2017年04月20日の記事 (1/1)

ジキル博士とハイド氏

水鉄砲 4/20

 千葉県我孫子市で、小学3年生のベトナム人女子が殺害された。かわいい顔写真付きで報じられたとき、私は何となく「犯人は獣性を持つ中年男」という予感がした。容疑者の調べが進むにつれ、それが的中したようで、やりきれない。

 40代半ばの容疑者は、小学生の登下校見守りに熱心な保護者会会長だった。その一方で児童ポルノの収集に凝り、今度の事件も綿密に計画していたらしい。まさにイギリスの作家、ロバート・スティーブンソンの代表作『ジキル博士とハイド氏』の日本版だ。その矛盾する人格を再確認し、人間の心の闇にたじろぐ。

 二重人格を扱ったこの古典のモデルは、18世紀半ばにエジンバラ市議会議員だったウィリアム・ブロディ。昼間は模範的実業家だったが、夜間は盗賊として18年間に数十件の盗みを働き、最後には税務署の襲撃計画が露見して処刑された。

 私の近所にベトナム料理店がある。難民だった両親は子ども2人に日本風の名前を付け、家庭教師を雇って、日本人として育てるのに必死だ。彼らがほれ込んだこの国で、同胞に起こった今度の事件は大きなショックだったという。

 被害者の父親も犯人の実像を知って、日本人を信じていたのにと絶句した。この少女は、将来日本人にベトナムを案内するツアーガイドになることが夢だったという。

 心から愛し運命を託したこの国に、こんな形で裏切られた家族の無念は、察するに余りある。

辞書を引く

時鐘 4/20

 なぜ「辞書(じしょ)」は「ひく=引く」と言(い)うのか。全国学力(ぜんこくがくりょく)テストの中学校(ちゅうがっこう)国語(こくご)にあった問題文(もんだいぶん)である。以下(いか)はその説明(せつめい)。

辞書は字引(じびき)ともいう。字引とは字がそれでよかったか選(えら)び出(だ)すもので「くじを引く」などと同(おな)じで、ことばを選び出すものが辞書だ、と。知(し)らなかった。中学(ちゅうがく)を出(で)てから五十数年(ごじゅうすうねん)、今(いま)も辞書を引きながら仕事(しごと)をしている身(み)でありながら…。

テストとは社会(しゃかい)に出る前(まえ)に覚(おぼ)えておきたい大事(だいじ)なことや解決能力(かいけつのうりょく)をつけてもらうための教科書(きょうかしょ)だと思(おも)う。順位(じゅんい)をつけたり振(ふ)るい落(お)とすためでもない。だから、試験(しけん)の時(とき)には答(こた)えられなくても後(あと)で問題を勉強(べんきょう)しなおせばいい。

仮(かり)にテストで50点(てん)だったとしても復習(ふくしゅう)で全部(ぜんぶ)出来(でき)るようになれば100点をとったに等(ひと)しい。自分(じぶん)で学(まな)んだ分(ぶん)だけ知識(ちしき)は深(ふか)く身につく。今回(こんかい)の試験でも「辞書」のいわれを知ったことは一生(いっしょう)の財産(ざいさん)になるだろう。

そして問(とい)7。「授業(じゅぎょう)で青春(せいしゅん)というテーマで本(ほん)を紹介(しょうかい)することになった」とある。青春の二文字(ふたもじ)が出てきたせいか、この年(とし)で勉強をしたくなった。が、少年(しょうねん)老(お)い易(やす)く学(がく)成(な)り難(がた)し。わが15歳(さい)の春(はる)に贈(おく)りたい言葉が辞書にあった。

言葉の中の色彩

日報抄 4/20

言葉の中の色彩は、場合によって好印象になったり、逆になったりするから面白い。例えば青。「雲ひとつない青空」はうれしいが、「顔が真っ青」では心配したくなる。

「身の潔白」と「白紙の答案」。同じ白でも趣がかなり異なる。「黒字決算」は歓迎するが「腹黒い」のは困りもの。「赤ちゃん」と「赤っ恥」も大違い。ふと気づく。緑には負の表現が簡単には浮かんでこないのだ。

