2017年05月16日の記事 (1/1)

そもそも

地軸 5/16

 国語の先生はこんな「答案」に○を付けるのだろうか。しつこいようだが「そもそも問題」は捨て置けない。

 「そもそも」を、辞書で念のために調べたら「基本的に」の意味もある―と、安倍晋三首相が国会で自信満々に述べた。辞書を何十冊調べても「元来、最初」などしかなく、「基本的に」の記載は皆無。そこで野党が出典を問うた質問主意書への政府の答弁書に、しみじみと驚いた。

 いわく「そもそも」は「最初、どだい」などの意味で「どだい」は「基本」の意味がある。だから「そもそも」は「基本的に」で正しい…。「そもそも=どだい=基本」の三段論法プラス「基本=基本的に」の歪曲(わいきょく)。いかに正当化しようとも「どだい無理」。

 問題は「辞書で調べた」との答弁が恐らくうそなのに、頑として過ちを認めない姿勢。答弁書は「調べた」真偽を問う質問は無視し、閣議決定した。部下も皆「カラスは白い」を追認する政治。教育上よろしくない、のでは。

 そもそも答弁が出たのは「共謀罪」法案を巡る議論。曖昧で恣意(しい)的な運用が懸念される法の説明が「私の頭脳では対応できない」(法相)とか「うそ」では困る。もし首相の言う通り「基本的に犯罪集団対象」なら例外もあって、線引きなどないに等しい。

 これほどずさんな法案が、明日にも衆院委員会で強行採決されそう。うそや不誠実な言葉を許せば、日本の民主主義の土台が揺らぐ。○は付けられない。


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安倍首相の辞書はどれだ! 

「そもそも」を「基本的に」と書く辞書を探す旅

「でんでん」でおなじみの安倍晋三首相が、4月19日の衆院法務委員会で、「『そもそも』を辞書で調べたら、『基本的に』という意味もある」という旨の答弁をしたそうです(下記事参照)。

首相答弁の「そもそも」、意味はそもそも? 国会で論戦:朝日新聞デジタル

本稿では、「そもそも」に「基本的に」という意味があるのかとか、「そもそも」がそもそも「初めから」という意味なのかなどいうことは、今回の答弁での文脈的意味も含めて一切考えず、単に「『そもそも』を引いたら『基本的に』という意味が書いてある辞書はどれだ」ということだけ調べます。

冒頭の朝日新聞デジタルの記事では、『広辞苑』『日本語大辞典』『大辞林』『日本国語大辞典』には「そもそも」を「基本的に」と説明しているものはないと書いています。それぞれの最新版に当たって確認しましたが、たしかにそのようです。

続けて、主要な中~小型辞書も引いてみましたが、「そもそも」を「基本的に」と語釈しているものは見つけられませんでした。念のため列挙しますと、『大辞泉』『新潮国語辞典』『角川国語辞典』『旺文社国語辞典』『三省堂国語辞典』『岩波国語辞典』『講談社国語辞典』『新明解国語辞典』『角川新国語辞典』『新解国語辞典』『現代国語例解辞典』『新潮現代国語辞典』『三省堂現代新国語辞典』『福武国語辞典』『集英社国語辞典』『学研現代新国語辞典』『精選国語辞典』『角川必携国語辞典』『明鏡国語辞典』『類語大辞典』『小学館日本語新辞典』『ベネッセ表現・読解国語辞典』に当たっています。

ということは、古い辞書かもしれません。主だったところから、遡るように調べていきましょう。とりあえず、それぞれの最も新しい版を引いています。『学研国語大辞典』、『国語大辞典言泉』、『旺文社詳解国語辞典』、『広辞林』、『角川国語大辞典』、『大言海』、『明解国語辞典』、『辞海』、『大日本国語辞典』、どれも違います。戦前に突入してしまいました。『辞苑』、『新式辞典』、『言泉』にもありません。『日本国語大辞典』第2版における「基本的」の初出例は1926年となっています。『言泉』は1921~29年の刊行ですから、これより遡っても出てきそうにありません。仮にあったとしても安倍首相が使っているものではないでしょう。う~ん、わかりません。

