2017年09月10日の記事 (1/1)

アンチエイジング(抗加齢)

春秋 9/10

これも長寿社会の恩恵だろう。書店に行くと、高齢の作家らがつづった新刊の指南書が並ぶ。「老い」を見据えつつ、いかに心穏やかに生きていくか

人生の道のりは険しい。故に登山に例える人は多い。けれども、その神髄は登坂ではなく下山の景色にある-と説くのは五木寛之さんの「孤独のすすめ」(中公新書ラクレ)。

上りの視界は往々にして狭い。眼前に続く曲がりくねった山道にひたすら歩を刻んで頂上を目指す。下りはどうか。周囲の山々や下界の地形が見渡せたり、上りのときには気付かなかった動植物の営みに心を癒やされたり。

人生の後半は円熟期。人はそこで自身の来し方行く末を冷静に見つめることができる。だから無理に若返ろうとする必要はない。むしろ、老いを認め受け入れることが大事ではないか-と。

料理家の桧山(ひやま)タミさんは「いのち愛しむ、人生キッチン」(文芸春秋)で、食の大切さとともに長寿の秘訣(ひけつ)をさりげなくつづる。世の中でどんな事が起きているか、気になる情報はないか、と毎朝、新聞を読んで好奇心のアンテナを張ること。

体は弱ってきても、おもしろがりの精神は枯れない。それが「老いる暇をつくらない」ことになる-と。五木さんはことし85歳、タミさんは91歳。2人に学ぶアンチエイジング(抗加齢)の基本は“発想の転換”か。じわじわと深まる秋は読書に親しむ季節。敬老の日(18日)も近い。

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孤独のすすめ
人生後半の生き方
五木寛之 著

元気な百歳老人、孫に囲まれる老後。本当にそれだけが幸せでしょうか?人生後半は十人十色。自分なりの豊かさを探す愉しみがあるはずです。人間は歳を重ね「成熟」し、「孤独」だからこそ豊かに生きられる。84歳の著者が体感し、実践する日々を豊かに楽しむ術。上手な人生の減速=シフトダウンのための必読書

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タミ先生の言葉は「人生のお守り」です!

九州地方で活躍する92歳の現役料理家タミ先生の初の著書。
台所に立つ女性の心の拠りどころになるお話が一冊にまとまりました。
タミ塾の愛情レシピも収録。

◎◎タミ塾の50年の教えが詰まった人生の教科書◎◎

◆年を重ねても健やかに生活する術に触れたいとき……
1章 [大らかなれ] わたしの生活習慣、心とからだの養生

◆自然に寄りそった食の大事を思い返すとき……
2章 [賢くあれ] 自然とからだを結ぶ旬材、学び方と選び方

◆調理道具や調味料の知恵を知りたいとき……
3章 [健やかなれ] 五感に心地良い、基本の道具と調味料

◆子育てや家族のつながりに心を寄せたいとき……
4章 [やさしくあれ] 子ども・家族、命を思いやる家庭料理


迷いや悩みがあるとき、この本を開いてみてください。
ふと心に触れるタミ先生の「ほんとう」の言葉が
生きる力につながるお守りになるはずです--。

声なき詩人

滴一滴 9/10

「声なき詩人」と呼ばれているそうだ。初の本格詩集「いきていてこそ」を出版した堀江菜穂子さん(22)=東京=は脳性まひで体がほとんど動かせず、言葉も話せない。

わずかに動く指先で詩を書く。声にならないが、心には多くの言葉があるに違いない。〈いまつらいのも/わたしがいきているしょうこだ〉〈どんなにつらいげんじつでも/はりついていきる〉。詩集の題名になった詩からは強い決意が伝わる。

両親の介助を受けて暮らし、障害者施設に通っているという。特別支援学校中学部のころに筆談を習い、周囲の勧めで詩を書き始めた。多くの人との関わりが、詩人への可能性を広げたのだろう。

そんな機会が失われていないか。人工呼吸器をつけるなど医療的なケアが必要な子どもの多くが保育所に通えずにいる。

昨年度の受け入れは全国で337人にとどまることが共同通信の調査で分かった。ケアが必要な子は4歳以下だけで6千人いるとされ、その支援は昨年、自治体の努力義務になった。保護者の負担を減らすためにも体制整備を求めたい。

堀江さんには、こんな軽快な詩もある。〈まいむまいむ/とてもたのしい/まいむまいむ/じぶんのからだが/うごいていないこともわすれる〉。たとえ踊りの輪に加われなくても、ほかの子どもたちとの触れ合いは成長につながろう。

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脳性麻痺の詩人「堀江菜穂子」さんから生きる力を!

