2017年05月05日の記事 (1/1)

こどもの日

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中日春秋 5/5

通りで友人と遊んでいたら、父親が車で通りかかった。こっちに向かってなにか手を振っているようだ。父親はそのまま、二度と帰ってこなかった。

映画「俺たちに明日はない」「フレンチ・コネクション」などのベテラン演技派俳優で二〇〇四年に引退を表明したジーン・ハックマンさん(87)のつらい過去である。十三歳の時、父親が突然、家を出ていった。

少年には受け入れがたいほど大きな悲しみが残った。この出来事を十年ほど前のインタビューで聞かれた時、涙で絶句した。屈強なタフガイの印象のあるアカデミー賞俳優はしょんぼりとこう言い訳した。「失礼。たった六十五年前の出来事なので…」

どれほどの歳月が流れようとも子どもの受けた痛みは消えにくく、昨日の出来事のように感じられるものだろう。六十五年という時間でさえも、その俳優にとっては「たった」。悲しみを忘れるには、十分な時間でなかった。

こどもの日である。「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに母に感謝する」のがその趣旨だが、それとは程遠い子どもを巡る日本の現状である。虐待やいじめは後を絶たず、子どもが犠牲となる事件も相次ぐ。子どもの痛みは増えている印象さえある。

子どもの安全安心と心の安寧のため大人に何ができるかを絶えず考え続けたい。すべての子の「六十五年後」のためである。

アンパンマン

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卓上四季 5/5

先日、NHK連続テレビ小説「ひよっこ」を見ていたら、懐かしい歌声が流れた。「ぼくらはみんな生きている…」で始まる「手のひらを太陽に」である。子どものころは口ずさむと歌詞に照れたが、今聞けば不思議と元気が湧く。

作詞したのは「アンパンマン」の作者、やなせたかしさんである。1950年代、仕事はラジオの台本書きや舞台装置のデザインばかり。「漫画家の才能がない」と悩んでいた。

ある夜、ふと手元にあった懐中電灯を手のひらにあてたら、赤く見えた。心は沈んでも赤い血が流れている。これが生きていることだ。とっさに歌詞が浮かんだそうだ。

漫画家になったのは、戦争体験が原点だという。弟が「もうすぐ死ぬが、兄貴は生きて絵を描いてくれ」と言い残し、戦死した。<正しい戦争はあり得ない。本当の正義は食べ物を分け与え、命を支えること>。困っている人に、自分の顔を食べさせる勇気あるアンパンマンを思いついた(梯久美子著「勇気の花がひらくとき」)。

きょうはこどもの日。苦しい思いで日々を送る子どもがいるかもしれない。そんな姿にひやひやする仲間もいるだろう。

やなせさんはこんな言葉を残している。<いじめられている人をかばうと自分がいじめられるかもしれない。それでもどうしても誰かを助けたいと思うときに本当の勇気がわく>。そう、ぼくらはみんな「で」生きている。

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勇気の花がひらくとき
やなせたかしとアンパンマンの物語

ジュニア・ノンフィクション 7

1919年、ひとりの男の子が生まれました。
名前は、やなせたかし。
みんなに愛されているアンパンマンの、生みの親です。
見る人を楽しませ、明るい気持ちにしてくれる、アンパンマン。
けれど、アンパンマンを生みだしたやなせ先生の人生は、
楽しいこと、うれしいことばかりではありませんでした。
家族との別れや戦争、人と自分をくらべて落ち込む気持ち…。

「ぼくが生きる意味はなんだろう?」
いつも考え、自分の思いを作品にこめた、やなせ先生のすがたをえがきます。

梯 久美子/文



自分の食べものをあげてしまったら、自分が飢えるかもしれない
いじめられている人をかばったら、自分がいじめられるかもしれない
それでも、どうしてもだれかを助けたいと思うとき、
ほんとうの勇気がわいてくるんだ
(本文より)



梯 久美子(かけはし くみこ)
1961年熊本県生まれ。北海道大学文学部卒業後、やなせたかしが編集長をつとめた雑誌『詩とメルヘン』の編集者となる。のちにノンフィクション作家となり、『散るぞ悲しき 硫黄島総司令官・栗林忠道』(新潮文庫)で第37回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。同書は米・英・仏など世界8か国で翻訳出版されている。戦争体験者に取材した三部作『昭和二十年夏、僕は兵士だった』『昭和二十年夏、女たちの戦争』『昭和二十年夏、子供たちが見た戦争』(以上、角川文庫)、『百年の手紙 日本人が遺したことば』(岩波新書)ほか著書多数。


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・小学生の感想文

貧困家庭

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三山春秋 5/5

 食糧難の終戦前後に育った父親から聞いた印象深い話がある。当時、学校に弁当を持って来ることができない子どもたちはお昼時になると校庭で遊び、その時間を過ごしていたという 。

 貧しさが当たり前だった時代だが、空腹を我慢しながら教室を出て行った子どもたちの心中を考えるとやりきれない。毎日の給食を当たり前のように楽しみにしていた環境との落差に、幼いながら強い衝撃を受けたことを覚えている 。

 県が先日公表した「子どもの生活実態調査」でも「進学先の入学金数万円を入金できず除籍となり、勉学への意欲が低下」「修学旅行に行けず、あきらめてしまう経験が重なることで人生に消極的になってしまう」などの例が挙げられた 。

 時代は変わっても経済的な問題に悩む子どもたちの姿が浮かび上がる。経済成長と技術革新で豊かさと便利な日常を手にしたが、厳しい環境にある家庭はまだまだある 。

 調査には、生活苦が表面化する直前まで分からないため、学校も把握していない貧困家庭を「見つけ出す」対策が必要との意見も寄せられている 。

 きょう5日は「こどもの日」。みんなでもう一度周りを見渡し、困っている子どもに寄り添う気持ちを大切にしたい。明日の群馬を支える児童生徒が伸び伸びと育ち、幸福な子ども時代だったと振り返ることができるように。

立夏

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日報抄 5/5

夏が立つ。立春、立秋にくらべ手ごわそうである。桜をつい先日見送ったばかりのような気がするが、空は青を増し、田畑からは土のにおいがする。

〈美しき緑走れり夏料理〉星野立子(たつこ)。どんな皿を思い浮かべよう。初夏から走りだす枝豆は、明るい緑が涼しげだ。しかしこんな厳しい評価を浴びたことがある。「5月からハシリが出る。枝豆のハシリはちっともウマくない」。晩の友は空豆であり、それがなくなると「仕方なしに枝豆を食う」。

散々だ。これは、小説や随筆から昭和が立ち上る獅子文六さんによる評価である。横浜に生まれ、なけなしの財布をふるってパリの名店を食べ歩いた人だ。越後の枝豆にほれた作家として聞いたことがあるが…。

酷評の何年後だろうか、「誤りを知った」と書く。肥えた実や香りをたたえ、「越後とか庄内平野」のものが「ウマいのである」と別人のよう。この二つの地方を並べほめるのだから、評価一変の裏にあるのは茶豆だろう。

コメの生産調整が始まった頃、旧黒埼町(新潟市)で栽培が広がった。小平方集落の人々が親戚にも分けずに守ってきたものを、町内に開放した。古くは庄内の鶴岡から伝わったとされる。すくすく育ち、いまや新潟ブランドを引っ張る。

くろさき茶豆」が地理的表示保護制度に登録された。堅い制度名が惜しいが、要は国が逸品と認めた。品薄になってしまうだろうか。それも惜しい。でも、もぎたてを味わえるのは地元だけである。茶豆が人を呼ぶ夏もいい。