新緑の季節が近い。5月14日までみどりの月間である。緑の募金。みどりの窓口。グリーン車。グリーン企業といえば、環境に配慮した経営を進める会社のことである。残念ながら、この緑色がすっかりくすんで見える事態となった。

胎内市の肥料生産業者が、有機質入り肥料の原料には認められていない下水汚泥を使い、販売していたことが分かった。商品の袋には「バイオグリーン」や「グリーングロース」などの文字が、緑色の樹木や農産物の図柄とともに印刷されている。

県によると、少なくとも2年前から汚泥が混入し、県内を中心に年間約1500トンが出荷された可能性があるという。一部はJA製の肥料にも配合されていた。「グリーン」や「有機」という言葉が持つ「安全・安心」のプラスイメージが崩れかねない。

不安と憤り。田植えの準備に忙しい農家も、県産米を食べる消費者も、思いは同じだ。一刻も早く原因を明らかにし、再発の防止に努めてほしい。風が吹き渡る緑一色の田んぼは、農業への信頼があってこそ美しく見える。

「松組」「竹組」

北斗星 4/20

小学生時代、転校した先の学級名が「松組」「竹組」だったので戸惑った。前の学校が1組2組だったのと比べると、なんか昔っぽいなあ、と。いま振り返ると木造校舎とマッチしていて好ましく思う。

松、竹、梅…の学級名はいまも各地で健在だ。新入生は慣れたかな。梅の次が桜であったり菊であったりと学校によって違うところが面白い。花の咲く順に梅、桃、桜の学校もある。かつては桐や藤、桂まであるマンモス校もあった。

個性的なのが潟上市天王の東湖(とうこ)小学校。1951年の創立時から学級名が「ひばり」と「かもめ」なのだから。ひばりは空の青に向かって縦に飛び、かもめは海の青を横に飛ぶイメージで、けんかをしない個性ある学級であってほしいとの願いが込められていた。

発案者で初代校長の畠山秀治先生が作詞した「くらしの歌」は、1番で「ひばりのように元気よく きょうも楽しく勉強し」、2番で「かもめのようにはばたいて 正しい運動よい姿勢」と二つの学級名を織り込んでいる。校歌とともに行事のたびに歌っていた。

明るさあふれる学級名も、児童の減少で1992年度には全学年が1学級のみとなったため、使われなくなった。「くらしの歌」も歌われなくなった。

県内の小学生数はこの25年間で約9万人から4万5千人に半減した。同じ期間に県人口は17%減だから、小学生は県人口をはるかに上回るペースで減り続けている。桜組や菊組もいずれは消えてゆくのだろうか。

穀雨

天地人 4/20

 春の訪れを、匂いで感じとるようになった。宇宙飛行士だった秋山豊寛(とよひろ)さんは、山暮らし10年をすぎたころから、季節の変化に身体が反応するようになったという。春風を感じながら畑や田圃(たんぼ)の土に触れているとき<…今、ここにあることの喜びがわいてくる>。『鍬(くわ)と宇宙船』(ランダムハウス講談社)に書いている。

 きょうは春季最後の二十四節気「穀雨(こくう)」である。百穀をうるおす春雨のことをいう。田畑にしみこんで、穀物などの種子の生育を助ける。種まきの好期であろう。苗を育て、田起こしに励む時季でもある。

 ホームセンターをのぞくと、レジ近くの陳列が除雪機からミニ耕運機にかわった。店頭には消石灰、培養土、堆肥などが山積みである。野菜や花の種、苗がずらりと並び、新しい品種に思わず立ちどまる。コンテナの種芋が土いじりを誘う。

 手押し式のミニ耕運機が人気と聞いた。家庭菜園など小さな規模の畑をたがやす。農機メーカー各社は、農業を本業としない人にも扱いやすいよう、設計を工夫しているという。新型機を見ると、ついつい品定めしてしまう。

 秋山さんは<自給的農家>を自任する。そして、災害などへの備え、安心の確保のため、自給的農家の重要性を説く。<一億総兼業農家>をめざす国づくり案があってもいい-と。「一億総活躍社会」と尻をたたくなら、秋山さんに1票である。

