2017年05月12日の記事 (1/1)

ホトトギス

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編集日記 5/12
  
 木々の緑が日ごとに深さを増すこの時期。ふと思い出す小学唱歌「夏は来ぬ」は「卯(う)の花の匂う垣根に」で始まり「時鳥(ほととぎす)早も来鳴きて」と続く。

 この歌の誕生は、1896(明治29)年ごろ。教育者の小山作之助による明るいメロディーは、今も新鮮で初夏の風の爽やかさを思わせる。一方、歌人の佐佐木信綱の文語調の歌詞には小学生の頃、戸惑った記憶がよみがえる。

 まず「夏は来ぬ」と聞き「なぜ『夏は絹』なんだろう」と素朴に思った。ホトトギスに至ってはまったく未知の生物。見たこともなければ声を聞いたこともなかった。

 ホトトギスは5月ごろから鳴き声が聞こえ始める渡り鳥。昔から夏の題材として和歌などに詠まれ、夜鳴く声を聞こうと中世の貴人たちは徹夜をした。「夏は来ぬ」の詞には伝統文化の粋が詰まっているのだ。だが戦後、都市部でその声を聞く機会はなくなった。

 環境の変化が文化の継承を難しくしているのは間違いない。だが文化や伝統というのは意外にしぶとい。楢葉町には郭公山(ほととぎすやま)という低山がある。名の由来は不明だが、かつて人々がその声を聞き楽しんだ記憶が地名に残ったのかもしれない。現在、愛鳥週間。山道に注意し出かけようかと思う。

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『夏は来ぬ』

歌:童謡・唱歌
作詞:佐々木 信綱
作曲:小山 作之助

卯の花の におう垣根に
ほととぎす 早も来啼きて
忍音もらす 夏は来ぬ

さみだれのそそぐ山田に
早乙女が 裳裾ぬらして
玉苗植うる 夏は来ぬ

橘の かおる軒場の
窓近く 蛍飛びかい
おこたり諌むる 夏は来ぬ

棟ちる 川べの宿の
門遠く 水鶏声して
夕月すずしき 夏は来ぬ

五月やみ 螢飛びかい
水鶏なき 卯の花咲きて
早苗植えわたす 夏は来ぬ

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歌詞の意味は?

『夏は来ぬ』の歌詞を見てみると、古典文学者により作詞された19世紀の古い歌曲ということもあってか、普段聞きなれない若干堅めの表現が多用されている。曲への理解を助けるため、分かりにくい単語・歌詞について簡単に補足してみたい。

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1番の歌詞:ホトトギスと卯の花

1番の歌詞で冒頭に登場する「卯の花(うのはな)」。これは初夏に白い花を咲かせるウツギの花を指す。旧暦の4月(卯月)頃に咲くことから「卯月の花」=「卯の花」と呼ばれた。

「忍音(しのびね)」とは、その年に初めて聞かれるホトトギスの鳴き声を指し、『古今和歌集』や『枕草子』などの古典文学作品にも登場する古語の一つ。

2番の歌詞:山村の田植え

『夏は来ぬ』2番の歌詞では、山村での田植えの様子が描写されている。さみだれ(五月雨)とは、旧暦の5月頃に降る雨を意味する。五月(さつき/皐月)は田植えの月として「早苗月(さなえつき)」とも呼ばれた。

「早乙女(さおとめ)」とは田植えをする女性、裳裾(もすそ)とは衣服のすそ、「玉苗(たまなえ)」は、「早苗(さなえ)」と同様、苗代(なわしろ、なえしろ)から田へ移し植えられる苗を意味している。

3番の歌詞:「蛍雪の功」

3番の歌詞では、まずミカン科の柑橘類の一種であるタチバナ(橘)が描かれる。『古今和歌集』でも取り上げられ、「五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする」(よみ人しらず)などと詠まれた。

歌詞の後半で「蛍飛びかい  おこたり諌(いさ)むる」とあるが、これは中国の故事「蛍雪の功(けいせつのこう)」からヒントを得た表現であろう。故事によれば、灯りの油も買えない貧しい青年が、本を読むために、蛍を数十匹捕まえて袋に入れ、その灯りで勉学に励んだという(冬は雪明り)。

『夏は来ぬ』の歌詞においては、「蛍雪の功」の故事を暗示しながら、夏の夜も怠らず勉学に励めと、飛び交う蛍にまるで諌められているかのような表現となっている。



4番の歌詞:農村の夕暮れ

冒頭の「楝(おうち)」とは、夏に花をつける落葉樹のセンダン(栴檀)を意味する。水鶏(クイナ)は、古典文学にたびたび登場するヒクイナ(下写真)を指していると思われる。

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ヒクイナの鳴き声は戸を叩くようにも聞こえることから、古典文学では「くいな」、「たたく」、「門」、「扉」などの単語と関連付けられて用いられてきた。一例を挙げると、紫式部 『源氏物語・明石』では「くひなのうちたたきたるは、誰が門さしてとあはれにおぼゆ。」、松尾芭蕉「此宿は水鶏も知らぬ扉かな」などと詠まれている。