心温まる話題
  ここ数日、脊柱管狭窄症のために激痛で歩くことが出来ずに、日々、悶々としているときに、ある詩人の詩に出会った。
  「ありがとうのし

いつもいっぱいありがとう
なかなかいえないけど
いつも心にあふれてる
いつもいえないありがとうが
いきばをうしなってたまっている
いいたくてもいえないありがとうのかたまりが
めにみえない力になって
あなたのしあわせになったらいいのにな」
(脳性まひで寝たきりの堀江菜穂子さん(20)の書いた詩)

  この詩人である堀江菜穂子さんを知ったのは、ある新聞記事であった。今の私の下半身の劇痛で大声で叫ぶようなことが起きています。その苛立ちは、私の心もむしばんでいます。上記の死を読んで、自分が「ありがとう」の声が出せない自分自身の醜さに失望落胆することがあります。
  この堀江菜穂子さんは、寝たきりの脳性麻痺で、一つのことばを詩で現すことの大変さを感じています。
  ある新聞の堀江菜穂子さんを取り上げた記事を引用したい。
「脳性まひのため寝たきりのベッドで詩を書き続けている女性の詩集が完成した。全51編。昨秋に二十歳を迎え、ボランティアの協力により仕上がった。「わたしのしをよむすべての人たちに わたしがたちなおったように あきらめずにいきてもらいたい」。末尾に記した詩は、読み手にこう呼びかけている。

 東京都板橋区の自宅で両親と暮らす堀江菜穂子(なおこ)さん。手足はほとんど動かず、言葉は話せない。特別支援学校の高等部時代からノートに詩を記してきた。

 詩集に載せたのは、二十歳の誕生日前後の作品が大半だ。命についての考えや、生活の中での喜怒哀楽を伝える作品が多い。

 タイトルは「さくらのこえ」。制作のきっかけをくれた女性の好きな花を選んだ。イラストはほとんど入れず、シンプルな形にした。「しはよむ人によってかんじかたがちがう。えがあるとそれにせいげんされてしまうため」という。


「 寝たきりのベッドで詩を書き続ける女性がいる。東京都板橋区の堀江菜穂子(なおこ)さん(20)。脳性まひのため手足はほとんど動かない。わずかに動かせる手でつむいだ詩は約1200編。筆談の文字が訴える。「こえをだせないわたしたちにもことばやいしがあることをしってほしい。そんざいをみとめて」

 右手に握る紙粘土に挿したペンが、B6サイズのノートの上をなでるように動く。2センチほどの文字が生まれる。ボランティアの女性(42)が、支えているノートを左にずらし、また次の1文字。

 筆談も詩も同じノートに書いてきた。高校3年から使い始め、70冊になった。

 「いまのつらさもかんどうも すべてはいきていてこそ どんなにつらいげんじつでも はりついていきる」(「いきていてこそ」)

 母の真穂(まほ)さん(57)が出産時に危険な状態に陥り、菜穂子さんは重度の脳性まひに。体は動かず、言葉も話せない。居間に据えたベッドで、食事をすりつぶしてもらうなど両親の介助をうけて暮らす。

 都立の特別支援学校に、母の送り迎えで小学部から通った。中学部のころ、筆談などを練習して生活力を身につける自主グループに両親が連れていってくれた。初めはスケッチブックに大きな1文字を書くのがやっとだった。

 詩を書くことも、ここで覚えた。詩は、小さいころから母が読み聞かせてくれていた。高等部のころ、周囲の人の会話の端々から、自分が何も考えていないように思われていると感じた。詩をたくさん作るようになった。「心をかいほうするためのしゅだんだった」。口にすることができないから、「なんども心のなかでよみつづける」という。

 学校には突然亡くなる生徒もいた。昔から生と死を意識してきた。

 「それがどんなにふじゆうだとしても わたしのかわりはだれもいないのだから わたしはわたしのじんせいをどうどうといきる」(「せかいのなかで」)

 いまは民間の障害者施設に通う。そこには様々な人がいる。家族や、2歳半のころから通ってくれるボランティアの女性の助けで、自分は筆談や詩作ができていると気づいた。

 成人の日を前に、振り袖を着ることができた。障害者も着やすい和服づくりに取り組む人たちの協力だった。そうした人らの後押しもあり、詩集をまとめる準備も始まった。「こんなわたしでもいきていることをわかってもらうことがなやんでいる人のなにかのたすけになるのではないか」

 もっと詩を作り、多くの人に読んでもらいたい。社会とつながりたい。…」(スズムシ日記 「わたしはわたしだけ!堀江菜穂子さんのかけがえのない命の詩を聴こう!!(スズムシ)」

堀江菜穂子さんに心からのエールを送りたい!