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新潟日報、獅子文六と枝豆。

とりあえずビールと枝豆、という季節ですなあ。

7月18日の新潟日報が届いた。「にいがた食ひと紀行」の26回目が「獅子文六と枝豆」なのだ。少し前に、担当の文化部の記者の方が、取材で東京に来られたときに会った。おれが獅子文六の『食味歳時記』(中公文庫)の解説を書いている関係で、獅子文六のことや枝豆のことなどを話した。そのときのおれのコメントがちょっとだけ載っている。

「にいがた食ひと紀行」は、新潟日報メディアシップ5階にあるという「にいがた文化の記憶館」と連携した企画らしいが、新潟の食とゆかりのある著名人のエピソードや著作などをもとに、そのひとと新潟の食を紹介している。大活字の全5段を使った、いい企画。

『食味歳時記』では、9月にあたる「今朝の秋」に枝豆が登場する。獅子文六も枝豆は夏のものだと思っていたし、東京あたりではそう思っている人が多いだろうけど、ちがうのだ。6月ぐらいからわせが始まり、これから9月中頃までが、いわゆる「旬」なのだ。

獅子文六は、「関東産の枝豆を、美味なものと、思ってたが、近年になって、その誤りを知った。/枝豆は、越後とか、庄内平野のものが、ウマいのである」「新潟のも、酒田のも、実がマルマルと肥えて、見るからに立派だったが、食べる時に、オナラの臭いがするのも、同一だった。最初は辟易したが、そんな臭いがすることが、豆の味のウマさと、密接な関係があるらしく、しまいには、それが魅力となった」と書いている。

「オナラの臭いがする」には、オナラだっていろいろな臭いがあるから見当がつかないが、とくに茹でたては独特の臭いがするのは確かだ。

これは、山形産の「だだ茶豆」で有名になった茶豆の種類らしいのだが、新潟でも庄内と同じ茶豆を作っているし、味も甲乙つけがたい。記事によれば、新潟市西区黒埼地区のものが「黒埼茶豆」として、よろこばれ賞味されているとか。その生産者も取材している。「茶豆の里」というJA越後中央の農産物直売所もある。

山形の庄内というと酒田や鶴岡が中心だが、そこの「だだ茶豆」と「黒埼茶豆」のつながりを追いかけたのち、最後にこう書いている。

「つながりが深い「黒埼茶豆」と「だだ茶豆」だが、山形大学農学部の江頭宏昌教授(51)は「鶴岡は間食文化。女性や子供が小腹を満たすのに、甘みが強いものが好まれる。新潟の人たちは酒のあて。甘みより、うまみ重視する」と説明、風土や食文化が品種改良に反映されているのが興味深い」

ほんと、なかなか興味深い。

ってことは、酒のつまみには新潟の茶豆のほうがよさそうだが、新潟県人も大人にかぎらず枝豆をよく食べる。関東とは一度に食べる量からしてちがう。どこの家でも、ザルに山盛り茹で、大量に食うのだ。「酒のつまみ」といった優雅な食べ方ではない。おれが子供の頃からそうだったが、いまでも変わらないらしい。

じつは、新潟県は枝豆の作付面積は全国一なのだが、出荷量の順位は下がるのは、県内消費が多いからだ。県民の経済や文化などの「格差」に関係なく、枝豆の季節になると県民こぞって賞味するのは、食文化としては素晴らしいことだ。作付面積全国一と共に、「枝豆王国」は、虚構ではない。

しかし、食文化としては豊かで素晴らしいが自家消費は「経済」にならない。そこが悩ましいところだ。

この記事は文化のことなので、経済にはふれてないが、いまや東京市場でブランドになれるかどうかによって、地方の「経済」は左右される。そして、東京市場でブランドになることは、選択肢の多い東京人の消費の気まぐれに左右されながら、地元の消費が流通量や値段などで圧迫を受ける関係にもなるのだ。つまり地域の食文化は面倒を抱えることになる。それで地域の食文化が危機に瀕したり、変わる例もある。そのへんは、なんでもいいものは東京に集まるのがトウゼンと思っている東京人階層は気づきにくい大きな矛盾だろう。

それはともかく、この記事の冒頭に、獅子文六の息子さんが登場する。文六が還暦の年に生まれ、16歳で死別、現在62歳だ。記者はその方まで取材している。おれはその帰りに、大宮で会った。

伊勢菓子博

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大観小観 5/5

戦後の物のないころに幼年期を過ごし、高度成長期の学生時代はたむろする場所が男は純喫茶、女はアイスクリーム、パフェなどを置くパーラーや甘味喫茶だったので、菓子はせんべいぐらいしか食べた記憶がない。

せっかくの「お伊勢さん菓子博」も、伊勢の菓子は、和菓子の中心である茶菓子ではなく、「旅人へのおもてなし」として発達した甘く、腹持ちがよい餅菓子だという故事来歴に感心し、高校生の出品作品でも、県立相可高校が「野菜」をテーマに挑み、実物を観察しながらの試行錯誤を繰り返しているという本紙ルポに、食材の善しあしを見抜く目を養うことにつながっているのだろうと感じたりするのだから、歌を語るのに歌い手の振り付けを褒めるようなものでお話にならない。

端午の節句の柏餅は、霊力が宿るという餅を新芽が出るまで古い葉が落ちない柏でくるむことで子どもの健やかな成長を願う菓子として江戸時代に始まり、孫の初節句の時は親族や近所、出入り商人へ配り、他家からも到来して柏餅一色になったという。年中行事の菓子は家族が健やかに過ごせるように、たくさん子孫を残せるようにの願いが込められいる(森田環・虎屋文庫研究主査=NHK視点・論点)

菓子だけではなく、こいのぼりなど飾り物も子孫繁栄、子どもの幸せの願いが込められ、ひな人形と同様、豪華さがエスカレート。屋外飾り禁止令なども出ている。男子の祝いではなくこどもの日となったことで飾る家が少なくなったとものの本にあったが、子どもへの社会の思いが昔ほど熱くはないのかもしれない。

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視点・論点 「和菓子にみる東西の違い」
2015年01月19日 (月)

虎屋文庫 研究主査 森田環
 
 日本を東と西に分け、風習や人々の気質などを比較することは興味深く、古くから文献にも取り上げられてきました。食べものも例外ではなく、材料や調理方法の違いなどが、テレビや雑誌などで紹介されているのを見かけます。今日は菓子にまつわる東西の違いについて、東は東京、西は京都・大阪、いわゆる京阪を例にして見てまいりましょう。
 寒さが厳しいこの時期、恋しくなるのが温かい「汁粉」や「ぜんざい」でしょう。どちらも甘い小豆を使った食べものですが、東京と京阪では、粒のあり・なしなどで、呼び方が異なります。
 
一般に、こし餡で汁気の多いものは、東京では「御膳汁粉」、京阪では単に「汁粉」と呼ばれます。一方、粒餡で汁気の多いものは、関東では「小倉汁粉」あるいは「田舎汁粉」といい、京都や大阪では「ぜんざい」と呼ばれます。ところが東京で「ぜんざい」というと、餅や蒸した粟などの上に、汁気のない餡をかけたものを指します。
おなじみの「汁粉」と「ぜんざい」ですが、いつごろから食べられるようになったのか、なぜ東と西で言葉の使いわけをするようになったのか、残念ながらはっきりしたことはわかりません。ただ、江戸時代には、江戸・京阪ともに屋台などで汁粉やぜんざいが盛んに売られ、多くの人々に親しまれまれており、その頃には使い分けがされていたことがわかっています。
なお、ぜんざいの名については、室町時代、一休禅師が「善き哉此の汁」と褒めたことから、「善き哉」つまり「善哉」になったとか、出雲、現在の島根県でお供え用に用意されたという小豆と餅を煮た「神在餅」が訛ったものがはじまりだったという説などがあります。

