2017年08月17日の記事 (1/1)

藪入り





藪入り(やぶいり)/落語


たっぷり笑わせ、しっかり泣かせる名品です。ホントはエロネタ!?

正直一途の長屋の熊五郎。

後添いができた女房で、
一粒種の亀をわが子のようにかわいがる。

夫婦とも甘やかしたので、
亀は、朝も寝床で芋をたべなければ起きないほど、
わがままに育った。

これではいけない、かわい子には旅をさせろだと、
近所の吉兵衛の世話で、泣きの涙で亀を奉公に出した。

それから三年。

今日は正月の十五日で、
亀が初めての藪入りで帰ってくる日。

おやじはまだ夜中の三時だというのに、
そわそわと落ち着かない。

かみさんに、奉公をしていると食いたいものも食えないからと、
「野郎は納豆が好きだから買っておけ。
鰻が好きだから中串で二人前、刺し身もいいな。
チャーシューワンタンメンというのも食わしてやろう。
オムレツカツレツ、ゆで小豆にカボチャ、安倍川餠」
と、きりがない。

時計の針の進みが遅いと、一回り回してみろ
と言ったり、
帰ったら品川の海を見せて、
それから川崎の大師様、横浜から江ノ島鎌倉、
足を伸ばして静岡、久能山、
果ては京大阪から、讃岐の金比羅さま、九州に渡って……
と、一日で日本一周をさせる気。

無精者なのに、
持ったこともない箒で家の前をセカセカと掃く。

夜が明けても
「まだか。意地悪で用を言いつけられてるんじゃねえか。
店に乗り込んで番頭の横っ面を」
と、大騒ぎ。

そのうち声がしたので出てみると
「ごぶさたいたしました。お父さんお母さんにもお代わりがなく」

すっかり大人びた亀坊が、
ぴたりと両手をついてあいさつしたので、
熊五郎はびっくりし、胸がつまってしどろもどろで
「今日はご遠方のところをご苦労様で」

涙で顔も見られない。

この間、風邪こじらせたが、おめえの手紙を見たら途端に治ってしまった
と、打ち明け
「この間、店の前を通ったら、
おめえがもう一人の小僧さんと引っ張りっこをしているから、
よっぽど声を掛けようと思ったが、里心がつくといけねえと思って、
目をつぶって駆けだしたら、大八車にぶつかって……」
と、泣き笑い。

亀が小遣いで買ったと土産を出すと、
「もったいねえから神棚に上げておけ。
子供の御供物でござんすって、長屋中に配って歩け」
と、大喜び。

ところが亀を横町の桜湯にやった後、
かみさんが亀の紙入れの中に、
五円札が三枚も入っているのを見つけたことから一騒動。

心配性のかみさんが、
子供に十五円は大金で、そんな額をだんながくれるわけがないから、
ことによると魔がさして、お店の金でも……
と言いだしたので、気短で単純な熊、
さてはやりゃあがったなと逆上。

帰ってきた亀を、いきなりポカポカ。

かみさんがなだめでわけを聞くと、
このごろペストがはやるので、
鼠を獲って交番に持っていくと一匹十五円の懸賞に当たったものだ
と、わかる。

だんなが、子供が大金を持っているとよくないと預かり、
今朝渡してくれたのだ、という。

「見ろ、てめえが余計なことを言いやがるから、
気になるんじゃねえか。
へえ、うまくやりゃあがったな。
この後ともにご主人を大切にしなよ。
これもやっぱりチュウ(=忠)のおかげだ」

【うんちく】

江戸時代の児童性的虐待

原話は詳細は不明ながら、
天保15年(1844=12月から弘化と改元)正月、
日本橋小伝馬町の呉服屋・島屋吉兵衛方で、番頭某が小僧をレイプし、
気絶させた実話をもとに作られた噺といいます。

表ざたになったところを見ると、何らかの
お上のお裁きがあったものと思われますが、
当時、商家のこうした事件は何ら珍しいことではなく、
黙阿弥の歌舞伎世話狂言「加賀鳶」・「伊勢屋の場」にも、

太助: これこれ三太、よいかげんに言わないか、たとえ鼻の下が長かろうとも。
左七: そこを短いと言わなければ、番頭さんに可愛がられない。
三太: 番頭さんに可愛がられると、小僧は廿八日だ。
太・左: なに、廿八日とは、
三太: お尻の用心御用心。