もっとマイナーな辞書か、あるいは旧版かもしれません。まず、ここまでに挙げた辞書の旧版に当たってみましたが、やはり「基本的に」は見当たりません*1。続いて、手元にあるその他の小型辞書や、実用辞典の類もいくつか見繕って引いてみましたが、それでも見つかりませんでした。

というわけで、残念ながら現時点では安倍首相の辞書はわからないと言うしかありません。無念です。くやしい。発見された方がいらしたら、どうかご報告ください。


「weblio類語辞書」(下記)には「そもそも」の類語として「基本的に」があるというご指摘を多数いただいております。ありがとうございます。私も、当記事の執筆時点で確認しております。


そもそもの同義語 - 類語辞典(シソーラス)

しかし、類語辞典に掲げられている「類語」はその語の「意味」と呼べるものではない(あくまで「似た意味の言葉」にすぎない)ため、本稿で調査した「『そもそも』を引いたら『基本的に』という意味が書いてある辞書」にはあたらないと考えました。ただし、安倍首相がweblio類語辞書を参照した可能性はあると思います。

また、「『そもそも』に『基本的に』という意味を与えている辞書がない」ということは、直ちに「『そもそも』に『基本的に』という意味がない」ということを意味しません。実際には、「そもそも」には「基本的に」という意味もあると言いうるだろうと思います。ただし、安倍首相の答弁における「そもそも」が「基本的に」という意味であるかどうかというのも、また別問題です。これらの点についても、ご留意いただければと思います。

温泉

四季風 5/16

これから行く温泉を調べたら「単純泉」とあった、何だ単純温泉か-などと失望するなかれ。むしろ喜んだほうがいい。いったい誰が「単純泉」などという愚かな名称を考えたのか。

温泉表示は特定成分が基準値を超えたらその成分名を表示に使う。塩化物泉、硫酸塩泉などだ。成分のいずれも基準値に達していないのが単純泉とされる泉質である。

有効成分の種類は単純泉が一番多く多彩だ。肌への刺激が少なくまろやかで湯あたりも少ない。昔からの名湯とされる多くは実は単純温泉である。

建て替え工事を控え明日から休館になる長門市湯本温泉の象徴的存在だった「恩湯(おんとう)」は、全国の単純温泉番付で小結に列せられたこともある。特に男湯は足元から常に源泉が湧き出し、湯は新鮮そのもの。

浴槽につかるとほのかに硫黄の匂いがする。新鮮なアルカリ性単純泉ゆえの特徴だ。源泉温度は40度前後のぬるさ。冬場に芯まで温まって外に出ても湯冷めがない、まさに本物の力を持つお湯だ。

湯本温泉は全国人気温泉地ベスト10入りを目指して温泉街の再生計画を進めるが、温泉街再興の原点は名湯をいかに生かすかだ。恩湯が伝えてきた単純ではない湯力を徹底分析してみたい。

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温泉の泉質のいろいろ

温泉の泉質について

温泉は、含まれている化学成分や、温度、液性(pH)、色、匂い、味、肌触りなど様々な特徴があります。
温泉の泉質は、温泉に含まれている化学成分の種類とその含有量によって決められ、下の表のように10種類に分類することができます。
温泉が療養泉の基準に満たない場合は泉質名はありません。その場合は温泉分析書に「温泉法上の温泉」または「温泉法第2条に該当する温泉」というように記載されています。
以前は、炭酸泉、重曹泉、食塩泉、正苦味泉、芒硝泉、石膏泉、緑礬泉など、いわゆる「旧泉質名」が使われていましたが、昭和53年から、主な化学成分を記した「新泉質名」を使うよう、環境省によって改訂されました。

