2017年06月の記事 (1/9)

保健室通勤

春秋 6/26

「保健室登校」という言葉が広く言われだしたのは30年ほど前だったろうか。学校には行くものの友人関係での不安やストレスなどが理由で教室に入れず、保健室で過ごす子どもたちを指していた。

最近は「保健室通勤」という実態もあると聞く。体調が悪いのでも教室に入れないのでもない。業務多忙で家に帰れず、やむなく保健室のベッドで夜を明かす。翌日そのまま授業に出る先生がいるのだという。

教育現場が悲鳴を上げている。文部科学省は4月、教員の勤務状況の調査結果を公表した。「過労死ライン」を超える時間外労働をしていたのは小学校33・5%、中学校で57・7%にも達した。尋常ではない。

授業の準備や提出物の添削、子どもへの指導だけでこの数字なら、むしろ本望かもしれない。実情は会議や学校内外へ出す書類の作成、保護者などとの連絡調整に追われ、休日返上の部活動指導が待つ。先生個々人の熱意で補うにも限度がある。

松野博一文科相は教員の働き方改革の検討を中央教育審議会に諮問した。負担軽減策を議論してもらい年内にも緊急対策をまとめるという。急を要する。学校が「ブラック職場」と呼ばれる国に未来はない。

文科省には教員がたっぷり児童生徒に向き合える環境へと整備を願いたい。今どきの言葉を使えば「子どもたちファースト」である。無論、あの獣医学部の真相解明は二の次、という意味ではなく。

ひふみんアイ

水や空 6/26

 先日、現役最後の将棋を終えた加藤一二三・九段の若き日のエピソードである。タイトル戦の大舞台で長考に沈みながら彼は考えた。この局面、相手の目にはどう見えているのだろう、何かいい手はないか。

と、相手が席を外した。「相手の方にぐるっと回って、盤面を見渡しました。そうしたら何と、素晴らしい手が浮かんできたんです」。この手を境に加藤さんは優勢を築く。

ルール違反ではないが、行儀はよくない。記録係はさぞ面食らったことだろう。第一、プロ棋士なら、頭の中で盤面をひっくり返すぐらい造作もないことだ。ただ、実際に視点を切り替えてみたら、違う景色が見えた-という述懐は傾聴に値する。

ちょうど1週間前、安倍晋三首相が通常国会での自らの答弁について「深く反省している」と述べた。〈内閣支持率の急落を踏まえ、低姿勢を強調した格好〉と解説があったが。

その「低姿勢」が、どうにも伝わってこない。「強い口調」がまずかったのなら、さっさと改めればよかった。会期を延ばして「丁寧な説明」に臨む手もあった。

ネットの将棋中継では、盤の上下を反転させて映す機能が「ひふみんアイ」の名で親しまれている。首相も会見の動画を国民目線で眺めてみるといい。「謝ったふり」の自分がきっと見つかるはずだ。

大一番

時鐘 06/26

 知(し)らぬふりを決(き)め込(こ)んでいたが、もう限(げん)界(かい)である。きょう、新(しん)記(き)録(ろく)となる29連勝(れんしょう)に挑(いど)む大一番(おおいちばん)がある。

14歳(さい)の最年少棋士(さいねんしょうきし)は、どんな表情(ひょうじょう)で対局(たいきょく)に臨(のぞ)み、どんな思(おも)いを口(くち)にするのか。吹(ふ)けば飛(と)ぶようなコマの勝負(しょうぶ)が、将棋(しょうぎ)ファンならずとも大(おお)いに注目(ちゅうもく)を集めている。まだ14歳。肩(かた)にかかる重(おも)荷(に)が少(すこ)しでも軽(かる)くなれば、と無関心(むかんしん)を装(よそお)う知らんぷりを続(つづ)けてきた。

頼(たの)まれもしないのに、親心(おやごころ)に似(に)た感情(かんじょう)が湧(わ)く。憎(にく)らしいほどの強(つよ)さではなく、素直(すなお)さがぎこちなくネクタイを締(し)めたような好感(こうかん)度(ど)あふれる少年(しょうねん)棋士である。その小(ちい)さな肩が、重すぎるほどの期待(きたい)に耐(た)えている。下手(へた)に騒(さわ)ぐと、つぶれてしまうのではないか、という心配(しんぱい)が頭(あたま)をかすめる。だから選(えら)んだ知らんぷりである。

快進撃(かいしんげき)を横(よこ)目(め)で追(お)ううちに、一つ学(まな)んだ。黒星(くろぼし)が付(つ)きものの勝負の世界(せかい)である。少年棋士にも早(そう)晩(ばん)、無念(むねん)の日(ひ)が来(こ)よう。が、そのとき流(なが)す苦(にが)い涙(なみだ)は、すぐに明日(あす)の糧(かて)へと変(か)わるだろう。伸(の)び盛(ざか)りの14歳なら、それを大人(おとな)よりも数段(すうだん)やすやすとなし遂(と)げるに違(ちが)いない。

