2017年05月17日の記事 (1/1)

鎮守の森

201705171348381e0.jpeg


地軸 5/17

 小学生の頃、一番の遊び場は学校近くの神社だった。複雑な建物配置はかくれんぼに最適。「鎮守の森」では木登りやセミ捕りをした。大人たちも事あるごとに集まっていた記憶がある。

 古くから地域住民の拠点だった神社と鎮守の森。その大切さを約110年前、粘菌の研究で知られる博物学者・民俗学者、南方熊楠は懸命に訴えた。

 当時の明治政府は、小規模な神社を統廃合する「神社合祀(ごうし)」を強引に進めていた。全国に20万あった神社のうち、7万が取り壊され、森の木々も切り倒された。愛媛県内では約7割がなくなったというから驚く。

 和歌山県にいた熊楠は、森の消滅で自然界の微妙な生態バランスが崩れることを恐れた。貴重な生物が死滅し、農業や漁業にも悪影響を及ぼす。風景が損なわれ、地域独自の祭礼や習俗も失われると反対運動を展開した。おかげで熊野古道の森林が救われ、2004年の国連教育科学文化機関(ユネスコ)世界文化遺産の登録につながった。

 百科事典を書き写して丸暗記したとか、十数カ国語を理解できたとか、熊楠の天才ぶりを示す逸話は多い。官職に就くことなく、一生「在野」を貫いた。明日は生誕150年。

 「生まれ育った町に森や林を取り戻したい」。東日本大震災の被災地で植樹活動が広がっている。鎮守の森になるまでには、気が遠くなるような時間を要する。小さな苗木に故郷の未来を託す人たちの思いを共有したい。
[ 続きを読む » ]

群れのルール

いばらき春秋 5/17

動物の世界はみな弱肉強食-というのは人間の思い上がりらしい。上野動物園長や県自然博物館長を務めた中川志郎さん(筑西市出身、2012年没)は「群れのルール」と題したエッセイでチンパンジー村の風景をこんなふうにスケッチしている。

バナナをチンパンジーの群れに投げ入れてみる。何匹かが一斉に駆け寄るが、よく見ると、バナナにありつけるのはいつも最初に手にしたヤツ。

群れはボスを頂点とする序列社会だが、食べ物に関しては一番先に手を触れたヤツの物という権利が確立しているのだという。たとえ子どもであっても食べ物は腕力に勝るオスやボスに横取りされる心配はないらしい。

「チンパンジーの社会でこの権利が守られていることは驚きです」。エッセイの結びはこう締めくくられている。

韓国で親北・左派政権が誕生し、欧州では極右が台頭中だ。いずれも弱肉強食のグローバル競争の末、一握りのエリートや財閥に富が集中。安定した働き口を失った人々の怨(えん)嗟(さ)が背景にあるらしい。

弱肉強食では社会は維持されない。チンパンジーだけではないだろう。「人間の社会でこの権利が守られていないのは驚きです」。中川さんは本当はそんな思いを託されたのかもしれない。
[ 続きを読む » ]

はかま姿

20170517135922bbe.jpeg


三山春秋 5/17

 数年前の話。近所に住む顔見知りの女児が小学校の卒業式に出掛けていった。りりしいはかま姿。成長をうれしく感じると同時に、あまりに大人びて見えて少し戸惑ったことを覚えている 。

 はかま姿に大学の卒業式のイメージが強かったからだが、どうやら今は違うらしい。高崎市内の小学校長に聞くと、今年の卒業式は各クラス5、6人がはかまで式に臨んだという 。

 本紙の子ども新聞「週刊風っ子」編集室が、県内の国公立小学校を対象に実施したアンケートで卒業式の服装を聞いたところ、「着物が増えてきた」「はかまの子が毎年数人」などの回答があった 。

 アンケートによれば、「服装に決まりはない」という学校が大半だが、「式典にふさわしい服」「あまり派手にならないこと」「清楚(せいそ)な服」を前提としていることが多い 。

 前出の校長は4月の授業参観後にあった6年生の学級懇談会で早くもはかまを俎上(そじょう)に載せた。着慣れない服で登降壇時に動きにくく、ふらついて危険なこと、式の数時間前から着付けで拘束されることなどを理由に「なるべく控えるよう」求め、保護者に最終判断を委ねた 。