1.単純温泉

基準
温泉水1kg中の溶存物質量(ガス性のものを除く)が1,000mg未満で、湧出時の泉温が25℃以上のものです。このうちpH8.5以上のものを「アルカリ性単純温泉」と呼んでいます。

特徴
肌触りが柔らかく、癖がなく肌への刺激が少ないのが特徴で、アルカリ性単純温泉は、入浴すると肌が「すべすべ」する感触があるのが特徴です。

例えば
岐阜県・下呂温泉、長野県・鹿教湯温泉など

泉質別適応症
浴用 自律神経不安定症、不眠症、うつ状態

2.塩化物泉

基準
温泉水1kg中に溶存物質量(ガス性のものを除く)が1,000mg以上あり、陰イオンの主成分が塩化物イオンのものです。

特徴
陽イオンの主成分により、ナトリウムー塩化物泉、カルシウムー塩化物泉、マグネシウム―塩化物泉などに分類されます。日本では比較的多い泉質です。塩分が主成分となってぃるので、飲用すると塩辛く、塩分濃度が濃い場合やマグネシウムが多い場合は苦く感じられます。

例えば
静岡県・熱海温泉、石川県・片山津温泉など

泉質別適応症
浴用 きりきず、末梢循環障害、冷え性、うつ状態、皮膚乾燥症
飲用 萎縮性胃炎、便秘

3.炭酸水素塩泉

基準
温泉水1kg中の溶存物質量(ガス性のものを除く)が1,000mg以上あり、陰イオンの主成分が炭酸水素イオンのものです。

特徴
陽イオンの主成分により、ナトリウムー炭酸水素塩泉、カルシウムー炭酸水素塩泉、マグネシウムー炭酸水素塩泉などに分類されます。カルシウムー炭酸水素塩泉、マグネシウムー炭酸水素塩泉などに分類されます。カルシウムー炭酸水素塩泉からは、石灰質の温泉沈殿物、析出物が生成されることがあります。

例えば
和歌山県・川湯温泉、長野県・小谷温泉など

泉質別適応症
浴用 きりきず、末梢循環障害、冷え性、皮膚乾燥症
飲用 胃十二指腸潰瘍、逆流性食道炎、耐糖能異常(糖尿病)、高尿酸血症(痛風)

4.硫酸塩泉

基準
温泉水1kg中に溶存物質量(ガス性のものを除く)が1,000mg以上あり、陰イオンの主成分が硫酸イオンのものです。

特徴
陽イオンの主成分により、ナトリウムー硫酸塩泉、カルシウムー硫酸塩泉、マグネシウムー硫酸塩泉などに分類されます。

例えば
群馬県・法師温泉、静岡県・天城湯ケ島温泉など

泉質別適応症
浴用 きりきず、末梢循環障害、冷え性、うつ状態、皮膚乾燥症
飲用 胆道系機能障害、高コレステロール血症、便秘

5.二酸化炭素泉

基準
温泉水1kg中に遊雛炭酸(二酸化炭素)が1,000mg以上含まれているものです。

特徴
入浴すると全身に炭酸の泡が付着して爽快感があるのが特徴です。ただし加温をすると炭酸ガスが揮散する場合があります。飲用すると炭酸の爽やかな咽越しが楽しめます。日本では比較的少ない泉質です。俗に「泡の湯」とも呼ばれることがあります。