間柄の文化

越山若水 9/10

日本人と欧米人の考え方の違いについて、心理学者の榎本博明さんは新書「『みっともない』と日本人」(日経新聞出版社)で、謝罪会見のことを取り上げている。

「お騒がせしてすみません」―。人気グループ・SMAPの独立騒動を外国人は理解不能だという。もめ事があっても信念に基づく行動は責められないからだ。

その根底にあるのが欧米流「自己中心の文化」。マクドナルドの異物混入事件で「悪いのは中国の下請け会社で自分じゃない」と言い放った女性社長と同じである。

しかし日本では「間柄の文化」を重視する。自己主張を絶対化せず相手の気持ちを思いやる。本音を棚上げして謝れば、雰囲気が和らぎ良好な関係が保てる。それを大切にする。

榎本さんは「論理的コミュニケーションに問題解決能力はなく、理屈の応酬が争い事を引き起こす」と分析。「お互いの気持ちを結びつける情緒的コミュニケーションが大事」と日本式を薦める。

世界を見渡せば「自己中心の文化」がはびこっている。各国の自制の声に耳を貸さず、核開発・ミサイル発射に執着する北朝鮮トップは言わずもがな。

傲慢(ごうまん)な北に超絶制裁を求める米大統領も「米国ファースト」がうたい文句だ。制裁より対話と言うロシア、中国も腹の底に自国の都合が見え隠れする。平和的解決を目指す「間柄の文化」の余地はないだろうか。

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おすすめポイント

言い訳すると、深みにはまる、
屁理屈をこねると、「恥ずかしい」と後ろ指を指される、
謝らないと「大人げない人」と言われる……、
日本人の行動規範には、つねに「みっともない」という美意識がある。なぜ、私たちは「みっともない」にこだわるのか。グローバル化時代だから知っておきたい日本人の心性を読み解く。

言いたいことが言えない、すぐに謝る、周囲の空気を読みすぎる……なにかとネガティブに語られがちな日本人の心理構造。しかし、世間体を気にし「みっともない」を恐れる心性こそが、実は社会の秩序を保ち、平和を保っているのである。

「日本社会の欧米化」に警鐘を鳴らし、"日本流"を世界で活かすためのヒントを提案する 。


【本書の内容より】
●勘違いグローバル風人材が跋扈する理由
●カタカナ言葉を使いたがる人に漂う胡散臭さ
●なぜ日本語には下ネタ系の悪口が少ないのか
●言い訳がみっともないとされる国民性
●責任と謝罪の分離はどこからはじまったのか
●日本の犯罪率が低いのは、犯罪がカッコ悪いからか
●なぜ誰もが首をかしげる提案が会議で通ってしまうのか
●理屈ではものごとが決まらない心理学的な理由
●半沢直樹の葛藤の背景にあった日本人的感情性

目次

序 章 「グローバル化」の胡散臭さ

第1章 「英語ができても中身がない人」の罠

第2章 ぶつかっても謝らない外国人、ぶつかられて謝る日本人

第3章 「みっともない」が秩序を守る国  

第4章 会議で反対意見が述べられない国
       
第5章 「みっともない」が世界を救う

太陽フレア

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編集日記 9/10
  
 樹齢1900年の屋久杉は、はるか宇宙の営みを見つめてきた。その年輪を分析したところ、奈良時代の774年から775年にかけ、地球外から飛来した宇宙線によって生じる放射性炭素が急増していたという。

 同じ時代、ヨーロッパや中国では空に異変が見られたことが歴史書などに記されている。これらの現象はオーロラの可能性があるという。しかし普段は観測できない地域にオーロラが発生した原因は何だったのだろうか。

 有力なのは太陽表面の爆発現象「フレア」であるという説だ。フレアで放出された大量の粒子によって地球の磁場が乱れたことで、オーロラができたとみられる。屋久杉の放射性炭素の量から、かなり大きなフレアだったといわれる。

 フレアの影響は、古代よりも現代のほうが深刻だ。フレアで大量の粒子が地球に到達すると、地球の上空にある電離層に乱れが生じ、通信機器や衛星利用測位システム(GPS)に影響を及ぼす恐れがある。

 9月に入ってからフレアが連続して発生しており、研究機関などが警戒を続けている。古来、太陽は信仰の対象として世界各地で畏れられてきた。高度な文明を手に入れた現代でも、その力を見くびることはできない。

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  宇宙の神秘が伐採の屋久杉から・・・明らかに?