餅といえば、「雑煮」も東西の違いが見られるものとして知られます。東京では醬油味の澄まし汁に焼いた切り餅を、京阪では白味噌仕立ての汁に煮た丸餅を入れるのが一般的といえます。
汁の違いについては、室町幕府の料理人が記した「山内料理書」に、餅などを味噌を使った調味料で整えたことが書かれています。そのため、京阪の白味噌仕立ての汁は、室町時代の雑煮の作り方の流れを汲んでいると考えられます。
一方、江戸の雑煮については、江戸時代中頃の料理書「黒白精味集」に、「薄醤油仕立よし」という記述が見られ、当時醬油を使った澄まし汁が江戸で広まっていたことがうかがえます。
ところで、丸餅と四角い切り餅と、形に違いがあるのはなぜでしょうか。餅は日本人にとって神聖な食べもので、鏡餅が丸い形をしているのも、神事に用いる鏡をかたどっているからだとされています。京都や大阪で雑煮に丸餅を入れているのも、こうした古くからの習慣が息づいているからだと考えられます。
一方、切り餅は江戸時代に江戸で広まったとされます。餅をひとつひとつ丸めるのではなく、平らにのして一気に切るという方法は、万事気の早い江戸っ子の気質にも合って広まっていったのでしょう。

さて、東西で違いのある菓子といえば、桜餅を思い浮かべる方も多いことでしょう。塩漬けの桜葉の香りが楽しめるこの菓子、東京では、水溶きした小麦粉生地を薄く焼いて餡を巻いたもの、京阪では、もち米を原料とした道明寺生地を蒸して餡を包んだものが知られています。
桜餅は、江戸・隅田川の川岸に植えられた桜の葉を利用して売り出され、江戸時代後期には、花見客からも人気を集め、隅田川名物として広まっていきました。当時書かれた随筆によると、米粉で作っていたのが葛粉の生地に替わっていったとあり、かつては小麦粉生地ではなかったことがうかがえます。
小麦粉生地の桜餅がいつから作られるようになったのかは定かではありませんが、歌川国芳が19世紀中頃に描いた錦絵に、水溶きした生地を薄く焼いて桜餅を作っている様子が見られることから、この頃には焼き皮タイプのものが作られていた可能性があります。
江戸で人気を博した桜餅は、京阪にも伝わりました。幕末から明治時代初め頃の大阪の風俗を記した『浪華百事談』には、土佐屋という菓子屋が隅田川の桜餅を模して、冬と春には片栗粉、夏と秋には葛粉を薄く溶いた生地を焼いて売ったとありますが、その後この製法は廃れてしまったのか、今は見かけることがありません。
道明寺生地の桜餅については、京都の名産品をまとめた本に桜餅が紹介されており、そこに、明治30年、1897年頃、奥村又兵衛という人物が「嵯峨名物桜餅」として発売した、とあります。嵯峨には桜の名所として知られる嵐山がありますので、隅田川の桜餅に対して、という思いもあったのかもしれません。嵐山では、今も道明寺生地の桜餅が名物として親しまれています。
現在、小麦粉生地・道明寺生地、どちらの生地を食べるかは、地域によって分かれる傾向があるといえます。そのため両者が古くから食べられているようにみえますが、意外に新しいのかもしれません。
こうした地域差が生まれた理由については、各地域の風土や嗜好の影響などもあり、さまざまといえます。文化的な背景がある一例として、江戸時代の京都と江戸で見られる特徴的な菓子に注目してみましょう。
17世紀後半、社会が安定し、交通網も整備されて砂糖が安定して流通するようになった頃、京都では、季節の風物を映した美しい意匠、古典文学にちなんだ雅な銘を持つ「上菓子」が作られるようになります。当時、『源氏物語』や『古今和歌集』などが教養の書として見直されており、それが上菓子の誕生の背景にもなったと考えられます。後に上菓子は各地に伝わり、現在の上生菓子が生まれたとされます。
一方、新興都市の江戸には、参勤交代の武士や出稼ぎなど全国から大量に人が流れ込んでいました。こうした人々がおやつとして楽しんだのは、値段も手ごろで腹持ちも良い、大福や金つばなどで、江戸の町のあちこちで売られ、大変な人気を呼びました。公家文化の色濃い京都と武家社会の江戸、それぞれの地域の特色に合わせた菓子が育まれてきたことがわかります。
以上、お話をしてまいりましたが、このほかにも、串刺しの団子の数は4つか5つか、煎餅は米でできているか、それとも小麦粉かなど、東西で違いがある菓子はいくつもあります。ところが、最近は、情報網や流通の発達などもあって、菓子も均一化される傾向にあるようです。さきほどご紹介した桜餅も、調べてみると、小麦粉生地が主流とされる関東で道明寺生地を食べている方が案外多いことがわかりました。理由を尋ねたところ、両親が道明寺生地の桜餅を食べていたからとか、スーパーマーケットやコンビニエンスストアなどで売られていたから、などということでした。
一方で、テレビや雑誌、あるいは展示会などで、地域差をテーマにさまざまな菓子が取り上げられることがあります。それらを見て、あたりまえのように食べていたものが実は地元ならではのものだったと気付き、郷土への思いを新たにすることもあるでしょう。菓子を通じ、日本の食文化の豊かさを改めて見直していきたいものです。


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視点・論点「和菓子に託す無病息災の願い」 2017.05.01