例えば
泉温が比較的高いものは大分県の長湯温泉が有名です。泉温の低いものは山形県・肘折温泉郷の黄金(こがね)温泉など。

泉質別適応症
浴用 きりきず、末梢循環障害、冷え性、自律神経不安定症
飲用 胃腸機能低下

6.含鉄泉

基準
温泉水1kg中に総鉄イオン(鉄Ⅱまたは鉄Ⅲ)が20mg以上含まれているものです。陰イオンによって炭酸水素塩型と硫酸塩型に分類されます。

特徴
温泉が湧出して空気に触れると、鉄の酸化が進み赤褐色になる特徴があります。

例えば
兵庫県・有馬温泉など。

泉質別適応症
飲用 鉄欠乏性貧血症

7.酸性泉

基準
温泉水1kg中に水素イオンが 1mg以上含まれているものです。

特徴
口にすると酸味があります。殺菌効果もあります。ヨーロッパ諸国ではほとんど見られない泉質ですが、日本では各地でみることができます。

例えば
秋田県・玉川温泉、岩手県・須川温泉など。

泉質別適応症
浴用 アトピー性皮膚炎、尋常性乾癬、耐糖能異常(糖尿病)、表皮化膿症

8.含よう素泉

基準
温泉水1kg中によう化物イオンが10mg以上含有するものです。

特徴
非火山性の温泉に多く、時間がたつと黄色く変色します。

例えば
千葉県・青堀温泉など。

泉質別適応症
飲用 高コレステロール血症

9.硫黄泉

基準
温泉水1kg中に総硫黄が2mg以上含まれているものです。

特徴
硫黄型と硫化水素型に分類され、日本では比較的多い泉質です。タマゴの腐敗臭に似た特有の臭いは、硫化水素によるものです。

例えば
栃木県・日光湯元温泉、神奈川県・箱根温泉郷の小涌谷温泉など。

泉質別適応症
浴用 アトピー性皮膚炎、尋常性乾癬、慢性湿疹、表皮化膿症(硫化水素型については、末梢循環障害が加わる)
飲用 耐糖能異常(糖尿病)、高コレステロール血症

10.放射能泉

基準
温泉水1kg中にラドンが30×10-10キュリー以上(8.25マッへ単位以上)含まれているものです。
放射能というと人体に悪影響を及ぼすと考えられがちですが、レントゲン等の放射線量よりずっと少ない量となっています。ごく微量の放射能は、むしろ人体に良い影響を与えることが実証されています。

例えば
鳥取県・三朝温泉、山梨県・増富温泉など。

泉質別適応症
浴用 高尿酸血症(痛風)、関節リウマチ、強直性脊椎炎など



詳しい新旧泉質名対照表を見る

No 掲示用新泉質名 旧泉質名 新泉質名

1 単純温泉 単純温泉 単純温泉
アルカリ性単純温泉

2 塩化物泉 食塩泉
含塩化土類-食塩泉
含土類-食塩泉 ナトリウム-塩化物泉
ナトリウム・マグネシウム-塩化物泉
ナトリウム・カルシウム-塩化物泉

3 炭酸水素塩泉 重炭酸土類泉
重曹泉 カルシウム(・マグネシウム)-炭酸水素塩泉
ナトリウム-炭酸水素塩泉

4 硫酸塩泉 硫酸塩泉
正苦味泉
芒硝泉
石膏泉 硫酸塩泉
マグネシウム-硫酸塩泉
ナトリウム-硫酸塩泉
カルシウム-硫酸塩泉

5 二酸化炭素泉 単純炭酸泉 単純二酸化炭素泉

6 含鉄泉 鉄泉
炭酸鉄泉
緑礬泉 鉄泉
鉄(Ⅱ)-炭酸水素塩泉
鉄(Ⅱ)-硫酸塩泉

7 酸性泉 単純酸性泉 単純酸性泉

8 含よう素泉 含ヨウ素-食塩泉 含よう素-ナトリウム-塩化物泉

9 硫黄泉 硫黄泉
硫化水素泉 硫黄泉
硫黄泉(硫化水素型)

10 放射能泉 放射能泉 単純弱放射能泉
単純放射能泉
含弱放射能-○-○泉
含放射能-○-○泉

奥の細道

談話室 5/16

映画のロケ地巡り、大河ドラマ観光、アニメの聖地巡礼。近頃よく話題になる。そうした作品の中身、つまりコンテンツに関する観光を「コンテンツツーリズム」というそうだ。地域振興に生かそうとの動きも目立つ。