 保護者から「一律禁止にして」との声もあった。「ふさわしさ」を決めるのは難しい。「横並び」は楽かもしれない。けれど、それぞれが主体的に考える機会を大切にした学校からの問いと捉えたい。

下戸マップ

天鐘 5/17

「粕汁で酔いまんね」「奈良漬け食べて反吐(へど)はいた」「酒屋の前を通っただけで酔いまんねや」。負けず嫌いの下戸自慢だが一番の下戸はこの話を聞いていた人が横手で「ゲェーッ」。



朝から尾(び)籠(ろう)な話で恐縮だが、桂米朝の落語『酒の粕』の枕である。酒が飲めない人を下戸、笊(ざる)のように飲む人を上戸という。戸は律令制の課税単位で飲める酒量が多い順に上戸、中戸、下戸と定められていた。

噺の枕に「ビールをコップ半分飲めば真っ赤」の件(くだり)もあったが笑えなかった。ある日、風邪引きと下戸2人の男3人で暖簾を潜り「取りあえずビール2本」を注文したが残る1本を持て余し、這々(ほうほう)の体で店を出た。

アルコールの分解酵素アセトアルデヒドを生まれつき持つか持たないか―で上戸と下戸が決まるという。日本人の60%は酒に強く、35%は余り強くない中間派、残る5%が全く飲めない下戸に分けられるとか。

中間と思っていたらアルコール消毒で腕が赤く腫れた。代替消毒液使用と特記され、医師から酒が合わない体質と忠告された。『全国下戸マップ』によると三重、愛知、石川、岐阜など近畿や中部に偏在している。

『酒豪マップ』では秋田、岩手、鹿児島と続き青森は12位。東北や九州に多い。結果、酒に弱い渡来人が中央の近畿に移り住んだとの説もある。遺伝子は替え難いが、酒杯を飲み干しふと綻(ほころ)ばせる酒豪達の笑顔が羨ましい。

20170517140938db0.jpeg

“酒豪”どこに多い? 「全国酒豪マップ」の謎


[ 続きを読む » ]

ヤマガタ

20170517132406467.jpeg


談話室 5/17

平和部隊はジョン・F・ケネディ第35代米大統領が創設、若者を世界各地に送り込んだ。ボランティアが途上国で住民と生活を共にし開発に貢献する。日本に2回留学経験があった青年はザンビア派遣が決まっていた。

後にタレントで山形弁研究家となるダニエル・カールさんは日本政府の英語指導主事助手面接試験で不合格。ザンビア行きの心構えをする。欠員が生じ2週間後に一転、合格の連絡が入った。「ヤマガタ」行き決断のドタバタを自著「ダニエル先生ヤマガタ体験記」に記す。

鶴岡市教委に所属する米国籍の外国語指導助手(ALT)が麻薬取締法違反(輸入)容疑で逮捕された。「フレンドリーな性格で教員や児童生徒の評価が高かった」。生きた英語で接して子どもたちが世界に関心を持つ“窓”になる存在だけに教育現場で影響が心配される。

外国人初の受け入れとなったカールさんは本県ALTの草分け。今年2月の山形県勢懇話会で講演し「どこに行っても山形を自慢している。死ぬまでする」と応援団を自任した。子どもたちと向き合い、第二の古里に心寄せる。後進の不祥事にはさぞ心を痛めるに違いない。

何かの拍子

中日春秋 5/17

「人というものは、はじめから悪の道を知っているわけではない」。池波正太郎さんは火付盗賊改方(ひつけとうぞくあらためかた)の長官(おかしら)にそう語らせている。『鬼平犯科帳』の一編から引いた。

平蔵の部下である与力がこともあろうに人を殺(あや)め、悪の道へと転落する。「何かの拍子で、小さな悪事を起こしてしまい、それを世間の目にふれさせぬため、また、つぎの悪事をする。そして、これを隠そうとして、さらに大きな悪の道へ踏み込んで行くものなのだ」。人を悪の道へと導いてしまう「何かの拍子」が憎い。

