2017年08月20日の記事 (1/1)

児童虐待

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『日本の心は銅像にあった』

『日本の心は銅像にあった』渡部昇一監修、丸岡慎弥著(育鵬社)を紹介します。

表紙には紫式部、楠木正成、真田幸村、勝海舟らの銅像写真が使われ、「銅像が教えてくれる大切なこと」「楠木正成、真田幸村、二宮金次郎、勝海舟など、銅像になった偉人25名のエピソードを収録!」と書かれています。さらには「どうぞ、見にきて下さい」のダジャレまで! 監修者があの渡部昇一先生であることも驚きです!


本書の「目次」は、以下のようになっています。
「銅像が日本人に教えてくれる大切なこと」上智大学名誉教授 渡部昇一
●古代・中世編
(1)紫式部
   日本人として初めて世界の偉人に選定された文豪
(2)道元禅師
   修行とは、大宇宙が恵んでくださった自己に気付くこと
(3)楠木正成
   敗戦必至で出陣した忠臣が最後に息子に託したこと
●戦国編
(4)島津義弘
   勇猛な武将が故郷を守るために決断した最後の奇策!
 コラム「朝鮮出兵で明・朝鮮軍を震え上がらせた島津軍」
(5)長宗我部元親
   姫若子から鬼若子へ! 初陣で魅せた本当の強さ
(6)加藤清正
   清正が築いた天下の名城は明治時代に難攻不落を証明した
●近世編
(7)伊達政宗
   苦難を乗り越え続けた東北の雄が仙台に遺したものとは」
(8)真田幸村
   徳川家康の脳裏に自害をよぎらせた、徹底抗戦!
(9)鈴木正三
   日本人の心に生きる、正三の「労働とは修行である」という教え
(10)宮本武蔵
    勝つために生まれてきた二刀流兵法の開祖
(11)中江藤樹
    人は損得で動いてはならない。正直と正義で動くのが人の道
(12)玉川兄弟
    水不足を救った技術力と情熱が江戸を世界一の都市へ
(13)石田梅岩
    松下幸之助も尊敬した梅岩は、商業倫理で何を説いたのか
(14)二宮金次郎
    東京駅前で見つけた! 
    経済と道徳の調和を目指した巨匠……ほか
●近現代編
(15)吉田松陰
    人、賢愚ありと雖も 各々一二の才能はなきはなし
(16)勝海舟
    百万人の民を救った江戸城無血開城という決断
(17)大久保利通
    近代日本の礎を作った信念の政治家
(18)木戸孝充
    開国後にまとめた日本の国是
    「五箇条の御誓文」は現代でも通用する
(19)陸奥宗光
    外務省にある唯一の銅像は、国益を賭けて戦う外交官の象徴
(20)明治天皇
    率先垂範の大切さを説き、行動で示した近代日本の国父
 コラム「明治時代の道徳的混迷と教育勅語」
(21)特攻隊
    家族のため、祖国のため、愛する人を守るため
(22)吉田茂
    サンフランシスコ講和条約調印で日本は悲願の独立へ
(23)森信三
    子供への躾は、まず腰骨を立てさせることから!
●海外編
(24)八田與一
    台湾人は、戦後の反日の雰囲気でなぜ八田の銅像を守ったのか
(25)遠山正瑛
    中国政府が建てた日本人の銅像
「あとがき」丸岡慎弥

「銅像が日本人に教えてくれる大切なこと」では、渡部氏が「なぜ日本人の道徳心は衰えたのか?」として、以下のように書いています。
「敗戦後、GHQは日本弱体化のために様々な政策を施しましたが、その内の1つに、戦後教育の方針を定めた教育基本法の施行があります。この法律が施行された時点では『愛国心』や『道徳』といった徳目が盛り込まれていた教育勅語がまだ存在していました。したがって教育基本法には教育勅語に盛られていた徳目は記されておりませんでした。そうした徳目は教育勅語に記されているわけですから、わざわざ入れる必要はなかったのです。教育基本法と教育勅語は教育における言わば車の両輪の役割を担うはずだったのです。ところがその後、GHQの意向を酌んだ文部省及びわが国の国会が、不当にも教育勅語の排除・失効確認の決議をしてしまったのです。その結果、『愛国心』や『道徳』といった条項が日本のどこにも無いということになってしまったのです。二輪車のつもりでいたのが一輪車になってしまいました。これが今日の教育荒廃の最大の原因です」

また渡部氏は「世界から褒められた教育勅語」として、こう述べます。
「教育勅語は特定の倫理学によらず、また、あらゆる宗教色を排除しており、けっして狂信的なものではなかったのです。この教育勅語には普遍的価値が謳われており、非常にわかりやすく、効き目がありました。戦前ではこの教育勅語を小学校4年生になれば暗記しましたので、日本人共通の価値観になったのです。教育勅語が必要とされたのは、明治時代に外国の文化がどんどん日本に入ってきた結果、今日の日本のような道徳的混乱状態にあったからです。下手をすると日本の伝統が失われそうだと、一番心配なさったのが明治天皇でした。そして山県有朋が総理になったときに、枢密顧問官の井上毅が教育勅語の原案を考え、天皇側近の元田永孚の案とすり合わせながら作りあげていったのです」