知らんぷりをしている間(あいだ)にも、少年は大きくなり、まぶしくなった。

緑のカーテン

日報抄 6/26

今年もゴーヤーを植えて緑のカーテン作りに挑戦している人は少なくないだろう。夏を涼しく過ごす工夫として、住宅地ばかりでなく、学校や役所など公共施設でも見掛けるようになった。

たまに、日当たりはよいのに、つるや葉の数が少ないものがある。何が違うのか。育て方を聞き合点がいった。ゴーヤーは本葉が6枚になったらつるの先端を切るとよいのだ。すると、複数のわき芽が出て子づるが広がる。時期を見極めた一手間が、その後を大きく左右する。

市街地で気軽に農業を体験できる市民農園が注目されている。県内では、企業が仲立ちして耕作放棄地を貸し出すスタイルが広がり始めた。市民農園では今、夏野菜作りが盛んだ。人気のトマトは、わき芽が出ると小さいうちに取り除くのが栽培のこつだ。

栄養を実に回し、葉が茂りすぎて日当たりや風通しが悪くなるのを防ぐという。同じ野菜だがゴーヤーとは正反対だ。個性や能力に合わせた育て方がある。その心得は子育てにも通じるところがある。

今春、法政大教授を退職した教育評論家の尾木直樹さんは教育現場の現状を憂い「競争主義から脱却して、個に寄り添わないと」と訴える。子どもたちへ「相手の心を想像できる共感力を育んであげて」とも。

農園や庭先では子どもたちが野菜の世話をする姿も見る。一株ごとに目を配って、水や肥料をあげる顔は輝いて見える。胸の中には他者を思いやる力がしっかりと根を張り、太く、まっすぐに育つことだろうと思う。

木の車

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たった一つの約束

 前文部科学事務次官・前川喜平さんの考える公教育とは、どんなものだろうか。ここで結論を先取りして、彼の理想を体現しているような公立校を紹介したい。
 その小学校には、校区内の全ての子どもが登校して来る。つまり不登校がない。それどころか、学校に行けなくなった子たちが全国から集まってくる。障害がある子も、その程度にかかわらず、クラスで一緒に学ぶ。だから特別支援学級というくくりも存在しない。
 いじめもない。どうしてそんなことができるのか。
 子どもの行動を数々のスローガンや校則で縛り、監視の目を光らせているからではない。「たった一つの約束」があり、それがみんなに理解され、行動の基本になっているからだ。その約束は言葉にすれば簡単なことだ。
 「自分にされて嫌なことは、人にしない、言わない」。もちろん先生もそれを守らなければならない。言うはやすく、よく考えると、実践には相当な困難が伴いそうだ。守れなかったら校長室、別名「やり直しの部屋」に行く。待っているのは罰でも、お説教でもない。自分で何がどう間違っていたのか、どう解決するか宣言し、クラスに帰っていく。「やり直し」は何度でも。一発退場どころか、退場そのものがない
 すごいと思ったエピソードがある。2006年の開校時から、月曜の朝会は「校長の話」と決まっていた。校長の木村泰子先生は、子どもたちに大切なことを伝えようと、意気込んで臨んでいた。
 ところが、夏休みが迫ったとても暑い日、小2の男の子がシャツを脱いで「校長先生、おしまい!」と言いだした。みんながざわざわする中、もう一言「暑い!お話、終わり」。とどめは「お風呂に入りたい」。校長はついに話をやめる。
 「お話、終わり」と言った子は、保育園のころ「イヤ」という言葉しか言えなかった子だった。その子がここまで表現できるようになった。そしてその言葉を、その場で何も言わなかった子どもたちの気持ちをも代弁していると、木村さんは受け止めた。子どもがやめてほしいと思っている講話を続けることは「されて嫌なこと」だろう。
 木村さんは「本当に思ったことを言える子こそ学びのリーダーです」と言い切る。聞きたくなくても、面白くなくても、校長の話だから取りあえずがまんして話を聞くなら、それは学びの場ではない。どこかの国の政治や行政に横行する忖度(そんたく)の社会だ。そこからは、本当のことに向き合う姿勢は決して生まれない。
 この時間は後に「全校道徳」に変わり、大阪市立大空小学校にとって特別な時間になった。答えのない課題に、子どもも大人も全員が取り組むのだ。
 どんな相手をも対等の存在として尊重すること。そして、自分がされて嫌なことを相手にしないこと。これらは前川さんが公教育のレゾンデートルとして語った「人権教育」そのものだった。

