2017年08月23日の記事 (1/1)

宿題

20170823220127d41.jpeg


・宿題

  小学五年生の「僕」の話。

 「僕」の一家はもともと住居を転々としており、あるとき、東京へ引っ越してくる。当然のことながら小学校も、弘前から青山へ移る。田舎の学校から出てきた「僕」はさまざまな“違和”にぶつかり、空回りしていく。

 田舎の学校では、標準語で音読できる子が優等生とされる。だから、東京の学校でも「僕」は誇らしげに音読する。教室はシーンとなる。得意な気分であったが、実は四国弁と東北弁と植民地言葉のナマリのせいでシーンとなっていたのであった。

 ほかにも、田舎の学校ではなかった算術や理科の授業があって戸惑う。夏休みの長さに閉口する。どこか遠く、つまらない毎日。そんな毎日のなかで、風呂屋で一銭のお釣りをもらうはずが、番台の手違いで六銭のお釣りをもらってしまう。素直に誤りを番台に伝えず、そっくりそのまま使ってしまう「僕」。やがて、このささいな悪事にスリルを覚え、いつか事の顛末が発覚して怒られるかもしれないとヒヤヒヤしながら、一銭のお釣りをもらっても「おつりが足りない」といった様子を露にし、六銭のお釣りをもらいつづけるようになる。毎度、「僕」は風船ガムを買う。ある日、今度は母が間違えて十銭を「僕」にわたす。しかし、今度ばかりはお釣りは一銭。こんなときに番台は「僕」に疑りを抱いたようだった。「僕」は悪事のことがあり、つよく言い出せない。仕方なく、母に「僕らが、いつもあんまり泳ぐから今日は特別、十銭だってさ」と言い訳する。そのもくろみは成功し、母はこのかわいらしい嘘に笑い出し、上機嫌になる。夏休み終わり際。田舎の学校ではなかった、夏休みの宿題があることに気付く。山盛りの宿題を母に吐露し、必死に徹夜をして母子でとりかかる。答案に適当な答えを埋めていく。ひたすら文字数字を書き込む。朝にはすべて終わり、デタラメな宿題を教室で提出する。そこへ、先生に宿題をもってこなかった人は立つように命じられ、何人かの生徒が席を立つ。とくに先生は叱らず、席順の入れ替えだけで済んだ。「僕」は思う。「なんだ、宿題を出さなくても大したことじゃないじゃないか。宿題をやって来る奴は、足が弱くて立ち続けるのが苦手だからだろう」と。その日から「僕」は《立つ》ために学校へ行くようになる。だが、すこしずつ《立つ》というのは恥ずかしいことなのだ、ということを意識しはじめ、自分の身の置き所のなさにつらくなり、学校に行かなくなってしまう。家は出るものの、宿題をやらないのは悪いことだと言い聞かせ、昼のひっそりとした墓地で宿題をしようと試みる。しかし、気付けばひとり遊びに興じている。だらだらといつの間にか、《学校》ではなく、《墓地》に通うようになってしまい、ある日、他校の生徒にからかわれる。たまらなくなった「僕」は宿題はできないものだと白状し、惨めな気持ちで学校に行く。そこで待ち受けていたものは、嘲笑、嘲笑、嘲笑……。孤立した「僕」は学校から逃げ出す。次の日、学校の様子を尋ねる母に嘘をつき、学校に行けなくなったことを言い出せないまま、母の弁当が入ったランドセルを背負う。道すがら「戦争反対」のビラをみる。時は第二次世界大戦中。「僕」はこれを破くことによって大人に褒められ、いままでのことが全て許されないだろうか、と淋しく夢想する。

 『宿題』のあらすじはこんなようなものである。中篇とはいかないまでも、やや長めの短篇である。ただ、書き出したあらすじをみればわかるとおり、短篇であるにもかかわらず、内容が詰まっている。これでもなんとか縮めたほうではあるが、簡単に省略できない小噺が詰まっている。