日本では古くから無病息災や五穀豊穣を願い四季折々にさまざまな菓子を用意してきました。
今回は5月5日端午の節句の菓子粽と柏餅を中心に年中行事にまつわる菓子をご紹介しましょう。
5月5日は現在子供の健やかな成長を願うこどもの日ですがもともと厄よけを行う日だった事はご存じでない方も多いのではないでしょうか。
平安時代には香りの強い菖蒲やよもぎを家の軒に挿して邪気を払ったり流鏑馬などが行われたりしました。
菖蒲の読み方が武を尊ぶ尚武に通じるとして端午の節句は後に武家でも盛んに祝われるようになり江戸時代には男子の節句として庶民にも広まり武者人形を飾ったりこいのぼりを揚げたりするようになりました。
端午に付き物の粽と柏餅ですが粽は主に関西柏餅は関東で親しまれています。
なぜ地域に違いがあるのでしょうか。
まずはその歴史からたどってみたいと思います。
粽の歴史は古く中国が起源とされます。
中国の文献「続斉諧記」によると紀元前3世紀頃楚という国の王族屈原に関する伝説にちなんでいるといいます。
屈原は博識だったうえ政治的手腕にも優れていたため王に引き立てられますが他の官僚の妬みにあい失脚してしまいます。
王に見放された屈原は楚の将来を憂いつつ汨羅の淵に身を投げ命を絶ちます。
その死を悼んだ里人たちが供養として命日の5月5日に竹筒に入れた米を汨羅の淵に投げ込むと屈原の霊が現れ「淵には龍が住んでおり供物を食べてしまう。
厄よけに栴檀の葉で包み五色の糸で巻けば龍は食べる事ができないだろう」と訴えました。
そこで人々は教えどおりに供物を作るようになりこれが粽の始まりになったと言われます。
日本では平安時代には宮中で端午の節句の厄よけとして用意されていました。
粽が現在関西でよく見られるのも宮中行事で古くから用いられてきたからと言えるでしょう。
ところで菓子の粽といえば外郎や葛などの生地を笹の葉で巻いた甘いものを思い浮かべるかと思います。
しかしかつては笹ではなく茅や真菰といったイネ科の植物がよく使われていました。
粽という呼び名も茅で包むから。
あるいは1,000回巻いた事にちなむからとも言われているのです。
「和名類聚抄」という平安時代に作られた漢和辞書によると「米を真菰の葉で包みあくで煮る」とあり甘みもつけられていませんでした。
葛や外郎の生地を笹で巻いたおなじみの甘い菓子として親しまれるようになるのは端午の節句の風習が庶民にも広まった江戸時代以降の事とされます。
ちなみに同じような形をしているものの食べられない粽があります。
これも病や厄をよけるために用意されるもので古くは平安時代の「伊勢物語」にも「かざり粽」の名で登場します。
現在は京都市で7月に行われる祇園祭で授与されるほか滋賀県の大津で10月に行われる大津祭でまかれるなど厄よけのお守りとして信仰を集めています。
一方柏餅が作られるようになったのは江戸時代の事。
柏は新芽が出るまで古い葉が落ちない事から子孫繁栄につながると家の継続を重視する江戸の武家を中心に男子の健やかな成長を願って用意されるようになりました。
それが庶民にも伝わり広まっていったと考えられます。
現在は和菓子店などで購入するイメージが強い柏餅ですが江戸時代は家で作るのが基本でした。
「南総里見八犬伝」の作者として知られる滝沢馬琴の日記には端午の節句に合わせ家族総出で柏餅を作ったという記述が出てきます。
多い時には200〜300個余り特に数が必要になった孫の初節句の時にはさすがに家で作るのは難しかったのか菓子屋へ頼んで作ってもらっています。
出来上がった柏餅は自分たちで食べたほか親族や近所の人々出入り商人へも配っているのですが配った先からも手製の柏餅が到来しこの菓子が端午の贈答の定番であった事がうかがえます。
柏餅に入っている餡といえば小豆餡と味噌餡が知られます。
それぞれ味わいに魅力がありどちらを食べるか悩まれる方も多いのではないでしょうか。
江戸時代後期の江戸・京都・大坂の庶民の風俗をまとめた「守貞謾稿」によると「いずれの町でも小豆餡で作るが江戸では味噌餡もある」。
中身を区別するため「小豆餡の場合は葉の表味噌餡は裏で包む」とあります。
現在では生地に色を付けて餡の違いを分かるようにしたものが多いのですが葉の表か裏かで見分けるようにした柏餅もあり江戸時代の工夫が生かされているように感じられます。
ところで柏の葉を使わない柏餅があるのをご存じでしょうか?柏餅に利用できるような大きな柏の葉が収穫できない地域で見られるもので西日本では山帰来サルトリイバラの葉で挟んで作るため山帰来餅などと呼ばれています。
また中部地方の一部では朴の葉を使った朴葉巻や朴葉餅が作られていますが愛知県の奥三河地方などでは柏餅と呼んでいるとの事。
代用の葉を使ってでも柏餅を作ろうという思いが感じられ人々がいかに端午の節句を重んじていたかがうかがえます。
粽や柏餅に限らず年中行事に関わる菓子は家族が健やかに過ごせるようにとかたくさんの子孫を残せるようになどさまざまな願いが込められ用意されています。
これらの菓子の多くには米や小豆が使われています。
米は稲作の象徴として神聖視され餅にして食べればその霊力を体に取り込めると考えられてきました。
鏡餅をお供えしたり餅を入れた雑煮を食べたりする正月は最も良い例と言っていいでしょう。
また滋養が豊富で和菓子の原材料に欠かせない小豆も体力をつけ邪気を払うと信じられてきました。
小豆の色は古来神聖視された太陽の色あるいは人の体を巡る血を象徴していると言われました。
小豆を食べる事で病魔を退け災いを避ける事ができると信じられていたのです。
6月30日に疫病よけの行事夏越の祓で用意される水無月や土用の頃に夏バテ防止に食べられる土用餅などもその一例と言えます。
水無月は京都を中心に作られている菓子で三角形にした外郎などの生地の上に甘く煮た小豆をのせて作られますが小豆をのせているのは病よけになるから。
また三角の形は氷や神事に用いる御幣などをかたどっているからと言われます。
土用餅は暑さ厳しい土用の頃に作られる餡餅で滋養に富んだ小豆餡を食べる事で暑さによって失われた体力を回復されると言われています。
土用の丑の日にうなぎを食べるのと同じような意味だと言えるでしょう。
このように年中行事の菓子には単においしいというだけでなく無病息災子孫繁栄の願いが込められてきた事が分かります。

食の作法

忙人寸語 5/5

こどもの日中年男性が袋から取り出して食べたのは、カップに入ったおでん。コンビニで買ってきたのだろう。20歳そこそこと思われる女性は3個のパンを立ち食いし、ペットボトルをぐびぐびとあおる。

通勤の電車内では首をかしげたくなる「食」のシーンに出くわす時がある。食べる物に驚くこともさることながら、衆人環視の中で平然と食する態度に不快感が募る。

男性に至っては7人掛け並列シートの中央で堂々と。周りの視線を気にする様子は全くない。食べる音は正面に座るこちら側にも聞こえてくるほどだ。

乗降客が入れ代わる場所はれっきとした公共の空間。恥じらいもなく食べ尽くす表情は、厚顔無恥と言ったら失礼か。食べることすべてを否定する気は毛頭ないが、ちょっとその無神経が分からない。

ゴールデンウイーク真っただ中。旅行先には、じっくり回ってみたい「食べ歩きスポット」も多い。例えば東京・浅草は、老舗の和菓子店が集う観光地として有名だが、電車内はこういったグルメスポットではない。

「食は心で始まり心で終わる」。農学博士の小泉武夫氏はこう語った。食事は空腹の時、単にものを口に運び、胃袋に送り込むだけのことではない。心を伴っていなければならない-と。「食」の作法を大上段に振りかざすつもりはない。せめて場所柄をわきまえる心を持ち合わせてほしいと思うだけだ。

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食で日本一の孫育て虎の巻―発酵先生の“しっかりした子”にする食の知恵

小泉 武夫【著】

内容説明
日本中のおじいちゃん、おばあちゃん、おとうさん、おかあさんに読んでほしい、元気で明るい子、利発な子に育てる、食への礼節。

目次
第1章 孫に教えておきたいこと。
第2章 孫の心とからだを守るために。
第3章 和食の素晴らしさを知っておこう。
第4章 孫に教えたい日本の伝統食材。
第5章 発酵食品のパワーをわが孫にも。
第6章 小泉家に伝わる食事を孫たちへ。
第7章 日本の食は今、どうなっているか。孫にも少しは教えてほしい。

著者紹介
小泉武夫[コイズミタケオ]
東京農業大学名誉教授。1943年、福島県の酒造家に生まれる。東京農業大学農学部醸造学科卒業。農学博士。専攻は醸造学・発酵学・食文化論。現在は鹿児島大学、琉球大学、広島大学、新潟薬科大学、石川県立大学などの客員教授も務めている。世界各国を訪れ、その地の珍味、奇食を味わう“食の冒険家”でもある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

出版社内容情報
この本の中には、孫に教え、伝えたい
大切なことがいっぱい詰まっています。
わたしたち日本人が取り戻すべき「食への礼節」、
姿勢を正すことからはじめましょう。