さらに渡部氏は「教育で大切なことは『良いイメージ』をさせること」として、以下のように述べています。
「かつての日本においては、少なくとも小学生から中学生くらいまでは素晴らしい日本人や、見習うべき大人の話をたくさん教えていました。そのおかげで子供たちは良いイメージができるようになったのです。物事が成就するか否かは『イメージの力』が大きく左右します」

そこで銅像から偉人をイメージしながら伝えていこうというのが本書です。
渡部氏は「銅像から偉人のエピソードを」として、以下のように述べます。
「銅像には、しぐさや向いている方向、建てられた場所など細部にわたり多くの人々の想いが込められていますので、子供だけではなく全ての日本人に大切なことを思い出させてくれると思います。また、その偉人の歴史的偉業の瞬間を切り取った姿をした銅像も少なくありません。ぜひ、銅像を見た時には『なぜ?』と問いかけてみてください。その『なぜ?』という問いから、その偉人の様々なエピソードや後世への影響がわかると思います」

銅像教育研究会(そんな会が存在すること、初めて知りました!)の代表である著者は本書で銅像になった25人の偉人を紹介しながら、銅像の場所、しぐさ、姿などから見えてくる偉人たちのエピソードを紹介しています。
中でも特にわたしの関心を引いたのは「石田梅岩」の項です。
著者は、梅岩について以下のように書いています。
「梅岩は『神道』『儒教』『仏教』など、ありとあらゆる学問を学びました。1つの学問にこだわるのではなく、広く学んでいきました。また学問の師匠を持つこともなく独学で勉強を進めていきました。そんな中から自身の身分であった商人の生き方を示す『石門心学』を確立しました。梅岩は言うならば武士道ならぬ『商人道』を打ち立てたのです。
梅岩は石門心学を広めようと、何度も講義を開いていました。『誰が聞きに来ても良い。女性が聞いても良い(当時、女性がそのような場に行くことは大変珍しいことでした)。聴講料は無料で良い』など、一人でも多くの人に聞いてもらおうと梅岩は活動しました」

また著者は「世界一の老舗大国・日本」として、大化の改新以前に創業し、現在までに1400年も続いている金剛組(大阪市)を紹介しています。
続けて、著者は以下のように書いています。
「金剛組は戦後、寺社建築だけでなく、マンション、オフィスビルなど一般建築も手がけるようになりました。また、金剛組を含め、日本には創業1000年以上続く会社が7社存在します。その7社は次の通りです。

 ・金剛組(建築工事業)大阪市天王寺区
 ・西山温泉慶雲館(温泉旅館)山梨県早川町
 ・古まん(温泉旅館)兵庫県豊岡市
 ・善吾楼(温泉旅館)石川県小松市
 ・源田紙業(紙業)京都市上京区
 ・田中伊雅仏具店(仏具製造販売)京都市下京区
 ・須藤本家(清酒製造)茨城県笠間市

世界で見てもこれだけの会社が1000年以上続いているという国はありません。日本にはもともと商売をする上での倫理観を大切にする文化があったと思います。だからこそ、梅岩が説いた商道徳は日本人の琴線に触れるものだったのではないでしょうか。これは、日本にある創業100年以上の企業数に表れているかと思います」

日本には、創業100年の企業はどのくらい存在するのでしょうか?
なんと、約26000社(2013年8月現在)あるそうですが、著者は以下のように述べています。
「これらの老舗企業の大半に、代々伝えられてきた家訓や言い伝えがあるそうです。その家訓には『利に走るな』『贅沢するな』など梅岩心学の精神が反映されているといいます。また、松下幸之助氏が創立したパナソニックも今年(2015年)で創業97周年となり、もうまもなく創業100周年を迎えます。また、創業200年以上続く会社でも約3000社あり、2位のドイツが約800社、3位のオランダが約200社と続いています。いかに日本が老舗大国かおわかりいただけるかと思います」

石田梅岩の思想は、二宮尊徳に受け継がれました。
二宮尊徳の幼名は二宮金次郎です。著者は述べます。
「実は、道徳と経済を調和させようとする思想は、二宮金次郎という人物の大きな特徴の1つです。そして金次郎は経済行為を通して道徳教育を行ったのです。この教育を「五常講」といいます。五常とは、儒教の基本的な5つの徳目『仁・義・礼・智・信』のことを指します」

著者は、二宮金次郎について以下のように述べます。
「父の兄の家に引き取られた金次郎は朝早くから夜遅くまで働きました。当時、農家に生まれた者は、金次郎くらいの年齢になると働くのが当然でした。金次郎は仕事をしながらでも勉強ができる機会を見つけては読書に励んでいました。このシーンが、後世、全国各地の銅像の形となります。私は金次郎の銅像をみると彼の生前の様子が思い浮かび、胸が熱くなります。それは『周囲の人々には後ろ指をさされながら、ひたむきに学問を続けていたのだろうな』ということです」