 本篇は、ひとりの少年が不登校になっていく過程を描いたものだ。しかし、「精細」や「的確」に表現した、という評はふさわしくない。《不登校》をとおして、著者がなにかを読者に伝えるわけでもなく、深刻性もないからだ。それに、《不登校》に焦点をあてたわけではなく、《少年のこころ》に焦点をあてた結果、「たまたま」不登校に至るまでの過程を描き出してしまったという趣がつよい。なので結末も、主人公の「僕」が救われもしなければ、堕落もしない。小学生の「僕」が何ら変化することなく、おわりを迎えている。

 この作品から漂う雰囲気を伝えるのはなんとも難しい。物語から、うらぶれた様子が感じられるであろうが、滑稽さがほのかに流れ出ているため、実際はそこまで悲哀が滲んでいるものでもない。かといって、主人公をみて、ニヤニヤできるほどの愉快さもない。読者が、じんわりと少年の心を《わかってしまう》、なぜ不登校になってしまったのかを《感じ取れてしまう》、そういった雰囲気である。「ああ、なるほどねえ……」とつぶやいて、少年を思い、しばしポカーンとする。いわば、茫然としてしまう要素を多くふくんだ内容なのだが、それでも本篇はほかの短篇とくらべると、“むなしさ”の色が濃いように思われる。なぜかといえば、それはきっと、主人公の性格が、自分に対しておどろくほど素直であるからだろう。

 《学校》という場に意図せずして疎外されてしまった「僕」の心は、サラリーマン生活を送っている方にはとても響くように思う。つい、共感を覚えてしまう方は多いはずである。主人公が「子供」だからと侮らず、大人にこそ、読んでほしい一篇。

…………………………

天地人 8/23

 暑い暑いと、口癖のように言っているうち、ある朝さっと冷たい風が吹きこんでくる。首すじがヒヤリとする。安岡章太郎さんは、いまごろの時候が苦手だったらしい。「秋だな」と思う瞬間に、何とも言えない心細さを感じたという。

 小学生のころの思い出である。安岡少年は、残り少ない夏休みが一日一日、消えていくことが憂鬱(ゆううつ)であった。山のようにたまった宿題帳が目の前にある。<カナカナ蝉(ぜみ)の鳴く声をききながら、「盛者必滅のことわり」を子供心におぼえた>。エッセー『夏休みの宿題』で笑いをさそう。

 きょうは二十四節気のひとつ「処暑(しょしょ)」と暦にある。県内の多くの小中学校は夏休み最後の一日となる。あすは始業式、2学期がはじまる。日焼けした元気な顔が、目を輝かせて、楽しかった思い出を話してくれるだろう。

 処暑の「処」には「止まる」という意味がある。きびしい暑さも峠をこえて、おさまりはじめる時節である。残暑がつづくものの、朝晩は涼気がくわわる。天気がくずれたり、夏バテや食中毒になりやすいころでもあり、油断できない。

 安岡少年は、山のような宿題帳をどう処理したか。一睡もせず、でたらめな数字や言葉を書きつらね、提出したらしい。真っ白なページのまま出すよりは、叱られずにすんだと、安岡さんは思っている。お子さん、お孫さんには内緒にしておきたい結末である。

日食

20170823205759524.jpeg


小社会 8/23

 天文学などない神話の時代、日食や月食は人々を驚かせ、怖がらせたろう。「世界大百科事典」によれば、太陽と月が怪物にのみ込まれ、日食と月食が起こると考えられたという。

 怪物はトラであったり、ヘビであったりするが、似た話が世界各地に伝わる。日食や月食が起きると地上でやかましい音をたて、怪物に太陽や月を吐き出させるという信仰も共通している。日本で連想するのは「古事記」の記述だ。

 太陽の女神である天照大神(あまてらすおおみかみ)が天の岩屋戸にこもり、世界は真っ暗闇となった。困った神々がそのとき取った作戦は、やかましいばかりのドンチャン騒ぎを催し、天照の気を引いて岩屋戸から引き出すというもの。先の事典も日食神話との類似性を指摘する。