発酵学の権威、小泉武夫さんが日本の食への熱い思いを孫の食育に託す、心がしっかりした子、からだがしっかりした子に育てるための食読本。
醸造学・発酵学・食文化論を専門とする農学博士、小泉武夫さんがこれまで培われてきた、膨大な食にまつわる知識、知恵を、孫の食育といった視点で、孫育て世代のおじいちゃん、おばあちゃんに向けて伝授します。健康的ですばらしい和食、昔ながらの日本の食の叡智、もっともっと伝えたい、そんな願いをこめて。
子どもが食への関心と理解を深めるというだけでなく、親世代、祖父母世代にとっても、あらためて日本の食、長く受け継がれてきた食の知恵を見直す、いいきっかけとなるために。日本人が日本人を今一度自覚する、そんな時間を孫と一緒に共有したい。小泉武夫さんの伝えておきたい、残したい、日本の食の知恵語りです。
*食べ物を大切にする心を育てる。
*「いただきます」は食べ物に対する感謝の言葉。
*きちんとした箸の作法を早くから教える。
*食べ物を捨てない工夫。
*姿勢を正して食べる習慣をつける。
*噛むことで、頭がよくなる。
*健康なウンコとは何かを孫に教えよう。
*元気になりたければ納豆豆腐汁に限る。
*食物繊維豊富な和食が免疫力を高める。
*日本の出汁は世界一。
*おむすびは丸くないといけない。
*粥には十の徳がある。
*鰹節がカチンコチンなのはカビのおかげ。
*梅干しは日本人の元気の素、心の安定にも寄与。
*からだの維持になくてはならない塩の力。
*朝のお茶は戻ってでも飲め。
*腐敗を知って発酵を尊ぶ。
*がんの予防にもつながる味噌。
*祖母の肌をツルツルにした「美人水」。
*孫を美人に育てる十カ条。
など、97にも及ぶ項目で食の知恵を伝授します。

はじめに  
第1章 孫に教えておきたいこと。  
 *食べ物を大切にする心を育てる。  
 *「いただきます」は食べ物に対する感謝の言葉。  
 *「ごちそうさま」は誰に言うか? 
 *箸は単なる道具ではない。
 *きちんとしたい箸の作法を早くから教える。
 *箸には心が宿っている。
 *箸は捨てずにお寺で供養をする。
 *幼い子はスプーンとフォークでいいか?
 *食事のとき私が孫に許さないこと。
 *化学調味料入りの食品を食べさせてよいか。
 *「なぜ食べるか?」その答えを教える。
 *日本の素晴らしさは食にとどまらない。
 *日本ならではの行事も教えよう。
 *目に見えないものに感謝する心を育てる。
 *心のこもった料理を持ち帰るのもまた心。
 *作り手の思いやりで、ふさわしい量を出すのも心。
 *食べ物を捨てない工夫。
 *アラまで無駄にしない骨正月から学ぶ。
 *果物の皮、茶がら、米糠も無駄にはしない。
 *姿勢を正して食べる習慣をつける。
 *からだと心をリセットするためにも背筋を伸ばせ。
 *噛むことで頭がよくなる。
 *噛めば運動神経も発達。

第2章 孫の心とからだを守るために。
 *健康なウンコとは何かを孫に教えよう。
 *放射性物質をからだから排出する食物繊維。
 *原爆被ばくとわかめの味噌汁、味噌の力。
 *たった10日間の和食で放射線量が低下。
 *ミネラル不足がキレる子どもを量産する。
 *さらに3つの由々しき事態を引き起こすミネラル不足。
 *ミネラル不足がアドレナリンの分泌を活発化する。
 *小学生が給食で食べたい和食とは?
 *食育は子どもに対する教育ではない。  
 *食は心で始まり、心で終わる。 

第3章 和食の素晴らしさを知っておこう。
 *和食を構成する食材はたった7つだけ。
 *元気になりたければ納豆豆腐汁に限る。
 *日本人は地球一のベジタリアン。
 *食物繊維豊富な和食が免疫力を高める。
 *大豆製品こそ私たち日本のたんぱく源。
 *日本の出汁は世界一。
 *清らかでおいしい日本の出汁の上品さ。
 *五味に六番目の味覚を加えた日本人。
 *煮染は優秀料理、祭りに、運動会にと大活躍。 
 *粒食民族は煮物が得意。
 *鍋を祀る神社が教える鍋の霊力。
 *おむすびは丸くないといけない。
 *創意工夫と芸の細かさが発揮された和えもの。 
 *「魚は動物? それとも植物?」と聞いたら……。 
 *孫が喜んで魚を食べるようにするには。
 *粥の効用を伝えよう。
 *粥には十の徳がある。
 *冬至にかぼちゃを食べる理由は。
 *日本人は昔から花をたくさん食べてきた。

第4章 孫に教えたい日本の伝統食材。
 *沖縄で出土した縄文遺跡から分かる昆布の旅路。
 *椎茸を祀る滋賀県の菌神社。
 *鰹節がカチンコチンなのはカビのおかげ。 
 *鰹節のうまみを作り出すのもカビ。 
 *化学調味料のほうが好きだと答える子どもたち。 
 *鰹節削り器をぜひ一家にひとつ。
 *いざというときは鰹節を持って逃げる。
 *ご飯と味噌汁、漬物は永遠の組み合わせ。
 *「畦道に大豆、田んぼに稲」の知恵。 
 *平安時代にあった4種類の醤油は肥えた舌の証明。
 *日本の伝統的な保存法は6種類。
 *梅干しは日本人の元気の素、心の安定にも寄与する。
 *まだまだある梅干しの薬理効果。
 *サラリーマンのサラリーは塩のこと。
 *からだの維持になくてはならない塩の力。
 *塩も太陽も生命には不可欠、だから霊力を持つ。
 *料理屋の入り口の盛り塩は牛のため。
 *日本人は水を食べる民族である。
 *日本の水に勝る水は世界広しといえども見つからない。
 *性格を作るのも水。甘い水を選んで飲め。
 *朝のお茶は戻ってでも飲め。

第5章 発酵食品のパワーをわが孫にも。
 *腐敗を知って発酵を尊ぶ。
 *発酵食品には5つの特徴がある。
 *孫の肥満には1日1杯のお酢を。
 *ネバネバ納豆は孫と一緒に。
 *がんの予防にもつながる味噌。 
 *世界一の漬物王国、その種類は80以上。
 *洋食系発酵食品の台頭。
 *祖母の肌をツルツルにした「美人水」。 
 *孫を美人に育てる十カ条。

第6章 小泉家に伝わる食事を孫たちへ。
 *何杯もご飯が進む昆布の味噌漬け。
 *糸引き醤油と自家製出汁醤油。
 *小泉家の酒粕、おばあちゃんレシピ。
 *味噌漬けの古漬けは古くなるほどうまさが増す。
 *ウナギは土鍋を使って温めて。 

第7章 日本の食は今、どうなっているか。孫にも少しは教えてほしい。
 *食料自給率と膨大な医療費から見えてくること。 
 *沖縄の食の変化がもたらした短命化。 
 *奄美は世界有数の長寿島。その理由とは?  
 *民族食こそが健康平均寿命を伸ばす。
 *長寿県になった長野の取り組みとは。
 *「医食同源」と「脱亜入欧」。 
 *6年の医学教育の中でまったく「食」を学ばない日本。
 *日本の「医食同源」の中心だった沖縄。
 *沖縄を代表する医食同源の食べもの。
 *海水と薬草を使うマース煮が教えるもの。 

最後に  

【著者紹介】
小泉武夫 こいずみ・たけお
東京農業大学名誉教授
1943年、福島県の酒造家に生まれる。東京農業大学農学部醸造学科卒業。農学博士。専攻は醸造学・発酵学・食文化論。現在は鹿児島大学、琉球大学、広島大学、新潟薬科大学、石川県立大学などの客員教授も務めている。世界各国を訪れ、その地の珍味、奇食を味わう‘食の冒険家’でもある。主な著書に『発酵――ミクロの巨人たちの神秘』(中公新書)、『発酵食品礼讃』(文春新書)、『食と日本人の知恵』(岩波現代文庫)、『不味い!』(新潮社)、『食あれば楽あり』(日本経済新聞社)など、食に関する著作は120冊を超える。「食の世界遺産」登録に向けた検討委員会委員をはじめ、数多くの分野で精力的に活動している。


…………………………

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酒の十徳

小泉武夫(こいずみたけお)
昭和18年生まれ,東京農業大学農学部醸造学科卒,農学博士.主な著書は「酒の話」「発酵」「食あれば楽あり」など多数.専門は発酵科学,醸造学.