屋久島で伐採された樹齢1900年の屋久杉の年輪を分析した結果、奈良時代後期の775年に宇宙で何らかの変動があった事が判明。
太陽地球環境研究所が発表した。超新星爆発か、太陽表面で巨大な爆発が起きた可能性がある。
1956年に伐採された屋久杉を入手。750~820年に該当する年輪を切り出し、年代測定の手掛かりに使われる炭素14を抽出した。
炭素14の量は、超新星爆発や恒星表面の爆発で発生する宇宙線の量によって変化する。
年輪の炭素14は、太陽の11年ごとの活動周期に応じて増減していたが、775年は20倍多く変化していた。
急激な増加の原因を、超新星爆発と仮定すると、地球の比較的近くで爆発が起きたことになる。 

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名大特任助教 三宅芙沙さん 宇宙線研究

●古木で探る過去の宇宙

 直径1・9メートル、樹齢約1900年の屋久杉の古木を使い、大昔の太陽活動の痕跡を探る研究をしている。幅1ミリ以下の年輪を1年ごとに削り出し、刻まれた宇宙線の影響を解析する。

 地球には、超新星爆発や、太陽の爆発(太陽フレア)などによって絶えず宇宙線が降り注ぐ。大気と反応して生成された特殊な炭素(炭素14)は光合成によって、植物に取り込まれ、木の主成分であるセルロースになって木の年輪を作り出す。年輪中の炭素14濃度を測定すれば、その年の宇宙線量が分かる。「炭素は年輪間を移動しない。年輪というしっかりした指標で過去の宇宙が調べられる」

 2012年、日本の奈良時代にあたる775年に炭素14の濃度が急激に増加したことを発見。通常の太陽活動による変動よりも20倍大きく、過去3千年間で最大級の宇宙線量増加があったことを突き止めた。最近では、米国産の木材試料を使い、紀元前5480年にもこれまでに知られていなかった太陽活動があったことが分かった。

 父は岩石学の研究者。子どもの頃から、試料採取に連れられて行った山や川で遊ぶうちに自然や星に興味を持った。中学時代から研究者を志していたという。

 宇宙環境の大きな変動は通信障害をもたらすなど、地球に暮らす私たちの生活にも影響を及ぼす可能性がある。太陽の歴史を調べれば今後の地球環境の予測につながるかもしれない。「古木から過去の情報を知り、未来につなげていきたい」(月舘彩子)

■三宅芙沙さん(30) 

 愛知県岡崎市生まれ。2014年から名古屋大宇宙地球環境研究所特任助教。有機農業を営む夫の手伝いが息抜き。古木を見るとつい気になり、台風で倒れた神社の木を神主と交渉し譲ってもらったこともある。

リトルワールド

ワールド『世界のグルメシリーズ』

シーズンごとに変わる世界の料理をインパクトあるビジュアルで表現。

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9秒台


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中日春秋 9/10

日本陸上の男子100メートルで最初に10秒台を記録したのは一九二五(大正十四)年の谷三三五(たにささご)の10秒8という。追い風五メートルの中での達成と聞くから現在のルールでは参考記録だが、ともかくも10秒台である。

この選手、グリコのキャラメルにあしらわれているゴールするランナーのモデルのお一人。両手を上げ、満面笑みのあのランナーばりに喜びたくなる日本陸上界の悲願達成である。桐生祥秀選手が9秒98を記録。日本人初の9秒台である。

谷から九十二年。「暁の超特急」吉岡隆徳(たかよし)の10秒3(三五年)、飯島秀雄の10秒1(六四年・手動計時)、伊東浩司(九八年)の10秒00…。日常生活では気にも留めぬ、わずかな秒刻を少しずつ削るように短縮してきた長い歳月を思う。

世界記録9秒58のボルトは身長一メートル九六。9秒74のガトリンは一メートル八五。9秒台には歩幅が広く、それが有利になる大柄な選手がひしめいている。その中で桐生は一メートル七六。比較すれば、体格に違いのある日本人にとって10秒の壁がいかに高く険しかったことか。そしてそれを今越えた。