 あの広大な北米大陸を、約1時間半かけて皆既日食が横断した。突然、昼が夜になる神秘的な天体ショーに、数え切れないほどの人々が魅了された。観測地のホテルは何年も前から予約で満室。高速道路は日食を見るための駐車場と化した。それでもみんな満足そうだ。

 現実の米国社会は今、白人至上主義者と反対派の分断で暗雲が垂れ込めている。しかし壮大な太陽系が描いたドラマに比べれば、人間の差別意識や憎しみなどちっぽけなものではないか。甘いようだが、感動を共有してほしい。

 皆既日食が通過し、いつもの太陽が顔を出した。太古から続く太陽と月の営みがまた始まる。


若さにはある

鳴潮 8/23

 いくつになっても、その気さえあれば多くのことが成し遂げられる。疑いのない事実ではあるが、それだけでまぶしく、かなわないな、といったところが、若さにはある
 
 徳島市であった大村智・北里大特別栄誉教授の講演で、質問に立った高校生が自分の進路へのアドバイスを求めていた。ああ、この子の前には無限の未来が開けている。そう思うと随分うらやましかった
 
 ノーベル医学生理学賞を受けた才能と努力の人は、講演でこう語った。「失敗を恐れて挑戦しないで、チャンスを逃すことを恐れなさい。成功した人は誰よりも多くの失敗をしたんです」。夏休みもあとわずか。子どもたちには大きな刺激になっただろう
 
 わが身を振り返ると、無駄にしてきた時間の長さにうんざりするが、もはや取り返しがつかない。少しは心を入れ替え、これからどう生きるか。加えて大人としての責任をどう果たすか
 
 <雨は金持の上にも降れば、貧乏人の上にも降る。善人の上にも降れば、悪人の上にも降る。とはいえ、雨はけっして公平とはいえぬ。もともとが不公平な世の中の上に降るからだ>「駱駝祥子(ロートシアンツ)」
 
 改善してきたとはいえ、子どもの貧困率は13・9%。主要国の平均よりもやや悪い。人生の出発点で、不公平じゃないか、と子どもたちが嘆かずに済むよう、対策を急がねばならぬ。

太陽の恵み

2017082321034354d.jpeg


干した食べもの、大集合!
私たちのふだんの食卓にも、外国にも、じつは「干したもの」がいっぱいあるって知っていましたか?
アジアを旅し、いろんな食べものを撮影してきた森枝卓士さんのユニークな写真絵本です。

野菜や果物、干すとどうなるか。
太陽の下でしわしわになって、水分が抜けて、軽くなる。
生の大根と、干した大根をくらべてみたら、びっくり!
生の大根のほんのすこしの切れ端で、山のような干し大根と同じ重さになっちゃう。

梅干しや魚は、日本の食卓になじみ深いものだから、みんなも知っているかもしれないけれど……
アジアの国々には、カエル、ネズミ、コウモリの干物だってあるんです!(すごい!)
なっとうを干したものもあるし、チーズを干したものもある。
どれも、それぞれ干して長持ちさせ、腐りにくく、ちがうおいしさにすることができるんです。
びっくりするほど広がる「干したもの」ワールドに、子どもたちの目はまんまるになりそう。

空のおひさまの下、風が吹くなかで干されてきた、たくさんの食べもの。
私たちは、自然のめぐみと、人の手と知恵によって生み出されたものを、食べて生活しているんだとわかります。
人間の食文化ってすごいですね。

巻末には「どれが干したものか、わかったかな?」というクイズのようなページがあります。
お膳から「干したもの」を見つけ出すゲームは、おうちでもできそうですよ。

同じく巻末に「やってみよう!」と干し野菜の作り方を解説するページも。
生の野菜を干したら、どんなふうになるのか。
子どもと一緒に観察して、味わってみるのもおもしろそう!