金次郎は後に「尊徳(たかのり)」と名を改めます。
しかし、人々は有職(ゆうそく)読みで彼を「そんとく」と呼びました。
著者は、このことについて以下のように述べています。
「有識読みとは、周囲の人々が慕い、尊敬することで呼ばれるようになる呼び名です。有識読みをされていたというのは、当時から人々に慕われ尊敬されていたことを表すのです。その教えは金次郎の弟子たちにより『報徳仕法』としてまとめられました」

さらに、著者は金次郎の偉業について以下のように述べています。
「金次郎は自身の二宮家のみならず、多くの村を立て直していきましたが、その際、次の3つを大切にし、仕事に正面から取り組んでいったのです。
『勤労』『分度』『推譲』
勤労とは文字通り『よく働く』こと、分度とは自分の収入の範囲内で暮らすこと、推譲とは分度の結果余ったものを社会に戻すことです。金次郎はこれらを家族や農民、さらには藩主と身分などに関係なくすべての人に求めていきました。金次郎が農村を立て直すためにずっと考えていたことは次のことです。
『農村の立て直しは人心の立て直しから』
金次郎は何よりも人心の荒廃を立て直すことが最優先だと思っていました。まず自らが一番に働き、神社仏閣も修復したりして、人心さえ変われば村は必ず立ち直ると考えていたのです」

「あとがき」で、著者は以下のように述べています。
「それまでも、偉人のエピソードは好きでしたが、どうも少し離れた世界のようにも思っていました。今、自分の目の前に存在していないからです。偉人の話を聞き、自分の想像でしかその人物と向き合うことはできませんでした。ところが銅像であれば、目の前に堂々と建っています。写真で見ても、風景は昔のものではなく現代の風景ですので『あぁ、○○にあるんだな』と実感できます」

続けて、著者は「あとがき」で述べます。
「銅像は時空を超えて私たちに『感化・影響』を与えてくれているのです。
私は銅像のそのような効果を『時空を超えた感化』と言っています。
銅像には、しぐさ・向き・大きさなどすべてのことに意味が込められています。私は一体でも多く、この銅像について調べ、一人でも多くの方に銅像を通じてその偉人の生き方を伝えていきたいと思っています」

ブログ「『銅像に学ぶ』開始!」で紹介したように、わたしは観光が大好きです。観光地ではさまざまな発見がありますが、多くの観光地にはその土地ゆかりの銅像が建立されています。わたしは三度の飯より銅像が好きだと言いましたよね。正確には、銅像の真似をして写真に写ることが好きなのですが・・・・・・。


しかし、これは単におふざけでやっていることではありません。
「銅像」は偉大なる先人たちの憑代(よりしろ)であり、そのポーズには何かしらのメッセージが潜んでいます。その偉人と同じポーズをとることで偉人の志を感じることが大事なのです。これは先人に対する「礼」でもあり、その精神を学ばせていただいているのです。もともと「学ぶ(まなぶ)」という言葉は「真似ぶ(まねぶ)」から来ています。銅像の真似をすることには深い意味があるのです!


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くろしお 8/20

 戦後、家庭教育の大切さを訴え、「朝のあいさつをする」「ハイと返事ができる」など子どもにしつけることを提唱した森信三が親に対して「これだけは守れ」と説いたこと。

 それは「わが子の前でだけは絶対に夫婦げんかしてはいけない」だ。森先生は親の不和やけんかほど子を不安にするものはなく度重なれば重大な悪影響が出ると喝破した。その人が現状を知ったら肩を落とすことだろう(丸岡慎弥著「日本の心は銅像にあった」)。

 児童相談所が2016年度に対応した児童虐待の件数が12万2578件(速報値)で過去最多となった。児童虐待への意識が高まって、相談・通告が増えた側面もあるが面前ドメスティックバイオレンス(DV)の深刻度が増している。

 厚生労働省によると暴言や無視、子どもの目前で配偶者に暴力を振るう面前DVなどの心理的虐待は前年度比で1万4487件も増えて、全件数のほぼ半分を占めた。夫婦間の暴力沙汰を警察が処理して児童相談所に通告するケースも年を追うごとに増えている。

 「一切の人間関係のうち夫婦ほど、互いに我慢の必要な間柄はないと云(い)ってよい」と森先生も言うほど難しい夫婦関係だがひとたび制御不能になれば「父が母の首をベルトで絞めていた」(体験者の証言)など地獄のような様相になる。

 俗に夫婦げんかは犬も食わぬ、と言われ放っておくものとされてきたが現状を知ってはそうはいくまい。近所の異変に気付けば児童相談所あるいは警察へ相談するおせっかい心を持ちたい。子どもを守るという大人の役割を果たすためだ。

列車好き

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阿房列車―内田百けん集成〈1〉 ちくま文庫
作者: 内田百けん
出版社/メーカー: 筑摩書房
発売日: 2002/10


紀行の極地
阿房列車。タイトルの通り、列車にまつわるお話です。
いわゆる紀行文ということになりますか。

紀行文といえば、文学における一大ジャンルです。

旅行記だとか道中記とも言ったりしますが要は、旅行の道中で何々があったよだとか、どこそこではあれを見たよ、これを食べたよなどといった、旅行中の体験を記す文学ですね。
個人的にこのジャンルが面白いと感じる点は、ただ単純に個人の"日記(旅行編)"といった枠におさまらない色々な試みがなされているところ。旅行にまつわるという点のみでカテゴライズされるという側面が強いこのジャンルには、小説でもないし随筆でもないといったような型にはまらない独特な作品が多いように感じます。