精いっぱい生きた

中日春秋 6/25

「天が、この国の歴史の混乱を収拾するためにこの若者を地上にくだし、その使命がおわったとき惜しげもなく天へ召しかえした」。若者とは坂本龍馬。司馬遼太郎さんの『竜馬がゆく』の最終回。近江屋で龍馬が刃(やいば)にたおれる場面である。

「惜しげもなく天へ召しかえした」の部分。最近見つかった自筆原稿によると当初は「惜しむように」だった。線で消し「惜しげもなく」と修正している。

読み返す。やはり、この部分、「惜しげもなく」でなければならぬ。そう思う。三十一歳での龍馬の死は早い。惜しいと書きたくなる。されどである。大政奉還、薩長同盟。龍馬の大仕事に天が心から満足し「よくやった」と考えるのなら「惜しげもなく」の方がぴたりとくる。それは精いっぱい生きたと同じ意味であるまいか。

小林麻央さんが亡くなった。病床にあってもそのブログには同じ病の人への慰めや励ましの言葉があふれていた。誰かのためにの大仕事を最後まで続けていた。

この人にも「惜しむように」が似合わぬか。そのときを迎えても「可哀想(かわいそう)に」とは思われたくない。そう書いていた。病気が「私の人生を代表する出来事ではないから」

かなえた夢、出会い、家族との生活。それこそが人生を代表する出来事。だとすれば、お別れは「可哀想」とか「惜しい」よりも「精いっぱい生きた」の方がふさわしかろう。


宝箱

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政治家は、曲芸師である

中日春秋 6/24

 「政治家は、曲芸師である」と喝破したのは、十九世紀から二十世紀にかけてフランスの政界と文壇で活躍したモーリス・バレスである。「政治家は、実際にやることとは逆のことを言って、バランスをとるのだ」

わが国の首相も、この手の曲芸の腕はかなりのものだろう。共謀罪への異論も獣医学部新設での疑惑も封じ込めるかのように国会を閉会して、会見で口にした言葉は「政府として分かりやすく説明していく」。だが、野党が臨時国会の召集を求めても、応じる気配はない。

憲法は臨時国会について、<いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない>と定める。

「召集の期限は書かれていない」と釈明するのかもしれないが、自民党の憲法改正草案では、この条文に、こんな一節が付け加えられている。<要求があった日から二十日以内に臨時国会が召集されなければならない>

なぜ、期限を切るようにしたのか。自民党は「憲法改正草案Q&A」できちんと説明している。<党内議論の中では、「少数会派の乱用が心配ではないか」との意見もありましたが、「臨時国会の召集要求権を少数者の権利として定めた以上、きちんと召集されるのは当然である」という意見が、大勢でした>

そんな見識もドロンと消えた。曲芸だけでなく、手品も得意らしい。


天才

河北春秋 6/23

将棋の中原誠16世名人(69)=塩釜市出身=は小学生時代、塩釜や仙台で盛んにプロ棋士やセミプロと対局し腕を磨いた。9歳の時には飛車角落ちで現役八段を破ることもあった。いわば伝説の始まりである。

「将棋界は天才というバケモノの世界、タダナラヌヒトの集団だ」と書いたのは文壇の強豪、故山口瞳さん。一流棋士と対局した奮闘記『血涙十番勝負』にある。プロ棋士160人余り。その世界はまさに一人一人が伝説を持ち寄っている。

ひときわ輝きを放つ伝説が誕生した。昨年12月のデビューから無敗を続ける最年少、藤井聡太四段(14)が公式戦最多連勝記録の「28」に並んだ。30年誰も踏破できなかった高き峰。頂に立ち「非常に幸運。つきがあった」と言った。何と落ち着いた物腰であろう。

山口さんの言葉をもう一回借りる。当時23歳の中原さんを「天才の中の天才、オバケの中のオバケ、野球でいえば長嶋茂雄」と評した。藤井四段は挑戦権を得られるA級に入れば史上初の10代で名人になる可能性があり、ついにはカミサマとでも呼ばれるかもしれない。

将棋界ではくしくも現役最高齢の加藤一二三・九段(77)が引退。「神武以来の天才」から藤井四段に伝説のバトンが託された。新たなる高みへ挑み、いまだ見ぬ景色を見せてほしい。

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斜面 6/23

将棋盤を見つめながら扇子をくるりくるりと回す。次の一手を考える藤井聡太四段の仕草だ。プロデビューから負け知らずの28連勝。将棋に門外漢の筆者もにわかファンの一人になった。14歳ながら言動には人を引きつける魅力がある。