…………………………


地軸 8/23

 数百万の人が空を仰ぎ、神秘の天体ショーに酔いしれた。全米各地で観測された皆既日食。月が太陽をすっぽりと覆い隠す瞬間の映像に、息をのんだ。黒い太陽を取り巻いてベールのように輝く光。この普段見えないガス「コロナ」は100万度を超えるとか。

 この夏、思わぬ太陽の恵みに感謝した。連日の猛暑と強い日差しに、へたりそうになりながら、いっそ何かに生かせないかと思い立った干し野菜作り。

 ベランダに網をつり、竹ざるを並べて、冷蔵庫にある野菜を実験気分で何でもかんでも干してみた。ゴボウもニンジンも、うま味がぎゅっと凝縮され、味わい深いスープに。炒め物のレンコンはもっちりと。ミニトマトはぐっと甘くなり、気取ってチーズと合わせて食卓に。

 火の熱にうんざりの台所。調理時間が短縮されたのも、うれしい効果だった。水気が飛んで、味が染み込みやすい。あらかじめ切っているので、煮物もささっと。冷蔵庫がなかった時代の知恵に感じ入る。それは、ほんの少し昔まで当たり前だった暮らし。

 「干したから…」(フレーベル館)では、世界各地の軒先や市場の「干したもの」が色鮮やかに紹介される。肉や魚、木の実にチーズ。長持ちするように、もっとおいしく食べるために。そういえばコメだって干して食べるのだと改めて気付く。

 地球上のあちこちで、太陽の力をもらって生きている。新鮮な気持ちになって、空を見上げる。

夏休みも残りわずか…

春秋 8/23

夏休みも残りわずか。宿題は終わったかな。自由研究がまだ、という子もいるよね。動物や植物の観察、身の回りの物を使った科学の実験…。インターネットでは、いろんな研究例が紹介されているので、参考にしてもいいね。

一生懸命やれば思わぬ発見があるかも。例えば、病気を引き起こす悪い細菌の働きを抑える抗生物質ペニシリン。細菌の研究をしていたフレミング博士は片付けが苦手で、放っておいた実験材料に青カビが生えてしまった。

失敗した、と捨ててしまう前にもう一度、観察したのが博士の偉いところ。よく見ると、青カビの周りには細菌が増えていなかった。このカビから作られた薬は多くの人の命を救い、博士はノーベル賞を受賞したんだ。

有名な探検家コロンブスもそうだね。インドを目指して欧州を出発したのに、到着したのはカリブ海の島。最初の目的とは違ったけれど、大西洋の向こうに米大陸があることが知られるきっかけになったんだ。

思ってもみなかった結果になることを「ひょうたんから駒」というよ。駒は馬のこと。ひょうたんから大きな馬が出るように、あり得ないと思われることが起きたときの例えだね。

一説によると「ひょうたんから米」が変化したのだとか。昔は種もみなどをひょうたんに保存していたのかもしれないね。自由研究を頑張れば、駒は出なくても、君たちの成長に役立つ米はきっと出てくるよ。

親の欲目

20170823051645bd5.jpeg


内容紹介
「あいのり」から「わんこそば」まで、1155項目 食す人も、打つ人も、必携!
蕎麦の歴史と文化、調理法、栄養、習俗、諺、隠語、方言――あらゆる知見を集成した決定版<読む事典>

故・司馬遼太郎が「よき江戸時代人の末裔」と称賛した市井の研究者によって体系化された、「蕎麦」に関する膨大な知見。江戸時代の文芸や大衆文化に登場する蕎麦、全国各地に根付いたさまざまな食し方、植物としてのソバと製粉の過程、蕎麦打ちの用語、そば店の隠語、蕎麦をめぐる史跡・習俗・諺など、あらゆる資料を博捜し、探究した1155項目。

そば店の屋号に多い「庵」とは?
隠語で「筏」「抜き」「山入り」「りんだ」とは?
蕎麦のことわざ「慳貪屋の冷や飯」「紺屋の明後日 蕎麦屋の只今」「蕎麦種三角 絵描きは五岳」「蕎麦で首をくくる」とは?
「コロッケ蕎麦」「カレー南蛮」の登場はいつ、どこで?
新潟の「蕎麦犬」、長野の「蠅蕎麦」、山形の「板蕎麦」、高知の「蕎麦すべり」とは?
そば店の「通し言葉」で、「かけまじり七枚もり」「きんで願います」「岡で天ぷら」とは?

