2017年05月02日の記事 (1/1)

海軍カレー

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天鐘(5月2日)

 ある食事会で陸海空の自衛隊幹部と同席した。共通の話題を探したが時事ネタは何とも生々しく、とっさに思い付いたそれぞれの「食事」についてネタを振ってみた。

陸自の野戦用炊事車は一度に数百人分の米飯と惣菜の調理が可能。戦闘用の缶詰は牛飯や五目飯など多様で味も意外にいけるが質より量。空自の対潜哨戒機の機上食はレトルトや弁当で家庭的な味が多いとか。

海自は艦内生活が続き食事が楽しみ。狭い閉鎖空間での勤務と生活を余儀なくされる潜水艦はストレスも多く、栄養バランスと飽きない献立が不可欠。幹部の話し合いでランキングは「海空陸」の順に落ち着いた。

海自が誇るカレー。明治期、軍医の高木兼寛が若い兵士に多発し結核とともに国民病と恐れられた脚気の原因が白米中心の食事にあると突き止めた。その食生活を改善する中で誕生したのが海軍カレーだった。

海自がHPでレシピを公表したことで海自カレーは全国的ブームに。海自八戸航空基地が免許皆伝した八戸市のはっち「たまに庵のーぼ」はイカやエビなど魚介類を贅沢に使ったシーフード風が人気を呼んでいる。

海自大湊総監部の艦艇や部隊直伝の逸品も6月の一般提供に向け最終伝授中だ。調理が簡単で洗い場も楽。海自の“花金”は決まってカレー。具を醤油で味付けすれば肉じゃがにもなる。日本の近代国家はカレーが牽引したのかもしれない。

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学芸員の眼力

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地軸 5/2

 始祖鳥の化石が150年前、ドイツ南部の採石場で発掘された。この地域はさまざま種類の化石が見つかる「産地」。ドイツでは価値が分からず、ロンドンの大英自然史博物館に安値で売ってしまった。購入した研究員の眼力を褒めるべきだろう。

 1億5千万年前に生息し、羽毛がある外見は鳥だが、鋭い歯や前脚に爪がある。鳥の祖先か、恐竜の仲間か。進化論を巡って論争を巻き起こした化石を東京の国立科学博物館で見て、地球の歴史の奥深さに感じ入った。

 始祖鳥と同様に人だかりができていた一角があった。日本刀のような銀色の輝きを放つ巨大な輝安鉱の結晶。産地「西条市」の表示に目を細めた。明治時代に市之川鉱山で採掘されて海を渡り、1世紀ぶりの「里帰り」。

 当時の日本では砲弾の材料などの「資源」として扱っていたが、世界的には自然科学史の貴重な「資料」として評価されていた。各国が競って買い求め、多くが流出。

 「英国では自然科学の重要性を国が認め、予算をかけて宝を後世に残そうとあらゆる努力を惜しまなかった」。今回の展示に携わった研究員は、うらやましがっていた。

 日本では地方創生担当相が学芸員の役割や文化財への見識も持たず、観光振興に支障を来しているとして「がんは学芸員」と放言するお粗末ぶり。国には地方の宝を見つけ、磨く役割があるはず。そんな認識では目の前の宝も石ころにしか見えないだろう。

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ナンジャモンジャ

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小社会 5/2

 きのうの高知新聞に、高知市内の民家でナンジャモンジャの花が見頃を迎えている、との記事が出ていた。正式名称はヒトツバタゴといい、降り積もった雪のような白い花が目を楽しませる。

 昔、その土地には珍しく、正体が不明な樹木をナンジャモンジャの木と呼んだ。アンニャモンニャとも呼ばれ、20種ほどがあったとされる。美しいヒトツバタゴが代表格になったようだが、植物の名前に厳しい牧野富太郎博士が黙っているはずがない。

 「ナンジャモンジャとはどんなもんじゃ、それはこんなもんじゃと持ち出されるものが幾つもある」(牧野植物随筆)。ヒトツバタゴなど6種類の樹木は偽物と断じ、本物はクスノキ、それも千葉県の神崎(こうざき)神社の大クスが本家本元としている。

 博士の真贋(しんがん)判定にもかかわらず、各地にナンジャモンジャの名前は残っているようだ。神崎神社の大クスは水戸光圀(みつくに)が「この木は何というもんじゃろうか」と自問自答したことが由来と伝えられるように、伝承などの根強さが背景にあるのだろう。