 そんなばかげたことは,もうなくなったと思っていたが,実はまだ行われている.一時,社会的問題にもなった酒のイッキ飲みだ.先日,渋谷の大衆酒場でそれを見たのである.男女入り乱れてキャーキャーワーワーという声があまりにもうるさいので,自分の席を離れて見にいってみると,いやもうそれは大変な破廉恥騒ぎであった.
 若者が,ビールや焼酎のウーロン茶割りのようなものを満々と注いだコップを右手に持って立ち上がり,「ではこれからイッキにまいりまーす!」なんて宣言し,それを飲みはじめる.すると周りの連中は,「イッキ!イッキ!」などと大合唱ではやし立てているのであった.
 先輩たちから伝授されてきた醜い儀式なんだかどうだか知らないが,そんなばかなことをさらに次の後輩に伝えていくのであろうから,まったくもって困ったものである.一時は下火になったかと思われたが,いまだに根強く残っているようだ.
 このイッキ飲み,いまさらいうまでもなく,百害あって一利なし.自分の適正酒量もわからぬ若者たちがアルコールをガブ飲みしたら,急性アルコール性ショック症や急性胃腸炎などを起こす危険性は非常に高い.現に毎年,イッキ飲みで数名が命を落としているという.
 飲めなかったら仲間はずれにされるから飲むのだろうか.それとも,よくやったといわれたいから飲むのだろうか.いずれにしても酒を遊びの道具に使うという,これほど堕落性に満ちて排他的な酒の飲み方をする国民を私はほかに知らない.そして,あのイッキ飲みから思い当たることは「イジメ」の体質である.イッキ飲みをした者には罰を与えず,それを行わない者には強要する.酒というのは,そもそもガブ飲みするものではなく,適量を知って味わって飲むものである.腰を抜かすほど酔っぱらうような人には,酒を飲む資格がない.

洗練された酒の飲み方

 こんな時代の堕落した酔っぱらいには,江戸時代の酒客たちの爪の垢でも煎じて飲ませてやりたい話がある.実は江戸時代の酒の飲み方は,現在よりもはるかに洗練されていた.
 『餅酒論(もちさけろん)』という一種の知的なゲームからそのあたりが解明されるのだが,これは,餅が好きな人と酒が好きな人たちが集まり,餅組と酒組の二組に分かれて,餅と酒のどちらがすばらしいか,また,相手にはどんな欠陥があるかなどの議論をたたかわすというものだ.その様子は,ニュースで見るイギリスの議会を思い浮かべるといいだろう.与党議員と野党議員が右と左に分かれて,お互いに向かい合ってディスカッションするあれを江戸時代の日本人がやったのである.
 一方には,餅が好きで酒が嫌いだという甘党が座り,もう一方には餅なんてとんでもない,酒だという辛党が座る.そして,餅党は酒の悪いところと餅のいいところを論じ,酒党は,餅のだめなところと,酒のすばらしさをいう.これが『餅酒論』である.結論としては酒も餅もほどほどがいいということで決着がつくのだが,いかにも知的なやりとりである.
 『餅酒論』の起源はかなり古いようで,室町時代の狂言に『餅酒』というものがある.このあたりからずっと受け継がれてきたのだろう.
 ところで,この『餅酒論』の結論として酒組のまとめた「酒の十徳」というものが出てくる.これは酒の持つ十の効用を並べあげて,酒を称賛したものである.それによると十徳の第一は「酒は独居の友となる」.つまり独り淋しいときに,酒は友人のように自分を励ましてくれるというものだ.
 第二の徳は「労をいとう」.仕事で疲れた体を酒が安らかにしてくれるということ.
 第三は「憂を忘れる」.文字どおり,酒にはいやなことを忘れさせてくれる効用がある.
 第四は「鬱(うつ)をひらく」であり,心の愁いを払ってくれるというのである.
 第五は「気をめぐらす」.前の項と関連があるが,酒は体に活気をみなぎらせるということ.
 第六の徳は「推参に便あり」.すなわち祝いや見舞い,土産などに持っていくと大層喜ばれるということだ.
 第七の徳は,酒が「百薬の長」であるということ.ほどよく飲んでいれば,酒は健康を保ち,延命の効果さえあるという.
 第八は「人と親しむ」.まさに,酒は人の心を開く.酒は人と人をつなぐ接着剤のような役割をする.
 第九の徳は「縁を結ぶ」で,酒によってすばらしい人との出会いがあるということ.
 そして第十の徳は「寒気の衣となる」.寒いときに酒を飲むと体が温まるので,ちょうど衣を着たようなものだというわけだ.
 どうだろうか.昔の人は,このような酒の十徳をつくって酒を敬っていたのである.
 もっとも,「酒に十徳あり」と決めつけている古文書ばかりではなく,害のあるものだと記しているのも少なくない.そこには「狂水(くるいみず)」「地獄湯(じごくとう)」「狂薬(きょうやく)」「万病源(まんびょうのもと)」などといった言葉で酒害を説いている.

酒は心で始まり,心で終わる

昔は元服式を迎えると,正しい酒の飲み方を通じて礼儀作法や精神の修養も教えた(小泉武夫著『日本酒ルネッサンス』中公新書より).

 確かに,ほどよく飲めば十の徳を持ち百薬の長となる酒であっても,飲み方を誤れば狂水にも地獄湯にもなろう.イッキ飲みや自己排他的酒飲みをするような現代人には,酒は狂薬となって万病の源となるに違いない.
 酒の力を借りて威張ったり,酒の力を借りてストレスを発散したりといった飲み方は,本来の酒の飲み方ではない.酒を敬い,酒の心を知って,自分の心をそれに照らし合わせながら,酒を身体のなかに入れてやる.それが酒飲みに必要な心なのである.酒は心で始まり,心で終わるものだと私は信じている.
 貝原益軒は『養生訓』で,次のような名文を訓じた.
 「酒は少し飲めば陽気を補助し,血気をやわらげ,食気をめぐらし,愁を去り,興をおこして役にたつ.しかし,たくさん飲むと酒ほど人を害するものはほかにない.ちょうど水や火が人を助けると同時に,また人に災いをするようなものである.」
 ここにイッキ飲みをする現代の若者たちのために,江戸時代の一枚の絵を載せることにする.元服(げんぷく)(今でいう成人式で,当時は十一歳~十六歳ぐらいで行った)の時に正しい酒の飲み方を両親や祖父母から厳粛に教わっているところの絵だ.堕落した今の世ではとうてい考えもつかない光景である.成人式で爆竹を鳴らしたり,主催者側を恫喝して式を混乱させたり,イッキ飲みしてばか騒ぎしている若者たちが,この一枚の絵から何ものかをつかみとって目覚めてくれれば幸いだ.