そうした旅は昔からあった。コンテンツツーリズム学会の増淵敏之会長の説で、酒井亨金沢学院大准教授の本に教わった。映画の「ローマの休日」は欧州のロケ地観光を促し、日本映画でも小津安二郎監督の「晩春」は鎌倉へ、壺井栄作の「二十四の瞳」は小豆(しょうど)島(しま)へ誘(いざな)った。

日本には歌に詠まれた土地(歌枕)を訪れる習慣があり、江戸時代には「東海道中膝栗毛(ひざくりげ)」に出てくるお伊勢参りなど巡礼の旅が登場した-と増淵さん。昔から作品と観光は縁がある。俳人松尾芭蕉の「奥の細道」を自分で辿(たど)る旅も、いわばコンテンツツーリズムだという。

芭蕉の「奥の細道」の旅は、今も多くの人の心を引き付け旅情を誘う。当時東北や北陸を巡る約2500キロ、5カ月に及ぶ大旅行。芭蕉はそのうち約40日間県内に滞在した。「行く春や鳥啼(な)き魚の目は泪(なみだ)」。江戸深川を発(た)ったのは今の暦で5月16日。こんな季節の中だった。

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旅の日

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越山若水 5/16

大型連休を堪能した人ほど、いま恋しいかもしれない。身も心も解放してくれる旅が、である。その思いは俳聖ともなると切実。そぞろ神が心を狂わせたのだった。

「行春や鳥啼魚の目は泪」。328年前の3月27日、松尾芭蕉は「おくの細道」へ旅立った。新暦で5月16日になる。それにちなみ、きょうは「旅の日」だ。

人がくれた餞別(せんべつ)の品が重荷になったり、日暮れの野道で雨に降られたり。俳聖の苦労は現代人には想像もつかないが、道中にこそ旅の醍醐味(だいごみ)があるのはよく分かる。

とはいえ苦より快適な道中を望む人が多いのだろう。超豪華寝台列車が大人気らしい。今月から運行を始めたJR東日本の「トランスイート四季島」は来春分まで完売だという。

火付け役は2013年にデビューしたJR九州の「ななつ星」。来月にはJR西日本の「トワイライトエクスプレス瑞風」も登場するが、どちらもそう簡単には予約を取れない。

驚くのは何といっても高額な料金である。最安でも1人30万円前後で、ななつ星と四季島の最高が95万円。瑞風はもっと高く、125万円もする。

おくの細道は「月日は百代の過客にして」と書き出され高い格調に旅情を誘われる。でも現実は、お手頃な値段の寝台列車が次々に姿を消し、JRの旅が「百万台の価格にして」縁遠くなりつつある。行く春や民草の目は泪、である。


『トランスイート四季島』
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『トワイライトエクスプレス瑞風』

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杞憂でなく希望

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時鐘 5/16

 杞憂(きゆう)とは、天(てん)が落(お)ちてきたらどうしようと不安(ふあん)のあまり夜(よる)も眠(ねむ)れなくなった男(おとこ)の話(はなし)である。心配(しんぱい)してもしょうがないことを心配するな、との意味(いみ)でつかわれる。

小惑星(しょうわくせい)の衝突(しょうとつ)から地球(ちきゅう)を守(まも)るための国際会議(こくさいかいぎ)が東京(とうきょう)で開幕(かいまく)した。これも現代版(げんだいばん)の杞憂と言(い)えなくもないが、先月(せんげつ)19日に地球から180万キロ(地球と月(つき)の距離(きょり)の約(やく)4・6倍(ばい))のところを大きさ約650メートルの小惑星が通過(つうか)したニュースを思(おも)い出(だ)せば、杞憂とは言えまい。

20年ほど前(まえ)まで、ミサイルをミサイルで撃(う)ち落(お)とすのはピストルの弾(たま)をピストルで撃つのと同(おな)じで不可能(ふかのう)に近(ちか)いとされていた。しかし、今(いま)は北朝鮮(きたちょうせん)のミサイルを撃ち落とすミサイル防衛(ぼうえい)は現実(げんじつ)となっている。