 植物の名称ならさして問題はないが、「どんなもんじゃ」「こんなもんじゃ」といった曖昧なやりとりでは済まされない事柄もある。きのう始まった海上自衛隊が米軍艦艇を守る「武器等防護」もその一つ。「なぜ、いま」の疑問が拭えない。

 厳密な吟味がないままに、実績だけが積み重ねられていく。後悔先に立たず、となっては困る。

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八十八夜

「茶摘み」
歌:童謡・唱歌 作詞:文部省唱歌 作曲:文部省唱歌

なつもちかづくはちじゅうはちや
のにもやまにもわかばがしげる
あれにみえるはちゃつみじゃないか
あかねだすきにすげのかさ

ひよりつづきのきょうこのごろを
こころのどかにつみつつうたう
つめよつめつめつまねばならぬ
つまにゃにほんのちゃにならぬ


有明抄 5/2

 野山の若葉が映える新緑の季節。きょうは「八十八夜」である。立春から数えて88日がたち、まもなく立夏だ。<夏も近づく八十八夜…>と文部省唱歌「茶摘(ちゃつみ)」にあるように、新茶のシーズンでもある。

8年ほど前だが、この時期に基山町の茶畑で、お茶摘み体験をした。黄緑色の柔らかな新芽を摘み取り、釜で炒(い)って熱いうちにむしろの上で手もみした。手に残った香ばしい香りが、今も忘れられない。一番茶は「長寿の妙薬」と聞くが、口に広がるさっぱりとした味が格別であった。

佐賀で最大の茶の産地である嬉野。江戸時代に長崎に滞在し、オランダ商館長の江戸参府に同行したドイツ人医師、シーボルトも嬉野の茶園のすばらしさについて記述を残している。幕末の長崎から、大浦慶(1828~84年)という女傑によって嬉野茶は輸出された。

茶を飲む習慣は、先にオランダ、後に英国で流行する。オランダ史の文献に飲茶のことが最初に現れるのは1637年だ。当初は、緑茶が輸入されていたというのが意外である。それが、次第に紅茶に移っていった(角山栄著『茶の世界史』中公新書)。

先日、嬉野でも新茶の初入札会が開かれた。今年は少し芽が出るのが遅かったが、いつも以上の品質という。ぜひ新茶を急須で入れて、吹き抜ける初夏のさわやかな風を感じたいものだ。


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『茶の世界史―緑茶の文化と紅茶の社会』角山 栄 著

茶の近代貿易のありさまを通じて歴史のダイナミズムを感じる本。

本書はいわゆる「物が語る世界史」であり、茶という商材を題材にして近代西洋の資本主義(特に英国のそれ)の様子を描き出している。

第1部は、茶と西洋人との出会い。西洋人が茶に出会ったとき、それは緑茶であった。日本の茶の湯は深い精神性と芸術性に基づいており、単なる飲料ではない喫茶文化に魅了されたのだという。 西欧人が東洋に到達した頃は、まだ西洋の力が絶対的に優位にあるという自信はなかったし、むしろ東洋の豊かさ、歴史と文化に嫉妬している部分すらあった。

そこで、茶の文化は進んだ文化として西洋に移入されることになる。しかし緑茶は西欧の食文化との相性が悪かったためか、緑茶であってもミルクや砂糖を入れて飲まれていたし、次第に紅茶へとその重心が移っていく。

その重心移動と並行にして、生産力の増大を背景に西洋の(東洋に対する)絶対的優位性が揺るがないものになってくると、茶は進んだ文化などではなく、単なる消費財になっていく。そしてそれが大衆に茶を飲む習慣を浸透させることにもなり、より消費量も増加していった。こうして茶(特に紅茶)は西欧諸国(特にイギリス)になくてはならないものとなり、茶を手に入れるために歴史が動いていくのである。

第2部は、その茶の輸出入の動向に対し日本がどのように動いたか。かつて日本の輸出品は第1に生糸、第2に茶であり、茶は主要輸出品であった。しかし世界の消費動向が次第に紅茶へと移っていく中で、日本も紅茶製造の取り組みはしたけれども、基本的には緑茶の販売をし続けた。もちろんこれは世界の動向に沿わないものであったために次第に茶の輸入は低減していく。

なぜ世界の動向に沿わない輸出を続けたのか、ということに関して、本書では外交文書等を引いて具体的にその情報収集能力のなさを指摘しているが、今も当時も変わらない、日本人の「世界的な空気を読めない」感が多分に出ていて暗鬱な気持ちになった。だがその背景にはもちろん日本にとって茶が重要な生産品ではなくなり、徐々に工業国家として立ち上がってくるということがあるわけなので、これは歴史の必然でもあったろう。