いったいどんな拍子やきっかけが襲い掛かったのか。東京都台東区で高校三年の少年が交際していたとみられる同級生の女子生徒を殺害したとして逮捕された事件である。

少年は殺害後、現場マンションの部屋に火を付けたという見方がある。つぎの悪事、さらに大きな悪の道へと踏み込んでしまったのか。

少年のスマートフォンに「油での火の付け方」をネットで検索した形跡があったと聞く。時代とはいえ、その幼さと過ちの大きさの不釣り合いが悲しい。事件の前に少年がその便利な道具で、検索すべきは「心の落ち着かせ方」や「人の命の重さ」だったはずだ。それに気が付かなかった。

明るい笑い声が似合わなければならぬ年ごろである。亡くなってしまった女の子のために時計の針を戻してあげたい。そして、その少年のためにも。

…………………………

201705170745549d9.jpeg


池波正太郎原作で、歌舞伎俳優の中村吉右衛門が主役を務める人気時代劇シリーズ「鬼平犯科帳」(フジテレビ系)が12月2日・3日のスペシャル番組をもって、惜しまれつつも28年の歴史に幕を下ろす。

主人公は火付盗賊改方(火盗)の長官、長谷川平蔵。配下の密偵や武士とともに、一癖も二癖もある盗賊たちと渡り合う。単純な勧善懲悪ではなく、悪党でありながら人間味あふれるキャラクターの描写が魅力だ。

悪党や配下からは「鬼の平蔵(鬼平)」と恐れられる。だが、そんな平蔵が紡ぐ人情味ある台詞や、人の心の中に同居する善と悪を看破する言葉にはファンも多い。番組に登場する江戸料理も人気だ。

池波作品ならではの人情味や江戸の粋が感じられる、魅力あふれる「鬼平」の名言を紹介しよう。

■「人間というものは…」

「人間というやつ、遊びながらはたらく生きものさ。善事をおこないつつ、知らぬうちに悪事をやってのける。悪事をはたらきつつ、知らず識らず善事をたのしむ。これが人間だわさ」
(第2巻『谷中・いろは茶屋』)
「人間(ひと)とは、妙な生きものよ。悪いことをしながら善いことをし、善いことをしながら悪事をはたらく。こころをゆるし合うた友をだまして、そのこころを傷つけまいとする。
(第8巻『明神の次郎吉』)
「死ぬつもりか。それはいけない。どうしても死にたいのなら、一年後にしてごらん。一年も経てば、すべてが変わってくる。人間にとって時のながれほど強い味方はないものだ」
(第2巻『妖盗葵小僧』)
「人という生きものは、ふしぎなものよ」
(第4巻『密通』)
「人なみに善(よ)いことをして見たくなるのだ。悪事によって得た金で善事をおこなう。それが、いささか、胸の中がなぐさめられる。申せば悪党の虚栄(きょえい)なのだ」
(第11巻『土蜘蛛の金五郎』)
「人というものは、はじめから悪の道を知っているわけではない。何かの拍子で、小さな悪事を起こしてしまい、それを世間の目にふれさせぬため、また、つぎの悪事をする。そして、これを隠そうとして、さらに大きな悪の道へ踏み込んで行くものなのだ」
(第13巻『殺しの波紋』)
onihei
「鬼平犯科帳」フジテレビ公式サイト

■「人のこころの底には…」

「人のこころの底には、なにが、ひそんでいるか、知れたものではないというのだ」
(第4巻『夜鷹殺し』)
「人の、こころの病気(やまい)というは、まことに、はかりきれぬわえ」
(第4巻『夜鷹殺し』)
「人のこころの奥底には、おのれでさえわからぬ魔物が棲(す)んでいるものだ」
(第10巻『むかしなじみ』)
「人の一生なぞというものは、まことに他愛のないものよ」
(第6巻『狐火』)
■「男と女というものは…」

