人に成るはずだろうに。

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谷川俊太郎さんの詩は、とても美しく、「内観」と情愛と優しさの示唆に富み、愛念がしみ出し、あふれ、そして、とても深いように感じます。


「成人の日に」

谷川俊太郎

人間とは常に人間になりつつある存在だ...かつて教えられたその言葉が
しこりのように胸の奥に残っている
成人とは人に成ること もしそうなら
私たちはみな日々成人の日を生きている
完全な人間はどこにもいない
人間とは何かを知りつくしている者もいない
だからみな問いかけるのだ
人間とはいったい何かを
そしてみな答えているのだ その問いに
毎日のささやかな行動で
人は人を傷つける 人は人を慰める
人は人を怖れ 人は人を求める
子どもとおとなの区別がどこにあるのか
子どもは生まれでたそのときから小さなおとな
おとなは一生大きな子ども
どんな美しい記念の晴着も
どんな華やかなお祝いの花束も
それだけではきみをおとなにはしてくれない
他人のうちに自分と同じ美しさをみとめ
自分のうちに他人と同じ醜さをみとめ
でき上がったどんな権威にもしばられず
流れ動く多数の意見にまどわされず
とらわれぬ子どもの魂で
いまあるものを組みなおしつくりかえる
それこそがおとなの始まり
永遠に終らないおとなへの出発点
人間が人間になりつづけるための
苦しみと喜びの方法論だ

 
谷川俊太郎詩集「魂のいちばんおいしいところ」より。

注意され、きれた

鳴潮 10/18

 こんな理不尽な死があるものか。神奈川県内の東名高速道路で、追い越し車線に停止させられた末、大型トラックに追突され、夫婦2人が亡くなった事故である。原因をつくった男が逮捕されて1週間がたつが、怒りが収まらない
 
 手前のパーキングエリアで駐車位置を巡ってトラブルとなり、夫婦のワゴン車を追走し進路を妨害した。「注意され、きれた」という。その程度のことで、止まっていい場所とそうでない場所の区別がつかないほど感情が激したようだ
 
 1カ月前にも、山口県内の一般道で3件の妨害行為をしている。幅寄せし接触事故を起こしたとして自動車運転処罰法違反(過失傷害)容疑で書類送検され、起訴猶予処分となっている。なのに懲りてはいなかった
 
 筆者が10代のころ、人が変わる瞬間を見たことがある。友人の車に乗せてもらった時だ。おとなしい彼がハンドルを握ると別人になった
 
 勘弁してよ、と言うと「普通でえ」。何人かいた同類も、乱暴な運転の揚げ句に同じことを言った。普通なわけがあるかい。車は人を変えることがある、とは身をもって知った教訓である
 
 不良ドライバーを避ける方法があるのならいい。だが、災難はどこに転がっているか分からない。ドライブレコーダーを付けて、証拠を保全するぐらいしか、今は対処法が思い浮かばない。

「怒る」と「叱る」

正平調 10/18

昨年亡くなったラグビー元日本代表監督の平尾誠二さんには、人を叱るときの4カ条があったそうだ。人格を責めない。あとから必ずフォローをする。人と比べない。そして、長くはやらない。

国語学者の金田一秀穂(ひでほ)さんも「怒る」と「叱る」の違いを解説している。相手をへこまし、やっつけるのが「怒る」。同じ過ちを繰り返させないようにするのが「叱る」だと(「オツな日本語」日本文芸社刊)。

調査によれば、中学2年の男子生徒は担任と副担任に、大声で怒鳴られたり、責められたりした。あげく過呼吸を訴え、土下座で許しを請おうとした。これを「叱る」とは言わない。「怒る」の域も超えている。

福井県池田町で3月、この生徒が飛び降り自殺をしたのは、担任らの度重なる「厳しい指導」や「叱責(しっせき)」を苦にしたものだったと町教育委員会が明らかにした。怒声は周囲が身震いするくらい激しかったという。