ところで本書は少し看板に偽りありで、「世界史」を銘打っている割には西洋近代史しか取り扱っていない。茶と世界史と言えば、例えば中国の「茶馬貿易」も重要かつ面白いトピックであるし、この内容を「世界史」と言い切るのは少し弱い感じがした。

しかしその内容は具体的な資料に基づいて考証を行っていて堅実であり、端正で読みやすくまとめられている。それこそお茶でも飲みながら読みたいような手軽で知的な本。

過労死ライン

斜面 5/2

「今の学校現場はどうかしてる。これで子どもとしっかり向き合えるのか」。がり版で教材を刷った時代の教員OBの嘆きだ。教頭の息子はいつも夜明け前に出て帰宅は深夜。いくら多忙な仕事でも自分の経験に照らすと異様に映った。

 学校基本調査をはじめ問い合わせの数々、保護者や地域への対応、会議…。窓口の職務は切りがない。担任も同じだ。勤務時間は1日7時間45分だが「どだい無理な決まり」とある先生に一蹴された。給食も指導に時間を取られ食べる余裕がないという。

 きのうのメーデーは長時間労働の是正が重点テーマになっている。長野市の会場には「部活指導に正当な手当を」との要求も見られた。かつては「聖職か労働者か」と論争になった。地域では教養人として一目置かれ、子どもには絶対的存在として聖職の色が濃い時代でもあった。

 子どもの家庭環境が多様化し保護者の希望も複雑になった―。これも現場からよく聞く話だ。残業に加え自宅への持ち帰りも多い。夏休みがあっても自主研修日はほとんど取れない。やりがいや充実感が薄れ、多忙感と徒労感が覆う現場となれば深刻だ。

 文部科学省が先週発表した実態調査では全体に勤務時間が増え、多くは「過労死ライン」とされる週20時間の時間外労働を上回った。それでも手当支給がないのでは人材確保も難しかろう。この結果を子どもと向き合える環境改善に生かさねば。また“迷惑な調査”で終わらせてはなるまい。


南風録 5/2

 「金八先生の職員室がうらやましい」。かつての人気テレビドラマ「3年B組金八先生」の脚本を書いた小山内美江子さんは、現職の教師から愚痴をこぼされたそうだ。

 現実の職員室は、旅行や車のことなどたわいない話題が中心で、授業について意見を交わすような雰囲気はないとのこと。今から30年以上前の話である。武田鉄矢さんが演じるような熱血教師とも親交があった小山内さんは、意外だったらしい。

 あちこちから先生のため息が聞こえてきそうなのが、最近の職員室である。中学教師の57%が「過労死ライン」とされる月80時間超の残業をしている実態が明らかになった。“脱ゆとり”による授業時間の増加と部活動の負担が影響している。

 鹿児島県内のある若手教師は山積みの書類に心が折れそうになる。授業だけで大変なのに、国や自治体からのアンケートが多いと嘆く。子どもと向き合う時間が犠牲になっているとすれば、本末転倒だろう。

 それでも志の高い先生が多いことが救いだ。だが、教師としての責任感に頼ってばかりはいられない。無理を続ければ体を壊す。働き方改革は学校にも必要だ。

 「われわれはミカンや機械を作っているんじゃない。毎日、人間をつくっているんだ」。金八先生の名ぜりふである。ゆとりを持って子ども一人一人に全力でぶつかってこそ、先生たちのやりがいというものだろう。

うつヌケと五月病

明窓 5/2

脳が濁った寒天で包まれる-重いうつ病を体験した漫画家の田中圭一さんはうつの症状をこう表現する。その長いうつ病のトンネルを抜け出た田中さんの体験を基にした漫画「うつヌケ」。漫画ならではの分かりやすさと「苦しんでいるのは自分だけではない」と共感が共感を呼び先月下旬で18万部のベストセラー。

ギャグ漫画の達人と言われる田中さん自身の闘病体験を中心に思想家の内田樹さん、ロックミュージシャンの大槻ケンヂさんら有名人がうつ病からどう脱したかを追体験できるような描写。

サラリーマンと二足のわらじを履く田中さんがうつ病と闘った10年間。その苦しさは体験した人以外にはほとんどコミュニケーション不能。しかし、その苦しさと付き合う方法さえ見つければ怖くないという。