というやりとりがあります。

「お釜様」から金馬十八番へ

明治末期に初代柳家小せん(→「五人まわし」)が
アブナイ男色の要素を削除して、きれいごとに塗り替えて改作しましたが、
それまでは演題は「お釜様」で、サゲも
「これもお釜さま(お上さま=主人と掛けた地口)のおかげだ」
となっていました。

つまり、亀が独身の番頭にお釜(=尻)を貸し、
もらった小遣いという設定で、小せんがこれを
当時の時事的話題(→次項)とつなげ、「鼠の懸賞」と改題、
サゲも現行のものに改めたわけです。

小僧奉公がごく普通だった明治・大正期によく高座に掛けられましたが、
昭和初期から戦後にかけては、三代目三遊亭金馬が
「居酒屋」と並ぶ、十八番中の十八番としました。

金馬の、親子の情愛が濃厚な人情噺の要素は、
自らの奉公の経験が土台になっているとか。
現役では、三遊亭円楽が得意にしています。

鼠の懸賞

明治38年、ペストの大流行に伴い、その予防のため
東京市がネズミを一匹(死骸も含む)3~5銭で買い上げたことは
「意地くらべ」のその項に記しました。

補足すると、ペストの最初の日本人犠牲者は明治32年11月、広島で、
東京市が早くも翌年、明治33年1月に、ネズミを買い取る旨の
最初の布告を出しています。

希望者は区役所や交番で切符を受け取り、
交番に捕獲したネズミを届けた上、銀行、区役所で換金されました。

東京市内の最初のペスト患者は明治35年12月で、
38年にピークとなったのは「意地くらべ」でご紹介の通りです。
噺の中の15円は、特別賞か、金馬が昭和初期の物価に応じて変えたものでしょう。

ネズミの買い上げは、大正12年9月、関東大震災まで続けられました。

藪入り

「藪入りや曇れる母の鏡かな」
という、哀れを誘う句をマクラに振るのが、この噺のお決まりですが、
藪入りは江戸では、古くは宿入りといい、
商家の奉公人の特別休暇のことです。
江戸から明治・大正にかけ、町家の男の子は
十歳前後(明治の学制以後は、尋常または高等小学校卒業後)で
商家や職人の親方に奉公に出るのが普通でした。

一度奉公すると、三年もしくは五年は、親許に帰さないならわしでした。
それが過ぎると年二回、盆と旧正月に一日(女中などは三日)、
藪入りを許されました。
商家の手代・小僧は奉公して十年は無給で、五年ほどは
小遣いももらえないのが建前でした。

「藪」は田舎のことで、転じて親許を指したものです。
なお、「藪入り」の言葉と習慣は、労働条件が改善された
昭和初期まで残っていて、相撲史上有名な横綱・双葉山の
「70連勝ならざるの日」がちょうど
藪入りの日曜日(昭和14年1月15日)だったことは、
今でも昭和回顧で、よく引き合いに出されます。



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水や空 8/17

はなし家の語りにぴたりと合わせて役者が演技するテレビ番組がある。「落語の映像化」という感じだろうか。先ごろ見たのは「藪(やぶ)入り」だった。その昔、奉公人が正月と盆の16日だけ暇をもらい、実家に帰ったことを指すという。

3年ぶりに帰省した亀吉は目の前にいるのに、父は「亀、大きくなったか?」と妙なことを言う。姿を見ようにも「顔上げると涙がこぼれそうで、上げらんねえ」のだ。

昔も今も変わるまい。祖母なのだろう、JRで県外にUターンする親子を、涙ぐんで見送るご年配の女性の姿がテレビニュースで流れていた。心待ちにして迎え、ともに過ごしたのも、つかの間だったろう。

帰省にUターンにと続いた人の大移動が、ようやく落ち着いたらしい。もっとも11日の「山の日」から連休という人もいて、盆休みは近ごろ分散化しているとも聞く。人いきれがいくらか緩むといい。

こちらはむしろ、人いきれが望まれたろうに。対馬市が、島外から帰省した人に地元就職を促そうと11日に企業説明会を開いた。訪れたのは島内の2人きりで、空振りに終わったという。記事に寂しさが漂う。

日取りとか、周知の仕方とか、工夫の余地はあるのかもしれない。おそらくは「藪入り」の父に負けないほどの"待つ身"の思いが、そのうち届きますよう。