では、地球に衝突しそうな小惑星はどうするか。宇宙航空研究開発機構(うちゅうこうくうけんきゅうかいはつきこう)(JAXA)はきのうの会議(かいぎ)で、宇宙工学(うちゅうこうがく)の技術(ぎじゅつ)で貢献(こうけん)できるとあいさつをしている。SF映画(えいが)のような世界(せかい)だが、心強(こころづよ)い言葉(ことば)ではあった。

恐竜(きょうりゅう)は巨大隕石(きょだいいんせき)の衝突で絶滅(ぜつめつ)したとされる。だが、人類(じんるい)は恐竜とは同じ運命(うんめい)をたどらない。天の脅威(きょうい)も軍事的愚行(ぐんじてきぐこう)も阻止(そし)する科学(かがく)の力(ちから)がある。杞憂ではなく希望(きぼう)と呼(よ)びたい。

天災と国防

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天地人 5/16

 寺田寅彦の、あの有名な箴言(しんげん)は著作にはない。口づたえによるものと聞いた。「天災は忘れたころにやってくる」である。「天災」を「災害」「災難」などと言いかえてもいる。この教訓を学んだ年代や教材によっても違いがあるのだろう。

 随筆『天災と国防』で寅彦は<天災がきわめてまれにしか起こらないで(略)人間が(略)忘れたころ>地震や風水害に襲われてきた歴史のくりかえしを指摘した。『函館の大火について』や『災難雑考』にも、おなじような趣旨のことを書いている。物理学者らしい緻密な論考で、わたしたちの気のゆるみに警鐘をならす。

 49年前のきょう、本県を中心に東北・北海道一帯を「十勝沖地震」がおそった。かよっていた小学校の、校舎の外についてた非常階段がくずれおち、衝撃をうけたことを記憶している。県内で被害の大きかった地震はその後、日本海中部地震、三陸はるか沖地震、東日本大震災とつづく。

 寅彦はときに政府や役人をしかった。天変地異の惨状をわすれて、防災の手をぬいてはいけない。為政者は<この健忘症に対する診療を常々怠らないように>(『天災と国防』)と手きびしい。

 世界が不安定な時代は、天変地異ばかりに気をとられてもいけない。相次ぐ北朝鮮の弾道ミサイルや、大規模サイバー攻撃など、警戒対象は全方位である。寅彦も教えてはくれなかった。

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運動会の季節

有明抄 5/16

 5月は運動会の季節である。「えっ?」と反応される年配方もおられようが、昨今、佐賀県内でも小学校の4割弱、中学校で約半数が5月の運動会である。

熱中症対策や学校行事の分散化が主な理由。弁当で食べた青切りミカンと茹(ゆ)で栗のイメージは遠くなった。運動会の風景を描いたエッセーが、脚本家で作家の向田邦子にある。

小学校4年時の回想だ。クラスには足と目が不自由で、みんなになじめない女の子がいた。運動会は徒競走でいつも1人だけ取り残されてしまう。この日も、おぼつかない足元だが、一生懸命ゴールを目指していた。

途中、その子が走るのをやめようとした時、突然、女の先生が飛び出す。年配の小言が多い気難しい先生で人気がなかったというが、その子と一緒に走り出したのである。ともにゴールし、抱きかかえるようにして賞品の鉛筆をその子に手渡した。いても立ってもいられない行動を見た向田は「愛という字の連想には、この光景も浮かんできます」と書いた。運動場が温かな空気に包まれたことだろう。

スポーツが得意な子に光が当たり、讃(たた)える運動会もいい。だが、それぞれが持っている力を発揮し、頑張ることの尊さを感じられる場でもある。応援でも、分担されたお世話係でも出番が一人一人を輝かせる。5月のようにさわやかな一日を。


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向田邦子エッセイ(ゆでたまご・運動会)

ゆでたまご…丸いほうをスプーンの腹でポンとたたき、ひびを入れてゆでると皮がむきやすい
その情報通りやってみたら、本当につるっとむけました。
                    
ゆでたまごのぬく味にいつも必ず思い出すのは、向田邦子さんのエッセイ!
ゆでたまごの話と運動会の話…そこに登場する女の子Iさんを通して、愛とは何か!