自転車の日

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越山若水 5/5

自動車は4輪で、円いハンドル。と思うのは米国の量産車「T型フォード」に影響されてのことらしい。ドイツの自動車は初め2輪や3輪で、ハンドルも円くない。

なぜか。博覧強記の作家荒俣宏さんの解説が面白い。フォードが目指したのは「馬なし馬車」。かたやドイツのベンツが作ったのは「自動自転車」なのだ、と。

19世紀後半は自転車も黎明期。馬車や蒸気機関車と違い自由、軽快と人気を得た。それを原型としたのがベンツ車だ、と「サイエンス異人伝」(講談社)にはある。

つまり、欧州の自動車は自転車と同じ娯楽のための乗り物。「ツール・ド・フランス」「F1」のような自転車、カーレースが道理で、100年以上も前から続いているわけだ。

そんな気風が、日本にもようやく根付いてきたのだろうか。自転車活用推進法が施行された。5月を「自転車月間」、「こどもの日」のきょう5日を「自転車の日」としている。

法律だから環境保護や自動車依存の低減など、いろいろ理念を盛っている。けれど一口に言えば、もっと自転車に親しもうということなのだろう。

思えば自転車には長く乗っていない。小宅にある3台はどれも赤さびだらけ。この体たらくでは気が引けるが、言い分もある。最寄りの道路は車の通行量が多く危ないのである。自転車道をとは言わない。せめて車は自転車に敬意を。

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内容

かつて、電気から電波、エレクトロニクスへと発展していくにつれて消え去った「実体」が、21世紀になって、「科学家電」と呼ぶべきスマホなどの登場でよみがえり、科学が「手触り」の世界に戻ってきた。科学がふたたび人間と機械を通して語られ、未来の科学はもはやSFではなくなった。20世紀に突如として現れた発明品と発明者の伝記を読み解くことで、いままた現代科学が「素人にも理解できる」機械と人間からなる実体(リアル)へと変わる。

目次

第一部 ドイツ科学の光芒
スペクトルとスペクタクル/科学を見せる劇場のこと――ジオラマの歴史/彫らない版画の誕生/薬種店と一角獣/機械がつくった「馬」/リリエンタールの幻の翼/ロコモーティヴの啓示/ベンツの祖先は自転車だった/Uボートは人食いザメ/ジーメンスの通信革命/バベジの原コンピュータ/ロボットとからくり人形のはざま

第二部 アメリカ科学の愉快
電話の発明とヘレン・ケラー/メンロパークの魔術師/万博のタイムカプセル/自然史博物館とスミソンの功績/空飛ぶ自転車の怪/女の脚を変えた発明/ロケット発明家ゴダードの悲劇/ドイツから来たロケット学者/ターボジェットを発想した男/革命児ノイマン、ここにあり/プリストン高等研究所にて/エピローグ――抽象と新科学

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○荒俣宏『サイエンス異人伝:科学が残した「夢の痕跡」』(ブルーバックス) 講談社 2015.3

 オットー・リリエンタールの白黒写真をあしらった表紙を見て、どこの新書だろう?と思ったら、ブルーバックスだった。高校生の頃は、かなり愛読していた自然科学・技術・工学系の新書シリーズである。本書は、第一部:ドイツ、第二部:アメリカで構成される近代科学の物語。

 著者によれば、18世紀は、力を象徴する蒸気機関、あるいは力学を主とするイギリス科学の時代であり、19世紀前半はフランスの理論科学の時代、そして19世紀後半から20世紀の前半は「独特な哲学と理論を背景にして事物を精密に計測することから発展した」ドイツ科学の時代と考えられている。近代国家の形成に出遅れたドイツは、古い文化や民間の叡智をもとに、国民文学や国民音楽を創り出した。その「ドイツ精神」(ドイツ・ロマン主義)は科学の分野にも活かされているという。

 ドイツに学んで、科学をビッグビジネスに導いた20世紀のチャンピオン、アメリカは、開拓時代からドイツとの間にさまざまな因縁を持っている。アメリカには、イギリスだけでなくドイツからも多くの入植者があった。クリスマスを祝う習慣や、案山子のお化けもドイツから持ち込まれたという指摘には納得してしまった(確かにイギリスの都会的な幽霊とは異なる、農村ふうの奇譚や怪談が多いかも)。

 先を急いでしまったが、ドイツ編もアメリカ編も、著者が現地の博物館を訪ねた体験をもとに書かれている。ドイツは、ミュンヘン(旧バイエルン領)にある国立ドイツ博物館。展示の様子が多数の写真で紹介されており、興味深い。フラウンホーファー線の発見で名高いフラウンホーファーの作業室には、いかにも職人の作らしい(飾り気のない)望遠鏡や光学機械が整然と置かれている。石版印刷機を備えた19世紀の印刷工房や、陶器の壺と引き出しがびっしり並んだ1800年頃の薬房、中世の錬金術工房も。

 面白かったのは、動力をめぐる物語。初期の水車は水平に回転する機械だった。なぜなら人間や牛が回していたひき臼を水流にあてがったものだったから。やがて水力を効率的に利用する垂直回転の水車が発明される。しかしローマ帝国では「奴隷や貧民の仕事を奪わぬため」水力設備の建設を制限した。著者はいう、伝統ある国々では、社会のライフスタイルを一変させる科学的発明は、まず「悪魔の発明」として弾圧される。ドイツでは「社会に受け入られる発明」は、ギルド内の職人の発明に限られた。だから(倒錯的だが)ドイツの発明史は職人科学の歴史なのである。あと西洋では10世紀頃まで、農耕用の牽引具がすべて牛を想定して作られていたので、馬の力を発揮させることができなかった。後世から考えると、原因と結果が逆のようだが、社会の「慣性」が今よりずっと強かったことが窺われる。

 19世紀後半の欧州では、長距離の大量輸送システムは、イギリスで生まれた蒸気機関車(ロコモーティヴ)が担っていた。一方、短距離と個別のトランスポーテーションは乗合馬車や辻馬車が担っており、輸送手段としての自動車が入り込む余地はなかった。けれども、スピード感と操縦性を楽しむ「娯楽」として、自動車は人々の心をとらえ、20世紀の路上の王者に育ってていく。このまえ読んだ『銃・病原菌・鉄』にも、「必要は発明の母」というのは誤りで、発明の使い道は発明のあとに考え出される、という趣旨の記述があったことを思い出した。

 アメリカ編は、もちろんワシントンのスミソニアン博物館モールから。航空博物館と飛行家、宇宙開発の物語は私も大好きだが、ここはグラハム・ベルと電話の発明の話を取り上げたい。いつも多忙をきわめ、動き回っていたベルは「家族から切り離された孤独感」を感じていた。その孤独感を埋めるため、電話機を必要としたというのである。ただし、そればベルが家族に話しかけるためではない(ベルの母親と妻は、どちらも耳が聞こえなかった)。ベルのデザイン画では、ベルの肖像は遠方の他者の声を聞く「受話器」の側に描かれている。ベルにとっての電話は、ビジネスや事務的必要やインタラクティブな用途のため機械ではなく、何の用事もないときに相手の声を聞いていたいという、プライベートで受動的な欲望のための機械だった。なんか素敵だ。

 アメリカ編の最後に、著者はワシントンを離れ、プリンストン高等研究所を訪ねる。アインシュタインや湯川秀樹が所員だったことで名高い。学生はいないので、授業はなく、成果発表や論文執筆の義務もない。ただ思索にふけることが彼らのつとめである。運営は、とある財閥の寄付金で賄われている。ううむ、やっぱりアメリカってすごい国だ…。

 なお、本書のオリジナル版は、1991~93年の取材に基づいて書かれたものであることが「エピローグ」に告白されている。今から20年以上前の話だが、歴史的な記述なので、古くささや違和感は特になく、最後まで面白く読むことができた。

こどもの日ぐらいゆっくり休みたい

正平調 5/5

「こどもの日」に合わせて、「大人も読みたい こども歳時記」(小学館)から、小さな俳聖たちの句を届けたい。〈きょうりゅうはほねしかなくてすずしそう〉。小学2年生の作という。

次は中学3年生。〈こいのぼり一年ぶりの深呼吸〉。ベランダや庭で、さわやかな空気を胸いっぱい吸い込んで元気そうだ。小6の男の子は5月の風に吹かれてこう詠んだ。〈薫風やきれいに見えるお母さん〉。