「男もすなる日記といふものを女もしてみんとてするなり」

という超有名な一文から始まる『土佐日記』。この作品こそ我が国最初の紀行文なのですが、最初の作品からして女性の立場になって書いてみるという冒険をしているジャンルですので、もう伝統的にそういうことなんですかね。

ということで、そんな我が国の偉大な紀行文の歴史にばばんと立ち並ぶこの『阿房列車』も、なかなかに強烈なユニークさを持っています。

阿房列車とは、単なる列車旅のことではありません。
厳格なルールがあります。それは「用事もなく列車に乗って出かける」ということ。

行き先に何かを求めたり、誰かと会ったり、物を食べたり、というような一般的に旅行の目的とされるものは阿房列車においては重要視されません。重要視されないというよりもむしろ、積極的に回避を図るほど。何しろ、帰り道には「家に帰り着く」という目的が発生してしまうので厳密には阿房列車と呼べるのは行きの道だけ、という徹底ぶり。

変わった旅行だな、とは思いますが、旅というものに変わった「縛り」のルールを設定すること自体は特に珍しいことではないのも確か。ヒッチハイクや青春18切符を使った電車旅なんかは移動手段に縛りを入れた旅の定番ですし、田舎に泊まろう的な地元の人との交流を重視したり、旅先で必ずジョギングをするというルールを持っていたり、どこかに行く度決まって買うものを決めていたり、などなど。何かしら旅にまつわる個人ルールを持っている人は多いのではないかと思います。

そして、「移動そのものを目的に」するという旅行の捉え方は個人的にはとても共感します。
大学時代には何度か一人で車旅行をしました。オンボロのワゴンRで最長半月ぐらい走り回ってました。特別車が好きな訳でも、車に詳しいわけでもなくて、ただひたすら運転していることが好きで1日10時間ぐらいも運転し続ける旅行を繰り返してました。
移動の行程そのものにこそ意味を求めるというのは、ある意味では旅行の極地とも言えるのではないかと思います。

内田百閒氏の場合は、それが列車なのでしょう。
列車で移動するというただそれだけのことをこれだけ語れるのは百閒先生にしかできない芸当でしょうが、その背景にあるのはもうただ単純に列車が好きで好きでたまらないという強烈な愛情に尽きるのだと思います。

"阿房"という大人の余裕
さて、そんな愚直な列車旅の自称は『阿房列車』。愚直というか「阿房」だそう。
列車移動のみを目的とする一途さをもって「阿房」と言っているのですが、それ以外にも色々と「阿房」を演出する大人の余裕によって構成されているのが本書の魅力。

大人の余裕というか、全体にまどろっこしいのです。

まずすごいのは、出発しないこと。移動のみを目的とした列車旅なのに、全然出発しないんです。
切符の手配に始まり、切符を購入するためのお金の無心やら、列車に乗る前の食事を気にしてみたり、見送りに来ただれそれとのやりとりであったりといったことが、つらつらと書き連ねられていき、出発までもだいぶ長い道のり。

毎回の旅程には、同行者ヒマラヤ山系君がいるのですが、彼との会話がまた中身がないというかはりあいがないというか。百閒先生が何をいっても「はあ」と返す退屈な会話なのに、妙に面白い。

そして、なんといっても洗練された周りくどい言い回しの一文一文が本書最大のまどろっこしさです。

一人になって大分長い間ぼんやりしていた。さて一服して考えてみると、私はまだ起きてから顔を洗っていない。何十年来同じ顔を洗っているけれど、別に綺麗にもならず段々古くなった計りである。無駄かもしれないが、今日突然羇旅の鹿児島でその習慣を廃すれば心的衝動の因となる恐れがある。だからタオルを持って洗面所へいった。

洗面所へ顔を洗いに行くための描写がこれ。この無駄無駄しい文章の引きこむ力は半端ない。

何を買おうとしているかと云えば、白雪糕のお菓子である。私は白雪糕が好きで、塩釜では名物だそうだから、買っていこうと思い立った。そう思った時は塩釜がこんなに雨が降っているとは知らなかったのだから、是非買わなければならないわけもないし、その為に山形や盛岡のおみやげの包みがびしょ濡れになってしまう。よせばいいと思うけれど、雨が降っていないならよしてもいいが、雨が降ってこんなに困っている今となっては、よすわけには行かない。やけ気味で、無闇にトラックの通る街をうろついて、二人とも川から上がった様な雫を引きながら、やっとそのお菓子屋へ這入った。

雨が振っていればこんな調子。気を抜いていると意味のないトートロジーのようにも感じてしまいかねないあやうい、でも計算されつくした回りくどさ。真似しようと思ってもできません。