「男には男のなすべきことが、日々にある。これを避けるわけにはまいらぬ……」
(第9巻『本門寺暮雪』)
「男という生き物は……ほんにまあ、いくつになっても……」
「困ったものよ、なあ」
(第5巻『山吹屋お勝』)
「女という生きものには、過去もなく、さらに将来もなく、ただ一つ、現在のわが身あるのみ……ということを、おれたちは忘れていたようだな」
(第1巻『本所桜屋敷』)
「いやはや、人の勘ちがいというものは、万事こうしたものなのだ。ことに男と女の間なぞは、他人が見るとき、先ず大間ちがいをしていることが多いものさ」
(第6巻『盗賊人相書』)
■「悪を知らぬものが悪を取りしまれるか」

「ばかも休み休みいえ、悪を知らぬものが悪を取りしまれるか」 
(第2巻『蛇の眼』)
「浮浪の徒と口をきいたこともなく、酒ものみ合うたこともない上ツ方に何がわかろうものか。何事も小から大へひろがる。小を見捨てて大が成ろうか」
(第14巻『殿さま栄五郎』)
「相手が将軍家であろうとも、もと盗賊であろうとも、おれにとっては変わらぬことよ」 
(第5巻『深川・千鳥橋』)
「金と申すものは、おもしろいものよ。つぎからつぎへ、さまざまな人びとの手にわたりながら、善悪二様のはたらきをする」
(第15巻『特別長編 雲竜剣』)
「人のうわさというものの半分は嘘だ」
(第9巻『狐雨』)
■「鬼平犯科帳」とは

「鬼平犯科帳」は池波正太郎による日本の時代小説。1967年から池波が死去する1989年まで、文藝春秋社「オール讀物」に連載された。1993年からは、さいとう・たかをによって漫画化されている。

saitou
「劇画 鬼平犯科帳 第一話」さいとうたかを

「鬼平」が初めてドラマ化されたのは1969年。吉右衛門の実父、八代目松本幸四郎(初代松本白鸚)が長谷川平蔵を演じた。以降、丹波哲郎と萬屋錦之介が演じ、吉右衛門は四代目の「鬼平」だ。吉右衛門が「鬼平」を演じることになったのは45歳。奇しくも小説の長谷川平蔵が火盗の長官に任命されたのと同い年だった。

吉右衛門版は89年に放送が始まった。2001年に一度レギュラー放送が終了するも、05年から年数回のスペシャル版を制作してきたが、生前に池波が残した「原作にあるもの以外は制作してくれるな」という言葉、吉右衛門の体力面を考慮し、シリーズ終了が決まったという。

長谷川平蔵は吉右衛門にとって「当たり役」とされる。そんな長谷川平蔵がなぜ広く支持されるのか、吉右衛門はこう分析する。

まあ、なんていうのかなぁ、情というものと、剛、強さというものとを兼ね備えた人間といいますかね。それが武士とかなんとかというものを離れて、人間的に魅力があるように書かれておりますのでね。それを出すのが一苦労でございますね。

(吉右衛門さん、鬼平を語る 「人間性、大事に演じた」:朝日新聞デジタルより 2016年11月25日15時16分)
江戸から明治にかけての人々の暮らしぶりを巧みに描写する池波作品だが、リアリティーを追求するゆえテレビで再現するのは至難の技のようだ。吉右衛門もこう語る。

ただ、テレビの制作状況と云うものは時代劇の制作には必ずしも最良の環境とは言えず、池波作品を再現するのに苦慮しているのが現実です。
「オール讀物」(2007年6月号)
池波先生の作品が、奇をてらっていなくて、江戸から明治にかけての人々の暮らしぶりを書いている。大正昭和、その辺の戦争でガラリと変わる前の時代。先生はお若い時にそういう世界を生きてこられた方だから、そういう人たちのどういう思いで生きていたのか、どういう生活をしていたのかというのはよくご存じで、映像でなるべく再現したいと。

(吉右衛門さん、鬼平を語る 「人間性、大事に演じた」:朝日新聞デジタルより 2016年11月25日15時16分)
「鬼平」シリーズは終了するが、不敵な笑みを浮かべながら縁側で横になりつつ渋扇を仰ぐ姿、「五鉄」でアツアツの軍鶏鍋を美味しそうにつつく姿…長谷川平蔵は、これからも私たちの心の中に生き続けることだろう。

参考文献:文藝春秋「オール讀物 鬼平秘録」2015年5月増刊号