どんな先生なのか。生徒が懸命に務めていたはずの生徒会役員についても「おまえ辞めてもいいよ」と怒鳴っている。ほかの教員も知らん顔だった。集団いじめに近い。

いくら学校に怒っても、叱っても、今になって過ちは繰り返さないと言われても、失われた命は戻ってこない。少年の絶望が胸を締めつける。

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風待草、猫の恋、七夕、半夏生、あぶれ蚊、嫁が君、韋駄天、勿体ない、口説く、べらぼう、さわり、竈(かまど)猫、口説く、鳥肌が立つ……。テレビでおなじみ金田一秀穂先生が解説する日本語の面白さ、奥深さ! 春・夏・秋・冬。一年でめぐる季節のことば、懐かしく、使わないでいるのは惜しい、昔からのことば、時代の風を感じさせる、このごろのことば。国語学者・金田一秀穂教授が,日本人の豊かな感性を表す、様々なことばの語源や意味を解説。ジャパンエフエムネットワークが全国ネットで配信する人気番組『言の葉 歳時記』の書籍化!

担当者コメント
獺祭魚(だっさいぎょ)、蛙の目借時、山笑う、木の下闇、半夏生、蝉時雨、だらしない、派手、宿六、くしゃみ たそがれ時、始末がいい、萌え、などなど。FMラジオの人気番組『言の葉 歳時記』で放送された200項目のことばを集め、書籍化しました。知らなかった意外な語源や意味など、金田一先生ならではの解説が味わえます。日本人が大切に伝えてきたことばの奥深さ、面白さ満載です。

著者紹介
金田一秀穂(きんだいち ひでほ) 1953年東京都生まれ。上智大学文学部卒業後、1983年、東京外国語大学大学院日本語学専攻を修了。 ハーバード大学客員研究員等を経て、現在、杏林大学外国語学部教授。祖父の金田一京助(言語学者) 、父の金田一春彦(国語学者)に続き、自身も日本語研究を専門。海外の大学などで日本語教育の経験も豊富で、わかりやすく、かつ楽しく日本語を語る独特のキャラクターは、テレビ・ラジオでもおなじみ。
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虫王

越山若水 10/18

「こほろぎの闇こほろぎの貌(かお)うかぶ 金尾梅(かなおうめ)の門(かど)」。コオロギは秋の虫でもいち早く鳴き始める。秋も深まり虫の音が絶えるようになっても、なお鳴き残っている。

福井出身の俳人、皆吉爽雨によると、冒頭の句は「厨(くりや)や土間に入り込んで孤独な声を嗄(か)らしているコオロギ」を詠んでいるという(「日本大歳時記」講談社)。

日本人なら、リーリーリーと澄んだ鳴き声が自然と思い浮かぶ。このような虫の音色を楽しむ文化は欧米にはなく、日本では平安時代に貴族階級で流行したという。

お隣中国にも同様の風習があったが、むしろ「闘蟋(とうしつ)」、コオロギ同士を喧嘩(けんか)させるギャンブルが人気を博した。仕切りを外して対戦し、先にその場を離れた方が負け。優勝すれば「虫王」と称された。

さて日本ではきょうから七十二候の「蟋蟀在戸(しっそくこにあり)」。二十四節気の「寒露」の末候で、晩秋の冷気が増して野原にいた虫も戸口にやって来る時候をいう。

一方、中国では5年に1度の共産党大会が本日開幕する。習近(しゅうきん)平(ぺい)総書記の1期目の成果を総括する重要会議で、長期権力を磐石にする体制を目指す。

「反腐敗」の名目の外敵排除、少数民族の抑圧、言論統制の手法には反発も強い。抗議行動を警戒して北京市内は虫も通さぬ警備態勢だという。まさに「闘蟋」さながら、「虫王」の座を死守する一大事らしい。

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ロード・レイジ

斜面 10/18

19世紀の詩人バイロンはある日、自分の馬車にぶつかりそうになった人をムチで威嚇したという。英国研究家の黒岩徹さんがかつて本紙の評論に書いていた。英米で社会問題化してきた「ロード・レイジ(道路激怒)」がテーマだった。

 運転席に座ると激情に突き動かされる。割り込みや追い抜きの車に腹を立て後方からあおる。時には停止させて暴力をふるう。神奈川県の東名高速で6月、25歳の男が4人家族の乗ったワゴン車をしつように追跡し、追い越し車線に無理やり停止させた。