このまどろっこしい雰囲気が好きになれるかどうかが本書の楽しみの分岐点。僕は憧れるくらいに好きでしたが、おそらく苦手な人も多いことと思います。

列車のいま・むかし
周りくどい文章で進んでいくお話の主眼はやはり列車です。淡々とローテンションで書き進めながら、ふとした瞬間に切り取る景色の描写が目に浮かぶほどの力を持っていてハッとすることもあります。車窓から見る景色の感慨深さというものは、見える景色が移り変わっていても、大きくは変わらない列車旅の醍醐味の一つかと思います。

一方で、いまの列車しか知らない僕にはなかなか想像の難しい昔の列車ならではの姿にも興味を覚えました。

例えば、一等、二等、三等という客室の区別。今でもグリーン車なんかはありますけど、今のものとは席はもちろんのこと、乗客の様子なんかもだいぶ違っていたのだろうなと思います。

夜行列車での旅も何度か登場します。最近、北斗星が廃止されるなど、寝台列車がどんどんと少なくなって寂しいですよね。いまよりもっともっと夜行列車が多かった時代。どんな姿で、どんな人たちが乗っていたんでしょう。

トンネルや山道を走るために、汽車と電車の車両の付け替えが行われるだとか、昔の汽車には電灯がなかったからトンネルの手前の駅で駅員さんが屋根に登って頭の上にどしどし足音をさせて歩きながら、石油ランプを天井から差し込んだだとか、今はもうなくなってしまった姿もあり、いろいろと想像しながら読むのが楽しかったです。
以上。
いまの電車旅とはいろいろ勝手が違うだろうなとは思いますが、それでも共感できる電車旅の魅力というか、雰囲気というかはあるんですよね。なかなか休みも取りにくい日常を過ごしていると、たまの旅行も移動なんかは極力短くして予定を詰め込みたくなってしまいがちですが、あえてゆったりと移動することを楽しむ旅行をまたしてみたいなーと感じさせる本でした。

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小社会 8/20

 小説家、内田百閒(ひゃっけん)の列車好きはよく知られている。何しろ用事も目的もないのに、ただ列車に乗りたいという理由だけで旅に出る。それも2等や3等車は嫌。1等車を好むが、金はないから借金までして旅費に充てる。

 どうしても行かなければならない急な仕事ができれば、やむを得ず3等に乗ることもある。だが、それ以外は自分の主義を貫く。紀行文「阿房列車」シリーズには、百閒が守り通した「自由」が生き生きと描かれていて楽しい。

 乗客が百閒先生のような一徹な人ばかりなら、鉄道会社の苦労も少ないかもしれない。JR四国と4県知事、学識者らによる懇談会が、路線維持の方策について検討を始めた。

 国鉄の分割民営化でJR四国が発足して30年。鉄道事業で黒字になったことは一度もない。今後も高速道の延伸や人口減で需要見通しは先細る。「10年、20年先を見据えれば自助努力のみでは維持は困難」。JR四国・半井社長の言葉が、苦境を端的に示している。

 もし廃線などが検討される場合、利用減が著しい予土線などは候補に挙がりかねない。税金投入による公的支援もテーマになってこよう。住民生活に死活的に関わるだけにオープンに議論し、情報は逐一提供してもらいたい。

 百閒の時代、車は今ほど普及していなかった。これから少子高齢化が進めば交通弱者も増えてくる。車にばかり頼ってはいられない未来を想定しておいてよい。

ちゃらんぽらん

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日本人以上に、この国を愛するちょっと不思議な外国人。
ソバハニさんを、知っていますか?

イランの首都テヘランで生まれ、宗教的迫害にあい、小学校卒業とともに渡米する。
ニューヨークの移民の町で、青春時代を過ごす。同じ町にあのトランプさんが住んでいた!  
英語を必死に勉強し、アメリカでビジネスを大成功させる。
そして、ハワイの地でイラン人女性と運命的な出会いをし、結婚後すぐに、日本へ。
故郷のカスピ海と同じ匂いがした、香川・高松で暮らすことを決意。英語を教えながら、少林寺拳法を教わる。
漁師さんや、高松市長さんとも大の仲良しになり、サラリーマンとして働く。
そして、ペルシャ絨毯やオリーブオイルの販売を手掛ける会社を設立。
気がついたら、日本の友達がたくさんできて、外国人初のロータリークラブ(高松南)の会長にもなっていた! 
大好きな日本語は「おかげさま」。
毎日、「おかげさま」と手を合わせていたら、どんどん幸福なご縁と、チャンスがやってくる。
なぜこんなにも、日本を愛している? 日本の素晴らしいところって、どこ?  
見知らぬ土地で、どうしてビジネスが成功して、子育ても順調にいったの? 
……ちょっと、いや、かなり不思議な外国人、ソバハニさんが教えてくれる、日本人が忘れた、日本人らしい生き方。
ほんとうの幸福の探し方とは?