※本書の原本は、1999年、柴田書店より刊行されました。

内容(「BOOK」データベースより)
故・司馬遼太郎が「よき江戸時代人の末裔」と称賛した市井の研究者によって体系化された、「蕎麦」に関する膨大な知見。江戸時代の文芸や大衆文化に登場する蕎麦、全国各地に根付いたさまざまな食し方、植物としてのソバと製粉の過程、蕎麦打ちの用語、そば店の隠語、蕎麦をめぐる史跡・習俗・諺など、あらゆる資料を博捜し、探究した一一五五項目。

…………………………

2017082305201747f.jpeg 201708230520186aa.jpeg

2017082305202077a.jpeg 20170823052022004.jpeg

2017082305202374c.jpeg 20170823052025da7.jpeg

20170823052026e8c.jpeg 20170823052028a88.jpeg

20170823052029252.jpeg 201708230521211f9.jpeg

20170823052121c7b.jpeg 20170823052123ca6.jpeg

20170823052124228.jpeg 201708230521250be.jpeg

20170823052127430.jpeg 20170823052128b44.jpeg

201708230521304a6.jpeg 20170823052131220.jpeg

20170823052132cae.jpeg 2017082305220378b.jpeg

20170823052204c50.jpeg 20170823052206eba.jpeg

20170823052207169.jpeg 20170823052209fed.jpeg

20170823052210adc.jpeg 201708230522121e0.jpeg

2017082305221309c.jpeg 201708230522154c7.jpeg

201708230522168d0.jpeg 201708230525144c4.jpeg

2017082305251524f.jpeg 20170823052516219.jpeg

201708230525175f1.jpeg 20170823052518a82.jpeg

20170823052520677.jpeg 201708230525229a1.jpeg

20170823052523e62.jpeg 20170823052525f5b.jpeg

20170823052526ed8.jpeg 20170823052528454.jpeg

20170823052529b5b.jpeg m20170823052531bfa.jpeg

201708230525327ea.jpeg 20170823052534d60.jpeg

201708230525359bd.jpeg 20170823052537a6f.jpeg

…………………………

20170823061105d54.jpeg

2017082306110885c.jpeg


「親ばかちゃんりん、そば屋の風鈴」

そば屋の風鈴と親ばかの関係、そのカギは夜鳴きそば屋にアリ。
「親ばかちゃんりん」という言葉を時々耳にしますが、これは「親ばかちゃんりん、そば屋の風鈴」と続くきまり文句で、盲目的に子供をかわいがる親の様子を揶揄した言葉。ではなぜ「親ばか」=「そば屋の風鈴」なのでしょう。屋台のそば屋がたくさん登場した江戸の頃、衛生的でタネモノを加えたそば屋がかけそば一辺倒で不衛生な「夜鷹そば」と混同されぬよう屋台の四隅に風鈴をぶらさげ「風鈴そば」として売り出しました。季節はずれに冬でも鳴っているこの風鈴のとんちんかんな様子が親ばかと同じであると表現されたのです。ちなみに当時、風鈴そばは売り声なしに風鈴の音だけでお客を集めていました。騒音などとは無縁な静かな時代に響きわたるそば屋の清新な風鈴の音・・・現代によみがえって欲しいものの一つであります。

…………………………

中日春秋 8/23

「あたりき車力車引き」「言わぬが花の吉野山」「見上げたもんだよ屋根屋のふんどし」。言葉遊びの「無駄口」。一種の語呂合わせで、何かの一言に語呂の良い言葉を加え、おもしろさや威勢の良さをまぶす。映画の寅さんがよく使っていたが、最近はあまり聞かれない。