後出しじゃんけん

卓上四季 4/20

じゃんけんで一番出やすい手は何か。数学者の芳沢光雄さんが学生に実演させて調べた。どの手も同じ頻度で出るかと思っていたら、グーが多かった。手の構造上、力が入ると握り拳が出やすい。統計ではパーを出せば勝つ可能性が高くなる(門倉貴史著「本当は嘘(うそ)つきな統計数字」)。

物事を決められないと、ついじゃんけんに頼ってしまうが、公平中立という点では疑問が残るのだろう。まして、「じゃんけん」の上に「後出し」がつくと、誰しも眉をひそめる。スポーツの世界では、この「後出し」が問題になることが度々ある。

直近では2年前の世界選手権女子マラソンの代表選考か。国内大会で優勝した田中智美選手が漏れた。陸連はタイム重視で決めたが、田中選手の監督は「それならば最初から言うべきだ。後出しじゃんけんに感じる」と怒っていた。

陸連が次期東京五輪のマラソン代表の選考方法を発表した。2段階にして安定感や調整能力を見極めるという。「後出し」批判を招かないような誰が見ても分かりやすく、不公平を感じない仕組みにしてほしい。

メキシコ五輪男子マラソンで銀メダルに輝いた君原健二選手の言葉にある。「努力の成果なんて目には見えない。しかし、紙一重の薄さも重なれば本の厚さになる。」

努力の結晶がきちんと評価されれば選手の闘争心に火がつきやすい。観衆はその姿を見て心を動かされる。

たくさんのドア

大弦小弦 4/20

〈きょうもあしたも/あなたはたくさんのドアをあけていく…〉。絵本作家のアリスン・マギーの絵本「たくさんのドア」はこんな書き出しで始まる。

未来へのドアの向こうには、新しいこと、驚くこと、おもしろいこと、喜びが待っている。入学や進級など、門出を迎えたわが子の背中を優しく押す親の気持ちを綴(つづ)っている。

子ども向けの作品だが、人生訓のような味わいもある。4月に社会人になったあなたにとって、実社会のドアの向こうはこれまでとは違うものだと痛感しているころかもしれない。

緊張してドアの前で足が止まってる人、ドアを開けたものの早くもミスをして上司に叱られ落ち込んでる人もいるだろう。しばらくは成功よりも失敗、楽しいことよりつらく苦しいことが多いはずである。

でも大丈夫。テキパキ仕事をこなす頼もしい隣の先輩も新人時代には、何度もドアの前で足が震えていたはずだし、強面(こわもて)のあの上司だって同じ時期には仕事に自信をなくし、出社するのが嫌になった経験があるにちがいない。

会社人生の後半戦に身を置く立場で振り返れば、山あり谷ありなれど、どんなドアも開けてみて損はなかったと自信を持って言える。〈あなたはまだしらない/じぶんがどれほどつよいかを〉。ドアの前で悩めるあなたに、冒頭の作品の言葉を贈る。

鉄板ネタが笑えない


水や空 4/20


部下の結婚披露宴の祝辞で"スベる"例だという。○○君は近ごろたくましくなった...わけでもないですが、まぁ結婚を機に伸びてくれたらと願いますが...さて、どうなりますやら...。ウケ狙いで毒気を含ませた話が笑えない。残念なケースである。

教育学者の斎藤孝さんの著書『余計な一言』(新潮新書)にある。「毒舌」とは、場の空気が読めて、言葉選びが達者でない限り、うかつに試みる話芸ではないらしい。

ウケてなんぼの商売じゃなし、話に"笑えない毒"を盛った意味は何なのだろう。文化学芸員を「一番のがん」「一掃しないと駄目」と言い放った山本幸三地方創生担当相が、発言を撤回し謝罪した。

こうした発言と、学芸員に「観光マインドを持ってもらう必要がある」という、後に明かした"真意"とが一点も重ならない。こういう真意をお持ちの人が、そういう発言をするはずはないんですがねぇ...と嫌みを一言申し上げる。

原発事故の自主避難を「本人の責任」とした復興相。お騒がせの学園が起こした訴訟で、弁護士として法廷に「行ったこともない」と言った防衛相。皆さん、謝罪し発言撤回した。

ま、いいじゃない、反省してるし-というふうに首相らがかばうのもお約束の当節だが、笑えないどころか頭痛がしてくる"鉄板ネタ"である。