「おかげさま」。私はこの日本語を知ったときに、今まで生きてきた国とは文化も言葉もまるで違う日本が大好きになり、この地で生きていこうと決めたのです。「おけげさま」を言い続けることで、人を憎まない生き方ができるようになります。誰のことも、憎まない。「おかげさま」は憎しみを断ち切れる魔法の言葉。人間が幸福になるには、それしか道がないのです。そして私の初の著書が日本語で出版されることが嬉しく、親切にしてくれた日本の皆さんへの感謝の気持ちでいっぱいです。   OKAGESAMADE!―マスウド・ソバハニ

≪contents≫
【序章●嘘をついてはいけません。嘘は、憎しみを生み出す源です。】
「おかげさま」と「ご縁」という日本語は宝物/ペルシャ絨毯と友情は、時間が経つほど価値が出るもの/日本の皆さんに、イランとペルシャのことを正しく知ってほしい

【第一章● たとえ憎まれても、愛しなさい。愛し続けなさいと母は言いました。】
六人兄弟の四番目に生まれて/アメリカと仲がよかった時代のイラン/自然が豊かな、美しい国/ゴム風船に父が描いた世界地図/動物と自然が大好き/母の教えは、「愛しなさい」/ある朝突然、アメリカに渡る/ はじめまして、ニューヨーク!/ご近所にトランプさんが住んでいた!/短期間でマスターした、私の英語勉強法/自分を守るために戦う/アルバイトで触れた日本/運命を変えたイラン革命/個人の力では、どうにもならないことがある

【第二章●日本に来た意味を知る。】
妻・ナヒードとの運命の出会い/来日して結婚。ところが…/妻の恩人に紹介されたご縁で、四国・高松市へ/親切な人たちと行く先々で出会った/脇信男さんと出会い、日本に来た意味を知る/困ったときの友が、真の友/少林寺拳法で四国のチャンピオンになる/瀬戸内海の香りと、カスピ海の香り/英語でお手伝いができる喜び/脇さんとのお別れ

【第三章● 異文化に触れると、自分が何者なのかが見えてきます。】
最初に覚えた「おかげさま」/ペルシャと日本の共通点、遠慮と謙遜の美学/友人をつくることで言葉を覚え、日本史を学んだ/教育にも成功した元就/和合─ロータリークラブとの出会い

【第四章● お金を持っているのなら、人を育てるために使ってください。】
夢の中に現れた父が言ったこと/お天道様が見てなくても、ちゃんと生きる/日本で子どもを育てるというチャレンジ/スカイ・イズ・ザ・リミット/お金は、欲を満たすためではない、必要なことに使うためにある/お金も物も、喜びもシェアをする/ケンカは一度怒って、忘れる。そうすれば相手を憎まない/人に騙されても責任は自分にある。クヨクヨしない

【附章● 和合─誰とも対立しない生き方が、本当はいちばん強いのです。】
私の心のよりどころ/バハイ教はすべての宗教を否定しない/義務も個人の主体性に任される/バハイの義務、戒律/他人への奉仕がもっとも重要/神様からの伝言は、本当はとてもシンプルです/神ではなく、権力者たちが人々を煽っています/飲む人がコップを出してから、水を注ぎましょう/バハイ共同体は選挙を重視する/日本人の道徳心を世界に広げましょう

【解説】
マスウド氏、その一家と私─シルクロードの端と端

≪PROFILE≫
マスウド・ソバハニ Masoud Sobhani
1955 年、イランに生まれる。結婚を機に日本へ。
1987 年、高松で当時の市長であった脇信男氏らの応援によって、ペルシャンパレスというペルシャ絨毯を取り扱う会社を設立。
一男一女を日本で育て上げる。
高松南ロータリークラブの会長に就任するなど、香川と海外各国との交流のために尽力をしてきた。
また、日本の心を知るためにさまざまなことにチャレンジ。
特に、少林寺拳法は5000 時間の稽古を重ね、初段で香川県チャンピオンになったこともある。
現在も高松と神戸を拠点に、全国的にビジネスを展開中。


…………………………

越山若水 8/20

いいかげんなことを「ちゃらんぽらん」と言ったりする。感じは分かるが、漢字が浮かばない。思えば妙なこの言葉をイラン人も使う。意味も発音も全く同じだ。

イラン生まれで米国籍、高松市に住んで30年余というマスウド・ソバハニさんの著書「憎まない」(ブックマン社)に教わった。考えさせられる話の多い本だ。

なかでも印象深いのは、こんな話。結婚を機に高松に住み始め、会社経営のために観光ビザから切り替えるときだった。申請は入国管理事務所にあっさり拒まれた。

すでに会社はでき、仕事も始めている。観光ビザの期限は残り少ない。この窮地に、手をさしのべたのは当時の市長だった。入管の所長に掛け合い自身が保証人になってくれた。

故人となったその人の色紙が宝物だという。書かれた言葉の意味は「困ったときの友が、真の友」。それがジャパニーズ・スピリット(日本人の精神)だと、市長はいっていた。

日本には「ご縁」や「おかげさま」といった考え方や言葉がある。イランにもある。神様や仏様、先祖へ広がるご縁に感謝するところが似ている。

イランといえば怖い国―。そんなイメージとは裏腹に、繊細な国民性や文化は日本に近い。何といってもペルシャ帝国以来の悠久の歴史を持つ。気付かせてくれた1冊は書店の棚にぽつんとあった。たまたま手に取ったのもご縁である。