「親ばかちゃんりんそば屋の風鈴」。親の欲目や過保護を冷やかす、この無駄口はまだ使われている方だろう。『蕎麦の事典』によると宝暦(一七五一~六四年)ごろ、江戸の町に屋台に風鈴をぶら下げたそば屋が登場したとあるが、これとの関係か。

「親ばか」も控えめな風鈴の音ほどなら笑いの種にもなる。されど、ここまでくると親ばかの親とばかの順をあべこべにしたくもなる。山梨県山梨市の職員不正採用事件である。

中学校長が自分の息子を市役所に採用してもらおうと当時の市長(収賄容疑で逮捕)に現金八十万円を渡したとして贈賄の容疑で逮捕された。

子どもを等しく扱うべき立場を忘れ、わが子ばかりはと裏口採用を頼む校長とそれを請け負う市長。古い社会派ドラマも顔を赤らめる展開である。これが二十一世紀の日本とは、頭を抱える。

いたたまれないのは採用された息子だろう。息子の将来を心配したのかもしれないが、とどのつまりが息子を傷つけている。その「あたりき」がなぜ分からなかったか。風鈴の音が寂しく聞こえる。

…………………………
【地口:付け足し言葉】

●字典
あたりき車力よ車引き(あたりき しゃりきよ くるまひき)=「あたりまえ」の職人言葉で、車力と続けて、それは車曳き者のことだと説明合わせ。
蟻が鯛なら芋虫ゃ鯨(ありがたいなら いもむしゃくじら)=「ありがたい」の「あり」を蟻に、「たい」を鯛にかけたしゃれ。この後に「百足(むかで)汽車なら蠅(はえ)が鳥」と続く。「蟻が十なら芋虫や二十、蛇は二十五で嫁に行く」と同形の交ぜっ返しも。
いやじゃ有馬の水天宮(いやじゃありまの すいてんぐう)=「いやじゃありませんか」+「有馬の水天宮」(江戸の水天宮は久留米藩主有馬家の藩邸内にあった)
嘘を築地の御門跡(うそをつきじの ごもんせき)=「うそをつく」+「築地門跡 (「築地の御門跡」は築地本願寺のこと)
裏山椎の木山椒の木(うらやましいのき さんしょのき)=うらやましいという言葉遊び。
恐れ入谷の鬼子母人(おそれいりやの きしぼじん)=「恐れ入りやした」の「いりや」を地名の「入谷」に掛け、同地にある「鬼子母神」と続けたもの。「恐れ入りました」をしゃれていう語。
おっと合点承知之助(おっとがってん しょうちのすけ) =合点だ、承知した、という語を二つ重ねて人名のようにしたごろ合わせのしゃれ。
驚き桃の木山椒の木(おどろき もものき さんしょのき) =「驚き」の「き」に「木」をかけた語呂(ごろ)合わせ。たいそう驚いたの意。
その手は桑名の焼き蛤(そのてはくわなの やきはまぐり)=「その手は喰わない」+「桑名の(名物の)焼き蛤」。いくらうまいことを言っても、そんなことぐらいではひっかからないということ。
何か用か九日十日(なにかようか ここのかとうか)=何か用か?と七日八日をもじったもの。
びっくり下谷の広徳寺 (びっくりしたやの こうとくじ) =広徳寺は、もともと上野下谷にあって、その壮大さから「びっくりした」の表現言葉(現在は練馬区桜台に移転)
何だ神田の大明神(なんだかんだの だいみょうじん) =何だ「かんだ」と神田をもじって後は神田にある稲荷神社の名前を付けたした。
会いに北野の天満宮(あいにきたのの てんまんぐう)= 会いに「来たの」と「北野」+「天満宮」
とんだ所へ北村大膳(とんだところへ きたむらだいぜん)=「とんだ所へ来た」の「きた」に「北村」の「きた」を掛けて続けた言葉遊び。
とんだ目に太田道灌(とんだめに おおたどうかん)=「とんだ目に遭うた」の「おうた」に「太田」を掛けて続けた言葉遊び。
腹が空いて北山時雨(はらがすいて きたやましぐれ)=「北」を「来た」に掛けて、腹が空いてきたことをいう洒落。