難しい言葉はない。目の前のものを素直に眺め、少ない手持ちの単語を並べる。それだけで見せる、この美しい世界はどうだろう。それを「子どもの豊かな表現力」とありふれた言い回しで書くわが凡才を呪う。

子どもは「不完全な大人」ではないと、こども歳時記を監修した俳人長谷川櫂(かい)さんが書いていた。幼いころの新鮮な感受性は年を重ねるごとに失われていく。ならば、大人こそ「不完全な子ども」ではないかと。

きょうはその感受性に耳を澄ます、あるいは取り戻す1日にしてもいい。そう、大人も子どもになる日。例えば、わが家やお出掛け先で見たままを五七五にしてみたら、胸によみがえるものがあるかもしれない。

さて終わりは小学2年生、とかく忙しい現代っ子の句をどうぞ。〈こどもの日ぐらいゆっくり休みたい〉

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〈 書籍の内容 〉
大人も読みたい こども歳時記
2011年度から実施された新しい小学校指導要領では、はじめて「俳句を作る」ことがとりあげられました。それにともない、学校では子どもが使いやすい「歳時記」が嘱望されています。本書は、子どもの興味をひき、また生活に密着した季語を370余りとりあげ、全ての季語にわかりやすくて本格的な解説をつけ、子どもの秀句と大人の句をとりあげ、美しいカラー写真とともに楽しめる内容となっています。監修は、「朝日俳壇選者」読売新聞俳句コラムの執筆者であり、読売文学賞はじめ数々の賞に輝く、俳句界のトップランナー長谷川櫂氏。また、ぜひ覚えてほしい古今の名句を、新聞雑誌などで活躍の俳人により解説したコラムも読み応えがあります。初心者にもわかりやすい、「俳句の作り方のポイント」や「句会のやり方」などのコラムも実践的ですぐに役に立ちます。日本の伝統的な行事、旧暦への関心も高まるなか、家庭での親子のコミュニケーションを高める意味でも、一家に一冊置いておきたい「歳時記」です。
〈 編集者からのおすすめ情報 〉
日本初の本格的子どものカラー歳時記です。日本初ということは、世界初、いえいえ宇宙初(!)です。タイトルの「大人も読みたい」は、ただのうたい文句ではなく、大人にもぜひ読んでいただきたい、読み応えある本格的な内容となっています。

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『大人も読みたい こども歳時記』のすすめ
Posted on 2014年3月6日 by youko
0308先日、小学館から刊行された『大人も読みたい こども歳時記』(長谷川櫂監修、季語と歳時記の会編著、1600円+税)を早速使っています。使いやすく、タイトル通り子どもも大人も読みたくなる内容です。

春・夏・秋・冬・新年の季語群のインデックスが5色に分けてあるので、とても引きやすいです。1ページに季語が2つずつ。本格的でわかりやすい季語解説。例句は子どもと大人の名句が3句。漢字にはルビがふってあります。そして全ての季語に、いきいきとしたカラー写真がついています。子どもの笑顔が印象的で見ているだけで幸せな気分になります。子どもたちが季語に親しみ、俳句をいっぱい作ってくれるといいなと思います。

「俳句の作り方のポイント」や「にゃーたが教える句会のやり方」は、俳句作りや句会の実践に役立ちます。にゃーたというのはイラストに登場する俳句の好きなかわいい猫の名前です。初めて俳句を作る子どもたちはもちろん、指導される先生方の心強い味方になることでしょう。

また、家庭でもこの歳時記をガイドブックに俳句を作ってみてはいかがですか。例えば、1つの季語を選んで家族が1句ずつ詠むと個性の違いが出て楽しいのではないでしょうか。

大人にとっては、例句に載っている子どもたちの俳句がよい刺激を与えてくれると思います。「はっきりとわかりやすく」「言われてみるとハッとする新鮮な俳句」を詠みたいと思っているのですが、「説明」「理屈」「意味不明」などに陥ることがあります。そんな時、子どもたちの俳句に触れると喚起されるものがあります。例句の中から子どもたちの俳句をいくつか紹介します。

ひな祭り結婚するなと父が言う  萌(小5)

カランコロン氷の音して夏が来た  栞(小4)

えだまめとぐりんぴいすはいとこかな  歩夢(小1)

着膨れやチャック開けるとまたチャック  愛子(小5)

福寿草飾りのごとく生えてをり  裕隆(小4)

いいな、おもしろいなと感じたことを素直に詠んでいます。言われてみるとハッとする俳句です。作者の思いが読者にきちんと伝わり、新鮮な感動が生まれます。監修の長谷川櫂さんが、この歳時記の冒頭「子どもの俳句、大人の俳句」の中で述べているように大人は子どもの俳句にこそ大いに学ぶところがあると思います。(木下洋子)

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「大人も読みたい こども歳時記」季語と歳時記の会:著/長谷川櫂:監修(小学館)

 小学校の学習指導要領(国語)に、「経験したこと,想像したことなどを基に,詩や短歌,俳句をつくったり,物語や随筆などを書いたりすること。」という文言が入ってから、小学生の俳句作りに関する関連本がいくつか出版されました。その数ある中で、本書をご紹介するのは、なんといっても本書の冒頭に掲げられた、監修者の言葉が良かったからです。
 「子どもの俳句、大人の俳句」として題されたこの文章は、編集方針の表明と言ってもよいでしょう。俳句作りや俳句指導のみならず、大人による子供理解の本質を示した名文でした。その一部をご紹介しましょう。
 子どもの俳句はどうあるべきか。
 この問いは昔から漠然とした形ではあったのですが、数年前に小学校で俳句の授業がはじまってから、急に切実な問題として浮上してきました。(中略)子どもの俳句をめぐっては大きく分けるとふたつの考え方があります。ある人は「子どもは子どもらしい俳句を作るべきだ」と考えます。(中略)反対に「子どもも大人のような俳句を作るべきだ」と考える人がいます。(中略)私はどちらの考え方もおかしいと考えています。
では、監修者の長谷川さんは、どんな考えをお持ちなのか。それはぜひ本書をご覧いただくとして、大切なのは、こうした問題意識で書籍が編集されていると言うことです。子供用の歳時記ということで、文字数やページ数が限られる中で、情報をどの観点で絞り込んで行くかが最も大切な編集作業です。このように編集コンセプトを明快に立て、それを読者に示すというのは重要なことです。
ページ構成 さて、いくらコンセプトがしっかりしていても内容がそれに伴っていなければ意味がありません。本書は、その意味でもなかなか工夫されているなと思いました。
 左は「秋」のページです。本書の基本構成は、見開きに4つの季語が取り上げられるという形。季語の中には、関連語句が示されている場合もあります。季語の説明の文章は総ルビです。また、左の写真のように、時折コラムが入ることがあります。
 それぞれの季語には、必ず3つの例句が取り上げられています。もちろん、その季語を使った例句です。この例句紹介では、コンセプトにあったとおり、俳人の句も小中学生の句も並列で紹介されています。
 巻末には、「句会のやり方」が紹介されています。説明に使われている語句は、「席題句会・吟行句会」「投句・清記・披講」など、本格的なものばかり。つまり、子供扱いしていないのです。このあたりも、一貫していると思いました。
 俳句はとても少ない言葉で表現する形式ですから、指導要領に掲載されたとはいえ、指導するのはかなり難しいことだろうと思います。本書のような歳時記が学校図書館などにあれば、少し楽しく活動できるのではないかと思いました。
 本書の表紙や扉を飾っているのは、安西水丸さんのイラストです。本書の初版は、2014年3月ですので、この本のお仕事が、安西さんの最後のお仕事だった可能性があります。そういう意味でも貴重な一冊かもしれません。