教え子の法要

時鐘 8/20

 お盆過(ぼんす)ぎの紙面(しめん)で「教(おし)え子(ご)の冥福祈(めいふくいの)る」との記事(きじ)を読(よ)んだ。89歳(さい)になる元小学校教諭(もとしょうがっこうきょうゆ)が、自分(じぶん)より先(さき)に亡(な)くなった教え子たちの法要(ほうよう)をしているというのである。

「教え子はわが子(こ)同然(どうぜん)、寂(さび)しくてどうしようもない」と話(はな)している。これもいわゆる「逆縁(ぎゃくえん)」である。先(さき)に死(し)ぬ運命(うんめい)にある親(おや)が、子の供養(くよう)をすることになる。昨今(さっこん)の長寿社会(ちょうじゅしゃかい)では「後先(あとさき)」が逆になるケースは昔以上(むかしいじょう)に多(おお)くなる。切(せつ)ないことである。

中学(ちゅうがく)1年(ねん)の夏休(なつやす)み中(ちゅう)のことだった。クラスメートが海水浴事故(かいすいよくじこ)で亡(な)くなった。新学期(しんがっき)、机(つくえ)が一(ひと)つ空(あ)いた教室(きょうしつ)に母親(ははおや)が来(き)て「みんなは大人(おとな)になるまで元気(げんき)でいて」と訴(うった)えたのを覚(おぼ)えている。その時(とき)の担任(たんにん)の顔(かお)まで思(おも)いだす。つらかったと思う。

夏休み前(まえ)、教師(きょうし)や校長先生(こうちょうせんせい)は「みんな事故(じこ)に遭(あ)わないで」と、生徒(せいと)を送(おく)り出(だ)す。平凡(へいぼん)で月並(つきな)みな訓示(くんじ)に聞(き)こえるが、先生としては何(なに)よりも大事(だいじ)なことを心(こころ)から願(ねが)って伝(つた)えているのだという。

夏休みも残(のこ)りわずか。子どもは無事(ぶじ)で元気が何(なに)よりだが、当(あ)たり前(まえ)が当たり前でないこともある。夏休み明(あ)けが怖(こわ)い子もいるだろう。無理(むり)をしないでと先生は祈(いの)っている。

奇跡

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自分におどろく

たなかかずお 文
あべ弘士 絵


きみのいのちは 
40億年前に生まれた
たった一つの細胞から始まった。
いのちは進化して
木や草やライオンや象になった。
ムカデやタコにならず、
きみは まっすぐ人間の道をたどって
いま そこにいる。
それは すごいことだ。まさに奇跡なのだ。
........
童話屋のたなかかずお。
動物となかよしな絵本作家・あべ弘士。
二人がタッグを組んで作った一大叙事詩が、たのしいポケット詩絵本になりました。
ビッグバンからコンピューター文明に至る、壮大な宇宙と人間の歴史をひもときます。


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卓上四季 8/20

地球上に生命が誕生したのは約40億年前とされる。以来、生命は進化を続け、多様な生物に枝分かれした。あるものは植物に、あるものは魚や鳥に。そして、約400万年前に人類の祖先が現れて、十数万世代を経て現代に至る。

たった一つの細胞から命の赤い糸がつながり、私たちはいまここにいる。気の遠くなるような時間と恐るべき確率の低さだ。だからこそ「きみの存在は、奇跡そのものだ」と、童話作家のたなかかずおさんは「自分におどろく」(童話屋)で命の大切さを訴える。

小中学校の夏休みが終わる。若者の自殺の多くは長期の休み明けに集中する。いじめや友人関係のもつれ、成績不振、家庭問題など、さまざまな理由があろう。家族や教師は子どもの様子に気をつけたい。

起床が遅い、覇気がない。そんな微妙な変化がSOSかもしれない。つらい思いを口に出せない子は思った以上に多い。まずは大人が目を配り、耳を傾け、寄り添いたい。そして、生きているだけで奇跡だということを教えてあげてほしい。

死にたいほどつらいことや、悲しいこともあろう。そんなときは無理をすることはない。走り疲れたら歩けばいいし、歩き疲れたら立ち止まればいい。しばらくしたら、きっと走れるようになる。

焦ることはないのだ。人類400万年の歴史と比べれば、人生はほんの一瞬だが、それでも私たちにとっては十分長い。

なつやすみどろぼう

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▼書評 『雨の自然誌』

著者 シンシア・バーネット
訳者 東郷 えりか
出版社 河出書房新社
発行 2016 09.30

《アメリカ・シアトルとイギリス・マンチェスターの共通項とは?》
昨年の秋は大変雨降りの日が多かった信州。9月は、観測史上最多の雨量で日照時間は平年の3割にも満たなかったそうです。その影響などもあり、野菜の価格が高騰したのは周知のとおりです。
本書は、そんなところから「Rain」にまつわるエピソードと思いセレクトしました。読了後は、「雨の文化史」の印象です。地球規模のエピソードから雨の日に車で通う際に視界を快適にするワイパーまで、網羅されており今では雨を待ち望む日々です。

そうです。「人々の日常の生活に直接の影響を及ぼすことになるのは、雨」だったのですね。そのことを如実に各テーマごとに記した力作です。最終章は、世界で最も雨の多い地域に著者自身足を踏み入れます。