●有名な文句をもじったもの
「舌切り雀」をもじって、「着たきり娘」
「いずくも同じ秋の夕暮れ」をもじって「水汲む親父秋の夕暮れ」
「お前百までわしゃ九十九まで」をもじって「お前掃くまでわしゃ屑熊手」
「しづ心無く花の散るらむ」をもじって「しづ心無く髪の散るらむ」
「沖の暗いのに白帆が見える」をもじって「年の若いのに白髪が見える」

●韻を踏むことによってリズムをつけるだけで、特に意味のないもの
あたりき車力、けつの穴ブリキ
嘘を筑紫(つくし)」
美味かった(馬勝った)、牛負けた
美味しかった(大石勝った)、吉良負けた
驚き桃の木山椒(さんしょ)の木
お茶の子さいさい河童の屁
おっかさんの落下傘
いないないばあさん
すいませんねん 亀は万年
ちんぷんかんぷん猫の糞
敵もさるもの引っ掻くもの
結構毛だらけ猫灰だらけ、けつのまわりは糞だらけ→映画「男はつらいよ」の寅さんの的屋のセリフ(啖呵売)で有名。
何か用か(七日八日)九日十日
日光、結構、もう結構
言わぬが花の吉野山
参ったさん、成田山
真っ平御免素麺冷や素麺
見上げたもんだよ屋根屋のふんどし
大したもんだよマレーシア→タイの南(下)にマレーシアが位置しているため。
I'm sorry ヒゲソリー、髭を剃るならカミソリー
何のこっちゃ、抹茶に紅茶
草加、越谷、千住の先よ
願ったり叶ったり、晴れたり曇ったり
しまったしまった島倉千代子
まいったまいった舞の海

●掛詞の技法を使い、後に意味のない言葉をつなげたもの。
すみま千円(「すみません」+「千円」)
あたり前田のクラッカー(「当たり前だ」+「前田のクラッカー」)
そうはいかのキンタマ(「そうは行かない」+「烏賊の金玉」) 何がなんきん唐茄子かぼちゃ(なにがなんきん とうなすかぼちゃ)
どうぞかなえて暮の鐘(「どうぞかなえてくれ」+「暮の鐘」)
そうで有馬の水天宮(「そうであります」+「有馬の水天宮」)
申し訳有馬温泉(「申し訳ありません」+「有馬温泉」)
田へしたもんだ蛙のしょんべん( 皮肉として、大したもんだ、蛙のしょんべん程度の価値だ)
アメリカンフットバース(「アメリカンフットボール」+「吹っ飛ばす」)

…………………………

江戸っ子の会話はまず駄洒落から
隣近所の人とも、初めて会う人とも、江戸の庶民は、まず駄洒落で打ち解け、笑顔からコミュニケーションが始まります。江戸っ子は、言葉に対する鋭い感覚を持っていて、地口(じぐち)、もじり、無駄口など、言葉遊びの達人です。例えば、「ありがたい」といわれれば、「蟻が鯛なら芋虫ゃ鯨」と切り返し、「ありがとう」には「蟻が十なら、芋虫ゃ二十歳」と、即座にまぜっ返す。喧嘩などで「その手は汚ねぇぞ」とくれば、「北がなけれゃ日本は三角」といい返す。揚げ足取りに過ぎませんが、ふっと和んでいくんですね。
用件のみを伝える会話を切り口上といって嫌い、少しでも楽しい会話を心がけます。諸国万人の吹き溜まりの江戸では、異郷の者同士が、初顔合わせをする機会が毎日あるわけです。薩摩の人が隣に引っ越してきたり、お向かいには会津の人だったりします。だからこそ、和やかに過ごすためには「笑い」が秘薬となるのです。笑いは、「他意がございません」という意思表示でもあります。その点、無口な人や無愛想な人は用心した方がいいと敬遠されます。
江戸っ子好みはカラッとした快活なユーモア。相手をバカにしたり、皮肉ったり、自分を卑下するような笑いは下品とされ、嫌われます。上等な笑いとは、スコーンと突き抜けた、茶の笑い。お茶目、茶化す、茶々を入れるなどの「茶」です。緊張をふっと抜く笑いが人付き合いを円満にしました。
「お江戸風流さんぽ道」 杉浦日向子編著 世界文化社 