今年は苦しい時期が続いていたそうだ。六月の日本選手権決勝では四位、八月の世界選手権では100メートル代表から外れた。「今に見ておれ」の火がついたのだろう。

スプリンターにはもちろん、追い風が有利に働く。が、逆風もまた背中を強く押してくれるものらしい。

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【レポート】
大阪府・道頓堀にもあるグリコの「走る人」マークの誕生秘話 -広報さんに聞いてみた

グリコのロゴマークといえば、あの「走る人」のマークを誰もが思い出すでしょう。大阪府・道頓堀でもライトアップされた「走る人」が一番目立っています。このマークはどうやって作られたのでしょうか? 江崎グリコ株式会社 グループ広報部の山本京子さんにお話を伺いました。

あの「走る人」は「ゴールインマーク」


――大阪・道頓堀のランドマークにもなっている、あのグリコのマーク「走る人」ですが、正式には何という名称なのでしょうか?

弊社では「ゴールインマーク」と呼んでいます。

――なるほど。このゴールインマークはどうやって誕生したのですか?

弊社の創業者・江崎利一が考えたものです。江崎利一は考え事をするときには八坂神社(佐賀県)境内※1をよく利用していました。そして、グリコの商標と惹句(じゃっく)※2をどうしようかと考えていた利一の目に、境内で遊んでいた近所の子供たちの姿が飛び込んできました。

それは、駆けっこをしていた子供が両手を大きく上げてゴールインした瞬間でした。

「人間は誰でも健康でありたいと願っている。そのためには身体を鍛えなければならない。そうだ、スポーツこそ健康への近道だ。子供の遊びの本能もスポーツにつながっている。ゴールインの姿はそれらの象徴ではないか。これほどピッタリの商標はない」

と利一はさっそく原画を描きました。それまでに描いていた、花や鳥、象、ペンギンなどの候補と共に、近くの芙蓉小学校に持参し、先生に頼んで子供たちに見てもらいました。そして人気投票を行った結果、圧倒的に「ゴールインマーク」の人気が高かったのです。

※1……江崎利一さんは1882年(明治15年)神埼郡蓮池村(現佐賀県佐賀市蓮池町)の生まれです。大阪で事業を始める前は、佐賀県で活動されていました。

※2……惹句とはキャッチコピーのことです。

――なるほど。子供たちの姿がヒントになったのですね。実際にゴールインマークが完成したのはいつですか?


発売当初のグリコの大正11年のパッケージ
1921年(大正10年)のことです。

――もう90年以上も前のことなんですね。

「一粒300メートル」という惹句も同時期に生まれました。江崎利一が小学生のころに「博多まで」という大きなあめ玉があったそうです。佐賀県から汽車に乗って、しゃぶっていても博多まで持つという意味だったとか。

それをヒントに「一粒○メートル」というフレーズを思いついたのです。グリコの栄養価を計算したところ、およそ2、300メートルを走るだけのカロリーだったのです。

「500メートルでは大げさすぎる、100メートルでは弱い。300メートルではどうか。語呂もいい、真実にも近いし、ゴールインマークにぴったりだ」と考え、グリコの栄養価を300メートルに調整しました。

こうして「一粒 三百米突(メートル)」という惹句が完成しました。

顔が怖いという意見で描き直し!

――ゴールインマークのデザインに変遷はあったのでしょうか?

はい。1923年(大正12年)ごろ女学生から「顔が怖い」という指摘があったようで、江崎利一はその表情を描き直すことにしました。

――そのときにモデルになった人はいるのでしょうか?

特定のモデルはいません。グリコの記録に残っているのが「極東オリンピック(第5回極東選手権競技大会)で優勝したカタロン選手(フィリピンの選手でマラソンで優勝)をはじめ、パリオリンピック(1924年開催)に出場した谷三三五(たにささご)選手やマラソンの金栗四三(かなぐりしそう)選手で、その他、当時の多くの陸上選手らのにこやかなゴールイン姿をモデルにした」そうです。

――その後も変化はあったのでしょうか?

現在まで少しずつ変化しながら使われてきました。そして、今でも弊社のシンボルマークとしてお客さまに親しまれております。

グリコの「ゴールインマーク」には創業者の熱い気持ちが込められていました。90年以上も子供たちに親しまれているのは、気持ちの熱量が要因なのかもしれませんね。