その方法は「ナルシズムの勧め」。ナルシズムは自己愛の意味だが、自分を好きになることがこの病気と付き合う最良の道とたどり着いた。裏返せばこうしなければならない、こうあるべきだと自分に宿題を課し、達成できなければ自分を責める。その自責の念が自分嫌いを引き寄せる。

うつ病とよく似た症状が表れるのが五月病。入学、入社、転勤などから1カ月。一年中で最も美しく過ごしやすい季節は、環境変化と向き合う心にとってメイストームと呼ばれる急な嵐に遭遇しやすい時期でもある。

慣れない環境に張り詰めた心がどこへ向かおうとするか節目のころ。下を向こうとする気持ちに自己愛を注ぐ今日八十八夜の風薫れ。


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ある漫画家がうつ病のトンネルから脱出するまで

『うつヌケ』できた恩返しにこの漫画を描いた

自身もうつ病を患い、快復した経験をもつ田中圭一さんが、同じく経験者たちにインタビューを重ねた漫画『うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち』(KADOKAWA)が話題を呼んでいる。

「僕が“うつヌケ"できたのは1冊の本がきっかけでした。漫画家であるからには、いま苦しむ人に役立つ漫画を描いて恩返しせねばと思ったんです。そこでツイッターでうつ脱出経験漫画を描きたいと呼びかけたところ、後に担当となる編集者から即座に連絡がきて。その打てば響く反応こそ『この漫画はいけそうだ』という最初の手応えでした」

登場するのは大槻ケンヂ、宮内悠介、内田樹といった有名人から、OL、編集者、教師と多様な顔ぶれだ。

「うつは特別な人だけのものではなく誰だって罹る可能性があるものだと伝えたくて、幅広い方々に語ってもらいました。梅雨時は落ち込んだり、夏には浮き立ったり、そんな気分の上下はみんなありますよね。うつは、その程度が大きくなったようなものです」

うつの身近さを示す表現として作中では“うつ君"というぷにょぷにょした物体の群れが描かれる。うつの度合いで数が増えたり減ったり、色が黒から白に変わったりするうつ君は、病なのにどこか愛嬌がにじむ。フルカラーの電子版では色彩による表現も多用した。

「漫画のもつ抽象化や擬人化の効果を今回は最大限に使いました。うつヌケした時って本当にモノクロの世界がぱーっと色を取り戻すような感覚なんです」

劇的変化は創作にも及ぶ。田中さんといえば手塚治虫筆頭に数々の大御所そっくりの画風を駆使した下ネタギャグが人気の漫画家だ。しかし本作では画風はそのままに真摯な体験談をストレートに描いた。『うつヌケ』と同時期に刊行の『ペンと箸』では有名漫画家の2世に取材。赤塚不二夫や池上遼一らを真似た絵で彼らと子供の食事のエピソードを描き、ホロリとさせる。

「以前は“泣ける"“感動モノ"が嫌いでした。でも、うつの間は脳が寒天に包まれたように何も心に届かなかったのが、抜けた途端にいろんなものに感動するようになった。その喜びに、自分も人を感動させるものを描きたいと素直に思うようになりました。うつヌケして頭がクリアになると、ギャグ漫画で培った笑わせるためのロジックやテクニックは感動を生み出すために応用できることも解りました。根は同じですね」

と取材の最後に田中さんが「よかったらどうぞ」と差し出すのは、裸率高めのギャグ同人誌。ぶれない!

評者:「週刊文春」編集部

(週刊文春 2017.3.9号掲載)

トンネル脱出

うつ病に悩む人は多い。ぼくのまわりにも何人かいるし、他人事ではない。

田中圭一の『うつヌケ』は、うつ病を真っ暗なトンネルにたとえ、そこから抜け出した人びとに取材したコミックエッセイである。

はじめに著者自身の体験が紹介される。サラリーマンとマンガ家という二つの仕事で忙しく働いていた著者は、転職をきっかけにうつ病になる。「あなたのうつ病は一生もの」ということばで医者に不信感をいだいて悪化。勝手に服薬をやめたり、医者を転々としたりとますます悪化。

トンネル脱出のきっかけは、コンビニで見つけた文庫本だった。うつ病にかかった精神科医が書いたエッセイである。著者は再発と回復を繰り返しながらも、自分の場合は気温の変化が引き金でうつ病になることに気づく。そして、「うつはそのうち完全に治る」と実感するに至る。