 そこに大型トラックが追突した。ワゴン車の夫婦が死亡し高校1年と小学6年の娘が軽傷を負った。事故前、男は1・4キロ手前のパーキングエリアで通路に駐車。注意され逆上したという。理不尽な「ロード・レイジ」だ。娘さんの恐怖や両親を奪われた心の傷を思うと胸が痛む。

 日本自動車連盟(JAF)の調査によれば他車にあおられたという人は54%にのぼる。「あおり運転」の罰則は強化されたのに日常茶飯だ。特定の危険運転者の問題にとどまらない。胸に手を当てれば程度の差こそあれ遅い車にいら立った経験はあろう。

 大型車のプロ運転手は立腹やいら立ちをどう制御しているか。国際交通安全学会の聞き取り調査がある。例えば割り込みに対して。目の前の空間を自分のものではなく公共のものと考えれば『どうぞお入りください』とゆとりを持てる―。あおりあおられる車社会を変えるマナーの一つだ。

酒は百薬の長

雷鳴抄 10/18

 古代中国王朝。前漢と後漢に挟まれてわずか15年だけ存在した「新」(8~23年)がある。建国したのは王莽(おうもう)。「酒は百薬の長」の由来は、王莽が塩や酒、鉄などを国の専売制にするために出したお触れだという。

古来、程良く飲めば薬にも勝る効能があるとされる酒。厚生労働省の「健康日本21」が定めた1日の適度な飲酒量はアルコール20グラム。日本酒なら1合、ビールなら500ミリリットル缶1本程度になる。

厚労省研究班が先ごろ明らかにした65歳以上の高齢者を対象にした分析によると、酒を飲む男性の半数、女性の4分の1が飲み過ぎである。「節酒」を意識している人でも1~3合飲んでいる人が少なくない。左党には適正量はあまり知られていないようだ。

近年、定年退職後に飲酒習慣が悪化する高齢者の問題が、注目されている。筆者もひとごとではない。飲み過ぎは老若男女どの年代でもトラブルのもとだが、高齢者は健康や人間関係への影響が出やすい。

前回の県民健康・栄養調査では、男性の30~60代で「多量飲酒」の割合が増加傾向だった。酒好きは「程良く」の前提を取っ払って「百薬の長」を都合良く使うのが常である。

適正量は少ない気もするが、吉田兼好(よしだけんこう)は徒然草で「百薬の長とはいへど万の病は酒よりこそ起これ」と書いている。節度ある飲酒を心掛けたい。

醸す

天鐘 10/18

 これまで何度か造り酒屋を取材したが、いつも先輩のアドバイスを守り、蔵の人へ最初に伝える言葉を決めていた。「納豆は食べていません」。すると相手の表情が和らぐ。「少しは勉強してきたか」と思うらしい。

日本酒の出来を左右する米こうじは繊細な菌で、強い納豆菌の混入は厳禁だ。蔵人は酒造りの期間中に納豆を断つ。年中、口にしない人もいる。今は優良種こうじの導入や衛生管理の徹底で、昔ほど神経質にならずに済むらしい。

それでも、酒造りがデリケートな作業の連続であることに変わりはない。酒はこうじに水を加え発酵させて造るが、原料や気温などの条件は毎年異なる。杜氏(とうじ)は微妙な違いに気を配り、目指す製品に仕上げるスペシャリストなのだ。

穀物などをこうじにして発酵させ、酒やみそ、しょうゆなどを造ってきた歴史は古く、日本は醸造技術では世界の先進国だ。醸造を指す「醸す」という言葉には、独特の雰囲気を生み出す意味合いも生まれた。

最近は「醸す」に代わって、コラボレーションや化学変化という用語がよく使われる。音楽家と美術家がイベントを企画し、企業が民間人と協力し新商品を開発している。

北奥羽地方でも大学生が農産物の有効活用のためのアイデアを出したり、観光客誘致に汗を流したりしている。そうした異分野交流の積み重ねが、やがて地域活性化へ導く原動力になると信じたい。