5番の歌詞:総まとめ

『夏は来ぬ』最後の節では、1番から4番までの歌詞で登場した既出の単語をまとめて再登場させ、歌全体を締めくくるような構成がとられている。初夏に関連する季語をズラっと並べて、様々な風物詩を通して夏の訪れを豊かに表現している。

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知識が子を救う

金口木舌 5/12

清明祭で、久しぶりに親戚のおばさんの「カメーカメー(食べて)攻撃」を受けた。満腹だと言っても聞き入れてもらえず、見ると手元の皿に肉やかまぼこが山盛りになっている。

内心「困ったな」と思いながらもあふれる愛情を感じ、気持ちが温かくなった。そんな「カメーカメー攻撃」も、場合によっては一大事につながりかねない。

子どもの食物アレルギーで悩む母親2人がサークルを立ち上げ、除去食のレシピや肌ケアの方法などをフェイスブックで発信している(4月27日付ひと・暮らし面)。卵や小麦を使わずに作るグラタンや7大アレルゲン対応のナゲットなど、レシピを公開している。

外出先で出会った見知らぬ子に、親切でお菓子をあげる光景は珍しくない。だが、何げなく口にしたお菓子が命に関わることもあるという。「アレルギーがあるかもしれない」と考え、一緒にいる親などにひと声掛けるだけで危険は避けられる。

2人は、子どもが1人で行動する時に発症した場合に備え、アレルギーがあることを知らせるバッジも試作した。今後、同じ悩みを持つ人同士が話せる場を提供していきたいという。

自分の子もよその子もかわいい。知識さえあれば、安心して食べ物を薦められるし、周りの子がアレルギーを発症した時にも対応できる。情報を共有することが、命を救う一歩になる。

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お客さまは神様?

明窓 : 5/12

「お客さまは神様です」は昭和を代表する歌手、三波春夫さんの台詞(せりふ)である。日本企業の旺盛なサービス精神を象徴する言葉として流行し、今も社会に根付く。

教育現場で子どもや保護者の「お客さま化」が進んでいないか。先日、登校時間が普段より10分ほど遅れた小学生のわが子を心配する電話を受けた。保護者にとってはありがたいが、学校側の負担を思うと心苦しい。

教員の過酷な勤務実態があらためて浮き彫りになった。小中学校教諭の平日の平均勤務時間は11時間を超え、中学校では6割近くが過労死ラインに達した。脱ゆとりに伴う授業時間の増加、部活動や保護者への対応…。トイレに行く暇がない教員がいるという。現場から「電通だけじゃない」との悲鳴が聞こえてきそうだ。

「教育」が「労働」を隠していると指摘するのは、ブラックバイトの名付け親として知られる大内裕和・中京大教授。ひどい環境なのは明らかなのに「子どものためならば仕方ない」と際限なく仕事を受け入れる土壌があるという。

実は、客側が「お客さまは神様だから、要望を聞いて当然」と言うのは意図せぬ使われ方。三波さんの真意は「聴衆を神様と見立て、澄み切った心にならないと最高の芸はできない」で、舞台人の心構えを説いた。

三波さんの言葉を借りれば、教員が澄んだ心で子どもたちと向き合ってこそ、初めて教育は成り立つ。疲弊した現場でできるはずがない。膨れ上がった業務を思い切ってやめることが「お客さま」のためになる。

プラモデル

大自在 5/12

 プラモデルの面白さは図面を見ながら一つ一つ、部品を組み立てていく過程にある。完成した時のクラシックカーや艦船、名城に想像を膨らませつつ、時間をかけて仕上げる。以前、プラモデルファンが熱く語っていたことを覚えている。

 子どもの頃、模型飛行機作りに熱中し、社会人になってからは一時ラジコンカーが趣味だった記憶を呼び起こせば、つい同感してしまう。説明の図面とにらめっこしながら作っていた時のワクワク感は忘れられない。

 ただし、そういう思いを共有するのは、今やおやじ世代、高齢世代の方が多いらしい。人さし指などを押してゲーム、スマホを楽しむ子どもや若い人たちには十指を駆使するプラモデルづくりは少々苦手なのかもしれない。

 きのう、静岡市で開幕した静岡ホビーショー(一般公開13、14日)の会場でもそんな声を聞いた。プラモデルの裾野を広げるには、まずは子どもたちに興味を持ってもらう必要がある。「工具を使えない子どもに使い方を教えることからやらないと」。

 ファン開拓へあの手この手の作戦も始まっているようだ。作る過程を思い切って省き、作りやすさを強調した新商品には驚いた。塗装不要、接着剤不要などと売り文句が書かれたプラモデルの車は通常より部品数を大幅に減らし、部品ははめ込むだけで完成するという。

 時間をかけて作る喜びはプラモデルの世界に親しんでから味わってもらえれば、という狙いだろう。手先や工具を使うプラモデルはものづくりの原点でもある。おやじに負けじと夢中になってほしい。