…………………………

フーテンの寅さんの自己紹介

「わたくし、生まれも育ちも葛飾柴又です。
帝釈天で産湯を使い、姓は車、名は寅次郎、
人呼んでフーテンの寅と発します。
わたくし、不思議な縁もちまして、生まれ故郷にわらじをぬぎました。
あんたさんと御同様、東京の空の下、ネオンきらめき、
ジャンズ高鳴る花の都に、仮の住まい まかりあります。
故あって、わたくし、親分子分持ちません。」


「労働者諸君!稼ぐに追いつく貧乏なし、か?
結構、結構、結構毛だらけ、ネコ灰だらけ
尻(しり)の周りはクソだらけ、か!」

…………………………

がってん音頭



おっと おっと おっと おっと
がってん がってん がってん がってん

しょうちのすけくん おどりましょ
おどろき もものき さんしょのき
あたりき しゃりきよ くるまひき

なにが なんきん とうなす かぼちゃ
おそれいりやの きしぼじん

おっと おっと おっと おっと
がってん がってん がってん がってん

おどろき もものき さんしょのき
あたりき しゃりきよ くるまひき

ありがたいなら いもむしゃくじら
こまり いりまめ さんしょみそ

おっと おっと おっと おっと
がってん がってん がってん がってん

なにか ようか ここのか とおか
けっこうけだらけ ねこはいだらけ
こまった こうやく はりばがねえ

おどろき もものき さんしょのき
あたりき しゃりきよ くるまひき

とんでも はっぷん あるいて じゅっぷん
うそをつきじの ごもんぜき

おっと おっと おっと おっと
がってん がってん がってん がってん
おっと おっと おっと おっと
がってん がってん がってん がってん

しょうちのすけくん おどりましょ……
 つけたし言葉とは、本来の言葉の後に、調子を合わせたり、語呂を合わせたりした言葉を付け足したもの。私の子供の頃にはよく使われていました。最近ではとんと聞きませんね。「オヤジギャグ」のように扱われ、使うことが躊躇されているのでしょうか? ところがところが、子供は美しい言葉にとても敏感で、この番組を通じて一種の「付け足し言葉」ブームのようになっています。今の子供たちが大人になったときには、はやり言葉になっているかもしれませんね。


1 おっと がってん しょうちのすけ(おっと合点承知之助)

2 おどろき もものき さんしょのき(驚き桃の木山椒の木)

3 あたりき しゃりきよ くるまひき(あたりき車力よ車曳き)

4 なにが なんきん とうなす かぼちゃ(何がなんきん唐茄子かぼちゃ)

5 おそれいりやの きしぼじん(恐れ入谷の鬼子母神)

6 ありがたいなら いもむしゃくじら(蟻が鯛なら芋虫ゃ鯨)

7 こまり いりまめ さんしょみそ(困り煎り豆山椒味噌)

8 なにか ようか ここのか とおか(何か用か九日十日)

9 けっこうけだらけ ねこはいだらけ(結構毛だらけ猫灰だらけ)

10 こまった こうやく はりばがねえ(困った膏薬貼り場がねえ)

11 とんでも はっぷん あるいて じゅっぷん(とんでもはっぷん歩いて十分)

12 うそをつきじの ごもんぜき(嘘を築地の御門跡)

…………………………

[ 続きを読む » ]