ここまではいわば序章。以下、著者が会って聞いた、さまざまな人の「うつヌケ」体験談が続く。

この人もうつ病に苦しんでいたのか、と驚く。ミュージシャンの大槻ケンヂ、AV監督の代々木忠、小説家の宮内悠介、熊谷達也、そして思想家の内田樹も。彼らに共通するのは、多忙さであり、責任感の強さであり、無意識に設定する目標の高さである。

「うつヌケ」のきっかけとなるのも人それぞれ。大槻ケンヂの場合は森田療法との出会いであり、内田樹は合気道を通じて「脳を休ませて身体の声を聞く」ことに気づく。

マンガという表現がテーマにぴったりだ。軽い気持ちでパラパラめくれるのがいい。なんだか効きそう。

評者:永江朗

(週刊朝日 掲載)
内容紹介
パロディマンガの巨星がマジに描いた、明日は我が身のうつ病脱出コミック!

著者自身のうつ病脱出体験をベースにうつ病からの脱出に成功した人たちをレポート。うつ病について実体験から知識を学べ、かつ悩みを分かち合い勇気付けられる、画期的なドキュメンタリーコミック!

目次
第1話 田中圭一の場合1
第2話 田中圭一の場合2
第3話 田中圭一の場合3
第4話 照美八角の場合
あの時ボクはうつだった その1
あの時ボクはうつだった その2
第5話 折晴子の場合
第6話 大槻ケンヂの場合
第7話 深海昇の場合
第8話 戸地湖森奈の場合
第9話 岩波力也・姉原涼子の場合
第10話 代々木忠の場合
第11話 宮内悠介の場合
第12話 鴨川良太の場合
第13話 精神科医・ゆうきゆうの話
第14話 ずんずんの場合
第15話 まついなつきの場合
第16話 牛島えっさいの場合
第17話 熊谷達也の場合
第18話 内田樹の場合
第19話 一色伸幸の場合
第20話 総まとめ
エピローグ
うつヌケこぼれ話 その1
うつヌケこぼれ話 その2
あとがき

ラクダの鼻

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中日春秋 5/2

「ラクダの鼻」という言い方が英語にある。のんびりとした鼻を思い浮かべるが、その意味を知れば、ちょっと身構えたくなる。語源は中近東あたりの昔話だと聞く。こんな話である。

ある男が一頭のラクダを連れて、砂漠を旅していた。ある夜、疲れたラクダは男にこう頼み込んだ。「鼻だけテントの中に入れてもいいですか」。男は快く応じるが、その日を境にラクダはどんどん大胆になっていく。顔を、首を、脚を…。テントに入れてくる部分がどんどん大きくなる。結局、ラクダはテントの中で眠るようになり、男が出て行けといっても聞かない。

小さく、無害に見えてもそれをいったん認めれば、既成事実となり、やがて取り返しのつかぬ事態につながる。「ラクダの鼻」とはそういうたとえである。

「ラクダの鼻」になる危険は本当にないのか。海上自衛隊の護衛艦「いずも」が米海軍の補給艦防護のために、横須賀基地から出港した。安全保障関連法に基づく新任務が初めて実行に移された。

日程は約二日間。米補給艦を護衛するのは四国沖まで。本当に必要なのかの疑問も残るほどに「ラクダの鼻」程度の任務かもしれぬ。

心配なのはこうした任務の積み重ねがやがては米軍との一体化を思いもしないレベルまで強め、同時にそれに対する国民の警戒心を弱めないかである。不気味な鼻が太平洋を静かに泳いでいる。

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中近東の寓話に、「ラクダが『寒いからテントの下に鼻だけ入れさせてください』と言ったので許したところ、肩から足から次々と入れてしまい、結局ラクダにテントを占領されてしまった」というものがあり、それが「悪い前例を作ってしまうとそれが既成事実となって取り返しがつかなくなる」という教訓を示していて、the camel's nose under the tent(テントの下のラクダの鼻)は「悪い前例」を意味しています。

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ラクダから学ぶ家庭教育

みなさんこんにちは毎日あまりにも寒いので、テレビや雑誌などで 
これで体もぽっかぽか!冷えともおさらば! というような内容の特集が組まれていたらすぐに飛びついてしまう、まいどん先生こと山下が今回ブログ記事を書かせて頂きます

なんでも蒸したショウガを乾燥させたものを食べればいいという事で、早速毎日ショウガを食べています。
なんとなく、体がぽかぽかしますし、ダイエット効果もあるとの事で毎日欠かさず食べています。