向田邦子さんのエッセイです。↓

ゆでたまご
 小学校4年の時、クラスに片足の悪い子がいました。名前をIといいました。
Iは足だけでなく片目も不自由でした。背もとびぬけて低く、勉強もビリでした。
ゆとりのない暮らし向きとみえて、襟があかでピカピカ光った、
お下がりらしい背丈の合わないセーラー服を着ていました。
性格もひねくれていて、かわいそうだとは思いながら、
担任の先生も私たちも、ついIを疎んじていたところがありました。

 たしか秋の遠足だったと思います。
リュックサックと水筒を背負い、朝早く校庭に集まったのですが、
級長をしていた私のそばに、
Iの母親がきました。子供のように背が低く手ぬぐいで髪をくるんでいました。
かっぽう着の下から大きな風呂敷包み出すと、「これみんなで」
と小声で繰り返しながら、私に押しつけるのです。

古新聞に包んだ中身は、大量のゆでたまごでした。
ポカポカとあたたかい持ち重りのする
風呂敷包みを持って遠足にゆくきまりの悪さを考えて、
私は一瞬ひるみましたが、頭を下げているIの母親の姿にいやとは
言えませんでした。 歩き出した列の先頭に、
大きく肩を波打たせて必死についてゆくIの姿がありました。
Iの母親は、校門のところで見送る父兄たちから、
一人離れて見送っていました。

 私は愛という字を見ていると、なぜかこの時のねずみ色の汚れた風呂敷と
ポカポカとあたたかいゆでたまごのぬく味、
いつまでも見送っていた母親の姿を思い出してしまうのです。

 Iにはもうひとつ思いでがあります。運動会の時でした。
Iは徒競走に出てもいつもとびきりのビリでした。
その時も、もうほかの子供たちがゴールに
入っているのに、一人だけ残って走っていました。
走るというより、片足をひきづってよろけているといったほうが
適切かもしれません。
Iが走るのをやめようとした時、女の先生が飛び出しました。

 名前は忘れてしまいましたが、かなりの年輩の先生でした。
叱言の多い気むずかしい先生で、担任でもないのに掃除の仕方が悪いと
文句を言ったりするので、学校で一番人気のない先生でした。
その先生が、Iと一緒に走りだしたのです。
 先生はゆっくりと走って一緒にゴールに入り、
Iを抱きかかえるようにして校長先生のいる天幕に進みました。
ゴールに入った生徒は、ここで校長先生から鉛筆を1本もらうのです。
校長先生は立ち上がると、体をかがめてIに鉛筆を手渡しました。
 
 愛という字の連想には、この光景も浮かんできます。
今から四十年もまえのことです。
テレビも週刊誌もなく、子供は「愛」という抽象的な単語には無縁の時代でした。
私にとって愛は、ぬくもりです。
小さな勇気であり、やむにやまれぬ自然の衝動です。
「神は細部にやどりたもう」ということばがあると聞きましたが、
私にとっての愛のイメージは、このとおり、「小さな部分」なのです。   
   (「男どき女どき」所収)

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何事も成功する時を男時、めぐり合わせの悪い時を女時という――。何者かによって台所にバケツごと置かれた一匹の鮒が、やがて男と女の過去を浮かび上がらせる「鮒」、毎日通勤の途中にチラリと目が合う、果物屋の陰気な親父との奇妙な交流を描く「ビリケン」など、平凡な人生の中にある一瞬の生の光芒を描き出した著者最後の小説四篇に、珠玉のエッセイを加えた、ラスト・メッセージ集。