 「大志」と自ら揮毫(きごう)した扇子が日本将棋連盟の公式グッズとして売り出され即完売になった。「少年よ大志を抱け」を思い起こす。札幌農学校の教頭だった米植物学者ウィリアム・クラークが明治10年に帰国する際、別れを惜しむ教え子に残した言葉だ。

 扇子にはプロ棋士の胸の内が表れるようで面白い。長考しながらもてあそんだり、少し開いてはパチッと音を鳴らして閉じてリズムをとったり。揮毫する文字には心の持ちようや信念がにじみ出る。1996年に25歳で7冠を制覇した羽生善治3冠は好んで「泰然自若」と書いた。

 将棋界で最も権威ある名人が、コンピューターの将棋ソフトに敗北する時代だ。藤井四段も将棋ソフトによってめきめき力をつけた。人工知能(AI)が人間の直感力さえも超える日が近い。だが個性ある人間同士の勝負の魅力には追いつかないはずだ。

 羽生3冠は勝利を確信する終盤、駒を持つ指が震えるという。その所作に魅力を感じるファンは多い。77歳で引退した希代の勝負師加藤一二三(ひふみ)・九段も「ひふみん」と呼ばれて愛された。藤井四段はいずれ先輩を乗り越えるだろう。道を究めるほどに人間味があふれる棋士に育ってほしい。


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春秋 6/23

将棋には、対局相手との実力差が大き過ぎるとき、駒を減らすハンディキャップルールがある。大駒の飛車、角を使わない「二枚落ち」は、6~7の段級差が目安という。

「マジでやばいなと思いましたよ。飛車角落ちとかいうやつっすか。王もいないぐらいですよ」。プロ野球交流戦を振り返ったホークスの柳田悠岐選手の弁だ。

和田毅、武田翔太、千賀滉大投手のエース級3人と、内川聖一、デスパイネ選手の中軸打者2人を故障で欠いた。既に負けている「王がいない」はご愛敬(あいきょう)としても、まさに飛車角落ちの大ピンチ。

が、終わってみれば3年連続の最高勝率。代役の桂馬や香車が躍動して敵陣に攻め込んだ。工藤公康監督の窮余の策に、チャンスを与えられた若手が応えた。

実際の将棋界では史上最年少棋士の藤井聡太四段が快進撃。相前後して福岡県嘉麻市出身の史上最年長棋士、「ひふみん」こと加藤一二三・九段の引退が決まった。史上最多の28連勝に並んだ14歳と63年間現役を続けた77歳。藤井四段のデビュー戦の相手が加藤九段というのも因縁めく。棋史に残る天才2人の「序章」と「終章」を同時に見せてもらった。

プロ野球現役最年長野手のこの人も。ロッテの井口資仁選手(42)が今季限りの引退を表明した。ダイエー時代の“飛車角”の活躍が懐かしい。期待と寂しさが交じる世代交代の風が吹く中でプロ野球はきょうリーグ戦再開。


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くろしお 6/23

藤井時代の幕開け

 雨が降ると織田作之助の小説「聴雨」を思い出す。早熟の天才で名をはせ、プロとしては型破りな棋風で一時代を築いた伝説の棋士坂田三吉の晩年の対局を描く実話ものだ。

 長年引退した後の復帰戦。奇抜な手を求める世間の期待に応えたか、後手の坂田は端歩を突いた。世間は喝采を送るが、昭和初期とはいえ理論的な近代将棋の勃興期。結局奇手が災いして負けたが、坂田は雨音を聞きながら、懲りずに次の対局での奇手を考える。

 梅雨空の下、中学生にして歴代最多の公式戦28連勝を達成した藤井聡太四段も驚嘆と賛辞の渦の中にあって、もう次の対局へ作戦を巡らしているに違いない。坂田とは棋風は対極的だが、同様に孤高の道を歩む雰囲気が既に感じられる。

 加藤一二三九段の史上最年少プロ棋士の記録を塗り替え、初対局ではその加藤九段を破って快進撃が始まった。都成竜馬四段との対局で本県出身棋士による連勝ストップを期待した以外は、藤井四段が生み出す“奇跡”の瞬間をもっと見たい気分が高まっていった。

 対戦相手には悪いが、藤井四段が記録を更新すると人間の可能性が広がったような気になる。彼が特別に強すぎるのか、多くの人が眠る能力を開花できずにいるだけか。全国で将棋熱が高まっているのは、彼が希望を与えたからだろう。

 コンピューターの将棋ソフトが人間を凌駕(りょうが)する時代になっても、限界ある人間同士が競うドラマだからこそ将棋はおもしろいし、廃れることはないはずだ。藤井時代の幕開けは手軽で奥の深い伝統ゲームを再認識させた点でも意義が深い。