先日に私から、どんきー先生に・・・

「蒸したショウガが身体にいいらしいですよ!ダイエット効果もあるらしいです!持ってきましょうか?」

と言いましたが・・・

「めんどくさい!」と却下されてしまいました…いらぬ提案だったようです


そんなどんきー先生を含む、私たちペアレンツキャンプは子どもの自立を目的とし、それを専門にアドバイスを差し上げておりますが、実は
“自立”だけではなく“自律”のアドバイスも差し上げています。
子どもが自分を律するというのは家庭教育においても大切な事だと私たちは考えています。


今日はそんな、
家庭でのあらゆる場面で子が自分を律する能力を高めるために親がどのように対応をしていけば良いのか
について書かせて頂こうかと思います

まず、“自立”と“自律”を辞書でひきますとこうなります


自立…
 他への従属から離れて、独り立ちすること。独立。他からの支配や助力を受けずに存在すること。
 <対義語>;依存(他に頼って存在すること。)

自律…
 他からの支配や制約を受けずに、自分自身で立てた規範に従って行動すること。
 <対義語>;他律(自らの意識によらず、他からの命令や強制によって行動すること)

この自律が出来るためにはまず、親御さんが対応されるにあたってどの部分で線引きされているのかによって、場合によっては子どもが上位になってしまい、子どもの自律によくない影響が出てくることがあります。



こんな話があります。


ある日砂漠の商人が一頭のラクダと砂漠を歩きまわっていました。
その日の夜、いつも通り商人はテントを張り疲れを癒します。
そこに外で寝ていたラクダが、「どうしても寒いので鼻だけでもテントに入れて欲しい」と商人にねだります。
商人は、はじめは「お前は外で寝てろ!」と言いますが、粘るラクダに対して折れてしまいます。
「鼻だけならまぁいいか…」とそれを承諾し、旅を共にするラクダがテントに入ることを許可しました。
翌日、いつも通り商人がテントで寝ていると、ラクダがこう話しかけます。
「鼻だけでは寒かった。頭も入れて欲しい」
商人は「頭だけなら…」とそれを承諾します。
ラクダの要求は日に日に大きくなっていきます。
頭の次は右足、右足の次は左足…という風に。
とうとう、商人はラクダにテントを取られてしまいました。

ここで何をお伝えしたかったのかというと、“まぁいいか”は油断出来ないという事です。
このお話しではラクダの欲求に押され・流されて最終的に商人ではなくラクダが上位になってしまっています。

はじめは“こうするんだ”という意思の元に行動していても、徐々に“たまになら…”“ついつい”と、もともと決めていた所からズレてしまい、最終的には結果が予定と大きく違っていたり、はじめる前よりも状況が悪化してしまうという事は日常生活の中でよく見られる話だと思います


家庭教育で例えるなら…

【まぁいいかと流れてしまうケース】

子「お母さん、私これが欲しい」
母「そんなの買わないよ」
子「えー!なんで?欲しい欲しい欲しい!」(粘る)
子「買ってよ!買って買って!欲しい欲しい買ってー」
母「しょうがないなー、今回だけだからね(まぁいいか)」(折れてしまう)
子「やったー!」(このねだり方が成功した経験から、次回も同じようにしつこく粘ってねだるようになる)
 →次から子がエスカレートしてきて対応が大変になってしまう(悪化)


【まぁいいかと思わずに留まるケース】

子「お母さん、私これが欲しい」
母「それが欲しいと思っているのね、でもそれは買わないよ」
子「えー!なんで?欲しい欲しい欲しい!」(粘る)
母「欲しい気持ちはわかるけど、お母さんは今それを買うことはできないなぁ。」
子「なんで?買ってよ!欲しい欲しい欲しい!」
母「うーん、お母さんそんな風に大きな声で言われると恥ずかしいし、困るわ。お母さんだけでは判断できないのよ…」
子「じゃあ、お父さんに聞いてくれる?」
母「うん、お父さんがどう判断するかはわからないけど、相談してみるわね」
 →どちらかが上位になったりせず、冷静になれた

どうでしょうか?

時に子どもは自分の欲求が通らなかった時にとんでもない粘りをみせてくる場合がありますが、その粘りに対して親は時と場合を判断してどこまではOKでどこまではNGなのか?というところをきちんと線引きすることが大切です。
我慢する経験、自分の意見が通らない経験などを積み重ねることも家庭教育では大切です。他者よりも親の方がそのバランスはとりやすいですしね。

ですので、子どもの自律を目標に親がどのような対応を積み立てていくのか をひとつキーワードとし、家庭教育を見直す際や家庭ノートをつける時に参考にして頂ければと思います
今日はそんなラクダのお話。