上述したように、昨今の気象条件は、乾燥した地域はより旱魃に、雨の多い地域はさらに多雨になる傾向が顕著になっております。この現象は著者のいう、「私たち頭上に降る雨は往々にして、人間が地上で放出したものを、ただ空から降らせているのだ」と。たとえば、「酸性雨」が良い例ですね。よって人類の日々の生活は様々なかたちで雨となって現れているということです。

ウガンダのヴィクトリア湖は、年平均242日も雷が轟き、インドの北東部のチェラプンジ村は有史以来最高の降雨を観測し、一年間で2万6446ミリであります。そして、このまま地球の温暖化が進めば、あの金星で起こった「暴走温室」という海がすべて蒸発してしまったような終末的な観測もされる気象学者もいるそうです。マイクロソフトの創業者・億万長者のビル・ゲイツ氏がハリケーンの勢力を弱める技術を研究する科学者とともに、特許を申請した事実は本書ではじめて知りましたが、それは過去に「雨を降らせる技術」の職業が本当にあったことに基づいております。

もともと環境史が専門だった著者が、アメリカ史の修士号も取得し精通を成しえたところから、本書のような力作になったのだと窺い知れます。

たとえば、実際の雨量以上に文化的な心理に基づき「雨の都市」と呼ばれるアメリカ・シアトルとイギリスのマンチェスターの2都市。この2都市は、不安に満ちた独自の音楽ジャングルを生み出したのは、何も偶然ではなく、雨に関連していたのです。シアトルでは、グランジ(薄汚いという意味)、マンチェスターでは、ザ・スミスやニュー・オーダーetc..のバンドによる暗いギターポップとなりました。

さらには、著者の腕にかかれば「近代建築の三大巨匠」のひとりフランク・ロイド・ライドまで引っ張り出されます。その当時は、いかに「雨除け」に四苦八苦していたか窺い知れ、雨とともに歩んできたきた人類を鑑みられるのです。

雨が降るのが待ち遠しくなるエピソードが盛りだくさん。そして、著者の専門の環境史も忘れてはなりません。地球温暖化に対するボク達の日々の行動にも苦言を。自然・文学・音楽・雨具の歴史etc..と本書の翻訳は東郷 えりか氏ですからおススメの書籍です。


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中日春秋 8/20

 米国の小売店の棚には「雨」があふれているという。洗剤から美容製品まで、「雨」と名のつく商品が、ずらりと並んでいるそうなのだ。

洗濯洗剤は「爽やかな雨」で、柔軟剤は「よみがえる雨」。体を洗うためには「純粋な雨」というせっけんがあり、シャンプーは「白い雨」、男性用の制汗剤は「花崗岩(かこうがん)の雨」で、女性用は「雨にキスされた睡蓮(すいれん)」…と、雨ばかり。

人類と雨のかかわりを描いた『雨の自然誌』(河出書房新社)によると、一九七〇年代までは、米国でも「花」の香りが洗剤などの主流だったが、ここ三十年ほどで「雨」を思わせる香りが人気となった。米国では雨が新鮮なイメージを喚起するからだというが、日本で洗剤のたぐいに「よみがえる雨」と名付けたら、悪い冗談だと思われるだろう。

それにしても、本当に悪い冗談のような空模様。東京都心ではきのうまで連続十九日、仙台では二十九日も雨が記録された。仙台のここ二十日間の日照時間は平年のわずか五分の一だというから、望まれる洗剤の名は、「よみがえる陽光」だろう。

子どもの詩を集めた『ことばのしっぽ』(中央公論新社)を開いたら、山梨県の五歳の子が書いたこんな詩が載っていた。<もしもし/こうふけいさつしょ/ですか/くもをたいほしてください/あめをふらせてこまります>

くもの容疑は「なつやすみどろぼう」か。

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この本は読売新聞で50年連載が続いている、『子どもの詩』コーナーから、ステキな詩を更に選んで紹介したものです。詩はもちろん、大人が投稿してくれるものなので、一つ一つの詩には、共感してくれる身近な大人がいる、ということ・・・。僕はそこがすごく「素敵だなぁ」と感じています。

具体的にどんな詩が載っているかと言うと

【あめ】
あめ、ちょうだい
いっこだけでいいです
あか と みどり

【とけい】
もうちょっと
ゆっくりの
とけい
かいたい

【お姫さまごっこ】
さや(妹のこと)
お姫さまごっこしようよ
やだ
いっつもお姉ちゃん
ばっかり
お姫さまなんだもん
それじゃ
さやを王子さまにしてあげるから
王子
ごみをすててきてください

【せきがえ】
きょう 
せきがえが ありました
一がっき つかっていた
つくえと いすに
みんなにわからないように
チューしました

【かさ】
これ(かさ)は
あめのおとが
よくきこえる きかいです

【おてがみ】
まま わたしね ちっちゃいころ
ほこりがようせいさんからの
おてがみかとおもってたんだよ
かわいいね

【どんぐり】
なぜか
ひろってしまう
別に使わないのに
わすれてしまう
ハンカチを取る時
ポケットからころがり出る

【ねぇおかあさん】
赤ちゃんゆびって
いちばんはじっこで
さむくないのかなぁ?